2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全14件 (14件中 1-14件目)
1
午後来訪者 南多摩の伊東八十二 横倉源治 西多摩の原島謙益 松尾 ヘラルドトリビューンのケレーと白洲 安田桑次 郷 遠藤 河野 松尾諸君 夕食 吉田氏宅 帰宅後 辻 児玉両君鳩山一郎日記 昭和20年9月28日よりここに出てくる辻というのは 巻末の辻は人名牽引では辻嘉六なんですが児玉は単に児玉なんですね で 児玉 萩原というコンビも登場しますが これも萩原吉太郎で児玉です 彦ちゃんらしき人も吉田ですこれがあるから わりとオフィシャルな鳩山本にこの時期の児玉センセイが登場しない理由の一つのようですが おかしなはなしではあります児玉センセイが内閣参与で入っていた東久邇宮内閣が十月で崩壊してしまい 治安体制が変わってしまうのを ある程度 見越していれば 9月末までには ダイヤを誰かに売りつけて 貸しを作りたいというところなんでしょうかこの日の会談でその方針がきまったんでしょうかこれ以降から 自由党の第一回の党大会までに換金したとみるが可なんでしょうか またおもしろいのが この当時の一郎センセイには 笹川センセイもいろいろ接触してきているようなんですが 結局 辻嘉六が間にはいって 資金がやりとりされているということで 児玉機関は 実は笹川機関という説は 実はトンデモということがわかりますただ 児玉センセイの自称親分の笹川先生が 鳩山先生の周囲
2011年07月30日
コメント(3)
五郎は第二の説が正しいと思った なぜならGHQの権力は非常に強いため 日本の世論などに動かされるようなことはありえなかったからであるではなぜそのようにアメリカの世論が悪化したのかといえば アメリカ国民が天皇や側近者に抱いていた悪感情をさらに強めるような新しい事件が最近発起して 彼らを激昴させたと見るべきだと五郎には思えた 十一月一日にマッカーサーが近衛を憲法改正問題から排除する声明書で すでに東久慈宮内閣が総辞職し 近衛が副総理を辞めたから自動的に両者の関係が終わったといっているが マッカーサーが内務大臣以下特高警察官の一斉罷免で東久慈内閣を総辞職に追いやったのは 十月四日であった マッカーサーは一斉罷免の要求を突きつけることで内閣が総辞職 ひいては近衛が副総理を降りることも知っていたはずであるそれになのにその十月四日に近衛に憲法改正の仕事を命じていたのであるもしマッカーサーがすでに近衛が下野する事を知っていたなら 十月四日に 憲法改正の仕事など命じるはずはないである 近衛が下野したからというならば 下野してから一ヶ月も過ぎた十一月一日になってから仕事を中止させるのも不思議である 五郎にはどうしてもその問題の理由が分からなかった
2011年07月26日
コメント(3)
ところが十一月一日になると GHQは近衛に対して憲法改正の仕事から手を引かせるような絶縁状を突きつけたのである その絶縁状の内容は次のようなものであった 従来マッカーサーが近衛に対して憲法改正の仕事を命じていたのは 近衛が東久慈宮内閣の副総理についていた関係によるものであったが その内閣が退陣してすでに近衛も野にくだった今日 憲法改正問題でマッカーサーと近衛との間で保持していた関係も また消滅したと解すべきである したがってGHQとしては 目下近衛が憲法改正を進めている問題とは全く無関係であることを明らかにしておくGHQはそのような声明書を発表すると同時に 近衛個人にも今後憲法改正に関する連絡の一切を断つという通達を送ってきたではなぜ十一月一日になってマッカーサーが突然 このような措置を取るに至ったか これには世間に二つの説が流れていた一つの説は主に日本の各新聞社による見解であるが それによると日本国内で近衛を非難する声がはなはだしくなったので マッカーサーがそのような措置を取ったというものであった いうなればGHQが日本の国内世論に動かされた結果であるというのであったもう一つの説は日本の外務省筋の見解というべきもので 最近のアメリカ本国における天皇とその側近者に対する世論が すこぶる悪化したことにマッカーサーが動かされた結果であるというものであった憲法が問題ではなく アメリカとうまく関係を結んで 再び 政権をとりたいという複線があるようで ここに注意
