全27件 (27件中 1-27件目)
1
ピンクに白が混じったチュウリップと根元の黄色いチューリップの蕾ずっしりと重い荷物が送られてきた。何だろうと思って開けてみたら「北大医学部100周年記念誌」だった。今は大きな情報は殆どオンライン化の傾向にあり、こんな500ページもある重いものは時代遅れで保管にも困ると思ったがパラパラと拾い読みして見たらやはりこういう物も必要かなと思えた。北大医学部の創設は1919年(大正8年)で北海道帝国大学として農学部と医学部の二つが1875設置されて開校した。農学部は1872年(明治5年)アメリカから招聘した開拓顧問ケプロンの指導で東京 芝増上寺に北海道開拓に従事する人材の育成を目指して開拓使仮学校が設立されたがこれが母体になっている。仮学校の初年度生徒数は120名で女学校(50名)も併設された。この仮学校は1875年(明治8年)に札幌に移転して札幌農学校と改められれ、1876年(明治9年)にアメリカからクラーク博士を教頭として迎え(7月31日着任)24名が札幌農学校第一期生としてスタートした。クラークの教育方針は独立心、自己責任感の強い学生を養成すべく、生徒を規則によって縛るのではなく、聖書を与え徳の教育を行った。校長の黒田清隆と校則について検討した際「細かな校則は不要、Be a gentleman !に尽きる」と言ったとのことである。クラークは9か月滞在し翌年4月に任期を終えて帰国したが帰国に際しBoys be ambitious!!と言ったことは有名である。クラークの教えで独自の校風が育ち卒業生には新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾など新生日本の精神的支柱になるような人材が輩出した。その伝統は農学部だけでなく医学部にも引き継がれて現在に至っている。大判の500ページもの分厚い本の中に最初は小さな集団だった医学部が次第に大きくなり多方面に分化発展してきた様子が詳しく書かれていた。衛生学教室の歴史と現在の項では初代から第6代教授までの経過が掲載されており、第6代教授はコロナの感染予測などでテレビによく出ている西浦博教授(昨年京大教授に転身)だった。西浦教授は宮崎医大出身だが平成28年4月に北大教授になり、数理モデルを利用した感染症の疫学研究に取り組んできて今度のコロナの感染予測などに積極的に発言している。このままの感染状態で行くと40万人死亡する可能性があるなどの数理モデルを示して大げさ過ぎるとバッシングを受けたりしているが、自分の信念を曲げない所はクラークの教育方針である独立心、自己責任感に通ずるものがあるように思う。今は全く目立たないが着実な研究や診療をしている同窓生は大勢いる。皆さんクラークの精神「フロンテア精神」「国際性の涵養」「人間性の向上」「技術の向上」を胸に大志をもって頑張って貰いたいと願っている。
2021.03.31
コメント(4)
ガーベラ今、朝ドラでおちょやんが放映されているが実在モデルの浪花千栄子さんと脚本との違いについて書いてみたいと思います。浪花さんは1907年生まれで1973年に消化管出血で66才で亡くなっています。養鶏業を営んでいた家に生まれ幼い時母親が亡くなり父親が再婚して継母とうまくいかず8才で奉公に出されますがここから現実とは違っています。ドラマでは奉公先は岡安という芝居茶屋でごりょうさんもその旦那も母親のお家さんも皆さん親切で子供の様に可愛がってくれます。しかし実際の奉公先は弁当屋さんで岡安とはま反対の職場で主人のお母さんが特に厳しく虐待に近い扱いを受けていたようです。お金を盗んだ疑いをかけられ折檻されてトイレで死のうとしたこともあります。奉公にに出る前から弟の世話などで学校には行っておらず奉公先で勉強しようにも場所がなくてトイレの中で勉強したそうです。その奉公先でのお金も父親に全部巻き上げられたみたいでひどい父親だったのは現実もドラマもあまり変わらなかったようです。その後作り酒屋などにも勤めたようです。18才で村田英子一座に入り芸能活動を始めたのはドラマと同じです。1930年(23才)に松竹家庭劇に加わり二代目渋谷天外(ドラマでは一平)と出会って結婚し天外と1948年松竹新喜劇の旗揚げをしますが、天外が新人女優と浮気して子供まで生まれたということで1951年(44才)に天外と離婚して松竹新喜劇も退団します。それまで天外をずっと支えてきたのに天外の行動に心が痛み退団後は消息が分からなくなってしまいました。しかし花菱アチャコさんが浪花さんと是非共演したいと探し回りやっと探し当ててNHKの「アチャコ青春手帳」と言う番組で共演して人気が出て、続いて「お父さんはお人よし」でも共演してそれが映画化もされて一躍有名女優になりその後、映画、テレビで活躍することになります。テレビドラマでは浪花さんの何歳頃まで描写してくれるのか分かりませんがドラマでは分からない浪花さんの壮絶な人生がありました。映画「大奥で」は徹底した虐め役の悪役を演じましたが自身が虐められたそのままの姿だったかもしれません。素晴らしい作品の数々を残しましたがそれは生まれついての即妙の演技力もさることながらそれまでの苦労の人生から学んだことも多かったと思います。ドラマではその苦闘をどの程度まで表現してくれるか楽しみです。
2021.03.30
コメント(4)
ヒマラヤユキノシタ昨日の新聞に「フレイル予防体操」という折り込み広告が入っていた。普通広告というのはお金をかけて印刷して新聞に折り込んでもらいかなりの金がかかるが商品を買ってもらえばそれ以上の儲けがある場合とか体操教室とか手芸教室等の案内で入学してもらえば授業料が取れるなど儲けを想定して広告を入れるものだがこの広告は違っていた。商品の宣伝もなければ入学案内などもなく、ただ皆さんに健康になって頂きたいという趣旨の広告で奉仕だけの広告だった。広告主は山梨県理学療法士会だった。勧誘などは何もなく広告主には何の儲けもない珍しい広告だったが一般の方に少しは参考になるかもしれないと思いここに掲載した。フレイルとは簡単に言えば「加齢により心身が老い衰えた状態で何もしなけれなそのまま老化が進行してしまう状態」である。そのパンフレットによるとフレイルとは、筋力の低下、活動量の低下、体重減少、疲れやすい、歩行速度の低下の内3つ以上当てはまる人はフレイル状態で身体能力の低下と共に怪我リスクの上昇、免疫力の低下により病気に罹りやすくなると述べていた。それを予防するためにフレイル予防体操をしましょうと図入りで7つの体操を紹介していた。1)深呼吸 1,2,3,4と数えながらゆっくり吸って1,2,3,4とゆっくり吐いて5-8回繰り返す。2)ふくらはぎ伸ばし運動、右足を大きく後ろに下げて踵を床に付けて左ひざを曲げて右足のふくらはぎを伸ばす。45秒キープ。左足も同様に行う。