2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全23件 (23件中 1-23件目)
1

てんびん棒を使って「てこのきまり」を見いだした子どもたちであるが、今回は「てこの働き」について学習する。導入では、モビールをつくったときの「何個のおもりでもつり合わせることができる」という気づきからスタートした。まず、てんびん棒の片方のおもりの数を1個、もう片方を6個にしてつり合わせる。「1個のおもりで6個のおもりを『持ち上げて』いる」と説明し(このとき、子どもたちの中から「1個のおもりで、もっと多くのおもりを『持ち上げる』ことができる」と声があがった)、竹竿と水を入れたペットボトルを提示した。木片を支点にし、てんびん棒と比べながら「てこ」の説明をする。その後、子どもたちは力点や作用点の位置を変えながら「手ごたえ」の違いを調べていくことになる。このとき、まず実験結果を「予想」させる。もちろん、単なる「カン」ではなく、てんびん棒での実験をもとに、その「予想」を説明させた。実験結果は、子どもたちの「予想」どおりである。しかしながら、てこのおもしろさを「手ごたえ」として実感していたのだろう、あちこちで驚きの声があがる。「もっと重たいものを持ち上げてみたい」という要望から、ペットボトルを砂袋に代えて実験を続ける姿も見られた。また、「ペットボトルの重さと力は同じだ」という気づきも出される。授業も「まとめ」のとき、(今回も)思いがけないことが起こる。「もっとも楽にペットボトルを持ち上げるにはどうすればよいか」と問うたときである。力点も作用点も竹竿の先端にし、支点を作用点に近づける。すると、手を離してもペットボトルが持ち上がったのである。「モビールのときと同じだ。」次時は、いよいよ「棒の重さ」も含めて、自分たちのつくったモビールを説明する。
2006.02.27
コメント(0)

研究発表会も終わり、1週間が経つ。少しずつであるが「後片づけ」をはじめる。特に、多くのプリント類が机のまわりに散らかっている。紀要や指導案の原稿からいろいろな係の計画、授業で使ったフラッシュカードなどなど。そんな中、研究発表会に向けて1ヶ月前につくった「計画表」を壁から外す。 今年の研究発表会は、この「計画表」どおりに準備することを一つの目標にしていた。これまでの2年間は「がむしゃら」に「がんばる」だけであった。(そのことで「大きな成果」を得ることができたと考えているのだが。)今、振り返ってみると、おおむねこの「計画表」どおりに準備を進めることができた。だからといって、余裕があったわけではない。しかしながら「計画表」のおかげで、昨年までと「ちょっと違う」感覚で研究発表会に臨むことができたと思っている。また、何事にも「段取り」(段取りというというよりも「見通し」ということかもしれない)が大切だとも感じている。ただし、最後の最後まで「発問計画」は赤線で消すことができなかった・・・。(やはり、授業にベストはないということであろう・・・。)
2006.02.25
コメント(2)

実験用てこ(てんびん棒)を使った実験である。モビールで使ったおもりをそのまま使ったせいか、スムーズに実験が進む。しかしながら、てんびん棒の実験では、「つり合わない場合」があることに疑問をもちはじめる。モビールのときは、左右のおもりの数がどんなときにもつり合うのである。「つり合わせるためには、穴(目盛り)を増やせばよい。」多くの子どもたちが、穴と穴(目盛りと目盛り)の間におもりをつるすことができればつり合うと考えている。また、「支点を動かせばよい」という声も聞かれた。モビールをつくるときのことを想起しているのであろう。しかしながら、支点を動かしてもつり合わない。(実は「たまたま」つり合う場合もあるのだが。)その後、左右がつり合う場合の結果を板書し「てこのきまり」を見いだしていった。その中で、「おもりの数と、目盛りの数が『反対(左のおもりの数が3・目盛りが2、右のおもりの数が2・目盛りが3など)』のときにつり合う」という発見が、「おもりの重さ×支点からの距離」を導き出す、大きなヒントとなる。 自分たちで「てこのきまり」を見いだすことができ、どの子どもも満足気である。しかしながら、モビールのときと違って「つり合わない場合がある」ことが、子どもたちの見方や考え方をより科学的なものへ高める「きっかけ」になる。