2011年07月25日
コメント(2)
例えば 近衛さんは終戦の直後自分は戦争を 心から欲していなかった しかし そうならざるをえなかったのは はげしい軍部の圧力と 右翼の側面からの攻撃によって これを避けることができなかったによるとこうのべていたようだが それならそれで何故 右翼一方の指導者と目されていた 井上日召氏とか天野辰夫氏に自ら私ショクし 心酔してその意見に耳をかたむけ かつこれらの提言を採り入れ 側近のブレーンとして処遇されたのか あるいはまた日独伊の三国間に軍事同盟を結ぶにあたり 世論をもり上げてこの目的を強力におしすすめる意図から 巨額の工作資金まで放出 右翼を最大限に利用したのはどういうわけだったか悪政 銃声 乱世 児玉誉士夫著より近衛を暗殺しようとした 児玉センセイがいうかという気がしますが血盟団と神兵隊の首領を 用心棒として手元に置いていれば 特高や憲兵の監視を受けるのは 当然の話で この人のことを語る場合に だれを手元においているか振れる本が少ないので 話がおかしくなりますまた 手元に置いておくだけでなく 政策決定のさいに この連中に押し切られるケースが多々 あったらしいのですが近衛が その点を自分の責任として捉えていないようで 戦後もなんとか逃げきれるとふんでいたように思えます
2011年07月25日
コメント(3)
そう言われると五郎としては一言も返す言葉もなかった 当時の五郎には 占領軍の中に近衛の情報を聞き出せる者 というより占領軍の中に一人の知人もいなかったのである それで黙っていると白洲は一層居丈高になって 彼自身が占領軍の大幹部に知り合いが非常に多いことを述べるだけでなく また自分が向こうの大幹部たちと時々食事を共にしながら アメリカの占領政策についていろいろな意見を具申していることを誇らしげに語るのであった今も述べたように この僕はほとんど毎日のように進駐軍に出入りして占領軍の誰かと会っているんだが 占領軍の方では公爵が戦犯に指名されるようなことはありえないと言っている そういう状況であるばかりか マッカーサーのごときはむしろ公爵を頼りにしているような有様だそう言って白洲は さらにこれより先に彼が凱旋して近衛をマッカーサーに面会させたことや その時マッカーサーが近衛に対して 日本の軍隊の武装解除は 自分ら連合国の手でそれをおこなったが 日本人全体の精神的武装解除は 公爵のような人の手によって行ってもらいたいというような好意ある言葉すら漏らしていたなどと語るのであったマッカーサーは近衛に対して 今も僕が言ったようなことを述べているぐらいだから 僕は公爵も安心して なるべく早く新党を樹立する方が良いと勧めているわけだが それなのに君がやれ公爵が戦犯に指名されるのではないか やれ公爵が新党樹立を計画するのは時期尚早ではないかなんて言うのはおかしいとおもうがねそれでどうなったか
2011年07月24日
コメント(2)
白洲がそういう性格であるのを知って五郎は この人物とはあまり議論をしない方が良いだろうと思っていたのに ふとしたことから図らずも白洲と口論する羽目になってしまったことの起こりは新党樹立の問題が話題になっていたときに 白洲が例の大声で近衛に対してしきりに新党の樹立は早い方が良いと勧めたことにあった しかしその近衛の勧め方があまりに押し付けがましく思えたので 五郎はつい何気なく口を出してしまったどうだろうね 今頃から公爵にそんな新党樹立の問題を勧めるのは 何となく時期尚早のようにおもえるんだが酒もはいったせいか いわずもがなのことをいってしまい しまったと思ったが遅かった その途端白洲は五郎の方へ険しい表情を向けて 大きな声で乱暴な調子で食ってかかってきた君はいったい何の根拠があって そんなふうに公爵の新党樹立が時期尚早などというのかね白洲の激しい剣幕に一瞬たじろいだが 問われた質問には答えねばならない僕は 占領軍が公爵をどのように扱うかという問題で 前々から心配しているんだ そうした心配があるのに それをはっきりと確かめもしないで いま急いで公爵に新党を樹立しろなどと勧めるのは 些か時期尚早のように思えるのだが どうだろうこの言葉は白洲の反発心を一層掻き立てたようで 五郎が言い終わる否や また噛みつくような調子で五郎に詰め寄った君が今言った言葉から察すると 君が公爵が戦犯にでも指名されるように思っているようだが いったい君はそんな話をどこの誰からきいてきたんだね よもやそんな話を進駐軍から聞いてきたんじゃあるまいね 進駐軍の方では公爵をそんな戦犯に指名するようなことは 全然考えていないようにきいているんだがねあとから考えると 大笑いな話ではあります
