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「障子堀」 ここは『東の虎口跡』だど。 すっきりしてるね。 なんも障害物もなくって、広々してるど。 これじゃ~、敵が簡単に侵入しちゃうんじゃないけ? でも、この向こっかわにゃ、いっかい堀がある。 そして、巨大な曲輪もある。 だから入りにくいんだべな。 よし! これから、確認にいくど! と、そのまえに。 こんなんめっけたよ。『東の虎口跡』に続く、道の両端にあんだ。 かすかな溝だから、水はけ用の凹みかな? と思ったんだけどな。 これ、遺構の一部らしいど。 中央に向かって、まっつぐに伸びる溝。 なんの溝なんだろな? 『小田城の案内板』にちゃんと載ってるから、 城の遺構なのは、間違いないんだけんどな。 ちょっと、わがんねかった。 なんだべな~? 気になるな~。 だども、わがんないことば~り考えてても、 先さ進めないかんな。 溝の謎は、ひとまずおいといて。『東の虎口跡』さ、みにいくべ~♪ 橋は、鉄やコンクリートを使ってるみたいでな。 しっかりした、頑丈な造りになってたど。 戦国時代のころにゃ、『門』と『木橋』があったんだっって。 そしてもひとつ。 おもしろい仕掛けが、あったんだよ。 それは、ここにあったらしいど。『東の堀』だど。 これは橋の上から、南の方向をみたとこ、だど。 堀の幅は、場所によってちょこっと違うらしいんだけどな。 約20~30メートル、あんだって。 深さは 約4~5メートルの『障子堀』 なんだって。『障子堀』っつうのはな。 堀底に、仕切りのようなものをこしゃってな。 障子の枠みたいに、小さな空間に 分けとくんだと。 ただし、仕切りの中の空間部分は、深いかんな。 落っこったら、容易にゃ登れないんだ。 堀の底一面に、いっかい落とし穴があるみたいな 感じだべか? 仕切りの上も、狭くしてな。 歩いて渡ろうとしても、 簡単にゃ~歩けないようになってたんだと。 それに、土塁の上から丸見えだかんな。 穴っこに気~とられてっと、 弓で狙い射ち、されっちまう。 かといって、慌てて足さ踏み外すと、 穴っこん中に、ドスンっ だど。 さらに。 穴ん中に、泥んこさいれとくと、 効果は倍増するらしい。 兵士は鎧だの武器だの持ってて、ただでさえ動きにくいのにな。 泥んこで、さらに身動きとれなくなるんだと。 そんで、動けなくなったとこを、 狙い射ち。 容赦ね~な~。 また、穴っこが隠れるぐらいに、 水を張っておくって手も、あるらしい。 平底の堀だな と思って飛び込んでみたら、 わっ! 底がない。障子堀だ! ってなって、 ぶくぶくぶく・・・。 気づいたときにゃ、遅かった。 って、とこだべか。 お、おっかね~、仕掛けだな。 これは、橋の上から北のほうをみたとこ。『障子堀』の仕掛けは、こっちのほうまでず~っと 続いてるらしいど。 そうそう。『障子堀』は戦国大名の『北条氏』の城に 多く使われた仕掛けなんだと。『小田氏』は『北条氏』と、繋がりがあったんだべか? そんだから、『障子堀』なんて仕掛けさ、 教えてもらったんかな? ちょっと調べてみたんだけんどな。 16世紀中ごろの『小田城』は、『北条氏』と『佐竹氏』に挟まれて、 何度も戦闘の舞台になってたんだと。 んで、永禄5年(1562)。『小田氏』は『北条氏』に従ってた時期があったらしい。 もしかしたら、この時期に、『障子堀』の仕掛けを、教えてもらったんだべか? あるいは。 永禄12年(1569)。『手這坂(てばいさか)の合戦』の話。 そんとき。『小田城主の小田氏治』は、『片野城・柿岡城』にいた『太田質正・梶原政景』に 攻撃を仕掛けたんだと。 ところがその隙に、『真壁氏』に『小田城』を、乗っ取られちまったんだって。『氏治』は『佐竹氏』に降伏してな。『小田城』は『佐竹氏の城郭』になっちまったんだと。 で、その後。『佐竹氏』は『梶原政景』に『小田城』を預けたんだけんどな。 天正12年(1584)。『政景』が『北条氏』と、内通していることが発覚。『佐竹義重』に、攻撃されちまったんだって。『政景』が内通した理由は、なんだべな? もしかして、『障子堀』の仕掛けを 教わってたのけ? 内通の理由は、わかんないけんど。『政景』は『太田質正』のとりなしで、 なんとか許してもらえたらしいど。 結構『小田氏』と『北条氏』の間には、つながりがあるんだね。 こりゃほんとに、どっかで『北条氏』の技術を 教えて貰った可能性が、ありそうだね。 てことは。