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最近、冬で、寒いせいか、体の冷えを痛感していた。夜、眠るとき、手足などが冷えていて、なかなか眠れない。日中も、手や指先が、冷えていて、両手をこすり、マッサージしても、温かくならず、一日中、冷えている。なぜなのだろう?年のせいで、仕方のないことなのだろうか?と、思っていたが、娘や、私より年上の家人の手は、温かい。体質なのだろうか? でも、前は、こんなに冷えを感じなかったし、すぐに温かくなったのに、と、合点がいかないでいたが、冷えの強い日と弱い日があり、お酒の量で、変わるようでもあった。 もしかして、最近、酒量が、多いようで、そのせいかな? と、思い純米酒を飲むのを止めたら、 指先が、ポカポカ温かくなった。夜、眠る時も、体が冷えていない。私の冷えの原因は、過度の量の純米酒でした。 家人も、お酒を飲むのであるが、そんなに量は多くない。日本酒なら、コップ半分くらいの100mlくらい。ビールも250mlの小さい缶ビールが、ちょうどいいという御仁である。 酒の種類など問わない。私は、同じ純米酒でも、飲めないというか、のどに引っ掛かって入らない酒があるので、そういうのは、家人用にしてもらう。 ということで、今のところ、アルコールは、もう、こりごり。ビールも、百歳のおばあちゃんが、おいしそうに飲む焼酎も・・・・・。全く、興味がなくなりました。 でも、どのお酒が、どのくらいの摂取量で、体の冷えと関係してくるのか、実験して、知りたいとは思うのですが、 もう、冷えは、こりごりなので、お酒なんて、どうでもいいや、
2010年02月20日
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先日、なんとなくテレビを見ていたら、明治時代、鹿鳴館の花と言われた、山川捨松のことが放送されていた。津田塾大学の創始者、津田梅子と共に、日本人女子初の留学生として、12才でアメリカに渡り、バッサー大学で学び、帰国し、津田塾大の創立にも尽力した婦人である。NHKで放送されるくらい歴史に名を残している人物であるが、地元では、あまり知られていない。明治時代、アメリカに子守り女中として渡った「おけい」のほうが、地元では知られている。彼岸の会津まつりの行列にも、「おけい」は、登場する。 なぜ、地元では、マイナーなのだろう。 私が、山川捨松について、初めて知ったのは、高校で日本史の時間であった。日本史の教科書に、鹿鳴館の説明とともに載っていて、物静かな日本史の先生が、「この人は、会津の人です。柴五郎も、その弟で、小説「佳人之奇遇」を書いた東海散士(柴四郎)も、会津の人です。」 と話した時には、「教科書にのるくらい有名な人が、こんな山の中の盆地にいたんだ。初めて聞いた。それにしては、そんなに有名なのに、なぜ、地元では、みんな知らないのだろう。 野口英世は、みんな知っているのに、」と、不思議であった。「おけい」の顕彰会は、地元有志で結成されているが、山川捨松の名や功績は、地元では、ほとんど聞かない。何故だろう。彼女が、薩摩藩士、大山巌に嫁いだゆえであろうか?戊辰戦争で、薩長が攻めてきて、多くの犠牲が払われた。士族の婦女子は、敵に捕らえられて、辱めを受けるならばと、自害して果てた。白虎隊の少年たちの自害の悲劇もあった。筆舌に尽くしがたい凄惨な歴史の出来事だった。いまもって、藩士たちの墓のある山は、墓石が倒れ、荒れ放題になっている。それなのに、山川捨松が、会津を攻めてきた敵である薩摩人に嫁し、、大山捨松になった。その当時の地元の人々にとっては、絶対に、許しがたいことで、口に出すことも、憚られる、と、口をつぐんでしまったのだろうか? また、大山捨松は、戊辰戦争の惨状と、その後の藩士たちの北海道などの極寒の地への強制移住など、辛酸をなめる苦労を強いられていたのに、それらを強いた所に、何故、嫁いだのであろう。 アメリカ留学が、彼女を変えたのだろうか?日本の狭い、狭いところで、こだわって生きていてはいけない。これからは、世界を広く見渡して、いかねばならない。日本の中の会津、ではなく、世界の中の日本。という広い視野に立ったのだろうか?でも、いくら、そう思っても、身近な人々にされた残酷な仕打ちを、乗り越えられるのだろうか。彼女の葛藤は、どのようなものであったか?ただ、どのようにしてか、わからないが、彼女は葛藤を乗り越えて、鹿鳴館で、流暢に英語を話し、西欧列国に、日本が西洋に引けを取らない国、いや、それ以上に繊細な礼儀を兼ね備えた一目おくべき国、であることを外交上アピールして、西洋の支配下にされないようにしたのではないだろうか? 今の世の中、彼女のように、怨讐を越えて、行動できる人がいるだろうか?
2010年02月10日
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世の中、「ならぬことは、ならぬ」という、永久不変もあるけど、不変だと思っていたことが、不変でなくなることもあるのだ。最近、自己の味覚の変化に、「えー。それは、ないでしょう。」と、自分で、驚いている。 昨年の暮れに、子供が、アイスクリームを買ってきた。ハーゲンダッツとか、チョコをコーテングしたものなど。「お母さん、アイス買ってきたよ。」いつもならば、いくら、食後で、お腹いっぱいだって、「食べよう。食べよう。一緒に食べよう。」 と、満面の笑顔で、飛びつくのに、「そう、冷蔵庫に入れといて、」 と、まったく、食欲を示さない。そのうち、アイスのことも忘れてしまっていた。 しばらくして、子どもから、「お母さん、冷蔵庫に、アイス、入っているよ。」と、言われても、「そうお。」と、言うだけである。 また、しばらくして、子供が、しびれを切らして、冷蔵庫から、アイスを取り出して、「あ母さん、アイス食べよう。」と、自分で、食べだしたので、一緒に食べた。 この、私の変わりようは、一体、どうしたのだろう。自分でも、信じられなーい。 一頃は、ハーゲンダッツのラムレーズンに凝っていたのに。それに、ロッテのラミーチョコレートに ものすごーく凝った時期もあったのに、今や、スーパーで、ラミーチョコレートの前を通っても、食指が全く動かず、素通りである。そして、何故、そんなに夢中になっていたのか、今となっては、わからない。熱は、冷めるものなんだ。
2010年02月08日
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