2011年07月23日
コメント(1)
五郎が近衛の動静を確かめてから暫くすると ある夜 例によって長尾の邸で近衛と夕食を共にすることになったが その夜の宴席はどうしたわけかいつもとは違って 長尾の邸でも一番大きな 畳数にすれば 二 三十畳もあるような座敷で開かれていた そこに案内されてみるとすでに正面に近衛が端然と座っており そして向かって右側に富田健治を始めとする いわゆる近衛の家の子郎党たちが三 四人ずらりと顔を並べていた 五郎が指定された席に就くと早速 近衛はその左側に座っていた一人の人物を左手で指し示しながら紹介したこれは白洲次郎君という人ですそう紹介した後にこの白洲君は英語がすばらしくできる人で その英語のうまさということでは 恐らく日本一でしょう五郎は近衛の紹介で初めて白洲次郎という人物を知ったそれから一同なごやかに会食をはじめたが 近衛やその取り巻きたちは酒を飲み交わしながら いつしか新党樹立の話をはじめたので 五郎も近衛の新党樹立の計画が間違いないことを知ったのである一座の者たちがその話題についてかたりあっているうちに どういうきっかけからか 富田健治と白洲の二人が議論を戦わす事態になった 五郎は二人のやり取りを聞いていたが その際白洲の態度で特に気がついたのは 白洲がかなり乱暴な言葉を使って怒鳴るような大声でものをいうことと もう一つ白洲は他人の言葉には全然耳を貸そうとはせず ただ自分の考えだけをどこまでも押し通そうとする強引なところののある男だということであったジローさんらしいですね
2011年07月23日
コメント(1)
唐沢からGHQの動きに関する話を耳にした頃 五郎は近衛の動きについても俄に不審に思える噂を聞くことになった それは近衛とその取り巻きの者たちが 近衛を中心に新政党樹立の計画を進めているというものであった 五郎はこの頃になると 以前ほど頻繁に近衛から呼び出されることがなくなっていたので 近衛の最近の動きは知らなかったそれにしても五郎がこの話を聞いて不審に思ったのは 近衛自身が戦争犯罪人に指名される恐れがあるというのに 本人が一向に無頓着で新党樹立計画などをすすめているということは理解できなかった それで早速情報網を使って近衛の行動をさぐらせてみると その噂は本当で そもそもの動機は当時占領軍に頻繁に出入りしていた白洲次郎とかいう人物の進言によるものだということが分かった海鳴り 内務官僚村田五郎と昭和の群像 下 著者:村田光義著 出版社名:芦書房より 小説仕立てなんですが 村田五郎の回想談をベースに仕立てたようです 憲法を作るだけでなく 新党を作る動きもあったようなんです
2011年07月22日
コメント(3)
当時のわれわれの主な任務は占領地外に存在している物資はどこに何があるか といった日常必需品の需給の動向とか 児玉機関に必要な情報の一切を調べるそれらの情報に基づいて 輸送機関やあらゆる把握している権利を利用して 交換物資の砂糖 塩にしろ こちらが物価の高低を自由にして その利潤の鞘で こちらが欲する膨大な物資を手に入れることができたわけです見えない政府 岩田幸雄の証言よりわかりにくいのですが 私なりに読んでみると こんなかたちです当時の中国大陸は ギャロッピングインフレが進行中で現金の価値が落ちていた そのために 日本軍の物資調達は 現金での仕入れではなく 金を含めた現物をつかった調達がメインになってきた児玉機関もカネをもらい 仕入れをする組織ではなく塩 砂糖 綿糸綿布 米 麻薬などを公定価格で 調達して これには軍の後援だけでなく かなりの地位の文官まで抱き込むことが必要になり そこから 商品の独占または 優先的に 流通する権利をゲットし 販売後はこれをカネにせず それに対応する物資を先方から入手する こんなビジネスを大陸でしていたんでしょう揉めて略奪ということはあったんでしょうが この方法だと 貧乏人相手に略奪をやるような集団ではないはずですが また おおきな組織の背景がないとできにくいですが 現地マフィアの協力と ある程度 商品知識と商品相場のわかる人間がいないと 大陸浪人だけでは 機関が運営できないはずです
