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病 棟 引っ越しのため片付けをしていたら、入院中の物がはいっている袋の仲から、句帳が出てきました。 ベッドに横たわりながら、仰向けで書いたのでしょうか、字が心許なく感じます。こんな事を考えていたのかと懐かしい句でした。俳句になっているのかどうかは分かりませんが・・・・・・。 平成八年六月十一日から平成十三年六月二十日までの句です。コメントいただければ幸いです。 外科病棟 タンポポひと輪が 占め居たる 春の朝 救急の音に 漫湖起く 病室の 夜や更け易し 明け易し 夢にある 幼日の我 春霞む [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 30, 2006

エイサー祭りを見逃しました。那覇市の国際通りは、今日午後からエイサー祭りが執り行われました。壮大なエイサー踊りに沖縄人は沸き立ちます。私も太鼓の音に釣られて見に行こうとしたときに、思わぬ来客があって3時間も粘られ、とうとう見ることが出来ず。客が帰って国際通りへと急いだら、祭りは終わっていました。残念。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 30, 2006

吹いても、音が一定 しないーーーーっ!!! ルー・ドナルドソンのブルース・ウォークを聴いていたら、ほんとに久しぶりにテナーが吹いてみたくなり、棚に収納してあるケースからサックスを取り出した。 10年振りに、ケースから出して一曲「黒い傷跡のブルース」を吹いてみたら、息切れがして音が一定しない。リードの所為もあろうかと泡盛に湿して使ってみても、低音は湿っていい音になったが、心臓手術の所為か、やはり息遣いが旨く出来ず途切れて力がない。1オクターブ上げると、完全にブレスが出来ずじまいだった。 あーあ、これでサックスともさらばかな--? [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 30, 2006

ひと月目の篤ちゃんひと月が過ぎて四月がやって来ようというのに篤はまだうんと眠っている沖縄には春らしきものはないけれどでも きみは感じるだろう春が足音をしのばせてほら すぐそこに来ているよきょうは お天気もよいからほんの少しだけお外で遊ぼうかほら これが太陽の暖かさだよこんなにぽかぽかと地球に降り注いでくれる太陽の偉大な命の光をお受けなさい幾十万年もの昔から人間は この太陽に育まれて 生きて 来たんだものきょうのおまえもそれから成長したおまえもこの偉大な命の光のまえでぬかずきながら命の線を通り抜けなければならないのだよ! [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 28, 2006

三 護岸端で (1) 信夫は、清が幸を出産したときのことを覚えている。8月の半ばを過ぎた頃の真夜中に重治に起こされて、隣の伯母の家へ妹の真弓と一緒に寝かされた。しかし、母清の呻き声と暑さのために、目は冴え冴えとして寝付けるどころではなかった。清の苦しみの呻きが酷くなるたびに信夫は不安になっていった。やがて清の呻きが間断なく続いた。伯母の家では、炊事場の中でかまどの火が赤々と燃え上がり、大きな釜のお湯のぐらぐらと沸く音がしている。従兄弟姉たちが「盥にぬるま湯を準備しておこうか」と話し合っているのが聞こえた。伯母たちの気合の入った励ましの声が高まり、このざわめきが、急激にひき静けさが戻った。はっとした信夫が蚊帳を捲ろうとすると、従姉の一人が、「信やん、いま行ったらだめ・・・・」と制して、盥のお湯を運んでいった。そのとき、はっきりと赤子の鳴き声を聞いた。夜が白みかけた頃、伯母たちが、「信、家に帰ってごらん」とにこやかな顔で言った。家に駆け込むと、清の側で、真っ赤な顔をし、額にたくさん皺のある赤子が、はれぼったい目を堅く閉じて、口をもぐもぐさせていた。やがて赤子は心地よさそうに寝入った。これが幸である。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 28, 2006

日本人も美しくなったねー!「朝ずば」のすぐ後の番組で薬丸・岡江さんの出ている番組に、松下奈緒と言う女優でピアニストでシンガーソングライターが紹介されていた。ちらっと見てその「目」に凄くひかれるものを感じたので番組が終わるまで見ていた。なぜ惹かれたかと言うと、目と眉と顔の輪郭が、ダビンチのモナリザを思わせたからだ。お話をしぱなっしだったので口を閉じたときの感覚は分からないが、ロングヘアーと言い肩に掛かる毛先の感じと言い、額にはめれ、口を閉じて仄かに笑めばきっと、生きたモナリザが現れてくるのではないかと思われたほどだ。作曲した曲も流れていたが、とても美しくきらきら輝いたピアにズムで、最後まで聞いてみたくなった。早く何らかのCDやDVDが出ればいいなと思う。那覇出身の子が、ミスユニバース第二位になったのも明るいにゅーすだね。とにかく、日本の女性は確実に美しくなっっている。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 28, 2006

注射をされました 朝ごはんを食べて、歯を磨いて(そんなことないか)、いや、毛づくろいをしていると、「今日は病院へ行く日だからね」と言って、なにやら荷物を抱えて出て行きました。(どこにいくのかなー)と思っていると、蝸牛さん「ちょっと書斎に行って来るからね」と言いながら、階段を下りて行きました。後をつけていこうとしましたが「だめよ!」と言われましたので、三階の踊り場で一人で遊びました。「つまらないなー」と思いながらあれこれいたずらしていると眠たくなってき、寝てしまいました。 急に身体を抱きかかえるものがいました。寝ぼけてもがきましたが、蝸牛さんの顔が見えましので、安心していましたら、キャリーバッグに入れられました。僕はびっくりして騒ぎました。思い出したからです。「そうだ、お母さんと離れた時も、小学生くらいの人がキャリーバックに僕を入れて連れていったっけ」・・・・。(すると、蝸牛さんも私を何処か知らないところに連れて行こうとしているのかなー。またひとりになるのかなー)と考えながら悲しくなってしくしく泣きました。すると、蝸牛さんが「心配ないよ病院で、チューしてもらいにだからね」といっています。でも僕は病院がどんなところか分かりません。チューも何なのか明かりません。(こわいなー)と思っているうちに大きな建物の中にはいり、なにやら書き込みをしていました。しばらくすると「蝸牛さんーん」と呼ぶ声がし、僕をおおきな冷たい台の上に乗せました。そこには蝸牛さんとマスクをして怖い顔の人と少し優しそうなお兄さんがいました。お兄さんが「体重は630グラムです」とマスクをした怖い顔の人に告げたました。蝸牛さんが、その人に「先生、この子の皮膚がはげてるんです」と言いました。「そうですか、細菌検査輪(?)してみましょうね」といってました。それからしばらくしてお尻のあたりが急にぴりりっと痛みました。ニャーンンンッ(猫語で「いたあーーい」)」と叫びましたら、蝸牛さんが「いいこ、いいこ」と言ってしっかりと抱きかかえてくらました。僕は、余り痛かったので先生に向かって「先生キラーイ。病院あっちいけーっ」と喚きました。蝸牛さんが「もう一回注射すると直りますからね、もう一回、来ましょうね」と言いました。蝸牛さんが、 可愛い子になるのに、やんちゃを言ったらだめです」と僕を叱りました。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。人気blogランキングへ参加してます。クリックをしていただければ有り難いです。
July 27, 2006

うりずん裸木の 如き少年 木の芽どき 三峠(みーとう)の 獣の道や 蛇苺 うりずんや 黙る大地を 叱るかに 波の音 ときどきぐいと 痩せにけり * 三峠(みーとう)=石垣市の裏手にある三つの山で島の奥に向かって位置する山。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 27, 2006

私の若い頃私が退職してから、家内がはつらつとしているのが目に付く。友人の集まりに足繁く出て行く。いつも張り切っているし、明るい。それに引き替え、私はと言うと、ほとんど出る事がなくなったし、毎日自分独りで、妻の造っった肴で晩酌をしている。あれほど上司や部下や関係機関の方たちとある程度は深く(?)つきあっていたと思ったのに、退職と同時にその関係はぴたっと切れた。愚痴を言い合った同僚との関係さえも断ち切れたし、慕ってくれていた後輩からも声がかからない。今考えると、私には、人格を傾けたつきあいがなかったのだと反省する。深く私利私欲を超えてつきあっていたと思って居た友人も、今にして思えば単なる利害関係でしか結びついて居なかったことを知る。淋しいが仕方のない現実である。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 27, 2006

