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http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/kaizoku/wa1.htmlかつては「前期倭寇」についてはその構成員の大半を対馬・壱岐・九州方面の「日本人」とみる見解が強く、一部に現地の高麗人(朝鮮人)の協力・参加がみられたという指摘がなされる程度であった。この見解に大きな改変を迫ることになったのが1980年代後半からの、田中健夫、高橋公明、村井章介ら各氏による一連の「倭寇・倭人」研究である。田中氏は朝鮮側史料に「倭寇」とされたもののなかに実は「禾尺(牛馬屠殺・皮革業)・才人(芸能民)」と呼ばれた朝鮮(高麗)人のなかの被差別民が偽装したものが含まれていたと指摘するものがあること、また朝鮮王朝世宗期(15世紀半ば)に判中枢院事・李順蒙の「前朝の季、倭寇興行し、民の生を聊んぜず。然るにその間の倭人は一二に過ぎずして、本国の民の避けて倭服を著け党を成し乱を作す」という発言があること、また史料にみえる「倭寇」の人員の尋常ならざる多さと回数、そして多数の騎馬まで擁する規模の大きさなども考慮して、これら「倭寇」が実は日本人と朝鮮人の連合、あるいは朝鮮人のみの集団であったとの見解を示した(1) 。高橋公明氏もほぼ同時期に済州島等の海民が「倭寇」活動に加わっていった可能性を指摘し、「倭寇」の活動が「国境をまたぐ地域」に展開された国家の枠組みを越えた性格のものであったことを強調した(2) 。さらに村井章介氏は「倭寇」の担い手となった「倭人」を「倭語」「倭服」といった独自の文化をもつ「日本」とはまた別の人間集団として明確に区別し、彼らを境界に生きる人々=「マージナルマン」という概念でとらえ、「倭寇」の本質は国籍や民族を超えた人間集団であるとして、そこに日本人・朝鮮人といった分別は本来意味をなさないと主張した(3) 。 これらの前期倭寇研究の流れは現実の世界のグローバル・ボーダーレス化と呼応する形で進んだ、従来の国家・民族史や陸上中心史観の枠を超えようとする研究動向とあいまって起こってきたものであろう。しかしこれらの研究動向に対し朝鮮史研究者の立場から疑問を唱える見解を出したのが李領氏および浜中昇氏で、それぞれ1996年に相前後して発表した論文において田中氏、高橋氏、村井氏の主張する「倭寇」を民族混合、あるいは国家の枠組みを超えた存在であったとする見方に対する批判を行った(4) 。両氏は田中氏らの史料解釈や高麗末期の社会状況に対する理解の問題点を指摘して、朝鮮人による偽装の「倭寇」活動が存在したことは認めるものの日本人「倭寇」との連合や朝鮮人のみの集団が大半であったとみる田中氏の見解を否定し、かつ済州島などの海民の大規模な参加という高橋氏の意見も疑問視する。また村井氏の言う「倭」と「日本」の違いについても、朝鮮側による国家を意識した場合とそうでない場合(侮蔑的な意味合いが強い場合)との使い分け、または日本の九州地方と近畿地方の文化的な差異に過ぎないとし、「倭」と「日本」は実体としては同じであると主張した。両氏ははこれらの批判を述べた上でやはり「前期倭寇」は従来の見解どおり日本人を主力とした侵寇活動であったと改めて主張するのである。 その主張には朝鮮史研究者ならではの地に足の着いた資料検証による鋭い指摘もあり、ともすれば抽象的・観念的な把握になりかねない「倭寇」観に対する警鐘として傾聴に値する点も多い。しかし一方で、筆者のように「後期倭寇」-実際に日本人と中国人の連合がみられ、しかも日本人は少数派だった-の実態を研究している立場からすれば、やや従来の日本人、高麗人(朝鮮人)といった枠組みにとらわれて従来型の先入観をもって史料解釈を行っておられようにも感じられる。例えば「倭寇」集団が渡海してきたとは考えにくいほどの規模と内容で襲来してくる点については官憲の報告者の誇大数字として処理したり、「倭寇」の擁する多数の船隻や馬についても略奪によって増加したものとして片付けてしまい、それが単なる略奪ではなく実際に活用されている可能性にあまり考慮をされていないように感じる。海民の問題についても、倭寇の主力は対馬・壱岐の「領主層」ととらえて「中世の朝鮮には日本の領主制に相当するものがない」の一言で済州島など朝鮮側の海民が大規模に倭寇に参加していくとは考えられないとしたり(浜中氏)、済州島と対馬の一体感があったとの意見に対する批判に支配者側の国家的・行政的な枠組みから済州島と対馬の扱いの違いを持ち出す、あるいは高麗人の倭寇参加説の大きな根拠となる「倭人は一二に過ぎず」の発言をした李順蒙を人格的に批判した当時の史料を引き合いに出してその発言を否定的に見るなど(李氏)、やはり「倭寇」および海民に対する理解が一面的であり、国境・民族を越えた枠組みの設定に対する否定的な態度にことさらに固執しておられるようにも感じられる。 村井氏の「倭」「日本」の見解に対する浜中氏、李氏らの批判はいささか論点の「すれ違い」の気配が感じられなくはなかったが、「倭」と「日本」が史料上どのように使われ、またそれがどれほど実態を表していたのかはまだまだ疑問の余地を残しており、浜中氏・李氏の言うように「倭」「日本」は単なる地方差、場合によよる使い分けに過ぎず同一の実体であると見ることも十分可能であるとは思える。村井氏の言う「日本」とは別種の「倭」論、それを「環シナ海地域」と結びつけて考える見解は非常に魅力的であり、筆者も大いに刺激を受けた覚えがあるが、「倭」と「日本」の関係についてはまだ根拠の弱い部分を感じている。