3)スクワット運動、肩幅より少し広く足を広げてお尻を突き出すように膝を曲げて30-40秒キープしてゆっくり立ち上がる動作を5-8回行う。4)肩甲骨寄せ運動 胸を張りながら両肘を後ろの引く、15秒キープ2回5)肩甲骨伸ばし運動、腰を曲げて両肘を伸ばしたまま腕を前に伸ばす。15秒キープ2回6)肩回し運動、両手を肩の上に載せ両肘をゆっくり回す。前まわし8回、後ろ回し8回 7)その場歩き運動(つまづき防止運動)下におろした両方の手のひらに交互に膝をタッチさせながらその場歩きを行う。50歩~100歩、最初はゆっくりで次第に早歩きのリズムにする。人によってなんだ簡単ではないかと感ずる人もいれば大変な運動だと感ずる人もいると思うがこれでフレイルが予防できるなら一汗かこうではありませんか。スクワットは良く言われる健康体操ですがそのやり方が分からない人のために以下のURLを準備しました。コピーして検索欄に張り付けて再生してみてください。一人でも多くの方がフレイルから改善して元気になられるよう願っています。https://www.bing.com/videos/search?q=%e3%81%99%e3%81%8f%e3%82%8f&&view=detail&mid=BC12CA7E6C1793B69FACBC12CA7E6C1793B69FAC&&FORM=VRDGAR&ru=%2Fvideos%2Fsearch%3Fq%3D%25e3%2581%2599%25e3%2581%258f%25e3%2582%258f%26%26FORM%3DVDVVXX
2021.03.29
コメント(7)
日陰で栄養も足りなくてやや貧弱なフクジュソウ今日の新聞のReライフ欄に漫談家の綾小路きみまろさん(70歳)が紹介されていた。今では売れに売れているが最初はテレビ番組のオーディションには落選続き、同じ舞台に立っていた人が次々と売れていく。「寂しさと言うか悔しさというかその人達が出ているテレビを消してみたりした時があった」50歳をまじかに控えた頃、漫談を吹き込んだカセットテープを高速道路のサービスエリアで観光バスに配って回った。次第に評判が広がり噂を聞いたレコード会社から声がかかって02年9月にライブCDとテープを発売してくれて瞬く間に人気に火がついた。綾小路さんは「我々の世界は縁と運と努力と体力」と言っているが確かに縁や運がなければ成功できないかもしれないが、綾小路さんが成功した決定的要素は努力でありアイデアだと思う。高速のサービスエリアでカセットテープを配るというアイデアと努力がなかったら今の綾小路さんはなかったと思う。綾小路さんの記事を読み私なりに成功の秘訣を重要性の順番をつけて挙げるとアイデア、努力、運、縁、体力だと思った。これは芸人の成功要素だが一般の人にも当てはまるのではないかと思う。
2021.03.28
コメント(4)
本日午後の武田通りの桜今朝の新聞のフロントランナーは大阪の小さな本屋隆祥館の店主二村知子さん(61歳)だった。今や読書する人が減っている上にアマゾンや楽天で簡単に本が買える時代になり町から次々に本屋がなくなりこの20年間で半分になってしまった。そのような状況の中で隆祥館書店は売り場面積13坪の小さな書店なのにアマゾンや売り場面積1000坪以上の大型書店の向こうを張って日本でトップクラスの販売数を記録する本が何冊もある書店なのだ。それは何故か?本屋に来たお客さんに邪魔にならないように話しかけて本の良さを伝えて、よいと思った本を積極的に勧めてきたからである。二村さんは結婚して子供も生まれたが夫婦生活がうまく行かなくて30歳半ばで離婚して娘さんを連れて実家の本屋に帰ってきたが毎日死ぬことを考えていた。そんな時、星野富弘さんの「愛、深き淵より」を読み、事故で手足の自由が利かない星野さんが真摯に生と向き合っている姿に涙が止まらなくなり痛切に「生きなあかん」と思った。本に命を救われたのである。本やお客さんが少しずつ生きる自信を与えてくれて今があると述べている。お客さんから「お薦めの本は?」ときかれればお客さんの時間が許す限りお話して一冊でも多くいい本と出合って欲しいという気持ちでお薦めしているとのことだった。評判が評判を呼びいい本を推薦してもらいたいお客さんだけでなく、出版社やメディア関係者、作家の人達も訪ねて来てくれるようになったのである。2011年からは作家を招いて読者と語りあう会を始めてもう少しでその会は300回になるという。この小さな町の本屋が生き残り、繁盛しているのはただ本を飾っておくだけでなくお客さんの趣味や好みを聴いてお客さんの求める本を探してお勧めしているからである。斜陽の本屋業界の中でお客さんに喜んでもらいながら自らも繫栄している本屋さんがあることは他業界にも参考になるのではないかと思った。二村さんの原点は離婚して死のうかと思っていた時一冊の本と出会い命を救われたことだが、以来一人でも多くの人に良い本を薦めて幸せになって貰いたいと願い、お客さんと心からの会話を続けてきたことが成功に結び付いたのだと思う。今後も大いに語り合って繁栄してもらいたいと願う。
2021.03.27
コメント(6)
庭の白いチュウリップ(少し黄色が入っている)が咲き始めた。NHKの朝ドラ再放送の「澪つくし」が本日をもって終了した。千葉県銚子市の300年続いた醤油醸造の老舗入兆の11代当主坂東久兵衛の妾の子かおるは外川の漁師吉武惣吉と熱愛の末結婚するが結婚3年目に惣吉は海で遭難して行方不明になってしまう。死んだと思ってかおるは2年後入兆の番頭梅木健作と結婚して双子を授かる。所が惣吉は外国船に救助され記憶喪失でフイリッピンで暮らしており遭難4年後日本に帰り記憶が戻る。死んだと思った惣吉が帰ってきて梅木もかおるも苦しむ。かおるは惣吉に「今は梅木の妻です。諦めて下さい」という。惣吉はかおるの幸せを考え身を引く決心をして軍務で国外に去って行く。そして太平洋戦争に突入し梅木も召集を受けフィリッピンで戦死する。内地では銚子爆撃で久兵衛もその再婚妻(以前は妾だった)るいも死んでしまった。焼け野原で入兆再興を胸にかおるは戦地から帰ってきた久兵衛の長男英一郎と共に醬油生産の仕事に励んでいたが、そこに戦地から不死身とも思える惣吉が帰還した。梅木が助かり惣吉が戦死したなら悲しいことは悲しいがそれまでの梅木との幸せの生活を続けられるが反対になってしまってかおるは苦しむ。そして本日の最終回で惣吉は「10何年間ずっと待っていたが気持ちは変わっていない。結婚してくれないかと迫る」がかおるは「今は入兆を立て直すことが最も大事なことです。家を空けることは出来ません」と断る。しかし惣吉は自分の家族との話し合いで「決してあきらめない」といい家族も応援する雰囲気だった。かおる側も英一郎は再婚を勧めており、今後の進展の可能性を残した終了の仕方であった。これまでの朝ドラだと大体最終回は無理して終了させようとしてどたばたと終了させて不満が残る幕切れが多かった。このドラマも壮大なドラマだったが最終回はやはりドタバタ終了になるのではないかと懸念したが余韻を残した見事な終わり方だと思った。惣吉と結婚するとなると双子の子供達はどうなるのかとか様々な問題はあるがそれは視聴者の想像に任せてよいと思われた。人生でも華々しい人生を歩んできた人でもその終了があっけなくて割り切れない終わり方もあるが、それは何時人生が終わるのかが分からないからに他ならない。それでも余韻を残した終わり方もあるのではないかと考えてみた。家庭とか地域に貢献するような生き方をしていたら死んでもその気持ちは余韻として残るのかなとちらっと思った。
