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「御所沼」『古河総合公園』は、こんなとこ。 園の南側は、強大な沼さあってな。 こっちに『古河公方さまの館跡』さあんだよ。 そして、北側は、桃園になってる。 北の沼には大賀蓮も咲くらしくてな。 花に季節は、賑やかになんだべな。 こっちには『足利義氏公の墓所』があんだよ。 どっちから、攻めっかな~。 考えながら、案内所さでたら、 おお~! なんだっぺ、こりゃ~! でっけ~。川みたいだど~。 これが『御所沼』。池じゃ~ねえどw。 池と沼の違いはな。 どうやって出来たか? ってとこが違うんだ。 川や湧水みたいな水の流れが、窪地にたまって、出来たもんが池。 池には、水の流れてくるとこと、出て行く部分さあっから、 ゆっくりでも、水の流れができてんだな。 沼は、どうかっつううと。 川の氾濫なんかで、水さあふれてな。 窪地や湿地帯にたまって出来たもの、なんだっぺ。 だから、水の出入り口がない。 全部の池や沼に、当てはまる訳じゃ~ないけんど。 大まかな分類は、こんな感じだっぺ。 『御所沼』の場合はな。 近くを流れる『渡良瀬川』が、よく氾濫したらしくてな。 この辺りには、いくつも沼さあったんだって。『御所沼』も、『渡良瀬川の氾濫』で、出来たもんらしいど。 それにしても、規模がでっかすぎ~。 池どころか、湖っつっても、通用しそうなでかさだべ。 すっかり『御所沼』に見入られちまってな。 沼ぞいに、ふらふら、歩いてみたべ。 ええと、こっちは沼の北岸になんだべな。 舗装された散歩道さ、こしゃってあっから、 安心して景色さ見とれて、歩けたべw。 途中にいくつか、見所もあったけんど。 今は、ちょこっと、脇さおいて。 沼の景色さ、楽しも~。『御所沼』は、大きな橋が2つかかってるんだけど。 一つは中央の半島状の島に渡る『天神橋』 もう一つは沼を横断して、南岸さ渡る『相ノ谷橋』 これは、『相の谷橋』あたりから、みた景色。『御所沼』の、一番西になんだべな。 目の前の半島さ周りこんで、沼は南ほうさ続いてく。 橋の上から、 おお~!なが~い! この写真だけみたら、川と間違える人、いんべなw。 でも、これは、沼。『御所沼』はな。 1947年~1951年ごろに、食料難のため、埋め立てられちまったんだよ。 んで、田んぼになったんだ。 1970年代になって、ここさ公園が出来てな。 1992年~1996年に、『御所沼』が復元されたんだと。 こったら広い沼、どうやって、埋めたんだべな。 田んぼになったとこなんて、ちっとも想像できないど。 んで。この『御所沼』は、復元された沼らしいんだけど。 全部が元通り、ってわけじゃ~ないんだって。 古河公方さまがおられた頃の『御所沼』は、 北の端が、入り口ゲートのさらに先の北まで、 南の端は、近くのサッカー場付近まで、 長々と続いてたって話しだど。 だども、そっから先は、確認されてないだけで、 もっと広い範囲に、沼さ広がってた可能性もあんだって。『御所沼』は『古河公方さまの館』を取り囲む、『水堀』のような役目さ、してたんだな。 他にも、公園の北のほうにある沼と繋がってた、とか。『古河城の堀』と繋がってた、っつう話も聞いたど。『古河城』は、公園から1キロメートルぐらい北にあったらしいんだけんど。 ほんとに、繋がってたんかな~? ちと、話の規模さ大きくなりすぎて、あ、頭さついてけね~。 どっかに、復元図とか、模型とかないかな。 想像だけじゃ~、納得できね~よ。《参考》 古河総合公園づくり(古河公園案内用のパンフレット) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.31
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「古河総合公園」 1月23日に『古河総合公園』さ行ってきた。 そんときのことさ、書いてみんね。『古河総合公園』は 茨城県古河市鴻巣 399-1 にある、でっかい自然公園なんだっぺ。 茨城県、つってもな。古河市は・・・なんつうんかな。 茨城じゃ~ない感じ。 実は、子供んころ。古河市は栃木県だと思ってたんだw。 この辺の地理さ知ってる人なら、わかっと思うけど。 古河市は茨城県の西さ、あってな。 栃木県と埼玉県の県境に、ぐっとつきだした変な地域なんだ。 そして、古河市から西に5~6キロメートル進むと 群馬県になっちまう。 さらに、古河市の南東部分は、千葉県にも接してる。 関東の4県がひっついた場所に、古河市があんだよ。 ややこしいべ? だども、栃木県から古河市へ行くのは、簡単。 4号線をまっつぐ、南下すればいいんだ。 電車なら、宇都宮線でいけるど。 だがら、安心して出発・・・したんだけんど。 いつもの通り、道さ迷っちまった。 家のカーナビが、悪いんだよ! 困ったもんだな。 公園近くまでは、何事もなく来れたんだけど。 一番わかりにくい、公園入り口周辺さ来たところで、 目的地に近づきました。案内を終わります。 だって! いやいやいや。 こっから先がわかりにくいから、カーナビさ案内お願いしたのに。 なんで、一番迷うとこを、案内しない? 設定の仕方が、悪かったんかな・・・? 仕方なく、自力で公園入り口を探したんだけど、 どうも、正規の場所ではなく、裏口のほうへ来ちまったらしくてな。 ここって、道? 通っていいの? って不安がわいてくるような砂利道を、 のろのろ、のろのろ、進んでいった。 運良く住宅地へ出た。 そのままのろのろ、進んでいったら、 ああ~!あった!『古河総合公園』! 駐車場へ車さ駐めて。 やっと、緊張が緩んだよ。 駐車場は、でっかいのがいくつも周辺にあってな。 スペースも広い。 駐車が苦手な人でも、安心して駐められるど。 普段は無料で利用出来るけど、『桃まつり』とか イベントがあるときは、有料になるみたいだべ。 さて。『古河総合公園』 ここには、『古河公方さまの屋敷』があった場所でな。 入り口広場にも、古河公方さまの名前さ入った、広場があったど。 そして、正面の門みたいなとこが、『案内所』と『お手洗い』になってる。 節電してるのかな。 ちょっと暗く感じたけんど。 中は、きれいなお手洗いでした。 さて、ドライブの疲れも、カーナビへの文句も、 さ~っと流して、すっきりしたとこで。『古河公方さまのお屋敷跡』拝見! と、いきますか。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.29
