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http://72.14.235.104/search?q=cache:Napfb8j8KA4J:www1.jca.apc.org/iken30/News2/N87/KamataSatoshi.htm+%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B8%85%E7%8E%84%E3%80%80%E4%BB%A3%E7%90%86%E5%BA%97&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=22&ie=UTF-8&inlang=ja かれは、戦後、高崎に帰り、青年団をまわって「青雲塾」をつくる。反共運動の拠点になったのが、この青雲塾だった。右翼運動として、労働運動に敵対した。日本電気産業労働組合(電産)の切り崩しである。 「中曽根氏は、当時国鉄労組とならんで群馬の労働運動の主力になっていた電産をつぶすため、二十四年九月、二万になっていた塾員のなかから七百人を選んで青年行動隊をつくり、各発電所に偽名で潜入させた。さらに、同年末から翌二十五年十月まで、東京から田中清玄、風間丈吉、佐野学、鍋山貞親らを呼んで現地へ送り込んだ」(山本英典、内山偉雄『中曽根康弘研究』)このころから 大勲位との接点ができ、ブントの連中が中曽根ブレーンになる、下地がこの辺にできたのでしょう。また 田中と児玉に接点を持つのも 風見鳥の由縁でしょうか。
2007年01月30日
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http://nna.asia.ne.jp/free/interview/executive/executive62.html笹川センセイも空手が 大のお得意だったようですが 田中清玄も同様だったようで空手を通じた 沖縄人脈は 彼のコネクションの一つなんですが かれの 周囲にも ここに上げた方や 藤本勇 杉浦健五などが 秘書という形で ボデイガードとしてついていました。http://ch-k.kyodo.co.jp/ch-k-archive/hen/200210241700.htmlその時の状況は こんな感じです。丸善石油の総会も 彼が 治めたという噺があるようですが こんな空手の猛者が周りに 数人いれば チンピラなど 怖いものなしでしょう。これが 海外に 出れば 向こうの軍人サンや 秘密警察の人間は 格闘技の一つや 二つ 当然できますし 覚えますから 空手交流と称して コネクションなど簡単に作れるということになります。
2007年01月27日
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http://72.14.235.104/search?q=cache:ubEkQBV57YoJ:www.satokenichiro.com/record.htm+%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B8%85%E7%8E%84%E3%80%80%E4%BD%90%E8%97%A4&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=4&ie=UTF-8&inlang=ja田中清玄氏から比嘉正子関西主婦連会長を紹介され、消費者運動に入り込む。 どの程度のつき合いかは不明ですが 清玄の意外な人脈の一つです。沖縄出の方で 沖縄人民党にも 関わりのあった方とすれば 戦後の早い時期からの 空手などもからんだ 清玄の沖縄人脈に繋がる縁があったのかと 推測されます。これが市川房枝さんと 清玄との縁にもつながるのかと。ただ意外に見えても 当時はそうでもなかったはずかとこういう人脈は 児玉 笹川の両センセイには いまのところ 見いだせませんし 想像もできません。女性運動というか 市民運動の教条的な面でなく こういう現実的な面にも 眼をむけていきたいものです。
2007年01月24日
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論戦1999(櫻井よしこ)ダイヤモンド社P175. 石油公団は1兆3000億円もの不良債権を抱えている特殊法人である。 この法人が不良債権を抱えるに至った原因のいくつかを具体的に列挙してみる。北極石油は、設立されて17年が経つ。この間に石油公団が北極石油に投入した資金は1218億円に上るが、石油はただの1滴も産出していない。日本の自主開発石油の約3分の1を産出しているジャパン石油開発は、最も大きな金額を飲み込んでいる。石油公団からの出資額は5500億円を超えているが、市場では理解不能な権利金や高水準の税金を相手国政府に支払う契約内容の為、赤字が続いている。こうした石油開発会社が、公団の設立以来266社創られ、内154社が赤字を抱えて消滅している。残っている会社でも、約100社が赤字決算である。http://72.14.235.104/search?q=cache:LPdQyws_MvgJ:kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/080/0410/08004220410018c.html+%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%80%80%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B8%85%E7%8E%84&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=3これは 当時の国会でも 問題になっていたようですが 構造的に 赤字になってしまうようなのですがインドネシアとは、すでに岸信介・河野一郎らがスカルノと組んで利権を得ようとしていた。田中は反スカルノ派のスハルト将軍と組もうと考えた。そこでナンバー2のアラムシャ中将やその義弟のヘルミのルートをつかって、ブルタミナ(インドネシア国営石油会社)の石油を日本に売ってくれと頼んだ。受け入れ母体として何かつくらなければならない。土光敏夫や中山素平に相談したら、トヨタ自販の神谷正太郎がいいというので、「ジャパン・インドネシア・オイル」という会社を設立した。田中清玄自伝より質問者 ジュビリー関西ネットワークと、それからコトパンジャン・ダムの被害者住民を支援する会というNGOで活動している内富と申します。私たちは、現在日本とインドネシアの問題を考えるときに、未来に向けて「人民対人民」(P to P)でやるということはもちろんあるわけですが、今鈴木宗男さんで問題になっている、あの数十倍、あるいは数百倍の利権関係が日本とインドネシアの間にあって、現在インドネシアでは大変な債務問題が起きている。しかもその債務の3分の1はスハルトファミリーやその取り巻きに横領されているという問題があるわけですね。そうすると、今ODAなり、日本とインドネシアの間の利権構造を徹底的に追及して、この責任を明らかにしていくことが日本とインドネシアのために必要であると考えています。そのためにインドネシアのジャーナリズムがギナンジャールであるとか、スハルトであるとか、あるいは日本大使館がこれまで犯してきた犯罪というものをどのように追及していけるのか、あるいは可能性があるのかということをお聞きしたいのです。またこの4月にコトパンジャン・ダムの被害者がはじめて日本で、ODAと日本政府の責任を問う裁判を起こしますが、日本政府の責任を追及するということになった場合に、インドネシア国内でそれを支援し日本を標的にするようなジャーナリズム活動が可能な状況であるのか、お伺いしたいです。フランス氏 非常に重要な問題であると思っている。日本とインドネシアの間の利権構造がどのようになっているのかを明らかにすることは重要だと思っている。インドネシアのスミトル教授の計算によると、外国の援助の30%が利権の中で消えてしまっているという問題があるのだ。http://72.14.235.104/search?q=cache:K3-pTCff-owJ:www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2002/frans.html+%E6%A8%AA%E9%A0%98%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%80%80%E7%9F%B3%E6%B2%B9%E3%80%80%E5%88%A9%E6%A8%A9&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=5&lr=lang_jaよりの引用推定するに 泉井純一さんの引き起こした泉井事件と構造はまったくいっしょ。利権料を 相手に ちょろまかせるようなスキームを作れば そりゃ 注目されるよな