2021.03.27
コメント(6)
庭のツバキ 太神楽、花模様の変化はウィルスの感染によるものと言われている。今日の「澪つくし」では死の床にある坂東久兵衛の娘律子が看病してくれている妾腹のかおるに対して「あなたは少しも変わらないわね」という台詞があった。そう言われてみるとドラマとはいえ様々な逆境や女中のハマなどからのいじめに対して悲しむことはあっても捻じ曲がることはなく誠実一筋に生きてきた。ドラマでなく実際の人間ではどうだろうか?虐められたり、差別されたり、父親に勘当されたり、夫に死なれたり、最初に妊娠した子を流産したりしたら天を恨み、自分の不幸を嘆き、自分を不幸にした人を恨み人間が変ることが多い。立場が変って落ちぶれた坂東家の正統のお嬢さん律子に対しては哀れみの感情を抱くかもしれない。もちろん実人間でもかおるの様に心がぶれず誰に対しても常に誠意を尽くして生きている人もいるかもしれないが、一般的には不親切にされたら「なにお!」と思い、自分が高い立場になったら昔威張っていた人をさげすんで哀れむようになることが多い。かおるにはそれが一切なく変わらぬ気持ちで人に接し困難に挑戦してきた。「事実は小説よりも奇なり」と言われるように現実には小説以上に凄い人がいたり凄いことが行われることもあるが、人の生き方は小説化されなければよく見えないことが多いので小説を見習ったりしながら私たちは生きているのかもしれない。かおるの生き方を見習って自分の生き方や日々の生活を見直さなくてはと思った。
2021.03.26
コメント(6)
庭の芝桜今「澪つくし」の再放送は大詰めで今週は1日2回分を放送して今月一杯で終わることになっている。昨日今日の放送分では銚子大空襲でかおるの両親坂東久兵衛もるいも犠牲になってしまった。最初焼夷弾を落として家を焼き明るくなったところで一斉砲撃を行い容赦なく人々を殺していた。日本各地で同じような爆撃を受け、甲府も空襲を受けた。子供の頃の記憶で唯一残っているのは防空壕から出て東の空を見たら真っ赤に燃えている光景だった。戦争というものは恐ろしいものである。人間の良心を麻痺させ爆弾を落として敵国民を焼き殺すのである。もし日本が逆の立場だったら戦争の名のもとに同じようなことをしたかもしれない。両国間で解決が難しい問題が生じても辛抱強く話し合い武力衝突は絶対してはならない。武力衝突を決めるのは上層部だが犠牲者は一般人民である。人民が苦しみながら死んでいく姿を想像して欲しい。仏教国ミヤンマーは今軍部がクーデターを起こしデモをしている民衆に銃を向けて多くの犠牲者が出ている。仏教の教えを思い出してもらいたい。何があっても民衆を殺してはならない。ミヤンマーはもとビルマといって「ビルマの竪琴」などで日本とも関係の深い国である。人間の良心に帰り、軍政を解き平和的解決を望むものである。内戦にしろ対外戦にしろ戦争は絶対起こしてはならない。
2021.03.25
コメント(6)
本日の家の近くの武田通りの桜世の中は今もコロナの恐怖に晒されているが、自然は季節に沿って粛々と推移している。気が付いてみたら甲府も桜が満開になっていた。病院に入院している患者さんが家族との面会が出来ない状態が1年以上続いている。面会によって気分が晴れ勇気づけられて元気になったであろう患者さんもそれも出来ずに寂しく病院のベッドで暮らしている。せめて窓際に出て桜をみて元気になって貰いたいと思う。自分で窓際に行けない人はリハビリの人に頼んで玄関を出て桜を見せてもらって少しでも元気になって貰いたいと思う。今日は税務署に確定申告に行ってきた。今年はマイナンバーカードを使って自分でインターネットで申告しようと思っていたがマイナンバーカードを申請して3週間以上経つが音沙汰がなく、やむなく税務署に行って申告してきた。今年は予約制にしてくれたので例年より待つ時間が格段に少なくてよかった。税務署の周囲にも桜が咲いていたので撮影してきたがブログに載せる写真は家の近くの桜を採用した。国民の皆様が桜を見て元気になって下さるよう願っている。
2021.03.24
コメント(4)
コロナワクチンは供給が十分ではなく接種時期は不確実だがいずれにしてもいつか打たなければならない。その注意説明書は事前に配布されるが詳しく読んできてくれる被接種者は少ないのでここに要点を書いておく。アストラゼニカ社のワクチンが日本国内でも生産が始まったとのことだが、ここでは最初に出回っているファイザー社のワクチンについて説明する。ワクチンの正式な名前はコミナティ筋注である。原材はRNAと脂質成分を混合したものでそれに白糖、ナトリウム、カリウムなどを添加したものである。これをー90~ー60度で保存、運搬し使用直前に生理的食塩水1.8mlで希釈しそこから注射器で0.3mlずつ吸い取って上腕三角筋内に筋注する。1.8÷0.3=6で6人分取れるはずだが吸い取る時のロスがあり、6人目は0.3mlないことがあり、5人分を常として残りは捨ててしまわなければならないが特殊の注射器だと6人分取れる。予防接種が受けられない人は他の一般的予防接種と同様に発熱している(37.5度以上)人はダメである。他に重篤な急性疾患にかかっていることが明かな者、本剤の成分に対し重度の過敏症の既往のあるもの、その他医師の判断で予防注射不適と判断されたものは打つことが出来ない。妊婦や授乳婦については予防接種の有益性が危険性を上回ると判断させる場合のみ接種する。接種に伴い副反応が現れることがあるので注意する。副反応には局所の疼痛、腫脹、発赤、紅斑、頭痛、下痢、関節痛、筋肉痛、疲労、悪寒、発熱などがある。頻度は疼痛が84.3%で最も多く、続いて疲労感(62.9%)、頭痛(55.1%)が続いている。3週間後に2回目を接種するが、初回接種でショックやアナフラキシーが認められた人は2回目は行わない。アナフラキシーショックとは強いアレルギー反応で血圧の低下や意識障害を引き起こす状態でエピペン(アドレナリン)注射が必要になる。ワクチンの有効率は臨床試験で約95%とされているが副作用で苦しんだり命を落とすようなことがあったら元も子もないので接種を受けるか否かは慎重に判断してもらいたい。
