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昨日、笠木透の憲法・人権・未来の子どもを育むコンサートの最後の詰めのところまで到達した。1時間のコンサートに9曲歌って頂ける。あとは歌詞カードの製作だ。思えば,朝日新聞の人の欄で笠木さんのことを知り,会議に企画を提案し,実際にコンサートを2回聴きに行った。また購入できるCD及び楽譜を殆ど購入した。笠木さんの歌の中で,子どもを育む歌を私は毎日聞き,口ずさんでいる。いろいろな歌がある。流行している歌はどちらかと言うと女々しい歌が多い。しかし,この歌は私に対し,子育ての目的を日々問いかけている。私風の解釈では「子どもがこの大地に根を張って堂々と生きること」だ。いよいよ,来月コンサートに実行するのである。わが家の子どもをコンサートに招くつもりだ。ところで,わが団体の少年に関する委員会の委員であるので,何とか合唱用の楽譜にまたカラオケにしたいと思っている。しかし,我が家の子どもはまだ編曲する能力がない。誰かにお願いしなければと思うが,身近にいないのが問題である。最悪,子どもが将来編曲の勉強をするのを待つ以外ないかも知れない。
2006.02.24
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中1の長女はもうじき期末試験がある。数学,図形が難しいといいながら,もう私に質問することもなく,自学自習している。学校では塾に行っていないのは,長女くらいで,長女はこれに変な自負をもっている。小五のポンタは,今度は宿題で遠近法の絵を描いている。日曜のテスト会の予習など忘れて夢中に描いている。まあ,それぞれの人生だ。近道をすることもないと思っている。
2006.02.23
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時々リスクを考えることがある。リスクの典型は,戦死である。今イラクの米軍の戦死者は2000人を超えたという(イラクの戦死者はその何十倍と言われている。)。たしか20万人の軍隊であるので,戦死率は1%を超えたことになる。100人兵士がいて,その内1人が戦死することになる。たとえ戦死しなくても傷つく兵士をいるだろう。傷つく兵士を思うとき,中学受験生のことを自然に思ってしまう。年々エスカレートする中学受験で傷つく少年が少なからずいるのではないか,気がかりである。いつも思うことがある。12歳の時点で日本の難関校の生徒は,おそらく世界で一番学力があることは間違いがないだろう。自然のなりゆきならば,その後バンバンノーベル賞等をとってもいいはずだ。ところが,そうではない。恐らくその学力は,創造的学力な例えばノーベル賞とは無関係てあるのではないか。そうだとするならば,私達の社会は,明日に生きる子供たちに対し,なんと無駄な社会システムを作り上げてしまったのだろうか。
2006.02.22
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小5ポンタの国語のここ数日の宿題は物語を書くことだった。ポンタは,小説家になった気分で,ここ何日か,母親から,寝ろといっても「あと少し」と夜12時過ぎても,推敲していたという。出来上がった作品を学校に持っていた日の朝,子供が学校にいってから,習い事も勉強もこんな風に止めろというまでできたらと話をした。人間は好きなもの,楽しいもは,時間を忘れて,睡魔を通り越してやるものだろと意見が一致した。この数日間は,ポンタに流行作家みたいだねといった。日曜テスト会の勉強もやらずに熱中していた。特段中学受験を考えてテスト受けているわけでもないので,ポンタが今やりたいことを良くいえば温かく見守ったわけである。ところで,我が家には,テレビそのものはない。私はテレビの功罪を実感している。子供が小さいとき,子供はテレビを買ってほしいとか,自分の小遣いで買いたいとかいった。そのとき,私は子供たちは言った。「お父さんは,テレビばっかり見ていて,育った。そのため本を読む能力がない。子供には,本を読む能力をつけさせたい。」と答えた。私が子供につけさせたい能力は,本を読む力,文章を書く力である。ポンタは,本格的に本を読む能力がついたとは思わないが,怪人二十面相とか,怪傑ゾロリとか,ズッコケ三人組とか読んでいる。親馬鹿な話であるが,今回の物語を書く宿題は,以上の延長にあるのではないか,思ったのである。中1の子が小学校のとき,学校でテレビを何時間を見ているアンケートがあった。テレビのない家,テレビを見ないのは,一人だけだった。中一の子はそれを夕食のとき自慢していた。そして,テレビを買ってほしいといってた弟に「テレビのないうちは,○○ちゃんのとこだけで,自慢できていいじゃん」といっていた。その後,妻の要求もあり,我が家にテレビらしきものが来たのは,アテネオリンピックのときだ。テレビの映るパソコンがきた。
2006.02.21
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昨日の朝日新聞に「海陽中等教育学校」の記事があった。この記事で教育評論家の尾木直樹の話が印象的であった。教育格差は広がっており,平等で対等という従来の教育に真っ向から対立する理念を掲げる海陽は格差社会の象徴ともいえる。全寮制で,知的にも家庭的にも同じ水準の小とだけ交わっていて,本当のエリートが育つかは疑問だ。庶民や勉強の出来ない子の気持ちがわかってこそ真のエリートといえる。写真で見ると学校はリゾートホテルの感がする。ここで企業から派遣された元,現社員と寝泊まりするそうだ。6年間地域や異性と隔離された男だけの社会,時代遅れのような気がする。学力がついても健全な大人になるのだろうか。特に異性に対する健全な情緒が形成されるのか,心配である。優先順位があると思う。健全な感性>エリート育成ではないだろうか。
