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いよいよ「ものの溶け方」も、最後の授業。今回は、これまでの学習を振り返りながら「水にとけた食塩はどうなったのか」自分の考えをノートに書く。まず、それぞれの考えを発表する。smさん「やっぱり、目に見えないくらいの食塩になったんだと思う。」tmさん「小さな粒になった。小さな粒になって、水と合体したんだと思う。」esさん「水を蒸発させるとまた出てくるんだから、合体したというより水と食塩がペアになった。だから、水にとけるのに限界がある。」shさん「私は、食塩が分解したんだと思う。」NGくん「osさんがいってたように、食塩がどんどん分かれていくんだと思う。」MRくん「ぼくは、食塩の周りからどんどん分かれていって、小さくなっていくんだと思う。」まだまだ十分ではないものの、多くの子どもたちが「小さな粒になる」と考えているようである。また、もともとの食塩の粒がバラバラになるというイメージからだろうか、「分解」という「ことば」も出てきている。その後、自分の考えをノートに書いた。そのときの数名のノートを紹介する。ynさんのノート。文章では「目に見えない」ということを根拠にしているだけであるが、「図3」を見ると、「重さは変わらない」ことも意識していることも分かる。次に、wmさんのノート。こちらには、文章で「小さくなった分、たくさんの数の粒になった」「とかす前ととかした後の重さは同じ」と書かれている。最後に、uhさんのノート。こちらは、MRくんの発言を参考にしながら「どのように小さくなるのか」について書かれている。おそらく、自分でつくった結晶を水の中に入れてみたのだろう。二つに分かれるのではなく「だんだん小さくなっていく」ことを根拠にしていることが分かる。(ノートに「最終回」と書かれているのもおもしろいのだが・・・。)とりあえず、今回の実践は、これで終わりである。また時間があるときに、実践を振り返ってみたいと思う。(実践の考察は、また後日upします。)※ 本実践は、本年度7月から10月にかけた行ったものであり、今回の記録は、10月17日のものである。
2012.12.28
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前時の中であったanさんとosさんの考え。どちらとも「小さな粒になる」というものの、その小さくなる「なり方」が異なる。はじめに、この二つの考えを図で示しながら確認した。このとき,anさんの発言を改めて聞き,MKくんが次のように発言した。MKくん「えっと,anさんがいったのは粘土みたい。だから,粘土をまず二つ用意して,1個をそのままにして,もう一個を図の一番最後のやつのように小さく8つに分けると,一番最初と一番最後は重さは同じで,大きいやつは1個だけど大きくて,分かれた方は小さいけど何個もあるから,そこで同じ重さになってる。」3年生のときに学習した「粘土は,形を変えても重さは変わらない」ことを思い出しながら発言しているようである。子どもたちをグループに戻し,溶かす前の食塩と水を蒸発させて取り出した食塩,そして,「結晶づくり」でつくった食塩の結晶の粒の大きさを比べさせる。その後,一辺が3cmを超える大きさの岩塩を提示した。子どもたちが,その大きさに驚きの声を上げる中,海底が隆起するときに海水が閉じ込められ,長い年月をかけて水が蒸発しできたものであることを説明した。そこで,「どうして取り出した食塩の大きさがちがうのだろう」と問うと,全体では次のように話し合った。IYくん「水の中に入っている小さな粒がどんどん集まって,大きくなったと思う。だから,小さな粒が多くあると集まる量も多くなるから大きくなって,少ないと小さくなると思う。」AKくん「ぼくは,食塩の量じゃなくて時間が関係すると思う。なぜなら,バーナーで熱した方は小さくなっている。ぼくは結晶は,食塩が集まってできていると思ってて,はやい時間で熱して蒸発してしまったから,集まる時間が短くて小さくなった。でも,岩塩は結構長い時間をかけてつくっているから,大きくなった。」HNくん「ぼくも,時間の問題と思うんですけど,水分が含んでて,それを普通に蒸発させるのと,熱して蒸発させるのでは水が飛ぶ時間がちがうから,熱で熱してやると水分がはやく飛ぶから,なんかちっちゃいのになるけど,ゆっくり蒸発させたら集まる時間ができて結晶ができるから,やっぱり時間で大きさがちがう。」そんな中,一人の子どもが次のように発言した。MSくん「なんか,ぼくも時間がかかわってると思って,ある種の岩のでき方が似てて,集まる時間が短くて小さくなったのは,火口からマグマが飛び出してきて,それが急に冷えて固まった火山岩と同じだと思う。」C 「火山岩?」T 「あー,火山岩と深成岩じゃないの?よく知ってるね。火山が噴火して,マグマが外に出てきますよね。そうすると,空気触れて急激に冷やされるよね。そうすると,そのマグマはどうなるの?」MSくん「そのまま岩になる。」T 「岩になるよね。じゃあ深成岩は外に出てこないね。マグマが地面の中にあるから。それはどうなるの?ゆっくり冷やされるんだよね。それも冷やされて岩になるの?」MSくん「岩になる。両方岩になる。」C 「その岩が塩だとしたら・・・。」T 「その深成岩と火成岩ってどんなちがいがあるのかな?」MSくん「なんか中は,うーん・・・。」MSくんは,十分ではないものの,同じマグマからできている組織の細かい火山岩と組織が大きな深成岩を例に説明しようとしたのだろう。」このように,取り出した食塩を「小さな粒の集まり」ととらえることにより,「水が蒸発する時間」を「小さな粒が集まる時間」に置き換え,取り出した食塩の粒の大きさが異なる理由を説明することができることに,多くの子どもたちが気付くことができた。※ 本実践は、本年度の7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録も9月26日のものである。
2012.12.26
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今回の授業(9月20日:「その12」と「その13」)は、本校(熊本大学教育学部附属小学校)の研究授業だった。(なお、指導案と実践解説は、熊本大学教育学部附属小学校のHPの「授業研究最前線」で。)授業後に授業研究会もあり、授業後の振り返りから、次のようなことが見えてきた。・・・・・多くの子どもたちが、取り出した食塩の粒の大きさの違いを意識していない。「小さな粒になる」と発言している子どもも、溶かす前の食塩が小さな粒の集まりだということをとらえることができないため、「小さな粒」の大きさや変化の仕方が問題になっている。・・・・・グループの話し合いの中でktさんが指摘したように、アルコールランプで加熱し水を蒸発させて残った食塩は、水に溶かす前の食塩よりも粒が小さくなっていることに関心をもっているようである。授業のはじめに重さを量った後、しばらくの間ビーカーに残った食塩を触る子どもの姿が見られた。しかしながら、「結晶づくり」で取り出した食塩の粒が大きかったこともあり、この事実を水に溶かすときの食塩の変化に結びつけることができないのだろう。そこで、次時に向け、以下のような具体的な手立てを考えた。・取り出した食塩の粒の大きさを改めて確認するとともに、岩塩を提示する。 ・前回提示した3段階のうち、「とかした後 → 水を蒸発させた 後」に焦点化した話し合いを促す。 なお、自由研究の中で、数名の子どもが一辺1cm近くの大きさの結晶をつくることができている。しかし、十分に結晶が大きくならず、大きな結晶を取り出すことができることを実感できていない子どももいるため、粒の大きさが一辺3cmを超える食塩を提示する。これは岩塩であり、単に水を蒸発させてできたものではないものの、その結晶の様子を観察することができる。このことにより、取り出した食塩の粒の大きさの違いを改めて意識させることができるのではないか。
