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サラサドウザン国立がん研究センターは昨日4月27日に24万人を対象に調査したがんと診断された患者さんの10年生存率を公表した。今までは5年生存率が公表されていたが10年生存率の公表は初めてである。近年驚異的な長命化が進んでいるががん患者さんの生存率も年々伸びている。全てのがんの10年生存率が59.4%とは10年前にはとても考えられない数字である。しかしがんの種類によってはまだ低いものもある。すい臓がんは6.5%でステージ4では0.8%で10年生きている人は1%もいない。ステージというのはがんの進行度を分類した国際分類で数字が大きくなるほど進行したものになる。肝内胆管癌も生存率が低く全体で10.9%、ステージ4では0%で一人も生き残っていない。肺がんの内の小細胞がんも低くて全体で9.1%、ステージ4だと1.8%だった。生存率が高い方をみると前立腺がんは98.7%と最も高く、ステージ1から3まではいずれも100%でステージ4になると44.7%と低かった。乳がんは全体が87.2%でステージ1の早期のものなら99.1%生存しているがステージ4に進行したものは16.0%と低かった。胃がん、大腸がんはステージ1だとそれぞれ90.9%、93.6%と高いがステージ4だと6.9%、11.6%と下がってしまっていた。いずれのがんもステージ4まで進行してしまうと極端に生存率が下がってしまうのでステージ1,2の早期の段階で治療を受けることの大切さがデーターではっきり示された。がんの種類によっては著明に生存率が伸びたがすい臓がん。肝内胆管癌、肺小細胞がんでは10年生存率が10%に達していない。早期発見法や治療法の進歩を心より期待するものである。
2021.04.28
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ナニワイバラ各地域の高齢者や医療機関職員などに対するワクチン接種が始まった。副反応を極力抑えたりその後の対応などについてレジメが作られているのでそれを紹介しながら、いくつか注釈を加えさせて頂く。まず厳密な問診が必要である。最初に説明書を読んでもらい予診票にテェックしていただく。予診票の内容は初めてですか2回目ですかとか、説明書を読んで効果や副反応などについて理解しましたかなどの質問がある。説明書には1回目と2回目の間隔は3週間、一回目と2回目は同じ会社のワクチンワクチンで十分な免疫が出来るのは2回目の接種を受けてから7日程度経ってから以降。発症予防効果は95%と報告されている。副反応は注射部の痛み、頭痛、関節や筋肉の痛み、疲労、寒気、発熱、等があり、まれにショックやアナフィラキシーという重大な副反応がおきることがある。アナフィラキシーとは、喘鳴、呼吸困難、頻脈、血圧低下など急激な全身状態の悪化で殆どはアドレナリンの注射で改善する。予防接種で健康被害が生じた場合は救済制度があり、市町村に申請して下さい。今回接種するワクチンはファイザー社製m-RNAで添加物としてポリエチレングリコール、塩化カリ、リン酸二水素ナトリウム、塩化ナトリウムその他が含まれているがアレルギーに関係するのはポリエチレングリコールではないかといわれている。ポリエチレングリコールは医薬品やヘアケア商品、スキンケア商品、洗剤など様々な用途に使われているもので飲んだり、食べたり、体に塗ったりする分には悪影響は起こさない。接種を受けた後15分以上接種を受けた場所で休憩し、異常があったら医師に連絡する。注射した部は清潔に保ち、当日の入浴は良いが注射部はこすらないようにする。当日の激しい運動や仕事は控える。妊娠中、授乳中の女性は接種は可能だが婦人科医に相談してからの方が良い。その他問診票には何らかの病気に罹って治療しているか、最近一カ月以内に病気に罹ったり熱が出たりしたか、当日体に具合の悪いところはないか、けいれんやひきつけを起こしたことはないか、薬や食品などで重いアレルギーを起こしたことはないか、これまでに予防接種を受けて具合の悪くなったことはないか、2週間以内に他の予防接種を受けたことはないかなどの質問項目がある。これらの質問項目に対する返答をみて医師が接種OK又はNoを判断する訳ですがたとえば痙攣やひきつけがあっても今回の注射に関係ないと判断したらOKで、基礎疾患があっても現在健康状態ならOKで、全身状態が悪い場合にはNoにします。直前に体温を測りますがその時37.5度以上あったらその日の接種は見合わせて頂きます。その他不明なことがありましたら会場には必ず医師がいますので相談して下さい。
2021.04.27
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大手毬当院非常勤医師の渡辺裕先生(95歳)が「幻の大東亜戦争」という本を書かれて医局医師に贈本して下さった。「もしあの戦争がなかったら」という副題がついていたが、戦前、戦中、戦後を生きてきた著者が小説形式であの戦争の本質について書かれた書である。太平洋戦争では日本は大敗しポツダム宣言を受諾し、東京裁判で戦争を仕掛けた極悪犯罪国家として首謀者は処刑された。しかし実際は日本は戦争を避けようとしてあらゆる努力をしてきたが何とかして戦争に誘導しようとしていたアメリカの誘導作戦に乗ってしまったのだが結果的に日本のみ有罪になり、それを仕掛けたアメリカは罪を問われず大手を振って戦勝国として君臨し利益を得た。戦争しなかったら朝鮮も台湾も千島列島も樺太も今なお日本領だったはずである。この戦争で一番儲けた国はソ連である。日本の敗戦が決定的になってから不可侵条約を破って参戦し停戦になってからも攻撃を続けて樺太、北方4島を含む千島列島全域を占領し60万人の日本人を拉致して奴隷のようにソ連再建に使うなどして火事場泥棒そのままのぼろ儲けをした国である。それに劣らず大きな利益を得たのは中華人民共和国である。中華民国(中華人民共和国とは全く別の従来のシナ国)をこの戦争のお陰で滅亡に導き戦勝国として国連常任理事国に選出された。その上日本から多額のODA(開発途上国援助)を受け取って世界最大級の軍備と経済力を身に付けてしまった。最も損をした国は中華民国で中華人民共和国に国を乗っ取っられてしまったのである。中華人民共和国が日本に対して戦後補償とか歴史認識などと言っているが中華民国なら兎も角、何の関係もなかった中華人民共和国からそのようなことを言われる筋合いはない。と書かれれていた。日本も大損したがその次に損した国はオランダだろう。オランダはドル箱の蘭領東インドに独立されてしまい大損害をした。イギリス、フランスも占領地が独立して損害を被っている。戦争は損得だけで考えるものではなく何十、何百万という人命が失われており、決してしてはならないことだが、損得の面から考えても大損をした国は多い。大儲けしたソ連や中華人民共和国などがあるが今後のことについては外交努力で解決していくしかない。大東亜戦争が回避できたなら日本は全く別な形で発展してきたと思われるがそれは過去の事でとやかく言っても始まらない。その歴史を正しく学び反省して現実と未来を見つめながら広い心を持ってより大きく発展させていくことが重要と思われる。