2021.03.23
コメント(6)
現在社会はコロナ等に関する不確かな情報に振り回され政治も社会も混乱しています。リーダーがいないというのが現実だと思いますが、真のリーダーとはどういう人かということを考えてみたいと思います。春の選抜高校野球が始まりましたが強いチームを作る監督の資質などを中心に考えてみたいと思います。潮4月号に精神科医で映画評論などで活躍している名越康文さんが映画やドラマの主人公を通じてリーダーシップについて書いていました。私達はとかく「これこそ理想のリーダー」と言う固定観念にとらわれがちですが映画やドラマで描かれるリーダーはそれからずれた人が多く、分かりやすくて意外と頼りない。しかし彼らは別段特別なことをしないがただただ部下を信じている。そして単純なほどの情熱と信念を持ち続けている。そして人を勇気つけることもリーダーの役割です。口でいくら「がんばれ」と言っても基本的には自分自身で気付かない限りやる気を起こすものではないです。「誰かが自分のことをじっと見ていてくれる」「信じてくれている」と感じた時に人はやる気を出すものです。さらにリーダーは他人の欠点に鈍感になることも大切だと述べています。他人の欠点は見ぬふりをして相手の建設的な側面を見ることが大切で、相手があまり言われたことのないことに目をつけて褒めるのが良いとのことです。上から目線ではなく自分の部下の優れた点を見出してそれを伸ばし人に教えるように導くことによって「自分が誰かに教えることが出来る」と分かった時人は劇的に成長します。人に教えて貢献する感情、つまり部下に貢献感を育てることが出来れば立派なリーダだと述べていました。主としてスポーツクラブの監督とか主将をイメージしてリーダー論を書いていましたが、政治の世界でも同じだと思います。県や国を引っ張っていくリーダーは情熱と信念を持ち、県民や国民を信頼し、その結果として信頼される関係を築くことが必要だと思います。県民や国民の自発性を尊重し、国民の駄目な点には目をつぶり国民の優れた研究や方策を尊重し称賛して援助していくことが必要だと思います。そして国民や野党から教わる姿勢が必要だと思います。世間には子供の頃から総理大臣を目指してきた人は多いと思います。しかしリーダー論を根本的に学ばないまま国会議員になり派閥に属し数の理論で総理になろうとしている人が多いように思います。リーダー論をしっかり学び絶えず研鑽を重ねて最誠実、最強国のリーダーになって貰いたいと願っています。
2021.03.22
コメント(4)
今日は雨だったが南アルプス市にお墓参りに行ってきた。昨日は何も報告することはないと書いたが、実際は大ありだった。息子が大学受験を失敗して浪人していた時腎臓が悪くて入退院を繰り返していた母が「きっと来年は○○ちゃんは受かると思うけどその時までは生きていられないと思うからと前もって合格祝い渡しておくね」と5万円くれた話を妻から今朝聞いた。その時も恐らく妻から報告があったと思うがうわの空だったと思われ全く覚えておらずそんなことがあったのかと衝撃を受けた。今から20年前の話で5万円と言えば大金である。貯めていた年金の大半だと思う。人の幸福は金ではない、金で幸せは買えないなどとよく言われるがやっぱり金が心にしみることがある。息子は当時予備校に入っており受験勉強に夢中でどれだけ有難く思ったか知らないし今おぼえているかどうかも分からないが私は感動で涙が止まらなかった。その当時母はまだ1年や2年ですぐ死ぬような状態ではなかったが、母の中では死期を感じていたのかもしれない。その後母は入院中にベッドから落ちたのが原因で孫の合格を知ることなく亡くなってしまった。その後何度もお墓参りに行ったがそのことは認識していなかったので身に染みて御礼はしてこなかった。今日はそのことを知った後なので改めて息子の合格を報告し感謝申し上げた。その後息子は大学卒業して社会人になり結婚して二人の娘に恵まれ、その子たち二人とも昨年と今年大学に合格したことも報告した。思えば私はなにも親孝行したという記憶がない。自分の事ばかりに夢中で親を労わったり尽くすことは何もしてこなかったのに孫のためにそんなこともしてくれていたのかと思うと切なくなった。雨の墓参り、それで許してくれるかどうか分からないが絆は深くなったように感じた。
2021.03.21
コメント(4)
西洋スズラン(スノーフレーク)球根なので毎年同じ所に今頃咲きます今日はお彼岸の中日で家内の両親のお墓参りに行ってきた。お父さんが信州の茅野市出身なのでお墓は長野県にあるので午前中に出発して途中で買い物や食事などして帰ってきたのは夕方遅くなってしまった。遠い所まで行ったためかご両親の笑顔の姿が鮮明に浮かんできた。家内の兄弟とも一緒に行ったので墓前で子供達はそれぞれ近況を報告していてそれを笑顔で聞いている両親の姿が見えて不思議な感じがした。明日は私の両親の墓参りに行くがそこは県内だが南アルプス市なので車で50分位かかる。何を報告しようかと考えたが思いつかなかない。でも墓参りは報告することばかりではない。たまに心を通い合わせることが大切ではないのかなと思う。
2021.03.20
コメント(13)
家内が縁側で育てた君子欄が咲きました今は医学界もコロナ一色で重要な問題も隅に追いやられている。一時はピロリ菌が胃がんとの関連で脚光を浴びていて何処の学会でも花形だったが今は影が薄い。それでも内科学会誌3月号に2020年度の教育講演会の内容として大分大学の村上和成先生の「ピロリ菌感染と胃がんとの関連」の講演内容が掲載されていた。胃がんによる死亡者数は過去30年に渡り、年間約5万人だったが最近急に減少してきて2018年は44000人で6千人位減少している。その減少要因は2013年にピロリ菌除菌が保険適応されその条件として胃カメラ検査が必須になったことが大きいと述べていた。除菌後の胃がん発生状況は多くの研究を総合するとオッズ比0.46となり、胃がん発生リスクは約半分程度に減少する。しかしピロリ菌を除菌してもそれまでに胃粘膜に胃がんの発生母地である萎縮や腸上皮化生性変化が起こっているので、期待したほどの胃がん減少率にはなっていない。しかも別の研究によると除菌後の期間が長くなればなるほど胃がん発生が増えてくるとのことである。しかしいずれにしても胃がん死亡者数は減ってきている。データー上は「除菌すれば胃がんに罹らない」というような明瞭な結論は得られていないが、胃がん発生を約半分抑えることが出来るのでピロリ菌陽性の人は積極的に治療(除菌)した方がよいと考える。
2021.03.19
コメント(4)