『小田城』の仕掛けを見てるつもりで、『小田原城(北条氏)』の技術を見てるってことに・・・ なるのかな? ちょっと、妄想が広がりすぎたかな~? 《栃木弁:注》 いっかい = でっかい。大きい。 《参考》 小田城跡 (案内所でもらったパンフレット)【送料無料】 関東の名城を歩く 北関東編 茨城・栃木・群馬 / 峰岸純夫 【単行本】価格:2376円(税込、送料無料)図説茨城の城郭 [ 茨城城郭研究会 ]価格:3024円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)常陸小田氏の盛衰 [ 野村亨 ]価格:1337円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)城のつくり方図典改訂新版 [ 三浦正幸 ](注:今回参考にしたのは、改修前の本なのですが、入手できないようなので、改修版を紹介します)################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.08.30
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「東池跡と住居跡」 土塁の上から、降りる階段さがしてたらな。 こったら景色が目にはいた。 お、庭がある。 こっちは『本丸の内側』だな。 遠くにめ~る『筑波山』も、いいとこに顔だしてるし。 ここも、いい眺めだな~。 これは『東池跡』 南北 約32メートル 東西 約13メートル あんだって。 深さは、まちまちでな。 30~80センチぐらいだって。 へえ~。案外浅いんだ。 まちがって落っこちても、 おぼれないね。 ちなみに、手前の四角いスペースは、『住居跡』なんだって。 そういえば。『小田氏7代目の治久(はるひさ)』はな。 暦応元年(1338)に、『北畠親房(きたはたけ ちかふさ)』って人を『小田城』に迎えたんだって。 当時は『南朝方』と『北朝方』に分かれて、 戦をしてたんだけどな。『北畠親房』は『南朝方の重臣』だったんでな。『小田城』を『関東地方の南朝方の拠点』にしたらしいんだ。『小田城』は、重要な地点に位置してたんだね。 で、『北畠親房』は『小田城』いたときにな。『神皇正統記(しんのうしょうとうき)』を随筆したんだと。 もしかしたら、この池のほとりの建物で、日本庭園を眺めながら『神皇正統記』を書いたんだべか? のんびりできそうだし。 景色もいいし。 随筆すんにゃ~、良い環境だよね。『住居跡』といえば、こんなのもあるど。『東池跡』から北へ、少し離れたとこにあんだけど。 住居を再現した、休憩所なんだ。『小田城』、結構広いかんね。 うろうろと、あちこち見てたら、疲れっちゃ~もんね。 休憩所は、うれしいな。 だども、この建物。なんだか、おもしろいね。 屋根の下にも一個。屋根がくっついてるよ。 も少しじっくり、見たかったんだけど。 休憩中の人がいたんでな。 邪魔しないように、遠くから観察してたんだけど。 いつの時代の建物なんだべな? どんな使い方、してたんだんべ? うむうむ。建物、あんまし興味さなかったんだけどな。 ちょっと、おもしろく思えてきたど。 あ、手前の『白くて丸い跡』は『井戸の跡』なんだと。 どうやら『小田城』は、水不足とは無縁の城だったみたいだね。 すくなくとも、城内に井戸があったんだかんな。 汲みにいく手間は、だいぶ楽になったべな。 さて。だいぶ寄り道しちゃったけんど。 そろそろ『土塁の下』に降りたいな。 さ~てと、階段、どこだべな~?《参考》 小田城跡 (案内所でもらったパンフレット)【送料無料】 関東の名城を歩く 北関東編 茨城・栃木・群馬 / 峰岸純夫 【単行本】価格:2376円(税込、送料無料)図説茨城の城郭 [ 茨城城郭研究会 ]価格:3024円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)下野・宇都宮一族 [ 七宮けい三 ]価格:3024円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)常陸小田氏の盛衰 [ 野村亨 ]価格:1337円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.08.25