2021.04.25
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ロサ・モエシー昼の林修の「今でしょう」と言う番組でコロナで外出制限がかかっている今気を付けなければいけない体の健康について解説していた。まず外出制限で家族以外の人との接触が少なくなり記憶に関係する海馬への刺激が少なくなり認知症になる可能性が高いとのことだった。その予防には1)オンラインや電話などによる会話、2)リアクションを大きくする、これは電話の相手やテレビやビデオを見た時のリアクション、家族に対するリアクション等だと思う。3)手の運動をして脳を刺激する。ピアノとか絵画、習字などの芸術も手を使うが家事が最も手の運動になり認知症予防に良いとのことだった。料理は手も使うし頭も使うのでベストだが掃除、洗濯なども手も使うし頭も使うので良いとのことだった。閉じこもりで脳が衰える次に注意しなければならないのは心臓が弱るとのことだった。運動不足で心臓はどんどん弱っていく。その対策は1)ストレッチで筋力をつける必要がある。2週間じっとしていれば筋力は28%落ちてしまう。血流をよくするためにふくらはぎのマッサージや片足を交互に膝の上に載せる股関節の運動も重要である。1日2~3000歩歩くことも筋力をつけて心臓の働きをよくするのに有効とのことだった。今は外に出れないなら家の中で2-30分足ふみでもよいとのことでウォーキングマシンがあればそれに越したことはない。2)家になかに閉じこもっているからといって気晴らしで熱い風呂には入らないこと。41-42度くらいまで。43度以上の熱い風呂は避ける。3)食事に気を付ける。炭水化物は摂り過ぎない。キノコ類をよく食べる。特にマイタケはナイアシンを沢山含んでおり心臓の働きをよくしてくれるとのことだった。最後に目の健康につての話があった。ステイホームでスマホやパソコンを見る生活で目が相当疲れている。目のスクワット運動をして目を守ってもらいたいとのことだった。近くを見た後は遠くを見てまた近くをみて遠くを見るを数回繰り返すのが良いとのことだった。認知症や心臓麻痺、視力障害になりたくなかったら参考にしていただければ幸甚である。
2021.04.24
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イキシア最近は非常に長命化してきたので20年くらい前にはまれだった90歳以上の方がいっぱいみられる時代になった。少し前まで定年は60歳だったがいつしか65歳になりやがて70歳になるかもしれない。昔は60歳なり65歳を過ぎると第一線を退いてご隠居さんになり、子供達に看てもらいながら終末を待つパターンが殆どだったが今はそれから何十年も生きることになり新たに人生設計しなければならなくなった。昨日95歳の腰椎圧迫骨折の女性患者Tさんの家族と面談した。Tさんは回診の度に私をねぎらってくれて、「お体に気をつけて下さいね」と言ってくれる思いやりのある人だ。本人は早く退院したいと言うが準備もあるので少しでも長く病院においてもらいたいというのが家族(長男の嫁)の希望であった。今までは一人で暮らしてきたが高齢なのでこれからは長男と同居か介護施設に入ることを考えた方が良いと思いますとアドバイスしたがお嫁さんも体が弱いとのことで同居は難しく入院前と同様の一人暮らしに戻ることになりそうだ。別々に暮らしながらそれとなく援助していく方式が、お互い気兼ねなく自由に暮らせるので良いとのことだった。今は90歳以上でも独居で暮らしている人が結構多い。入院を契機に施設に入る人もいるがそのまま独居に戻る人もいる。本人がそれを望むならそれをかなえてやって外からバックアップしてやるケースも増えていくのではないかと思われる。これからは高齢になっても誰かに頼るのでなく自力で何とか生きていく時代かも知れない。一人暮らしでも楽しく生きる術を身に付ける必要があるなと思った。
2021.04.23
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チロリアンランプ(アブチロン)山梨甲斐市から見た本日の富士今夜の「英雄たちの選択」は渋沢栄一が使えた最後の将軍徳川慶喜だった。二心殿と言われコロコロと態度を変えた彼の本心はどこにあったのか分からない面もあるが大政奉還し、徳川の世を終わらせ新しい時代への橋渡しをした人物として評価できると思う。戊辰戦争の初戦である鳥羽伏見の戦いで兵力的には幕府軍の方が優勢だったが戦い慣れしていなかった慶喜は大阪をすてて海路江戸に逃げ帰ってしまった。大将を欠いた幕府軍は敗退し一気に新政府軍の体制が固まっていくことになったが、先見の明があり知性抜群と目されていた慶喜は自分が敗退した形をとりながら新しい時代への橋渡しをしたのではないかと思った。日本史上慶喜ほど人物像がはっきりしない人はいないと言われていたが、謹慎がとけた後の悠々自適の生活状態を見るに、先の先を読み最後は勝利した賢い人物だったのではなかろうかと思った。
2021.04.21
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ビオラ資本主義は個人的資本所有者がそれを本にして営利目的に労働者を雇い商業や産業を市場で行うシステムで利潤を上げることが目的である。渋沢栄一の合本(がっぽん)主義は公益を追求するという使命を達成するのに最も適した人材と資本を集めて事業を推進させる方式である。どちらも事業を行い利潤を追求するがその目的が資本主義は自分がもっと儲けて豊かになりたいだが合本主義は公益を追求するために事業を行なう。つまり一部の人に富が集中する仕組みでなく皆で人、物、金、知恵を持ち寄って事業を行いその収益を皆で分け合い皆が豊かになる方式である。「いかに自分が苦労して築いた富だと言ってもその富が自分一人の富と思うのは間違いである。人間は自分一人では何もできない存在だ。国家社会の助けがあって初めて自分でも利益が上げられ安全に生きていくことが出来る。これを思えば富を手にすればするほど社会から助けてもらっていることを自覚すべきである」明治時代前期の実業家で三菱財閥の基礎を築いた大金持ちの岩崎弥太郎に渋沢は「二人で手を組んでもっともっとお金を儲けようではないか」と誘われたがお断りした。岩崎は生粋の資本主義者で渋沢は合本主義者だったので相いれなかったのだと思われる。渋沢の経済活動の基盤は論語と算盤だったがこの両者は相いれないもので、論語は道徳律を説いており、算盤は経済の象徴で、儲けるにはどうしたらよいかを考えていくもので対極にあるものである。真面目に道徳を守って商売しているが貧乏な人がいたとすると純粋に算盤側の価値観からみると商売下手で負け組になる。一方で道徳はあまり考えず私利私欲で商売をしているが結果的に社会の役に立っている場合、論語側から見ると金の亡者になってしまう。