2006年09月24日
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http://jbbs.livedoor.jp/study/7899/
2006年09月18日
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http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=6664外務省のホームページ「竹島問題」は独島を「日本の固有領土」とする根拠の第1点目をこう記した。「江戸時代の初期(一六一八年)、伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献 上していたが、竹島は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも一六六一年には、両家は幕府から竹島を拝領していた」 外務省は大谷家に伝わる私文書を引用したのか、同家などが欝陵島や独島を幕府から「拝領」したなどと記すが、これは我田引水といっていい。江戸時代、武士でない大谷、村川家のような町人が幕府から領土を拝領することはあり得なかったのである。もちろん「拝領」を裏づける公文書など存在しない。存在するのは、両家が竹島(欝陵島)へ渡海することを許可した老中連署の鳥取藩への書状のみである。 大谷家はそれを誇大に「竹島拝領」と表現したのである。誇張表現は私文書では日常茶飯事なので、そのような私文書などを領有権の根拠とするのは妥当でな い。(ちなみに 著者名は 半月城の本名です)http://72.14.235.104/search?q=cache:7DSPHqTsenYJ:socierat.cocolog-nifty.com/hitokoto/2005/03/post_5.html+%E5%8D%8A%E6%9C%88%E5%9F%8E%E3%80%80%E5%B0%81%E5%BB%BA%E3%80%80&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=12内藤さんの主張は「池田家文書」の中で鬱陵島(当時の呼称は竹島)への渡航は許可しているが、土地を与えるという文言が出てきていないことから、この幕府の渡航許可は交易行為を行うことを認めたに過ぎないとしています。確かに「池田家文書」には渡航を許可するとあるだけで土地を与えるという文言は現れていません。だからと言って「池田家文書」を交易許可状であるとするのはいささか無理があるように思われます。というのは、徳川幕府は厳格な鎖国政策を取っていたからです。日本領と認識していなければ渡航を認めはしないでしょう。日本領と認識していたからこそ渡航許可を出したと解すのが妥当です。このことは、1836年に石州浜田の回船問屋八右衛門が、鬱陵島へ渡り密貿易をしていたことが明るみにでた事件がありますが、その裁判の判決文に「松島へ渡海の名目をもって竹島に渡り」とあることからも窺い知れます。つまり、この一件で問題になったのは朝鮮領の鬱陵島への渡海であり、松島(現・竹島)への渡海については何も問題にされていないのです。日本の領土であれば渡ってもいいが、他国、それがたとえ通信使を受け入れている朝鮮であろうとも日本の国外へ行くことはまかりならんというのが幕府の政策であったわけです。すなわち渡航許可状は交易許可状などではありません。http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-259.html竹島は日本領です半月城氏は幕藩体制下ではすべての土地は領主に属する、領主のない土地はないと主張して鳥取藩の土地ではない竹島は日本領ではないと言っているが、実際には鳥取藩ではないので幕府の所管する土地になって幕府が開発許可の形で奉書を出したのです。つまり他に領主がいなければ幕管轄ということです。町人に土地を与えた例は例えば「佃島」などが好例でしょう。これは家康の朱印状で町人に土地が与えられています。他にも商人などで幕府の財政活動に貢献した場合など、朱印状、黒印状でその商人の屋敷の土地を与えています。また、町人ではないですが寺社は土地を持っていましたので半月城氏の主張は成り立ちません。