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「石めぐり」 8月19日(金)に、石めぐりさ行って来た。 石っつっても、そこらへんに転がってるやつじゃ~ないど。 博物館の特別展示で、やってたんだ。 まずは『佐野郷土博物館』。 栃木県佐野市大橋町にある、博物館だど。 ここで『生活の中の鉱物』展をやってるんだ。 期間は8月31日まで。 入場は無料。 だもんで、ちょこっと覗きにいってみた。 会議室のような、小さな部屋での展示でな。 ちょっと展示数が、少なかったんだけんど。 鉄だとか銅だとか、宝石だとかの鉱石が、 生活にどうかかわってるのか、わかるようにな。 実物とパネルで、説明されてたど。 だども、岩みたいなごつごつ固い物質が、 車のボディーになったり、電線になったりしてるなんて、 不思議だよね~。 で、時間さあったんで、も一か所。『葛生化石館』も、行ってみた。 栃木県佐野市葛生東 ってとこにあんだ。 昔は『葛生町』っつってたとこ、なんだけどな。 佐野と合併して、今は佐野市になってんだって。 周囲を山に囲まれたとこでな。『石灰岩の採石所』が、いっぱいあんだよ。 おかげで道が入り組んでたり、 急カーブや急坂もある。『石灰岩』を運ぶ大型トラックも、 ばんばんやってくる。 車の運転が、下手なもんでな。 ず~っと、どきどきしっぱなし。 ちょっと、おっかなかったよ。 どきどき、してたせいだべか。 曲がるとこ、間違っちゃってな。 ちょこっと遠回りさしちゃったけんど。 無事につけたよw。 『佐野郷土博物館』からだと、 車で30分ぐらいかな。 隣は、図書館になっててな。 道を挟んで『佐野市立吉澤記念美術館』や『葛生伝承館』もある。 葛生の中心地みたいだね。 ここでやってるのは『石と化石と宮沢賢治展』。 期間は11月27日まで、やってるど。 入場は、こっちも無料。 なので、気軽に立ち寄れるな。 ここも小さな町の資料館、みたいな感じのとこでな。 展示品は少なめ。 だども、おもしろい物がいっぱいあったど。 まずは常備展。 化石館の名前のとおり。 メインの展示は、化石だど。『古生代ペルム紀』なんて、聞いたことあっけ?『2億9,900万年~2億5,100万年』ぐらい前の 時代なんだと。 でな。どうやらこの時代の生物たちの死骸が、『石灰岩』の元に、なったらしいんだ。『化石館』では、『石灰岩』の中から出て来た、『ペルム紀の化石』とか、『中世代の恐竜』『現代に近い動物化石』など、 いろんな時代の生き物を、比較できるようになってんだ。 びっくりしたのは、全身化石が多いこと。 もちろん復元物も、あっけどな。 どことどこが、くっついてるのかな? とか じっくり観察できたのは、勉強になったど。 そうそう。もう一個。 おもしろい展示があったんだっけ。『石灰岩の町・葛生』にちなんで、『全国の石灰岩』が、ずらっと並んだ棚があったんだ。 ひとことに『石灰岩』っつってもな。 雪のように真っ白いのから、 そこらへんに転がってる石みたいな、灰色のやつ。 違ういしだんべ? と疑いたくなっちゃう黒いやつや、 化石が埋まってるやつなど、 いろいろあんだよ。 触れる展示物があるのも、いかったな~。 で、『石と化石と宮沢賢治展』はどうだったか、っつうとな。 童話や詩の作品に出てくる石を、作品とともに紹介してあった。 ちょっと展示スペースが、狭かったかな~? ぎゅうぎゅう詰めに、なってたな。 ありゃ、大勢の人が来たっくれ、立ち往生しちゃうかもな。 一番気にいったのは『火山弾』かな。『宮沢賢治』さんの『気のいい火山弾』っつう作品に ちなんだものなんだけんどな。 この話。好きなんだ♪ だもんで、余計にじっくりみちゃったんだどもな。『火山弾』って、ほんとに玉みたいなんだな。『砲弾』っつうのかな? 大砲に使うような、丸いやつ。 あれに、似てるんだ。 実際に触れるコーナーもあってな。 そっと持ち上げてみたんだけんど、 見た目より、すごく重い。 まるで鉄の塊を、持ってるみたいだったど。 大きさは、両手で持てるぐらいだから、 そんなに大きくなかったど。 スイカ、よりは小さかったな。 メロンぐらい、かな?『火山弾』なんて、実物もめったにみれないのに、 触れるなんてな~。 貴重な体験、しちゃったな。 遠くからわざわざくるほど、大きな博物館じゃ~ないけんど。 近くさ来ることがあったらぜひ、立ち寄ってみとこれね。 :::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*::: 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::