2006.02.24
コメント(0)

「おもりが『0』でもつり合う。」前回の授業での発見である。子どもたちからは「棒の重さが関係している」というつぶやきが聞こえる。そこで、次のように子どもたちに説明した。「モビールがつり合うとき、おもりの重さだけでなく、棒の重さも関係しているようだ。しかし、棒の重さまで測定して考えると難しくなるので、まずは棒の重さを考えないでよい方法で調べていこう。」そして、「てんびん棒」を提示する。モビールのおもりを購入したとき、セットとして入っていたものだ。まず、おもりをつるさずにつり合う(支点が中心にある)ときとつり合わない(支点が中心にない)ときを試してみせる。ここでは、てんびん棒を使った「実験のしやすさ」とともに、次のように説明する。「てんびん棒が(おもりなしで)つり合うとき、てんびん棒の重さは考えなくてよい(無視することができる)。」これらの説明は、教師がしっかりと「教える」ことであると考える。(追究の中で、子どもが必要と感じているならば、子どもの「発見」に頼らず「教える」ことも効果的であると考えている。)もちろん、よくわからないまま実験に移る子どももいる。しかしながら、「モビール」を追究する中で、だんだんとわかっていくはずである。その後子どもたちは、てこ棒とモビールで使ったものと同じおもりを使って実験をはじめた。
2006.02.23
コメント(1)
研究発表会が終わったが、礼状の送付や後片づけなどで忙しい。本校の研究発表会は、1200人を超える参加者があるとともに、来賓や役員の先生方、そしてPTAの協力も多数あり、礼状だけで300通近くになる。研究発表会を終えてホッとしているところだが、たくさんの人に支えられて開催できたことを、しみじみと実感している。また、「やりっぱなし」ではなく、自分の授業や提案も「しっかり」と反省しなければならないだろう。授業については、単元終了後に書くとして、今回は分科会での提案を振り返る。私の理科での主張は「『発展的な教材』を単元の導入から取り入れる」ということである。「発展的な」という言葉を使っていることにも問題があるのだが、やはり他の先生方からの抵抗は大きい。「どうして、わざわざ子どもたちを混乱させるのか」という意見と同時に、「どうして、難しいことができるのか」という質問もあった。もっと、「『発展的な教材』を単元の導入から取り入れる」ことの「よさ」について語るとともに、単元(子どもの追究)の全体像をわかりやすく説明しなければならなかったのであろう。最近、この授業のスタイルが私にとって「当たり前」になっていると同時に、このことは何度も主張してきたという「思いこみ」があったと反省している。この点では、授業の「見せ方」も不十分であった。また、今回の公開授業では、自分たちでつくった「モビール」を紹介し合う場面からはじめた。その中で、「てこのきまり」に関する言葉も、子どもたちから聞かれる。このことに対しても「違和感」を持たれた先生もいたようだ。私のクラスの子どもは、教科書もよく読んでいる(私が教科書を「隠す」ようなことはしない)し、いろいろな科学に関する本も読んでいる。もちろん、塾などで学習した子どももいるであろう。それらの「知識」を否定するのではなく「活用」したいと考えていることを、もっと主張すべきであった。せっかくこの1年間、「先行学習の有効性」について取り組んできたのにと反省している。今回、私には次のような課題が残った。○「相手意識」が足りない ○主張の(自分の主張なのに)「分析」が甘い終わってホッとしているが、やはり「まだまだ」である。
2006.02.22
コメント(0)
「つり合う」条件として「おもりの重さ」と「支点からの距離」を抽出し、その間に何か関係がありそうだということを見いだした子どもたち。思考をシンプルにするため、1段、または、2段のモビールで調べることになった。多くの子どもたちが、片方のおもりを1個にし、もう片方のおもりの数を1個ずつ増やしていく。「おもりの重さが重くなればなるほど、そのおもりに支点が近づいていく」ということに子どもたちは気づく。そんな中、ある子どもから大きな声があがる。「おもりが『0』なのにつり合った。」「えー?」と他の子どもたちも、一斉にそのモビールに注目する。すると、確かに片方のおもりがなくてもつり合っている。そこで、「どうしてつり合うのだろう」と問うと、納得のいかない顔をしていた子どもたちであったが、しばらくすると、「棒の重さが関係あるのではないか」とつぶやくようになる。次時は、この「片方のおもりが『0』なのにつり合う」という疑問をもとに、実験用てこで調べる「よさ」について考えることからスタートする。