なお、家康の朱印状で与えられた土地はお家断絶でもない限りは後の将軍も取り消すことができませんでした。ただし増やすのは別です。(家康が20万石を朱印状で与えて後世の将軍が25万石にするなどはできた。)ただ、大谷、村川両家への奉書は土地を与えたというわけではなく、独占開発許可であったと思われます。よって「拝領」というのは「島の開発権を拝領した」という意味です。というのも奉書では土地を下賜できないからです。通常は朱印状か黒印状で「○○石を与える。」と確約して、奉書で具体的にどこを与えると指定すると思われます。(徳川吉宗幼少期の葛野藩の割当などから推測)また、奉書であれば新田開発などを許可する奉書が多数出ています。(武蔵の国だけでも多数あって数え切れないほど開発許可の例は多い)池内教授は「開発許可の奉書」を「渡海免許」と決めつけて、「渡海免許」など存在しないと決めつけていますが、枚挙に暇がない開発奉書の可能性を検証していない時点で同氏の主張に対して学術的な価値を疑わざるを得ません。また、渡海免許が国内で必要ないというのも誤りです。現在の感覚で行くと国内移動に免許が必要ないのは当たり前ですが、当時は海どころか陸上の移動も許可制でした。いわゆる通行手形を奉書などで出してもらわないと関所を通過できなかった時代です。それでも八王子城趾などは立入自体が禁止でした。日本で最初の心霊写真と言われている写真は箱根の関所を破って首を斬られた罪人のさらし首の写真ですが、勝手な陸上移動で命を失う時代だったのです。さらに伊豆大島などへの渡海奉書もありますので、むしろ航海するためには許可が必要だった時代です。個人的な推測では現在と同じように港の施設を利用する際に許可証が必要だったのではないかと思われます。さらに当時は鎖国政策を敷いており、外国との交流が許されていたのは中国、朝鮮、オランダ、蝦夷の4つだけでした。この4つとの窓口も「中国、オランダは長崎奉行=幕府」、「朝鮮は対馬藩」、「蝦夷は松前藩」と決められており、鳥取藩に渡海免許=奉書が交付された時点で幕府は鬱稜島=竹島を国内と見ていたことが読み取れます。(少なくとも外国とは思っていない)なお、半月城氏は鬱稜島=竹島への渡航船を「朱印船」だと言い張っていますが、朱印船はかならず長崎を出港するので鳥取の港を出港している時点でウソだと分かります。また、半月城氏の主張する時代には朱印船制度はなくなって奉書船制度に変わっています。
2006年09月17日
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人種的偏見丸出し。ただし本人は良識派のつもり。主人公のイタリア系アメリカ人はナイスガイで、日本人はアンフェアーな詐欺師。外人の日本での犯罪は痛快事だが日本人の犯罪はきたない陰謀。日本社会の欠点を誇張してあげつらうことで、間接的に欧米の人種的、文化的優位性を示そうという内容だな。今流行りの、不況で自信を無くした日本をさらに叩いて優越感に浸るってパターン。でもこれって10年前の日本と同じことをしてるだけなんだけどね。7 名前: 無名草子さん 投稿日: 2001/02/11(日) 21:18 そうかぁ?ホワイティング昔から親日派だよ。あんな親日派の外人いない。8 名前: 名無しクン 投稿日: 2001/02/11(日) 21:33 ↑あなた『アンダーワールド』は読んでないでしょ? あとがきに「オレにも昔ヤクザのダチがいた」ってコトを書いてるん だけど、そのヤクザがまったくなんの理由も無くタクシーの運転手を ボコボコにするのを見たことがあるらしいんだな。 それを読んで狂犬ヤクザに嬲られつつ大男の白人に見物されるタクシー の運転手に感情移入してしまったオレ。 あんたダチなら止めに入んなさいって!9 名前: 名無しクン 投稿日: 2001/02/11(日) 21:42 つまりうえ↑のカキコで何が言いたいかっつーと一貫してそーゆー視点で 書かれた本だってことです。 植民地宗主国人的視座つーかエグゾティズムorオリエンタリズムつーね。 で、「その視点だからこそ面白い!」ってトコと「いくらなんでもオレ 日本人だしこりゃちょっと」ってトコが混じり合いまくってる、ト。上記 2ちゃんねるよりの収録補足としてはトラック(ミニカーですか?)1台分の資料?というわりには 基本的な 事実の間違いが多い。見解が分かれる部分であるが、この本の在日朝鮮人の扱いについては 朝鮮人 強制連行の神話の中で 名ざしで批判されています 町井久之のボデイーガードの件についても 大山倍達正伝の中で ボデイーガードは たぶん大山のことだろうが(ただし 体格が違いすぎ)、彼がテコンドーの名人というのも当時はテコンドーはまだなかったので この本の記述の間違いではないかと、名指しで批判されている。(裏をとっていない)また町井自身が愚連隊あがりというのは 間違いではないが、現民団の前身の一つでもある 建青の特攻隊長の一人でもあり、また朝連(総連の前身)とのバトルの結果で 彼が 顔役になれたという 肝心な点が この本ではスールですね(そんなに日本人を人種差別主義者にしたいんですね)町井久之が生きていたら 汚いこともしたし 俺は ヤクザかもしれないし 愚連隊あがりかもしれないが 祖国の半分を駄目にした男と戦った人生に悔いは無いし、 本当は 日本も大嫌いで 野球も まったく知らないのに いじいじ 女と金のために 日本にいて 日本の悪口 いっているような 腐った奴よりは 人間として 男として俺と俺の子分たちは 負けないよ。そういうだろうね。