しかしそうした一元化の評価では社会は豊かになれない。「論語と算盤」の立場は片方の立場では価値ないとされてしまうことも片方の立場でカバーするのである。その意味で「論語と算盤」は全く純粋ではなく、二つの価値観を混ぜ合わせて不純にしているからより多く社会の人を抱え込むことが出来る。きれいごとばかり言っていたら商売は出来ない。切磋琢磨して競争もしていくが最終的に社会の役にたてばよいのだ。鉄道や製紙業など直接社会に役立つことだけでなくその会社の従業員の幸せの生活を得るなどの間接的なことでも社会の役に立つことなら論語の精神に合致したものと渋沢は考えていた。本書の解説者守屋淳さんは渋沢は自らの志を実現していく過程で論語と算盤のように対極の要素をうまく両立させて使うという作業をし続けた人だと述べていた。最近ある立場をとると反対の立場の人を切り捨てたり非難したりする人が増えており特にSNSではそれが顕著で一つの価値観だけで世の中を割り切ってしまうと女子プロレスラー自殺事件なども起きて世の中をよくすることは出来ない。「論語と算盤」は対極の要素を両立して使う方法を我々に教えてくれた名著だと思う。一読をお勧めする。
2021.04.20
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芝桜の中に咲くハナニラ以前、人生は願いが叶わないことが多いがその時どのように考えたり、対応したらよいかということをこのブログで書かせて頂いたが渋沢栄一は「論語と算盤」の中で次のように回答している。人は世界平和に貢献したいとか金持ちになって寄付して世の中に尽くしたいとか学校の先生になって弟子を育てたい、大きな会社を作って社会の役に立ちたいなど様々な志をたてるが実際にはそれが実現しないことに対して「成功や失敗という価値観から抜け出して超然と自立し正しい行為の道筋に沿って行動し続けるなら成功や失敗などとはレベルの違う価値ある生涯を送ることが出来る。成功など人としてなすべきことを果たした結果生まれるカスに過ぎない以上気にする必要など全くないのである」殆どのことで成功してきた渋沢と殆ど成功しない一般の我々の違いがあり、成功はカスに過ぎないなどとは我々にはピンとこないが、渋沢は人間は何を成功させたかとかどこに到達したかで評価されるべきでなく、到達すべき目標にどう近づいて行ったのかで評価されるべきであるとの考えだったのだと思う。渋沢の願いは殆ど全て公益に対する願いだが私たちの願いは必ずしも公益だけでなく大学に受かりますようにとかいい会社に入れますようにとか病気が治りますようにとか習い事が上達しますようにといった自分的な願いが多い。しかしそれらの願いが叶う叶わないの結果に対する考え方は同じだと思う。その年に大学に合格できなくても勉強してきたことには変わりなく、成功や失敗で物事を判断してはいけないと言うことだと思う。大切なことは大きな志を持つことでそこに到達すべく努力していく過程に価値があることを肝に銘じて人生に挑戦していこうと思った。
2021.04.19
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シャクナゲ渋沢は数多くの事業に関わり、それ以上に多くの社会事業に生涯力を尽くしてきたがそれは義務感ではなく、それが楽しかったからである。渋沢は孔子の言葉「理解することは愛好することの深さに及ばない、愛好することは楽しむ境地の深さに及ばない」を引いて「これは趣味の極致と言ってよいだろう。自分の努めに対しては楽しむ境地がなければだめだ」と述べている。渋沢は何か事業を起こしたり、福祉事業をしようとする時は決まって実業家や友人達に寄付を募った。寄付を言われて皆さん快く金を出してくれたわけではない。そのことについて渋沢は「また渋沢の寄付取りかとしかめ面をした金持ちもいたことを聞いている。しかし私にとってはそんなことは全く苦痛に感じられない。なぜなら私は社会事業に力を尽くすのを何よりの楽しみにしているからだ。それがなければ寄付金を貰うために駆けずり回ることは出来ない。人に頼まれたからからとか福祉家として世間の評判を得るためくらいの動機ならとてもそんなことは出来ない」と言っていた。要するに渋沢は関わった企業数約500,社会事業約600を全て楽しみながらやってきたというのである。言われてみると私も時には患者さんの苦しみを感じて自分も苦しいこともあるが基本的には患者さんを診療するのが好きだし楽しい。だから今まで診療活動が続けてこられたのだと思う。一方ピアノは10年くらい前から月に2-3回日曜日に先生について習っているが苦しい。楽しいどころではない。特に新しい曲を始める時などは何遍練習しても弾けるようにならず、眠くはなるし、こんな馬鹿みたいなことに時間を費やしていていいのだろうか?ほかの人に出来るのにこんな簡単な事も出来ない自分はよっぽどの不器用で駄目な人間なのだろうか?と思ったりする。渋沢は何か事をする時には楽しむ境地がなければ駄目だと言っているが楽しむ境地がなかったら止めなさい、諦めなさいとは言っていない。本来なら少しも楽しんでいないなら止めた方がいいのかもしれないが私の性格がそれをさせてくれない。駄目なら駄目だからこそ、才能がないなら才能がないからこそそれにしがみつく性質があり、未だに止めていない。渋沢も「楽しくないなら止めなさい」とは言っていない。「楽しくないなら楽しくなるようにしなさい」と言っていると捉えて時々楽しいと思える時もあるのでそれを大きく膨らませてピアノが楽しいと思えるようになりたいと思った。
2021.04.18
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白いハナミズキ今渋沢栄一の「論語と算盤」を読んでいる。これは渋沢の膨大な講演の内容を編集者の梶山彬と言う人が10のテーマに分けて切り貼りして編集したもので「講演のエッセンス」と言う物であった。渋沢は幼い時から論語を含む「四書五経」を学んでいてその教えの根底にある「自分の身を磨き良い統治者になり良い国を作る」を心肝に染めており、その教えを体現する為政者になり活動してみたいという気持ちを持っていた。彼の前半生の講演では「私は最初は尊王攘夷を論じて東西を走り回っていた。しかし後には一橋家の家来となって幕府の臣下に加わりその後は徳川昭武(徳川慶喜の弟)に随行してフランスに渡航した。2年後日本に帰ってみれば幕府は既に滅びて世は王政に変わっていた。社会の移り変わりや政治体制の刷新に直面すると自分の力ではどうすることも出来ず逆境の人になってしまった」と語っている。その逆境に対する渋沢の考えは「逆境は自分の本分だと知り、自分の守備範囲を守り、天命と思うことにより平静を保つことが出来る」と述べている。「人が世の中を渡っていくには世の不正には敢然と立ち向かわなければならないが成り行きを広く眺めながら気長にチャンスを待つことも必要である。志の実現のために思いがけないチャンスが回ってくることもあるものだ」論語には志に触れた言葉がある。