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http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20080124/1201183759 私は早速W氏を訪ねました所、応接間には元陸軍省の貴賓室にあったと同様の豪奢な椅子が並んでいるのを瞥見し(私は応接間には通されず彼の居間で話しましたが)まず不快を感じました。彼の金儲けの方法というのは、名古屋の某金融会社(実質は高利貸し)に貴金具を現物出資しその評価額に対し毎月一割二分の配当を受けるものであり、彼は東欧の大使館附武官時代彼の妻女のため購ったダイヤモンドを出資しておるとの事でありました。もし私に何か貴金属があれば世話してやると申しました。ここに出ている軍人さんたちが どこから貴金属を調達したか ほんとうに個人的なものか とても疑問がありますまた ダイヤを現物出資しただけでは 資金は調達できず その貴金属を担保にして銀行か さまざまな筋からの 資金調達が不可欠です ただし 調達ができたから きちんとした 金融機関でないと調達コストは高くなりますまたここでは金融会社とありますが これって闇屋や密貿易に投資されたのではないかとおもうのですが松本清張は 日本の黒い霧の征服者とダイヤモンドという論考の中で 隠匿された貴金属は海外に持ち出されて金にかえられたはずと推理していますが 上記にしめしたように さらにもうワンクッションあったはずです 児玉資金についても 河野一郎いうところの米屋に売って金をつくった以上の スキームを作った方がいたはずで このスキームが 戦後の方向性を ある面ではきめていったのでしょうそのスキームをなんとか見極めてみたいと思います
2011年03月28日
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http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/201103050000/この取引には、三越の社長の私行、個人的な行為や社内の内紛をあげつらう怪文書がかなり出されました。その怪文書事件と軌を一にして取引がなされている。つまり、東亜相互企業から三越不動産に、地元の相場から言えばかなり高い価格で土地が移っている。このあとに 岡田叩きに動いたのが五味武の国会タイムズのことなんですが 二日後 また別のルートから五味の元に 電話がきた児玉誉士夫の秘書出身の倉林公夫であった 五味は 倉林をよく知っていた 右翼運動家で 雑誌 流動を発行していた五味さんに会いたがっている人がいる すぐ来てくれないか五味は ふたつ返事で倉林の事務所を訪ねた港区愛宕にある倉林の事務所の応接室に入った ごっつい男がいた 詰め襟服のような一風変わった洋服を着ていた いかにも右翼でござい という服装である五味は その男に名刺を出した五味武といいます相手も 名刺を出した 右翼団体AのY総長とあったY総長は 五味に一瞥もくれず 倉林に向かっていった社長 わたくしどもは 岡田社長には たいへん恩義を受けている岡田社長は わたくしどもの前総長の身元引受人ですわたしどもは岡田社長を 体を張ってまもらねばならない そのことを五味さんによくいってくださいよ ではよろしく謀略 大下英治 大和書房より注右翼団体AのY総長 国粋会 八木沢由雄前総長 山口一義身元引受人 どういうわけだか 藤田田もなっています
2011年03月22日
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http://hatajin.blog.so-net.ne.jp/2007-08-16不安の周辺辻井喬新潮社1985-01-20(初版)ISBN? 4-10-340703-4 山上由雄は、広告会社須山洋平社長の誘いで、副社長として入社。須山は宗教に打ち込むようになり、自分が会社を建て直すために社長となる。恐喝されていたN社の宣伝部長中村淳の依頼で、「報道正義新聞」芝木達之進・桜井隆彦と会い、芝木と交友を深めて行く。その後も、芝木らが問題となった時に各社の依頼で仲介して結果的に恩を売って業績を伸ばす形となった。そのような営業に内部告発(いろいろあるが、平山秋子らと肉体関係を持ち社内情報を集めていたことも)もあり、中村の告訴があって「報道正義新聞」事件に係わる。さらに、事件は九州に住む右翼の大物岸田善と関わりがあるのかと疑われる。 本書は三部からなる。