2007年01月17日
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http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1112.html大正14年に小樽高商軍教事件がおこった。小樽高商の軍事教練を廃止するかしないかという騒動で、田中は弘前でも廃止せよというビラをまいた。これが最初の左翼っぽい活動だった。このあと東北学連ができて、仙台の東北帝大の島木健作・玉城肇・鈴木安蔵を中心に、そこに水戸高の宇都宮徳馬・水田三喜男、二高から島野武・高野信、山形高から亀井勝一郎・小林多喜二らが駆けつけた。 田中清玄は島野と仲良くなり、無党派ながら活動に励みはじめた。そのころの縁で、宇都宮徳馬にはいろいろ世話になっている。宇都宮はのちにミノファーゲン製薬をおこして衆議院議員10期、参議院議員2期をつとめた。〔宇都宮は事業的にも思想的にも天才で、ずいぶん厄介になったねえ。親父は宇都宮太郎という陸軍大将で、親父の副官がしょっちゅう来ているから情報が入るんだ。日中友好協会なんかは彼のお陰ですよこの製薬会社が 現在でも発売している商品の原材料が 甘草で 生産地が 日本に近いところでは 中国や 朝鮮半島ということで 発売が ホームページを見ると 1948年になります。いまでも漢方薬の原材料としては 日本に輸入されるものでは 最大のようなんですが 最近は 諸般の事情で 難しくなってきているとか?終戦時なら 確保はさらに難しかったとおもうのですが、さて宇都宮徳馬さんというと 左翼の代表みたいな言い方をされますが 一方では 先にもあげましたように 右翼筋の方とも お付き合いがあったようです。幅の広いという見方もできますが、一方で 会社をもっていても 運動にのめりこむと よく会社をつぶしてしまうかたも多いのですが 会社が維持できた点で そろばんもできた方のように思えます。そこでこのようなつながりから 一時期 右翼の連中が副業でやっていた密輸を通じて 甘草を集めて 大陸に出かけるられるように 政治家になり 大陸の政治家の連中に 利用されるようになったというのが このかたの本質ではないかとおもいます。ですから ビジネス第一 政治は第二ですから ある時期まで 自民党にいたのかなとも思えます田中清玄も キャノン機関と関係があり、また密輸もやっていたらしいのですが、中国、朝鮮半島で 甘草を集め ミノファーゲンに売り また薬莢から いろんなものを中国 や朝鮮半島にもっていった時代があったのだろうかとそのように 私は推察します。そこが 自伝にも見られる 下記のような場面になっていったのではないかとおもいます。昭和55年(1980)、田中清玄は50年ぶりに中国に行く。トウ小平と話しこんだ。日中友好協会の孫平化会長が「そもそも天皇陛下の訪中を中国側にもちかけたのは田中清玄さんだった」と1992年にあかすまで、この事実は正確なことが伝わっていなかった。本書も必ずしもすべてが時間順になっていないのでわかりにくいのだが、田中清玄がトウ小平と会い1時間半にわたって話しあい、さらにアジア連盟の構想をぶちあげたことは、いまではよく知られている。田中はそれ以前にスハルト大統領にも日本・中国・インドネシアによるアジア連盟の必要性を訴えていた。
2007年01月16日
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http://72.14.235.104/search?q=cache:bcOl6m6qgZIJ:kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/006/0488/00611190488008c.html+%E4%B8%89%E4%B8%8A%E5%8D%93%E3%80%80%E6%B5%B7%E7%83%88&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1&lr=lang_ja○花村委員長 これより会議を開きます。 本日の日程は刑事補償法案、裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案でありますが、本日の日程に入ります前に、昨日梨木委員よりの質疑に対して保留されておりました答弁を、この際求めます。高橋検務局長。○高橋(一)政府委員 それでは昨日梨木委員からお尋ねのありました、横浜の海烈号事件で、法務府の報告を受けました内容を御説明いたします。犯罪の日時は、本年八月十七日、場所は川崎市扇町所在、日本鋼管大島工場でありまして、被疑者は中国側が合計八名、船長その他船の乗組員や、それ以外の商業その他に従事しておる人たちでありまする日本側の被疑者は合計六名でありまして、その氏名は阪田誠盛、三上卓、板垣清、橋本武、志間忠兵衞、大窪謹男という人であります。以上十四名であります。捜査の端緒は、八月十七日に前に申し上げた大島工場の埠頭において、被疑者の一人であります阪田が、その場所の警備の任に当つております第二公安警備司令部警備員に対して、荷物を運搬したいんだが便宜を與えてもらいたいということで、十万円を贈賄しようとして発覚したのであります。犯罪事実の内容は、阪田と申しますのは、満州事変以来中国各地で日本軍側に協力し、いわゆる支那通として活動したもののようでありますが、終戦後中国から引揚げ、極東経済研究所というものの幹事長に就任して、現在に至つておるようであります。その者が従来自分の部下であつた板垣清が、先般中国国営の招商局所属船海烈号に乗つて、香港から日本に帰つて参ります際に、船中から電信で連絡をいたしまして、今回の密輸に協力方を頼まれたもののようでございます。それで阪田は知合いの三上に相談し、さらに知合いをたどつて大窪及び志間忠兵衞と相談をし、志間が運搬関係について橋本に話を持ち込み、結局橋本がトラックを用意して、八月十七日、問題の埠頭におもむいた際に発覚したということになつております。当時陸揚げしようとした物資は、米国製ペニシリン、ストレプトマイシン及びサッカリンがおもなものであつて、個数は三百六十五個、総見積り価格は二十万米ドル相当と言われております。阪田は八月十四日に、板垣を通じまして荷主でありますところの中国人側から、運動資金として現金、小切手を合せて百九十五万円ばかりを受領し、それぞれ分配しておるようであります。本件の捜査は、日本側では全然やつておりませんで、占領軍側の横浜第二公安司令部において担当いたしております。その後本人たちの身柄につきましては、阪田は保釈金百万円をもつて在宅になりましたが、同様百万円で在宅となつた中国人の劉というものが逃走した関係で、その保釈を取消され、他の者と同様現在勾留されておるもののようであります。この問題に関しまして、こちらでわかつておりますことは以上の通りであります。○梨木委員 この密輸事件に関連いたしまして、特に今度逮捕された人々は、この以外にも相当多額の密輸を計画し、また実際成功しておるということをわれわれは聞いておるのでありますが、この点について、検察庁はどういうような捜査をし、どのように事実が判明しておるか、これを伺いたいと思います。○高橋(一)政府委員 その点につきましては、現地の検察庁でもおそらくそうであろうと思いますが、法務府といたしましては、ただいま申し上げたことのほかには事情を知つておりません。○梨木委員 この事件で逮捕された三上卓、これは御承知のように五・一五事件の関係者であります。こういう人がこの密輸に関係しておる。