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そこで川崎製鉄が川崎造船所から分離独立すると同時に 千葉に銑鋼一貫の製鉄所を建設するという計画をたて 1950年11月 通産省にその計画案を提出した そのための設備資金は163億円で その調達方法は見返り資金八十億円 社債31億円 銀行借入金十億円 増資25億円 自己資金17億円という内容だった 当時の川崎製鉄の資本金は五億円だったが その三十倍以上の資金を投下して製鉄所を作るというのであるからこれは暴挙という以外にはない編注 批判されるコトバであるが これでは一万田のペンペン草が生えるという発言はあたりまえのことで 日銀の反対はあたりまえのことではないか略西山弥太郎は 東大工学部冶金学科を卒業して川崎造船所にはいった技術者であり のちに取締役にまでなったが 技術者として活躍しただけだということでGHQの経済人追放にあわなかった そこで川崎造船所から川崎製鉄が分離した際に社長になった私は1950年代 新聞記者として川崎製鉄を何回も取材し 西山社長にも会ったことがある 当時の川崎製鉄の本社は神戸にあったが 隣の神戸製鋼の本社にくらべても いかにもみずぼらしい木造の建物であった 製鉄所にはカネをかけるが 本社の建物にはカネをかけないという いかにも技術者らしい西山社長の方針によるものだと聞かされた日銀総裁に反対されるような建設計画を進めているのだから 当然のことながら会社の資金計画 そして財務状況について西山社長に質問するのだが 経理のことは担当の役員に聞いてくれというだけである当時 われわれ新聞記者仲間では 西山さんは経理のことはさっぱりわからない だからこそこんな無謀な計画がたてられたのだというのが通説になっていた編注 金策には 誰かフィクサーがいたんでしょうね略この川鉄の計画では 日本銀行が第一銀行(川鉄のメインバンク)に資金を貸し それが川崎製鉄に貸すということになるのだから 日銀総裁がこれに対して警戒するのは当然のことであり ペンペン草発言もそこから出てきたものであった当然のことながら第一銀行も川崎製鉄の計画には慎重にならざるをえない そこで第一銀行の常務であった大森尚則を川崎製鉄の会長に送り込んだ一方 千葉建設計画の資金のうち半分は政府の見返り資金であるそこで政府にも川崎製鉄は働きかけねばならない そのため西山弥太郎は見返り資金を所管している通産省内部にいる一高人脈を利用して工作をした その通産省はもともと川崎製鉄の計画は過剰設備を生むものだとして反対していたが この川崎製鉄の工作によって折れる川崎製鉄はやがて通産省からも天下り役人を迎えるのだが 当時 新聞記者として私は川崎製鉄の政府に対する工作をみききしてきた この工作によってその後 川崎製鉄は世界銀行からの借款にも成功するのである会社はなぜ事件を繰り返すのか 奥村宏 NTT出版よりうまくいったからいいんですけどね 今 それができるのか 許されるのは別で この手法を評して 官に逆らったとするのは まことにおかしな話です 経営史も ハリセン叩いた講釈のような物語が跋扈するんですね
2011年08月30日
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謀略工作は そのための教育を受けた軍人 たとえば中野学校出身者などでなければつとまらない 民間人の それもかっては腕っぷしと度胸だけをよりどころにして右翼運動をやってきた人間に 謀略工作をまかせたなんて論外な話だ 特務機関という字ズラから謀略という言葉を連想し まわりが児玉機関もそんな工作をしたと推理を働かせたにすぎない見えない政府より物資の流通で得られる情報もあると思いますが児玉機関の日本人で 広東語が出来る人間がいたのか右翼辞典をみた範囲で 私塾のようなところで 中国語を勉強していたメンバーがいたようです 児玉センセイ自体は通訳をつかっていたり アルファベットが書けずに苦労したとかいわれていますが人を殺すことが出来るメンバーがいたのかhttp://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51340679.htmlhttp://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51340878.html許斐氏利が 柔道の使い手だったようですが それの背景についてまとめたものです 児玉機関にも 銃に頼らずとも 人を殺せるメンバーがいたはずでしょう国民党や共産党内部に入り込めたかhttp://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/201102280001/このなかにでていますが右翼としては 児玉センセイの先輩格で 北原龍雄というかたがいまして このかたが 大陸で児玉機関以前から 特務活動を始めています中野学校出が 謀略工作を主導したという見方に異議はありませんが それだけではコストがかかりすぎます 謀略工作を ビルを建てる現場にたとえると 軍人や中野学校出が ゼネコンの管理担当 こんな人は全体の 全体の数パーセントもいません 下受けの資金融通にあたるのが 里見 坂田機関 とか 児玉機関をどのあたりに置けばいいのかは その工作しだいなんでしょうが大陸浪人特有の大言壮語で語られる場合もあるかと思うんですが大言壮語だけで 極められる世界ではないと思います