2011年07月12日
コメント(7)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10064838&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA新聞記事文庫 犯罪,刑務所および免囚保護(5-128)大阪朝日新聞 1933.12.10(昭和8)密輸宝石の故買を自白す服部時計店の主任シリア人ヌーレー・タクラ(四十一年)を主犯とする国際的宝石密輸事件は服部時計店の登場により俄然一大進展を見せるにいたり、八日夜警視庁に留置された同店宝石係主任杉浦孝一について九日早朝地方検事局枇杷田、窪谷両検事、横浜税関より高山税関審査主任、高峰、市村両監視らが警視庁に出張、上京した大阪税関の瀬戸監視とともに八日押収帳簿と対照してタクラとの取引関係につき峻厳な取調を行った結果 両者の取引はタクラが去る八月数万円の宝石を密輸して来朝した直後杉浦は神戸市のタクラ・ホープ商会にいたり八千円余のダイヤを購入し、更にその後タクラの上京に際し帝国ホテルでルビー約四千円を買取り、しかも密輸入品である情を知ってこれを買取ったことを自白した、これによって同時計店の代表者は税関法により一応召喚は免れぬ形勢になって来た、一方タクラの自供によれば服部時計店との取引は昭和四年タクラおよびシャール・ホープ(帰仏中)らが来朝した当時以来一年に数万円ずつ行われていたとの事実も判明するにいたり 事件はさらに進展するものと見ている(東京) 東京府会の涜職にも関係 重要書類発見服部時計店東京本店の家宅捜索の結果意外にも目下東京地方検事局の手で取調を進められている東京府会方面の涜職事件に関係ある重要な証拠物件を発見し、当局はその方面からの追及を準備している模様で例の帝都教育疑獄と府会との関係も噂されている折柄、検挙の手はここにこれら三者を一体として大々的に拡げられるものとその成行きは頗る重要視されるにいたった(東京) データ作成:2009.11 神戸大学附属図書館 注 賄賂用に密輸のダイヤが使われたという話 服部時計がその仲介をやっていたという話http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=10065620&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA新聞記事文庫 犯罪,刑務所および免囚保護(6-054)報知新聞 1935.5.11(昭和10)椅子売買の被告三十六名に求刑肥後元視学に懲役六月教育疑獄の公判十一日午前十時から開廷された帝都教育疑獄求刑公判の法廷には広田元視学課長、肥後元学務課長以下三十六名の被告はほとんど背広姿で粛然と着席、塚崎、石渡氏等五十余名の弁護人と被告の関係者らしい二百余名の傍聴人で満員となる、八木検事は同十分から犯罪総論に入った、八木検事は先ず総論において事件の検挙経過を述べるとて帝都初等教育界の腐敗の積弊をあげ、検察当局の発動するに至った経緯を詳述する、次で犯罪事実に入り被告三十六名個々の贈収賄関係を微細にわたり説明するが、予審と公判における被告等の陳述の相違を指摘し心証物証から『否認の否認』に努める、その中でも『先生方お二人様』と書かれた待合茶屋の帳付等は公然と饗応が行われた事実を物語り、例の『盆暮贈答』の内容検討で被告の肺腑をつき、胆を冷させ正午一旦休憩、午後一時続開、八木検事再び起って各被告の犯情論を続け、公判廷においては各被告とも予審供述の一部乃至全部をひるがえしているが、いずれも否認のための否認であると鋭く論及、情状論に入り同三時四十分左の如く求刑した 注 密輸事件当時の文部大臣は鳩山一郎センセイです この構造が戦後に そのまま生き残っているようでhttp://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00076542&TYPE=HTML_FILE&POS=1&LANG=JA中外商業新報 