2012.12.24
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前回のblogのつづき。「水にとけた食塩はどうなったのだろうか。」グループで話し合った後、学級全体では、次のように話し合った。MKくん「とかしたときのもやもやみたいなものが、とけている証拠だと思って、ほんとに小さな粒が集まって、もやもやになったと思った。」HNくん「とけるっていうのは液体になるっていうことだと思う。だって、目に見えない小さな粒がもやもやっていってるんですけど、そのもやもやは食塩がとけた液体だと思う。」AKくん「液体になったら、たぶん、加熱したときに蒸発すると思う。」ttさん「固体の食塩がとけて液体になるのは無理だと思う。」MSくん「液体になるんだったら、どれだけでも食塩がとけることになるからおかしい。」anさん「私は、途中までとけて、とけきれないところがあって、そのぎりぎりのとけれないところまでいったものが小さな粒で、水の中に小さな粒が入ってると思う。」IYくん「食塩水の中でも水と食塩が分解されていて、その食塩のまわりの水だけが蒸発して、残った食塩が、前のやつよりも小さくさらさらしてた。たぶん、それは水の中で小さくなって、まわりの水だけが蒸発したから、こんな食塩が残ったんだと思う。」HNくん「みんないってる小さな粒っていうのはおかしいと思う。家で料理とかするときに、塩を使うとき、できあがった料理は塩のガリッとした感じがしない。」smさん「目に見えないくらい小さくなっているんだから感じない。私は、食べても分かんないんじゃないかなって・・・。」HNくんは食塩を水に溶かすとき「もやもや」したものが出て、その後見えなくなることを根拠に「液体になる」と主張している。やはり、水の中に「小さな粒」が存在することをイメージすることができないのだろう。また、anさんが「どのように小さくなるのか」を提案している。anさんは、ノートに次のような図をかいていることから、食塩のまわりが液体になって粒が小さくなると考えていることが分かる。おそらく、水を蒸発させると食塩を取り出すことができることから「小さな粒になった」と主張しているのだろうが、まわりの食塩が液体になると考えている。このanさんの考えを、黒板に図でかいて示すと、一人の子どもが次のように指摘した。ksさん「私はのりみさんの意見に反対で、前の実験で、とかしても重さは変わらななかった。一つ一つがどんどんちっちゃくなるんだったら、重さがどんどん軽くなっていく。」ksさんは、本時のはじめに確認した「水に溶かした食塩と水溶液から取り出した食塩の重さが変わらない」という実験の結果を根拠にして反論していることが分かる。多くの子どもたちが、この事実を意識していなかったのだろうか、発言がここで途切れてしまう。そこで、食塩の重さに着目して考えていたosさんを指名し、図を示しながら説明することを促した。osさん「anさんと同じ考えかどうか分からないけど、一つのが小さく二つになって、その二つの一つがまた小さくなって、その二つのどっちかがまた小さくなっていく。一番小さいのを足したら、もとの一つ分と同じ重さになる。」smさん「どんどん分かれていったら、きりがないからおかしい。」ここで時間になり、授業を終えた。おそらく、実際に溶ける様子を観察したことと「一つが二つになって小さくなる」ということがピッタリと合わないのだろう。授業後も、「重さは変わらないということは分かるけれど」と、osさんの考えに多くの子どもたちはとまどっている様子であった。※ 本実践は、本年度7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は9月20日のものである。
2012.12.24
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まず、「水にとかした食塩」と「水を蒸発させて取り出した食塩」を比べ、重さが変わらないことを確認する。重さが減ると考えていた子どもも多かったため、驚きの声が上がった。この結果を踏まえ、「水にとけた食塩はどうなっているのか」と問い、下のような「とかす前 → とかした後 → 水を蒸発させた後」の3段階の図をかきながら考えることを促した。ここでは、溶けた食塩が水の中でどのように存在するかだけでなく、「溶かす前」から「食塩を取り出す」までの一連の変化を説明させる。そんな中、多くの子どもたちが「水を蒸発させて取り出し食塩」を指で触り、「水にとかした食塩」と粒の大きさのちがいを確かめている。それぞれの考えをノートに書いた後、ktさんのグループでは次のように話し合っていた。esさん「水の中にいっしょに入っているのに、水だけ蒸発して食塩だけが取り残される。だけど、どうやって水と食塩は分別されるの?」ktさん「食塩は蒸発しないんじゃないのかな。」esさん「蒸発しないんだと思うけど、食塩は、水の中で分解されているの?」ktさん「小さく分解されているんじゃない?水の中で。」AKくん「どうやって分解されるの?」ktさん「小さくなるんじゃないかな。」IYくん「食塩の小さな粒があって、そのまわりに水がたくさんあって、水だけが蒸発して、結局は食塩だけが取り残されて・・・。」esさん「あっ、そうか。」ktさん「水の中で小さくなったから、水を蒸発させて取り出したとき、さらさらになったんでしょ。」AKくん「とけるとき、小さくなるの?」esさん「でも、どうしてあんな結晶ができるの?」ktさんは、水溶液をアルコールランプで加熱したとき、出てきた食塩の粒が小さく「さらさら」していたことを根拠に、食塩が水の中で小さな粒になって存在していると主張しているのだろう。しかしながら、他の子どもたちには受け入れられない。AKくんは、「とけるのに、食塩の粒が小さくなるのはおかしい」と、esさんは「水を蒸発させたとき大きな結晶ができるときもある」と反論している。また、「液体になるかどうか」についても次のように話し合っている。AKくん「じゃあ、食塩のまわりを水が囲んでいて、水だけが蒸発して、それで取り残されたの食塩が残った食塩なの?」IYくん「だから、食塩のまわりだけが蒸発して残ったものが食塩。」ktさん「食塩は小さくなって、取り残されて・・・。」IYくん「小さくなって、取り残される。」ktさん「でも、液体になっているとしたら?」IYくん「そうしたら、蒸発されるよ。」ktさん「そう、液体になっていないから、食塩は蒸発しない。」ここでは、ktさん自身が「液体になっているとしたら」と問い返し、IYくんの発言をたどることにより「液体になっていない」と納得していることが分かる。おそらく、このグループの中でktさんには学びが起きていたのだろう。その後、学級全体で話し合う。(続く)※ 本実践は、本年度7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は9月20日のものである。