2006.02.21
コメント(0)

研究発表会後の授業である。研究発表会当日、授業後に大急ぎで後片づけをしたため、せっかくつくったモビールのいくつかが壊れてしまった。(私の授業は1時間目だったが、2時間目の授業も理科室いっぱいの参観者で、そのときに壊れたものもある。)そのため、今回はそのモビールを「修復」することからはじめた。10分ほどで、すべてのモビールが元どおりになったので、子どもたちを黒板の前に集めて、前回提示した2枚の写真をもう一度提示する。そして、「段」が増えたときのおもりの数の数え方を確認し、「みんながつくったモビールの『一番上の棒』に注目してモビールを考えるときも、同じようにおもりを数えることができるか」と問う。子どもたちがつくったモビールは、3段・4段と「段」の多いものである。しかし、子どもたちは「数えることができる」と声をあげた。そこで、「自分たちがつくったモビールの左右のおもりの数を数える」ことになった。その結果は、下の写真の通りである。 この結果を見て、子どもたちは「左右同じ数のものがある」「7個と1個でつり合っているものがある」「6個と16個というものもあるよ」と気づきを発表した。実際に、それらのモビールを見て確かめてみると確かに黒板に書かれた結果の通りであり、驚きの声があがる。実は、この自分たちのつくったモビールの左右のおもりを数えるという活動は、単元の終わりに予定していたことである。しかしながら、私の予想以上に子どもたちのモビールに対する見方が高まっていくため、この段階で思いきってやってみた。(大学の先生のアドバイスもあったのだが・・・。)予定外の流れになってしまったが、すべての子どもたちが授業の終わりには「左右のおもりの数が違ってもつり合う」「おもりの数が多い方に支点を移動させるとつり合う」ということに気づくことができた。
2006.02.20
コメント(0)

研究発表会での授業であるが、今回は、前回それぞれのペアでつくりあげたモビールを見比べる。まず、はじめにそれぞれがつくったモビールを紹介し合う。私のクラスは40名で20個のモビールがあり、友だちがつくった様々なモビールに驚いていた様子であった。そんな中、ある子どもが「右と左のおもりの数が違っても、つり合っているものがある」という気づきを発表する。そこで、下のように2つの写真を並べて提示した。 一つは、前回の授業の導入で私がつくって見せたモビールであり、もう一つは、あるペアがつくったモビールの一部を撮影したものである。子どもたちからは「おもりの数が違う」という声が上がる。また、「つるす位置が違う」とも発表する。そこで、マグネットスクリーンに映し出された映像の「つるす位置」にホワイトボード用のペンで印を付けさせる。すると、2つのモビールの、それぞれ一段目の「つるす位置」に入れ、「左右のおもりの数が同じだと、『つるす位置』が真ん中にあり、違うとズレる」と説明した。そこで、「他に気づきはないか」と問うと「2段目も『つるす位置』が違う」と答える。しばらくすると、「2段目も左右のおもりの数が同じだと『つるす位置』が真ん中にあり、違うとズレる」いう声が聞かれるようになる。このようにして、一段目のモビールがあっても、同じようにおもりを数えることができるというに気づくことができた。その後、「つるす位置」を「支点」ということを確認し、「モビールは、どんなときにつり合うのか」ということを、ペアで調べることになった。その中で、「糸の長さ」など「つり合う」条件に関係ないものも明らかになり、「おもりの重さ」と「支点からの距離」にしぼられていく。
2006.02.17
コメント(0)