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「白鷺神社と上三川城の言い伝え」『白鷺神社』の帰りに、『上三川城』さ寄ってみた。 冬の城跡は、少し淋しげ。・・・つうか、風邪が冷たい~!耳痛い!『上三川城』は、前にも来たんで、 ブログにも、ちょこっとかいたけんど。『本丸跡』と周りを取り囲む『土塁』が、残ってるだけなんだ。 水堀もあっけど、これはかなり、手さ加わってっかんな。 昔のまんまじゃ~ないかもしんないど。 さて。 今日は、『上三川城』と『白鷺神社』さまつわる 言い伝えさ書いてみるべ。 時代は、康暦2年(1380)。『小山義政』が、小山の軍勢さ引き連れて、『上三川城』さ、攻め込んできたんだ。 そんときに、城近くの『明神の森』のなかに、 無数にはためく白い旗さあったんだと。 それまで、上三川城の守りは、手薄だ、と思って攻め込んできた小山方は、 あまりの旗の多さに驚いて、攻めずに引き返しちまった。 さて、この旗の正体は。なんだか、わかんべか? 実は、森ん中で羽さ休めていた『白鷺』の群れだったんだと。 木々の間に見え隠れする白い羽を、兵は持つ旗とみまちがったらしいべ。 それいらい。『白鷺明神』と呼んでいた神社を解明して、『白鷺神社』というようになったんだ。 ちなみに『上三川城』は『白鷺城』と、呼ばれるようになったとかw。(これは、『横矢』があったっていわれてるとこ。 前に出っ張ってるんで、下の『虎口』がよく見えるんだ。) ええと。 康暦2年(1380)っつうと。『茂原の合戦』さ、あった年だべな。 これは『小山義政の乱』の、きっかけになったんじゃね~か って言われてる戦いだど。 『宇都宮城主・宇都宮基綱』と『小山城主・小山義政』が、 茂原の当たりで合戦さはじめて、基綱さ討ち取っちまった戦いだっぺ。 こんとき。『上三川城主・横田師綱』と息子『伴綱』も合戦に参加してたんだ。『横田氏』は宇都宮側だから、『基綱』の味方だな。 だども、二人とも戦で重傷さ負っちまってな。 城主の地位を、『伴綱』の息子『綱俊』に 譲らなくちゃ~、なんないほどだったらしいべ。 何せ、大将の『宇都宮基綱』が首っことられっちまった戦だかんな。『横田氏』も、ぼろぼろだったんだべな。 そこで、勢いに乗った『小山義政』の軍勢が、 上三川陣営が弱ってるど! この隙さ、逃しちゃなんね~ って、攻め込んできた。 あ、ちっと、まてよ。 『茂原の合戦』があった場所は、今、公民館さ立っててな。 戦死者の刀や鞘を納めた『鞘堂』が、あんだけど。 そっから『上三川城』まで、直線で5~6キロメートルぐらいなんだよ。 もしかして、逃げる『横田氏の軍勢』を、『小山氏の軍勢』が、追っかけてきたんかも・・・。 そんで、『上三川城』の近くまで攻めて来て、 森ん中の白鷺さ、見た。 戦場から、続けて攻め込んで来たとしたら、 相当疲れもたまってるだろうし、 白鷺と旗を見間違える、って・・・ありそうな気がしてきど。 (上三川城の土塁と水堀だど) 白鷺の話は、言い伝えなんで、ほんとかどうかわかんないけんど。『白鷺』と『白鷺神社』と『上三川城』の繋がりが 深かった事実は、かわんない。 ぼろぼろだった『上三川城』を救った白鷺。 さすが、神の鳥、だべな。《参考》「かみのかわ 歴史百話」 上三川町教育委員会 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.27
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「社務所前の狛犬さま」 ホームページでみたんだけんど、『白鷺神社』には、白鷺の模様さ入った 交通安全のお守りが、あんだ。 車さ運転してるし、今年はも少し遠くまで、 ドライブさ行きたいな~、って思ってるから。 御利益、ほしいな、って思ってな。 そこで、帰り際に、社務所さ寄ったんだけど。 ここに、思いがけない出会いさあった。 『狛犬さま』さど! 社務所の受けつけ前にあったんだ。 これだけだと、犬の石像じゃ~ないんけ? って、うたがっちゃうな。 だって、この場所は、神さまさ祭ってあるとこじゃ~ないかんな。 で、左さみたら、 おお!『狛犬さま』。 これで、阿吽の狛犬さまさ、そろったべ。 だども、ちょっと迫力さ、かけるな。 普通の石像みたいだな。 これは、平成4年の奉納、だったべか。 まだ、新米さんだべな。 参道んとこの『狛犬さま』と同じ、 平成の大改装んときに、奉納されたみたいだな。 でも、色はくすんでないけ? なんか、苦労すっことでも、あんのかな? さて。お背中拝見! まずは右側から。 背中が長いな。 小さなしっぽは背中からはなれて、ぴんと立ってる 昔、家にいたわんこに、ちょっと似てるかな。 シェットランド・シープドック、っつう種類なんだけど。 頭付近の流れる毛とか、耳の感じが、懐かしいな。 左っかわの『狛犬さま』の背中。 なんか、背中さ細いな~。 生きてたら、 ちゃんとご飯さ喰ってっけ? って、心配さ、なっちまうど。 守護獣、つううよりは、身近なわんこみたいだな。 なでなで、したいな~。 は! もしかして! この全身の汚れは、みんながなでなでした、結果じゃないんけ。 そして、なでなでされながら、悪い気を全部、『狛犬さま』が、引き取ってくれたとか。 違うかな? 違うかもしんないな。 でも、触って厄払いさ出来るんなら、『狛犬さま』の汚れも、親しみやすいかわいい雰囲気も、 納得できるべ。 それに、触っちゃいけね~って看板も、なかったし。 ああ~っ!なんで今頃、気がついたんだべっ。 神社さいるとき、わかってたら、 めいいっぱい、なでなでしてきたのに! しゃ~ない。次回に期待しよ。 でもな。 あんまし悪い気ばっかし、『狛犬さま』さ、おっつけちまったら。『狛犬さま』、病気さなっちまわないかな。 かけちまったり、しないかな。 なでなで、したいけど・・・『狛犬さま』さ、かけっちまうのは、嫌んだ~。 やっぱし、触わんないほうが、いい・・・んか、なぁ。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.26
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「白鷺」『白鷺神社』の左側に、もひとつ神社さあった。 狛犬さまさ、いんのかな? 期待して、みにいったんだけど。 残念ながら、ここには、いなかった。『白鷺天神』 学業成就のお宮 だって。 学業の神さま、と言えば、『藤原道真』公の名前さ浮かぶけど。 たしか、ここに祭られてた神さまは『藤原道真』って書いてあったような気がする・・・ 記憶違いかな? でも、お宮の名前は『白鷺天神』なんだよ。 名前の由来は、なんだべな? そして、写真さないんだけど。 神社の隣には、砂場・・じゃねがった。『白鷺天舞の苑と清めの御砂』っつう場所さある。『清めの御砂』は白鷺が舞い降りた場所、っていわれてるみたい。 神聖な場所なんだど。 現状は、草木で囲われた、庭園みたいなお砂場みたいな場所。 ちょっと、よくわかんなかったんで、素通りしちまってな。 記憶さ薄い・・・ごめんな。よくわかんないや。 滅多に遭遇しないんだけど。 上三川町は『白鷺』さ、たぐさんいんだ。 