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「土壁双倉(つちかべならびくら)」『校倉』を見たあとは『土壁双倉』を見に行こう。 復元された建物の中じゃ、真ん中に位置してる建物だど。 これちょっと、不思議な形さしてるよね。 建物の真ん中が、吹き抜けになってんだ。 どういう造りになってんだろ? 中は、どうなってんの? う~ん。よくめ~ないな。 復元建築物の周りにゃ、腰に届くぐらいの柵があってな。 建物の近くへ、寄れなかったんだ。 そこで、建物の裏側へ回ってみることにした。 『土壁双倉』の全面は、建物一個分ぐらい、柵から離れてんだけんど。 裏っ側は、建物の側まで、柵がよってたんだ。 よし。これでじっくり観察できるど。 お。一面緑だ。なんか、別世界にきたみたい。 雰囲気が違うど。 なんつ~んかな。 映画やドラマに出てくる、田舎の風景って感じかな。 あ、段差がある。 いんや、こりゃ溝だな。 左右をみわたす。 と、溝は復元建築物の後ろを、ず~っとまっつぐに進んでた。 これも遺構の一つだな。 どこまで続いてんのかな? 確かめに行きたいけんど、まずは『土壁双倉』をみておこう。 お。でっかい。 ここは床面積が125平方メートルぐらいある、 大型倉庫なんだと。 建物の復元には『奈良県の法隆寺封蔵』を、参考にしてるらしいど。 理由はな。 官衙の中心になる大型の建築物は『土壁構造』が多かったこと。 そして、平沢の建物と同じように、左右に蔵があったから。 屋根は、瓦の出土量が少なかったので、 瓦葺ではなく、茅葺屋根にしたんだと。 なるほど。左右は蔵になってるんだ。 どんな蔵なのかな? あ、残念。 背丈がたりない。 中がめ~ないよ~。 う~んと腕を伸ばして、写真さ撮ったら、 ちらっと、中がめ~たど。 木の扉があって、鍵がかかってるみたいだな。 今回は、建物の中さみれなかったけんど。 イベントの時とか、柵の中に入れるときも、あるみたい。 建物の中も、ときどき一般公開さ、してるみたいだよ。 タイミングがあえば、じっくり中も観察できるな。 復元ものとはいえ、古代の建物。 中がどうなってるか、興味あるな~。 あ、『土壁双倉』の正面写真が、あった。 う~む。裏っ側と変わんないな。 ところで、真ん中の空間は、吹き抜けなんだべか? 扉とか布で、出入り口を塞いだりしなかったんかな? 晴れてるときは、いいけんど。 雨っこ降ったら、どうすんだ? ここは人が住む住居じゃなさそうだから、 吹き抜けでも、いいのかな? と、じ~っと見てたら、変なことに気がついた。『土壁双倉』って『長屋門』に似てないけ? あれも、門の左右を、蔵に使ったりするべ?『土壁双倉』の真ん中の床をぶち抜いたら、 ちょっと、似てるよね。 時代は全然違うのに、似てるなんて、 不思議だね~。《参考》 平沢官衙遺跡の案内パンフレット (小田城の案内所で、もらってきた)::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::+++++++++++++++++++++++++++++++++ 最後まで読んでくれてあんがと~♪ にほんブログ村 +++++++++++++++++++++++++++++++++::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2016.11.29
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「校倉(あぜくら)」 中央の広場っぽいとこに、こんなのあった。 なんだろな? なんだか建設風景の写真が、ずらっと並んでる。 解説を読んでみると、 どうやって建物を復元していったのか。 建設手順が、書いてあるみたい。 おお。これ、いいアイデアだね。 ここで基礎知識さしいれていけば、『平沢官衙遺跡』の散策が、たのしくなるど。 では、さっそく。実物を見にいくべ。 まずはこの二つ。 案内板の背後に並んでる建築物は、 左側が『土壁双倉』。 右側が『校倉』。 そして、90度ぐらい左を向いたところにあるのが、『板倉』、だど。 これらは、8世紀の後半ごろに活躍していた 建物なんだって。 まずは右端の建物から。