2011年08月30日
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M資金や千葉銀行ネタのほとんどは ベースになっているのが 雑誌 真相で これは三一書房から 出ている 復刻版で確認できるようです特に 千葉銀行ネタは 真相からのネタを使っていないのは なんだかさっぱりわかりませんあえて使っていないのか 知らないのかわかりませんが このへんは これをふまえて 読んでみるとおもしろいものがあるかもしれません松本清張の深層海流も 真相がベースになっているようですがいわゆる隠匿の貴金属については よくいわれる数十兆円単位という金額については 骨董無形な気がしますが 児玉センセイがらみのラジウムにしても 最終的に どう処分したかが いまだに不明な点があるということ自体 これらを処理した組織があったことは間違いないと思いますただイデオロギーやアメリカ軍に拘りすぎて 具体的な経済の動きのなかで怪しい資金がどう動いていたかの考察が いままでの研究では ものたりないようには感じます大変なんだろうとは思うんですが
2011年08月21日
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第一の 四谷資金の管理者 ブルノー ビッター神父というのも なかなか興味深い人物である 彼の自伝 マッカーサーの涙 昭和48年 朝日新聞社刊によると ビッターは第一大戦中にドイツ陸軍の中尉として活躍した後 僧職に転じ アメリカ経由で昭和九年に来日した東京の中心を占める上智大学の敷地はポリシャビキの東進を押さえる重要な戦力的拠点であるとの立場から 上智大およびイエズス会の財産管理 カトリック弾圧の回避のため活動した その間 近衛首相のブレーン集団 昭和研究会のとも接触を持ち 昭和12年には近衛の特使として日米開戦阻止のため渡米している終戦とともに ローマ法皇在日使節代行となったビッターはG2のウイロビーと親交を深め GHQの宗教政策についての顧問となった昭和23年ごろ そのブルノー ビッターをめぐって妙な噂がたちはじめた 当時の日本は厳しい 金融 経済 貿易の統制時代である ところが 彼の手を通じると あらゆる種類のパスがとれるというのである 禁制品の運輸 輸入のパス 丸公品のヤミ流しパス 密輸入品のパス 政府納入品の委託加工のパス等々 彼の名前は そのころの東京のヤミ屋のボスの間では帝王のように権威があったという高野孟 M資金よりヤミ屋からのあがりが キヤノン機関にまわっていたということで ライカビルにキヤノンの部屋があり そこにジローさんも来ていたのがこれが理由のようで 元ネタの真相の記事に縛られず 幅広く見ていくのが正しい
2011年08月21日
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まだ幼稚園の頃ですが 両親が まだ共稼ぎだったので 幼稚園が終わったあと 近所の 同い年ぐらいの女の子のいる うちにやっかいになっていたころがありましたおじちゃんとおばちゃんがいて たいへんお世話になったことをおぼえているんですが おじちゃんが夏に諸肌脱ぎになったりすると きれいな模様が見えたのを印象深くおぼえているんですがいま思うと あれが入れ墨だったんでしょう家の近くには 住吉さんの 座布団が上のほうの 建設会社もあるんですが 私の両親は 教師だったので そっち関係ではなく いわゆる昔の職人さんだったのでしょうかね炭坑夫や 沖仲仕などで 入れ墨を入れたりするのも 男意気をしめすというのもあるらしいのですか 裸をみせて 入れ墨を見せ合い 顔が分からない形で 死んだときでも 身元確認も 大丈夫なように だそうですこういう深い話も 時代劇でみたいもんですがおじちゃんもそんな時期があったんでしょうかそんなおじちゃんも ずいぶん前に亡くなりましたが 葬式の日に 偶然 有休だったので 葬儀場に駆けつけたら 久しぶりに会ったおばちゃんは しっかりと わたしを覚えていて 大泣きして 喜んでました ずいぶん小さくなったのか 私が大きくなったのか 地元の学校にいかなかったのが 疎遠になった理由ですが なんだか情けなく 申し訳なくなったのを 覚えていますおばちゃんの葬式のときですか 当然いきましたよ
2011年08月20日