2012.12.22
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昨年度までの3年間、文部科学省研究開発学校の指定卯を受けて「論理科」カリキュラムの開発に取り組んだのだが、すべてがゼロからのスタートであり、試行錯誤の連続であった。そんな中、年3回発行している「附属小研究だより」には、なんとか毎回2ページの「論理科」に関する原稿を書くことができた。今回本校(熊本大学教育学部附属小学校)のHPで、その原稿を改めてupしたのだが、そのタイトルを順に並べてみると、次のようになった。・・・・・・「論理科」がスタートします!(平成21年9月)・今、なぜ「論理科」なのか(平成22年1月)・「論理科」をめぐる5つの疑問にお答えします(平成22年6月)・言語活動充実のキーワードは「論理」(平成22年9月)・子どもの「論理」を見取り、言語活動を評価する(平成23年1月)・「論理科」で広がる子どもの学び(平成23年6月)・「論理科」で子どもの対話をはぐくむ(平成23年9月)・子どもの姿に学ぶ「成長する教師」に(平成24年1月)・・・・・その当時の問題意識や取り組みの中心がわかるとともに、ある程度ていねいな段階を踏んで研究が進んだことを確認することができる。もちろん、当時は「順調」など、一度も感じたことがなく、常に何かに追われていたのだが・・・。詳しくは、熊本大学教育学部附属小学校のHPで。
2012.12.21
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平成25年2月15日(金)、本校(熊本大学教育学部附属小学校)の研究発表会で、私も4年ぶりに授業を公開します。今回は、5年「流れる水のはたらき」で、実際の川(白川)を観察し、上流と下流の様子が違う理由(原因)を追究します。単元名も思い切って「『上流と下流』とは」にしました。研究発表会当日は、課題を「どうして上流と下流で石の大きさがちがうのだろう」にする予定です。ぜひ、授業を観ていただいて、ご意見ください。詳しくは、熊本大学教育学部附属小学校のHPで。
2012.12.20
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水を蒸発させ、水とけた食塩を取り出す。前回の実験では「水にとけた食塩を取り出すことができる」「ろ過した水溶液からも食塩を取り出すことができる」「アルコールランプで加熱すると、とかす前の食塩より小さな粒の食塩が出てくる」などが分かった。しかし、「とかす前の食塩」と「水を蒸発させて取り出した食塩」の重さを調べ比べることができない。そこで、演示実験ではあるが、水250gに食塩30gを溶かし、取り出した食塩の重さがどうなるか調べる。早速、食塩を水に溶かしガスコンロで加熱するが、すぐには蒸発しないため、その間を使って結果を予想する。ayさん「減ると思う。食塩もいっしょに蒸発する。」IYくん「減るけど、ちょっとだけ。」smさん「私は蒸発しないで結晶になると思う。だから重さは変わらない。」ksさん「私は、少し増えると思う。前回蒸発させたとき、食塩がたくさん出てきた。」tmさん「何かを入れないと増えないし、何かを取らないと減らない。」前回の実験の印象が大きいのだろう。ksさんがいうように、3mlしか蒸発皿に入れていないのに、出てくる食塩は多いように感じる。また、「ちょっとだけ減る」というIYくんの「ちょっとだけ」も気になるところである。そんな中、また「液体になるのか」ということが話題になる。SMくん「いっしょに蒸発するのはおかしい。昨日も誰かいったけど、いっしょに蒸発するなら雨がしょっぱくなる。」osさん「でも、食塩は水みたいになっているから・・・。」HNくん「食塩は液体になっている。」ktさん「食塩が液体になるの?」MKくん「少しはなっていると思う。」OHくん「食塩が水に混ざっているからいっしょに蒸発するってことじゃないかな。」anさん「混ざっているんだったら食塩は残ると思う・・・。」最後に、自分の考えは重さは「増える」「減る」「変わらない」のどれか、手を挙げさせる。「増える」人、「減る」14人、「変わらない」22人であった。予想以上に「減る」が多いことに驚きである。なお、時間内に水が蒸発し終わらなかったため、放課後、ガスコンロとドライヤーを使ってビーカーを加熱することになった・・・。※ 本実践は、本年度7月から10月にかけて行った実践であり、今回の記録は、9月19日のものである。
2012.12.18
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本単元での実験も、いよいよあと一つである。食塩を水に溶かした水溶液を蒸発皿に数滴取り、アルコールランプで加熱する。なお、今回は、普通の食塩と粒の大きな食塩(岩塩)をそれぞれ水に溶かしたものを使用する。また、加熱する前に、溶け残りが混ざらないように「ろ過」することも子どもたち伝えた。実験前に、「普通の食塩と粒の大きい食塩をとかした水を熱するとどうなるか」予想する。kmさん「自由研究のとき水を蒸発させたら結晶ができたから、どっちも残ると思う。」smさん「どちらも何も残らないと思う。だって、どっちもろ過しているから。とかした食塩は、ろ紙のところで引っかかる。」ttさん「ひっかかるのは大きいのだけ。とけているのはとけているんだから。」ksさん「でも、みんなが言ってたように小さい粒ならろ紙で止められるんじゃないかな。」やはり、粒の大きさが問題になる。また、「液体になる」ということも話題になる。wmさん「私も残らないと思う。理由は違って、とけているんだから水といっしょに蒸発すると思う。」MSくん「でも、海水も食塩水でしょ。海水が雲になって雨になるって本に書いてあったから、食塩も蒸発するんだったら、雨はしょっぱくなるからおかしい。」YKくん「食塩水って、水といっしょじゃないの?」AKくん「水のようなものってこと?」esさん「どちらも液体ってことじゃないの?」ayさん「だったら、何も残らない。」「食塩が水の中で液体になっていたら何も残らない。」どれだけの子どもたちが理解しただろうか。その後、実験すると、両方ともバチバチと音を立てながら水が蒸発し白い粉が残った。もちろん、両方とも同じようなものが残ったことに疑問をもつ子どもがいたものの、子どもたちは、何かが残ったことよりも、音ともに激しく食塩が飛び散ったことであった・・・。※ 本実践は、本年度の7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は9月18日のものである。
2012.12.17