二 野辺送り(最終章) 初めて見る火葬場の中であった。そこは、山裾にある信夫たちの畑へ行く途中にあった。いつもは、そこを視界の外に置き、何か悪霊にとりつかれることを恐れて、鼻と口を手で覆いながら通り過ぎていた。そこも今日は、清との別れの場となった。 四基の大きな焼却炉のひとつが口を開けて待っている。棺は、その前に置かれた。荼毘の読経が終わる。清の棺が大きな口に飲まれるように入っていく。金属音が辺りに反射して、観音開きの重そうな鉄の扉が閉じられた。 重治が火葬場の人に案内されて炉のうしろに回ろうとしている。重治は信夫に(一緒に来るように)と目配せをしてさっさと後ろへ回った。信夫も早足で、四基の炉の片側に設けられた通路を通り抜ける。炉の後ろはレンガ張りで、大人の目のたかっさに小さな窓と下の方に点火口があった。重治が、促されて着火すると,炎の渦が舞い、一瞬にして炉一杯に広がっていった。 (何と、あっけない清の最後だろうか。この炎の中で清が消えていく。たった一人で炎に包まれている清。孤独な、そしてたった一度しかない旅立ち。清はこの旅立ちのために生き続けていたのか。喜びや悲しみ、怒りや苦しみ、清のその総てが、この炎と共に揺らめいているように見える。清に一体何が残ったと言うのか。これからの清は、極く限られた者の思い出の中でしか存在し得ないではないか。)このときはっきりと認識し得たわけではないが、余りにも空しい存在のゆえに、がむしゃらに生き続けている自分たちの宿命めいたものを感じていたのだ。 帰りがけ、火葬場の高い煙突から灰色の煙が北風に煽られ靡いているのを見た。そして、清にはもう、決して会うことが出来ないと思った。清の旅立ちは、帰路のないもの、永遠のものだと実感した。 (この章おわり) ¥18,375★【送料無料】薬膳ゴーヤスープ 5個ダイエットスープで4kg目標 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 26, 2006

CNNを聴く訓練中です 小学校3年から英語を習っているのに読み書きはどうにか出来ても、話す聴くが苦手で全く役にたたない。確かに中学生のころから、琉米文化会館で周一回の外人による英会話教室に通い、それは、私が27歳のころまで続いた。日常会話には困らなかったが、教室の英語は、いくらネイテイヴスピーカーが教えているとはいえ、リエイゾンにも気遣って単語を一つ一つ発音しながら私たちに分かりやすく発音してくれるので、聞きやすい。また、月に一回は、八重山民政官府に配給される映画の鑑賞会もあったが、台詞を聞けるまでには至らなかった。 その代わり、会館には沢山の英文の蔵書があり、2週間に1冊くらいは児童本やペーパーバックを読んでいた。それは頭の中で英語を日本語に置き換える作業をしながら読んでいたのである。最近、暇になったので、OXFORDやLONGMANNを買い求め英語を英語で読む訓練をすると共に、英語をイメージ変換することを試みている。たとえば[SAD]と言えば「泣いている姿」を思い浮かべたり、[URGENTLY]と言えば、「提出期限間際の報告書」を思い出したりすると言うように、言葉とイメージが反応しあうように訓練している。 ただ、ヒアーリングとなると、リエイゾンの多い言い回しを聞き分けなければならないので、私には、まだまだ難しいところがある。たとえば[Why are you so connected to Bobby Darin?}は「ワイア ユソコ ネークテイトウ バビダーイン」と聞こえる。しかもその、各フレーズの聞こえる時間は、ワイア=ユソコ=ネークテイトウ=バビダーインのような等式で結ばれているように聞こえる。 毎日、午前0時からの副音声が付けられていない部分をビデオテープのロングプレイ(6時間)で録画してし書斎で一日中流している。最近、ここの単語が分解されて聞こえてくるようになった。ただし、アナウンサーの音声だけである。ゲストやインタヴュウの相手の英語はまだまだ分解されてて聞こえてこない。 ただ、まだまだ戸惑うのは、{Behind]が「バハーインドウ」であり、{a lot of}が「アララ」であり、{waitng}が「ウエイリン」であることなどなどである。 今、ブッシュ大統領の就任演説を聞いているが、非常に聞きやすい。クリアーでフレーズのはっきりした演説だ。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 26, 2006

鳥よ!!呟きが聞こえる。 「私は、死に行くものである」それは、樹下に横たわる小鳥からのメッセージである眼は既に穏やかに閉ざされて、もう世界を見ない微かな開口が、何かを語りたげだ置き去りにされる日々の華麗なる姿を一瞬一瞬そぎ落とさねばならない死の硬直への限りなき行進だが、痛恨のみが生の喪失への軌道となって駆けだした。数億秒の生の儀式の果ての虚無との合一繰り返し、また春が来た夏も来て秋が過ぎ冬がきたとき空に舞う一羽の鳥を見つけて、「ああ、鳥よ 飛ぶことはおまえの定めか おまえは飛ばねばならないのか 私はある日、もがき嘆いているおまえに 逢ったことがある 私はおまえをちらっとみて ニッと笑ったぞ その時からおまえは 飛びあがったままだ 時たま眼を閉じて滞空するが けして地に降りることをしない おまえが休むのはいつだ 鳥よ やがておまえが疲れ果てて 地に落ちるとき そこに、おまえの止まり木はない いや、たとえあったとしても はらからの仲間と自ら定めて しがみつくであろう梢にさえ 一枚の落ち葉のように見捨てられ ハラリと大地に還る そこは広漠たる湿原だ そこを横目に敷き詰めながら その冷気にしんしんと 犯され続けるのだ 鳥よ そのときおまえは、よよと泣くだろう」そして冬が去った春が来て菫の野に私は、おまえの死骸を見る私はそのとき、きっと泣くだろう「そこに横たわり、そこに死をひきうけた小鳥よおまえの時は短くてもおまえたちの時は長いのださあ、休もうよ!休むことをみんなで 叫ぼうよ!」と。 [PR]楽天トラベル 夏の旅行 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 25, 2006

お母さんにあ いたいなあ!!今日、蝸牛さんは、一日中お出かけでした。朝のご挨拶を済ませて、食事をしました。「今日の朝食はチキンだよ」と蝸牛さんが言いました。「ふむ、ふむ。これがチキンの味か。ところでチキンってなんだ?とってもおいしかったなー」。食事が終わると、蝸牛さんがまたお腹を撫でてくれました。「ああ、ちょっと皮膚が悪いな。明後日は、暇だから病院に行こうね」といいました。「病院って何だろう?」と思いましたが、蝸牛さんが一緒なら安心です。この家にはたくさん猫がいます。でも、みんなおじさんやおばさんやおばあーちゃんばかりです。おじさんは、足を怪我しています。「どうしたのかなー、心配です」。このおじさんの名前は「ミル」だそうですが、怪我で気分が悪いのか一言も口を利いてくれません。白毛のふさふさしたおばさんがいます。蝸牛さんは、このおばさんを「チロ」と呼んでいます。チロおばさんは、僕が近づくと逃げて行きます。毛がふさふさとした虎毛のおばあーちゃんは、僕とよく遊んでくれ、僕の側から離れません。僕が遠くへ遊びに行くとついてきて「遠くへいったらあぶないよ。さらわれないように静かにするんですよ」と注意してくれます。このおばあーちゃんを蝸牛さんは「ふさふさ」と呼んでます。蝸牛さんは出掛けにはいつもふさふさばあーちゃんに「チビのこと頼むよ」といって出かけます。蝸牛さんの奥さんが家を掃除しているらしく、4人の猫たちが出てきました。真っ黒の非常に年取ったおばあーちゃん、それからシャムと、僕と似た虎毛、それから真っ白なおばちゃんたちがぞろぞろと出てきました。僕を見て、皆、不思議そうな顔をしてました。蝸牛さんは一番年取ったおばあーちゃんを「ピコラ」と呼んでました。ピコラばあーちゃんは、この家では一番長生きしているそうです。ところで、僕は、やっと思い出しました。お母さんと一緒の時、他にも僕と同じくらいの兄弟姉妹がいて、おっぱいを競い合って飲んでいたことを。「ああ、お母さんどこかなー。おにーちゃん、おねーちゃんはどこかなー」と考えているうちに眠たくなりました。側には、ふさふさおばあーちゃんがいて、僕をじっと見ていました。僕はとうとう眠ってしまいました。 [PR]お盆休みに泊まれる宿 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。人気blogランキングへ参加してます。クリックをしていただければ有り難いです。
July 25, 2006