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0798/01903300798028c.html齋木委員 そういつた面において、三十社中二十何社は実は木材の木も知らないものが多い。それにもかかわらず、申請しただけでそういうものにこういうふうに割当てた。第一物産には、二十三万一千四十ドル、安宅産業には二十二万二千七百二十ドル、岩井産業には十九万八千ドル、東貿には十二万七千九十ドル、山長に十二万六千五百四十ドル、こういうぐあいにずつと割当てて、あやは商事に三千五百五十ドル割当ててある。これは明確に出ておる。三十あります各商社に対しては、通産省から指令が十八日以後に出ておるはずだ。こういつたような米材の輸入について、三千ドルや四千ドルを割当ててやつたところで、買いつけられるものじやない。失礼だけれども、商社でもないそういうものに一律に、しかも二十社をどう選定して受付けたのか知らないが、これを決定してやつたということは、奇怪しごくた。自分が買いつけられもしないでドルの割当だけをもらつて、このドルはどこに行くのかということをわれわれは考えればならない。みんなドルのやみ売買に行つてしまう。それらを考えていただきたい。こういう取扱いをやつて、三十社に決定した。それを林野庁長官は私の方ではやらないというが、私は林野庁長官がこの原案をこしらえて通産省の方にやつたというように聞いているのです。長官はやらないというから私はそれを信じますが、そうすれは通産当局がどこかの課においてやつておるはずである。 それから米材の問題については、深川であるとか横浜であるとかには二十万石も、日に割れてぱりぱりになつている米材が売れ残つているわけなんだ。これらをも考えてこういうことをやつたかどうか。私どもはふしぎにたえない。それも専門家にやらせるならいざ知らず、何も知らないものにこういうことをやらせ、割当てる。これはちようどやみドルの助長をやつているように私どもは考えるが、これを明確にしていただくことを強く要求するものであります。○岩武政府委員 どうも突然のお尋ねなので、明確に御答弁できる資料を持ち合せていないのをはなはだ残念に思いますか、ただこういうふうに輸入の問題を御了解を願いたいと思います。かりに商社に割当をいたしますときに、どの商社に対してどういうものを輸入をする、金額幾ら、いつまでの期限に信用状を開く、あるいは支払い期はいつまでということで割当をいたしておりますので、御心配のございましたように――その許可証を使いまして銀行に行きまして、信用状を開いて買いつけるわけでございますので、その金が御指摘のありましたような用途に流用されることは、ちよつとないのではないだろうかと存じます。つまり向うから言えば輸入商、こちらから言えば輸出商でありますが、向うのシッパーと契約の上で、その契約に基きましてこちらから信用状を開きます。それにはちやんと木材のどういう規格のもの、数量幾ら、期限いつというふうな信用状を開くわけでございますので、それに基きまして向うから手形を組み、品物を積み出すわけでございます。その信用状で開きました金額のドルがほかの用途に向けられるということは、これはあまりないのではないかと存じております。木材の輸入の外貨割当がおかしいという指摘に対して そんなことはないという答弁 ただ銀行がグルで外資が事実上の治外法権だった講和条約前はどうなるか
2011年08月10日
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29年1月に 千葉県の参議院補欠選挙があって 改進党系から 加納久朗が 吉田自由党から伊能繁次郎が立候補した ところがだ 関西 九州の遊説から羽田に帰り着いたとき 開口一番 吉田はなんといったと思う 加納君は残念だったねといっているんだよ そして 加納を破って当選した自党の伊能繁次郎のことは おくびにもだしていない これには新聞記者たちも不審に思ったらしいつまりこうなんだ 河野一郎の語るところによれば 吉田側近の最近の主なものは 彼らが極秘裏に操作している闇ドルの利益から出ているというのだ その中心になって動いているのが岡田外相の長男太郎 吉田の女婿麻生多賀吉や白洲次郎らしい 闇ドル操作であげた利益が円貨で約三十億円というから大変な額だ その一部の一億五千万円が 加納久朗の応援資金として贈られたというんだ 加納久朗は麻生の叔父だし 吉田とはロンドン時代に 吉田は大使 加納は正金支店長だった 吉田の娘の和子と 麻生の間をとりもったのも 白洲と加納だそうだ だから 千葉の補欠選挙に 加納久朗が改進党系として立候補した自体 吉田一派の陰謀でああったともいえる 麻生から加納へという名目で 改進党買収費を贈る手段だとみることもできるわけだ 河野一郎がアドバルーンをあげるだけの演出効果はあったのだ小説 日本列島 吉原公一郎よりバンク オブ アメリカからドルを調達する担保には 金やダイヤを当てる利息分は随時 担保を売却して当てる この方法をとれば 貴金属の相場に影響を与えにくくできる利益額の根拠が不明ですが 闇ドルというものが 額からすると当時はかなりおおきなものだったようです元ネタは 真相からであろうとおもいますが ほんとかどうかはべつにして 風聞はあったかと思います
2011年08月04日
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