『校倉(あぜくら)』。『校倉』っていうのはな。 断面が三角形をした木材を、井桁状に組んで、 壁にした建物のことだど。 壁面が頑丈になってな。 湿気を中に通しにくいんだって。 なのに、通風はいいから、乾燥にも強い。 なので、大事な書物や宝物をいれる倉に よく使われる技法なんだって。 近くでみると。 ほんとだ。三角形の木が、ぎゅっと詰まってる。 隙間、ないね。 どうやってこしゃったんだろな? youtubeで、こんな動画をめっけたよ。『平沢官衙遺跡』の展示会があった時のニュースらしいんだどもな。『校倉』の組み方を説明してる部分さあったんで、 みとこれね。 ちなみに内部は、平な壁になってるらしいど。 三角形をしてるのは、外側だけなんだね。 倉庫の鍵は『海老錠』、っつうらしい。 これ、実物みたいな~。 どこかで、みれるかな? そして、もひとつ。気になる場所がある。 床下だど。 これは『高床式』ってやつだべな。 水の侵入を防いだり、ネズミ対策になるんだと。 また、風通しもよくなるから、湿気も防げるんだな。 古代の建物じゃ、よく聞くけんど。 実物見たのは、初めてかも。 想像してたよりは、低いかな。 だども、見事だな~。 柱が一直線に、並んでるど。 あれ? 柱んとこに、『礎石』がないね。 これは、地面に直接柱を埋め込む『竪穴式』ってやつだべか? 復元した人、大変だったべな。 高度な技術が、必要だもんな。 見れてよかった~。 《参考》 平沢官衙遺跡の案内パンフレット (小田城の案内所で、もらってきた)::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::+++++++++++++++++++++++++++++++++ 最後まで読んでくれてあんがと~♪ にほんブログ村 +++++++++++++++++++++++++++++++++::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2016.11.24
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「礎石」 パンフレットの写真で見ると、『平沢官衙遺跡』の跡地は、平らな広場に見える。 だども実際は、なだらかな丘の斜面の上にあるんだど。 どんぐらいの傾斜か、っつうとな。 こんくらい。 これは登りきったとこから 撮った写真なんだどもな。 結構な高さだべ? 運動不足の足にゃ、重労働だったど。 登りきると、辺りは一面緑色の原っぱ。 芝が植えてあってな。 手入れも行き届いてるから、生き生きしてる。 ふぁ~! 空気も綺麗で、最高だな~! 建物が目の前に、め~てきたど。 おや? 建物の前に、なにかある。 なんだべな? ひらたい石が、綺麗にならんでるど。 大きさは、ほぼ同じ。 並んだ間隔も、ほぼ同じ。 これ、なんだべな? これは、別の角度から撮った写真。 お。これは『礎石』だな。 建物の柱を支える、基礎になる石だど。 表面がたいらになってんのは、 上に柱となる木を、乗せるからだな。 周りをよくみると、 こんな具合にな。 木の棒がたってたり、綱がはってある場所もあった。 これも、昔の建物の跡。『平沢官衙遺跡』には、8世紀以前~11世紀ごろの 建物跡がめっかっててな。 わかりやすく、復元されてんだ。 だども、全部の建物をこしゃるわけにゃ、いかないからな。 3つの大型建築物を、『立体復元』にして、 あとは、『礎石』や木、綱を使った『平面復元』にしたんだべな。 『礎石』を近くから観察。 でっかいな。 あ、だども、形は整えてないんだな。 四角っぽいのもあれば、丸っこいのもある。 ちょっといびつなのも、あるよ。 一個一個、形が違うんだな。 だども、こいつらが力を合わせて、 大きな建物を支える土台になんだ。 たとえば、後ろに復元された建物みたいなやつを、な。 まさに、縁の下の力持ち。 石って、すごいね~。 《参考》 平沢官衙遺跡の案内パンフレット (小田城の案内所で、もらってきた)::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::+++++++++++++++++++++++++++++++++ 最後まで読んでくれてあんがと~♪ にほんブログ村 +++++++++++++++++++++++++++++++++::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2016.11.19