申立てが難しい!! 2・3日前、友人の頼みで、その友人と一緒にある役所を訪れ、申立ての準備をしようと相談を持ちかけたところ、そろえる資料が、最近の情報公開法に触れると言うことで集めにくいものまで申立人の責任で集めて、申し立てるようにとのことで、事実上、本人申立てが阻まれる事例になりそうなものがあった。 本人は住所はあるが家出をしていて滅多に家に帰らず事実上住所不定であるが、連絡は従兄弟を通してとれる状態にある。本籍も、住所もはっきりしている。ただ、その住所に訳あって住んでいないのである。 申立ての内容は、遺産分割請求(家裁)または遺産分割無効(地裁)、加えて約束不履行(地裁)が予備的訴因として考えられるケースである。これらは相続人全員の住民票と戸籍が必要であるが,相続人4人のうちの2人が本土に住んでおり、もう1人は申立人の住所地に住んでいる。これら3人は申立人との間で、申立人が家を出る原因となった争いの当事者である。申立人の戸籍、住民票,除籍謄本,改正原戸籍、係争となる土地の登記簿謄本くらいまでは本人収集は可能であるが、争いをしている3人の住民票や戸籍謄本または抄本は各市町村役場により対応が違うと言う。 本人はアルバイト(不景気で割りのいい仕事になかなかありつけない)で稼ぎ、糊口を凌ぐのが精一杯で、本土に電話したりして資料収集することが難しい。 このような状況のものにまで申立資料の完璧整備を求め、そうでなければ受付が出来ないとする窓口対応が気に入らない。理解できないわけではない。実際に調停や裁判が始まると資料や証拠方法としてそれらが必要なことはわかるが、追完ないし証拠申請をすればいいことであって、受理の段階では、本人が収集できる前述の物に加えて、分割当事者となるものの住所(住民票が取れなければさしあたり確実な聞き取り住所、最近の手紙や当事者と親しくしているものが知っている住所)くらいで、受理事務を進めるのが住民サービスではないのか。 日本全国、行政窓口の対応は似たり寄ったりと思うが(もし、そうでないところがあれば名乗りをあげてほしい)、本当に困っているものがサービスを受けられるような行政対応をして欲しいし、情報公開法を隠れ蓑に、住民不在の行政がなされていないのかと懸念するものである。 それにもまして、このような具体的なところから行政改革を考え、それを実施して欲しい。 [PR]紅濱 唐芙蓉(赤)(箱)6個[PR]プリンの様な食感!じーまーみ豆腐(10個入り)[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 25, 2006

凍 蝶冴えまさる 銀鱗を敷く 花薄 虚に明くる 日々憂いつつ 万愚節 寄居虫(やどかり)や 干潟に立ちて 闇を突く 凍蝶や 哀歓抱きて 母逝きぬ [PR]ミネルヴァ L-カルニチン+アルファーリポ酸配合あるある10本セット代引き料無料【ニンテンド...[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 24, 2006

少し太りました!!九月十九日に蝸牛さんの世話になって、11日が過ぎました。蝸牛さんがある日、私をひっくり返してお尻の辺りを見ていました。おしっこもうんこも自分で出来るのに何でだろうと思っていますと、 「君は男だよ、だからニャン吉」 と言いました。でも、男の意味が分かりませんから、どうでもいいことですが、この10日間はもう、眠りに眠り続けました。だって僕は、何日もあちらこちらで鳴き続けて、ようやく駐車場に着いたからです。ご飯は、お肉などをすり潰したやわらかいものです。とても、おいしくて、半缶は平らげます。食事の後、蝸牛さんはお腹をさすってくれました。蝸牛さんが 「少し太ってきたね」 と言いました。 蝸牛さんは、僕にはあまり分かりませんでしたが、ブログのことを説明したあと 「カテゴリー持ったらどうか」 と誘われました。僕は、これから色々なことをしっかり習って、僕のことを書いてみようと思いました。 [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。 [PR]チサンリゾート石垣(旧:石垣グランドホテル)人気blogランキングへ参加してます。クリックをしていただければ有り難いです。
July 24, 2006

犬のお葬式!!!現代人が癒しを求めている対象に最近はペットの飼育が盛んになってきた。ペットの種類も、サル、蛇、トカゲ、ワニなど多様だ。ひところの、犬、猫、小魚、小鳥はいまも主流であろうが、とかく種類が増えた。それに伴ってペット産業も興盛を極めている。餌、衣類、ハウスや飼育箱、遊び道具、おやつ、寝具、アクセサリー、ホテル、レストランなど挙げればきりがない。私は、動物たる人間と人間以外の動植物の共存を願うものの一人である。私は、ここでエコロジーを論じようという気はない。ペットに限って述べたいのである。したがって、ペットを飼育している者にも、また、ペットを飼育していない者に対しても言いたいのは、ペットへの接し方を誤らないで欲しいということである。具体的に言うと、ペットをさも自分のおもちゃの如く見ないで欲しいということであり、自分がペットを嫌いだからといって、自分の子供(今のところ)にペットは汚いなどと教え込まないで欲しいということである。所有物という感覚は、処分可能という感覚に通ずる。汚物感覚は、排斥感情につながる。どちらも物に対する感覚である。こんな感覚の延長上に、人間が物にしか見えない感覚があるのでのではないだろうか。話は横道にそれたが、最近、家の老犬が死んだ。愛情あまってのことであろう、家内の妹のたっての願いもあって、老犬を荼毘にふすことにした。「メモリアル何とか・・・」で荼毘に付した。お経も上げる。骨拾いもする。まるで人間のように7・7忌の法要もある。49日の法要もあり、お坊さんの読経もあった。49日の法要が終わるまでは、毎日線香をあげに行った。まるで人間がなくなった時のような毎日だった。初めは、冷ややかな眼で見ていた私も、彼女の老犬に対する感情移入の激しさに胸打たれることもあった。この老犬、手術を受けるまではいたって元気に振舞っていた。お尻りに出来た瘤を取るために手術をしたのだが、原因は分からなかったが出血が止まらず死亡させてしまった。そのことへの自責の念が強かったのであろう。「手術をさせたのが悪かった」と、なかなか立ち直れない。もともと心優しいたいタイプなのである。今は、老犬の一粒種リキの世話を甲斐甲斐しくしている。 PR]おやじの挑戦 視て鍛える男の脳トレ[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 24, 2006

日本はどんな国なのか?訪沖中の政治家が、「沖縄は、超理想主義の政治に走っていて、アラブ諸国と似ているところがある」と言っていた。沖縄が隔離された県であることを考えると、日本国も世界から見れば隔離された国家なのである。幸い、沖縄県もそれを含む日本国も、多民族でないが故に、血みどろの紛争は起こらないのである。超理想主義の日本国家と言い改めてそれを守って欲しい。平和憲法を維持してきた日本は、まさしく超理想主義を実践してきたのである。しかるが故に、今回のような「制裁決議」の発言が出来たのであろう。日本が世界並みに外交が出来るようになるには、この政治家が言ったように、超理想主義から脱却せねばならないのか。超理想を目的とした国はいったいどうなったのか、ソ連のマルクスレーニン体制は解体され、中国の毛沢東主義は修正され、アラブ諸国は血なまぐさい紛争に明け暮れている現状からすると、確かに超理想主義というのは、鼻持ちならないのであろう。北朝鮮の金正日体制、キューバのカストロ体制のように・・・・・。 [PR]万座ビーチホテル&リゾート [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 23, 2006

草 雲 雀 波打つ黄金の麦畑 ヒヨドリの声 空走り 白い太陽 畠を焼く 茅葺屋根は ひれ伏して 眠り続ける 昼下がり 畠に寝そべり 天を見る 青い空が 眼に落ちる 僕の周りの風たちで 心の奥を掬い出し いとし乙女に届けたし 畠より発つ 草雲雀 天高く飛べ 草雲雀 おまえの定めは 神への謝罪 死水を人に撒き すでぃ水を 蛇に撒き 「デーズドー チッチッ」 * すでぃ水=生でぃ水(生きがえらせる水) * 「デーズドー チッチッ」=大変(大事)だよーチッチッ。ヒバリは飛び立つ時、チッチッと鳴きながら羽根を広げて数回羽ばたくが、急に羽を閉じて降下する。その様が、八重山地方で子供たちに「大変だよ、大変なことをしたよ」というときの仕草に似ている。 [PR]万座ビーチホテル&リゾート [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 23, 2006