そうして彼が逮捕されて語つたところによると、この密輸によつてもうけた金で、かねての志を実現しようと考えておつたということは、とりもなおさず軍国主義的な、国家主義的な計画を実行しようということだと思うのであります。そうすると、こういうような人々が計画的に、つまり軍国主義的な計画を実行するために、軍資金を集めるための運動がなされておつたということが、これによつて明白であります。そこで特に最近いろいろと原因不明の奇怪な事件が起つておる。たとえば下山事件だとか、あるいは今度の三鷹事件だとか、松川事件だとか、これらは現在検察庁が手を入れたところによると、何か共産党と関係があるようなことが宣伝されておるのでありますが、たとえば去る十月二十九日に、国鉄信濃川送電線が何者かによつて妨害された。このために東京地方においても、幾らかの間停電しておつたという事実があるのでありますが、この事件の犯人として検挙された上村達雄という人間がおります。この上村達雄という人間は、過般の国会の本会議におきまして、問題となりました新亜通商、これは大体われわれの調べたところによりますと、密貿易を主として目的としてつくられた会社のように思われる節があるのでありますが、この新亜通商の中心人物であるところの今成拓三という人の分家にあたる今成クミという人の家に身を寄せて、お世話になつておつたということが判明しておるのであります。この人間がこういう信濃川の送電線の妨害をやつておる。しかもこれは現在捜査の進められておる段階におきまして、この事件が起ると同時に、やはりこれは共産党がやつたのじやないかということで、いろいろとそういう調査が進められておるのであります。しかしこれは上村という人間がつかまつたので、右翼系統の人間がやつたものだということがほぼ明らかになつたようでありますが、下山事件にいたしましても、すべてまだ明確になつておりません。そうすると、こういう密貿易から、地下組織を通じていろいろな軍資金が出て、その軍資金におどらされて、いろいろな原因不明の事故や事件が引起されるということが歴然としておると思うのであります。しかもこの新亜通商の立役者と言われておるところの今成は、こういうことを言つております。現在いろいろ原因不明の事件が起つておる。これはわれわれの聞いたところによりますと、どうもこういう地下組織の連中のやりそうなことだという趣旨のことを言つておる事実があるのであります。そうしますと、これは非常に重大な問題だと思うのであります。でありまするから、この点についてまず私が伺いたいのは、この信濃川送電線妨害事件の犯人の上村達雄と今成拓三との関係を、どういうふうに調べられておるか。この点を伺いたいと思います。○高橋(一)政府委員 ただいまの点につきましては、ただいま手元に資料を持つておりませんので、お答えができません。○梨木委員 それではその次に、新亜通商というのは、実は中国との貿易で、約四億円ばかりの砂糖の密貿易に成功しておるということも、われわれは聞いておるのであります。こういう点について、法務府には一体どういう報告が入つておるか。検察庁はどうい捜査を進めておるか。これを伺いたいと思います。○高橋(一)政府委員 前の御質問同様、ただいまちよつとお答えしかねるのであります。○梨木委員 そうすると、あなたの報告のあつた事件だけを見ましても、これは重大な事件であります。特に右翼的な三上卓であるとか、支那通と言われて今度の戦争に協力した戦争犯罪人的な人物との連絡のもとに、こういう密貿易が行われておるということは、これは重大な事件であります。この事件を契機といたしまして、最近こういう密貿易の大がかりなものが行われたという事実が、われわれ民間人の耳にさえ入つておるのに、取締り当局に何ら今日までそれがわかつておらぬということは、これは重大な怠慢だと思うのでありますが、一体これは全然調べておらないのか、知らないのか、調べようともしないのか、これをひとつお答え願いたいと思います。○高橋(一)政府委員 上村達雄の問題につきましては、検察庁が調べ、あるいは報告をしておらぬという意味ではなくて、私がただいま手元に資料を持つておりませんのでお答えをいたしかねると言うにとどまるのであります。もちろん検察庁においては、重要なる事件につきましては、熱心にこれを捜査いたしておるものと考えるのであります。○梨木委員 私が申しましたこの新亜通商の問題も、一回四億円何がしかの砂糖の密貿易に成功したというのですが、この点はわれわれ民間人の耳にも入つておるのでありますから、この点は一体検察庁が調べておられるのか。今わからないというのならば、次会までに御報告を願いたいと思います。 それからまたこの三上卓だとか、あるいは坂田誠盛だとかいう人たちと、他の地下組織との結びつきというものについて、どういう程度の調べを法務府はやつておるか。これをひとつ明確にお知らせ願いたいと思うのであります。私は一時質問を留保いたしまして、さらにその御答弁を得た上でお伺いしたいと思います。○高橋(一)政府委員 上村達雄関係につきましては、承知いたしました。海烈号関係につきましては、いわゆる裁判権の行使に関する問題でありますけれども、現在勅令三一一号というのがございまして、それの第一條に定める事件につきましては、日本側では公訴を提起してはならない、こういうことになつております。この勅令の根拠になりましたのが、昭和二十一年二月十九日付の刑事裁判権の行使に関する覚書でございますが、その覚書によりますと、日本側で裁判権を行使し得る犯罪でありましても、占領軍側におきまして、これは占領軍の軍事裁判所で管轄するのであるというふうに、具体的の事件について認定いたしました事項につきましては、やはり日本側には裁判権の行使が禁止されているわけでございます。従いまして、現段階におきまして海烈号関係について検察庁が捜査をするということは、穏当でないとわれわれは考えております。○梨木委員 今お答えがあつたのは、貿易等臨時措置令ですか。○高橋(一)政府委員 勅令三一一号と申しまして、連合国占領軍の占領目的に有害なる行為に対する処罰等に関する件という勅令がございます。これによつて向うのやる事件とこちら側とがわかれておりまして……。○梨木委員 それはわかりました。しかしこちらといたしましては、できるだけ占領目的違反の犯罪についても捜査しなければならぬ。いよいよ捜査しまして、あるいは事件によつては、連合軍最高司令部の方でこれを裁判するということになるかもしれませんが、私はこういう日本の民主化を非常に阻害するような犯罪については、日本の官憲といたしましても、極力捜査を進めて行かなければならぬという見解のもとに立つて、どの程度のお調べをしておられるかということを伺いたいし、これはやはりしなければならぬものだと考えておるのであります。 それから今成拓三という人は、われわれの聞いたところでは、元ビルマ首相のバーモ氏をかくまつたという経歴の人のようでありますが、この人は一体公職追放か何かになつておるのでありましようか。その点お伺いしたいのであります。 〔委員長退席、高橋委員長代理着席〕○高橋(一)政府委員 ただいまお尋ねの点は、特別審査局の所管になりますから、私からお答え申し上げかねます。○角田委員 議事進行について。付託された法律案を先議炉ていただきたいのであります。もし相当長ければ讓つていただいて、ここで付託された法律案を審議していただきませんと、忘れてしまうので、そういうような御処置をお願いいたします。○梨木委員 私はもうこれで打切ります。
2007年01月16日