今朝は医大から当直に来ている先生が朝7時には帰られるのでいつも7時からの早朝当番をしている先生が本日都合悪いとのことで私が代わりに当番をしている。朝早い出勤は道も空いていて気持ちよかった。医局に「抜粋のつづり」という小冊子があったのでぱらぱらと読んでみた。その中に禅の布教師福田宗伸さんが一休さんについて書かれた一文があったので紹介します。「ある大金持ちに法事を頼まれた一休さん、最初に薄汚れたボロをまとって大金持ちの家に物乞いに行きます。大金持ちは「見苦しいものは追い出せ」と使用人達に叩き出させます。翌日金襴の袈裟と衣を着て一休さんがやってくると大歓迎されますが、屋敷には上がらず「あなたが待っていたのは私ではなく、この衣なのだからとその場で袈裟も衣も脱ぎ棄てて帰ってしまったとのことです」一休さんはボロを着るのも金襴衣装を着るのも自由自在ですが私たちはボロを着るのははずかしいと思いますし、立派な高価なものを捨てたり手放すのは惜しいと思いますがそれは自分本位の心、自分の利益や価値観に頼り切った心があるからだと福田さんは述べています。それは自ら枠を作り出してその枠に収まるものしか受け入れられない。大金持が貴賤で判断したように常に自分が決めた枠の中で自分と他人を分別しています。損得、美醜、好悪、貴賤、能力のあるなし、強い人弱い人、人気があるなし、権威があるなし等の分別に価値があると信じて人々は振り回されています。そこには安らぎの心はありません。その自分本位の枠組みを捨てて、自分も他人もない安心の姿を一休さんは袈裟を脱ぎ捨てて示し、私たちが本当に捨てなければならないものは自分本位の心なのだと福田さんは述べています。最近断捨離という言葉が良く使われます。いらなくなったもの、使われなくなったものは気前よく捨てて身の回りをさっぱりするのがよいと言われています。しかし私もそうですがガラクタものでも中々捨てられません。一休さんの話を読んで捨てられない人は心に執着があるからかなと思いました。自分本位の心をまず捨てなければいけないことを教わりました。
2021.03.18
コメント(6)
庭に咲き始めたヒヤシンス私の友人のブログ「片言たじたじ旅2」に済んだ目の人は重量挙げ等のスポーツで良い成果を上げることが多い。それは澄んだ目の人は指導を素直に受けいれて着実に成長するからだとの記述があった。澄んだ目というのはスポーツに限ったことでなく人生総てに言えると思う。おどおどした目、よどんだどんよりした眼、疑い深い目、キョロキョロしている目、思いあがった目、自信のなさそうな目など色々あるが、澄んだ目というのはよどんでいなくて爽やかな目ということだと思う。目は心の窓と言われるが心の状態が目に現れるのだと思う。不安を抱えていれば不安そうな目になり、自信にあふれていれば自信ある目になり、腹に一物かかえていれば何かを隠している目になる。片言たじたじ旅2のブログを読んだ時に元サッカー選手で今は伝統的な日本酒の普及・輸出活動をしている中田英寿さんの言葉「蔵元を訪問して歩いたのは自分の覚悟を見てもらうため」に感銘を受けた。そして澄んだ目というのは覚悟の決まった人の目ではないかと思った。私の目はしょぼしょぼして弱弱しく活気がない。これは体力が弱ってきているからかもしれないが覚悟が定まっていないからではないかと思った。「医者として患者さんのために全力で尽くす」と思っていながら「なるべく苦労しないで楽をしたい」とか「面倒なことは避けたい」などのよこしまな考えも入り込んでいるためによどんでいたのだと思って、原点に返って覚悟を確認し気を引き締めてみた。そしたら体に活力が湧いてきて目も澄んできたように感じられた。これは凄いことだと思い、俺の目も澄んできたと思ったが翌日はまた弱弱しい自信の無さそうな目になってしまった。済んだ目になりたかったら1日1日の発心と覚悟が必要なのだなと思った。
2021.03.16
コメント(6)
昨夜9時から「人生120年の最新医学、世界のドクターが徹底解説、がん、糖尿病が治る時代へ」という番組をみた。世界のトップドクター60人にアンケートを行った結果をまとめたものである。まず新型コロナについては2022年つまり来年中に収束するだろうとのことだった。2035年までには癌は治るようになる。今まで抗がん剤治療が行われていたが、それだとがん細胞だけでなく正常な細胞まで攻撃することになり副作用が大きかったが、がん細胞を免疫的方法で選別しそれに光を当てることによってがん細胞のみを消滅させる光免疫療法が動物実験を繰り返した後今は実用化の段階に入っており、早期、進行に関わらず癌は治ることになるとのことだった。糖尿病はすい臓から分泌されるインスリンが不足する病気だが体内にインスリンを分泌する組織をIPs細胞を使って植え込み糖尿病を治してしまう時代が来るとのことだった。人工臓器を使っての再生医療は2030年頃までには確立されるだろうとのことだ。脊髄損傷で足が全く動かない人でもIPS細胞を使って神経を再生させ歩けるようにする治療があと10年位で現実のものとなるとのことで腎臓、肝臓などの再生も可能で人工透析などもしなくて済むようになると思われる。パーキンソン病も再生医療の対象で治るようになると思われる。全身の筋肉が働かなくなってしまう難病であるALSという病気も治るようになると思われる。2045年までには体内にカプセルや微粒子を入れて体内で病気を治す体内病院も行われるだろうとのことで医師はいらなくなり医者の80%はAI(ロボット)になるだろうとのことだった。認知症に対する研究も盛んで人工臓器や体内病院を使って克服できるだろうとのことだった。不老不死つまり老化防止の研究も盛んで病気の大半は老化現象から起こっていると説明していた医師もいた。GLS1,サーチュン、エピゲノム等を使って若返りは可能とのことだった。老化予防の大家は難しいことを言わなくても老化予防の簡単な方法は食べ過ぎないことで1日3回食べないで2回とか1回にした方が良いと言っていた。2時間番組だったが結局最後には人間は死ななくなってしまって2060年には人間は120歳まで生きるとのことだった。死なないということも大変なことだ。120才となると如何に生きるかが今以上に重要になってくると思われる。いずれも夢物語でなくすぐそこまで技術が来ている話で、大変な時代が来るのだなと思った。
2021.03.15
コメント(4)