子曰く「我15歳にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳従う、70にして心の欲する所に従いて矩を超えず」である。孔子は15で学問をしようと立志したが学問だけに注力したのではなく、自ら政治家になり中国を安定した国にしたいと弟子も育てた。渋沢は志を立てたのは実業界に飛び込んだ30歳を過ぎてからだと語っている。「白状すると私の志は青年期においてはしばしば揺れ動いた。最後に実業界で身を立てようと志したのが明治4,5年の事でその時が私の立志だった。自分の性質や才能から考えても政界に身を投ずることは自分の向かない方向に突進するようなものだとこの時ようやく気がついた。」この本の解説者の守屋淳さんは志と天命の違いについて解説している。この二つの違いは自分の可能性に目を向けるのが志で自分の限界に目を向けるのが天命だと述べている。若くて希望に胸を膨らませている時には何でもできるような気がして総理大臣になるというような大きな志を立てるが社会の荒波にもまれて酸いも甘いも経験して自分にできることと出来ないことが見えてきて、出来ることの中から自分はこの道で貢献していこうと決意することが天命を知るなので、渋沢が活動の場を実業界と決めたのは孔子のいう志ではなくて天命の方だったと述べている。渋沢は「強く繁栄した国」を作ることを生涯の志としていてそのためにはあらゆる努力を惜しまず努力して成果を上げており、運にも恵まれた偉大な人物だったのだなと思った。
2021.04.17
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ボタン日医ニュース「南から北から」のコーナーに秋田県の小泉純一郎さんの「小泉純一郎で得をしたこと」という文章が掲載されていた。その名前のおかげで弔電を出せば有名人の最後に自分の名前が呼ばれたり、贈答品売り場で送り主の名前を書くと受付嬢の殆どが「立派な名前ですこと」と言ってくれるし名刺交換すると決まって相手はにこっと笑ったり敬意を表してくれるとのことで有名人と同姓同名でいい思いをしたきたという内容であった。同姓同名は必ず何処かにいる。小泉純一郎の同姓同名者は何十人といるのではないかと思う。私の名前もインターネットで検索すると何人も同姓同名の人がでてくる。上記小泉純一郎さんは有名人と同じ名前で鼻高々だったとのことだが、悪事を働いた人と同姓同名だとやりきれない気持ちになるだろう。親が子供に名前を付けるときはよきにつけ悪きにつけ他に同じ名前の人がいたら嫌な思いをするかも知れないのでなるべくそうならないように考えるが実際には同姓同名の人がいない人は一人もいないのではないかと思う。問題は上記の小泉さんのように「いい気分だった」のならいいが殺人や詐欺などの犯罪者と同じ名前なら救われない。何処かにいる同姓同名の人を傷つけたり嫌な思いをさせないように自分の名前に誇りをもって真っ当な生活をすることが同姓同名者に対する礼儀だと思う。新聞やテレビで同姓同名者の犯罪が報道されるのは辛い。自分も極力他の同制同命者に迷惑をかけないように生活を正していかなければと思った。
2021.04.16
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アネモネある書物で人間が幸福か否かは報恩感謝出来ているか否かによると書かれていた。つまり人や天に感謝しその恩に報いていく生き方が出来ているか否かが要であるとのことだった。感謝は一般には人から親切にされたり願い事が満たされた時に感ずる感情だが願い事が満たされることは少ない。コロナの収束を熱心に願ってきた人は多いと思う。戦争や虐殺の無い世の中を毎日朝夕願っている人達もいる。しかし現実にはコロナは今も猛威を振るっており戦争や虐殺についてはミヤンマーでは軍事政府によって市民が何人も殺されており、願いは叶っていない。個人的にも様々な願いをかけて祈っている人達もいるがその願いが叶うことは少ない。そのような現実はあるが兎に角人や神に感謝してその恩に報いていきなさいと言うのであろうか?視野をもっと広げてみた。コロナに対しては驚異的な速さで90%以上の有効率のワクチンが完成して願いがかなったではないかという見方もある。しかし世界の平和と一切衆生の幸福実現に対する願いはあまり叶えてもらっていないように思える。個人的な願いも必死で願ってもその願いは叶わず、それでも感謝していきなさいというのであろうか。報恩感謝とは父母や恩師などに対する感謝は具体的で分かるが神や天に対する報恩感謝は願いを叶えてもらってそれに感謝すると言うのとは少し違うのではなかろうかと思えた。この壮大な宇宙の大地に生を受けたことに対する感謝の気持ちを持つかもたないかではなかろうか。祈りでミヤンマー等の混乱が収まれば祈りの効果ははっきりするが現実はそうはなっていかない。それは世の中のために祈っている自分が変革浄化されて幸せが感じられるということかもしれない。それらを勘案すると報恩感謝の意味はこの世に生を受けたことに感謝し、両親や恩師、社会でお世話になった同僚知人に感謝し、自分を高めてくれた神に感謝し、世のために貢献していくことではなかろうかと思えた。
2021.04.15
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トキワマガリバナ世の中に不満を持ったり可哀そうな人々の命を救ってやりたいと思っても多勢に無勢でどうしょうもないと思って世を過ごしてきた人達が圧倒的に多いと思う。今朝、英雄たちの選択「渋沢栄一」の再放送を観た。栄一は21歳の時農家の倅なのに農閑期に江戸に出て剣術修行などをしながら仲間たちからの影響で尊王攘夷思想に凝り固まり、24歳頃には尾高惇忠、渋沢喜作らと60人位の仲間を集めてまず高崎城を襲って武器を調達して、横浜に進軍し外国人居住地を焼き払いその勢いで長州軍と連携して幕府を倒す計画を立てて、当に高崎城に突撃しようとしていた前夜(正確にはその前の夜か数日前かは不明だが当に突撃しようとしていた時)従兄弟の尾高長七郎も仲間に入れようと誘った時長七郎は猛然と反対した。「恐らく横浜にたどり着く前に高崎城で全員撃ち殺されるだろう、撃ち殺されなくても全員捉えられて打ち首になるだろう。止めた方が良い」しかし頭に血が上っている栄一達が聴くわけがない。自分体の後ろには沢山の同志達もいる、今更止めるわけにはいかない。しかし長七郎は必死だった。栄一始め何十人と言う若者たちをむざむざ死なせたくない。夜中じゅう口論は続きお互い殺し合いをする寸前までになった。しかし長七郎は自分の命はなくなってもいいから何んとしても栄一達を救いたい一念で多勢に対して一人で一歩も引かなかった。そしてとうとう根負けした栄一達が高崎城襲撃を諦めたのである。長七郎がいなかったなら栄一は死んでいただろうし明治以後の活躍はなかった。人の運命は分からないものである。その後栄一と喜作は謀反準備罪で捕らえられるのを恐れて京都に逃れたところで江戸にいた時に交流があった一橋家の家臣平岡円四郎に呼ばれて一橋家の家臣にならないかと言われた。栄一は悩みに悩んだ末に「自分達の命や別件の殺人事件で捕らえられている長七郎を救うことにもなるかもしれない」と思って自分達が倒そうとしてきた幕府側の一橋慶喜の家臣になることにして命がなくなるどころかその後の大活躍につながっていくのである。本人の努力もさることながら運がなければこんな人生は歩めなかったとしみじみ思った。