1934.10.12(昭和9)金密輸出五千貫更に増大の懸念ロンドン金塊相場の昂騰で内外の差額益々拡大ロンドン金塊相場は既報の如く金死蔵を主因として漸騰し九日は七ポンド二シル九ペンスと新高値となった、ユーゴー・スラヴィア国王暗殺事件はロンドン金塊相場が午前十一時に公定される関係からこの九日の相場には影響していないが、かかる事件は金の死蔵に拍車をかけることは当然で、九日のロンドン市場においても相場公定後に七ポンド三シルの買人が出たといわれているこうした事情から金相場は反落しても暴落は望めず、金高の傾向の持続性については相当根拠があるものといわねばならない、故に我が日銀買入値の引上げが問題となって来るが、これに関する大蔵省日銀当局の態度は再三報道の通りまだ引上げを考慮していないと称しているが、引上論の有力な根拠として挙げられている密輸出の懸念が世界市価との差額拡大によって増大してくるのは注目すべきで、いま某所の推定するところの昭和七年度、八年度の密輸出は次の如く巨額に達し、両年度分を合すれば一匁五円としても二千四百八十八万五千円の巨額に達する 昭和七年 一、四九四貫 同八年 三、四八二貫 九日のロンドン金塊相場を対英為替一シル二ペンスを以て換算すると一匁十四円七十五銭で日銀買上値との開きは一匁につき三円六十九銭となる、故に以上の密輸出額は益々増大する危険があり、この点から当局の何等かの対策が要望されている注 密輸も国際相場の状況に応じて 日本から大陸 大陸から日本にとかわるようです新聞記事文庫 金・銀(12-157)大阪時事新報 1934.11.15(昭和9)金塊二十万円海外に持出す密輸魔密輸ダイヤと引換えに貴金属商から買集む天賞堂に飛火、若主人留置大連星ヶ浦に堂々たる店舗を張っている貴金属商三清洋行から莫大なダイヤが大阪方面に密輸され、大阪一流の貴金属商天賞堂ほか数店から金塊と交換、金の相場の高い支那市場に密輸出して莫大な鞘を取っていた国際経済の生んだ豪商連の犯罪が神戸水上署、神戸税関の協力活動によって白日の下にさらけ出され、内地における金の裏相場の根拠を一挙にして潰滅させた事件は益々拡大する模様で当局は尚も必死の捜査陣を進めている 政府の金の買上げ値段が十一円台であるに拘らず内地の金の相場が十二円十三円時には十三円六十銭にまでも上っている事実の陰には余程の金を密輸して莫大な鞘を取っているものがあるとの見込みをつけた神戸水上署では出入船舶に監視の眼を見開いていたところ去る九月十七日商船扶桑丸の元三等給仕尼崎市昭和通り八丁目三一七肥田常五郎(三九)及び同神戸林田区三船通り一丁目三二中川彦四郎(三七)の両名の行動に不審の点があったので引致取調べたところ 大連星ヶ浦貴金属店代表社員近藤三弥(四四)を中心に同店の専務で元内閣書記官長某氏の甥河田清二(三六)同店員重田俊策(三八)同柳ヶ瀬文二(三一)が支那方面の金の高値に着眼しダイヤと交換に内地の金を集めて一儲けしようと柳ヶ瀬が封筒の中に多数のダイヤを入れて前記扶桑丸のボーイに手紙の如く装わせて密輸し大阪の貴金属商南区塩町三丁目二一天賞堂若主人新本秀雄(二一)ほか 南区高津四丁目桐谷与三郎(三二)南区安堂寺橋通三丁目橋本虎吉(四三)布施町菱屋大上定吉(四五)及び名古屋市中区流川町二二水渓直吉(五〇)神戸市神戸区中山手通一丁目一六三田中正喜神戸市湊東区上橘通三丁目二五七内田吉太郎の 貴金属商から金を買集めダイヤと交換柳ヶ瀬は用心深く直接買集めには走らず神戸市須磨区菊池二丁目一六油紙商大村一郎(三一)をして直接大連の近藤に送らせ最近一箇年間に十五六貫二十万円の金を外国市場に売捌いていたと云う虞るべき事実が判明本月初旬神戸水上署林刑事部長神戸税関竹沢監視等と共に大連に向い大連警察署の応援により首魁近藤、河田、重田を一網打尽に引捕えて大連に異常なセンセーションを捲き起した一味の逮捕で金相場暴落 罰金もタクラの三倍に上ろう稀代のその罪状近藤等のダイヤ密輸は昭和六年ごろからでその罰金だけでも数百万円に上りヌレタクラの三倍に上るという、目下巨魁は神戸水上署に留置取調中であるが天賞堂主人新本氏も近く召喚される見込みで事件は頗る波及性を持ち続々豪商、紳商更に社会的身分高い方面に検挙の手が伸びる模様である、この密輸団検挙の手が延びたと云う丈けで金の売相場が当時一挙八十銭も暴落したと云うことである注 金塊が外に出されて ダイヤが入ってくるということですが ここには 天賞堂とありますが 