田んぼでくつろいでる姿を、何度か見かけたべ。 一羽でぽつんと、つったってるときもあっし、 群れでわいわいやってることも、あったな。 さすがに、20羽ぐらいの群れさみたときは、 きれい、っつよりも、驚いて、あたふたしちまったよ。 おお~!白鷺の町・上三川! ってな。感動だったな~。 あ、『白鷺』はな。上三川町の町鳥でも、あんだよ。 よく探してみっと。神社内にも『白鷺』さ、いっぱいるんだど。 たとえば、これ。『拝殿前の賽銭箱』なんだけど。 手前の金で飾られた紋は、『白鷺』が2羽向かい会ってるデザイン。 これは、『神門』とこにさがってた幕にも、ついてた紋だべな。 これは、神社の前にある瓶みたいなやつ。 正式名称はなんつうんだべ? 左右にあるやつだど。 ここにも、『白鷺』さいた! 拡大すっと ほらな! いたべ。 くちばしが細長くって、足もほっそりと長い。 真っ白ですっきりした長身の鳥。『白鷺』だっぺ。 あと。『翔舞殿』のよこにもいたべ。 それから、『手水舎』にも、いた。 絵馬にも『白鷺』さ、いたような・・・。 だども、ほんとはな。『白鷺』っていう種類の鳥は、いないんだって。 サギっていう種類の鳥んなかでな。『ダイサギ』『チュウサギ』『コサギ』『カラシラサギ』さ まとめて呼ぶ時の総称なんだと。 こんなかに『アマサギ』が入る場合も、あんだけど。『アマサギ』は小さめで、頭が茶色い鳥だから、 イメージさ、ちっと違うかな。 あとの4種類は、くちばしの色が黒や黄色だったり、 足の色が、黒に黄色さ入ってたりって感じでな。 遠目じゃ~わかんないぐらい、小さな違いしかないんだ。 真っ白な全身は、みんなおんなしだど。 白い色したサギだから、『白鷺』、なんだな。 これは、知らなかったべ。 ところで。『白鷺神社』さ祭られてる『日本武尊(やまとたけるのみこと)』はな。 亡くなったあと、白い鳥になって飛んでいった、っつう伝説さあんだって。 もしかして、白い鳥って、『白鷺』のことなんかな? それで、『白鷺』が祭られてんだべか。『神の鳥・白鷺』 お、なんか、いい響きだな。 どうだい? いい感じだべw。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.24
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「裏の神社と狛犬さま」『白鷺神社』の裏側にたたずむ『狛犬さまたち』。 変な奴さきたら、容赦しねえど! じ~っと見つめる方向は、神社の神門方向・・・かな? 『狛犬さまたち』が守っているのは、『白鷺神社・本殿』の右側にある小さな神社。『末社』っていっていいんかな? 左から『雷電宮』 雷除けのお宮。『愛宕神社』 火災除けのお宮。 そして、狛犬さまの影で、め~ないけんど。『出雲神社』の小さなお宮さある。縁結びの神さまなんだって。 右側の狛犬さま。 最初の写真で背中を向けていた、狛犬さまだど。 足元で立ち上がった、子狛犬さま。 子狛犬さまを、抱き上げようとしてんのかな。 差し出した前足が、優しげだっぺ。 お顔の表情も、ただ恐いんじゃ~なくって。 厳しさの中に、優しさも見えるど。 左側の狛犬さま。 玉の上に置いた前足が、目さ引いた。 たくましいな~。 昭和9年、奉納ものだど。 石の色が、ベテラン狛犬の威厳さ放ってみえるべ。 後ろ足の辺りに見えるなみなみは、しっぽけ? 狛犬さまの周りさ、ぐるぐる回る。 お腹の下さ、覗いてみる。 これは、しっぽじゃ~ないな。 おしりと繋がってね~ど。 なんだべな。波? 雲? よくみたら、右側の狛犬さまの足元にも、同じもんさあったっぺ。『雲さ乗った狛犬さま』かあ。 はじめてみたべ。 こんなんも、あんだな~。 そんじゃ~、ほんとのしっぽは、どうなってっかっつうと。 背中にくっついた状態で、まっつぐに上さ向いてるど。 これは、古い狛犬さまの印だべ。 正面の狛犬さまみたいな、派手な渦巻き模様さないけんど。 動きだしそうな背中の曲線は、みてて飽きないべ。 や~、出会えてよかったな~。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.23
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「翔舞殿」 境内の右っかわに、こったら変わった建物がある。 細長い半円形っつうんかな。 建物の左右には、白鷺の像さある。 細かいとこまで彫り込まれてる。 彫刻みたいだべ。 建物の左右さ、守ってるみたい。 まるで、狛犬さまみたいだな。 これは『翔舞殿』っつってな。 白鷺が羽を広げた形さ、イメージしてデザインされてんだって。 中に、何があっかっつううと。『日本武尊(やまとたけるのみこと)』が、祭られてる。 それと、『日本一大きい、平和の剣』が納められてんだ。 これは、神社に来たかたや、ネットの募金で集めたお金で、 神社に奉納された、剣なんだと。 あ、剣の写真さ、撮りわすれちゃった。 前に写ってる、緑色のやつが、剣の一部だど。 そっから、全体さ想像しとこれね。(全体さ見たい人は、白鷺神社のホームページへどうぞ) 平成17年(2006)に 白鷺神社の御鎮座、1220年を記念して、 1220メートルの、大きさにこしゃったんだって。 材質は青銅。緑色がきれいだべ。 剣のモデルは『三種の神器』のひとつ『草薙の剣』。 この剣の力にあやかって、平和な世の中になるように、 っつう、願いがこもってるんだ。 『白鷺神社』の歴史さ、ちょこっと覗いてみっと。 延暦2年(783)に、疫病さ流行したんだけんど。 国守の平松下野守(文野高島)が、『日本武尊』のご神託さうけてな。 疫病退散の祈願のために、こしゃった祠が始まりなんだと。 建長元年(1249)には、な。『横田城』から『横田頼業』さ、やって来て。 近くに『上三川城』さ、こしゃるんだけど。『宇都宮の二荒明神(現・二荒山神社)』から『豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)』さ勧誘して、相殿にしたんだと。 ほほう。なんか面白くなってきたべ。 詳しい歴史さ調べてみたら、 もっといろいろな歴史さ、みっかるかもしんないな。最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.21