2021.04.14
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ローダンセマム・アメリカンアイズ渋沢栄一は1840年(天保11年)に埼玉県深谷市血洗島生まれて1931年(昭和6年)に91歳でなくなった経済、教育、福祉など多方面で活躍した偉大な人物である。銀行や大学、福祉施設など数えきれない位の公共事業施設を設立し大正5年には自分の考えをまとめた「論語と算盤」を出版している。渋沢は農家の長男として生まれたが江戸に出て武士になり徳川慶喜の家臣になり、フランス万博の見学とヨーロッパの資本主義経済や産業構造を学んできて明治政府発足と同時に日本の産業の基礎を築き発展させてきた人と言われている。「論語と算盤」は道徳と経済は合一すべきものだと説いており、合本主義を述べたものである。経済は国全体を豊かにするために行われ、そこから得られた富は全体で共有するもので社会に還元されなければならない。公益追及の目的達成のためにそれに相応しい人材と資本を集め事業を行っていくべきである。その考えのもとで想像もできない位の多くの事業で成功を収めてきた。彼が作った銀行や会社、教育機関、などの基本理念はそこにあった。しかし最近のテレビのコマーシャルなどを見ていると自分の会社の製品さえ売れればいい。他はどうでもよい。売れて収益が上がったらそれを公益のためにどのように使うというメッセージもない。ましてや、例えば髪の毛が生えてくると宣伝して巨万の富を得ている事業者もいる。もしそれが本当なら薄毛で悩んでいる人たちを救い人々を幸せにして公益に役立っていると言えるが実際はそうではなく、消費者をだまして暴利をむさぼっている人達もいるのである。経済活動とは人々の生活を豊かにして幸せを提供すると同時に利益は公共に役立つように使われていくべきものだと思う。経済活動を行うものは渋沢の経済活動の理念をもう一度よく考えて、公益のために事業を発展させてもらいたいと望むものである。
2021.04.12
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スパラキシス(スイセンアヤメ)私は7-8年前からフィリッピン女性に英会話を習っている。習っていると言っても月に1-2回日曜日に自由会話をするだけだが4月からは彼女の長男が中学に進学し、小学校の時からサッカークラブに入って練習しており土日には母親が送って行って一緒に見学してくるが中学に入ったら殆ど全ての土日は練習日なので英会話レッスンの時間を取るのは大変そうなので本日をもって英会話レッスンを止めることにしますと言うつもりだったがリモートレッスンで夜9時からならOKということで月に1-2回水曜日の午後9時からリモートで英会話を続けることにした。そこでの話題で感銘を受けたことを紹介させて頂く。彼らは夫婦で英会話の教師をしておりそれで生計を立てている。子供は上記中学に進学した長男以下妹2人の合計3人、荒川の土手にうろうろしていた子猫を半年くらい前に拾ってきて飼っている。私はそれだけだと思ったら犬も飼っていたとのことだ。キャッツフードにドックフードとそれだけでも家計に響く。しかし問題はさらにあり犬は歩けないとのことだ。同じアジヤ系のインドネシア人が子供が産まれるので一旦国に帰るとのことで3年前に犬を託された。その時は歩けたが1年半くらい前から歩けなくなってしまったとのことである。私の息子が飼っていたトイプードルが前足の所に癌が出来て歩けなくなったのでそういうこともあってはいけないので獣医さんに診せたのかと聞いたら癌はないという。いずれにしても歩けないので大小便は鳴き声で教えてくれるので彼らが処置してやり体を抱きかかえて洗ってやる。散歩は小さな車いすに載せて定期的にしてやっているとのことだった。身体を洗ってやるのを嫌なのか噛みつくことがあり、あちこち咬傷があり見せてくれた。一生懸命世話してやっているのに咬みつくとはなにごとか!、下の世話などもあるからおちおち外出もできない。保健所に言って処分してもらったらと思ったが口には出さなかった。長く飼ってくると可愛いのだと思う。処分など考えたこともないと思う。手のかかる犬だが良く面倒見ている夫婦がいるのに感心して紹介させて頂いた。
2021.04.11
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ツリガネソウ今朝「おしん」に関する話題の再放送があった。脚本家橋田壽賀子さんが「おしん」の構想を各放送局にもちかけたが何処も相手にしてくれなかった。当時高度経済成長期で人々は金持ち気分に溢れておりそんな貧乏たらしい暗いドラマを観る人はいないと端から全部断られた。それでも3年間粘りやっとNHKで採用してもらい日の目を見ることになった。蓋を開けてみたら出演者の熱演もあって驚異の視聴率で関係者はびっくりしてしまった。日本だけでなく外国でも視聴率が高く、特にイランでは90%以上の視聴率で放映の時間になると通りには誰もいないという現象が起こっていたとのことである。当時イランはイラクとの戦争で疲弊し生活が苦しかった。特に女性は虐げられておりおしんは当に自分達と同じだと思って応援し励まされていたとのことだ。あんな苦労をしていたおしんが大人になるにつれて魚屋などの商売をして自立成功していく姿に励まされたイラン人は多く、日本に働きに来たり永住したイラン人も多かった。日本に住んでいるイラン人のインタビューもあったがおしんの影響は計り知れないと述べていた。「どんなに貧乏で辛くても目的をもって頑張れば必ず幸せになれる」という確信が出来たとのことである。小林綾子や泉ピン子の話等もあってあまりにも感動して涙を拭いたちり紙がテーブルの上に山と積まれてしまった。
2021.04.10