庭で咲き始めたツバキ今山梨総合医学会が県医師会館でリモートで行われている。最初の山縣先生の特別講演を聴いた後いくつかの一般公演を聴いてまだ学会は続いているが一旦退室してブログを書き始めた。リモート学会は直接会場まで行かなくて済むし、聴きたい演題だけ聞いて後は家で休憩していてもよくて便利なものだなと思った。学会の開催に先立ち全体の優秀演題2題と研修医の優秀演題2題が発表になった。プログラムを見ると90%以上の殆どが山梨大学病院医師の発表だったのに優秀演題2題は開業医と県立病院医師の演題で大学病院医師の発表ではなかった。研修医の2題も民間病院の研修医であった。圧倒的な症例数と多数の人材を擁する大学病院がゼロとは審査員に民間病院を育成する思惑が働いたのかとも思ったが意外な結果で、大学でなくても開業医でも民間病院でもやる気さえあれば立派な研究が出来るものだと思った。山縣先生の講演は「新型コロナとワクチンについて」であった。先生はワクチン一般の副作用を管理する国の委員にもなっている山梨大学の社会医学(公衆衛生)の教授で新型コロナについてもきめ細かく研究しており分かりやすい講演であった。ウイルスは絶えず変異するもので変異しながら感染力は増しても人間に害が少ないものに変わっていくものなので変異株が発見されたからからといって驚いたり怖がったりするものではないが、変異株で死亡率が増したという報告もあり、油断はできない。感染拡大の予想パターンは北大から京大に移った西浦先生についてその拡大予想が外れたことを批判するのは間違っているが発表の仕方には問題があったと思うと述べていた。私も計算式をそのまま発表していたずらに国民に不安を広げた懸念があったと思っていた。山梨では緊急事態宣言がいい時期に解除された。東京などはまた感染者数が増加しており解除のタイミングがつかめていない。このままずるずると緊急事態をずっと続けることになってしまうかもしれない。むしろ緊急事態宣言よりきめ細かく3密対策を徹底する方がよいと述べていた。ワクチンの副作用についてはアナフィラキシーショックがアメリカの10倍にもなっていて大問題のように取り上げられているが最近のアメリカの論文でアメリカでも最初日本と同じくらいの接種人数の時はほぼ同数の副作用症例があったがその後莫大な症例数になった時には副作用は1/10になっていたことを考えると初期段階でのバイアスがかかっていた可能性もある。また副作用があった人は殆ど看護師さんで職場環境との関連も調べているとのことだった。ワクチンは痛みや発熱などの副作用が殆どの人に見られているが数日で消失しており、アナフィラキシーショックの人達もアドレナリン製剤であるエピペンで回復しており心配ないと思われると述べていた。良い講演が聴けてよかったと思う。
2021.03.14
コメント(6)
今朝の日の出の始まり6時40分頃6時45分頃ほぼ同時刻の朝焼けの中の富士(自宅からみて東南に見える)ほぼ同時刻に日の出と対側(西側)に見えた南アルプス連峰人生には浮き沈みは必ずある。調子のよい時と悪い時はあるものである。しかし太陽は晴れていても雨の日でも必ず昇る。人間も何があっても生き続けなければならないように造られていると考える。昨日の新聞のフロントランナーに元サッカー選手の中田英寿さん(44歳)が紹介されていた。日本酒の蔵元400蔵以上を訪問し地道に信頼関係を築いてきたがその心は「時間を使って足を運んで勉強し、覚悟を見てもらうよう努めた」とのことだった。今度のコロナ渦で飲食店の休業で経営が苦しくなった蔵元に対して本年1月末にはネット通販のサイトをオープンさせ酒蔵から直送する体制も整えた。中田さんはサッカー引退後日本国内、諸外国を旅する中で廃れ行く日本の伝統産業の育成普及を使命と考え日本酒の普及イベント会社を設立してその普及、輸出に努めている。地道な実績を積み上げているがその成功の秘密は「覚悟」にあると自他ともに認めている。コロナ渦で自粛、自粛が叫ばれているが、山梨県の長崎幸太郎知事は「歓送迎会、お花見会などは感染対策を十分した上で大いにして下さい」と発言した。小人数やマスク、3密を避けるなどの制約はあるが大いにして下さいとなると今後感染拡大した場合責任問題になるかもしれないが覚悟に基ずいた発言だと思う。自粛、自粛で息詰るような生活を余儀なくされている県民に対して「責任は自分がとるからやるべき事はして下さい、楽しんでください」との発言は勇気のいることだと思った。コロナに対して政府もマスコミも学者も様々な発言をしてきて二転三転することもあった。新型コロナが未知なものだっただけにやむ負えなかった面もあるが覚悟が足りなかったように思う。発言内容や対策を変えてはいけないということではない。状況によって対応は変えなければならないこともあるかも知れないが「何があっても国民の生活と健康を守らなければならない」という覚悟が不足していたように思う。情報に流され国民の不安をあおり自分の身をまもるように行動したり発言してこなかっただろうか。我々医師達も同じである。未知な病気のために浮足立っていなかっただろうか。各個人についても言える。それぞれ目的をもち一定のリズムで生活してきたのにコロナのおかげでそれが乱れてしまった人もいると思う。コロナ騒動をいいことに怠けてしまった人もいるかも知れない。ここでもう一度自分の覚悟を確認する必要があると思う。今は暗闇である。しかし太陽は必ず昇る。浮き沈みはあっても自分はここにいる。自分の役割をしっかり自覚して覚悟を決めて人生に挑戦していく必要があると考える。
2021.03.14
コメント(4)
庭に咲き始めた水仙認知症の予防には食生活や生活習慣が重要な役割を果たすことが分かっているが本稿では大分大学神経内科の松原悦郎氏の日本内科学会誌に発表した生活習慣に関する前向きコホート研究を紹介する。その研究によると何事も多ければ多いほどよいということはなく、過ぎたるは及ばざるがごとしで何事も至適バランスを保つことが重要とのことだった。平均年齢73.8才の人では最低限の歩数3,276歩歩けば十分で無理してそれ以上歩く必要はないことを明らかにしている。睡眠時間も多ければ多いほど良いのではなく、認知機能低下を防ぐには6時間から7時間13分位がよくてそれよりも短かすぎても長すぎても危険因子になることが判明したとしている。心拍数も一分間に55以上あれば防御的に作用するので脈拍を60とか70に増やさなければと思う必要はない。会話時間も1時間20分から5時間20分が適切でそれ以下でもそれ以上でもよくないとのことだった。一般に歩数は5000以上、睡眠時間は7~8時間以上などと言われていたが、正確なデーターはなかった。今回松原先生達は臼杵市の住民にリストバンド型のセンサーをつけてアミロイド蓄積の状態などを精密に測定し、様々な補正をして上記の結果を得たのでかなり正確なデーターと思われる。つまり1日3,276歩以上歩き睡眠は6時間以上、会話は1時間20分以上、脈拍数は55以上にしておけば認知症になりずらいとのことだった。今回の論文では遺伝の関係とか食生活などについては言及されていなかったがこの論文に書かれた最低限の生活習慣を守って行こうと思った。なお歩数についてはグラフで見る限り1万5000歩でも悪影響はないので多すぎる弊害はあまりないと思う。睡眠時間はグラフで見ると8時間15分以上は危険因子となっており、歩き過ぎは良いが眠り過ぎはよくないと思われた。
2021.03.12
コメント(8)