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「白鷺神社の境内」 まずは参拝前のお清め。 広い境内だな~。『手水舎』は、どこだべな?『手水舎』は、門さ潜って、左側にあった。 古くて落ち着いた感じ。いいな~。 おや。水盤さおもしろいもんが乗ってんど。『白鷺』だべな。口から水さ出てるど。 ええと、これは『水口』っつう部分でな。 清めの水さ流れてくる、蛇口みたいなとこだど。 だども、今までみた神社の『水口』は、龍だったど。 水の神さまってことで、龍なんかな? って思ってたんだけど。 調べてみたら、龍以外に、亀や蛙も使われることが多いんだと。 龍じゃなくっちゃ~なんね、ってわけじゃないんだな。 神社によって、いろいろ工夫されてっそうだど。 ここは『白鷺神社』で、白鷺に縁さあるとこだから、『水口』も白鷺なんだべな。 めめこくて、いいな~。 次は神社さお参りすんど。 これが『白鷺神社の拝殿』 どっしりと構えて、落ち着いた神社だな。 まだ、初詣客も多いから、もっと派手な飾りとか旗とか あるかと思ってたけど。 なくていかった~。 『拝殿』は平成4年の大改築の時に、新築したものなんだって。 へ~。木の色は飴色っていうんかな。 渋くて、とっても、素敵だな~。 新しいとこっていえば・・・あ、正面さ、ガラス張りだ。 そのぶん、正面だけ、ちょこっと浮いた感じさすんな~。 横さ回ってみた。 右っかわの建物が『拝殿』 そして、左っかわが『本殿」 どちらもがっしりとした、建物だべな。 だども、『拝殿』と『本殿』色が少しちがうど。『本殿』のほうは、元禄年間にこしゃったものでな。 約300年、たってんだって! 祭られている神さまは 主祭神が『日本武尊(やまとたけるのみこと)』 相殿が『大己貴命(おおなむちのみこと)』 『事代主命(ことしろぬしのみこと)』 『豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)』 の4神だど。 さてさて。 『白鷺神社』の話は、まだ続くんだけど。 長くなってきちまったんで、続きさ、また今度、な。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.20
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「白鷺神社の神門」 狛犬さまたちと戯れて、満足満足。 名残惜しいけんど、神社さお参りしなくっちゃ、な。 じゃ~さっそく。『神門』さくぐって、境内さいぐべ。 これが『白鷺神社の神門』だっぺ。 おお。立派だな。屋根っこが、2重になってみえるべ。 これも、何とか造りって、技法なんだべな。 ちと資料さないんで、わかんないんだけんど。 上さみたら、細かい彫刻さ施してあんど。 なんだべな? じ~っと見つめてたら、首っこ痛ぐなっちまったよ。 ブログで、何度か書いたけど。 視力さ、あんまし良くないもんでな。 目がしょぼしょぼ、しちゃって、なんだかわかんなかったっぺ。 だども、下の膜はよぐ見えた。 白鷺の紋だったど。 神社の紋だべか?『神門』の裏っかわ。 日差しの関係で、表はちかちか、しちまったけど。 裏は、はっきり見えた。 みほれっちゃうな。 神社の建物についちゃ~、なんもしんないんだけど。 これは、じっくり見る価値さ、あんな。 きっと『神門』の中じゃ~、上物の部類に入んじゃ~ないけ。 門っつうのも、勉強さすっと、おもしろいんだべな~。 いまんとこ、手~いっぱいなんで、 門まで知識さ、おっつかないんだけんど。 この『神門』さみてたら、詳しく知りたくなっちまったな。 う~ん。どっから調べたらいいんだべ? ところで、この『神門』 ちょっとしたおたのしみが、隠れてんだよ。 あんな。門の中に、『7羽の白鷺』が彫刻されてんだって。 どこに、どんな格好で彫られてんのか。 それは、内緒♪ 目のいい人は、ぜひ、探してみとこれね。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.19
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「神門前の狛犬さま」『八坂神社』のあとは、『白鷺神社』さいくど。 早速、目の前に現れた物は、大きな『神門』 やっぱし、正面から来て、いがったな~。 ぽてぽてと近づいていくと・・・ わ~い!狛犬さまのお出迎えだっぺ!『左側の狛犬さま』 ぐっと結んだ口元。 鋭い牙。 大きな団子でもくっついてるみたいな、鬣w。 こりゃ~、獅子さまだな。 お背中、拝見! ありゃ、しっぽまで、渦巻きだ。 空に向かって、ぴんっ、と伸びたしっぽ。 ま~るいおしりw。 ちょっと、触って・・・いやいや、噛みつかれっから、やめとくべ。『右側の狛犬さま』 口元が、リアルだな。 ぐいっと引っ張られた頬の感じ。 きゃ!、こわ~いw。 それにしても、ここにおられる狛犬さまは、色白だっぺ。 お肌も、つるつる。すべすべしてる。 これ、なんの石さ使ってんだべな。 神社さ使われる石って、なんか特別なんだべか。 お背中側の鬣も、細部までくっきり、渦巻いてっぺ。 背中から離れて、ぴんっ、っと伸びたしっぽは、左側と同じ。 あ、台座から、おしりが落ちそうだ~! がっしりと重みさ感じる、狛犬(獅子)さま、だな。 このタイプの狛犬さまは、 年代さ新しい、最近のデザインだ、って聞いたけど。 いつ頃の、制作かな? 台座に刻まれた年代は、平成4年寄贈。 今から、11年前のもんだね。 ということは。 こちらの狛犬さまは、今年で11歳。 まだまだ、やんちゃな子供獅子さまなんだ~。 そう言われてみっと。『左側の狛犬さま』は、小首をかしげているような。 なんか、面白いこと、な~い? なんて、話しかけてきそうだべw。 だども、大きさは、大型犬ぐらいありそういなんで、 遊び相手にゃ~なれないな。 子犬って、手加減さ、ね~かんな。 重たい石のおしりに、つぶされないうちに・・・ 逃げんど~!! 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.18
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「八坂神社」『白鷺神社』の『神明鳥居』さ潜ると、右手に赤い屋根の建物がある。『白鷺会館』っつってな。 イベントや集まりに使う、集会場みたいなな場所みたい。 んで、『白鷺会館』の正面、『神明神社』の左手んとこに、 こんもりとした森さあんだけど。 覗いてみたら、神社さあったべ。『八坂神社』っつってな。 古めかしいけんど、ぐっとくるような、迫力さ感じだと。 思わず中まで、お邪魔してみた。 扉の中さ、そ~っと覗いてみたら、 御神輿みたいなもんが、置いてあったっぺ。 ここん中にゃ~、大人神輿2基と、子供神輿6基が納めてあるとか。 へ~、そこまで確認しなかったな。 だって、あんましじろじろと、中さ覗くなんて、 神さまに失礼かな? って感じたもんだかんな。 ちらっとしか、覗いてね~もん。『八坂神社』はな。京都にある神社でな。 結構有名らしいから、神社に詳しい人なら知ってんべな。 たぶん、『白鷺神社』にある『八坂神社』も、 京都に縁さあるんだべな。『京都の八坂神社』さ、祭られてる神さまは『素戔鳴尊(スサノヲノミコト)』『櫛稲田姫命(クシイナダヒメミコト)』『八柱御子神(ヤハシラノミコガミ)』 が、主な神さまなんだと。 