2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全14件 (14件中 1-14件目)
1
賭場を開くに当たっては村松の兄貴が金を出してくれましたが 桐生の寛ちゃんと村岡健治 本名は岡倉吾一といいましたが この二人も助けてくれて それでなんとかやりくりすることができるようになったんです岡倉はそれから一年半ばかりして 満州へ渡りましたが 渡る前に私に預けていったのが お勢という女とその妹のお駒です岡倉はこの二人は俺の腹違いの妹なんだ おれが留守の間 よろしく頼むなんていいましたが ほんとうの妹なのかどうかわかりません というのは 岡倉とこの女たちは全然似たところがない 岡倉は頬が張って鼻があぐらをかいていて 首が太くて 見るからにひと癖もふた癖もあるといった人相でしたが お勢とお駒という女は惚れ惚れするような別品 なんとも文句のつけようのないほどいい女なんです ことにお勢という姉のほうは 美人の上に頭がいい 男の気をそらさない機微というものを心得ている 男を引き寄せておいて 頃合いをみてすっと逃げる 逃げながらまた糸を引く その間合いがなんとも恐ろしくうまい浅草博徒一代 伊地知栄治のはなし 佐賀純一 筑摩書房
2011年04月28日
コメント(5)
児玉 いや私のとこは軍票です それが途中から軍票で買えなくなった それで 上海のあの港町で一番必要なものはなんだろうかと考えたら大森 麻薬ですか児玉 いや 砂糖です 贅沢な街です大森 はあ 砂糖なら台湾からもってくるわけですな児玉 砂糖 それからくだものです大森 そうすると みな台湾からきたわけですね児玉 砂糖は台湾から送ったんです それからこれは福建省にも飛び込んだんです それに陸軍の弾薬を私の船でもっていきます 帰りには向こうのみかんを積んで帰る戦後秘史1 崩壊の歯車 大森実著 講談社大森実が 児玉センセイの証言を まったく 信じていないのが 行間から読めるのが 笑えるんですが あながち嘘でもないのが 海岸部での 日本軍からの占領地が 中華民国重慶政府統治地に対して 一種の経済封鎖をしているので それをかいくぐって 物品を調達している児玉機関が 麻薬だけでなく 砂糖を使うのは 十分ありえた噺だと思われますラテンクオーターの跡地に ホテルニュージャパンが たつのも この頃からの縁だろうと思います
2011年04月28日
コメント(5)
日活の堀久作の顧問というか 用心棒だったのが 萩原祥作という方で この人は 内田良平の弟子で 戦前は 自分で 萩原青年団という団体を持っていました そこに縁のあったのが 吉田彦太郎とか 関山義人のようです 日活が 戦後 独立した会社になれることができたのも この筋と堀との付き合いもあったのでしょうか彦ちゃんの親友の許斐氏利も 東京温泉が作れたのも 堀久作との縁ですが 上記にあげたような 右翼のつながりがあったからだと思います松本英一というのは 治一郎の養子で 今の民主党の龍の父になります彦ちゃんの従兄弟 元大陸浪人 後のニューラテンクオーター社長山本平八郎が キャバレー王になるのに 応援したのが 治一郎で 葬式の弔辞をよんだのが英一です 立花隆サイドから 国会質問のネタ元は児玉情報ですかときかれたのを否定していますが 鬼島力也の現代評論社の 取締役の西山幸輝と昔からの付き合いなので 児玉情報でなく 西山情報といったところでしょうかhttp://niracha.s12.xrea.com/test/read.cgi/aa/1059225060/43原健三郎は脚本なんか一度も書いていないそうだ。日活の堀久作は、政商だったので何かの取引だろう。名前を出し脚本料と言う名目で政治献金をして、何かの見返りをもらうというような。原健三郎と 堀久作との関係もこんな感じだったのでしょうが 英一の立場としてみれば 吉田彦太郎という 微妙な名前を出して もっと生々しいことを出しますよという追求というより脅しをかけているといったところでしょうか これが児玉とくると 自分にとばっちりがきますから
2011年04月27日