3月は自殺対策強化月間というポスターが日本医師会雑誌に同封されてきた。「いつもと様子がちがう、そんな時ちょっと気にかけてみる、声をかけてみる」その声掛けがゲートキーパーへの第一歩。と大書きされていた。ゲートキーパーとは悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて必要な支援につなげ、見守る人とのことだが、実際にはどうだろうか?と思った。悩んでいる時知り合いなり見ず知らずの他人から「どうしました」などと声をかけられて素直に応じて悩み事を打ち明ける人がいるであろうか。むしろ電話相談の方がよいと思う。0570-064-556が各県の公的な心の健康相談機関の番号で0120-279-338が生活上の悩みや生活困窮者などに対する総合的な電話窓口でこれらも大書してあった。ゲートキーパーが声をかけて自殺者を救って行こうという考えは理解できるが実効性はないと思う。むしろ上記の電話番号を色々な所に掲示して悩み事がある人は電話で相談した方がよいと思う。それで救われる人もいると思う。人生苦難の連続である。その苦難に負けて命を落としてしまったら終わりである。ちょっとしたアドバイスで立ち直り、死なずに済めば今迄以上に強い人間として再出発出来ることが多い。
2021.03.11
コメント(4)
本日木蓮が咲きました。今から約40年前医学博士号を授与された記念に植えた木蓮です。尿漏れで悩んでいる人は多い。仕事中とか通勤途中で尿意を感じ我慢できなくて漏らしてしまうこともある。尿取りパッドで対応している人もいるが厄介な症状で女性に多く人知れず悩んでいる人は多い。原因は一般的には膀胱が急に収縮してしまう過活動性膀胱のためと言われているがそれ以外の要因もあるのでまず泌尿器科を受診して正しい診断を受けることが必要である。男性では前立腺肥大に伴ってそのような症状がおこることがあるのでその治療が必要になってくる。ここでは一般的な過活動性膀胱の治療について概説する。尿漏れは膀胱括約筋の機能不全、神経失調による膀胱の不随意収縮が原因の大半を占めている。それに対して抗コリン作用のあるバップフォーとかウリトス等の薬が用いられる。膀胱を膨らませて尿容量を増す薬としてはベタニスとかベオーバなどの薬がある。これらは医師に処方してもらう薬だが新聞広告などで宣伝されているノコギリヤシの実や漢方薬の牛車腎気丸なども効果があるとされている。しかしそれらを処方してもらったり、新聞広告を見て自ら購入して服用しても効果がある人もあるが効果があまり感じられない人も多い。先日ある患者さんが次のような経過を話してくれた。病院を受診して色々薬を貰ったが効果がないのでノコギリヤシを通販で購入して服用したが効果なくやはりだめかとかなり落ち込んでいたが尿漏れ体操をしたら凄く良くなったとの事である。尿漏れ体操はインターネットで検索すると実に大勢の先生がそれぞれの方法を動画で紹介してくれている。尿漏れ体操の目的は尿道括約筋や骨盤低筋群を鍛えて尿が簡単に漏れてしまわないように鍛えることだが、各先生のそれぞれの方法によっても効果は違うかもしれない。その人がしたのは夜寝る前に仰向けに寝て足を45度上げて出来るだけ開脚する簡単な方法である。一回10回前後開いたり閉じたりする方法で2-3分で出来る体操である。それを1-2か月続けたら効果が出てきて尿取りパットを使わなくても良くなったとのことである。この方法が全ての人に効果があるかどうか分からないが少なくともこの方には効果があった。色々薬を飲んでもさっぱり良くならなかった方は試してみる価値があると思う。
2021.03.10
コメント(4)
「澪つくし」は昭和60年4月から10月までNHK朝ドラとして放映されたものだが現在衛星放送で朝7時15分から再放送されている。ドラマは千葉県銚子市の醤油屋の主人の二号さんの娘かおるを中心に描かれている。醤油屋とは犬猿の仲の戸川の漁師の網元の息子吉武惣吉とお互い愛し合うようになり、艱難を乗り越えて惣吉と結婚するが結婚3年目で惣吉は遭難者を助けようとして自らも犠牲になり死んだとして2年後かおるは醤油屋の番頭梅木健作と再婚して双子の子供を授かる。ところが死んだと思われていた惣吉が記憶喪失で4年後にフィリッピンから帰って来る。かおるの揺れる心はいかばかりか想像すらできない。配役陣は沢口靖子、津川雅彦、加賀まりこ、草笛光子、川野太郎、柴田恭平、明石家さんま などそうそうたるメンバーで、特にさんまは力がないくせにほらばかり吹いて醤油屋入兆と漁師の吉武家を渡り歩くラッパの弥太郎を演じており、少しもかっこよくない汚れ役だが見事に演じていたと思う。脚本はジェームス三木、プロデューサー中村克史、演出 重光亭彦 等で製作者、脚本、演出、出演者が一体になった見事な作品でよくどこれほどの作品が制作できたものだと感心している。本日放映では醤油屋坂東家の長女として生まれて傍若無人な律子から「軍人にむいている」と言われて発奮して陸軍少尉になった小浜と律子は後に親の大反対を押し切って結婚するがその小浜が2.26事件に巻き込まれていくところを描いていたが、当時の農村部の貧しさや皇道派、統制派などの陸軍内部抗争やクーデター計画など時代背景も見事に織り込んで壮大なドラマになっている。揺れるかおるの心は惣吉に行くのか梅木に残るのか分からないが本日分の最後で軍隊に呼び出された惣吉がフィリッピンに行くように命じられそうなのでそうなればかおるは梅木の所で観念して暮らすようになるのかもしれない。いずれにしても純愛を貫く、壮大なドラマでよくもこんなドラマが作れる人達が日本にいたものだと感心しながら観ている。
2021.03.09
コメント(9)
甥の結婚式に行ってきた。コロナ下で参加者を絞りこじんまりした結婚式だったがよかった。コロナ下で中止にしたカップルもあると聞くが小規模でも何でも式を挙げるのと上げないのでは大違いだと思った。最後に花嫁さんが両親に感謝の言葉を述べるシーンがあった。普段は何気なく暮らしているのだと思うが親元を離れて嫁いでいく時改めて親の事を思うと懐かしく感謝の気持ちがこみ上げてくるのだと思う。声が震えて涙声になっていてもらい泣きしている人も多くいた。これは結婚式の恒例パターンだが花嫁さんだけでなく花婿さんにも同じような気持ちがあるのではなかろうか。今回参加者全員に花婿側の出席者には花婿から、花嫁側の出席者には花嫁から直接ペンで書いた手紙が入っていた。全ての人に手紙を書くとなると書きやすい人もいるかも知れないが書きにくい人もいるかも知れない。それでも何か書かなければならない。大変な事だったと思う。ご苦労様でした。私の手紙には「子供の頃褒めてもらったことがうれしかった。見習って立派な家庭を築きます」と書いてあった。見習われるような家庭ではないが、褒めたかどうかは覚えていないが子供時代には様々なことを感ずるものだと思った。人は両親だけでなく様々な人の影響を受けながら成長していく。そして結婚と言う人生の節目で両親等に感謝の気持ちを思い出すのはよい事だと思った。