すると、『白鷺神社』の『八坂神社』も、 この3人の神さまさ、通じてるってことだべな。 では、念入りに、拝んどこ。 7月中旬にはな。『八坂祭(天王祭)』っつう、お祭りさあってな。 御神輿に『須左之男命(スサノウノミコト)』さお乗せして、 悪霊を鎮め、災害さ取り除くんだと。『八坂神社』さ、納められた神輿は、 こんときに、使われる御神輿なんだべな。 神聖な神さまの乗り物なんだな。 帰り際。足元さみっと なんだべな? あ、反対側にもあんど。 鳥居の跡かな? それにしちゃ~、台座の飾りさ、豪華だべ。 こったら、鳥居って、あんのかな? その場じゃ~なんだが、わかんねがったんだどもな。 帰って来て調べてみたら、わかったど。 これは『石灯籠の跡』だべな。『白鷺神社のホームページ』さみてたら、『八坂神社』の前に、2基の灯籠さ写ってたんだ。 いつ、どうして倒れっちまったか、書いてなかったんだけど。 もしかしたら、東海沖地震のときに、崩れっちまったんかもしんないな。 残念だな。 《参考》 白鷺神社のホームページ 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.16
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「白鷺神社の石鳥居」 1月12日に『白鷺神社』さ行って来た。 そんときのことさ書いてみんね。『白鷺神社』は、栃木県河内郡上三川町しらさぎ 1ー41-6 に、ある神社でな。 車で5分もかからないとこに、『上三川城跡公園』さあんだ。 歴史さみてくと、『上三川城』にも、関わりさある神社なんだど。 神社の正面は、90度に近い急カーブになっててな。 カーブの西側に、駐車場さあるど。 40台は駐められんべな。あ、バス専用の駐車場もあるみたいだな。 広い砂利の駐車場だど。 去年だったかな。3が日の時、ここさ通ったんだけど。 初詣のひとたちが並んでてな。 鳥居の外まで行列さ、出来てたよ。 地元じゃ~、人気の神社なんだべな。 駐車場の真ん前に、神社さ入る入り口さある。 こっち側は『西の参道』っつってな。 神社の西側さ、通じてる道なんだ。 これは『明神鳥居』 石の鳥居だべ。 こっから入ると『西参道手水舎』がある。 ここの裏っかわに、『お手洗い』さあるべ。 中さ入らなかったから、ちとわかんないけんど。 外見はコンクリート製のきれいなお手洗いだった。 あるってわかると、安心すんだ~。 だもんで。最近は、最初にお手洗いの場所さ確認する癖さ、ついちゃったw。 ここは、木の陰に隠れるように立ってるから、 周りの景色さ害することも無い。 のんびり、用足ししてから、神社さ行くといいべな。 ええと。 今回はこの『西参道』さ進まずに、いったん車道さ戻った。 んで、車道に沿って、東の方向、ちょうどカーブのとこさ目指して歩いて行くと、 神社の正面。『神明鳥居』の前さ出る。ここも、石製の鳥居だべな。 お飾りは、お正月バージョン。 しめ縄に、見とれちゃったべ。 ところで。 ここの鳥居は『神明鳥居』と『明神鳥居』って名前がついてんだ。 これって、なんか意味さあんだべか? 調べてみたど。『神明鳥居』も『明神鳥居』も、鳥居の形式の呼び名らしいど。『神明鳥居』 木材でこしゃる場合は、皮を剥いだ丸太をそのまま使う。『柱は掘建』。直接地面さ植え込む形だな。『笠木』っつう、一番上に横たわってる屋根みたいな部分も、 丸太さそのまま使うから、屋根っつうより、棒さ乗っけたみたいに見える。 あと、『貫』っつう部分があんだけど。『笠木』の下に横たわった、棒みたいな部分のことだど。 この『貫』は、『柱』から飛び出さない状態が基本形なんだ。 『明神鳥居』『柱』は少し内側に傾斜して、『八字型をした転び』って様式。『柱』の足元には『亀腹(饅頭)』がある。『亀腹』は足元んとこにある、 支えみたいな、ぷくっとした盛り上がりの部分だど。 鳥居の上、屋根みたいに見える部分は、二重さなってて。 上の部分が『笠木』。下の部分を『島木』っつってな。 両側が少し天に向かって沿ってんだ。『貫』は『柱』から飛び出しててな。 真ん中に『額』さ、かかってるんだと。 鳥居の種類は、他にもたくさんあってな。 応用編みたいな、変形がたもあんだって。 だから、全部と鳥居が上の条件通りじゃないみたいだど。 へ~。 って、もっかい写真さ見直してみたら。 ほんとだ。全然違う鳥居だな。 『明神鳥居』のほうが、豪華にみえんだけんど。 どっちの鳥居が格上なんだべな。 それとも、格は関係ないんかな。 なんで違う種類の鳥居さ、あんだべな。 どっちかに統一したほうが、いいんじゃないけ? あるいは、『白鷺神社』の歴史と関係さあんのかな~。 祭られてる神さまによって、違うとか? うう~む。『鳥居』も、よくよくみっと、面白いかも、な。《参考》【送料無料】 図説歴史散歩事典 2版 / 井上光貞 【新書】価格:1,640円(税込、送料込) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.15
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「大いちょう」 まだ時間さあるもんで、もちっと宇都宮散歩さしてみっぺ。 さて、どこさいこうかな。 そだ、『大いちょう』さ、見にいくべ!『大いちょう』はな。 宇都宮市のシンボルさなってる巨大ないちょうの木なんだ。 車で近くさ通ったことあっから、場所は知ってるし、『大いちょう』さあっとこは、『宇都宮城』と関係さあっとこなんだ。 一度じっくりみたいべ~、って思ってたから、ちょうどいいど。『釜川』からだと、まず南方向だな~。 で、大通りさ西へ・・・あれ?どっかでみたようなものが、前方にw。 そのまま、大通りさ直進。 引き寄せられるように、突き進んでいくと、 これは市内さ巡回してる『きぶなバス』の停留所。 黄鮒か書かれた、バスなんだって。 まだ見たことないんだけんど、どんなんだべな。 停留場の名前は『宇都宮城址公園入り口』 ってことは。さっきのの建築物は・・・『宇都宮城の清明台』でした~w 傾き始めた日差しが当たって、きれいだべ~♪ こないだ来たときは、午前中だったから、 壁も建物も、清楚な真っ白って感じだったけど。 うっすらと夕日に染められた白壁も、素敵だべ。 ・・・って、見とれてる場合じゃ~ねかった。『大いちょう』さみっけなきゃ。 だども、地図でみたっくれ『二荒山神社』から まっつぐ南さ、あったばずなんだけんどなぁ。 通りすぎてきた大通りにゃ~、いちょうの木はねがったし。 さて、どうすべか。『宇都宮城』さ見ながら、考えた。 実は『大いちょう』さある場所は、な。『宇都宮城の3の丸土塁跡』でもあんだ。 あ、これは、『釜川』沿いにあった土塁とは、別もんだど。 『釜川』は、『3の丸』のさらに外側の堀だかんな。 とすると。