コメント(1)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/094/1388/09403311388003c.html○松本英一君 原長官に個人的な御質問を申し上げます。 戦後だと思いますが、長官は衆議院議員に当選されました時期は、最初はいつでありましょうか。○国務大臣(原健三郎君) 昭和二十一年四月でございます。○松本英一君 それでは、私と郷里を同じくします博多出身の吉田裕彦、前名吉田彦太郎氏を御存じでありますか。○国務大臣(原健三郎君) 名前は聞いたことがございます。○松本英一君 名前は聞いたことがあるとおっしゃいましたが、通称彦ちゃんで通っております。私も戦後緑ビルに連日いました。名前を聞いたではなくて、お会いになったことがあると、私はよく承知をしておるつもりですが、名前だけでありますか。○国務大臣(原健三郎君) いつごろか定かでないんですが、もうちょっといろいろ言ってもらいましたら、突然の御質問でございますので、やぶから棒に質問されましても、さてどの方であったか、いま考えておる最中でございますが、名前だけは聞いたことがあります。どの程度に御交際願ったか、もう少し聞いてみたら思い出せると思います。○松本英一君 お会いになったことがないとおっしゃるならば、具体的な問題について質問せざるを得ません。しかし、ここは国会の場ですから、これ以上質問はいたしません。 同和問題は、いわば人間の自由と平等に関する問題であります。同時に、現憲法が保障する基本的人権に関する問題でもあります。過去のそのときどきの行政による差別が、現在の問題の要因であり、それらの解決は行政課題であり、国の責任であるはずであります。そのためには明確な同和対策の目標のもとに、具体的な施策が組み上げられ、その実績は十分確認されなければなりません。同和行政に臨む姿勢を疑わざるを得ない、事業執行の態度は漠然といたしております。国務大臣の一員として、同和行政に関し、どのような理解と決意をお持ちか、率直な意見を聞かしていただきたいと思います。○国務大臣(原健三郎君) 御説の憲法の認める趣旨、いまおっしゃいました自由、平等等、その趣旨が国民にあまねく徹底することをこいねがっております。そのためにわれわれも尽力をするにやぶさかではございませんし、政府もその方針で進めておるところでございます。相ともに携えて同和問題を解決していきたい、こう考えております。○松本英一君 原長官は前回三年前の延長問題をめぐるさなかにおいて、兵庫県の部落解放同盟役員の人々、あるいは二区における選挙民の同和地区の人々に延長に賛成する言動を行いながら、当時の自民党総務会の総務の一人として総務会で反対をされたということを私は直接そのときの総務の友人から聞いております。現閣僚の中にも親しく御交誼を願っている人もありますし、総務にもおりますが、吉田彦太郎氏を共通の友人とするあなたとしては、この問題についてどういう経過を示され、今後どういうお考えであるのか、お尋ねをいたします。○国務大臣(原健三郎君) 私は自民党総務をやっておったこともございますが、そこで同和対策の法律案の延長に反対したと、そんな事実はございません。編注 吉田彦太郎 児玉機関副機関長 この人の名前を出すというのが 当時はインパクトになったようです編注 松本英一 治一郎の甥で養子 西山幸輝の兄弟分ですが 緑ビルに この人が どういうニュアンスで連日いたといっているのか わかりませんが 児玉軍団と解放同盟の距離は意外に近いということ
2011年04月26日
コメント(1)
http://www.9393.co.jp/knowhow/kako_knowhow/2009/09_0913_01_knowhow.html物資不足の日本でボロ儲けを狙って しかし、こういった政治工作をやるためには、どんなに倹約をしてもある程度の軍資金がいる。 廖氏兄弟は台湾南部の西螺きっての大地主の家に生まれ、兄弟してアメリカに留学し、アメリカ人の奥さんをもらって帰ってきたぐらいだから、個人として生活には余裕のあったほうだが、個人の能力で莫大な軍資金を賄えるだけの経済力は持ち合わせていなかった。 それがどうしてお金を払えたかというと、廖文毅博士の手下に、三国志に出てくる趙子龍のような男がいて、それが香港と日本の間の密貿易に従事し、軍資金を稼いでくれていたからである。 