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尾崎清光出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』尾崎 清光(おざき きよみつ 1935年 - 1984年1月30日)は高知県佐川町出身の実業家。日本同和清光会最高顧問。えせ同和の黒幕であり、大物の同和事件屋として名を売った。高知県高岡郡佐川町生まれ。暴力団に入り、20代から傷害や恐喝の常習犯として知られた。大阪で金融・手形割引や不動産会社を営むうちに元法務大臣西郷吉之助(参議院議員)の秘書グループに取り入り、西郷による手形乱発詐欺事件に絡んで兵庫県警に逮捕された。のち帰郷し、高知県内の政財界や行政に食い込んで、農地転用許可や国有地払い下げに暗躍。自らも建築・土木・砂利採取などの事業を営み、公共事業や大手企業の下請けを一手に引き受け、「土佐の黒幕」と呼ばれて恐れられた。1977年、高知県民文化ホールの工事を受注した大手建設会社への恐喝事件で逮捕。懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受ける。1978年に上京。全日本同和会に所属し、常任顧問の地位にあったが、内紛で脱退後、自ら日本同和清光会を結成。同和団体幹部としての地位や政財界へのパイプや暴力団幹部との繋がりを道具に使って行政を恫喝し、市街化調整区域など通常は開発の許可が下りない土地の許可を強引に取得して開発業者に斡旋し、億単位の仲介料を荒稼ぎし、暴利をむさぼった。1億2000万円のダイアモンド入り腕時計や8000万円のブレスレットや最高級のスーツや靴で全身を飾り、3000万円のリムジンを2台乗り回して「歩く三億円」と呼ばれたのはこの時期のことである。1984年1月30日21時50分頃、糖尿病で入院していた東京女子医科大学附属病院中央棟5階の特別室に見舞い客を装った3人組の侵入を受け、サイレンサーつきの短銃で至近距離から顔と背中を撃たれた上、背中からナイフで心臓を刺され、同日22時50分頃に出血多量で死亡。当時、クラブ経営に失敗し、暴力団金融への負債を70億円~80億円ほど抱えていたことから、彼の死には暴力団の関与が噂されたが、犯人が逮捕されぬまま1999年1月30日に時効を迎え、事件は迷宮入りとなった。国会議事録より○坂上委員 あなたは今までの中で最も、一番大口でどうにもならない不良債権、どこですか。二、三挙げてください。○鈴木証人 けさ方朝日新聞に出ておりました尾崎さん関係の貸し出してございます。○坂上委員 もう少し説明を証言してください、証言。○鈴木証人 金額的には約十五億でございます。○坂上委員 あなたのおっしゃりたいことはこういうことですね。日本国和清光会の総裁関連会社に十五億円を東京都の紹介でお貸しをするようになった、しかしあなたは抵抗したんだ、しかしながら東京都から強い要請があって、仕方がなく貸し付けたんだ、こういうふうに記事に書いてあります。かつ、これについて回収手続に入ったけれども、抵抗を受けて回収できなかった、こういうふうに書いてあるんですが、もう少しお話しください。じゃ、これを。○鈴木証人 ちょうど昭和五十八年の秋口でございました。支店長会議をやっている中で、朝九時十分に東京都から連絡がございまして、(坂 上委員「だれです」と呼ぶ)信用組合課長でございますから連絡があって、私どもの専務理事が東京都へ参りました。その折、信用組合課長と部長がいらっしゃいまして、そこで尾崎清光さんに融資をひとつ考えてやってくれ。そういうことをきっかけに何回かやってまいりました。ただし、尾崎さんの会社は、まだできて間もない会社が幾つかございまして、私どもとしては、保全の問題とかそれから事業の計画性が全然わからない。ただ、東京都さんが言われるには、一年後には東京都の保証協会から何とか骨折りができるだろうということで、その間のつなぎ資金としても出してやってほしいということで、私どもはやむなく出した次第でございます。○坂上委員 だからその後も、この新聞によると、保証協会をあっせんしてやる、保証協会をつけてやるからつなぎとしてやってくれ、こうなったんだが、どうなったんです、じゃ。事実ですか。○鈴木証人 ちょうど秋口から御紹介をいただきまして、一月に尾崎さんが亡くなったものですから、そのまま全額不良化されました。○坂上委員 亡くなったからといって不良化するのはおかしいんじゃないですか。あなたはまた、貸したくないと抵抗したそうですが、どういう抵抗をしたの。○鈴木証人 単純に、やはりそういう事業内容等が不備であるということで、私どもとしてはやはり長いつき合いをさせていただかないとすぐにはお貸しできないということでお断りさせていただいたわけです。(坂上委員「そうしたら」と呼ぶ)そうしたら、やはり何とかこれは面倒見てやってくれないかというような強い要請があったものですから、私どもとしては、監督官庁からの強い要請ですから、させていただきました。○坂上委員 じゃ、これ不良債権化したとき、東京都はどういう指導をしたの。○鈴木証人 特にコメントございませんでした。○坂上委員 あなた、責任を問えばいいじゃない。あなた、私が嫌だ嫌だと言うのを私は十五億も貸した、それで信用保証協会をつけてくれると言ったけれどもつけてくれない、あげくの果てが回収できなくなった、東京都、責任とれと何で言わないのですか。殊に多額の預金を預かっておるあなた、責任者の立場としてはやるべきことをやらないんじゃないですか。どうです。○鈴木証人 本当に私、実際に現場を預かる長としては、今のことを声を大にして申し上げたかったのですか、やはり今後のおつき合い等を考えていきますと、その時点で強く責任を追及するというわけにもいかなかったわけでございます。中略○坂上委員 ちょっと御家族のことをお聞きをいたしますが、あなたは、四元義隆さん、政界の指南番とおっしゃる方とは御親戚でございますか。それから、安全信用組合とは何かこの四元さんは御関係はあったんでございますか。○鈴木証人 親戚というのは私の家内の側だと思います。私は、大分後になって四元氏が私の親戚であるということを聞きました。また、私は四元さんと直接のおつき合いというよりも、先代の理事長とのつき合いでございまして、私自身は余りじっこんにさせていただいておりませんし、また私どもの話題と四元さんの話題とは必ずしも一致しないものですから、たまに表敬訪問を非常勤理事に対してしているところでございます。○坂上委員 大変失礼ですが、あなたの奥様は西郷元法務大臣のお嬢様でいらっしゃいますね。それから、西郷さんのごきょうだいの方が四元さんの奥さんという関係になるんでございませんか図それから、この四元さんは、あなたの信用組合の相談役あるいは理事になっておられたことはあるんでございませんか。○鈴木証人 実は、家内の親戚関係についてはちょっと私、詳しくわからないのですが、ただ、家内の親戚の会に四元さん御家族でお出になっていらっしゃいますので、多分、先生のおっしゃることが正しいのかどうか、ちょっと帰ってから確かめますが。 それから、四元さんは現在も理事をしているはずでございます。○坂上委員 そうすると、四元さんとしては、大変責任を感ずる方ですから、この問題については再建のために必死な御努力をなさったのと違いますか。あなたはまた御相談なさったのと違いますか。いろいろ週刊誌で言われておりますけれども、これは週刊誌のあれで根拠がどの程度かわかりませんが、あなたの口から直接、あなたはこの信用組合の再建のために、今の、言うようなやり方とは別に何らかの努力をなさったんじゃないですか。いわゆる政治家を使うとかあるいは官僚と御相談をなさるとか、何かあったのと違いますか。○鈴木証人 四元さんは昨年の夏前から体調を崩しまして、十一月まで何か鹿児島にお帰りになったということを、鹿児島から帰ってこられたときに四元さんの秘書から電話があって私は初めて聞いたのです。 私自身は昨年の返済計画が自信があったものですから、私は逆に、辞任よりも、もし四元さんに頼むとすれば継続という形で頼んだのじゃないかというふうに思っていますし、また、今の先生の御指摘の、四元さんに何かそういうことで頼んだとか相談したことは全くありません。○坂上委員 ちょっと御家族のことをお聞きをいたしますが、あなたは、四元義隆さん、政界の指南番とおっしゃる方とは御親戚でございますか。それから、安全信用組合とは何かこの四元さんは御関係はあったんでございますか。○鈴木証人 親戚というのは私の家内の側だと思います。私は、大分後になって四元氏が私の親戚であるということを聞きました。また、私は四元さんと直接のおつき合いというよりも、先代の理事長とのつき合いでございまして、私自身は余りじっこんにさせていただいておりませんし、また私どもの話題と四元さんの話題とは必ずしも一致しないものですから、たまに表敬訪問を非常勤理事に対してしているところでございます。○坂上委員 大変失礼ですが、あなたの奥様は西郷元法務大臣のお嬢様でいらっしゃいますね。それから、西郷さんのごきょうだいの方が四元さんの奥さんという関係になるんでございませんか図それから、この四元さんは、あなたの信用組合の相談役あるいは理事になっておられたことはあるんでございませんか。