『本丸』の外に、『2の丸』さあって、さらに外に『3の丸』だから、 あっちだ! 見当さつけて、細い道を西に向かう。 そして、北に戻ると大通りさでた。 左右を見まわすと・・・ あった!『大いちょう』だど。 思ってたより大きいな。 後ろのビルと同じぐらいあんど。 さらに近寄って見た。 横に伸びた枝ぶりは、ビルより広そうw『大いちょう』は 推定樹齢 400年 樹高 33メートル 枝張・東西 10メートル 南北 13メートル 目通周囲 6.4メートル あってな。 宇都宮市の指定天然記念物になってんだって。(注:現地案内板さ、参考) さらに真下から見上げる。 枝ぶり、好きだな。 夏の葉っぱが繁った状態も、いいけど。 冬は木の幹や枝がじっくり見えて、おもしろいべ。 木の根元は土壁になっててな。 2メートルぐらい、道路より高くなってんだ。 この辺が、『土塁の名残』なんだべか。 『大いちょう』が宇都宮市のシンボルになった訳は、 古い巨木って理由の他に、もうひとつ訳があんだ。 昭和20年(1945)の『宇都宮大空襲』のとき。『宇都宮城』周辺は、爆撃の中心地さなってな。 町の65パーセント以上が焼失しちまったんだと。『宇都宮大空襲』の話は、『宇都宮城内の清明館』の歴史コーナーに、写真さ展示してあったから、 興味さある人は、いってみとこれね。 こんとき『大いちょう』も、真っ黒けに焼けちまった。 だども、翌年。 新しい芽さ、出てきてな。復活したんだ。 その後。『大いちょう』に力さもらって、 戦後復興のシンボルとして、大切にされてきたんだと。(注:現地案内板さ、参考) 今じゃ~、戦争の傷も、残ってない。立派ないちょうの木だな。 植物って、強いな。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.13
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「釜川と宇都宮城」 こないだの、続きだべ。 場所は『二荒山神社』の正面さ、南に進んで、『オリオン通り』を通りこして、さらに、南に進んだあたりだど。 さて。 この辺に来ると、お店も少なくなって、 川の左右の道にも、余裕さ出てきてな。 広々してきたど。 は~。っと一息ついたところで、やっと、本題w。 今回『釜川』来た目的は、こっから南の下流部分が本命なんだ。 この『釜川』は、『江戸時代の宇都宮城地図』にも書かれてる、 古くからある川なんだどもな。 今と昔じゃ~、ちょこと位置が変わってっかもしんないけんど。『釜川』の位置さ把握しとくと、 今の宇都宮と、江戸時代の宇都宮城下町さ比較すっときに、 役にたつんだ。『二荒山神社』の前を、まっつぐ南下してくると、『釜川』さ、ぶつかるんだけんど。 今はそこのあたりに、赤い橋さかかってた。 この辺りには『昌泉寺』っていう、お寺があったらしいべ。 今もあっかたな? 気づかなかったな。 もうないんかな。 この『昌泉寺』から『釜川』は、南東方向へ流れていくんだけんど。 昔の地図でみっと、このあたりから『釜川』は、『宇都宮城』の土塁に沿って、流れてく。 どうやら、『水堀』の役目さしてたみたいなんだな~。 場所は『二荒山神社』の正面の道さ、まっつぐきたら、 大体200メートルぐらい。『宇都宮城跡公園』からだと。350~400メートル、ってとこ。 って、文章じゃ~わかり辛いんで、『宇都宮城物語』って本に出てた地図さ参考に、『釜川周辺の地図』さ、こしゃってみたど。 実際はもっと細かい道さ、あったりすんだけど。 大まかなイメージってことで、みとこれね。 黄色い枠で囲まれた文字は、今は残ってないとこだど。 緑の部分が、『宇都宮城の一番外側の土塁』 これも、今は姿さ消しちまって、なんも残ってない。 けんど。『釜川』は昔のまんま。ほぼ同じ所さ流れてる。 ってことは、『釜川』の流れさたどっていけば、 江戸時代の『宇都宮城外堀』を、体感出来るってことだべな。 他にも2本の川が、流れ込んで、『宇都宮城の外堀』に合流してたみたいなんだけど。 地図じゃ~確認出来なかったんだ。今も残ってんのかな? 現在の『釜川』の流れからは、『宇都宮城の水堀』だったなんて、 想像できないけんど。 川の深さは、『水堀』だったかも? って思わせる深さがあった。 今回は時間の都合もあって、最後まで『釜川』さ見れなかったんだけど。 『釜川』沿いに、ず~っと下ってみっと、 また、新しい発見さあっかもしんないな。 機会さあったら、いってみたいべ。《参考》【1000円以上送料無料】宇都宮城物語価格:1,575円(税込、送料込) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.11
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「釜川」『二荒山神社』の近くには、小さな川が流れてる。『釜川』っつうんだ。 川っつっても、幅は小さいし流れも緩やか。 幅は、広いとこでも、1メートないんじゃ~ないけ? それよりも、岸から水面までの高さのほうが、深くって、恐いべ~w。 『釜川』は 宇都宮市野沢町にある『弁天沼』から流れてきて、 宇都宮の町中を通って、『宇都宮城』の横さ回り込み、 田川さ流れ込んでんだって。 この『釜川』。下野新聞にも載ってな。 ちょこっと気になってたもんで、 川に沿って散策してみたべ。 今回散策したルートは、『二荒山神社』前の大通りを、 西に200メートルほど進んで。 南さ流れる『釜川』を流れにそって歩く。『オリオン通り』の裏っかわあたりさ向かう短い距離だけど。 川岸は石さ敷き詰めて、柵や木で飾られててな。 町中散歩にゃ~、いいとこだべな。 あ、『オリオン通り』っつうのはな。『二荒山神社』の南にある、商店街なんだ。 この辺りが、ちょうど『オリオン通り』の裏あたり。『釜川プロムナード』って名前のついた川沿いの小道は、『宇都宮まちづくり推進機構』ってとこが、管理・整備してるらしくてな。 途中に滝さあったり、木や植物の植わってる花壇もあった。 花の季節にゃ~、華やかになんだべな。 洋風のベンチやアーチもあって、くつろげるようになってるど。 川の左右にあるお店も、華やかでな。 なんか、別の国さ来ちまったみたいな感じさしたな。 さて。このちっこくて目立たない『釜川』。 実はちょっと、すごい仕掛けがあんだよ。 っつっても、見た目はわかんないんだけど。 1980年代に、日本で初めて 河床を上下2層に分ける、工事さした川なんだと。 西田橋から小路橋までの1.9キロメートルっつうから、 今回歩いた『釜川プロムナード』の範囲が、ほぼ全域だっぺ。 どんな工事かっつううと、川の下に暗渠つう水路さ作って、 上さ流し切れない水を、暗渠に流すんだ。 そうすっと、洪水で水量さ増えても、川の周辺さ被害がでないし。 緩やかな川の流れを楽しみながら、『釜川』と交流さできるってわけ。 そ、そうなんだ。 見た目じゃ~、ぜんぜんわかんねがった。 ちっちゃな小川だと思ってたけど、 ほんとは、洪水で氾濫さおきっちゃうぐらい、 流れの激しい川だったんだ。 今の姿からじゃ~、想像できないな。 これは、川の中に設置されてた『水力発電』 へ~。これで、電気さ出来るんだ。 近所のお店で、使われてんのかな。 この辺に来ると、お店も少なくなって、 川の左右の道にも余裕さ出てきてんな。 広々してきたど。 『釜川』について、もちっと話しさあんだけど。 長くなっちまったんで今日はここまで。 続きは、また今度、な。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.09