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ダッチアイリス眞子様との婚約発表直後小室さんの母親の元婚約者から400万円貸してあるのに返してもらっていないと言いがかりをつけられ親子共々大変つらい思いをしてきました。この度小室さんが母親の元婚約者との話し合いの経緯を公表しましたがもっと早く公表すればよかったと思いました。小室さん親子は一時はお世話になったことのある方なので相手のプライバシーを尊重しながらもなぜ週刊誌に借金があるような事を言ったのか真意が知りたくて代理人を通じて話し合いをしてきました。「400万貸したというのはいつどのような形で貸して頂いたのか」質問しましたら小室さんの入学金とか授業料だと言ってきましたが入学金は自分のお金で授業料は奨学金で出しており借りていませんでした。世間では何故400万位払えないのかと非難されましたが400万返せばやっぱり借金があったということになってしまうので小室さん側は自ら及び眞子様の名誉のためにもそれは出来ないと思いました。話し合いの上でそれは借金でなく、慰謝料もしくは感謝の気持ちということで支払ってくれるべきだということなら考えるがその話し合いに応じてもらえず400万は支払えませんでした。そのことで「借金も返さないひどい親子だ」と週刊誌や社会からたたかれ眞子様との結婚などとんでもないと国民が思うようになりました。この金銭問題をきっかけに小室家の内情もあることないこと週刊誌で報じられどんなに辛い思いをしてきたか想像も出来ません。どちらが原因で破談になったのか分かりませんが元婚約者は小室さんの母親に相当の恨みを持っているのだと思います。金銭問題よりも恨みを晴らすのが元婚約者の魂胆だったのだと思います。週刊誌を巻き込んで小室さん親子に対する激しいバッシングが続きました。じっと耐えて反撃に出れなかったのはかってお世話になったことがある人ということと皇室の子女と婚約しているという問題がありました。しかし今回は話し合いをした上でその結果を公表することに応じてもらえず勇気を出して事実関係を公にしました。週刊誌を使って自分達親子を誹謗中傷し続けて塗炭の苦しみを与えられてきた相手は憎んでも憎み切れない相手ですが我慢に我慢を重ねてきた姿勢、真実を言って相手の人間性を暴いてやろうとするのでなく、あくまで真実だけを伝えたいという姿勢は小室さんの人柄が出ていると思いました。素晴らしい人だと思います。眞子様の旦那さんに相応しい人だと思います。様々な妨害に負けずに意志を貫いて小室さん眞子様は幸せな家庭を築いて頂きたいと心より願っております。
2021.04.09
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芝桜その時は様々な病態が考えられるが脳卒中の可能性があるのでかかりつけ医よりもまず119番に電話するのがよいと脳卒中の発症時対応について日本医大教授の木村和美さんが日本医師会雑誌4月号に分かりやすく解説しているので紹介する。この10年で脳卒中急性期治療の進歩は目覚ましく30分で診断が可能になり、血栓溶解薬(アルテブラーゼ)の静注と血栓回収療法の登場で今迄は死亡していたか植物人間になるような人が歩いて退院するなど脳梗塞は治せる時代に変貌した。血栓溶解静注法のポイントは発症直後ほど血栓が溶けやすいので発症後出来るだけ早く投与することが重要である。発症後4.5時間以内なら有効と言われている。しかし内頚動脈や中大脳動脈などの太い血管が詰まった場合にはカテーテルを入れて血栓回収療法を加えることにより著明な改善が得られることが明らかになっている。この血栓回収療法は発症後24時間(1昼夜)以内なら有効と言われている。いずれにしても早ければ早いほど良いので最初に書いた119番に速やかに電話してもらいたいとのことである。119番の電話を貰った救急隊は現場に着いたら直ちに患者が脳卒中かそうでないかの鑑別が必要で脳卒中なら脳出血か脳梗塞かの鑑別が求められる。血圧が高く、意識障害があり心房細動がない場合の多くは脳出血である。それ以外は脳梗塞の可能性があり、1)目がどちらかに偏移していないか2)時計を見せて時計といえるか、3)指4本を見せて何本か聞いて、このうち一つでも異常があれば太い血管の閉塞が疑われ血栓回収療法可能病院に搬送する。東京都では昨年4月1日から救急隊がパソコン(タブレット)を持っていてリアルタイムで血栓回収療法が可能な病院を明示してくれる世界に類のない素晴らしいシステムを導入して一刻も早く搬送できるようにしているとのことである。東京都以外では各県の大学病院とか主幹病院なら大体それを行っているとのことだ。昨年10月「循環器病対策推進基本計画」が閣議決定され、各都道府県でどのように運用していくか討議されている。木村さんは最後に「血栓溶解療法や血栓回収療法を受けられる患者はまだ少ないのが現状である。この法律が生きた法律になり、一人でも多くの患者が救われる国になることを願う」と述べていた。国、医療者、救急隊、地方自治体、国民が一体となることによって国民の健康は決まるのだなと改めて思った。
2021.04.09
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ツルニチニチソウ昨日の新聞に山口東京理科大学薬学部教授の井上幸江さんの遺伝子に関する論説が掲載されていた。人類が地上に誕生して約700万年、その間様々な環境の変化に対応して生き延びてきたがその生き抜く力は生命の設計図である遺伝子に刻まれ、それが順次、次の世代に受け継がれてきた。私達の体は約37兆個の細胞から成り立っており、その一つ一つの細胞の中心にある核に遺伝子が入っている。遺伝子は私達の体を形作り、いかに機能するかの情報をもっており、これを設計図として私達の体はスタートしてきた。しかしその遺伝子はDNAという二重らせん構造物の一部であり、1.5%ほどを占めているが一人の人間の個別化はDNAによってなされている。白人がいたり黒人がいたり頭の良い人や悪事を働くような人がいても全ての人のDNAは99.9%は同じとのことである。それなのになぜ足の速い人、遅い人、病気に罹りやすい人、罹りずらい人などの違いが生ずるのであろうか?それはDNAに遺伝子に働きかけるスイッチのようなものがあり、スイッチのオン、オフにより遺伝子の働きが変るかららしい。例えば食べても太らない人は脂肪を燃焼するスイッチがオンになっており、病気に罹らない人は免疫を高めるスイッチがオンになっているということである。多くの場合このスイッチは常にオンではなくむしろオフになっていて必要に応じてオンになり、それによって様々な種類のタンパク質が作られ体内で多彩な働きをすることになる。スイッチのオン、オフに関わっているのは様々なストレスである。温度の変化や紫外線と言う物理的ストレス、置かれた環境に酸素や水分があるかといった化学的ストレス、細菌やウイルスなどの侵入によって引き起こされる生物的ストレス、さらに精神的緊張によるストレスなども考えられている。私達の生命はこうしたストレスを敏感に感じ取り遺伝子スイッチを切り替える。例えばあるウイルスが侵入してきたら体温調節のスイッチがオンになり、ウイルスが増殖できない温度に発熱して感染、拡大を抑えてくれる。このように私たちの生命は必要に応じてスイッチをオンにして私たちの体を一番いい方向に持って行こうとしてくれる。自分の運命は親から受け継いだ遺伝子によってほぼ決められてしまうと思っている人がいるかもしれないが運命は最初から決められたものではなく、スイッチのオン・オフによって決められるのである。このオン・オフを決めるのは私達の行動にかかっている。適度な運動、睡眠、食事などバランスの良い生活習慣によってスイッチも適度に保たれると考えらえている。心と体は密接な関係にあり、精神的に弱っていると病気に罹りやすくなり、心が喜びで満たされていると体も元気になることが多い。ハーバード大学の研究で祈りと言う行為によって2000以上の遺伝子スイッチが働くという発表があり、宗教的行動によっても遺伝子スイッチのオン・オフが起こることが示唆されている。井上さんは青春時代に「何のために生まれてきたのか」で悩み、ある宗教に縁することによって「いかなる苦しみがあっても前を向き、目の前の一人のために心を砕くために生まれてきたのだ」との回答を得たという。人間は遺伝子レベルで99.9%同じであり全ての人に差別なく豊かな可能性がある。時には気分が落ち込み自信が持てない時もあるかもしれないが、どこかの遺伝子スイッチが適切に調節できれば誰しもが生き生きと輝くことが出来るはずと述べていた。親からの遺伝で自分はこれだけの人間でこれ以上伸びることは出来ないと落ち込み悩んでいる人がいたなら勇気を与えてくれる論説だと思った。