○鈴木証人 実は、家内の親戚関係についてはちょっと私、詳しくわからないのですが、ただ、家内の親戚の会に四元さん御家族でお出になっていらっしゃいますので、多分、先生のおっしゃることが正しいのかどうか、ちょっと帰ってから確かめますが。 それから、四元さんは現在も理事をしているはずでございます。○坂上委員 そうすると、四元さんとしては、大変責任を感ずる方ですから、この問題については再建のために必死な御努力をなさったのと違いますか。あなたはまた御相談なさったのと違いますか。いろいろ週刊誌で言われておりますけれども、これは週刊誌のあれで根拠がどの程度かわかりませんが、あなたの口から直接、あなたはこの信用組合の再建のために、今の、言うようなやり方とは別に何らかの努力をなさったんじゃないですか。いわゆる政治家を使うとかあるいは官僚と御相談をなさるとか、何かあったのと違いますか。○鈴木証人 四元さんは昨年の夏前から体調を崩しまして、十一月まで何か鹿児島にお帰りになったということを、鹿児島から帰ってこられたときに四元さんの秘書から電話があって私は初めて聞いたのです。 私自身は昨年の返済計画が自信があったものですから、私は逆に、辞任よりも、もし四元さんに頼むとすれば継続という形で頼んだのじゃないかというふうに思っていますし、また、今の先生の御指摘の、四元さんに何かそういうことで頼んだとか相談したことは全くありません。血盟団と チンピラあがりではねえ 迷宮入りになるはずです
2007年01月12日
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佐藤茂平和相銀事件のさいに顔をだしたのがこのお方ですが 前身が 稲川もしくは松葉会の その筋の方であったようです最初は 川崎定徳の用心棒であったのが見込まれて 川崎定徳の社長にまで のぼりつめるまでになります 稲川会の石井進さんとは そのころからの お知り合いのようです 川崎定徳というのは 水戸藩の御用商人から始まり 有数の財閥になったのですが戦後の財閥解体で その財閥の不動産管理会社として いのちを長らえたようですしかし 不動産管理のなかで その筋の方とつきあいがでてくるのはあり得る話と思うのですが 内部に引っ張り込んでくるというのは 面白いというか なんというか川崎財閥というのは 江戸以来の資産の蓄積で優良物件と 三井財閥との関係から半端ではない コネを持っていますそれに佐藤サン自体の裏社会のコネから闇の世界の日銀総裁と言われるようになります平和相銀の件が 闇の中になった理由であります
2007年01月10日
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http://plaza.rakuten.co.jp/boushiyak/diary/200701050000/ 野坂参三の場合は 自分で進んでスパイになったわけですから、蓮池サンと比較するのは どうかとおもいますが?蓮池サンの場合は 奥さんを人質に取られたわけですから、拉致工作に参加しろと言われれば 否とはいえない立場になるわけです。人を食わないと 自分が殺される場合に、殺人を犯した人というのは 道徳的に責められるか?難しい問題だとおもいますが 拉致被害者を語る場合に、この一線を超えてしまう方が ネットではいますが 自分なら どうするか?自分の弟なら どうするかという視点で考えてみる必要があるように思えます。その視点がない言論には 支持の広がりを望めないと私はおもいます
2007年01月09日
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丁寧に、ネットを見回れば 石油の自主開発が現在どんな状況であるか 一目瞭然であり はっきりいって失敗もいいところであります。先にあげた国会の議事録を見ていただければ石油の自主開発路線を始めた段階で問題があったわけですからこのへん 清玄の自伝だけ読んで 感動している馬鹿がこのネット時代にいるというのが私には信じられません。役人の事なかれ主義という面もありますが私には どうも石油の自主開発といえば 聞こえはいいんですがプラント建設のための場所つくりそれを全部 税金でおこなったという印象を受けます。エネルギーはでなくても プラントが建設できればいいのでしょうか?清玄(だけではありませんが)が 飛躍のきっかけになったのが 電力の再編成ですが 電力といえば 土建屋さんたちまた土建屋は政治家と密接な関係があります。このへん 彼が 実際は何をしていたか私などが 知るよしもありませんがこのへんの取りまとめをしていたのでしょうか?
2007年01月02日
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それからもう一つ、この石油開発公団の中でたった一つと言っていいジャパン石油ですね。このジャパン石油というのは全くひどいことになっておりまして、もう少し詳しくそのうちに承りますけれども、大変な大赤字なんですね。今里広記氏がやっておったわけですね。中山素平氏が飛んで歩いたりしてやったのですが、これはべらぼうな赤字の累積でどうにもならない。海外石油開発とかいろいろな名前を変えてきましてジャパン石油までいったのだが、石油開発公団が出しておる出資のうちで三分の一、このジャパン石油が引き受けておるのですね。もらっておるのですね。そしてこれはあわせて承りたいんだが、会計検査院がついにこれを検査をなさったわけです、べらぼうな大赤字だから。千六百八十七億円もの借金がある。しかも決算書が会計検査院に出ているはずでありますが、この決算書の中から公的に出されている金で、どうも私からすれば不当な金がある。石油何とか疑獄とも言わなければならぬようなべらぼうな問題がある。したがいまして、まず最初に通産の方から、いま私が申し上げました三十幾つ、開発公団はどうなっているのか、その内訳は一体どういうことになって、先行きの見通しはどうなのか、会計検査院から検査をなさったかなさっておられないか、なさったとすれば、五十年度の決算書は入手されているはずだが、されているかいないか、されているとすれば、その結果として赤字借金はどのくらいあるのか、お答えいただきたい。そして、官房長官も含めまして行政管理庁長官も、この種の公団あるいは政府関係機関、特殊法人、事業団等々について、全部一遍見直す必要がある、こう思っているんですが、最後にそこらいかがでございましょう。○大出委員 私は先ほど、五十年度とちゃんと念を押したじゃないですか。私は、五十一年度なんて言っていませんですよ。五十年度の決算書を入手しているはずだがと、私は言っているんだ。そうでしょう。これは田中清玄さん等がBP、ブリティッシュペトロリアムですか、これはむずかしいですな、舌が回らぬけれども、これ買ったんですから、お世話した方がある。物の資料には書いてある。どういう形か知らぬけれども、それなりの金の話までここに書いてある。これは決算書にあるんですよ。会計検査院いかがですか、二億何がしあるでしょう。政府側答弁は省略○大出委員 終わりますが、検査院に先ほど私が質問しておりますのは、何となく流れております世上のうわさは、開発公団をめぐるロッキード並みの石油疑獄なんというようなことを言われるのですよ。それは理解しがたい金が出ているからなんですよ。田中清玄さんがBPのおんぼろになった油田を世話した。回り回って、何もしていないんじゃかっこうがつかないからといって、ジャパン石油のように飛びついたのはいいけれども、赤字の累積で千何百億ものべらぼうな赤字になる、これは世話はないです。それは石油関税をそこにほうり込んで使っているんだから。そういうことでは筋が通らぬでしょう。だから、せっかくお調べになったんだから、その資料を可能な限りお出しいただきたいと私はお願いをします。検査院の言いにくい点がわからないわけじゃないけれども、それは可能な限りお知らせくださいよ。よろしゅうございますね。いかがですか
2007年01月02日