捨てられちゃったー!! 私、捨て猫でーす。昨日、拾われて蝸牛さんのところで厄介になることにしましたー。ほんとは、ママのおっぱいが飲みたいんだけど、私の貰い主が、ママのところに返えさないで、草むらに捨ててしまいました。びっくりして大声を張り上げてママを呼びましたが、なかなか迎えに来てくれませーん。余り泣いたので、疲れました。お腹は空くし。おっぱいでなくてもいいんだけど何か食べるもの無いかなあー。でもここ動いたら、ママがもし、私の声を聞いていたらと思うと動けないなあ。「でも、お腹が空いたから食べ物を探しに行こうっと」。 誰にも見つからないように、こっそりと歩きました。でもほんとはとてもお腹が空いていてゆっくり歩くのがやっとだったんです。なんか広ーい原っぱに着きました。見たことも無い丸い足が私と同じく、4足着いている大きな眼をしたものが沢山いました。でも、身動きせずにじっとして私を見ていました。 しばらくすると、急に身体がふわっと宙に浮きましした。見ると髭を生やしたお爺さんが私を抱きかかえていました。びっくりして「ニャー、怖い」と言うと「大丈夫だよ、心配しないで。捨てられたんだね」と言ってほほ擦りをしてくれました。それから、私を抱きかかえたまま階段を上り、お爺さんの家に連れて行かれました。お爺さんは「お腹空いただろう?」と言ってミルクを飲ませてくれました。ママのおっぱいに少しだけ似ていました。草むらに捨てられてから三日も食べていないので、とても美味しく、つい腹いっぱい飲みました。また、お爺さんが私を手のひらに乗せるように抱っこをしてくれました。私は「離乳食も、もう、大丈夫だからにぇ~」とあまえたら、「よしよし、今日美味しくてやわらかい缶詰準備するから」と言いました。「ああ、このお爺さんは、私を養ってくれるのだなあ」と安心して、おじいさんの準備してくれた箱の中で眠りました。 今日はこれでおわり。 [PR] [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。人気blogランキングへ参加してます。クリックをしていただければ有り難いです。
July 23, 2006

二 野辺送り(2-2)葬儀の日、喪主の責任と、周囲の忙しさに重治の悲しみは、何処かへ押しやられていたようであった。改めて、仏壇が伯父や葬儀の準備に駆けつけた近所の長老や理容組合の長老たちによって設えられ、それから、祭壇やその側に飾り付ける花を白い紙と白い布切れを使って起用につくり、また、長い白布に文字を墨でかいたりしている。信夫はその準備の手際よさに、一種の驚きを感じていた。 重治、伯父、信夫と男手一人を加えて寝床から清を祭壇の前に移す。赤子のようなその軽さに信夫は初めて胸につかえるものを感じて「ああ」と呟いていた。 しばらくすると、親戚のものや近所の人たち、重治の知己、清の知人・友人が集まりだした。顔見知りの女の人たちは、清の前に来ると嗚咽したり、話しかけたりしていた。しかし、清の前を離れると嗚咽は止み、少しの間を置いて話題は日常の会話へと変わっていく。何事もなかったように隣の人と話をしていた。信夫は、大人たちのこの変わり身の早さを不思議な気持ちで眺めた。 清が、納棺され、蓋がされた。信夫はこれらの様子も見逃すまいとして目を凝らしていた。 お坊さんが来るまでには少し時間が経っていた。沈の匂いのする袈裟を羽織ったお坊さんの読経が始まり、やがて、終わった。 棺が、待機していた霊柩車に収められようとしていた。伯母、従兄弟姉たち、、出棺まで待機していた顔見知りの女の人たちが泣いた。これに誘われるように真弓が棺にしがみついて泣いている。重治、信夫、数人の男手で棺が運ばれ霊柩車に収められる。その間、重治は神妙な顔で悲しみを堪えているようであった。信夫も泣くことが出来ず、余りにも軽くなった清の棺を神妙な顔で支えていた。ただ、幸だけは、事の重大さを少しも理解できずに、はしゃいでいる。大勢の人が居合わせているのが、さも、楽しいといった様子であった。 (つづく)[PR]モナン ココナッツ ノンアルコール シロップ 700ml(Monin Coco Sirop-Pur Sucre)[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 22, 2006
HTMLの構文の説明が ブログで出来なかった (初心者の疑問)。HTMLの本を読み、ようやく自分のブログに反映冴えることが出来た喜びをHTML構文を添えて、記事にしたら、構文以降が反映されず、おかしなPRが二つも付いてきた。どうしてだろうねー。ふしぎだね。私は、本の中から同一サイト内の他のページに移行するのに、リンクのHTMLは(<a href="リンク先>文字列または画像</a>)であることは解ったが、「リンク先」に何を入れていいのかも、「文字列または画像」が何を意味するのかも解らない。これは解説書の解説が必要だなと痛感している。リンク先とはそのページのアドレスだから、それを探せばいいと、気付くのにずいぶんとかかった。リンクしたいページをじっと眺めて、ページアドレスが何処にあるのかあちこちクリックしても、姿を露わしてくれない。もう、ほとんど諦めた頃、記事の左上にある題名を、まずはと右クリックし、プロパティをクリックしてみたら、ほんとに偶然にも、ページアドレスが現れたのである。パソコンやHTMLのベテランにとっては「初歩の初歩」ではあっても私にとっては、大発見であったのだ。そして「文字列」は、誘導したいページの題名をそのまま書けばいいこと、画像はファイルマネージャーにあるjpeg名を書けばいいことも少しずつ解ってきた。万歳。つぎの発見は、どうしたらナビゲーションが出来るかだが、これは高度で難しいかも知れない。さしあたり商品を見栄えよく並べる方法を考えよう。 [PR]ダヴィンチコードのショッピング(ダイエット食品) [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 22, 2006

アフィリエイトは難しい!!2ヶ月ぐらい前にアフィリエイトを始めて見た。ブログを始めて一年足らず、書き込みはようやくできるようになった。それでも、ようやく書き込みを終わりブログ登載と言うところで、急に文が消えてなくなったり、2重にブログに登載されたりで、今も運営に苦しんでいる。そんな中、「ブログでアフィリエイトをし、簡単に小遣い稼ぎ・・・」なんて、キャッチフレーズで、「もしかしたら、老人である私にも小遣い稼ぎが出来るんではないか」などと、数冊の本を買い求め、読破し、「ああ、これなら自分にも出来る」なんて思いこんでところがです、ほかの方々のサイトを見てこんなふうにしたいなんて思いながら、ようやくの思いで仕入れた商品を陳列してみるととんでもない、仕入れたHTMLを貼り付けただけでは、陳列棚は全く出来なかった。これには、何かもの凄い秘訣があるのではないかと、ブログソースを開いてもなにやら膨大なHTMLが並んでいて何処が陳列の部分なのか全くつかめない。「簡単にアフィリエイトが出来るなんてうそだなー」と諦めた。よくよく考えてみれば、そんなに簡単に小遣い稼ぎが出来るなら、消費者金融なんてそんなに繁盛しないよと気づくと、ばからしくなった。が、「が」です、神が一条の光を投げかけてくれはしないかと、しがみついてみることにしている。 [PR]ダヴィンチコードのショッピング(ダイエットサプリメント) [PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 22, 2006

蝉たちの鎮魂歌 漆黒の眠りから覚めた蝉たちは、15年前焦土に眠った人たちへの、慰謝のためにだけ鳴き続ける。蝉の声は彼らの語りだ。だが、語るには短すぎる一日が、また、暮れた。昼間の温みを、身体中に沈めても、闇の冷気が身体を突き刺して凍え身の夜は無慈悲に更ける。 ジーッ、ジーッ、ジッ、ジッ、ジー。草蝉の呟きは、戦の犠牲となった罪なき人々の語りだ。「戦争は無いほうがいいサー、こんなに沢山の人が死んでいって、悲しいサー」。声密やかにこんなことを耳打ちし合っている。 サーリ、サーリ、サリ、サリ、サリ。油蝉が大きな悲鳴を空に刺し、天のお告げを引き受ける。空の青、海の藍、陸の蒼は明示された宇宙の告示だ。その告示を祖霊たちは守り続ける努力をした。そしてその告示を遺言として残した。私(たち)の努力は報われるか。終末なきこの執行義務の履行を為し続けられるか。 トートッ、トートッ、ウートートー。ヒグラシの悲しい声は、あの人が捨てた希望、その者が拾った絶望、この人が引き受ける憂いの祈りだ。この蝉は、この人(たち)の憂愁を、薄暮の空に、日没の海に、暮れなずむ陸に引き渡して果てていく。 ああ、この草蝉の呟きと、油蝉の履行義務と、ヒグラシの祈りを、しばしの間だけ引き受けたい。これら鎮魂の読経を、しばしの間だけ私が為したい。 明日の希望のために。 (1960.7.10) [PR]南の美ら花 ホテル ミヤヒラ[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 17, 2006
二 野辺送り(2ー1) 伯母たちが忙しく立ち回っていた。ジュラルミン製の大きな盥には、従兄弟姉たちが沸かしたぬるま湯が入っていた。清の湯灌が始まるらしい。 (はやく、浴びさせといたほうがいいさあ。グソースガイ(後生用の着せつけ)もさせんといかんし。晒あるねえ、かにむい)と伯母たちが言っているのが聞こえた。信夫は、戸外で寒さに震えて立っている。そして、その寒さの中で、いとも簡単に訪れた清の死のことを考えていた。屋内では、伯母や従兄弟姉たちの悲しみの声が行きかい、一方、重治と伯父は、葬儀の日取りを話し合っていた。信夫は、悠久の中に眠る天空を眺めた。空の星々は、この地上の出来事とは無関係に闇の静寂の中で青白い光を放っていたが、今日、信夫の家の静寂は、清の死によってしばし破られていた。 周囲の騒がしさに、妹の真弓が目を覚ました。目を擦りながらも、ただならぬ周囲の気配を感じていた。清の死を知らされた真弓は、しばしきょとんとしていたが、急に大声で泣き出し清に縋りつく。 「母ちゃん、母ちゃん・・・・・・」としか声に出せず、子供なりに戸惑っている様子だ。三歳の幸は清の死とは無関係な世界で、布団に深々と包まって、寝息を立てていた。取り急ぎ・、小さな台を祭壇にしたて、清の枕元に置く。ありあわせの配置で線香を焚いた。 (つづく) [PR]ホテル日航八重山[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 17, 2006