いよいよ明日が研究発表会である。雨も降り、準備が予定どおりにいかず、結構バタバタしている。しかし、こんなときこそ「どっしり」と構える必要がある(余裕はないのだが・・・)。最後に確認しておかなければならないことがある。それは、これまで私が「多様と多元」についてこだわってきたことである。最近では、「多元的な学び」の必要性を強調してきた。しかしながら、「多元」と「多様」を区別しようとしているわけではない。「多元的」とは、子どもの立場に文化的な広がりがあるということであり、「多様性」は、その多元的な立場から生み出される「在り様」の違いである。つまり、「多元的な学び」を実現することで、子どもたちの考えにあらわれる「多様さ」の質を高めたいということである。いよいよ明日は、研究発表会である。
2006.02.16
コメント(2)
理科における「文化とのつながり」とは何であろうか。このことは、夏の研究会の中で、佐伯先生が私に残された宿題の一つである。子どもたちが、理科の学習をこれまで以上に楽しむこと。理科の学習内容と日常生活のつながりを知ること。自然の素晴らしさやおもしろさを実感すること。これらのことも、もちろん大切なのだろうが、何かものたりない。佐伯胖氏は、「『わかり方』の探究」の中で、「科学する文化」について次のように述べている。 ・・・・ 理科の「試験問題」解決能力は身につき、「理科ができる」子どもは育ったけれども、日常的な事象を「科学の目」で見ることの楽しさ、自分で科学的に考え、探究してみる喜び、「科学的な話」を互いに楽しむ会話、こういう「科学する文化」が失われてしまった。これをとりもどすのがこれからの理科教育の重要課題である。それにはまず何よりも、教師自身が「科学好き」であることをはっきり示し、科学の文化にどっぷり浸ること、科学雑誌を楽しみ、学校外の科学の研究団体や研究機関とも交流し、素朴に日常生活を科学の目で見直す楽しみにふけることである。 子どもたちに科学的知識なるものを与えようとするだけでなく、味あわせよう、楽しませよう、参加させようと、働きかけていただきたい。 ・・・・今、このblogを書いているとき、私の中学校時代のことを思い出した。私は、中学生のとき、美術がとても好きだった。そのときの美術の先生は、自分でも油絵を描き展覧会にもよく出展されていた。準備室に入ると、いつも油絵の具の匂いがし、壁一面に作品が飾られ、描きかけの絵が机の横に置かれていた。無口な先生だったので、何か話を聞いたという記憶はないものの「絵を描く」たのしさを背中で感じることができた。だから、なんとなく美術が好きで美術室(準備室は特に)に行くのが好きだったのである。「文化とのつながり」。教材や子どもではなく教師自身、つまり「私」の問題なのであろう。
2006.02.15
コメント(4)

前回のblogで書いたように、子どもたちはペアで「多様な」モビールをつくりあげることができた。(下の写真は、その一つである。) 授業後、子どもたちに「どんなモビールを作ろうと思ったか」というアンケートをした。子どもたちの答えは次の通りである。○見て楽しいモビール ○みんなをあっといわせるモビール○きれいなモビール ○シンプルな(ごちゃごちゃしていない)モビール○おもりがきれいにつり下がっているモビール ○長くて大きいモビール ○いっぱいつり下がっているモビール ○あみだくじのようなモビール○バランスがよいモビール ○「段」が多いモビール○右と左の形を同じにせず、形のおもしろいモビール○複雑でおもしろいモビール ○どんどんつなげたいと思った○バランスがとりにくいものに挑戦したいと思った○みんながつくることができないようなモビール○横幅が広いモビール ○とても大きなモビール○つり合ってわかりやすい(見て仕組みが)モビール ○みんなが「すごい」といってくれるモビール○なごやかに気持ちになれるモビール ○おもりが多いモビール○あまり、おもりが多くならないようにしたいと思った○左右が同じ重さ・長さのモビール ○不思議に思えるモビール○「どうなっているのだろう」と見ただけでは仕組みがわからないモビール○部屋にかざれるモビール ○先生のより、大きいモビール○おもりが1個と2個でつり合うモビール○トーナメント表のようなモビールとりあえず、書き出しただけであるが(もちろん、授業までに「分析」が必要だが)、子どもたちの立場が「多元的」であることを説明するには十分であろう。
2006.02.14
コメント(0)