第一部が山上由雄、第二部は事件を担当する検事、大沼正一。第三部は山上の妻有紀子の兄、沢の視点からの小説となる。編注 未読ですが 西武の跡目相続をモチーフにしたようにおもえるんですが 実際はとある広告代理店の内幕を描いたようでhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E8%8C%82_(%E4%B8%89%E8%B6%8A)岡田 茂(おかだ しげる、1914年8月3日 - 1995年7月20日)は、日本の経営者で、元三越社長。京都府出身、慶應義塾大学文学部卒業。1938年、大学卒業と同時に三越に入社。宣伝部長を経て銀座店長を歴任。銀座店長時代にはヤングファッションを売りとする営業政策で同店の成績を上げ、松田伊三男社長に評価されるが、その頃から公私混同が社内でも問題になっていた。1972年に松田の後任の社長に就任。「これからは物だけ並べて売る時代じゃなくなるから、旅行、趣味、教育、医療にも目を向けろ。いずれ来る高齢化社会に備えて百貨店が他と差別化して何ができるか考えろ」と語るなど百貨店経営においてユニークな発想を持っていた。社長としては決断力が高く指示が非常に早かったが、社内では「岡田天皇」と呼ばれるほどのワンマン体制を築き、意に沿わぬ人物を次々と粛清する。岡田のライバルとされていた坂倉芳明を常務の座から追い、坂倉は堤清二の招きで西武百貨店副社長となった後、社長となる(後に復帰して三越社長)。強引な経営手法は1982年6月には優越的地位の濫用で公正取引委員会から審決を受ける。そして同年8月の「古代ペルシャ秘宝展」で偽物騒ぎが発生、さらに「三越の女帝」と呼ばれた愛人の竹久みちへの不当な利益供与も明るみに出た。こうした中、水面下では三井銀行の小山五郎相談役などの三井グループの幹部や三越の反岡田派を中心とした「岡田おろし」の準備が進められていた。同年9月22日には取締役会が行われたが、その途中で岡田は腹心の杉田忠義専務に議長を交代した。そこで杉田は秘密裏に計画していた岡田解任決議案を発議、16対0で可決成立し、その場で岡田は非常勤取締役に降格となった。このとき岡田が発したとされる言葉「なぜだ!」はこの年の流行語となる(三越事件)。10月に竹久が特別背任で逮捕、10月29日に岡田自身も逮捕される。逮捕の際に取締役を辞任、これ以後三越とは株主の一人としてのつながりしかなかった。1987年に東京地裁で懲役3年6ヶ月の実刑判決、控訴審の東京高裁で1993年に懲役3年の実刑判決が出され、上告するが係争中の1995年7月20日、腎不全のため死去。享年80。また竹久も懲役2年6月、罰金6000万円の実刑判決が確定し、岡田の死から14年後の2009年7月24日に死去した。[編集] 縁戚娘の幾美子は旧皇族竹田恒徳の二男恒治に嫁いだ。[編集] 小説高杉良の「王国の崩壊」(新潮文庫)は岡田を、大下英治の「小説三越・十三人のユダ」は岡田の解任劇までをモデルにした経済小説である。[編集] その他警視庁刑事の萩生田勝の「警視庁捜査二課」で岡田を取り調べたエピソード、見沢知廉の「囚人狂時代」には拘置所時代の岡田の姿が描かれている。[編集] 関連項目三越事件TSK・CCCターミナルビル日本マクドナルド - 岡田は1971年の1号店開業時の銀座三越店長編注 岡田の社長以前の経歴に注目http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1700/07707211700016c.html矢田部理君 いま申し上げた東亜相互企業に関しては、別にある有名なデパートの系列不動産会社との間に白河の広大な土地の売買がなされているようでありますけれども、この件について捜査当局は関心を持っているでしょうか。説明員(安原美穂君) いままで承知いたしておりますところでは、福島県警においてこの点についての捜査が進められておるというふうに聞いております。矢田部理君 私どもの調査によりますと、四十九年十二月に、デパートの三越系列の不動産業者である三越不動産というのがありますが、この三越不動産は白河の西郷村の土地一万三千坪を四億八千万で東亜相互企業から買っています。坪単価が三万五千円以上になり、この取引によって東亜相互企業は莫大な利益を得たといわれておりますが、問題はこの土地のうち一万坪が、一万三千坪のうち一万坪が農地であって転用ができない。その意味で非常に高い土地だと地元では言われておるわけでありますが、この取引には、三越の社長の私行、個人的な行為や社内の内紛をあげつらう怪文書がかなり出されました。