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「ケーブルカーとロープウェー」 石段を登る。 どきどきどき。 上はどうなってんのかな? あ、入口。 そして、『平沢官衙遺跡』の看板。 雰囲気、あるね~。 横から奥に続く、石さ引いた道を行けばいいんだな。 見上げると、復元された建物。 背後に見える、二つの盛り上がりは、古墳かな? いやいやいや。あったらとこに、古墳はないど。 落ち着いて、よ~く観察してみんべ。 ん~? あ、そっか。 ありゃ『筑波山』だ。 左のでっぱりが『男体山』。 標高は、871メートル、ある。 右のでっぱりが『女体山』。 標高は、877メートル、あんだって。 こっからみると、前方後円墳みたいにめ~るね。 古代の史跡さ、来たからな。 古墳ぽく、め~ちゃったんかな?『筑波山』にゃ、登山道が整備されててな。 上まで登っていけるらしいど。 登山道をちらっと、見たことあっけどな。 あれ、結構、険しそうだよね~。 ちゃんと、装備を整えていかないと、 登れそうになかったもんな。 一度、挑戦したいけんど、 素人でも登れんのかな~? 登山は無理だっ! って人には、 ちょこっとお金さ払って、『ロープウェイ』か『ケーブルカー』で 登るのが、おすすめ。『ロープウェイ』は『女体山の頂上』近くまで。『ケーブルカー』は『男体山の頂上』近くまで、 連れてってくれるんだ。 昔『ケーブルカー』さ乗って、上がったことあっけど。 や~、スリルがあったな~。 崖や木々の間を、除けながら、ぐいぐい登ってくんだ。 急な曲がり角があってな。 トンネルも、あったっけ? ちょっと、覚えてないんだけんどな。 とにかく、勾配が急でな~。 車両ごと、転がり落ちちゃうんじゃないか、って ひやひやしたよ。 『ケーブルカー』の正式名称は『筑波山鋼索鉄道線(つくばさん こうさく てつどうせん)』 って、いうそうな。 通称『筑波ケーブルカー』。『筑波山神社』の奥にある『宮脇駅』から 山頂の『筑波山頂駅』まで、2駅。 全長は 1,634メートルあってな。『日本で3番目に長い、ケーブルカー』なんだと。 高低差 495メートル 最急勾配は 358‰(パーミル)ある鉄道だど。 へ~。知らなかったな。『ケーブルカー』って、鉄道の仲間だったんだ。 カー、って付いてるから、車の仲間かと思ってたよ。 ちなみに『ロープウェイ』は 正式名称を『筑波山ロープウェイ』っつってな。 東の峰にある『つつじが丘駅』と『女体山駅』を繋いでんだ。 たしか、大型の観光バスが何台も止まれるような、 どでかい駐車場が、隣接してたはず。『ロープウェイ』は、乗ったことないかんな。 情報が、ないんだ。 お。こっちの高低差は、298メートルだって。 んじゃ~『ケーブルカー』よりも、おっかなくないかな? だども、空中をぶらぶらしてるとこが・・・おっかないな~。 やっぱ『ケーブルカー』のほうが、いいな~。 地面にくっついてるから、ちょっと安心するよ。 そうそう。『ロープウェイ』も『ケーブルカー』も管理は『筑波観光鉄道』が、担当してるらしいど。 ほ~。『ロープウェイ』も、鉄道の仲間なんだ。『ロープウェイ』は単独で、別箇の乗り物なのかと思ってたよ。 鉄道って、管轄範囲が広いんだね。 ファンの人は、大変だ~。 今の時期なら、木々が色付いて、紅葉も綺麗だべな~。 あ、こったらこと書いてたら、行きたくなっちゃったな。 筑波山の紅葉、見ごろはいつだべか? もう、終わっちゃったかな? ありゃ? だいぶ話がずれちゃったな。『平沢官衙遺跡』の話、どこさいった?w しゃ~ない。 今日はここまでに、しとこ。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::+++++++++++++++++++++++++++++++++ 最後まで読んでくれてあんがと~♪ にほんブログ村 +++++++++++++++++++++++++++++++++::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2016.11.14