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「黄鮒」『東照宮』を見た後は、裏参道さ登って 再び『二荒山神社』へ戻ってきた。 まだ時間も早いんで、どっか買い物さ、いこうかな。 表参道にあたる階段さ下りて、きょろきょろしてたら、 黄色い魚さ、みっけた。『黄鮒』っつってな。宇都宮の郷土玩具なんだけど。 今じゃ~、マスコットみたいな存在なんだ。 これは帰ってきてから撮った写真。 全長15センチと、結構でかい。 これが、藁で作られた棒状の柱に、 みっちり突き刺さってたんだ。『黄鮒』にゃ~、言い伝えさあってな。 江戸時代のころ。宇都宮城下町で、天然痘さ流行ってな。 大勢の人々が、病に罹って苦しんでたんだ。 ある日、天然痘に罹った子供さ栄養つけさせようと 父親が田川で魚さ釣ってたらな。 黄色い鮒っこが釣れた。それも、鯉ぐらいに大きい鮒っこだど。 んで、子供に喰わせたら、天然痘が治ったんだと。 そこで、話しを聞いた人々が、病さ直そうと田川さいって釣りしたけんど 黄色い鮒っこは、つれなかった。 だもんで、紙で鮒っこさこさえてな。 病平癒を願ったんだと。 それから『黄鮒』は、縁起物ってことで。 神棚に飾られたり、魔除けのお守りになったんだ。 特に、子供の病に効くって話で、 江戸時代にゃ~、大人気だったらしいど。『黄鮒』のこしゃりかたは、 1・ 黄鮒形の型に和紙を貼り付けて、乾燥させる。 2・ 乾燥したら、腹さ裂いて、型をとりだす。 3・ 切り口を和紙でふさぎ、鰭さつける。 4・ 形さ整えて、完全に乾くまで待つ。 5・ 絵の具で着色。 で、完成~! おおまかなこしゃりかたなんで、実際はもっと複雑なんじゃないかな。 全部手作りだど。大変だな。 昔はあちこちで、こしゃってたらしいんだけど。 今は、郷土玩具さあつかってる専門店じゃ~ないと、 手にはいらないみたいだべ。 あ、『栃木県立博物館』の売店にも売ってたな。 あとは、初市とか、イベントさあっときに、 手にはいるかも。『二荒山神社』じゃ~、三が日の間だけ、出店が出てるって聞いてたけど。 初めて、遭遇したべ~。 で、早速、お買い上げ~! 実は、ほしかったんだ~『黄鮒』! お正月だし。魔除けのお守りだし。 神社の前だし。 なんか、御利益ありそうだべ? でも、帰ってきたら、『黄鮒』の存在感が大きすぎて ちょっと、邪魔w。 置き場所が、ない。 これは、計算外だったなw。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.07
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「東照宮」 昨日は『狛犬さま』んこと、書いたんで、 今日は、建物のことさ書いてみよっと。 正面の扉には、金色の紋。 あ!水戸黄門! の、印籠でお馴染みの、紋だっぺw ええ~と、たしか。 徳川家の、葵の御紋だったべな。 なんで、こったらちいさな神社の扉にあんだべな。 あちこち覗いてみたけんど。 由来さ書いた看板は、みっかんなかった。 神社の名前さ書いた額もなかった。 右手のほうに、空きスペースさあっと。 あっちに、手がかりさ、ね~かな~。 手がかりが、ねがったけんど。 石の祠さあった。 神さまさ、おられるやつだっぺ? でも、何の神さまだべな。 首さ捻って考えてたら、神社の屋根がみえた。 へ~。小さい神社なのに、しっかりこしゃってあんだな。 二荒山神社の本殿さ、ぎゅ~っと縮めたみたい。 これ、そうとう格式さ高い神社にみえんだけんど。 いったいなんだべな? 帰ってきてから調べてみたら。『二荒山神社』の『末社(まっしゃ)』のひとつ。『東照宮』なんだと。『末社』ってのはな。 本殿の祭神とは関係ないんだけど。 境内や周辺に、小さな建物さこしゃって、 祭られた神さまの建物のこと。 こないだ紹介した『市神社と須賀神社』も『末社』だど。 本殿の祭神と縁がある、神さまさ祭った場合は、『摂社(せっしゃ)』っつってな。『末社』より、格が上がるんだと。『二荒山神社』には、『摂社』と『末社』の両方さあんだけど。『摂社』は去年ブログで紹介したから、そっちさみとこれね。(『摂社』のブログ記事は、こちら) さて、『東照宮』の話さ、戻るべ。 ここの『東照宮』は『末社』 で、『東照宮』っつう名前からも解ると思うけんど。 祭られておられるのは『徳川家康』公。 だがら、扉に徳川家の御紋さ、あんだね。 ちょこっと、聞いた話だと。 天正13年(1585)。二荒山神社』の本殿は、『宇都宮国綱』と『北条氏直』の合戦に巻き込まれて、 焼失したんだと。 そのあと。慶長2年(1597)に、『豊臣秀吉』が、『宇都宮国綱」を改易。『二荒山神社』は、社領さ没収されちまったんだ。 そこで救済に乗り出したのが『徳川家康』 慶長7年(1602)。『徳川家康』が社領1500石を寄進。 慶長10年(1605)に、社殿は再建されたんだと。『二荒山神社』にとって、大恩人になんだべな。 ほんだから、『東照宮』さ祭ってあんのかな。 帰り道。階段さゆっくりと下りる。 ほんと、ここは狭くって。 神社内も、ほとんど身動き出来る場所もない。 境内から離れた林に埋もれてっから、誰も気がついてないんかも。 なんだって、こったら隅っこに『東照宮』さ、あんだべな。 もちっと目立つとこさ、こしゃったら、 大勢のかたが、参拝できんのに。 それとも、『徳川家康』公は、静かな場所で、のんびりできて、 喜んでっかな。 ま、隠れた穴場さみっけたみたいで、 どきどき、わくわく。 楽しかったけどな~w。 こったら、わくわく。大好きだっぺ♪《参考》 【送料無料】栃木県の歴史散歩 [ 栃木県歴史散歩編集委員会 ]価格:1,260円(税込、送料別) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.05