金の密輸は服部時計もやっていたんでしょう新聞記事文庫 犯罪,刑務所および免囚保護(6-006)時事新報 1934.4.27(昭和9)ダイヤ魔を虜にした我が捜査や優秀密輸団タクラ等有罪と決定為替管理法初の違反昨年暮れから本年一月にかけて全国貴金属商を戦慄させた仏国人神戸市六甲八幡字森後合平地一の四在住ヌーレ・タクラ(四三)大阪市南区鰻谷仲之町三二角谷栄蔵(三七)本郷区坂下町一、三輪豊照(四一)の三名に係る国際的密輸入団の予審は東京地方裁判所吉田予審判事係で審理中の処二十五日予審終結、タクラと三輪の両名は関税法違反角谷は関税法違反並外国為替管理法違反、涜職(贈賄)罪で何れも有罪と決定公判に附されたが、為替管理法違反は金輸出禁止から昨年七月為替管理法敷かれて以来、之が最初である、本件検挙に際しては東京、大阪、神戸の三検事局が管下の捜査官を総動員して犯罪の摘発に努力しただけに検挙困難と目されている国際的なダイヤ密輸入団の片鱗を完全に捕捉し得たことは日本の捜査の優秀性を世界に認識せしめるものと言われ、其内容は探偵小説を地で行くより遥に大きなスケールを有ったものである、決定書に依れば、タクラは仏領シリア生れで仏国人チャールスシャルホープと共同して世界を股にかけてダイヤの密輸入を商売にしていたが 1…両名は共謀して昭和六年十月から七年二月上旬迄にシャルホープが仏国巴里で仕入れたダイヤ七分石十三個九カラット五九、価額四十九万八千五百余円を日本に密輸入するため外国船の乗組員十数名に多額の分前を与えて神戸に携行させ巧みに税関の眼を晦まして密輸入した 2…昭和八年七月頃両名は白耳義アントワープ等で仕入れたダイヤモンド二十数万円を上海に携行して同地で角谷三輪両名に大部分を売却し残りの五万八千余円のダイヤはシャルホープ夫妻が着衣の秘密ポケット特殊の手袋等の中に隠匿して神戸に携行上陸し、前後二回に亘る五十五万余円のダイヤは全国の貴金属商の手に密売されたものである、角谷は上海で買入れたダイヤ二分の一石十一個五カラット十価額二十二万余円を内地に密輸したが此ダイヤ買入れの代金に充てる為、角谷は昭和七年一月から八年十一月迄八回に亘って二十円金貨六百五十枚、十円金貨八十二枚、金塊三十貫匁約四十万円を長崎丸浅間丸上海丸で法網を潜って持出した、然るに七年四月角谷は一万数千円のダイヤを密輸入せんとしたのが発覚し神戸税関で罰金三万円に処せられたが、罰金納付の猶予を請託するために神戸税関観察係長高橋縫三郎に現金二百円を贈賄した 3…三輪豊照は昨年五月以来十数回に亘り大阪市西区四ッ橋広田旅館で逋脱ダイヤなることを知悉しながら二十万八千余円を故買したと云うのである 此一味が如何に大仕掛けの密輸入をしていたかが簡単な決定書の裏に躍動していて一味の公判は国際的な興味を呼ふであろうと見られている 注 ダイヤの出所が 上海にあることに留意http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51321994.html上記のことを考えると これはどういうことかというと金は 国際通貨になり 下手に 大陸に渡ると 蒋介石政府の資金にも回るので 金の流通に統制をかけたということですが ダイヤの重要性がいわれるほど 高くなかったということなんでしょうか東京の貴金属の流通の監視人に 三浦義一がいて 上海に児玉機関が置かれたのですが これはどういうことなんでしょうか今までの流れから考えると 児玉ダイヤとは 全部とはいいませんが この密輸ダイヤが上海に滞留したもので もともと出所が不明なんで 結果として 曖昧に処理されたようにも思えます
2011年07月10日
コメント(11)
http://ameblo.jp/pursang-blog-page/archive1-201009.htmlダイヤモンドと金のどちらが資産価値があるのか? みなさんからの質問が多かった資産運用について、細かい事までは説明できないが、できる限り教えます。ダイヤモンドって、両親が経営してた会社で取り扱いした経験があり、ダイヤモンドについての知識は多少ございます。 ダイヤモンドは大変難しいです。ダイヤモンドを扱う宝石屋さんが偉そうに小生にダイヤモンドのことを話すことがあるが、小生は長年ダイヤモンドに関するビジネスを両親が経営してた会社で手伝ってきただけに知識があり、ええ加減にせいと心の中で思う時がたくさんありますし、腹が立つ時がありますよ。