2021.04.07
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庭にある小さな畑のエンドウの花ウイルス感染症は感染する動物は特異的でサルに感染するウイルスは人には感染しないとかコウモリに感染するものは人には感染しないと言われてきた。新型コロナウイルスはコウモリに感染しているウイルスに酷似しており、コウモリはそのウイルスに感染していてもなんら病気にはならず共存している。そのコウモリ感染ウイルスに何らかの操作が加えられて人間に感染するようになったウイルスが新型コロナウイルスと言われている。その現在人間が感染している新型コロナウイルスは他の動物には感染しないし発病させることはないと思われてきた。所がこの度、東大医科学研究所の今井正樹さんと河岡義裕さんがサーズ(SARS)ウイルスがハムスターで感染成立した先行研究(Robert Aらの研究2006年)にヒントを得てサーズウイルスと極めてよく似ている新型コロナウイルスをハムスターの鼻腔内に接種してみた。接種したハムスターと対照群を比較したところ接種した群は体重減少し、肺のCT検査では人間のコロナ肺炎と同じ肺炎所見を示した。この感染ハムスターが回復した後再感染を試みたが対照群では感染したが一度感染して回復した群ではどのハムスターからもウイルスは検出されず、一度本病に罹ると抗体が出来て再感染しないことが分かった。またコロナに感染したハムスターに回復したハムスターから採血して作成した回復血清を投与したところ肺のウイルス量は対照群に比べて著明に少なかった。このことは回復血清が治療薬として使えることが示唆された。以上より人間に感染している新型コロナウイルスを感染させることができる動物が見つかったのである。有力な感染モデルを見つけ出したことで今後の新型コロナ予防や治療薬研究が一気に進む期待がもたれている。
2021.04.06
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庭の片隅の野菜畑のネギの花今朝の地方紙の一面トップに「今年度新規採用しない会社が3割超」という見出がでていた。帝国データバンク甲府支店の調査で山梨県内企業の新規採用状況の調査内容だった。正社員採用ゼロの会社が32%あり、非正社員採用ゼロの会社が43%とのことだった。高卒、大卒等の就職率はかなり高いと思われるが一般企業の採用率の観点から見るとこのような状況とのことだった。例年もほぼこの数字に近いが今年はコロナの影響で採用率が特に低かったとのことである。数日前のブログでアルバイト先を探している70歳の男性の話を書いた。県産観光土産物会社に勤めていたが昨年3月コロナでお客さんが来なくなり勤めていた従業員は全て店が再開できたら再雇用の約束で一旦解雇になってしまった。そして再開、再雇用を待っていたが1年以上経ったが、再開できる機運が見られず新たな職探しを始めたのだという。色々アプローチしてみたが60歳台ならOKだが70歳だと駄目だと言われたケースが何件かあった。掃除でも運転でも何でも役立つことならやりますと言ってきたが、ある所で「掃除となるとトイレの掃除もお願いすることになるが女性トイレは女性の方が良いので男性となるとどうも」と言われたとの事である。私が病院に勤めているので病院の掃除係などどうかなと聞かれたので多分採用してもらえるのではないかと思い事務長に話したが看護助手の仕事なら足りないので募集しているが他は皆足りているとのことで結局ご希望に添えなかった。70歳と言えばもう隠居の身で悠々と暮らしている人が多いのになぜ今になって職探しを始めたのか詳しい話は聞かなかったが、恐らくコロナ以前は毎日職場で働いていて充実感があったが仕事のない状況が1年も続いたらやりきれなくなったのだと思う。この方は70歳だが、もっと若い方でも同じような境遇、同じような気持を味わっている人も多いのではないかと思う。働きたいと思っても職を得るのはいかに難しいかを痛感した。医師とか看護師とか弁護士とかの国家資格か左官などの技術職を持っていると年齢に関わらず雇用の機会は多いが、そうでないとその機会は極めて少ないのだなと思った。元よりアルバイトしなければ生活できないわけではないので、仕事でなく趣味を見つけてそれに打ち込むことで充実感を感ずるように気持ちをならしていくのがよいのかなと思った。
2021.04.05
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白い木蓮は散ってしまったが昨日から咲き始めた紫木蓮今甲府では開府500年が祝われている。武田信玄の生誕500年にもあたり各種式典が予定されていたがコロナで延期になったり中止になったりしている。しかし傑出した武将だった武田信玄は戦が強かっただけでなく領民にも慕われていたとのことなので人物像を眺めてみたいと思う。元よりこの世に完全な人物などがいるわけがなく、欠点もあったと思うが主な業績を見ながら論じてみたいと思う。500年前と言えばつい最近のように思われ先祖をだどって行けばすぐそこにいるような人物であるが時代が異なり当時は合戦が繰り返されていた時代で合戦に強いことが領主の第一条件であった。当時の領主は皆堅牢な城を築城していたが信玄は「人は石垣、人は城」と石垣や城などよりも人間つまり兵士や領民の心が堅牢なのが一番強いと考えていた。武田24将は適材適所に配置した24人の武将でその強さはずば抜けており近隣に鳴り響いていたが、信玄の人を見る目と育て方が優れていたことがうかがわれる。政治でも様々な施策をしており釜無川の氾濫で農地が流されるのを防ぐために信玄堤という堤防を作って領民を守り農産物の収穫量を数倍にしている。戦術的にも優れており、当時信玄と並び称された名将上杉謙信とは川中島で押しつ押されつの名勝負を繰り返したが駿河の今川や三河の徳川家康などは簡単に打ち破り三方ヶ原の戦いでは家康は完膚なきまで打ち負かされほうほうの体で逃げ帰った。西方作戦で京に上り信長を打ち負かして天下掌握するつもりであったがその途中で病に倒れ(胃がんと言われている)53歳の生涯を閉じた。信玄が生きていたらといつも思うが運、不運とか時代の流れなどもありどうなったか分からない。しかし信長を打ち負かした可能性は十分あり天下統一して信長よりも、秀吉よりも善政を行った可能性があり、残念でならない。しかし歴史は信長ー秀吉ー家康と続いて家康は太平の世を築いた。当時は群雄割拠の武将たちが天下をとろうと戦闘を繰り広げてきたが、今は戦争でなくて知力で天下を取ろうと何人かが総理大臣の座を狙っているが謙信、信玄、信長、秀吉、家康級の人はいない。信玄生誕500年に当たり大きな志を持って日本国、世界をリードしていく大将の出現を望むものである。