2021.03.07
コメント(8)
ひな祭りの飾り昨日はひな祭りでその前日から玄関の下駄箱の上に小型雛が飾ってあったので昨日その写真を載せてブログを書こうと思ったが、忙しくて書けなかったので今日のブログに載せた。仕事の方は2月中旬で一人の医師が退職して7人から6人に減ったのでその分各医師に入院受け持ちが振り分けられるので毎日のように入院があり、患者さんの名前と病態を把握するのが大変である。多くの患者さんは80歳台後半か90歳台前半である。朝回診すると認知障害があって挨拶もままならない人は反応は少ないが90歳以上の患者さん等は笑顔で迎えてくれることが多く「先生も体に気をつけて下さい」とねぎらってくれる。「高齢の認知障害があるような患者さんからねぎらわれるなんて」と滑稽に思われる方も多いと思うが、意外と滑稽ではなく身に染みるのである。それだけ自分が高齢になったからかとも思ったが、若い時でもねぎらいの言葉は嬉しかったかも知れない。医者ー患者、社長ー部下など何となく上下関係があるようだが医者も社長も同じ人間である。ねぎらいとか心のこもった言葉はだれから言われても嬉しいのではないかと思った。土曜日に滋賀県に住む孫娘が大学合格の報告に来るという。その連絡を受けた妻が、「風呂場の天井がカビで汚れている。Tちゃんがくるのできれいにしておかなくては」と言ってきた。親とか親しい友人が来るならともかく孫がくるのに結構大変なことなのにそれをしてくれということらしい。踏み台に上がって上を見ながらブラシでこするのはバランスをとるのも大変だし天井から汚れたしずくもおちてくるので出来ることならしたくないが妻とすれば孫を迎えるのに汚れた所を見せたくないらしい。入浴する時天井など見る人はおらず自分だって見たことがないのにと心の中で思ったが仕方がないと思い、今日勤めが終わったら早く帰って天井掃除をしようと思う。以前蛍光灯を変えようとして踏み台から転落してガラスを割り大騒動になったが今度も転落に気をつけて作業をしようと思う。患者さんに励まされたり、孫に気を遣うのは逆のような気がするが、渋滞学専攻の西城活裕先生は逆を考えることも大切とのことなので上下とか慣例などに捉われず誠実に対応していこうと思う。
2021.03.04
コメント(9)
2/26に神戸市で列車飛び込み自殺があった。不登校新聞編集長の石井志昴さんが雑誌PHPに自分へのストレスを溜め込んで、踏切で電車を待っていると「中に飛び込んだら楽になるのに」と何度も思ったことがあったと書いていた。東大先端技術研究センターの西成活裕先生は同じくPHPに「逆を考える時間を持とう」と言う一文を載せていた。渋滞学と言う研究を始めた時、だれも関心を持ってくれなくて4年経っても誰も聞いてくれない。お金もなくて地獄のような状態で自分は何をやってきたのかと諦めようかと思っていた時があった。当に地獄で列車に飛び込もうと思ったかもしれない。その時尊敬していた先輩が「4年じゃ甘いよ、7年続けてごらん人生は諦めるかやりぬくかだけだよ」と声をかけてくれた。そして研究を続けて7年目にある新聞記者が「渋滞学」に興味を持って書いてくれた記事が注目され、その後は関心が広まり学者としての道を歩むことが出来るようになったとのことである。「渋滞学」の中で欠かせない考えに「逆を考える」がある。殆どの人が近道の方がよいと考えるがその逆の遠道を考えることが重要との理論である。混雑した近道より遠回りでも空いている道を行った方が早く着いたという経験を持っている人は多いと思う。目先の利益に飛びつかないでその逆の選択はないかと考えるようにしているとのことだ。損をしたり失敗続きで落ち込むと「今の状態が続いて事態がどんどん悪くなるのではないか」と不安になるものだが良くも悪くも同じ状態が続くものではない。時間と共に必ず変化するので目の前のことに一喜一憂しないで長いスパンで物事を考え、焦らず立ち止まって視点を逆に向けて見ることが大事と述べていた。自殺する人たちはこの視点が欠けているのだと思う。道は一つしかなくその道は閉ざされた。死ぬしかないと思い詰めてしまうのだと思うが立ち止まって果たしてこの道がベストの唯一の道だったのか考えることが必要だと思う。彼岸花今朝ゴミ出しの道の脇にいつも見かけるのだが青々とした草花が茂っていた。1月2月の寒風や霜柱の中でも周りの草花は全て枯れてしまっているがこの草花だけは青々としていた。人間は強い人もいるが多くの人は弱い。周りから悪口言われたり無視されたり、自分がやろうとすることが何度も何度も試みてもいい結果がでないと落ち込みしおれて死にたいと思ったりする。西成活裕先生も書いていたがその駄目な状態がずっと続くものではない。今日見かけた青い草花はやがて9月の彼岸の頃になると彼岸花として真っ赤な花を咲かせる。人間は弱いがこの草花のように何があっても青々しさを保ち、いつかは真っ赤な花が咲くことを信じて地面に這いつくばりながら焦らず逆を考えながら生きて行こうではないか。
2021.03.02
コメント(10)
マイナンバーカードは役所(市役所等)で貰えるものと思っていたら、郵便で申し込むものとは知らなかった。10年位前にマイナンバー通知カードを送ってきたがそのままにしていたがマイナンバーカード申請書と返信用の封筒が同封されていた。今度健康保険証や運転免許証と一緒になったり、確定申告が簡単になるとのことで先日2/10に申請書に写真を貼って郵送した。いくら待ってもカードを送ってこないので中々時間がかかるものなのだなと思っていたら、2週間以上たって一昨日やっと川崎市のカードセンターから封書が来たので遂にカードが届いたのかなと思ったら、写真のバックがタイル模様の壁で受け付けられませんとのことで再提出するようにとの手紙だった。写真のバックは無地、横向きはだめ、帽子や色眼鏡はだめ、顔やバックに影があってはダメ、笑顔など平常時の顔と著しく異なるものはだめなど条件が厳しかった。バックがタイル様の壁でだめとのことで白い壁で写した写真があったので4.5x3.5センチに切り抜いて貼り付けて昨日送ろうとしたが白い壁に影が映っていたのでまた返されてくるかもしれないと思って本日再度影が映らないように撮影して正確に測って4.5x3.5センチに切り抜いて申請書に貼り付けて今ポストに入れてきたところである。マイナンバーカードを持っている人はまだ極めて少ないとのことだが、写真がかなり面倒で手続きが大変な事も一因になっているのかなと思った。本日提出写真も再度駄目だと言われるかもしれない。大変な事だなと思っている。
2021.03.01
コメント(6)
全27件 (27件中 1-27件目)
1