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「水にとける食塩の量には、どうして限りがあるのだろう」。今回は、このことについて、前回の実験結果をもとに話し合う。uhさん「振ったときに泡が出たから、あわさって違う物質になった。」esさん「水と食塩がペアになるんだと思う。水が足りなくなったからとけなくなったんだと思う。」GTくん「ぼくは、振ったときにこすれるんだと思う。」anさん「こすれるって、とけると同じ?」YKくん「水の袋がコップのようになってて、まんぱんになってとけきれなくなった。」ksさん「『ふくろ』は、たとえ?」YKくん「・・・・、人の目に見えない物質?」AKくん「本に『水は分子が固まってできたもの』と書いてあった。食塩も分子が集まっていると思うから、水には分子でできたものを入れる性質があると思う。」MRくん「分子って何ですか?」osさん「水の袋が分子ってことですか?」やはり「分子」が登場した。中には、「分子」という「ことば」が出ただけで、納得しかけている子どももいた。しかし、多くの子どもたちが「分子」という「ことば」にとまどっている様子である。そこで、「分子」を国語辞典で調べさせた。すると、国語辞典には「一番小さな粒」「例)水の分子・・・」などと説明がある。何となく分かったような雰囲気の中、smさんが次のように発言した。smさん「一番小さな粒って、どのくらいの大きさなの?」これまでの授業の中で何度か登場した「小さな粒」であるが、どのくらい実感を伴った発言だったのだろうか。もしかしたら「分子」はもちろん、単なる知識である可能性もある。今後、「目に見えないくらい小さな粒になる」ことを「わかり直す」ための授業デザインが必要である。※ 本実践は、本年度の7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は9月14日のものである。
2012.12.14
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実践国語教育研究9月号に、本校が出版した「『対話』で広がる子どもの学び」の書評を青山学院大学教授の小森茂先生に書いていただいていたので、ここで紹介する。 ・・・・・『「対話」で広がる子どもの学び』内田伸子・鹿毛雅治・河野順子・熊本大学附属小学校 著 明治図書(2012)1 なぜ「論理科」なのか 新教育課程の”ねらい”は、「言語活動の充実」と「理数教育の充実」である。 では、この両者を、誰が・どうのように・責任をもって実現するのか。従来の教科領域等の改善だけで対応できるのか。この両者を連結・推進する強力で新型の”エンジン”の開発が必要ではないか。 そこで登場したのが本著・「論理科」である。本著の”役割”は、新教育課程の喫緊の課題である思考力・判断力・表現力等を育成する強力で新型の”エンジン”である。つまり、全ての教科領域等を貫く新教科の提案である。文部科学省研究開発指定校の三年間の研究成果である。2 本著の特色と構成 本著の構成は、〔第1章 ことばの力に培う「みんなで伸びる授業デザイン」/第2章 豊かな対話を育む「論理科」のスタート/第3章 対話をつくる授業の実際/第4章 「対話」で広がる子どもの学び〕である。本著は、熊本大学附属小学校と内田伸子・鹿毛雅治・河野順子との共同の実践研究成果である。 この論理科の「本時の学習指導案」の基本形は、(1)課題を把握し、情報を「みる」/(2)自分の考えを「書く」/(3)グループで自分の考えを「語る」、友達の考えを「聴く」/(4)学級全体で「話し合う」/(5)自分の考えを「振り返る」である。 本著を有効に活用するポイントは、a(1)~(5)を各教科等の言語活動に重ねる、b子どもの論理を表現する「場面と時間」を確保する、c「既習の学び」を活用する、d「評価規準」を設定する、等である。 青山学院大学教授 小森 茂・・・・・「論理科」を「強力で新型の”エンジン”」と紹介していただき、率直にうれしい。また、「本著を有効に活用するポイント」は、本校にとってもこれからの研究の方向性を示すものである。明治図書のホームページを見ると、この本は「在庫僅少」になっていた。少しずつではあるが、多くの人に読んでいただいているのだろう。
2012.12.13
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今回は、水に溶ける食塩の量を調べる。まず、子どもたちには「食塩は水に限りなくとけるか」と尋ねる。ほとんどの子どもが「限りはある」と声を上げる。中には「何事にも限りがある」とつぶやく子どもも。そこで、続けて「理由は?」「限りがあるなら、50gの水に何gの食塩がとける?」と問うと、次のように発言が続いた。GTくん「限りがあるはず。1滴の水に無限にとけるのはおかしい。」wmさん「コップの中に入る水の量に限りがあるのと同じ。」SMくん「自由研究で結晶とつくるとき、調子にのってどんどん入れたら食塩が余った。」MKくん「満員電車といっしょ。電車が水で、人が食塩。もうぎゅうぎゅうで入らない。」YKくん「結晶づくりのとき『ほうわ水溶液』って書いてあったから限りはあるはず。水の袋に食塩を入れるスペースがなくなる。」いろいろな「たとえ」がでてきたものの、この後、「とける」のイメージに合うかどうか十分に検討できないまま、「何gとけるか」ということに話題が変わっていく。ksさん「水が50gだったら食塩も50gぐらいだと思う。」MKくん「満員電車だったら、電車が50gだから50gは入らない。40gぐらい。」tmさん「40gとか50gだったら、満員電車すぎる。たぶん、食塩は25gぐらい。」水50gと同じ50g、もしくは半分の25gが、なにかしら子どもたちの基準になっているようである。おそらく、水と食塩を「何にたとえているのか」ということも関係しているのであろう。その後、実際に調べてみると、10gの食塩は溶けきったが、食塩を15g入れたときには溶け残る。この結果を、子どもたちはどのように受け止めたのだろうか。次時は「水にとける食塩にどうして限りがあるのか」を話し合う。※ 本実践は、本年度の7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は9月11日のものである。
2012.12.12