こっちはダイヤモンドのプロだぞと言いたいが、もうね。ばかばかしくて相手にしたくないですね。今は資金力がないので、両親の引退で終わっております。 もちろん、偽物が出回っており、昨今のリーマンショックによるダイヤモンド購入が大幅に減ったようです。 しかし、欧州の大金持ちの購買力は相変わらず健在のようです。以前、プルサンがダイヤモンドに関する記事を何回も載せている。 アフリカで獲れたダイヤモンドは欧米などダイヤモンド市場を通じて世界に販売されております。 小生は「血に染められたダイヤモンド」だと何回もカキコしたはずです。 アフリカで戦争の中でダイヤモンドを発見して、欧米の市場で売られ、そこから世界へ販売していく。 欧米の宝石屋や宝飾店などまばゆい展示でダイヤモンドがあまりにも美しい。※言葉の意味 ま‐ばゆ・い【目映ゆい/眩い】=[形][文]まばゆ・し[ク]1 光が明るすぎて、まともに見られない。まぶしい。 「―・い朝の光」2 まともに見られないほどきらびやかで美しい。「―・いばかりの宮殿」3 恥ずかしい。てれくさい。 言葉の意味の説明終わり。ダイヤモンド市場はNY、アンドワープ(ベルギー)、イスラエル、ロンドン、アムステルダムの5大市場です。 一般の人はは見学できません。 5大市場の共通点はユダヤ系の拠点です。 ダイヤモンドのオークションはほとんどロンドンが多いでしょう。 ダイヤモンドと金は、資産価値があるのはどっちだろうか? ダイヤモンドと金は、どちらも甲乙つけがたい高価な貴金属であるが、実際のところ資産価値で考えるとどちらのほうが価値があるのだろうか?ダイヤモンドの場合には、売値と買値はだいぶ変わってきますよ。 何百万円ものダイヤモンドの指輪をプレゼントされて、質屋に持っていったら、半額以下に叩かれたという話はいくらでもある。 小生の両親が経営してた会社でも質流れの物もたくさん扱っておりました。 偽物が出てきた時は、激怒した事もありますよ。 というのも日本にはダイヤモンドの換金市場もなく、価格には流通コストを上乗せしているのが一般的である。 だから、本来の価格よりも買う時の方が高価な値段がついてしまうのだ。 世界でも希少価値のあるダイヤモンドとなれば話は別だが、一般庶民の手に入る程度のものには期待しない方がいいです。 サラリーマンの3カ月分の給料で買うようなダイヤモンドも期待しない方がいいですね。その本物であれば、おなごや嫁や奥さんや恋人の心を満足させるだけで十分であろう。 逆に金(Gold=ゴールド)の場合には、市場の動きによって価値が日々変化する。 いってみれば株と同じで、相場によって大儲けが可能なのである。 金はもともと通貨として用いられていたため、換金性がよく、世界市場で公正な価格が形成されるのが特徴である。 また、金はいつの時代においても、世界に通用する安定した価値を持つ唯一の実物資産といわれています。 資産価値からいえば、金のほうに軍配があがることは間違いない。 ただし、株と同じように大損の可能性もあるので要注意!騙されて、本物の金を買ったとしても大損した人をたくさん見てきています。 ご注意ください。小生は金(Gold=ゴールド)が大好きで、金を買いたいが重くて保管場所がないのであきらめております。 その代わり、金のネックレスやプレスレットや指輪なら大好きだw 中国人が好んで着けるのは、中国人の慣習からくるおまじないによるものらしい。 特に香港にみられる金持ちの中国人が大量の金を使って風呂を作ったり、ロールスロイスのエンブレムにわざわざ作り替えたりしています。 多分、中国人は風水が好きだろうね。ただ、中国人はダイヤモンドをつけるのはあまり聞かない。 ダイヤモンドはユダヤ系が好んでつけるそうです。 中国人とユダヤ人の違いですね。注 中国人を華僑と読み替えた場合にも 果たして児玉機関があつめられるほど 東アジアで ダイヤモンドがあったのか またダイヤモンドをもっていたのは誰かhttp://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_hb/a6fhb100.html1939年夏までに、約2万人のユダヤ難民が上海の「日本租界」にあふれるに至った。