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「裏参道の狛犬さま」 帰り道は、いつもと違う道さ行ってみよう。 そったらこと、思いついてな。 表の参道(階段)さいかないで、 本殿の横から、裏へ抜ける道さ下ってみた。 どこさでんのかな? あ、駐車場だ。『二荒山神社』は、名前に山って入ってる通り、 町中の小山の上さ、建ってんだけど。 山の裏と斜面のとこは、駐車場になってたんだ。 少し先には、立体の駐車場もみえる。 両方合わせると、40台は軽く止められるんじゃ~ないかな。 ゆるゆると下る道を歩いてたらな。 さっき引いたおみくじの文句さ、思い出した。 運勢は『小吉』 あわてずゆっくりと進めば、いいことが少しずつ増えていって、 楽しいことが、たくさん起こるんだと。 ふ~ん。そんじゃ、慌てずに、ゆっくりと下ってみっかな。 そしたらな。こんなもんさみっけたど。 草木の中に、埋もれてたから、 最初は石段しか見えなかったんだけどな。 見上げてみたら、神社みたいな建物が見えた。 登ってみようかな? だども、階段さ急だべな~。 どうしようかな~。 迷ってたら、あれ? あれは・・・ 狛犬さまだ! いきなり、元気さでちゃってな。 よたよたしながら、登ったど。 ここの階段、狭くて急で、登りづらいんだ。 階段さ登りきると、狛犬さまのお出迎え♪ これは『右側の狛犬さま』 昨日の狛犬さまと、くらべっと、 正統派って感じだべ。 玉を踏んだタイプは、時代が新しいって聞いたよ。 年代さ書いてないけど、 石の感じも、最近っぽいな。『左側の狛犬さま』は、子持ち。 ぐっと結んだ口元が、勇ましい~。 子供も、じっとしてなくて、飛び出しそうに見えたど。 さてさて。次は、お背中拝見! まずは、右側。 ふんふん。渦の巻いたたてがみ。 ぴんっと立ってんのは、耳かな? 角には見えないな。 しっぽもす~っと上に向いて、立体的に掘られてる。 左側。 おお~!しっぽの細工が、細かいな~。 耳もかわいい。 だども、ふさふさのたてがみに隠れて、 背中の形がよくわかんないな~。 背中の迫力は、昨日の『四角顔狛犬』のほうが、好みだべw。 だども、十分満足だっぺ~! おみくじの言う通り、ゆっくり歩いて、よかったな。 楽しいことが、みっかったかんな♪ 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.04
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「初詣・二荒山神社内」 1月3日(木)、初詣さ行って来だ。 場所は、宇都宮市の『二荒山神社』 すごい、人。 去年はもっと、少なかったのに。 と思ったら、去年は三が日を過ぎてからの参拝でした。 だから、もちっと空いてたんだな。 う~ん。これじゃ~、神社の写真さ撮れないな。 目の前に、『大きな狛犬さま』がおられるのに。 写真どころか、じっくりみれない。 人~!邪魔だど~! いやいや。今日の目的は、そっちじゃ~ねって。 まずは、お参りしなくっちゃ。 手水でお清め。 次から次へとやってくる人たちにまぎれて、 ちょこちょこと。 手抜きぽくなっちまったけど、神様も許してくれるべな。 他のひとたちにくっついて、拝殿前で、参拝。 ふ~。やっと一息。 正月の神社は、どこもこったら、ごっちゃ煮みたいなんかな。 色とりどりの晴れ着やら、おべべやら。 毛皮のマフラーやら。 きれ~な人さ、こみっちりだ~。 ぶつかって汚しちゃわないように、気ぃ使っちゃったど。『二荒山神社』は、他にもたくさんの神様が祭られてだけど。 去年のブログ(1月ごろ)に書いたから、 今回は省略さしてもらうな。 お気に入りの『初振稲荷神社』さ参拝して。 境内の隅っこさうろうろしてたら、『狛犬さま』発見! 場所は拝殿右の奥。『市神社と須賀神社』の前だっぺ。 な、なんか、面白いお顔www。 右側の『狛犬さま』 四角い顔って、初めてみたな。 おっかないような。 おっかなくないような。 なんか、下あごが、前にでてないけ? しゃくれてる、っていうんかな。 こんな顔の人、いそうだな。 親しみさ、わくなw。 左っかわの『狛犬さま』 こちらも、顎がしゃくれてるw。 なんか、もう。 顎しか目に、入らなくなっちまったど~w。 笑いの壺さ、は・はまった~! この辺は、人が来ないんで、静かだけんど。 一人でにやにやしてたら、不審者だ!、って思われるべ~。 でも、止まんない。最高~!だべ~! 落ち着いて、落ち着いて。 深呼吸! は~。 今度は、裏っかわさ回ってみた。 あ、やっぱしだ。 たてがみが、しっかり彫り込まれてるど。 しっぽの渦巻き模様も、きれいだな。 こっちは左がわ。 あ、模様が違う。 へ~。『狛犬さま』の背中ってのも、いいな。 今年は、背中の写真さ、ねらってみっかなw。 この『狛犬さま』は、昭和59年に奉納されたものなんだと。 そったら古い『狛犬さま』じゃ~ないんだな。 だども、なんでこんな顔にしたんだべか? モデルさいんのかな? 正面に戻って、再度お顔さ拝観。 ・・・ぷっ! ああ、これじゃ~、不審者確定だなw。 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。にほんブログ村
2013.01.03
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「今年のブログ」 あけまして おめでとうございます。 ブログを書き始めて、2回目の新年を迎えました。 はやかったな~。 2年も続くなんて、思ってねがったから、 あんまし考えねえで、好きなことさ書いちまったけんど。 それが、いかったんかな? さて。年のはじめ、っつううことで。 今年の目標さ、書いてみっかな。 去年は栃木県限定で、公園化されてる城跡さ散策してきたけんど。 今年は、ち~っと範囲さ広げて、 関東全域に足を運んでみたいな~、とw。 しかし、出不精の旅行下手な人間なもんで。 まずは、栃木県に接してる県を狙ってみんべかな。 お隣の群馬県や茨城県にも、いい城跡があるらしいんだ♪ 楽しみだな~。 歴史のほうも、最近興味ある時代が絞られてきてな。 だいたい1500~1600年ごろの 上杉謙信や武田信玄や、北条一族が活躍してた時代を中心に、 勉強してみようかな~、と思ってる。 もちろん、この時代以外でも、 城に関係する面白そうな話しさみっけたら、 ブログに書いていくけんどな。 それに、飽きっぽいから、 途中で、あっちさうろうろ、 こっちさ、ちょろちょろ、 脱線すんだろうな~。 これも、えびねっこ流ってことで、あんまし追求しないどこれね。 って、ことで。 今年も、お城や歴史について。 もそもそと、書き綴っていくかんね。 1日の最後に、読んでほっとするような、 ほげほげしたブログさ、目指していくど~! こんな感じの、ゆるいつぶやきブログだけんど、 今年も、どうぞ、よろしくお願いします。 今年の、初ぽちっ! は、こちらへwにほんブログ村
2013.01.01
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