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今回は、前回の実験結果を踏まえ「食塩の水にとかす前と後で、全体の重さが変わらないのはどうしてだろう」ということについて話し合う。anさん「とかしてけど、目に見えないくらいの食塩が入っている。結晶づくりのとき、水溶液をほったらかしにしていただけで食塩の結晶ができた。」NSくん「ふたを閉めてふって見えなくなったから、食塩が水の一部になったと思う。」IYくん「小さな粒になった。でも入れる前の2倍になって、同じ重さになった。」GTくん「たくさんに分かれたんだと思う。小さくなったけど、小さくなったけど、数が増えた。」IYくんやGTくんは「目に見えなくなったこと」と「重さが変わらなかったこと」と意識しているのだろう。すんなり「小さな粒に分かれた」という考えが受け入れられるのかと思いきや、AKくんが次のように発言した。AKくん「みんな小さくなるとかいってるんだけど、『とける』ってどういう意味?」この発言をきっかけに、子どもたちの「とける」ことに対するイメージが噴出する。smさん「食塩を水に入れたとき、もやもやしたものが出た。あのもやもやはとけてたんだと思う。」shさん「アイスがとけるのと同じだと思う。」esさん「固いのが、どろっとなる。」ksさん「固体が液体になることだと思う。」tmさん「私は、もともとあったものが小さくなって、無くなるんだと思う。」MRくん「消えて無くなるのはおかしい。目に見えないくらいのが残ると思う。」tmさん「無くなるものもある・・・。」「液体になる」や「無くなる」という考え。それに、小さな粒で存在するといいつつも周りの部分が液体になるという考えをもっているのだろう。そんな中、AKくんがこれらの発言が書かれた黒板を見ながら次のように指摘した。HNくん「shさんはアイスがとけるのと同じいったけど、食塩は冷やしていない。tmさんがどんどん小さくなるっていったけど、それだったら重さが減ることになるからおかしいと思う。」少しずつではあるが、複数の事実(実験結果)から論理的に思考しようとしているのだろう。このこが「『とける』ってどういう意味?」という疑問の解決につながればよいのだが・・・。楽しみであり不安でもある。※ 本実践は、本年度7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は9月10日のものである。
2012.12.11
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初等理科教育に書いた全国学力・学習状況調査(理科)の結果の考察の続き。3.「わかり直し」のある授業を この「わかったつもり」を超えるためには,学習の過程の中で,子どもたちに「わかり直し」を伴った深い理解を促すことが必要である。そのためには,観察・実験の結果から観察・実験の意味や方法を振り返らせたり,情報や考えの妥当性を判断させたりするための工夫が必要である。 ここでは,二つの実践を紹介する中で,そのポイントについて考えてみる。(1)失敗から「わかり直し」を促す ここでは,4年「水の状態変化」で「水の沸騰」について調べる場面を紹介する。 まず,教科書通りの装置を準備し実験する。アルミニウムはくでふたをした500mlのビーカーに150mlの水と沸騰石を入れ,温度計の液だめの部分を水の中央にくるようにセットしアルコールランプで加熱する。 もちろん,水の温度が100℃くらいになるとさかんに泡が出はじめ,水の温度が上がらない状態が続く。 普通,教師はこのことを「沸騰」ということを伝え,どの班の実験結果がちょうど100℃にならないことから「水はおおよそ100℃で沸騰する」とまとめる。もちろん,子どもたちも納得するであろう。 しかし,これでは「水が150mlであること」「アルミニウムはくでふたをすること」「温度計の液だめ部分を水の中央にくるようにセットすること」の理由については意識すらしていない。さらには「本当に100℃で沸騰するのか」という疑問すらもっていない。 そこで,あえて次のような装置で二回目の実験をする。アルミのふたを外したビーカーに水の量を250mlに増やし,温度計の液だめの部分は,水の上部にくるようにセットするのである。 アルコールランプで加熱をはじめると,水の温度が85℃を超えた頃から大きな泡が出はじめ,89℃以上に温度が上がらなくなった。このことを目の前にして,子どもたちは,「沸騰するのは100℃のはずだけど」と疑問をもつことになる。 その後,「アルミニウムはくのふたをしていないから冷えたんじゃないの?」「水の量が増えて温まった水が上の方にいっている間に冷めたのでは」「じゃあ,1回目の実験ももっと工夫すれば,100℃に近づくっていうこと?」と,「水の沸騰」について理解を深めていくことができた。 今回,あえて「上手くいかない」実験を取り上げたのだが,このことによって,子どもたちは「なぜ上手くいかないのか」と演繹的な思考をしたり,「水の量」や「温度計の位置」など具体的な実験方法の検討をしたりすることになり,「わかり直し」が促されたのである。(2)素朴な「わからない」から「わかり直 し」を促す 次に,5年「ものの溶け方」で,いろいろな実験後に「水に溶けた食塩がどうなったのか」について考える場面を紹介する。 ここでは,水に溶けた食塩の様子を図にかかせ,説明させた。教科書にも食塩の小さな粒が水の中に広がっている図が示してあるからだろうか,ほとんどの子どもがこの「小さな粒」を使って説明する。実際には,粒の大きさや形に違いがあるものの,そのことに対して疑問の声は上がらなかった。 そんな中,一人の子どもが「『小さな粒』って,どのくらいの大きさなのかわからない」と発言する。すると,多くの子どもたちは「食塩は水に溶けると見えないくらいに小さくなった」と説明した。食塩の粒を水に溶かし,その一粒一粒が段々と小さくなりながら消えていく様子を観察したからだろう。「食塩が小さな粒になって見えなくなった」。このことに,多くの子どもたちが「だから,見えなくなった」「食塩はなくなったわけではない」と納得する。 しかし,その説明にも「でも,目に見えないくらいに小さくなったのなら,重さは減るんじゃないの?」と質問が続く。 この「わからない」によって,全ての子どもが自分の考えを見直すことになった。「食塩のまわりの部分が,液体になったんじゃないのかな。」「だったら,加熱したとき水と一緒に蒸発するんじゃないの?」「水が蒸発するとまた出てくるんだから,食塩の粒は小さくなったんじゃなくて,ばらばらに分解されて小さくなって見えなくなったんじゃないのかな。それを加熱すると,ばらばらになったものが集まって,もとの大きさではなく形も違う食塩が出てくる。」 このように,一人の素朴な「わからない」が,「食塩を水に溶かすと小さな粒になる」ということについて,より具体的で論理的な思考や説明を促したのである。 ただし,今回の実践では,たまたま子どもの「わからない」を取り上げることができたのだが,いつも「わからない」が生まれるわけではない。やはり,日頃,教師が問い返して具体的な説明を求めたり,子どものちょっとした表情の変化を見逃さず,隠れた「わからない」を取り上げたりすることが必要であろう。4.おわりに もちろん,子どもたちに限られた時間の中で「どこまで教えるのか」という問題も残る。 しかしながら,教師によって準備が整えられた観察・実験を一度行うだけでは,子どもたちを「わかったつもり」にするという自覚を教師自身がもつだけでも,授業は大きく変わるだろう。 私も今回の調査を「きっかけ」に,これまでの授業も見直していきたい。【参考文献】西林克彦「『わかる』のしくみ 『わかったつもり』からの脱出」(新曜社,1997)
2012.12.09