いよいよ研究発表会で公開する授業の単元に入る。今回は「モビール」を単元の導入から取り上げる。モビールそのものは、どの教科書でも紹介されていて「めずらしい」ものではないが、今回教材として「開発」したものは、操作性が高く「多様な」モビールをつくりやすい。おもりの数や、モビールの段を自由に変える(増やす)ことができる。(棒は竹串、糸はてぐす、おもりは「ダイワ教材」のセット、ジョイントにはカップリングを使用した。)まず、子どもたちに一つ一つの材料を提示し、下の写真のようなモビールをつくってみせる。 あとは、「自分のモビールをつくろう」と投げかけるだけである。はじめは「簡単だ」と思っていた子どもたちだったが、やりはじめるとなかなか難しい。そんな中、子どもたちから「なかなかつり合わない」という声も聞かれるようになる。製作時間は、約1時間。子どもたちは、それぞれのペアで「多様な」モビールをつくりあげることができた。20個のモビールを並べてみると、壮観である。
2006.02.13
コメント(0)
いよいよ来週の金曜日(2月17日)は、研究発表会である。今日は日曜日だが、数人の先生方が学校で準備をされている。やはり、発表会であるかぎり、参観者にある程度きちんとしたものを見せなければならないであろう。しかしながら、発表会というものの、ピアノや演劇の発表会とは違う。練習に練習を重ねた「立派な」授業ではない。研究発表会が近づくと「研究発表会(研究授業)だから、がんばれ」と声をかけられる先生がいる。この声を聞くと、「何をがんばるのか」と疑問に思う。また、指導案の指導計画の予定時数を、はるかに超えて準備をしているクラスも見かける。数年前まで、総合的な学習の研究発表をする学校が多く、私もある中学校の発表会に参加した。その中で、生徒の研究発表が行われが、「立派」であると同時に「完璧」なのである。パワーポイントによるプレゼンも、発表する原稿(もちろん、一語一句間違わずに暗記していた)も「完璧」なのである。このような「立派」で「完璧」な発表を見ると、なぜか「興ざめ」してしまう。教師のプレゼンも同じである。しっかりと用意された原稿を、パワーポイントとのタイミングもピッタリに読まれる姿を見るとがっかりする。そのあと質問のしようがないのである。ある「プレゼン」について書かれた本を読んだとき、「『プレゼン』はアドリブが基本である」「『プレゼン』はコミュニケーションである」と書かれていた。(詳しくはおぼえていないのだが・・・。)先日、衝突ゲーム大会では、他の班の友だちにゲームをさせるとともに、ゲームの説明をさせた。説明の準備・練習する時間は5分。もちろん、最初はうまくいかないものの、友達とのかかわりの中でどんどんよくなっていき、最後は「見応え」のあるものになる。やはり、「力の入れどころ」が違うのである。明日は、いよいよ事前(研究発表会当日の授業を「本時」とするならば、「前時」)の授業である。「完璧」な発表会。捉え違いのないようにしたいものである。
2006.02.12
コメント(2)

今日、先日子どもたちが描いた「白菜」の絵を掲示する。一つ一つ見てみると、本当に生き生きとした絵である。子どもたちも、他のクラスの先生から「おいしそうな絵」とほめてもらったようだ。特に、5年生になってすぐの絵と比べてみると、色遣いが全然違う。以前このblogで書いたように、「色を探す」「見えた色で描く」という声かけを続けてきたからであろうか。今回の掲示は、2月17日(いよいよ来週である)の研究発表会に向けての準備でもある。理科の授業はもちろんのこと、この1年間、子どもたちが教室の中で「かかわりながら」学んできた様子を少しでも見ていただけたらと思っている。
2006.02.11
コメント(0)