2016.08.21
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「土塁の上から」『涼台』から北に向かって、土塁の上さ歩いてく。 このへんは、『本丸の東側』になんだべな。 芝がきれいだね~。 お、あれはなんだ!? 右手の方向。『土塁の外側』に、『いっかい水堀』があるど! うわ~。すげ~。 南のほうにあった『水堀』も、川みたいに広かったけど。『東側の堀』もまた、いっかいな~。 橋が架かってるど。 向こう側に、いけんだね。 ちょっと離れて、撮ってみた。 う~む。全体は入りきれないな。 だども、後ろのお山が、きれいだね~。『いっかい水堀』と、『曲輪』。 そして、お山。 ここは、絶景ポイントだねw いいとこめっけたな♪ 場所さ変えて、撮影。『曲輪の先端』を、とらえたど。 四角に角ばった先端を、『水掘』がぐるっと、囲んでんだね。『曲輪』の向こっかわも、『水掘』になってんのかな? こっからじゃ~、め~ないな~。 よし。決めた。 次は、あの『曲輪』さ、散策すんべ。 そうと決まったら、降りるとこ、めっけなくっちゃ。 橋を渡るには、土塁の下さいかないと、 だめみたいだかんな。 さてさて。 階段、どこかな?《栃木弁:注》 いっかい = でっかい。大きい。################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.08.17
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「涼台」 おや? 石碑の奥に、なんかあるど。 古墳かな? と、ちょっとドキドキ しちゃったけんど。 違うよね~。『小田城』は戦国時代の城址だもの。 戦国時代に出来た土塁の上に、古墳があるわけないな。 時代が、逆だどw。 だども、気になるな~。なんだべな。『土盛』のある場所は、『本丸の南の角っこ』 角っこ、といえば・・・見張り台? そうなの? わかんないな~。 んじや、確かめるために、登ってみんべw うんしょ。こらしょ。どっこらしょっと。 この辺、あんまし人が通らないんかな? 地面がでこぼこしてて、歩きにくいど。 あわてない、あわてない。ゆっくりと、登ろ。 そだ。この『土盛』があるあたりはな。 昔っからあったものらしいど。『小田城』でもらってきた、パンフレットにな。 復元中の写真が載ってんだけど。 この角っこは、丘みたいに盛り上がって、 残ってんだ。 公園化するときも、あんまし手を入れてないのかもしんないな。 他と違ってな。 木が一杯生えてて、林の中にいるみたいだよ。 けんど。いいね~。 きれいなとこば~りじゃ、おんもしくないよ。 ちっとは昔の姿が、残ってないとなw。 よいしょ、っと。頂上、到着。 眺めは、どうかな~? まずは『本丸の内側』から ありゃりゃ~。残念。 木が邪魔で、め~ないよ。 だども木がなかったら、『本丸全体』が見渡せるど。 すごいね~。 んじゃ、反対側。 外っかわは、どうかな? おお~。すんげ~。 お城の外が、丸見えだ~。 地平線まで、見えそうだよ~。 あっちは西かな? これなら敵が攻めてきても、 すぐめっけられるね。 ええとな。 この高台になってる場所はな。『涼台』って、呼ばれてるんだと。 たしかに。こったら広々としたとこで、 緑のはっぱが、さわさわ揺れてっとこを 眺めていたら、涼むべな~w。 だども、足元は、崖。 お! 堀が真下だ。おっかね~。 それに、結構高いよ、ここ。 ぞ~! 下さみたほうが、涼しくなりそうだな。 戦国時代の武将たちも、 ここで涼んでたり、してたんかな? やっぱり、敵を見張る為の場所だったんかな? どんなだったんかな? 戦国時代の様子も、ちょこっと。 覗いてみたいもんだべなw。 《参考》 小田城跡 (案内所でもらったパンフレット)################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.08.14