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今年、はじめて理科でも全国学力・学習状況調査が実施された。その結果の考察を初等理科教育で書いたので、ここで紹介する。「わかったつもり」を超える理科授業へ1.正答率が低かった三つの問題から 平成24年度全国学力・学習状況調査の結果,「活用」に関する問題の正答率が低く,「観察・実験の結果を整理し考察すること」や「科学的な言葉や概念を使用して考えたり説明したりすること」に課題があることが明らかになった。今回は,その「活用」に関する問題の中でも,特に正答率の低かった次の三つの問題に着目して考察してみたい。 まず一つ目は,設問2(5)である。 この問題は「改善」を枠組みとする問題であり,植物の受粉と結実の関係を調べる実験について,結果をもとに「実験方法」を改善するとともに,その理由を記述することも求められている。正答率は32.3%と低かったのだが,このうち,理由の記述で「受粉には,風や昆虫などが関係していること」と具体的な受粉の仕方まで記述できているものは,3.9%であった。 二つ目に,設問3(5)である。 この問題は,「適用」を枠組みとする問題と位置付けられているが,「湯気」を選択するオの正答率は42.3%と低かった。 なお,誤答には「空気」と考えたものが22.6%,「水蒸気」と考えたものが22.8%であったり,このことから,科学的な言葉を適切に使用することに課題があることが分かる。 三つ目に,設問4(5)である。 この問題は,天気の様子と気温の変化とを関係付けて,気温の変化を表したグラフを選択し,その理由を記述することが求められている。正答率は17.1%と,今回の調査の中で最も低い結果であった。また,誤答には「晴れの日の気温の変化を表したグラフ」と考えたものが21.3%あり,「曇りの日の気温の変化を表したグラフ」と考えたものが18.3%あった。この問題は,「分析」を枠組みとする問題であり,1日の中で晴れていた時間帯と曇りまたは雨の時間帯があることに着目できず,この日の天気の変化について適切に分析できていないことが分かる。2.「わかったつもり」が原因 この正答率が低い三つの問題を並べてみると,問題点として,「わかったつもり」の状態の子どもたちが教室の中に多く存在し,「わかったつもり」のまま授業が終わってしまっていることを指摘することができるだろう。 西林克彦氏は,この「わかったつもり」について著書の中で次のように述べている。 「わかったつもり」の状態は,当人が「わからない」とは思っていない状態ですから,安定しています。ですから,当人は探索や情報収集の必要性を感じていないのです。このようにして,「わかったつもり」の状態が,認識の順調な進展を阻害することになるのです。 つまり,「わかったつもり」になるということは,思考を停止した状態になるということである。理科においても,この「わかったつもり」が,子どもたちが複雑な条件に応じて深く考えることを阻害しているのではないだろうか。 まず,設問2(5)であるが,授業の中で「実がなった,実がならなかった」という実験結果だけに着目して「受粉すると実がなる,受粉しないと実がならない」と結論を導き出し,「わかったつもり」になっていることが考えられる。雄しべと雌しべが直接触れる以外にも風や虫によって受粉される可能性があることを考慮せず,きちんと条件が制御できているかどうか検討しないまま実験しているのではないか。 また,設問3(5)については,「水が沸騰すると水蒸気になる」と「わかったつもり」になっているのだろう。しかし,実際に沸騰している様子を観察すると,水の入ったビーカーの底から水蒸気が泡となって出て,水面から少し離れたところで湯気になり,その湯気は,しばらくすると水蒸気になって見えなくなる。つまり,水は熱せられると「水→水蒸気→湯気→水蒸気」と複雑に変化するのだが,この現象を「水→水蒸気」と説明してしまい,さらには間違いだと指摘されることもないため,湯気と水蒸気を混同してしまうのである。もしかしたら,この「わかったつもり」は,子どもたちの日常生活の中で得た知識によって生じているとも考えられる。 さらに,設問4(5)でも,「一日中晴れの日」と「一日中曇りの日」の典型的な日が(教師によって)ピックアップされ,その観察結果から「晴れの日は山型のグラフ,曇りの日は平べったいグラフ」になると「わかったつもり」になっているのである。おそらく,授業中で「どうして,そのようなグラフになるのか」ということも問われなかったのだろう。「午前中晴れていても,午後から曇ったらどうなるだろう」という疑問ももたなかったことが想像される。(続く)
2012.12.08
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今回は、50gの水に5gの食塩を溶かし、溶かす前と後の重さを比べる。実験の方法を説明し、結果の予想させる。NSくん「少し減ると思う。とかすから減りそう。」krさん「私は少し増えると思う。だって、食塩にも重さはある。」esさん「同じ量の水と同じ量の食塩を合わせてから量るから、変わらない。」SMくん「いくらとけても水の中に入っている。まざっているだけだから重さが変わるのはおかしい。」GTくん「合体するのと同じ。だから重さは変わらない。」ksさん「それでも、少し増えるんじゃないかな。」TMくん「とかしてるんだから、重さは変わらない。」MKくん「水と一つになるから変わらない。増えても1g以下。」「とける」の代わりに「混ざる」「合体する」「水と一つになる」という「ことば」を使って説明していることが分かる。TMくんのように「とかしているんだから」といっても、納得しないのだろう。その後、薬包紙に乗せた5gの食塩と50gの水が入ったふた付きのカプセルの重さを電子てんびんで量った後、食塩をカプセルに入れ振る。溶けきったところで、あらためて重さを量る。電子てんびんに置く場所によって表示される重さが変わることが気になるグループもあったが、全てのグループで、溶ける前後の重さは変わらないという結果が出た。ここで次の時間に「どうして重さは変わらないのか」ということを話し合うことを伝え、授業を終えた。しかしながら、NSくんのノートには「もっとよくカプセルを振ったら、重さは減る」と書かれていた・・・。※ 本実践は、本年度7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は9月7日のものである。
2012.12.07