堪え性の無くなった日本人!私は、日本人はもともと堪え性の強い人間であると信じている。なぜなら、日本人のDNAの中には、「農耕民族」としての性質が組み込まれているのではないかと思うからである。ご存じのように、農耕民族とは、作物を植え付け、それが実るのをじっと待ちつづけなければならないし、その途中には、風水害が待ち受けたりするからである。こつこつと畑を耕し、一粒一粒種を植え、培土してじっと芽の出るのを待つ。芽が出ると、自然の成り行きの中でその成長を待ち、やがて収穫となる。なんと気の長い営為であろうか。我々は、そんな祖先の大地との格闘の中で、現在の繁栄を勝ち取ったのである。日本的状況が変化したのは、欧米列強の文明を躍起となって取り入れたところから始まる。いい事ではあったが、中間省略をすれば、現今のような「狩猟民族」にありがちな、攻撃性を備えて来たのである。他人を平気で傷つける事によってしか、身を守るすべを知らない人間になってきたのである。悲しいかな、これが現実だ。日本の外交下手は、「静なるもの(大地)」を相手にしてきたところにあるように思える。何も言わない相手とじっと対話しながら生きてきた日本人は、相手に隠された偉大な力とか優しさとか、そんなものを感じ取り、畏れ思いやるのである。実に、優しい民族である。であったのに、なぜか日本人は狂ってしまった。いろいろな事件が起きる。ほんとに嫌な世の中だ。長幼の意識もなくなった。老人の役割なども無くなってしまった。今日、感じたことは沢山あったが、これだけにしておこう。[PR]コエンザイムQ10 発酵香酢Q10x3個【送料無料】[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 17, 2006
老人の覚悟65歳からは老人手帳を交付され、「ああ、私も老人の仲間入りか・・」などと変に納得するが、実は、労働意欲もばりばりあり、性欲もそこそこにある誠に中途半端な年齢である。そうであるのに、時折老人ぶって、今の若い者はなんて、私は、いつも苦言を言ったりする。実際、体が言うことをきかなくなった自覚はある。動きも鈍くなったし、面白いことに、発語のスピードが遅くなった。これも、きっと思考のスピードの鈍化に伴うものであろうが、けして、思考が鈍った訳ではない。昔より狡猾になったし、意地悪くもなった。加齢することは、人格が好奇に変化して行くことではないと解ったのも、老人の品格を備えるために、外見や内面の充実についても気を配っている自分を見ていてよく分かる。何しろ一番人格崩壊の危機にさらされるのは老人であるからだ。人格崩壊の覚悟は、あえて欲するわけではないが、ある程度はしておかないといけないように感じている。 [PR]ノニエキス100% 1000ml[PR]年寄りのための百貨店にも、是非お越し下さい。
July 15, 2006

ウヲーキング公園の朝老人の社会ありウオーキング心臓の音確かめつウオーキング出会いの挨拶蟻のごと汗かきて手拭重しウオーキング
July 14, 2006

出番がなくなりましたもともと私は見栄っ張り。小道具にこだわってました。帽子、傘、かばん、ステイショナリー、服、靴、肌着、などなど。でも、退職してからこれらのものの出番がなくなりました。ほとんどが、外国の有名品かライセンス商品です。身体だけは国産、しかも県産品。退職後は、ほとんどが着物(春夏秋冬)か作務衣。もちものも必要最低限に絞っています。傘と下着は和服にも似合いますのでいまも使っています。傘などは何度も修理に出しました。靴も履きません。ほとんどが下駄ですから。靴も、何度も修理に出して少しくたびれてますが、型崩れはありません。時計はねじ巻きで壊れたことがありません。高い買い物でしたが、いつまでも修理がきき(特に外国製はいつ修理に出しても部品がある)、結局は安上がりになっています。 * 猫の名前は「テンテン」です。沖縄フルーツ 紅茶
July 14, 2006

二 野辺送り(1)その日の真夜中、、重治のうわずった声がした。清を呼び続けている。ただならぬ呼び声に信夫は目を覚ました。鼓動があたりにこだまして重治の声が少しずつ消えていくように感じていた。清は、重治の腕で支えられている。清の手は胸の辺りに落ち、指先だけがかすかに着物の襟元で動いている。重治はなおも清の名を呼び続けていた。やがて、かすかに動いていた指先も、その動きを止め、胸から滑り落ち、「ことん」と小さな音を立て床を叩いた。目は宙を見据え、半開きになった口からは息の漏れる気配はなかった。信夫は黙ったままその光景を見ていた。重治が清の瞼にそっと手を当てて少しだけ動かす。血の気のない清の顔に表情が戻った。清の笑みが蘇ったように信夫には思えた。重治が清を床に横たえ、微かに震える手で、清の両手を胸の上でそろえた。それから、枕元に置いてあった櫛で、艶のない乱れた髪を丁寧にほぐしていた。「母ちゃんが死んだ・・・・」。重治の言葉がぽとりと落ちた。無言の時が少し過ぎた。重治の目に涙はなかった。この騒ぎに、隣棟の信夫の伯父、伯母たちが駆けつけてきた。清を見るなり伯母たちは目に涙を浮かべてはいたが、来るべき時が来たことを悟っていたらしく、「まっちゃん、まっちゃん、楽になったねえ。これからと言うときのに。姉さんたちを置いて先に逝っちゃって・・・・・。子供のことは心配するな、姉さんたちがみてあげるから・・・・」と言ったっきり絶句した。信夫は医者を呼びに行かされた。真夜中の道はとても冷たかった。以前握られた清の手の感触が、全身を包んでいるような冷たさだった。医者と共に家に着いた時には清の湯灌の準備が整っていた。死亡を確認した医師は、(明日、死亡診断書を一番で取りに来るように)と重治に告げて帰っていった。[PR]★送料無料★GRAVIS(グラビス)YACHTMASTER CANVAS インディゴ [0626祭10]
July 12, 2006

火 取 虫誘蛾灯 死への標(しるべ)の ごときもの火取虫 眼が落ちるまで 凝視せよ火取虫 がんじがらめの 世を捨てて誘蛾灯 蜜々と夜に 尖りおり
July 12, 2006

アトキンス式ダイエット「 一週間で5kg、一ヶ月で8kg痩せました!この本の法則にしたがって、厳密なメニューで一週間通したところ、一週間で5kg、一ヶ月でトータル8kg痩せました!実際には、「え?こんなにお肉食べてても大丈夫?」というくらいお肉を食べました。いつもてんこ盛りに食べてても体内脂肪はどんどん燃焼されていっていたようです。」これは、アトキンス式ダイエットによってやせることが出来た成功例のレビューです。ところで、作7月11日のケーブルテレビ(OCN)で、アトキンス式ダイエットが特集され放映されていました。アメリカやイギリスを例にとって賛否両論が出てました。パン抜き、ポテト抜きなどとかく炭水化物の多いものは避け、肉を中心にダイエットをするのだそうです。チーズもバターもたっぷり採っていいと言うことでした。ダイエットは、いつも危険と裏腹にあるように思いましたが、素敵な体型をいつまでも維持し、美しくありたいというのは太っている人たちにとっては、悲願といっていいのではないかとも思いました。「形における美」は人間の永遠の課題のような気がします。誰でも、モナリザのような妖しい美を望みますし、ヴィーナスのような均整のとれた体型を望みます。私の別のブログで「文化=型=形式美」について書きました。美の極致はいつも洗練された形で現れてきます。しかし、自分の事については、いつもうまくいかないのが人間の性で、私も糖尿病ですが、甘いものがとても好きで、それを断つのはとても難しいのです。そういったとき、私は、何かに頼りたい気持ちで一杯です。したがって、ノンカロリー甘味料で甘みを付けて、珈琲や紅茶を飲みます。でも、そんな甘味料が美味しいはずはありません。ついつい、蜂蜜をなめたりするんですよ。ダイエットもやっては止め、またやっては止めながらだんだんと慣れるんだろうと思いました。[PR]ビレモ沖縄 黒麹琉球もろみ酢 900ml
July 12, 2006