衝突ゲーム大会も終わり、それぞれのゲームの「コツ」から、衝突のきまりを探る。「どうすれば、しょうとつのはたらきは大きくなるのだろうか。」子どもたちは、すぐに「ビー玉の大きさ」と「レールの高さ」と答える。そこで、一番多きビー玉と同じ大きさの発泡スチロール球を準備する。子どもたちからは、「それは大きいけれどダメ」という声があがる。このことから、「大きさ」ではなく「重さ」に着目させる。また、「レールの高さ」については、「レールの高さが変わると何が変わるの」という質問だけで、すんなりいく。子どもたちは、声をそろえて「ビー玉の速さが変わる」と答えた。もちろん、これまでの生活体験もあるのだろうが、「速さ」に無理なく着目させることができたのは、これまでビー玉とレールを使ったゲームをつくり、「十分」遊んでいるからであろう。教科書にある、レールの高さと速さの関係を調べる実験は、何かもの足りなさを感じているようである。ビー玉の「重さ」と「速さ」。このとき、ほとんどの子どもが、この両方がしょうとつのはたらきに関係があると考えている。そこで、「無理矢理」揺さぶる。「本当に、両方が関係しているのかな。」あまり、よい発問ではない。その後、条件を整えて実験した。子どもたちは、自分たちが見つけた「コツ」と、実験で確かめた「きまり」が一致したことに、「やっぱり」という声をあげていた。
2006.02.10
コメント(0)
今回、理科の授業で取り組んだ「衝突ゲームをつくる」という実践を例に「多様と多元」について考えてみる。先日、子どもたちは「自分たちの衝突ゲームを考え(つくり)」「ほかの班の友だちに紹介(説明)し」、「ほかの班のゲームを楽しんだ」。先日、この授業をふり返り「どんなゲームをつくろうと思ったか」「何が楽しかったか」というアンケートをとった。その結果は、次のような答えが返ってきた。○どんなゲームをつくろうと思ったか。・おもしろいゲーム ・みんなが楽しめるゲーム ・点数が競えるゲーム ・みんなが驚くようなゲーム ・ほかの班が考えないようなゲーム・衝突が生かせるゲーム ・衝突が何かのためになるゲーム・衝突して、なぜって考えさせるゲーム ・みんながやってみたくなるゲーム○何が楽しかったか。・自分たちのゲームを考えたこと ・友だちが考えたゲームをしたこと・いろんなアイディアがあったこと ・工夫をほめられたこと・何種類もできたこと ・自分たちのゲームを紹介すること・うまくゲームができたこと ・コツを生かしてゲームができたこと ・友だちに自分たちのゲームをしてもらったこともちろん、学習のねらいは、「衝突のきまり」を見いだしていくことである。しかし、衝突ゲームと出会い「おもしろい」「不思議だ」と感じたときの子どもたちの立場(理科の理論の中には「得意・不得意、興味・関心など」と書き加えた)は、「多元的」である。「多元的」な立場を保証する教材(課題)と授業の組み立てが必要であり、このことが、ねらいに迫るための「多様性」を生む。
2006.02.10
コメント(2)

今回、図工で「白菜」をスケッチした。最近おなじみになった学校そばの八百屋さん(個人商店)に頼んで、白菜を10個購入する。(お店の人にも、絵を描くのに使うということを「理解」してもらっている。ちなみに、一玉180円だった。)多くの子どもが、2時間で完成させることができたのだが、授業の流れは、次の通りである。(1)「冬といえば鍋。鍋といえば・・・」と質問する。子どもたちは、豆腐・ネギ・肉団子など、いろいろ発表する。その後、「先生は、白菜です」といいながら、白菜を子どもたちに見せる。(5分)(2)グループ(4人)に白菜を渡す。グループの机の真ん中に白菜を置かせ、いちばんお気に入りの(おいしく見える)場所を選ばせる。同じ場所を二人以上が選んだら、今回はジャンケンで決めさせた。(5分)(3)黄色のチョークで、大まかな下書きをする。(10分)(4)サインペンで下書きをする。(30分)(5)絵の具で色をつける。(40分) 最近、(1)(2)の過程の大切さを感じている。専門ではないので詳しいことは書けないが、ジャンケンで場所決めをさせたことも(ジャンケンという方法には問題が残るものの)効果的であった。
2006.02.09
コメント(0)

前回の授業でグループごとに考えた「衝突ゲーム」を紹介し合う。それぞれのグループを半分に分け、一方が自分たちが考えたゲームを紹介し、もう一方が他のグループの説明を聞く。簡単なゲーム大会だ。今回それぞれのネーミングも考えさせたが、結構おもしろい。「ビー玉スキージャンプ」「ビー玉ボウリング」「ビー玉ジェットコースター」などなど。多くのゲームが、はじき飛ばしたビー玉で「距離を競う」ものか「ものを動かす(倒す)」ものであった。 しかしながら、その中には、はじき飛ばすビー玉の大きさをクジで決めたり、遠くではなく手前の方が高得点になるなどの工夫も見られた。これらの工夫は、「衝突のおもしろさ」を実感したことから考え出されたものであろう。また、それぞれのゲームを紹介するとき、ゲームがうまくいく「コツ」も説明させた。この「コツ」について、ある子どもが次のような感想を書いた。「ほかの班のゲームもいろいろやったけれど、ほとんどのコツが、『ビー玉の大きさ』と『レールの高さ』でした。」次時は、この「コツ」に焦点化し、衝突のひみつを探る。