その怪文書事件と軌を一にして取引がなされている。つまり、東亜相互企業から三越不動産に、地元の相場から言えばかなり高い価格で土地が移っている。その結果東亜相互企業は莫大な利益を得たと言われておりますが、このようなケースについて捜査機関は関知しているかどうか。説明員(安原美穂君) 少なくとも本省といたしましてはさような報告は受けておりません。矢田部理君 これは警視庁筋が相当知っていると思われる節があるわけでありますが、なぜか捜査が進まない。手をつけない。この裏方には児玉系の動きがあったとされていることは、たとえばこれとほぼ同じ時期に、三越の広告は年間百億ぐらい投入していると言われておりますが、これまでは電通がすべてこの引き受け代理店になっておった、広告代理店になっておった。ところが、これらの事件と軌を一にして、一部が博報堂、児玉氏とも関係があると言われておる博報堂に切りかえられているというような事実関係もあるわけでありまして、いわば児玉がらみのケースとしてかなり重視をしなきゃならぬ事件だというふうに私は疑惑を持っているわけでありますが、恐らく警視庁も知らないはずはないわけであります。なぜかこれに手がつかない。警察庁、この点についてどのように受けとめていますか。説明員(土金賢三君) お答え申し上げます。 現在、福島県警におきまして東亜相互企業の福島県の県の幹部に対する贈収賄事件について捜査中でございますが、これを機会に、さらにその余罪等についても徹底的に追及すべく現在鋭意捜査中でございます。矢田部理君 三越がらみの事件についても捜査中だということでしょうか。説明員(土金賢三君) 現在、捜査の見通し等について内容を申し上げるわけにはいきませんが、鋭意現在捜査中でございます。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/077/1140/07707061140001c.htm説明員(後藤達太君) 私ども全然承知いたしておりません。近藤忠孝君 じゃ、こちらから指摘いたします。博報堂の子会社に博報堂コンサルタンツ、それから同じく子会社にインター・リパブリック・博報堂というのがあって、前の商号はマッキャン・エリクソン・博報堂というわけですが、これはちゃんと登記簿謄本取って調べてまいりましたけれども、この近藤道生氏がインター・リパブリック・博報堂の取締役に就任する少し前、児玉の筆頭秘書で、最近また逮捕されました大刀川恒夫が博報堂コンサルタンツの取締役に就任しておるんです。編注 太刀川恒夫 現東京スポーツ会長http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E9%81%93%E7%94%9F近藤 道生(こんどう みちたか、1920年2月2日 - 2010年6月30日)は、日本の海軍軍人・大蔵官僚、後に博報堂代表取締役。趣味、特技は茶の湯、読書、ゴルフ。号は平心庵宗道。目次1 来歴・人物2 映画作品3 受賞歴4 脚註[編集] 来歴・人物神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)、旧制武蔵高校を経て、1942年7月に高等文官試験行政科に合格、同年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業(茶道史専攻[要出典])。同年同月、大蔵省に入省して理財局に配置されたが、同年同月、海軍経理学校補修学生、海軍主計見習尉官に。いわゆる短期現役組(短現組)9期。1943年1月に海軍主計中尉、1944年5月に同大尉に。戦後の1947年3月、大蔵省に復帰し、のち大阪国税局局長、大蔵省大臣官房長、大蔵省銀行局長を歴任し、1972年に国税庁長官に就任。銀行局長在任時代の1971年、戦後初の大型銀行合併である、第一銀行・日本勧業銀行の合併(第一勧業銀行、現・みずほ銀行)に関与した。1975年7月より博報堂代表取締役社長の福井純一が自ら副社長に降格して、近藤を社長に迎えた。その後、瀬木博政前会長の告訴を受けた東京地検特捜部により福井が特別背任で逮捕されたが、近藤は社長になってから売上高を前年比173億円に押し上げた。1983年、博報堂代表取締役会長。1994年2月1日より博報堂代表取締役。編注 第一勧業銀行誕生時の銀行局局長であったことに注目
2011年03月05日
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