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ピースボードという組織は 辻元サンがクローズアップされがちですが、 実は共同代表という形で いろんな方がいて それが いろんな意味で 実に 面白いです。あまりネット上では そのへんがうまく整理されていないので吉岡達也 井上誠 門脇鉄太郎 櫛淵万里 野平晋作 中原大弐氏それから ピースボード人脈について まとめてみようかと思います。
2006年06月30日
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1 まず姿勢が肝心 教習本にもでていますが あの姿勢が取れないと 確認もできませんし 足をうまく使った微妙な速度の調整ができません。運転が怖いと 顎がどうしてもでてしまいますが それでは 安全運転のための 確認がまずできなくなります。 また視線が高くないと いろいろと問題がでてきます。 2 危険予測 対向車への対応 後方からバイクが来たら?この交差点では どうする?など はっきりいって パターンを覚えこみました。 3 6点確認 発車する段階での6点確認 進路変更するときの確認 交差点のときの確認 後方の確認 これらをきっちり 行い 今 自分のまわりが どんな状態かつかめるように しておくこと これが大事なようです。 4 適切な速度 遅いときには 遅く 早いときには 早く これも場面 場面により 違いますし また アクセルの踏み方の常道を理解し 適切な 加速ができないといけないようです。 5 車の位置の決め方 もしくは ハンドルのきり方 意外に 参考になったのが 徳大寺さんの本ですが 運転の際は 車は視線の方向に 動くという指摘で 視線を遠くに 見て それに ハンドルを合わせるように しました。
2006年06月16日
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手段選ばず--「T・K生」池明観さん あのころは「T・K生」の時代でもあった。1973~88年、雑誌「世界」に「韓国からの通信」を連載、03年にその仮面を脱いだ韓国在住の宗教哲学者、池明観(チミョングァン)さん(81)に聞いた。 私はね、北朝鮮が日本人の拉致をやってる、とうすうす知っていたんです。韓国人の拉致はしばしばでしたから。そこまでやるか、と思いました。ですから、東 京で北系の人間と秘密裏に会った時、「将来、とんでもない問題になる、むちゃなことはするな」と忠告したんです。何も答えなかったですね。 70年代、北はのぼせ上がっていた。革命のためなら何をやってもいい。最後に勝利すればいい。工作員に日本語を教える必要がある、そのために日本人をさらっていく、そんな簡単な発想ですよ。手段を選ばない。 「通信」では北について論じませんでした。できなかった。戦う相手を明確にするためです。当時、韓国には「先統一、後民主化」といった論調もあって、警戒していました。南の民主化が先でなければと思っていましたから。 03年に北に行きましたが、普通の人に会えない。大同江すらそばで見せてくれない。私は北の出身者ですよ。1947年に38度線を越えて南に来ましたが、 あのころよりもっと悪い。ショックで寝込みました。どうしていいかわからない。圧力を加えればいいのか、助ければいいのか。 毎日新聞MSNニュースより 北朝鮮の独裁体制について、いまだに率直に語ろうとしない人びとがいるように思える。 例外はあるにせよ、進歩派や左翼の陣営の人びとが、である。私の考えでは、そのことが、上に見た民族排外主義とのたたかいを困難なものにしている。 私なりに、その理由を考えてみる。 植民地支配の清算も済んでおらず、主として日本側の責任で国交正常化も実現できていない段階で、どんなに北朝鮮指導部のあり方に批判をもつにしても、それ を公言することはできないという考え方は、植民地時代がどのようなものであったかを自責の念とともに思う世代の人びとには多かったように思える。 雑誌「世界」(岩波書店)元編集長であった故安江良介氏の仕事は、故金日成主席との会見を何度も実現していることもあって、戦後日朝関係史をふりかえる時 には欠かすことのできないものだが、氏がこの心情をもっとも代表していた人物だったと考えることは不当なことではないだろう。 