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「平沢官衙遺跡」 茨城県の筑波山近くにゃ、『小田城』の他にも 面白い遺跡があんだよ。『平沢官衙遺跡(ひらさわ かんが いせき)』っつってな。 奈良時代~平安時代のころの『役所跡』なんだ。『小田城』からも近いから、帰りにちょこっと寄れるよ。 らくがき地図さ描いてみた。 住所は『茨城県つくば市平沢353番地』。『小田城』からだと、北の方向へ3~4キロメートル。『真壁城』へ行く途中で、右折して。 山ん中さ入ってく感じだな。 でも、実際は山ん中じゃなくってな。 民家もあるし、お店もある。 町ん中さ、つっきていく。 途中にいくつか案内板さあったから、 迷わず行けるはずだど。 迷った時は、『大池公園』を目指すといいど。 名前のとおり、どでかい池が、目印だっぺ。 ちょっと記憶が曖昧なのは、な。『平沢官衙遺跡』さ行ったのが、だいぶ昔の話なんでな。 忘れちゃってんだな~。 ええ~と。写真の日付によると、 訪問したのは、2015年の5月だって。 そっか~。もう一年半も、前なんだ~。 なつかしいな~。 確かこんとき。『小田城』さ、見にいったんだけどな。 中さ入れなかったんで、帰ってきちゃったんだ。 だども、そのまんま帰るのも、もったいないんで、『平沢官衙遺跡』さ、寄ってみたんだよ。 これが、なかなかいいとこでな。 遺跡も素敵なんだどもな。 周辺の景色も、ふわ~! って、気が抜けるぐらい、広々してんだよ。 『平沢官衙遺跡』の入口には、 車が10台ぐらい置けそうな、駐車場があるど。 あと北にちょっと進んだとこにも、駐車場があった。 どうやらこの辺は、ハイキングとかサイクリングに来る人たちの 中継地点になってるみたいでな。 広めの駐車場が、用意してあるみたいだど。 『平沢官衙遺跡』の入口には、『案内所』もあんだけど。 月曜日と祝日の翌日、年末年始は、お休みなんだと。 そうそう。 訪問した日は『案内所』が、お休みだったな。 だもんで『お手洗い』が、使えなくってな~。 つらかった~。『お手洗い』は、『案内所』の中なんでな。 休みだと、使えないんだよ~。 今は、どだろね? 『案内所』は、休みでもいっけど。『お手洗い』だけは、使えるようにしてもらえると、な。 安心して、遺跡散策できるんだどもな~。 ここだけ、ちょっと、不満だったな。 改善、よろしくお願いします。『案内所』のすぐ横。 階段を登ると、『平沢官衙遺跡』だど。 奥に復元された建物が、め~るね~。 天気もいいし。 んじゃ、ゆっくり見てこっかな~。 《参考》 平沢官衙遺跡の案内パンフレット (小田城の案内所で、もらってきた)::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::+++++++++++++++++++++++++++++++++ 最後まで読んでくれてあんがと~♪ にほんブログ村 +++++++++++++++++++++++++++++++++::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
2016.11.09
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「小田城散歩 まとめ」 写真さみてたら、『りんりんロードの地図』が出て来た。 これはたぶん。『案内所の裏』に あったやつだと思うど。 この地図によると、『りんりんロード』は『真壁城』のあたりからはじまって、 途中で休憩所を挟んで『小田城』へ。 また休憩所をはさんで『土浦城』近くまで 続いてるみたい。 ここさ通ると、3つのを渡り歩けるんだね。 ってことは。 昔の『筑波鉄道』は、 三つの城址を繋いでた、ってこと? あらら。なんか、たのしい。 廃線になっちゃったのは、ちともったいないかな?『小田城付近のりんりんロード』じゃ、こったら花も咲いてた。 ふわふわしてるな。 なごむな~。 あと、見逃したとこ、ないかな? そだな。