当時、占領下の日本は物資不足のどん底にあえいでいた。砂糖も薬品も欠乏し、ペニシリンのごときは一本が一万円でとぶように売れていた。 一方、香港は英国の手に戻ると、早速、自由港としての機能を発揮し、アメリカからでも、ヨーロッパからでも、どんな商品だろうといくらでも輸入できるようになった。ペニシリンを例にとると、一本千円くらいで手に入った。それが日本へ持って行くと十倍でとぶように売れるのだから水が低きに流れるごとく、あの手この手のルートを通じて東京に流れる。 東京では為替の管理もあり、アメリカ軍が占領しているから、その関門をくぐりぬけるのは、密貿易ということになる。一方、東南アジアの国々はどこも輸入禁止か、そうでなければ、高率の関税で輸入を制限しており、正面から入る道はすべて塞がれている。 しかし、そこをうまくくぐりぬけて品物を運び込むのが香港商人の腕の見せどころであり、それが自由港のもっとも大きな、またもっともお金の儲かる仕事であるとhttp://www.9393.co.jp/knowhow/kako_knowhow/2009/09_0913_02_knowhow.html 廖博士の部下は、そうしたルートに渡りをつけて、船にペニシリンやストレプトマイシンを載せて東京へ持ち込んだところ、元金の十倍にも売れた。それに勢いを得て、さらに資本を注ぎ込んで日本に運ばせたところ、無事、荷揚げはできたが、荷物をあずけた相手にネコババされて解決に手間どっているという情報が流れてきた。 しかし、若くてお金を握ったものだから、陳というその男は東京で遊び呆けて、散髪に行って百円払えばよいところを千円払うような散財をしているという情報もあって、密輸商売も多事多難のようであった。 その陳という男に紹介されて蔡という男が日本から密輸船に乗って香港へやってきた。蔡も船員に化けて歯ブラシ一本、タオル一本の着のみ着のままでやってきたが、腹巻きの中にダイヤをいくつも縫いつけてあり、それを香港の宝石商で換金して、ペニシリンとストレプトマイシンとサッカリンに換えて日本へ持って帰ることになった。 私はまだ広東語もロクにできなかったし、商売のかけ引きもうまくなかったが、日本からきたばかりの人よりはいくらかましだったので、案内役と通訳をたのまれ、薬の問屋に行ったり、荷づくりを手伝ったりした。 蔡の話によると、この商売にも次々と新入りが現われ、競争が激しくなっているのでもう十倍は儲からなくなっている。しかし、それでも五倍や六倍にはなるだろうということであった。それならば、自分も一口乗せてもらえないかと頼みこんで、私はなけなしのお金の中から五百ドルを出資した。さきにも述べたように五百ドルは私の全財産の半分であった。
2011年04月24日
コメント(1)
大森 そのラジウムはどこへ児玉 それは私が進駐軍に持って行きました 六割はきみのものだとみとめてくれたが あれどうするんだと メモランダムとかなんとか へんな 英語はわからんがくれたんだな おれにくれるっていうが どうすればいいかといったら それはあんた もらっていっても保管する場所が大事だから 病院に保管させたらどうだというので それなら簡単だ これは僕がもらったらまた税金だとかなんだかがつく それより いま癌研究所という癌の研究所が日本にあると いまの上池袋です 当時 築地にあった この研究所の先生は偉い先生だから あれに預けるということにして くれてしまおうと大森 ふーん児玉 そうすると何百 何万人という人がラジウムで助かるだろう ただし貰ったというとまた贈与だということになるし 売ったといえば税金だ だから保管を頼むと大森 ははあ児玉 永久に 今 ラジウムは上池袋の癌研究所で使ってますよ戦後秘史 崩壊の歯車 大森実著より編注 財団法人として 癌研究会 病院として 癌研究所 実在の組織です 軍票で調達したものは返還して 現金調達したものは問題ないということのようです
2011年04月23日