私は最近必要があって、安江氏が行なった金日成会見記をすべて読んでみた。 北朝鮮側の態度に由来することなのだが、取材される側の権利は当然あるにしても、編集権が十分に保証されていないままに掲載されている印象をもった。 その点につけ入って、安江氏が金日成体制を無条件に賛美していたという論難を行なう人は多かった。 ところが、軍事政権時代の「韓国からの通信」を書き綴っていた「T・K生」こと池明観氏と対談している現「世界」編集長岡本厚氏(「世界」二〇〇三年九月 号)によれば、安江氏は金日成主席との対談で「面と向かっては、金日成の側近が真っ青になって立ち上がるくらいの厳しい批判をしたが、それを日本へ帰って は絶対にしゃべらなかった」という。 それは、「日本人には朝鮮人を批判する資格は倫理的にない。 すべて日本人が悪い」とする安江氏の確信に基づく態度であったらしい。 池明観氏が、朝鮮人をつねに絶対的に擁護する安江氏の態度に関して、「それは現実じゃない」といって抗議しても、安江氏は受け入れなかったという。 安江氏の個人的な信念のほどはともかく、ジャーナリストとしての姿勢がそれでよかったかと問いかける権利が、読者の側には残るように思える。 安江氏が金日成主席との会見において現実には発揮したらしい主体性が、誌面にも表現されたならば、日本における北朝鮮認識には、少なくとも一九七〇年代初頭から、大きな違いが生まれ得たかもしれない。 繰り返し言うが、これは、北朝鮮側が「報道の自由」に関して、どのような考えをもっていたかという問題と密接不可分の関係にある。 いまひとつは、社会主義の問題である。 私の学生時代、一九六〇年代には「二〇世紀は戦争と革命の時代」という言い方が流行した。 私のような無党派の人間にも、そう思えて、夢のような「革命」が、この世の不正義のすべてを一挙に解決するなどという、いま思えば「若気の至り」としか思えない夢想に耽った時期もあった。 時代は進み、二〇世紀の「革命」とは、実は「スターリン主義」の異名だったのかとすら思えるような実態が、世界各地の革命の中にはあることが次第に明らかになった。 弾圧をうけながらも、まだしも反対派が「反スターリン主義」を掲げて存在しうる体制には、希望があった。結果的には、それらも多くが潰えて、現在があるのだとしても。 こうして、私たちが二〇世紀最大の「遺産」として手にしているのは、「ファシズム」と「スターリニズム」である。 人びとから、独自に思考し行動する自由を奪い、絶対的な指導部の支配下に束縛するという点において、このふたつの体制は、驚くほど似通っている。 これらふたつのイデオロギーの間を、自由に行き来する人間が多いのは、イデオロギーの中身さえ入れ換えるなら、方法的には同じ思想と行動に支えられているからである。 在日朝鮮人の北朝鮮への帰国運動を「スターリニズム」の枠内で支援した人物が、仮に年数を経て、日本の核武装と北朝鮮への先制攻撃を扇動する「ファシズム」の担い手になる場合があっても、さほど不思議ではないのは、そのためである。 進歩派・左翼も、その点では、「転向者」のみをあざ笑って済ますことはできない。 北朝鮮の体制を、いつの時代に、どんな言葉で語ってきたか、いつの時代に、なぜ沈黙していたか。 そのことが、日韓民衆連帯、在日朝鮮人の諸権利獲得、日朝国交正常化、戦後補償などのために努力してきた個人と運動体の内部から、もっと率直に語られるこ とがなければ、社会を覆う自民族中心主義の攻勢に立ち向かうことはできないだろう。 私が訝しいのは、これらの運動に取り組んできたことの必然性をいまこそ確信をもって主張してよい人びとが、深い沈黙に沈んでいることである。 「拉致」を行なった主体を支えた思想が「スターリニズム」であるか「アジア的専制主義」であるかは別な機会の課題としても、破産して久しい思想を前に、そう簡単にたじろぐことはないと思える。 http://www.jca.apc.org/gendai/20-21/2004/kohanzai.html より
2006年06月11日
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