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福田国務大臣 政治家福田赳夫はなるべくすみやかに日中国交正常化を実現したい決意であります。○楢崎委員 限られた時間でありますので、非常に中途はんぱになるわけですが、実はインドネシアの例の借款の問題について詳しくお伺いする予定があったわけですから、二、三点お伺いしておきますけれども、この交渉が始まったのは、五月二十三日の大蔵委員会でわが党の阿部委員が質問をした、それに外務当局がお答えになったところから見ると、昨年の暮れからということになっておりますが、福田外務大臣のことばをかりれば、そのアヒルの水かきはずっと前から始まっておったのじゃありませんか。○福田国務大臣 この交渉は、交渉というほどのことはありませんけれども、昨年の春ごろですか、あるいはもっと前であったかもしれませんが、私記憶はありませんが、とにかく昨年の早い時期かあるいは一昨年のおそい時期か、その時点かと思います。スハルト大統領から、わが日本が公害で悩んでおる、それはアラビア方面から高硫黄の石油を輸入しこれを使っているところに基因する、わがインドネシア政府は、またインドネシア国はIGGI借款等でたいへん日本にお世話になっておる、そのお世話になっておる日本国にせめて低硫黄の油を供給するということによって恩を返したい、こういう意向が伝えられたわけであります。そこで佐藤総理も非常に感激をいたしまして、この要請を検討してみるというか、受けとめてみるというか、そういう気分になられた。同時にわが国は、九〇何%に相なりますか、とにかくわが国の必要とする膨大な石油のほとんど大部分をアラビアに、中東に依存をしている。これはどうしてもこの状態を直さなければならぬ。あるいはシベリアというようなことを考えてみたり、アラスカということを考えてみたり、インドネシアということを考えてみたり、そういうやさきにインドネシア、スハルト大統領からそういう話がありましたから、非常に総理はその気持ちに感謝をし、また関心を持たれたわけであります。それで若干の往復がありまして、そして事務的交渉の段階に入ったのがいつごろであるか私もさだかでありませんけれども、まあ事務当局が言っておるならそれがほんとうでしょう、昨年の暮れかもしれません。そういういきさつでございます。○楢崎委員 昨年の五月十四日に神谷正太郎さん、これはトヨタ自動車販売の社長、それから田中清玄さん、田中技術開発社長、それから佐藤隆太郎さん、アジア海洋掘削の常務、佐藤総理の御長男だそうです。このお三人が昨年五月十四日にインドネシアに行かれて、民間ベースのこのプロジェクトの話をスハルト大統領になさったというような事実はお聞き及びじゃありませんか。○福田国務大臣 はて、佐藤隆太郎さんがその問題に関係しているかどうか、私聞いたことはございませんです。ただ田中清玄氏、また神谷さん、それらの方々がこの油の問題に関心を持っておられて、そうしてスハルト大統領から、会ったおりに、日本に対して低硫黄を供給すること、これはインドネシア側といたしまして日本国民に、日本政府に対して感謝の意を表明するゆえんであるということを力説しておるという、そんなようなところが話の発端になったんじゃあるまいか。私もあまり詳しいことは存じませんけれども、そういうことかと存じます。○楢崎委員 時間がありませんから一点だけ最後にお伺いしておきます。いろいろ問題はありますが、この五千八百万キロリットルの低硫黄原油、これを受け入れる日本の機関、これは現在でも約二千四、五百万キロリットルその種の原油を日本は入れておる。しかもそのルートは、プルタミナも出資をしておるファー・イースト・オイル・トレーディング・カンパニーのルート、それからカルテックス、日石のルートと二つある。この二つあるルートのほかに新受け入れ機関をつくるという話も出ておりますが、これは国民の膨大な税金を投資するわけでありますから、その受け入れ機関について外務大臣としてはどういう機関が望ましいとお考えでしょうか。○福田国務大臣 外務大臣といたしましてはかかわりのないことでございます。○楢崎委員 全然関心はございませんか。その海外経済協力だけは約束している。それがどのようになろうと、全然かかわりのないことでございますか。○福田国務大臣 そういうことをどういうふうな機構で実現するかという問題のようでありますが、それはもう通産省の仕事の分野になってくるので、私どもが容喙すべき問題ではない。私どもは借款を供与するとか、それからまた油の輸入の確保に当たるとか、そういう問題です。通産省から意見を求められればまた申し述べますが、私どもがこうしなければならぬとか、私どもが進んで考うるべき問題ではない、こういうことを申し上げておるわけです。○楢崎委員 通産省の方、見えておりますか。――どういう姿が望ましいと思われますか、それだけ承っておきます。○飯塚政府委員 ただいまの先生の御質問でございますが、原油につきましては民間機関がこれを引き取るわけでございますので、民間におきましていかなる形の組織の機関会社が適当かということは今後検討されていくものだと思いますが、当然でございますが、低硫黄原油を一番必要といたします石油精製会社、電力、鉄鋼、こういった関係がこの引き取り会社の中心になっていくものと考えております。○楢崎委員 では、中途はんぱですけれども、時間がありませんから、一応ここで中断をしておきます。
2007年01月02日
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『六代目山口組・司体制誕生の衝撃~全国制覇へ!その時、山菱は動いた』から/猪野健治、宮崎学(対談)の一部抜粋(一九二-二〇〇頁)<対権力の意識、潤沢な資金力……山口組の強さの原点は三代目田岡組長にある>-しかし、そうした点からしても、やはり山口組というのはよくできた組織ですね。宮崎 猪野さんは古くから取材されてるんで、お伺いしたかったんですけども、第一次頂上作戦が一九六五年から始まって「解散」ということを迫られ、それを拒否しますよね、三代目は。以降、第二次頂上作戦、第三次頂上作戦と、当然権力の取り締まりは山口組一点に集中していっただろうと思われるんですが、あの第一次頂上作戦直後に「解散」を迫られた時に、地道行雄 若頭なんかはそれに従おうとする意見もあったわけですね。猪野 はい。それは田岡三代目自身が自伝の中に書いてますけどね、あの時、地道若頭としては親分を守りたいと。つまり、突っ張ったらろくなことにならんと。だから、ここで形だけでも一旦親分を安泰にしたいという、そういう発想から解散論を唱えるんです。ところが、舎弟の小西音松小西一家総長、彼が猛反対するんです。だめだ、絶対だめだと。で、親分の真意を確認するわけですね。そうしたら絶対に解散せんと。その根拠は何かというと、一つにはよく警察の使う手なんですけども、警察のメンツというものがあると。だから、一回何でもいいから「解散」と一言言えと。そしたら、これ以上は厳しい取り締まりはやらんと。ところが田岡三代目がそれを拒否するわけです、取引には応じないと。宮崎 その頃から、つまり三代目の権力への迎合の拒否から、いろんな紆余曲折はあるんですけれどもその後の山口組の権力に対する意識というものが確立されてきているように思うんです。つまり、取引・迎合というのは部分的にはあっても、本質的なところではできないんだという方向ですね。山口組の中で、対権力の意識というのものが、ノウハウとして蓄積されていくことになります。その後、九二年の暴対法も、はっきり言えばあれ山口組対策法ですから。だからそれらの経験を経て、言ってみれば、やくざとしての権力との関係の距離感というものを山口組は確立して行かざるを得ない立場にあったと思います。それが山口組の知恵の源泉だと思うんですよ。その一方山口組が、これはすごいところだなと思うのは・自分の組の中における内部対立を、逆に発展の材料にしてきたところがありますよね。「山一戦争」しかり、今回の六代目継承しかり。内部で対立があったとしても、全部吸収しちゃう。今回だって國粋会が傘下入りして山口組は大きくなっていく。だから、かつての自民党が福田派と田中派に分かれて、争いながらやっていたほうが自民党としては大きくなっていったという、それに近い組織論なんだなあと思います。猪野 山口組が突出してどうして大きくなるのか。山口組はなぜ三代目の時代にあれだけ全国に伸びたのかということで、一つはっきりしてることは、田岡三代目は最初に組長に就任したその時に、山口組を発展させるにはどういう方法がいちばん妥当かと考えるわけですけれども、それにはまず事業を確立することだと誓いを立てるんですね。それまでのやくざの世界のシノギというのは賭博とか露天とか、あまりに古色蒼然たるものばかりなんですよ。