北朝鮮の暴挙!!北朝鮮は、駄々っ子のように、弾道弾をとばして、世界の注目を集めようとしている。世界の目を自国に向けてもらいたいという意図が明らかである。隣同士、会社の仲間などではそんな駄々っ子は、無視をすればそれまでだが、国となるとそうはいかないのだろうか。北朝鮮と同盟国であるロシアや中国が常任理事国で制裁もなかなかうまくいかないのだろう。困った国だねー、北朝鮮は。前途多難な日本外交の稚拙さが浮き彫りにされる場面だね。北朝鮮との関係は、同盟国であるロシアと中国にお任せしたらどうなのだろうか。「私たちは、北朝鮮のことから、手を引きますから、どうぞ北朝鮮を宜しくお願いします」と、・・・・・。アメリカもイランの二の舞を踏まないようにして欲しいね。井村屋の水羊羹
July 9, 2006

老 鶯!! 夏曉や 眠れる土を ひとめくり (なつあけや ねむれるつちを ひとめくり)メビウスの 輪のごとき夢 明易し (めびうすの わのごときゆめ あけやすし)籐椅子の 背や相応に 傾ぎける (とういすの せやそうおうに かたぎける)老鶯や 生の余光を 確かめつ (ろうおうや せいのよこうを たしかめつ)カシオの高級機
July 9, 2006

一 母の目の中で(6)「おーい、おーい、この屋敷に入るなとよお。母ちゃんが言ってたけど、この屋敷に肺病のおばさんがいるとよお」 水を貰いに来た子が、水甕の側をそっと離れ、塀の低いところから飛び越え道路に出て一目散に逃げた。 「この野郎! 殺されるぞおっ」 信夫は激怒して店から飛び出し、子供たちを追いかける。子供たちは、路地に隠れて見つからなかった。信夫は、小さな子供であるにせよ、このような形で清を去したことを許せなかった。 母の枕元で胡坐をかいて信夫がどかっと座る。床は大きな軋みを上げた。今朝、枕元に置いたぜんざいも、少しだけ食べたようであったが、側のタオルに吐き出されていた。お椀には、朱塗りの箸がきちっと置かれていた。ぜんざいは椀の中で硬く張り詰め黒い光を放っていた。 「信やん・・・・、学・・・・」 「学校? うん、行かなかった」 清は黙って、信夫を見ていた。 *「殺されるぞおっ」=沖縄地方では「ぶん殴るぞオ」程度の意味。復帰直後、本土から来た裁判官が書記官の調書を見て「くるさりんどー(殺されるぞお)」と言う記載から「殺意あり、故意犯」と認定したとかしないとか。 *「一母の目の中で」 (おわり)、 次回から 「二 野辺送り」。沖縄の食材ゴーヤーです。ゴーヤーチャンプルー、ゴーヤーの酢の物などに。
July 9, 2006

嘉手納基地 北朝鮮、遂に錯乱か?北朝鮮のミサイルの発射、なんだか怖いねー。北朝鮮は、ますます孤立化を深めるよ。金正日は、何を考えているのか、幼児的思考なのか権謀作術なのか全く解らない。ここ、沖縄では、パトリオットの配備も考えないといけないねー。米軍基地があるんで、もしもの事があると真っ先にねらわれるから。今日の読売新聞からの抜粋です。「北朝鮮、ミサイル発射を正式に認める 【ソウル=福島恭二】朝鮮中央通信によると、北朝鮮の外務省報道官は6日、「今回の成功的なミサイル発射は、自衛的国防力の強化のため、我々の軍隊が通常行っている軍事訓練の一環だ」と述べ、ミサイル発射の事実を正式に認めた。 報道官はさらに、「日朝平壌宣言や核問題をめぐる6か国協議の共同声明のような合意には拘束されない」と主張した。」中国茶っていろいろあるんです。いろいろな種類を毎日一服いただいてます。
July 6, 2006

糖尿病と運動「あなたは、糖尿病で体重を減らすことと、食事に注意すれば病気は改善されます」とかかりつけの医者に言われた。 体重を減らすためのウォーキング。私は運動と名のつくものは、苦手で三日と続いたことがない。第一ウオーキングしている方たちのスタイルが気になる。早朝といっても、沖縄の夏は蒸し暑い。だのに、スウェットシャツ・パンツの上からウインドブレーカーと、通気性の悪いロングパンツをさらにはいて腕を大きく振りながら早足で歩いている。とてもこのようなスタイルとスピードにはついていけない。健康になりたいための運動だとは分かるのだが・・・・。 私は、健康維持や体質改善と称してジョギングをしていて急死した人を知っている。二人とも急死であった。ひとりはジョギングが癌の進行を早め、入院して10日目に死んだ。入院するその日まで何事もなく働いていた。もうひとりはジョギング中に倒れ低血糖のまま息を引き取ったと聞く。この者はかつて、「健康維持のためにジョギングをしている。一緒にやろうよ。体が軽くなってとてもいいきもちよー」とジョギングを進められたことがある。ウオーキングも苦手だのに走るなんてもってのほか・・・。当然ことわった。 「何々のために・・・・・せねばならない」という生活モデルに急かされて生きるのを止めようと思う。たとえそれが「健康のためにいい」と言われようとも。「しなければならない」と考えるだけでストレスが溜まる。しからば、「楽しんでやればいい」とも言われたが、「どんなにして楽しい」と思えばいいのか。嫌なものは、すべて苦行である。凡人だから。 ”贅沢しなければいい。まめに働けばいい。ゆったりとした心で過ごせば いい”[銀座花のれん」涼の雫
July 6, 2006

一 母の目の中で(5) 消防署のサイレンが8時を告げている。信夫は、胸騒ぎを感いていた。が、学校に行く時間が気になったので、清の手を振り切って食事をする。蒸けた芋をあおさ(青海苔)のお汁で流し込んだ。家を出ようとすると、重治が(今日は休むように・・・)と小声で言った。そして重治は、もっこと鍬を担いで畑に出た。信夫は、小学校で皆勤賞を貰ったことを思い出し、少しむっとして家を出たが、玄関先で引き返し、部屋続きの理髪店にそっと隠れた。そこの覗き窓は、清の様子がはっきりと見えるように造られていた。 太陽が清の寝床に暖かい光を投げている。何を考えているのか、清の眼は宙を見据えているように見えた。胸は苦痛のためか激しく波打っていた。 台所の辺りで子供の声がした。 「おばさあん、水飲ませてねえ」 清が、気だるそうに首を小さく振る。道路から遠慮がちな小さな声がした。 マイナスイオン発生枕
July 6, 2006

白 粥 !! 惣菜も ひと色めくれ 夏料理 その中の 白身魚を 食べにけり 一呼吸 おきて口にす 夏料理 白粥を 冷まして夏の 料理かな 夏本番!!!ところてんはいかがですか?
July 5, 2006

交通事故後ようやく回復したルナ 一 母の目の中で(5)消防署のサイレンが8時を告げている。信夫は、胸騒ぎを感いていた。が、学校に行く時間が気になったので、清の手を振り切って食事をする。蒸けた芋をあおさ(青海苔)のお汁で流し込んだ。家を出ようとすると、重治が(今日は休むように・・・)と小声で言った。そして重治は、もっこと鍬を担いで畑に出た。信夫は、小学校で皆勤賞を貰ったことを思い出し、少しむっとして家を出たが、玄関先で引き返し、部屋続きの理髪店にそっと隠れた。そこの覗き窓は、清の様子がはっきりと見えるように造られていた。太陽が清の寝床に暖かい光を投げている。何を考えているのか、清の眼は宙を見据えているように見えた。胸は苦痛のためか激しく波打っていた。台所の辺りで子供の声がした。「おばさあん、水飲ませてねえ」清が、気だるそうに首を小さく振る。道路から遠慮がちな小さな声がした。「おーい、おーい、この屋敷に入るなとよお。母ちゃんが言ってたけど、この屋敷に肺病のおばさんがいるとよお」水を貰いに来た子が、水甕の側をそっと離れ、塀の低いところから飛び越え道路に出て一目散に逃げた。「この野郎! 殺されるぞおっ」信夫は激怒して店から飛び出し、子供たちを追いかける。子供たちは、路地に隠れて見つからなかった。信夫は、小さな子供であるにせよ、このような形で清を去したことを許せなかった。母の枕元で胡坐をかいて信夫がどかっと座る。床は大きな軋みを上げた。今朝、枕元に置いたぜんざいも、少しだけ食べたようであったが、側のタオルに吐き出されていた。お椀には、朱塗りの箸がきちっと置かれていた。ぜんざいは椀の中で硬く張り詰め黒い光を放っていた。「信やん・・・・、学・・・・」「学校? うん、行かなかった」清は黙って、信夫を見ていた。*「殺されるぞおっ」=沖縄地方では「ぶん殴るぞオ」程度の意味。復帰直後、本土から来た裁判官が書記官の調書を見て「くるさりんどー(殺されるぞお)」と言う記載から「殺意あり、故意犯」と認定したとかしないとか。*「一母の目の中で」 (おわり)、 次回から 「二 野辺送り」。アミノ酸を含んだ琉球もろみ酢夏ばて防止に・・・・・。
July 5, 2006