2006年09月09日
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日本の元首相・羽田孜氏と対話 首相は靖国神社参拝を停止すべき(上)2006 -8 - 23 13:17 11日午後10時、上海錦滄文華ホテルで元首相・羽田孜氏が「南方週末」記者の取材を受けた。記者:中国はあなたが一番多く訪問する国ではないか?中国の最も良い印象と最も良くない印象は何か?羽田:中国は一番多く訪問した国で、数10回ぐらいになる。ただ上海に来たのは10回ぐらいだ。中日国交正常化の翌年1月、初めて中国に来た。その後30年間、中国の変化は本当に大きい。 最も良い印象は、中国人民の積極的な進取の精神である。良くない印象と言えば、例えば、税収政策があまり安定せず、経済発展が過度に投資に依存することなどである。こうしたことは現在まだ問題である。記者:多くの場所で、あなたは自らが秦朝・徐福氏の日本での後裔であることを話題にする。このようなはっきりした態度の表明、によって圧力とか非難されることはないか?羽田:圧力はない。徐福氏に対して、日本人は悪い印象がない。徐福氏が300人の少年少女を連れて日本へ渡ったと言い伝えられている。日本の民間では、今なおこの伝説に関して多くのことが広く伝わっている。多くの伝説は、適切な証拠が不足しているが、結論的には、徐福氏が私達の祖先なのである。日本に来て、食糧を生産し、子孫はしだいに多くなった。ある意味では、彼らが日本を建設・開拓し始めたの、日本の民間の多くの人は心から徐福氏に感謝している。記者:首相を辞められた後、あなたは頻繁に中国を訪問し、両国の友好に力を尽くしている。その動機は何か?羽田: 私としては、自分の尽力はわずかなものだ。私と中国の多くの指導者は、政治問題を討論したことがある。例えば、周恩来総理、トウ小平先生、江沢民主席、胡 耀邦先生それに間もなく仕事をやめる人、その他にも万里先生がいる。当時は副首相兼農業・林業部長として、黒龍江の農業・林業開拓に責任を負っていた。国家の指導者として、彼らはすべて両国の友好発展に力を尽くして、私もこのために何かしなければと思った。記者:残念なことに、現在の中日関係の変化は、あなたの努力と反対の方向に・・・。羽田:あの歴史的な戦争、中国人民の犠牲はとても多かった。戦争の発動者は、戦争の中で殺戮された人民に謝るべきだ。日本の首相、外務大臣及びに官房長官など、こういう人たちはよくこれらの問題を考えるべきで、靖国神社、軍隊の問題なども考慮すべき問題だ。もし彼らがよりこうした問題に注意するならば、両国の未来の発展に対して益がある。記者:現在の両国関係悪化の成り行きについて、羽田先生は最大の原因が何だと思っているか?羽田:過去の戦争があり、首相が戦犯の亡霊に参拝するのは問題で、停止すべきだ。中国の立場を考えて行動すべきである。(実習編集:周生傑 作者:朱紅軍)
2006年09月05日
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こういう本は 空手の本 またはスポーツの本の分類にされてしまうんですが、むしろそれが当然なんですが大山倍達の姿から 当時の在日の方々の 生々しい姿を垣間見ることができ、本当の空手バカ一代は 朝連と 建青とのバトルだったんだなとまた力道三 町井久之 柳川次郎 田中清玄 田岡一雄 笹川良一 文鮮明、佐藤栄作 梶原一騎を始めとする ある意味 裏の世界の方々との 空手を通じた人脈が 面白かった。大山倍達の伝記なんですが 生々しい 日韓裏面史ですね。 この柳川次郎は 昔 朝連にいたそうですが終戦後の建青と 朝連のバトルの際に 建青の後ろに アメリカ軍がいて 日本警察がいました。またそのときに 建青の中心が 東声会の町井久之で それに 児玉センセイや モータボートのドンが結ぶついて 表で 動くときは 統一教会か 勝共連合になっているみたいかな?よく 安企部 KCIAといいますが どうなんでしょうか?金大中事件の裏側には 東声会がいたということは 実行部隊は ヤクザさんたちでは?だから メシアさまが 北と商売するぞといっても 理念じゃなくて 利権で結んだ 勝共連合だから、OKだし 金大中も拉致すれば めぐみさんも拉致するし高麗人参も運べば 麻薬も運ぶんだろうなという気がします。
2006年09月02日
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