そんなことやってたら、一〇年、二〇年先に通用しなくなると。ギャンブルはどんどん公営ギャンブル化していって、最初こそ、公営ギャンブルの警備料として地方自治体が地元のやくざに警備料を払っていたわけですけれども、しかし、そんなものは打ち切られることは見えていると。そういうことを見越して、田岡三代目が何をしたかというと、山口組の初代、二代目がやってきた事業の近代化を図るんです。初代は港湾荷役からスタートして、要するに人夫供給業ですよね。で、二代目の時代になって、浪曲を中心とした興行に入っていくんだけれども、そのやり方というのは、やっぱり近代経営とはとても言いがたいわけですよ。俗にやくざの社会でいわれる花興行というやつですね。親分の何回忌だとか、そういうようなことにかこつけて興行を打って、地元の商店街とか有力者にチケットを買ってもらう。もう一つは、自分のところの縄張り内で興行を打った場合には、ちゃんと守代をいただきますよと、そういう形の興行でしかなかった。彼はそれを近代的な事業として確立しなきゃいかんと、こう考えたわけですね。ですから、彼は組の抗争とか、そういう旧態依然とした資金活動については、全部、端的な言い方をすれば、地道若頭に任せるんです。昭和二〇~三〇年の一〇年間、そんなところには一切口も出さず、ひたすら港湾事業と興行を徹底的に近代的な企業にするわけですよ。ちゃんと労災にも入ってたし、社員は健康保険にも加入している。僕はいまでもはっきり覚えてるんだけど、当時毎日新聞の記者の月給が一万五〇〇〇円程度だった。その頃に神戸芸能社の社員の月給は二万円を超えてた。これは立派なもんですよ。もちろん、その中には全然やくざなんかはいない。そうした一方で、事業を通じて政財界ヘコネクションを深めていくわけです。その一つは横浜港の顔役、全国港湾荷役振興協議会会長の藤木幸太郎という人がいたわけですけど、この人を通じて田中清玄を紹介してもらって。それがどういうことかというと、横浜港でもやっぱり、全港湾という共産党系の組合が強かったんですね。その問題を藤木幸太郎は田中清玄に相談するんですね。昔の共産党時代の人脈があるから。それで知り合った田中清玄を田岡三代目に紹介するんですよ。すると、今度は田中清玄が田岡三代目に頼み事がいろいろあるわけです。それでいちばんよく知られているのが、丸善石油の株主総会で、丸善石油にちょっと間題があって総会がもめるというんで運営を頼むんです。で、彼が一発で抑えちゃって。-田中清玄は石油ですからね。インドネシアの石油利権。猪野 そういう関係から、深くなっていくんですよ。田中清玄は親交のある東京の財界人のところに田岡三代目を連れていって直に紹介した。それで山口組は総会屋的な分野に進出するんです、佐々木道雄・佐々木組組長とかね。織田譲治・織田組組長とか白神一朝・白神組組長などですね。宮崎 僕は藤木幸太郎さんが田中清玄さんを田岡、・二代目につないだということは知らなかったんですけど、その頃の話でいえば、六〇年安保ブントの篠原浩一郎(社学同書記長)が、田岡三代目自身が社長をしていた甲陽運輸で一時経理をやってるんですよね。その時の甲陽運輸というところが、僕はもっと大雑把なやくざの会社で、人夫出しみたいな仕事で、人夫集めて出してカネくれ、というようなことをやってたのかと思ったら、これが違う。日常の業務は英文タイプですからね。英文タイプで打って、請求書をちゃんと出して。日当計算もきちんとやってる。それを権力なんかとの問題もあって、比較的安心してそういう実務がやれるやつは学生さんだということのようです。で、その時田岡三代目は月に一回ぐらい篠原浩一郎を呼び出して、ちゃんと飲ましてくれるらしいですよ。頼むな、ということを言って。その篠原浩一郎がやっぱり望外な給料をもらっていたと言っていました。それと、さっき猪野さんがおっしゃられたように、事業をやるということで、こういうふうに言ったらしいですね。もうカスリごと、要するに縄張り代だとか用心棒代だとか、そんなの取っても仕方ないと思う。合法か違法かということはわしは知らん。しかしながら、やくざはみんな給料をもらえるようになれと、若い衆にアドバイスしたといわれています。月々決まった給料をもらえないとやくざとしては成り立たんというようなことで、結構若い衆を教育されていたようなところがあったようですね。言ってみれば、経済やくざ的な側面をいちばん最初にあの人はわかってたんだろうと思うんです。経済人脈でいえば、田中清玄がつないだ経済人は、つまり、それぞれの会社に労働組合があって、労働運動で相当困ってた経営者が多かった。そうした中で篠原が言うのは、日本精工社長の今里広記なんです。あそこの労働組合がまたものすごかった。だから、今里広記を田中清玄は田岡三代目に紹介した。で、田岡三代目は篠原浩一郎を今里広記に付けるわけです。そうして労働組合つぶしを篠原浩一郎にやらせるという、そういう形になった。猪野 今里さんは後にNTTの民営化の時に、それの総司令官になりましたね。今里さんというのは財界の、会社という意味じゃなくて、財界の政治部長と言われたんですよ。だから、経団連に加盟してる大きな会社に何か紛争が起こった場合に、今里さんが、さて、この紛争を解決できるのは田中清玄か児玉誉士夫かという、判断を下してたんですよ。だから、ほとんどの右翼総会屋が児玉系列になっちゃって。反児玉系の総会屋というのはかなり危機的状況に至るわけです。その危機的状況を避けようとして、皆、やくざ組織につながっていった。宮崎 そうですね。だから、いまかろうじて残ったというか、総会屋は絶滅危惧種的になってるんですけども、論壇同友会なんていうのは住吉会との関係を持つことで生き延びていくということになるんですよね。山口組三代目の場合、労働運動の間題があって、財界人なんかとの関係が相当あったと思うんですね。とくに今里広記なんかを通じては政界との関係も結構深まっていくということがあるんだけども。しかし、僕は三代目でその関係というのは一旦終わったと思うんです。そのあとにちょうど四代目になって、山一戦争が始まるわけですから。当然、その後の日本経済の状況もあって労働運動が弱体化してくれば、財界は財界でもう山口組の力など借りないほうがスムーズに運営できるということになってきて、関係は疎遠になっていったはずなんですね。一旦断絶するんだけども、それがやがて今度はバブル経済になると、また新たな経済人と山口組の新たな指導者たちとの関係が深まっていく。そのいちばんのものが許永中とかイトマン事件で見られる宅見若頭との関係ということになると思うんですね。一方では稲川会のほうが石井進二代目会長の時代にやっぱり東急株の買い占めをやっていくということになります。とくに東京佐川急便との関係なんかが大きく出てきてですね。ですから、そういう点では、経済人との関係ということになるといまは第三期に入ってると思うんです。つまり、楽天の三木谷とかライブドアのホリエモンとかいうような人たちが出て来て、会社の買収とか株の買い占めみたいなことを始めていくんだけども、多分これも新しい六代目体制との関係は当然深めていくことにならざるを得ないだろうと思います。『六代目山口組・司体制誕生の衝撃~全国制覇へ!その時、山菱は動いた』から 猪野健治、宮崎学(対談)の一部抜粋(192-200pp)(引用終わり)
2007年01月02日