(※ ちなみに、上海のスファラディ系ユダヤ人たちの中には、金のない貧乏なアシュケナジー系ユダヤ難民の受け入れを嫌がる者が多くいたという)。 ※ 上海のユダヤ人社会に、ドイツ・オーストリア系ユダヤ人が流入 したのは、ナチスがオーストリアを合併した1938年秋、イタリア商船コンテ・ビオレ号から上海に吐き出されたのが最初である。上海へは世界で唯一「入国ビザ」の必要がなかったので、その後、欧州からユダヤ人が続々と流れ込んだ。1939年夏までに、約2万人の ユダヤ難民が上海の「日本租界」にあふれるに至った。注 ロシア革命からナチスのホロコーストの間にユダヤ人の上海流入が進行して それに連動して 東アジアにダイヤモンドの流通市場が誕生したんだろうと思います
2011年07月10日
コメント(1)
はたして王はそもそもの法幣をどのように手に入れたのか 将校用に下付 支給された大前門やスリーキャッスル ルビークイーンといった煙草をすべて 自分が吸わないで貯えておいて 毎日毎日 買いにくる人たちに売ったらまあ どんどんお金がたまちゃったの それで 中国政府が発行して流通していた中国の法幣を所持していたけど この際 日本の紙幣と交換しておけば三十年くらい経つと骨董品としての価値が出るのではないかと考えて交換したの略1946年6月19日 王は中華民国政府の占領軍の一員として博多に上陸したというその任務に就いた頃 日本国政府は当時 日本人が持ち帰った日本円はただちに銀行に預金させて封鎖し 少しの払い戻ししか認めず 英 米 中 ソなんかの連合国軍人 軍属とその家族に対しては その所持する全額を日本国政府発行の新紙幣である新円と同額ですべて取り替えたの闇市の帝王 王長徳と封印された戦後 七尾和晃 草思社児玉機関は東光公司を基地にして物資の調達に失そうした が それも戦況が有利に動いた昭和十八年前半の頃までである そしてその後は かなりあくどい手口で財産つくりをしたという 当時 上海にあった軍の国策会社 大陸新報の関係者の話からもそれはうかがえる戦争中の中国では 流通通貨は三種類あった 南京政府発行の儲備券 日本軍発行の軍票 そして蒋介石政府の法幣 ところが儲備券は王政府が見境なしに乱発しすぎて 紙屑同然の価値になった 児玉は この紙屑をどこからか集めてきては 三井銀行の上海支店に預けた いくら紙屑といっても 日本円とのあいだには為替レートが一応確立されている そこで三井はこのカネを児玉の東京事務所に送金した 中国人の中には 紙屑ですから どうぞお持ち帰りくださいという者も出てくる 濡れ手にアワのこの商法で 彼の財産は雪だるま式に増えていったわけだ竹森久朝 見えざる政府
2011年07月09日
コメント(0)
http://www.kkc.or.jp/plaza/magazine/201005_14.html?cid=1 パブリックリレーションズの盛り上がりに照応するように、PRが新しい仕事として出発していく。1948年福田渉外事務所(後にジャパンPR)、1949年ジョージア・デイ・アンド・アソシエーツ、1952(昭和27)年ファルコン・アドバタイジング・アンド・ピーアール、1956(昭和31)年日本国際PR研究所などである。 福田渉外事務所の福田太郎は、満州電電、GHQを経由して独立、その後ロッキード事件への関与で有名になった人物である。 ジョージア・デイ・アンド・アソシエーツのデイ婦人について1949年日経が「珍しい職業」として紹介、「官廳(かんちょう)、会社の情報提供、日本の実情紹介に米婦人が開業」と報じた。 ファルコン・アドバタイジング・アンド・ピーアールの社長は、GHQの情報将校(少佐)を退役したローズ・C・フォルケンシュタイン。スカンジナビア航空のPRで兼高かおるを起用、その後「兼高かおる世界の旅」がテレビで人気を博すことになる。 この時期のPR会社のトップはGHQ、外務省、満州に関係のある人物ばかりである。企業や団体の広報活動というのが 諜報の世界と親和性があるといういいサンプル 児玉誉士夫と福田太郎という言い方でなく 福田太郎と児玉誉士夫という見方が正しいのかもしれません
2011年07月08日
コメント(1)
密貿易やくざの組織化
2011年07月06日
コメント(3)
全14件 (14件中 1-14件目)
1
![]()

![]()