黄 昏 老人切り捨て行政ちょっと長い文章ですが、まずは、以下の新聞記事を読んでkださい。「高齢者に増税直撃 3万8200円負担増も 老年者控除の廃止など2006年度の税制改正による「増税」が、65歳以上の年金生活者らの家計を圧迫、6月に送付された納税通知書を見た納税者から県内市町村の窓口や電話による問い合わせ、抗議が相次いでいる。公的年金収入が年間300万円で国民健康保険料と介護保険料支払い分の控除が12万円ある人の場合、06年度の税額は6万6400円。05年度の税額2万8200円から3万8200円、約2.4倍増えた。 税制改正は税額から一定割合を差し引く住民税(地方税)の定率減税が、6月から所得割の15%から7.5%に減税幅が半分になったほか、生計が同じ妻への非課税措置が全廃されるなど、納税者にとって「増税」を実感する内容。 中でも収入源の乏しい65歳以上の高齢者の増額幅は大きく、所得125万円以下の非課税措置や所得1000万円以下の老年者控除48万円が廃止。05年度まで140万円だった最低控除額も20万円引き下げられ課税対象額が増えた。 那覇市役所の担当者によると、6月9日の納税通知書発送以来、納税者から電話が殺到し、窓口に列ができるほど問い合わせや抗議が相次いだ。ほとんどが65歳以上の年金生活者で、説明しても増額の多さに納得しない人も。通知書の内容を不服とし、60日以内にできる異議申し立てを希望する人もいたという。 確定申告の際に説明(恩納村)したり、通知書に説明文を添付(北谷町)した自治体もあるが、それでも問い合わせなどが相次いでいるという。 年金で生計を立てている照屋昇さん(80)=那覇市=は「年寄りいじめ。蓄えがない中、年金も減らされ税金まで増やされると生活できない」と声を荒らげる一方、「日本の財政赤字のしわ寄せ」と政府を批判。 「少子化の中、しわ寄せを若い人にかぶせられない。財政改革を先送りしてきた政府をチェックできなかった責任も感じる」と悔やんだ。」なんと憤懣やるせない記事でしょう。若い人にしわ寄せの行かないようにするために、政治家は将来を見越して人口政策をすべきであった。高学歴社会による少子英才教育、享楽のための拝金主義、一億中流意識から格差社会へ、経済犯罪の多発化などなど、何をとっても世紀末的状況である。政治家が全て悪いとは言わない。国や社会を構成する我々が何かに踊らされては居なかったか。今更、悔やんでも仕方がないが、格差社会が形成されつつある。貧困の歴史を、今こそ学ぼう。井六園の宇治煎茶
July 5, 2006

富 の 偏 在失業者、貧困者の多い中、五億円もの保釈保証金をぽんと出す村上被告の金銭感覚の無さには、驚いたねー。五億円なんて、彼にとっては小銭だな。我々が一生かかっても儲けきらない金なんだよねー。昔から、「金が金を生む」なんてこれは真実だね。次は、新聞からの引用です。「ニッポン放送株をめぐる村上ファンドのインサイダー取引事件で、証券取引法違反の罪で起訴された同ファンドの前代表村上世彰被告(46)が26日夕、保釈され、逮捕から21日ぶりに東京拘置所を出た。保釈保証金は5億円で小切手で納付した。」ネイチャーメイドのL-カルチニン燃焼系ダイエットサプリメント
July 3, 2006

一 母の目の中で(4) 小豆が煮えるには、少し時間がかかった。はじめ は生臭かった臭いも、次第に粉っぽい香ばしさを 漂わせはじめる。重治は、その間を持たせるよう に、葉タバコを薄い和紙に器用に巻いて、何本も 吸っていた。 隙間風に凍えたのか、清の湿った咳の音が寝床の まわりに飛散している。重治はしきりに、 「まっちゃん、だいじょうぶか、気分はどうか?」 と窺うようなそぶりで、清の寝床の当たりを振り向く。 「かにむい、今日はなんだか、胸がおもいさー」 と独り言のように言いながら、痩せて骨ばった指 で胸を擦っている。重治は、その様子を私たちの 寝床越しに見ていたが、やがて、 「まっちゃん、まっちゃん、苦しいのか? お い・・・・」と、台所から清に声を掛ける。 「かにむい、・・・・家にいて・・・・・」 重治は黙っていた。清もこれ以上、懇願してい ない。四年もの長患いが、清の気持ちを小さくさ せているに違いないと信夫は思った。きっと、今 日は皆に家にいてもらいたいと願っているように 見える清がそこにいる。清の今日の会話は、まる で空気が身体から抜けていくようにか細い。こん な、重治と清の会話を聞きながら、信夫は、瞼が 重くなっていった。 「起きろ、信夫!」と重治の声がした。寝床にう ずまっている信夫には、その声がまるで外界に漂 う悪魔の声のような響きとなって聞こえている。 「うん」と返事しながら、寝床の中で重治のひと 声ごとに、身体を縮める。 重治の何度目かの声でようやく布団から這い出し た信夫が、鼻をくんくんさせながら、 「はーっさ! 朝からぜんざい。今日は何ねー、 父ちゃん」とあくびをして、寝覚めのぼやーっと `した感覚のまま、炊事をしている重治の背中を見 `て言った。 「母ちゃんが食べたいって言うから、・・・・」 `炊き上がったぜんざいを茶碗によそって、信夫に `渡す。 「母ちゃんのところへ、・・・・」 「うん」 「母ちゃん、うりっ、ぜんざい。ここにおいとく よー」と清の枕元へ置いて、外へ出、顔を洗って 食卓についた。 「信やん、ちょっとだけ手を握らせて・・・・」 「どうして、学校遅れそうだのに」 「・・・・・お願いだから・・・・・・」 「はあっさ、 もう」 「信っ!」 重治の目が信夫から清の方へ動く。 「・・・・・暖かい・・・・・」 清の眼から涙が流れた。それは目じりから一条の 滴の軌跡を残して枕に沁みていった。清の漆黒の 瞳の奥に信夫の顔がくっきりと納まっていた。清が 目を閉じた。切れ長の目は、眉との間で深く窪ん でいた。目の周りは、艶のない茶褐色にくまどら れていた。 (つづく)ニチレイの糖尿病食
July 3, 2006

「菊の露」ブラウンボトル、 うまかったよ~~~!!夕べ、久しぶりに、友人達と酒座を持つことができました。もちろん酒の肴は沖縄料理。豆腐チャンプルーにソーメンブットゥルー、ミミガーの和え物、豆腐にスクガラスーの定番ばかり。さて、酒はということになり、安くておいしいものとの提案であれこれ意見がありましたが、結局、「菊の露」ブラウンボトルになりました. さてこの酒、私は宮古島勤務も2年間ありましたが、ついに口にすることもなく今日まで過ごしてきました。もちろん、宮古では有名な酒の銘柄ではありますが、どういった訳か飲む機会が無かったんです。帰任するときに、「菊の露」古酒三升瓶と「多良川」「宮の華」それぞれ古酒の三升瓶を持ち帰りましたが、封を切らずじまいで、時々、目を覚まさせるために、というよりは瓶に飲まれては居ないかと確かめています。そうです、瓶はこっそりと酒を飲むそうです。 ところで、このブラウンの味はとてものどごしが良く、舌を刺すこともなくまろやかでありました。肴は酒の味を良く引き立ててくれていました。早速、翌日、これを買い求め、私のコレクションのひとつに加えました。 スーパー燃焼系ダイエットサプリL-カルチニン・コエンザイムQ10配合!保険機能食品 ウルトラVIPダイエット 60包
July 3, 2006