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田中清玄と 海外人脈2 密貿易の噺自伝の中に 三幸建設として 沖縄にいっていた噺がちらっと出ていますが、この手の噺の常で 具体的な 噺となると 自伝のほうではさっぱり出てきません。もともと 半分は法螺だとおもいますが沖縄戦が終結後に 進駐してきた米軍連中というのは はっきりいって どうしようもない奴が多かったようなんですが 問題なのは 字も読めない(英語という意味) 計算もできない連中が多かったらしく、ですから コネをつくり 女をあてがえば 米軍の物資の横流しはやり放題というのは これは本土の比ではなかったようです。なにせ 沖縄戦で 相当 島が荒れてしまったので 食うものがありませんから 米軍の払い下げの上陸用舟艇で 台湾までいき ペニシリン 米 お茶 砂糖などを積んでくる 金は、当初は台湾銀行券をかき集めてきたものですが、これと代替で 内地から ラシャ タバコ 毛布 米軍の洋服などを持って来る。食うものがありませんから ある意味 お役所黙認の私貿易みたいなもので 公定価格と実態価格の差がありすぎ 統制自体が効きません。これが 朝鮮戦争に近くなりますと 薬莢くらいならしも 米軍の廃棄したトラック 戦車 武器などが 沖縄経由で 香港に持ち込まれ 中国国民党の軍隊から 中共軍に売られてしまうというあきれた事態になったようです。また密貿易自体が お上のおめこぼしみたいなもので アメリカ軍や警察との接点がないとできないものであり また命知らずのテキヤさんたちも入り込んできたようです。密貿易イコール 麻薬という見方もありますが キャノン機関が(というよりも配下の右翼)がおこなっていた密貿易や 日本共産党の人民艦隊も この状況で 捉えるべきではないかとおもいます。そして日本国内に持ち込まれた物資を扱ったのは日本人だけでなく ある時期 治外法権的存在であった 華僑 朝鮮人連盟などのルートで 闇に流されたことでしょうし、これに政治家や さまざまな形で ヤクザ右翼の連中も絡んでいたとおもわれます。当然 モノが動けば ヒトも動きます。徳田球一(沖縄の出)、伊藤律、野坂参三 金天海の亡命 中共のスパイたちの日本密入国 現在の在日朝鮮人の密入国 北朝鮮からの工作員たちの日本侵入 そして拉致戦後の密貿易から 始まったのでしょう詳細は知りませんが田中清玄もこの当時はすでに 元々 藤木幸太郎という横浜の港湾の顔役のひきで 実業界に飛び込んだ経緯があること藤木幸太郎の知り合いの海運業者に彼を紹介されたこと、キャノン機関と関係があったこと後年 関西の港湾の顔役の田岡一雄と知り合いになることですから 密貿易をやっていたんだろうという推測はできます。上記のことから 田中清玄が後年 海外人脈をつくっていくのはこんな背景があったのではないかとおもいます。
2007年01月02日
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http://72.14.235.104/search?q=cache:yggrw_zBtqgJ:sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/jingo48.htm+%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B8%85%E7%8E%84%E3%80%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=7&lr=lang_jaところで、昨日のHPで取り上げた大森実さんの著書『激動の現代史50年』には、拙著『戦後政治の実像』に登場する2人の人物の名前がでてきます。それも、ビックリするような形で……。 こうして登場するうちの1人は田中清玄で、もう1人は若泉敬です。大森さんは、田中清玄について次のように書いています。 スカルノをムルデカ宮殿から追放したのは、インドネシアの「全学連」であったが、その学生指導者を日本に招いて密かに特訓したのは、カリマンタン石油の利権に目をつけていた日本人右翼(元武装共産党から獄中転向した)田中清玄であった。 田中清玄は60年安保騒動のとき、全学連委員長だった唐牛健太郎に資金援助をし、全学連が暴走するよう煽った。さらに、東大医学部の学生で副委員長だった島成郎医師が勤める都内の病院に、インドネシアから連れてきた学生たちを入院させ、スカルノ打倒の特訓をほどこしていたと、田中清玄が僕に告げたことがある。(297頁) ここで、大森さんが書いている「スカルノをムルデカ宮殿から追放した」事件というのは、1965年9月30日の「9・30事件」のことです。この事件が起きたとき、大森さんはファン・バン・ドン首相とインタビューすべくインドネシアのジャカルタ経由で北ベトナムを訪れていました。 この北ベトナム入国の仲介をしたのがインドネシアのスカルノ大統領で、その橋渡し役はデヴィ夫人です。この間の経緯について、大森さんは次のように書いています。 そのころ、スカルノ大統領のデヴィ夫人が帰国してきて、銀座のサロン「ラモール」に招待を受けた。出向いてみると、中曽根康弘と宇都宮徳馬代議士も招かれていたが、この両代議士は、ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議に出席したとき、デヴィ夫人と知己になっていた。 僕はデヴィ夫人に囁いた。 「スカルノ大統領に、北ベトナム一番乗りを斡旋してもらえないだろうか?」 デヴィ夫人は、車に乗りかけていたところだったが、車から降りてきていった。 「スカルノは喜んでやるでしょう。8月15日の記念日には、北ベトナムから首相が来る予定です。やってみましょう。」(285頁) こうして、大森さんの西側ジャーナリストとしての北爆下ハノイへの一番乗りとファン・バン・ドン首相との単独会見が実現します。これがデヴィ夫人の工作によって実現したなんて、私は全然知りませんでした。 それはともかく、大森さんは9月22日にジャカルタから香港を経て広州に飛び、翌23日、南寧を経てハノイに到着します。インドネシアのジャカルタで事件が勃発したのは、その約1週間後の9月30日でした。 「グリーン米大使の示唆で、スカルノ暗殺を企てたナスチオン国防相のクーデターがあるという情報に基づき、(スカルノ親衛隊長の)ウントン中佐は先手を打って、ナスチオン大将以下、クーデター首謀者たちの『将校評議会』を襲撃」(296頁)しますが、ナスチオン大将は逃れ、この「襲撃」は失敗します。 これは「左派将校団によるクーデター」とされていますが、その真相ははっきりしません。大森さんは、「スカルノ暗殺を企てたナスチオン国防相のクーデターがあるという情報」を「グリーン米大使」が「示唆」したと書いて、事件へのアメリカの関与を「示唆」しています。 つまり、この事件の背後では「グリーン米大使」が暗躍しており、その「情報」によって「クーデター」が挑発された疑いがあるというわけです。ただ、「グリーン米大使」の関与については、これ以上本書では詳しく書かれていません。 「左派将校団」の「襲撃」を逃れたナスチオン大将やスハルト少将らはバンドンのシリワンギ(猛虎)部隊を率いてジャカルタを逆襲し、大統領派の将軍や将校たちは殺され、スカルノ大統領は失脚します。そのとき、大統領府から大統領を追い出した学生たちを日本に招いて「特訓」したのが田中清玄だったというのが、冒頭に掲げた記述です。 その後、事件の背景には共産党がいるということで大弾圧が行われ、30万とも50万とも言われる人々が虐殺されました。これによって、西側世界最大の力を持っていたインドネシア共産党は壊滅的な打撃を受けます。インドネシアのみならず、アジアや世界の歴史の流れを転換させた重大な事件でした。 その背後でアメリカの大使や日本の右翼が深く関わっていたというのが、大森さんの指摘です。驚かずにはいられません。 60年の安保闘争に際して、田中清玄が「全学連」に金を渡していたことは良く知られています。拙著『戦後政治の実像』では、これに加えて、「学生を集めて軽井沢あたりで『武闘訓練』もしていた」(96頁)ことを明らかにしました。今回の大森さんの記述で、このような「武闘訓練」が、インドネシアの学生にまで行われていたということが分かります。それも、「カリマンタン石油の利権」目当てに。 それに協力していたのが、60年安保の時にブントの書記長だった島成郎です。島は64年に東大医学部を卒業し、翌65年に精神科医となります。その「島成郎医師が勤める都内の病院に、インドネシアから連れてきた学生たちを入院させ」たといいますから、65年まで、田中清玄と島との関係が続いていたということになります。 島成郎は『ブント私史』(批評社)という回想録を書いていますが、これについての記述はありません。ただ、このころ、「唐牛も60年以来親しくつき合っていた田中清玄氏の事務所で働くことになる」(182頁)という記述があります。 田中と島、唐牛の繋がりは65年まで切れていないということです。「田中清玄氏の事務所で働くことにな」った唐牛の仕事の中には、インドネシアの「全学連」の学生に「スカルノ打倒の特訓をほどこ」すことも入っていたのでしょうか。
2007年01月01日
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