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「八田氏」『小田城の本丸内』。『土塁』を右手に見ながら、東のほうへ進んでいった。『土塁』いいね~。 ここは、ほとんどの部分が復元物みたいでな。 きれいな形に、整えられてんだ。 階段も、あちこちにこしゃってあってな。 上にあがれるように、なってんだよ。 だからはやく、登ってみたいんだけど。 まずは下の部分を、ぐるっと見てからにしよっかな。 お? あんなところに、坂道があるど。 むむむ~。ここは、他の場所と、雰囲気違うど。 なんでかな? 確かめにいってみんべw。 古そうな『石碑』があるど。『小田城』に、関係あんのかな? そういえば。『小田城を治めていた、小田氏』は、 栃木県とも、関係が深い一族なんだよ。 ええと。まずは『宇都宮城』の話。『宗円(そうえん)』っていう人が、いんだけどな。『宇都宮氏の家祖』って、言われてる人なんだ。 『宇都宮の二荒山神社』の務職(検校・総監者)になってな。 下野国の豪族になる基盤を得た人なんだって。 でな。『宗円』の息子に『宗綱(むねつな)』って人がいる。『宗綱』は『八田権守』を名乗っててな。『八田』のあたりに、政治の基盤を持ってたらしいんだ。『八田』は、常陸国あってな。 茨城県の下館市八田、のことらしいど。 あ、今は下館市、じゃないんだね。 合併して、筑西市になったんだっけ。 お城でいうと『真岡(芳賀)城』とか『結城城』とか『真壁城』が、ある辺りだべか? でな。『宗綱』の長男が『朝綱(ともつな)』。『宗綱』の跡を継いで、宇都宮氏の3代当主になった人だよ。 んで、次男(または四男)が『知家(ともいえ)』。『知家』は『源頼朝』に信頼されてたらしくてな。『常陸守護』に任じられてたんだって。 でな。『知家』は『八田』の姓をなのって のちの『小田氏の祖』になったんだと。 な? 栃木県とも、関係が深くなってきたべ? あ、また石碑がある。 これは、なんの石碑かな? ええと。さっきの続きが、まだあるど。 関係が深いのは、『宇都宮氏』だけじゃないんだ。『小山氏』も、かかわってくんだよ。『宗綱』には、娘もいんだ。『寒河尼(さむかわに)』って呼ばれてる人だど。 この人は『源頼朝』の乳母を務めた人でな。 のちに『小山政光(おやままさみつ)』の後妻になったんだ。 で、生まれた息子が『朝光(あさみつ)』っつってな。 『結城氏の祖・結城朝光』になんだよ。 ありゃりゃ? 結城まで、くっついてきちゃったど。 複雑になってきたな~。 名前も一杯、出て来たど。 こりゃ、覚えきれないや。 しゃ~ない。 今回は、この辺にしとこっと。 石碑も、まだある。 いっはいあんだね。『小田氏』の歴史が、書いてあんのかな? それとも関係ない石碑、なんかな? よくわかんないけんど。 この辺の雰囲気に、あってるね。《参考》 小田城跡 (案内所でもらったパンフレット)【送料無料】 関東の名城を歩く 北関東編 茨城・栃木・群馬 / 峰岸純夫 【単行本】価格:2376円(税込、送料無料)図説茨城の城郭 [ 茨城城郭研究会 ]価格:3024円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)下野・宇都宮一族 [ 七宮けい三 ]価格:3024円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)常陸小田氏の盛衰 [ 野村亨 ]価格:1337円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.08.10
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「西池と溝」 『どでかい堀』を見ちゃったもんだから 頭がくらくらしてきちゃったよ。 いったん、『本丸』の中にもどろ。 おや? 足元に『オオバコ』が咲いてるど。 気がつかなかったな。 土塁ば~り、見てたかんな。 おやおや。よくみれば、他にも草花がいっぱい咲いてるよw なんの花かな? 和むな~♪ 花をみながらほてほて歩いてたら、こんなのめっけた。 溝? だべな。 なんの溝? これも遺構かな? きょろきょろ。 周囲を探ってみたけんど。 う~む。なんもヒントがめっかんない。 あ、あれはどうかな? 案内板があるよ。『西池』だって。 だいたい16世紀後半ごろに出来たものでな。 南北 約14メートル 東西 約17メートル 深さが 約1メートル あんだって。 だども、これは、さっきの溝とは、関係ないみたいだな。『西池』は、こっち。 白い石がひかれた四角いとこ。 あんがい狭い、池だね。 だども、最初は 南北に 40メートル以上 東西も 20メートル近く あったらしいな。 なんでちっこくしたんだべな?『虎口』さ、こしゃるため? かな。 