洟(はな) っ た れ !!! 寒厳し 劣化ウランの弾の島 諍いは きっと言葉の 冬木立ち 哀れなり 小さき猫は 死にゆきぬ まだ死をば 引き受けきれぬ 洟ったれ 栗入り小倉羊羹抹茶カステラ包み
July 3, 2006

一 母の目の中で 3 この年の冬は、寒い日が幾日も続いた。 冷たい風が壁の隙間を抜けて部屋の温もりを容赦なく奪っていく。 煎餅布団から出るのが億劫な日が続く。 あの日以来、清は、朝早くから床を出、ばさばさ の髪をすきもせずに朝食の支度をしていた。 重治の眠むたそうな声が、冷たく強張った早朝の空気に這いでる。 「まっちゃん、寝ときなさい。寒いだろうが。 身体に悪いよ、怒るなー、物思いするなー、子供 の言ったことじゃないか。親の気持ちなど、何も 分かっとらんよ」と清に言っているのが信夫の耳 に入る。まっちゃんとは清の幼いころからの呼名である。 「我が子ながら、親に死ねなんて、なんと情けない 子なんだろう・・・・」と声を詰まらせて、独り言のように呟いている清の声がした。 それからというもの、信夫にとっては、重苦しい日 が続いた。 朝となく、昼となく、夜となくあの日の清への口答えが耳元に澱み、信夫の心を苛んでいた。 そんなある日、肌を突き刺すような寒い風が、信夫の眠りを打ち破った。 「えいっ!」と掛け声をあげて、重治が起床し、 畑への身支度を始めた。 その身支度のまま朝食の準備を始める. いつものように始まった朝だったが、この日は、清が苦しげな声で、 「かにむい、今日は家にいてくれない? 心細くて。 それに、なんだかとても息苦しいの・・・・」と重治に頼んでいる。 「晩の芋だけ、掘ってくるさ」 「そうねー。早く帰ってきてくれないかしら。 一人ではなんだか怖いの・・・、今日は」 「姉さんに、幸を預ける時、言っとくよ。 ちょっとの間、おまえを見てくれって。 それから、幸には絶対に、近ずくなよ。直ぐ帰ってくるから・・・・」 幸は、清の乳の味を知らず4歳になっていた。 「わかってるよー。かにむい、少し背中さすって くれないかしら。 胸に力がはいらんさー」 重治は、やりかけの朝食の準備の手を止めて、 添出しの台所の出入り口をくぐり、東側に面した清の寝床に向かった。 清の寝床も母屋からの添出しで母屋より一尺ばかり低くなっていて、 地面より一尺ばかり挙げて床が敷いてあった。 重治はしばらく清の背中をさすっていたが、手を止めて、 「どうだ? 少しは楽になったか?」と清の顔を覗 き込むようにして話しかけている。 突然、何を思ったのか、清が、 「かにむい・・・・、ウイスキーボンボン食べたい さー」 と少し目を細めて何かを思い出すように呟いている。 「どうしたんだ、まっちゃん、ウイスキーボンボン だなんて。 ないものねだりだよ、いまどきそんなものあるわけないだろう、こんな田舎に。 戦争負けて、引き揚げてきて、毎日の食べ物も大変だと言うのに・・・・・。 贅沢言うんじゃないよ。そうそう、ぜんざい作ろうか・・・・・」 と重治は清のことを精一杯聞き遂げようとしていた。 信夫は(ウイスキーボンボンってなんだろう。 母が言うからには、きっととても甘いものに違いない。 僕も食べたいなあ)などと、食い意地の張った想像を床の中でしていた。 小用に耐えながら横になっていた信夫も限界に達していた。用足しに庭に降り立った。 そこは、まだ、闇の底に沈んでいた。空では、 明澄な空気の中で、星々が凍りつくような光を放っていた。 甕から、そっと水を掬って口にふくむ。全身に冷気が走った。 「・・・・また寝るの?」 清が、か細く弱々しい声で聞いていたが、信夫は 答えずに床に潜り込んだ。 冷たい空気に触れたせいか、すぐには寝付けなかった。 玉露天狗がつくった有機のお茶冷用煎茶深蒸し煎茶
July 2, 2006

最近から気になりだしたこと最近、不思議なことだらけで,うなされそうだ。暇になったら、いろんなことが気になる。私は心臓が悪いので、いつも安否確認が出来るようにと携帯電話を持たされた。携帯って、コードが無いのに話ができるし、いくら電波が通じているからといって、その電波が音声に変わるのが不思議で仕方が無い。小さな声で話しても会話が出来るのに、相手に届かんばかりの大声を出して話す。大声で話している自分を想像して、滑稽だなあと噴出すことがある。ブログだってそうだが、遠隔地の方々と文字で会話が出来る。大体電波が文字に変わるのが分からない。電波が映像に変わるのも摩訶不思議だ。趣味で買い集めた万年筆の出番が少なくなった。大体、文字に気を配らなくなった。それに、辞書を引くのも億劫になった。私は出来るだけ筆記具を使うようにしているのだが、漢字がなかなか思い浮かばない(ボケたかな?)。辞典をめくるのも面倒くさいから、大きい文字の出る電子辞書(プレゼント)についつい頼る。便利だもんねー。飛行機も解せない ねー。揚力によって、凧の原理で飛ぶとは分かっていても、凧は紐がついているでしょう? 飛行機は、あんな重い機材が、何百人の人を乗せて空中に浮いて、しかも一定方向に進んでいるのが怖いねー。飛行機は滅多に乗らないが、想像するだけで絶望のどん底に突き落とされるよ。こんなものを発明する人間ってどんな頭をしているんだろうねー。 お中元によし、ご自分でいただくのもよし・・・そうめん
July 2, 2006

追悼、橋本龍太郎!!最近の首相では沖縄問題にもっとも積極的だった橋本龍太郎が亡くなりましたね。大きな疑惑を残したにも関わらず、私は彼のダンデイーさにひかれましたよ。少し鼻に掛かった発声もかれの特徴で、歌舞伎役者なみの風貌は当代随一ではなかったでしょうか。いろいろ批判の多い人でもありましたが、変人でないところが好きでした。
July 1, 2006

鬼 餅!!! 衰ろうや ひねもす四温に 身をゆだね (おとろうや ひねもすしだんに みをゆだね)鬼餅に 幼な日のわれ 屈みおり (おにもちに おさなびのわれ こごみおり)遠吠えや 無言の街の 月寒し (とおぼえや むおんのまちの つきさむし)ぴろいろと 夜なく鳥や 寒の雨 (ぴろぴろと よるなくとりや かんのあめ)*鬼餅=旧暦に二月の「むーちー(もち)」という行事に、月桃の葉で包るんだ餅*「こいなどり」と聞いた記憶がある。曇天の夜空を群をなして飛ぶのを聞いたことがある。泣き声は物悲しい。抹茶ロールケーキ抹茶最中冷抹茶
July 1, 2006
詩作の思い出 小学校4年の時である。国語の授業で詩があった。誰の詩でどんな詩だったか記憶には全く無い。授業の一環として詩を作ることになった。私は物語を読むのは大変すきであったが、詩集などは一度も読んだことが無かった。 どんなに考えても詩らしきものは浮かんで来ない。詩の宿題の提出期限になっても、とうとう詩は作れなかった。考えあぐねた末、私は、虎の巻(現在の学習参考書)に載っていた童謡をそのまま写して提出した。これだけは覚えている。確か「あめんぼあかいなあいうえお・・・・・・」と言う歌だったと思う。早速当時の担任の先生から父に連絡が入り、こっぴどく叱られた記憶がある。 父は叱るだけではなかった。当時、新聞記者で詩人の父の友人(石垣島ではなになにや-(屋)のだれだれと言うように、大抵は知り合いである)にその日から詩を特訓された。その方は、町の裏手にある野原に私を連れて行き、「今見ている情景を全て言葉にしていってごらん」とポツリと呟き、私が発する声を、ただ「うん、うん」と聞いていた。約30分。1ヶ月続いた。1ヵ月後に書いた詩を父は先生に見せた。おかげで国語の評価は10(10段階評価)であった。 それ以来、詩に触れたり、嗜んだりはしなかったが、高校を中退して働き始めてからは、癒されたい時は詩を書いた。頻度は極めて少なかったが・・・・・・。その頃からの日記にには、1年に一作か二作の詩が記されている。 棘 雨(きょくう)しとど降る雨に懊悩のいばら戦きて突端の胸を刺しわが眼にもしとど雨降るこのいばらをどうして菫に変えられよう私は常にいばらきっと 針鼠の私私に収斂するたびに流血の反乱を起こし嫌悪の螺旋階段を夢遊病者となって沈下するいずれ私は私の棘で血の海を造り悔悟と共に溺死する
July 1, 2006
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