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「考える子ども」(社会科の初志を貫く会)の原稿を書いた。巻頭2ページのちょっとの原稿であるが、ここで紹介する。小さな出来事に学び続けること ビデオの中の二つの出来事 授業中にビデオを撮り、そのビデオを授業後に見返したり授業記録を起こしたりするようになって五年が経つ。この五年の間にビデオの見方や授業記録の読み方に少しずつ変化はあったものの、五年間も続けることができた理由に、ビデオを取り始めた頃に起きた二つの出来事があったことが挙げられる。その出来事とは、ビデオや授業記録から発見した子どもの事実といえるほどのものではないのだが、当時の私にとっては衝撃的であり、人から「どうして授業ビデオを撮るのか」と尋ねられるとき、この二つの出来事を話すことが多い。 当時の私は、三年生を担任していた。それまでの四年間は、三、四、五、六年と持ち上がり、「子どもを育て、しっかりと力をつけて卒業させる」ことに自信をもっていたのだろう、四月には久しぶりの三年生担任にはりきっていたように思える。陰で二年生までの前担任の文句すら言っていたのだが、ビデオに映っていた子どもたちの姿は、そんな私を立ち止まらせてくれたことを覚えている。 オクラを切り刻む まず一つ目の出来事は、理科でオクラの種まきをする前日のことである。子どもたちの栽培に対する関心を高めるために、スーパーで売られているオクラの実を一人に一個ずつ用意する。一班から順にオクラの実を配りはじめるが、子どもたちには「指示があるまでオクラの実を机の上に置いておくように」と声をかける。これから半年かけて植物の成長を学習することもあり、実の不思議さを実感させるために「まず、形をよく見て」「次に、指で触った感じは」「においも」「振ったときの音は」「最後に、ハサミで実を切り、中の様子も観察しよう」と指示しようと考えていた。オクラの実を切ると、中から白い種がたくさん出てくる。明日、種まきする黒い種と比較させるつもりだったのである。 すべての班にオクラの実を配り終えた直後、いざ子どもたちに指示しようとしたとき、一班にいるとしおくんの手元が目に飛び込んでくる。なんと、筆箱に入っていた定規を包丁の代わりにし、つい先程配ったオクラの実を切り刻んでいるのである。もちろん、私は大きな声で注意をした。そして、無残な姿になったオクラの実を取り上げる。「指示されたとおりにするように」と念を押して予備のオクラの実を渡すものの、その後、としおくんは机の上に置いたオクラの実を見つめるだけで、私が指示する観察は全く行わない。私も「反省しろ」という意味を込めて、その後のとしおくんには一切声をかけなかった。 しかし、授業後にビデオを見ると、そこに映っていたとしおくんの姿は、授業中に私が見たものとは全く異なるものであった。としおくんは、一番にオクラの実を受け取ると、いろいろな方向に実を持ちかえながら、真っ先に「形」を観察する。隣の友達に「五角形」「ロケット」と話しかけている声も録音されていた。次に、「毛、毛」とつぶやきながら実の表面を触り、においを嗅いで変な顔をする。そして、実を耳の横に持っていって振り、「中に何か入っている」と実を定規で切りはじめたのである。なんと、私がだらだらと余計な指示をしながらオクラの実を配っていたわずかな間に、私がしてほしかったことの全てを、私が予定していた順に終えていたのである。私は、その最後の場面だけを目撃し、「教師の思いもわからない、自分勝手な子ども」と決めつけてしまったのである。ビデオを見終わった後、としおくんの観察カートを見てみると、「オクラの種は黒くない」と書かれていた。 気づいてはいたものの 二つ目の出来事は、「オクラ事件」の二週間後に起こる。同じ理科の授業であるが、モンシロチョウのたまごを観察していたときのことである。授業がはじまって約二十分が経ったとき、観察の途中にだいすけくんが嘔吐してしまったのである。連休明けの疲れと急に暑くなったこともあり、体調を崩す子どもも多く、私自身、もっと子どもたちの様子に気をつけておけばよかったと反省した。子どもたちにとって、昆虫の飼育や観察は興味のあることであり、授業中、どの子どもも楽しそうに観察していた。きつい中にも、だいすけくんもがんばって観察していたのだと思ったのである。 その日の放課後、この授業のビデオを見る。すると、そこには授業のはじめから顔色が悪く、何度もおなかを押さえて苦しそうな表情をするだいすけくんが映っていた。そして、「やっぱり。どうして気づいてやれなかったのだろう」と思った瞬間のことである。なんと、私は「だいすけくん、大丈夫?」と声をかけているではないか。それも、二回も。二回目に「大丈夫か」と声をかけてしばらくして、だいすけくんは我慢しきれなくなって吐いたのである。「気づかなかった」のではなく、「気づいていたけれど忘れていた」のである。 そのときの私にとって、子どもの体調より、それほど授業の進行の方が大切だったのだろうか。朝早くからキャベツ畑に出かけ、何とか集めることができた二十個のたまごの方が大切だったのだろうか。 小さな出来事に学び続けること 教職について十九年目になる今年、はじめて担任から外れた。理科と図工を中心にいくつかのクラスで授業をしているものの、何か寂しさのようなものを感じながら一学期が過ぎた。朝の会もない、給食もない、学級通信を書くこともない。だから、子どもとの距離が遠くなった、と勝手に考えていたのではないか。おそらく、その間にもたくさんの「小さな出来事」が起きていたのだろう。この原稿を書くことによって、また「二つの小さな出来事」を思い出すことができた。
2012.12.07
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まず、子どもたちを理科室の前に集め、水の入ったビーカーに食塩を入れてかき混ぜる。すると、 食塩は水に溶けて見えなくなる。「水にとけた食塩はどうなったのか」と尋ねると「えー?」「分からない」という声が上がった。そこで、今回は「食塩が水にとける様子を詳しく見ること」を伝え、茶こしとティーバッグに食塩を入れ、水を入れたビーカーにつけるように指示する。すると、茶こしの編み目から「もやもや」としたものが下 に落ちていく。子どもたちは、食塩の量をどんどん増やしたり、粒の大きな食塩に変えたりしながら、しばらくの間その「もやもや」したものの観察を続けた。その後、改めて学級全体で「水に溶けた食塩はどうなったのか」話し合った。AKくん「水には食塩を入れる袋があって、だから見えなくなった。」ayさん「水が袋ってどういうこと?」SMくん「食塩がものの中に入ったっていうこと?」smさん「水と合わさったということじゃないかな。」tmさん「水の量と食塩の量を比べると、水の方が多いから・・・。」HNくん「でも、もやもやしたものはビーカーの下にいって上にいって最後には消えた。」shさん「『もやもや』はとける寸前のものだと思う。」ksさん「『もやもや』がどんどんとけて見えなくなるんじゃないかな?」NGくん「もやもやしたものもとけるって、どういうこと?」やはり、「とける」という「ことば」のとらえはばらばらである。また「目に見えなくなること」と「もやもやしたものが出ること」の関係もあやふやであることも分かる。今後、この違いを明らかにしながら授業をデザインしていくことが必要である。※ 本実践は、本年度の7月から10月に行ったものであり、今回の記録は、9月5日のものである。
2012.12.06