2006.02.08
コメント(0)

「実証と反証をくりかえし、一つ一つつぶしていく。」このことを考えるとき、「気になる図」を佐伯胖著「『わかり方』の探究」の中で見つけた。その図とは、下に示すものである。 佐伯氏は、この図について次のように説明してる。 ・・・・ 私たちが何かを「知る」前に、まず心の中に一つの「公理系」が用意される。「公理」というのは、それ自体は検証も反証もできない性質ものである。その「公理」からは、無限に多様な「定理」が生成される。「定理」はもちろん観察事実によって検証も反証もできるものでなければならない。(政治を例にとれば、「現総理」ならきっとこういうだろうと予測するとき、「こういうだろう」というのは検証できる「定理」であるが、それ以前に、「現総理とはこういう人間なり」というモデルがある。それが「公理」である。) 「定理」は、公理からは原則的に無限に多様なものとして生成できるが、当面の状況の中で検証できそうな定理はそう多くない。そこで、当面関心の払われる「定理」が知覚や認識に先立つ「仮説」、「予想」、「期待」となる。 ところが不思議なことに、一つの「定理」が予想されると同時に、その反対、または、否定的な定理が生成される(予想をうらぎる可能性が心の中で生成される)。そうなると、その反・定理がもっともらしく説明できるはずの反・公理系が暫定的に生成される。こういう状態で私たちはモノを見るのである。つまり、事実に照らすと、定理aと反・定理a’とのいずれが正しいか、として見るのである。 ・・・・予想をうらぎる可能性が心の中で生成される。このことが、「思いつきの出しっぱなし」にならないようにするためのヒントであろう。また、図に書かれている「帰納と演繹」についても、もう一度咀嚼しなければならない。
2006.02.07
コメント(0)

今日から、「衝突」の単元にはいる。今回は、ビー玉の衝突を利用したゲームづくりを取り入れる。まず、次の道具を子どもたちに渡す。○ビー玉(大・中・小、それぞれ2個ずつ。計6個。)○レール(カーテンレールを板に固定したもの。中心を固定しており、両端を持ち上げることができる。)○木片(約10×10×10cm)○タッパ(3個)すると子どもたちは、いろいろな遊びをはじめる。ただビー玉を転がすグループ。レールの両端を持ち上げて、一つのビー玉をいったりきたりさせるグループ。両端からビー玉を転がして衝突させるグループ。そこで、次の約束をし、それぞれのグループでゲームを考えることにした。○ビー玉を2個使い、衝突させること。○片方のビー玉は、最初止まっていること。子どもたちは、その後1時間ほど「飽きずに」ゲームづくりに取り組んだ。 次の時間は、それぞれが考えたゲームと、そのゲームをするときの「コツ」を紹介し合う。
2006.02.06
コメント(2)
「探究のロジック」について考えるとき、「確証(前回のblogでは実証と書いたが)」と「反証」ということがキーワードになってっくる。佐伯胖氏は、「『わかり方』の探究」の中で「『本来の実験』に近づける」こととして、次のように述べている。 ・・・・(1) 実験の論理(実験では「反証」は確定できても、「確証」はできないーたかが、「例証」のみ可能なこと)をはっきり教えること。ちなみに、「こうやればこうなる」と予想をたてて期待どおりの結果を出し、「やっぱりそうか!」と確認するというのは「実験的観察」であって、厳密な意味での「実験」ではない。「実験的観察」を否定するつもりはないが、それが「実験」だと思わせるのはまちがっている。本当の実験のおもしろさというのは、実は、その反証性にあるのだ。(2) どういう仮説を反証して、目的の仮説の妥当性を高めたいかを明確にする。(3) そのために、どんな実験をすべきか、どんな実験が可能かを考え、みんなで真剣に討議して実験に取りかかること。 ・・・・「確証」と「反証」について、辞書で調べてみる。 ・・・・かくしょう【確証】たしかな証拠。「―を得る」「―がない」「ついに―をつかんだ」はんしょう【反証】(1)相手の主張に証拠をあげて否定すること。反対の証拠。 「―をあげて抗議する」(2)略じっしょう【実証】(1)事実によって証明すること。また、確実な証拠。 「理論の正しいことが実験で―された」「―を重んじる研究態度」(2)略れいしょう【例証】(1)証拠として引く例。「適当な―を見つける」(2)例を引いて物事の正しさを証明すること。「対策の必要性を―する」 ・・・・結局、よく分からない。ただ、一ついえることは、私が子どもたちにやらせていたのは「実験的観察」だということである。まだまだ、考察と咀嚼が必要である。
2006.02.03
コメント(0)
8月の本校の研究会で佐伯胖氏が私に残された「宿題」は、「多元的な学び」「文化とのつながり(文化的な広がり)」、そして、「探究のロジック」である。2月17日(金)の研究発表会に向けて、「探究のロジック」について考えていきたい。「探究のロジック」。佐伯先生の言葉を聞いたとき、はっきりいって「全く」分からなかった。しかし、ノートには「実証と反証をくりかえし、一つ一つつぶしていく」とメモしている。「ロジック」を辞書で調べてみると、次のように書いてある。 ・・・・ロジック (1)論理。議論のすじみち。(2)論理学。 ・・・・また、佐伯氏は「『わかり方』の探究」の中で、「理科の『わかり方』」について、次のように述べている。 ・・・・ 理科の授業で生徒が様々な発言をするのは、そのほとんどが「予想」である。 ・・(略)・・ しかし、決定的なのがは、「予想(ゲッシング)」というのは、その理由や根拠が問われないということである。いってみれば、「思いつきの出しっぱなし」である。 ・・・(中略)・・・ 科学では、一つの仮説を提言するには、合理的な根拠、論理的に展開される議論、さらに、可能なかぎりの反論に対する備えが要求される。 ・・・(中略)・・・ ここははっきり、「推論の合理性」について、しっかりと価値観をもつようにしてほしい。結果が当たるか当たらないかよりも、推論が「もっとも(妥当なもの)なのか」そうでないか、つまりそのことが論理的に「ちゃんといえる」ことなのか、「かもしれない」だけのことなのか、ということである。単に「そう思う」だけなのか、「これだけは間違いなく、そういえる」ことか。ほかの可能性をきちんと「つぶして」いるのか。 せめて、「君がいっていることが正しいとすると、こういうことになるけど、それでいいのか」というぐらいのことは授業できちんと吟味にかけてほしい。科学的思考というのは、こういう「きちんとした吟味」の過程そのものなのだ。 ・・・・研究発表会の授業を前に、耳が痛くなる話だ。「思いつきの出しっぱなし」では、ダメだということである・・・。
2006.02.02
コメント(0)
2月17日(金)の研究発表会に向けて、いろいろな本を読み返している。しかしながら、授業の準備や雑用も多く、ゆっくりと本を読んでいる暇はない。こんなときはいつも、鏑木先生(草加市立八幡小学校校長)に教えていただいた次のような方法で本を読む。(1)前書きを読む (2)後書きを読む (3)目次を読む (4)気になるページを読むこの方法は、「乱読」するときに効果的であるが、「何かをはっきりさせる」ときにも結構使える。今、この方法で、佐伯胖氏の「『学び』を問いつづけて」「『わかり方』の探究」を読み返しているところである。何度も読み返し、このblogでも紹介してきた本であるが、案外「前書き」や「後書き」は見落としている。「『学び』を問いつづけて」の後書きには、次のように書かれている。 ・・・・ここでいう「学び」とは、人間の、最も人間らしい営みとしての学びである。むしろ、「よく生きること」とほとんど同義であるといえよう。 ・・・・情緒的な文であるが、私たちのめざす「学び」そのものである。子どもたちの学びを「多元的な」ものにすることのゴールが、この文に表現されている。また、後書きの最後に、「欠点を「華」にする」という佐伯先生「お気に入り」のエッセイが紹介されているのを見つけた。後日、このblogで紹介したい。
2006.02.01
コメント(0)
全23件 (23件中 1-23件目)
1