池が『虎口』の真ん前にあったら、出入りしにくいもんね。 で? さっきの溝は? なんだべな? 説明がないんで、わかんないんだけど。 溝の先は石が引かれた、広場になってた。 どうやらこの辺に『大型建築物』があったらしいど。 殿様の主殿だったのかも? って説もあるらしい。 ふ~ん。で、溝は、なんのため? どこにも理由は書いてないけど、 しっかり跡が残ってんだからな。 なんかに、使ってたはず。 雨水の排水にでも、使ってたんかな? 謎、です。 《参考》 小田城跡 (案内所でもらったパンフレット)【送料無料】 関東の名城を歩く 北関東編 茨城・栃木・群馬 / 峰岸純夫 【単行本】価格:2376円(税込、送料無料)################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.08.06
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「南西虎口跡」 『小田城』の南にゃ、虎口がある。『南西虎口跡』だど。 おや? 石っこがあるど。 発掘で出て来たものだべか? だとすると、『小田城』にゃ、石垣があったってこと? それに、発掘したまんまで、 展示されてるみたいに、め~る。 ほうほう。これはじっくり、みておきたいな。 よいしょ、よいしょ。『虎口』を登る。 ん? なんだかこの辺。坂になってるよ。 なんで高くなってんの? 防御のため、なのかな? 近づいてみると、どうも変。 石が作り物っぽい。 そっと、つついてみた。 ぼこん、ぼこん。 なんか軽そうな音がした。 こりゃ、偽物だ~。 だども、なんで? 偽物なんて置いとくの? 安全対策かな?『南西虎口跡』、なんか変だど。 ほんとに虎口? まさか、勝手に開けた、通路じゃなかんべな? あ、案内板、めっけ! ってことは、『虎口』は本物なのか。 じゃ、なんで違和感があんのかな? 案内板になにかヒントが、書いてあるかな? お! あった。 まずは『石垣』について。『石垣』は、『黒雲母片岩(くろうんもへんがん)』を使ってこしゃったらしいど。 んで、そんなかにな。『花崗岩(かこうがん)でできた石塔部材』も混ざってたんだと。 3・2メートルぐらいの幅で、『石垣』が並んでてな。 そこに『門』が、建ってたんだと。 へ~。そんじゃ~、土塁全体を囲む石垣じゃなくって、 門の基礎部分を支えるような、石垣だったんかな? どんな『門』が、たってたんだべな? さらに読んでみる。 お。偽物の石について、書いてあるど。 なになに? この偽物石は、整備すっとき、 出土した状況のまま、型を取ったものなんだと。 んで、本物の遺構はな。 約1メートルぐらい土を盛って、保護してんだって。 んじゃ~、あの偽物の下に、本物が埋まってるのか! 保護の為に土が盛ってあっから、この辺だけ高くなってんだね。 なぁ~んだ。そったら、事情があったんか~。 保護の為なら、しゃ~ないか~w よっこいしょ、っと。『南西虎口跡』の奥まで登る。 せっかくだから、『虎口の外』を覗いてみた。 お! なに、あれ! でっかい広場~! じゃなくって『曲輪』だべな! 写真一枚じゃ、入りきれないよ。 そして、左のほうには、 川~! ちょっと藻が茂ってるみたいだけんど、川だべな。 城、といえば、川は付き物。 こったら立派な川が、近くを流れてるなんて、『小田城』凄いな~。 だども、よくよくみっと、 どっかでみたような景色だべ。 う~ん? あ、そだそだ。 ネットの写真で、みたんだ。 川の縁にある城って、いいな~、っと思ってな。 見に行きたくなったんだ。 そうか、ここの写真だったんだ~。 あれ? でもな。 川の向こっかわに、『曲輪』みたいな場所さあるど。 それに、案内所でもらったパンフレットに載ってる地図にゃ、 川なんて書いてなかったよなぁ? え? もしかして、あれは『堀』だべか? え・え~っ! ずっと川だとば~り、思ってた。 実物見ても・・・やっぱし川にしか、め~ないよ~。『小田城』、すごい~。 どんだけ、規模が、でっかいの? ちょっと、怖くなってきちゃったよ・・・。《参考》 小田城跡 (案内所でもらったパンフレット) 小田城内の案内板################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.08.02
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