しいていえば『難台山城(なんだいさんじょう)』の場所が、知りたかったな。『難台山城』っつうのはな。 元中4年(1387)。 八代目の『小田孝朝(おだ たかとも)』と 息子たちが起こした戦で、立てこもったっていわれてる城なんだ。 今時の戦の原因に、『下野国小山氏の反乱』が かかわってるもんだからな。 ちょっと、興味さあったんだ。 最初の反乱は1380~82年の『小山義政の乱』。『鎌倉公方・足利氏満』と対決したらしい。 んで、2度目は1386~97年に起こった『小山若犬丸の乱』。 父・義政の跡を継いで、『足利氏満』と対決したらしい。 さて、どこで『小田孝朝』が係わってくるか、っつうとな。 まず『小山義政の乱』のとき。『小田孝朝』は、討伐軍のほうにいたんだけんどな。『義堂周信(ぎどう しゅうしん)』を通じて、『小山義政』の除名を働きかけた形跡が、あんだって。 そして『小山若犬丸の乱』のときは、 一時『若犬丸(隆政)』を、『小田城』に匿ってたらしいんだ。 それがばれて、な。『足利氏満』側に、攻め込まれて、戦になったのが『難台山城の戦い』だど。 3つの戦の詳細は、ややこしくてな。 いろんな武将の事情が、複雑にからまってるもんだかんな。 ちと、説明が難しい・・・っつうか、わがんないど~。 どうなってんだべな? だもんで、もうしわけないけんど。 詳しくしりたい方は、ネットで調べてみとこれね。 っつうか、この複雑な戦いのい詳細が知りたくて、『小田城』さ、いったんだけんどな~。 案内所にゃ、関係資料がなかった。 筑波の歴史本でも、あるかな~、と期待してたんだどもな~。 これから、そろえていくのかな? ないもんは、しゃ~ない。 ネットで調べてみんべ。 お、あった。『難台山城』は、どこだべな~。 あれ? なんだか『筑波山』の北のほうに、あるよ。 どっちかっつうと『小田城』よりも『真壁城』に近いな。 っつうか、『難台山』の住所は、笠間市になっちゃうんだ? ずいぶん離れたとこに、あんだね~。 らくがき地図さ、描いてみた。 らくがきなんで、縮尺や位置は、正確じゃないけんど。 大まかな場所は、わかんべ? ちなみに緑のまるは、山になってるとこだど。『舘岸城(たてぎしじょう)』は、敵軍が陣を張ってた場所らしい。 この時の足利方は、『上杉朝宗(ともむね)』。 この武将は『小山義政の乱』の時も、 討伐軍の大将を、務めてたんだって。『小山義政の乱』も『難台山城の戦い』も、勝利さ治めてるな。 優秀な武将だったんだべな。 だどもこれで、謎がひとつ解けたど。 本によると『難台山城の戦い』の間。『真壁顕朝』が、密かに食糧を送ってたって書いてあったもんでな。『真壁城』から『小田城』の近くまで、 どうやってこっそりきたんだべ? って、疑問だったんだ。『難台山』だと、『小田城』よりも、うんと近い。 食糧以外にも、いろんな支援が出来そうだね。 でもな。『真壁側の支援』は『佐竹氏』の妨害で中止。『難台山城の戦い』も、終わったそうだど。 あ~。なんだか、いろんな武将が出て来たな~。 近所の武将が、総出演、って感じだな~。 こりゃ、ただの小競り合いじゃなくて、 奥が深い戦だったのかな? そだ。YouTubeで『難台山』の動画さめっけたど。 ハイキングコースがあんだね。 これなら登っていけるかな? いってみたいね~♪ さてと。長々と書いちまったけんど。 今回で『小田城散歩』の話は、おしまいです。 や~。長かったね。『小田城』って、おもしろいとこ、いっぱいあんだもんな。 しゃ~ないねw 景色はいいし、草花もいろいろ咲いてな。 楽しかったかんね。 また、散策にいきたいな。『小田城』は、お気に入りの城址になったど♪ 《参考》 小田城跡 (案内所でもらったパンフレット)常陸小田氏の盛衰 [ 野村亨 ]価格:1337円(税込、送料無料) (2016/8/11時点)################################# 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村##################################
2016.11.03
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