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今日から、6泊7日の研修「ツアー」に出かける。ずっと団体で行動するわけではないのだが、なんとなく旅行気分のため「ツアー」ということばを使う。参加する研究会は次の通りである。8月1日・2日 教育のアクションリサーチ研究会(熱海) 3日・4日 日本初等理科教育研究会中央夏期講座(東京) 5日・6日 日本理科教育学会全国大会(奈良)夏だからこそできる研修である。3つの会とも、私の「モビール」の実践を発表する予定である。「特徴」の異なるそれぞれの会で、どんな意見がもらえるか楽しみである。また、それ以上に、多くの人との出会いを楽しみにしている。ただ、今日は、東京泊。夜は、本校の(いつもいっしょの)先生方と親睦を深めることになった・・・。明日は、佐藤学先生、秋田喜代美先生らが主催する「教育のアクションリサーチ研究会」に本校の4人の先生とともに参加する。
2006.07.31
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「食物連鎖マップ」も少しずつ完成に近づいてきた。そこで、少したちどまってそれぞれの「食物連鎖マップ」を振り返る。「ごちゃごちゃしてきた」「どんどんつながっていく」などの感想が発表される。そこで、「食べられる → 食べる」で書いてきた矢印(→)を逆に(食べられるものを順に)たどっていく。 最初、子どもたちはとまどっている様子であったが、しばらくすると、次のような声が聞こえてくるようになる。「全部、植物につながっている。」「えー」という反応もあったが、「枯れ葉」や「植物プランクトン」も「植物」であることを伝えると、「本当だ」という納得の声があがる。そこで、「動物は、直接的に、または、間接的に植物を食べている」ということに気づくことができた子どもたちに、「それじゃ、植物はどうやって養分を得ているのかな」と問う。すると、子どもたちは「自分でつくっている」と答える。「すごい」という声もあがる。最後に「これから、どんな『食物連鎖マップ』を完成させたいと思うか」と投げかける。「植物の『すごさ』がわかるようにしたい」「植物がスタートだとわかるような食物連鎖マップにしたい」などが発表される。どんな「食物連鎖マップ」ができるか楽しみである。
2006.07.07
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「一人一人の学びのストーリーを大切にすること。」授業をデザインする上で、大切なことであるが、私自身、少し「勘違い」をしていることに気づく。なぜかというと、子どもたちが「どんなストーリーをもつことができるか」ということにこだわっていたのである。もちろん、教材を選んだりテーマを設定したりするときに必要なことだが、このことにこだわりすぎると「授業設計」になってしまう。事前に必要なものは「教師の大まかなストーリー」であり、多様な参加の仕方を保証することである。では、「一人一人の学びのストーリーを大切にすること」とは、どんなことであろうか。藤岡完治氏の「ことば」を借りれば、常に次の2つのことを見取りながら「Reデザイン」することであろう。(1)教育内容や教材にどのように関わっているのか(2)自らの学習環境を、どのように構成したいと思っているのか「一人一人の学びのストーリーを大切にすること」とは、教師が考えたストーリー、つまり、教師がひいたレールにのせるのではなく、子どもの発言や行動から「なんだ、そうだったのか」「そんなことまで考えていたのか」という発見をしながら授業をつくり出していくことである。
2006.07.06
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昨日の夜、先輩(今年の春、転勤された先生)と話す機会があった。まだ、3ヶ月しか経っていないのだが、「なつかしくなって」思わず話し込んでしまった。「いろいろな」話をする中で、「よくblogを読んでるよ」と言われる。恥ずかしいやら、うれしいやら。このblogは、自分の授業記録、読書記録をとるためにはじめたものであり、まさに私自身のための「日記」である。しかしながら、「誰かに読まれる」ということがblogの日記との違うところであり、よさであろう。最近、私自身の「表現」であり、「表現すること」によって「分かり直す」きっかけが生まれることを実感している。「自分がわかるための表現」であるのだが、「誰かに読まれる」ということの効果が大きい。このblogを通して、学校は違っても、いっしょに研究を続けているという感じがして、本当にうれしかった。
2006.07.05
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少し遅くなったのだが、今日、ジャガイモ掘りをした。あまり、大きくなっていなかったのだが、結構たくさんの収穫ができ、子どもたちの喜ぶ姿が見られた。はじめは、収穫できるジャガイモに関心が向いていた子どもたちであったが、しばらくすると「種いもは?」という声が聞こえてくるようになる。そして、ぐちゃぐちゃになった種いもを見つけるたびに(2,3個しか見つけられなかったのだが)、大きな声があがる。やはり、「新しいジャガイモのひみつ」を追究する中で、「種いもの中にあったでんぷん」にこだわった子どもがいたおかげであろう。
2006.07.04
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授業をデザインするとき、「教育的瞬間」をとらえ「しかけ直す」ことが必要である。しかしながら、「教育的瞬間」とは、どんな「とき」なのだろうか。もちろん、分析することで明らかになるものではないのだが(「原理」ではなく「見識」であるから)、前述の文脈から考えると次の2つの「とき」であろう。(1)「しかけ直し」が必要なとき(2)「しかけ直す」きっかけが生まれたときどちらも、同じことを言っているようにも思えるのだが、よく考えてみると「微妙」に違う。授業の中で教師が「何を見るか」という点が一番の相違点であると考える。(1)では、全体の「雰囲気」や個々の「分かりぐあい」であるのに対し、(2)では、子どもの「発言」や「行動」の「背景(どうして、そのような「発言」や「行動」をしたのか)」である。ただし、どちらが「教育的瞬間か」ということを問題にするのではなく、「教育的瞬間」について共通理解をするために、このことを話題にしていくことが大切である。
2006.07.03
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