コメント(3)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1700/07705271700001c.html 私は先日、アメリカ合衆国の国立記録文書センターで調べておりましたところ、一九四九年一月二十二日付のGHQ経済科学局に対する児玉譽士夫のラジウム献上に関する文書が保管をされておりました。これによりますと、児玉は巣鴨拘置所から釈放された四日後の一九四八年十二月二十八日に経済科学局に対しまして一定量のラジウムを渡し、これを占領軍のために使うか、占領軍が適切とみなすように処理することを要請した、とあります。そうして児玉が当局に渡した物資のうち二十三個のラジウムの針は香港サナトリウム病院の略奪資産であった。これ以外のものも略奪財産かもしれない、と指摘されていると、こういうふうにESS――経済科学局の文書に書いてある、これを発見しました。そうしてGHQはこの調査のため、一九四九年、昭和二十四年の一月二十二日付のメモランダムと同年二月十九日付のメモランダム、これはスキャッピンの番号もありますが、この二つの覚書で日本政府に調査を委嘱している、命じている。そして同年三月三十日付で引揚援護庁の残務処理部から外務省の特殊財産局長にあてまして、児玉譽士夫から引き渡されたラジウムの情報の件と題する文書と添付書類が出されております。これらの文書は児玉と米軍情報機関との関係を解明するのに必要、役立つものであり、また外務省に保管されているべきものだと思いますが、これを調査の上、提出されるように要求をしたい。編注 児玉機関というよりは 日本軍が掠奪して ダミーの昭和通商なり児玉機関が仕入れたことにして 帳簿を処理したということかと 下山事件 最後の証言で 香港での物資の処理の噺がでていますが このラジウムもその一部ではなかったかと思われます またこの件については 大森実との対談で児玉先生は これを裏付ける証言をしています
2011年04月22日
コメント(1)
その仕事の内容というのは 俗に定方事件といわれたもので 定方事件といわれたもので 定方というヤミ金融業者のもとに 児玉誉士夫がラジウムを持ち込んだのがきっかけですそれを担保にして児玉は北炭の子会社である小倉商事名義の手形を乱発 なんと北炭に二億五千万の損害を与えているという日本の地下人脈 岩川隆 祥伝社文庫より時期的には 下山事件直後のことのようです児玉先生が 日本に持って帰ったラジウムについては 占領軍に没収されたとか 香港に売り飛ばされたとか ありますが こんな方法で資金調達のタネにされたものもあったようですただし ラジウムのような放射能がでてくる危険なものを扱う金融屋があったというのは かなりびっくりですが北炭の萩原吉太郎が 鳩山一郎に献金を この前後にしていますので詳細は わかりませんが この金は こんな方法でつくられたのかもしれません
2011年04月19日
コメント(1)
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51085693.html七尾和晃 『闇市の帝王 王長徳と封印された戦後』(思草社)より たしかに、新橋でも、現在のSL広場になっている西口一帯は松田組が仕切っていたが、王(長徳)がマーケットの土地として目をつけ 東口は、そうした勢力の空白域となっていた。 (略) それに、王が新橋の土地に目をつけた理由は、ヤクザがいなかったと いう理由だけではない。 王:「土地を買いやすいからですよ。当時、誰もいないから。(略)」 王は三井信託銀行・新橋支店の営業部に、土地の取りまとめを依頼した そして、主のいない土地の土地権者を探しに行く。 (略)「当時、新円ならばいくらでも使えるけれど、旧円は新円に切替えな さいという命令が出ていた。そうすると、ひと月に少しずつしか 引き出せないから、貯金からは。だからカネさえあれば、即、話が まとまちゃったわけ。ひとりも駄々こねたり、明け渡せっていうのはいないから。日本の人の財産というのは、連合国に没収されて賠償に充てられると思っているから、土地を売ってくれというと喜んで どんどん手放した。 (略) あのころは三井信託銀行に話をすれば、全部まとめてくれた。 営業部長をしているのは碑文谷にいた人で、中国人もよく知っている人だったんですよ」 (略) こんな(三井信託社史の)記述も残っている。 “戦時中の敵産管理の実績が認められ、わが社は終戦後、大蔵省から連合国財産調査返還実務を委嘱された。戦時、戦後の混乱期に財産が 転々と移転し、権利関係も錯綜していたため、調査に難渋をきたす場面も多かったが、これに全力を傾注した。合わせて、連合国財産の保全事務も扱い、軽井沢の外人別荘やスタンダード石油会社の不動産の管理も行なった。その手数料収入は、戦後の苦境期の大きな救いとなった”児玉誉士夫の場合は 現在 電通大学のある場所 岩田幸雄の場合は神楽坂の旅館と土地を 入手時期は不明だが 終戦直後に所有していたようで 原資は 児玉機関がらみからの資金を流用したものとみていいのだろうとおもうんですが 三国人をダミーにして 土地を買いたたく 占領軍逃れと資産維持の為に 確実だったんでしょうか
2011年04月17日
コメント(1)
帝国ホテルで 岸が決起大会を開いたとの情報を得るや 赤松貞雄と津雲国利の二人は即座に行動を開始した赤松は部下に命じ 国会議員に向かって 陸軍はぜったいに岸新党を認めないといってまわらせた だれに喋れば どこに伝わるかといったことを 首相秘書官だった赤松はよく知っていた 軍需省 内務省 産業報国会 中央農業会の幹部たちの耳に入るように 岸の噂を流してまわらせた 岸には捜査の手が伸びている かれが政治的に動けば危険なことになるといった話である津雲は津雲で辛辣な笑いを浮かべ 岸なんかいまごろ表面に出る幕ではない 自分の身辺が危ないではないかと喋ってまわり 伏魔殿の戦時金融金庫の贈収賄事件に岸が関係しているのだと語った戦時金融金庫の重役が二人引っ張られている 岸が商工相 そして軍需次官だった時期に だいぶ融資を放漫にやった いくつかの臭い噂があるのだ 現役の軍人にも連累者が出るはずだ戦時金融金庫は昭和17年4月に発足した その特殊金融機関は 他ノ金融機関カラ供給ヲ受ケルコト困難ナル資金ヲ供給スルと定められ 政府の命令に基ついて融資をおこない 生産拡充のための設備資金を供給している 融資の可否は事業の緊急性で決まり 融資対象の企業の採算は度外視されている また この戦時金融金庫 いわゆる戦金の損失にたいしてはまるまる政府補償が与えらることになっているそこがつけ目で 陸海軍の実力者に深く食い入っている悪党たちは モリブデンやニッケルの鉱山を種にして 採掘して地金になることなどまずありえないのを承知していながら 緊急性を説き 二百万円 五百万の開発資金と資材を入手することになる 津雲の話しを聞いて なるほど岸の政治資金は戦金を水源地にしていたのかとうなずく者もいた昭和二十年 第一部3 鳥居民 草思社児玉機関で 鉱山を所有していたのは有名な話しですが この本を読むと児玉資金の現金の出所はここかなという気がしますが どうでしょうか
2011年04月17日
コメント(2)
それによると 児玉は米軍フランク オニールの取り調べ( 1948年6月14日 )に対し 次のように答えている児玉機関の資産として終戦当時 六千万を超える利益があったその金は東京の三菱銀行麹町支店に預金していた児玉は敗戦直後 この預金を全部引き出し 現金でもっていた二千万円は自分で取り 残りの四千万は 児玉機関副機関長の吉田彦太郎に渡した吉田も取り調べを受けているが 彼の話は 児玉の供述とは大部ちがう吉田は 現金は半分ずつわけ 自分の分け前は二千万だった 金は新橋の住友銀行に預金したが 凍結されたと述べている児玉誉士夫のダイヤモンド 立石勝規著 徳間書店児玉資金噺で あいまいにされるところで 詳細な経理分析をだれもしていないので この現金が 剰余金か 収益か ダイヤを処分した金か よくわからないのですが
2011年04月17日
コメント(1)
一通の書類は 担当官庁に対し 春本組が必要とする道具類一切を 無償で提供というもの もう一通は東総銀行に対する五百万円の融資命令 無利子 無担保 無期限で 春本竜作に五百万円の金を出せという べら棒な指示であった札束時代 清水一行 角川文庫より捕虜に親切にしていたので 終戦後に その縁で 東京の復興事業に入り込んだ 新田新作をモデルとした小説 このエピソードは割と語られることは多いが 上記が 語られることは 意外にないようです ここの銀行が あとでわかりますが 千葉銀行になりますダイヤモンドと金塊の件は ごまかしてやるから 代わりに金を出せですかね 真相という雑誌に 千葉銀行から 新田建設に 金がでているような ニュアンスで書かれていますが こんな感じだったのでしょうかね