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夏休み前、子どもたちには「『結晶づくり』にチャレンジし、その中で疑問に思ったことについて調べよう」と話をした。多くの子どもたちが「どうすれば大きな結晶をつくることができるか」に関心をもったのだろう、水や食塩の量を変えたりayさんのように水溶液を置く場所を変えたりしながら結晶のでき方を調べていた。まず、グループの友達に調べたことを発表し、分かったことや不思議に思ったことを学級全体で話し合う。IYくん「水が多いほど、結晶はたくさんできるとおもう。」ksさん「結晶ができるまで、とても時間がかかったから、水の量は少ない方がたくさんできると思う。それに、結晶の種を作って、新しい食塩水に入れたらとけて小さくなった。たぶん、水の量が多かったからだと思う。」TRくん「それは、食塩が完全にとけていなかったからじゃないかな?」SMくん「それって、飽和水溶液だ。」NSくん「ほうわ水溶液って、何ですか?」MKくん「簡単にいうと、濃い食塩水。もう食塩がとけないっていうくらいギリギリのやつ。」水溶液の「濃さ」の問題であろう。ただし、「結晶のできやすさ」と「できた結晶の大きさ」が混乱していることが分かる。その後、「結晶をつくる場所」が話題になった。MKくん「日なたや日陰は食塩の大きさに関係がある。何かの本に日なたはだめだと書いてあった。ぼくは、日なたは温度が変わるからだめなんだと思う。」ayさん「実際にやってみて、日なたはゴツゴツしたものができて、日陰ではきれいな結晶ができた。」NGくん「日なたは豪快に水が蒸発するからごちゃごちゃになって、日陰はじわじわと蒸発するからじゃないかな?」ksさん「2回同じ場所でつくったけど、できた結晶の大きさがちがった。同じ条件なのにどうしてかなって思った。」もちろん、条件を整えないまま結晶をつくったことも、話がかみ合わない原因である。本当は、「もう一回」と子どもたちにいいたいところではあるが、それぞれの取り組みの中でたくさんの気付きがあったことも確かであろう。※ 本実践は、本年度の7月から10月に行ったものであり、今回の記録は、9月5日のものである。
2012.12.05
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夏休みが終わり、子どもたちは「結晶づくり」に取り組みながら調べたたことをまとめた広用紙や実際につくった結晶をもって理科室に集まっていた。夏休み中に、「科学の祭典」や奉仕作業で子どもたちと会ったとき、「上手く結晶ができない」と聞いていたので、一安心するとともに、その結晶を「宝物」のように扱っている様子が目に止まる。そんな中、anさんは、何かアクセサリーが入っていた箱だろうか、赤色のきれいな箱につくった結晶を入れてもってきていた。また、ayさんは、家の中のいろいろな部屋で結晶をつくり、できた場所ごとにビニル袋に入れてもってきていた。この二人の結晶の扱い方は対照的である。おそらく、これからの学習に直接的に関係すると考えられるのはayさんの取り組みであろう。ある程度条件も整えてあり、「科学的」に調べることができている。しかしながら、anさんの取り組みも、これからの追究の中で必ず大きな役割がもつことになるであろう。anさんがこだわりをもって「結晶づくり」に取り組んだことは容易に想像することができる。もちろん、その間に少しずつ大きくなる結晶を何度も観察したであろう。このときに生まれた直感的・断片的な気付き(「ことば」)が、水の中の食塩の様子を推論するときに、事実にもどす「きっかけ」になるはずである。このような多様なアプローチを保障し、子どもたちの学びに生かすことができるような授業に挑戦していきたいと思う。※ 本実践は、本年度7月から10月に行ったものであり、今回の記録は9月5日のものである。
2012.12.05
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今回の実践では、夏休みに自由研究で「食塩の結晶づくり」に取り組むことから学習をスタートさせる。そこで、夏休みに入る直前、粒の大きさの異なる2種類の食塩を提示する。 このことにより、「結晶」とは単なる固まりではなく「一つの粒」であることに気付かせ、「より大きな結晶をつくる」という意欲を高めることができると考えた。また、2学期の授業の中でも、この2種類の食塩を使うことにより、粒の大きさが異なるのに,水に溶ける量が同じだったり,「取り出した食塩」の粒の大きさが同じであることに疑問をもたせることができるだろう。実際、この2種類の指で触りながら食塩を観察させたのだが、そのときの気付き(感想)をtmさんは、次のように書いている。「大きい食塩は、音がざらざらしたりいろいろな形があった。本当の氷みたいに透き通っていて、氷の結晶みたいだった。」「小さな食塩は、とても小さくて、小さな食塩を一つ取ろうとすると、必ず5つぐらいついてくる。」その後、具体的にどんなことを調べるか考え授業を終えたのだが、ほとんどの子どもが「どうすれば大きな結晶ができるか調べる」ということであった。※ 本実践は、7月から10月にかけて行ったものであり、今回の記録は7月11日のものである。
2012.12.04
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この単元を授業するのも4年ぶりである。4年前には、この単元の授業を研究発表会で公開し、佐藤学先生(学習院大学:当時、東京大学)にも観ていただき全体会で講評をいただいたのだが、今回は、その中でも次のコメントが今でも心に残っている。「ちょっと違うことに気づく細やかさとていねいさが大切」「小さな違いに敏感になることが必要」このことを意識しながら、今回の実践を進めていくことができればと考えている。また、前回の実践の後、数名の子どもたちが休み時間のたびに理科室にきて、食塩やミョウバンの結晶づくりを楽しむ姿があった。しかし、よく考えてみると、この「結晶づくり」は水に溶けた食塩をイメージするために欠かすことのできない活動ではないか。と、ずっと「反省」していたこともあり、今回は、「食塩の結晶づくり」から学習をスタートさせる。今回は,実際の単元に入る前に,夏休みの自由研究で「食塩の結晶づくり」に取り組ませる。この結晶づくりは,ゆっくりと水を蒸発させることにより,水に溶かす前の食塩の粒よりも大きな粒の食塩を再結晶させることができる。この「食塩の結晶づくり」中で生じた疑問を交流することは,「水に溶けた食塩はどうなっているのだろう」という課題意識を高めることにつながると考える。また,「結晶づくり」の中で生じた気付きは「粒子モデル」で説明する一つの根拠にもなるであろう。また、「上手くいかなかったこと」を含めて,取り組みの途中に生まれた直感的・断片的な「ことば」を大切にしていく。例えば,大きな結晶をつくるためには,なるべく飽和に近くなるまで水に食塩を溶かす必要がある。子どもたちは,その食塩水の様子を「どろどろ」や「もやもや」といった「ことば」で表現するであろう。また,水が蒸発しそこに溜まる食塩は,いくつかの結晶が触れて固まったものもあるであろう。この「かたまり」の1個と結晶としての一粒を区別する「ことば」も必要になるであろう。これらの「ことば」が,単元の週末において図を使って説明するとき,図が表すものの様子や変かを説明するとき必要になる。この「結晶づくり」を子どもの「一人学び」の場として位置付けながら実践を進めていくことができればと思う。※本実践は、本年度の7月から10月にかけて行ったものである。
2012.12.04
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