2021.04.04
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パンジー(すみれ)の鉢植え作家の小池真理子さんが今朝の新聞に「老年期と思春期に違いはない」という一文を載せていた。そう感じたのは小池さんの夫、藤田宣永さんが昨年69歳で亡くなったが、そのことで夫の高校時代からの友人Aさんに電話して話をしてからだという。Aさんはとりたてて趣味もない仕事人間だったが総じて良い人生だったと考えこのまま穏やかに暮らしていくつもりだった。しかし思いがけず高校時代から親しくしてきた友を亡くした。その直後コロナ騒動で社会は不安に駆られている。Aさんにとって藤田の死はあまりに大きくそれから全てが変わってしまったとのことである。小池さんは人は老いるにしたがって色々な事が楽になっていき、のどかな春の日の午後公園のベンチに座り、ぼんやりと遠くを眺めている老人は皆、人生を超越し、達観しているのだろうと信じていたとのことだ。しかしAさんの悲しみ様をみるとそれはとんでもない誤解だと思った。老年期と思春期には違いはないのだ。生命の輝きも不安も希望も絶望も、研ぎ澄まされて止まない感覚を持て余しながら生きる人々にとっては同じである。老年期の落ち着きは多分殆どの場合見せかけに過ぎず、たいていの人は心の中で思春期だった時と変わらぬどうにもしがたい感受性と日々戦って生きているのではないかと思うようになったとのことである。生理学の立場からは筋肉力や視力、聴力、調整力など全て年齢と共に衰えていく。判断力や感情なども年齢と共に衰えて脳細胞の再生はないと言われていた。しかし近年、脳細胞は再生や新生があるとの報告がなされた。脳を使い続けることによってその周囲の脳領域の細胞は活性化されたり新生したりするというのだ。小池さんの文章では神経細胞の働きの結果である感情は老年期と思春期で違いがないのではないかとコメントしている。一部の神経細胞で再生があったとしても年齢と共に億単位の神経細胞が消滅しており、衰えていくのは自然の理だと思う。今回のケースではAさんは藤田さんの死に対して青年のような反応をしたが大半の老人はボーと受け止めたのではないかと思う。神経細胞は歳と共に年々消滅して減じていくがそれでも思春期と同じ感情が働くことがある。そのような感情は大事にして若さの証明と考えて日々溌溂と生きていくのが良いと考える。
2021.04.03
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ムスカリ脳卒中には大きく分けて脳出血、くも膜下出血、脳梗塞がありますが、今回は脳出血について説明します。今脳出血の71歳の男性を受け持っています。交通事故で頭部打撲して脳挫傷挫後の経過観察中に脳出血を起こし、救急病院で手当てを受けた後リハビリ目的で当院に転院してきました。転院時は食事が食べられないので鼻から管を入れて栄養しており、動くこともしゃべることも出来ない状態でした。重症で回復は極めて困難と思われました。しかしリハビリしながら時間の経過と共にまず最初に口から食べられるようになり、次に何とか喋れるようになり今は歩行練習をするまでに回復してきました。本を読むのを好きで私が回診の度に何らかの本を読んでおり、昨夜当直だったので夜回診してみたら他の患者さんは皆寝ていたのに本を読んでおり並外れた読書量に驚嘆しています。今朝テレビを観ていたら3年前脳出血で倒れた加山雄三さん(83歳)が芸能活動を再開したと報じていました。脳梗塞は太い血管が詰まることが多く、麻痺はそのまま改善せず大きな障害がずっと続くことが多いですが脳出血例では上記2例のようにリハビリで殆ど元通りまで改善する例が多いと感じています。加山雄三さんについては詳しいことは分かりませんが私が診ている症例は被殻出血でした。脳出血は脳内の0.2mm以下の細い血管が破れて出血する病気ですが出血部位によって視床出血、被殻出血、尾状核出血、内包部出血、脳幹部出血、橋出血、小脳出血などに分類されますが二つ以上の部位が出血することもあります。最も多いのが視床と被殻出血だと思います。治療は出血当座は止血剤などを使いますがその後は血圧管理とリハビリになります。予防は血圧が上がって出血することが多いので血圧を上げないようにすることが必要です。また動脈硬化を予防するために野菜や果物を積極的に食べることも重要です。急激な興奮やストレスで血圧が上がって血管が破れることもあるのでカッカとしない平穏な気持ちで生活する心構えも必要だと思います。日頃から規律正しい生活と適度の運動も必要だと思います。脳出血を起こしてしまったら上記2例のように随分良くなる症例もあるので諦めずに気長にリハビリすることが必要だと思います。
2021.04.02
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源平しだれ桃 1本の木にピンクと白の花が咲いている以前の病院では毎月当直して偶に日曜当直もしていた。救急病院なので頻繁にコールされ殆ど寝れないので翌日はかなり眠かった。昨年7月こちらの病院に移ってきてからは午後は3時半頃帰してもらうし、当直もしなくて良いとのことで楽だった。しかし少し慣れたところで本日4月からは4時過ぎまで病院にいることになり本日当直予定の人が都合悪くなり代わりに私が当直することになった。以前は洗面用具一式や着替えなど常備しておいたが今回は臨時なので準備も大変だった。当院はリハビリ病院なのでそれほどコールされないと思うが、病院なので急変する患者さんもいると思われ緊張している。家にいる時と比べてみた。家では今はめっきり酒が飲めなくなり晩酌に少量飲むだけだが食後は本を読んでいても眠くなりあまり建設的な時間を過ごしていない。当直している今は食後だが眠くならずにきちんとしており本を読んでも頭に入る。妻はおろおろして着替えや洗面具を準備しておやつを二つも入れてくれて当直はかなり大変なことをしていると思っているのではないかと思うが、これからのコールのされかたにもよるが今の所は自分的には家にいてぐでぐでしているよりはこちらの方がずっと充実した感じである。妻は「今回だけですよ、次は何があっても絶対引き受けてはだめですよ」と言っているが自分的にはこちらの生活の方が充実感がある。妻には悪いがまた引き受けてしまうかも知れない。
2021.04.01
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