2011年04月15日
コメント(0)
後篇ともいうべき獄外篇は 著者が出獄後に中国に渡り 新しい活動に入ってから 当時の中国の実相 これに対応すべき日本の立場などについて考え且つ行動したその記録を 東京に在った同志 飯島与志雄君に送り 飯島君は 雑誌 大義に これを連載した大義は いうまでもなく在京同志が烈々の経綸を訴えて祖国日本の前途に対して警鐘を打ち鳴らしたのである同君に送った書信は厖大な量にのぼったが 同君は克明にこれを文章として 復元し ひとまとめにしたのが獄外篇をなしている風雲 児玉誉士夫著作選集 上巻 巻末に題すここに出てくる 飯島与志雄は 終戦時の愛宕山事件で自決するので 見落とされがちなのですが この人を 媒介にして 児玉センセイが作り上げたものは 興味深いものがありますこれは随時 ふれていきます
2011年04月08日
コメント(3)
本書に収められた 獄中獄外の前編 獄中記は 著者青春の第一歩を印した事件で入獄し 出獄してから取まとめた記録である いわば著者の青春符である 当時の先達であった 岩田富美夫 三浦義一氏らが 法律日報という日刊紙を刊行しておられ その紙上に連載した記録がそれである風雲 児玉誉士夫著作選集 日本及日本人社ちょうどその場に これも法律新報という新聞を出していた先輩の三浦義一氏が居合わせて 児玉くん 府中におけるきみの獄中記を おれの新聞に載せてはどうかね そうすれば 原稿料の意味で 少しばかり金をつくってあげるから それで家をもちたまえ といわれた 先輩のあたたかい言葉にうごかされた自分は さっそくペンを執った 悪政 銃声 乱世 児玉誉士夫http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10065429&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA既報=本年四月以来数次に亘って全国に頒布された二・二六事件関係不穏文書事件につき東京憲兵隊では七月上旬来全国より六十名を検挙、代議士北●吉氏(五三)、二・二六事件民間参加者磯辺浅一妻登美子さん(二七)等を参考人として取調べた結果、事件の全貌が判明二十名を送局すると共に二十八日午後左の如く発表した、なお右は不穏文書臨時取締法違反事件として憲兵司令部で摘発した最初の事件である【写真上は岩田、下は大森一声こと有声】 [写真あり 省略] 【憲兵司令部発表八月二十八日】 (一)本年四月下旬以来六月下旬までの間数回に亘り「尊皇討奸の檄」「獄中手記」「公武合体の大陰謀」等と題し二・二六事件等の内容を曲庇し事件関係者を有利ならしめん事を策し或は重臣首脳部等を誹謗攻撃し以て軍秩を紊乱し又は治安を妨害せんとする悪質の不穏文書を秘密裏に出版頒布せるものあり、憲兵隊は警察側と協力、徹底的捜査の結果七月上旬確証を得て容疑者約六十名を東京憲兵隊において検挙、爾来鋭意取調中のところ事実明白となれるを以て八月二十三日別記十九名を不穏文書臨時取締法違反として東京刑事地方裁判所検事局に事件送致をなしたり 事件の概要(二)其概要左の如し 1、牛込区南榎町七四 岩田富美夫(四七) 牛込区市ヶ谷谷町五五 三浦義一(四〇) 牛込区矢来町一〇六 吉田彦太郎(二五) 等は現軍首脳部が二月事件の全責任を北、西田等に転嫁せんとなしあるものと臆断し国民与論の喚起を策せんとし共謀して磯部の獄中手記と称する不穏文書を複製し一月ごろより三月ごろに亘る間に於て各方面に手交配布したり 法律日報は 昭和12年前半に創刊されたもので 義一先生は 新聞としていますが よくいえばやまと新聞の号外的な形で 悪く言うと不穏文書的な形でスポット的に配布されたものではないかと思います
2011年04月04日
コメント(1)
全14件 (14件中 1-14件目)
1
![]()
![]()