2006.02.20
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我が家では,土曜日と日曜日,妻と長男は,毎日やっている公園のラジオ体操に出かけ,その後,陸上競技場の外周をジョキングしている。家に帰る途中,土曜日に学校に出かける長女の小学校時代の同級生と会ったと話題になる。私立の目玉は,土曜日の授業であることを再確認する。食事の時,子供たちに土曜日学校があった方がいいか,質問したことがあった。長女は「友達を会えるからあった方がいい」長男は「ない方がいい」妻は「高校時代,学校帰り友達と道草できて楽しかった」私が週休二日制を実感したのは,昔,日本では,まだ週休一日制の時代にフランス語を勉強しようとフランスのパリの語学学校に短期遊学したときだ。授業は月曜日から金曜日まであり,土日が休みだ。まるまる二日休むのははじめての体験で,毎週連休が来たみたいだった。土曜日は昼ころまで寝ていた。月曜日は,ほんとうにリフレッシュしていた。ところで,親の立場から,私立は土曜日授業があるから,選択したいという意見がある。私立にいっても私立専門の塾に行き,さらに土曜日も学校に行かなければならないことになる。労働者は週休二日制で,平日のサービス残業を抑止する時代に,子供は週休一日制で平日のサービス残業温存という感であろうか。週40時間制は,人間の心身の健康を考えて実施されている(フランスでは週35時間である。)。現代は子供の心身の健康は,ひとまず棚上げということだ。フランスにいた時,知人の小学校低学年に通う子が水曜日休みだった。理由を訪ねたら,子供の健康を考えてといっていた。ところで,私の好物は,おいしいご飯に生卵を掛けて食べることだ。その生卵は,地鶏でなければならない。地鶏の卵は,盛り上がっている。ブロイラーの卵はペタンコである。庭でのびのび歩き回る地鶏,ケージの中で24時間管理され,無理やり食べ物を食べされられ,極限まで卵を生まされるプロイラー。子育てを鶏に比較できないかも知れない。願わくば私は,地鶏の方を選びたい。地鶏のように農家の庭を散策し,自分の意志で虫を食べたり,野菜を食べたりし,栄養価の高い卵を生んでほしい。
2006.02.17
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昨晩,長女がこれといって包みをくれた。チョコレートだった。食事のときに大げさに「ある女の人からこれを貰った」といったら,長男も「僕も貰った」といった。なーんだと思った。でも長女の配慮は当然だ。家に男が二人いて,一人しかあげなければ,あとの一人はかわいそうだ。二人とも二日送れの長女からの贈りものだが,うれしいものだ。この気持ちはうれしい。さて,ホワイトデーには何をお返しするかなあ。
2006.02.16
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昔,刑法を勉強したとき,相当因果関係ということを学んだ。Aという原因とBという結果との間に原因結果があるか,どうかである。ここでなぜ,相当因果関係を持ち出したか,いうと。ご父兄で確信的に公立を嫌っている人がいる。こんな公立に子供を通わせると極端にいうと子供の学力について不安であるということだろう。この不安の解決に私立を選択するという。私学の創立者の理念とか,私学と同じ宗教心とかの積極的な選択ではなく,消去法の選択である。ところで,事件など通じて,私立の内容を外から垣間見ることがある。私立でも問題を抱えているが,これが社会に顕在化されていない。制度に完璧はなく,人間が作る制度である以上,全ての人に満足がいく制度など不可能でもある。親にとって,仮に子供の学力が第一とした場合,その選択肢が私立だけとは思われない。私立の学力は,私学の学校の教育にあるのではなく,私学専門塾があり,学校の授業よりも塾の授業に信頼をしていると言われている。そうすると,私学を選択し,勉強をさせ,合格させたあと,私学専門の塾に入らせてさらに勉強を継続させてはじめて親が望む学力がつき,親が期待する大学に入学できるのである。結局,公立と学力低下に相当因果関係がなく,つきるところ,学力はどこにいっても勉強をしなければならないということである。当然でことであるが,
2006.02.16
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ホンタの宿題は,物語を書くことだった。夜9時ころポンタが苦闘していた。体調が悪いので,寝るところ,我慢して書き方の要領を20分くらい教えた。それからにわかに作家気取りで辞書片手に書き出した。私は休んだ。翌朝妻に聞いたら,12時近くまで書いていたといっていた。子供の頭なりてフィクションを書くことは楽しい筈だ。ところで,昔専門学校で作文を指導していたことがあった。例えば,これまでの人生で一番楽しかったこと。一番感動したこと等を課題にして指導したことがあった。その際,全く1字も書くこともない生徒がいた。いろいろなだめたり,すかしたりしてもだめだった。授業はまじめに出ている生徒だ。しかし,書けない。感動することも,楽しいかったこともないというのである。そのときから感動することは,後天的な能力を思うようになった。社会が豊かになり,受動的でも生きることができるようになった。この豊かな社会は,子供から感性を奪っている気がする。
2006.02.14
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ポンタの演奏が終わった。本当にうらやましく思う。小さな演奏会でも直前は,大変緊張するらしい。無我夢中で演奏し,弾き終わって,聴衆から拍手をもらう。(その拍手は義理だとわかっているが)その一瞬に練習の苦労なといっぺんに飛んで行くのだろう。このいわばひとつの成功体験は,本当にうらやましい。ポンタ自身の存在感を実感し,努力する意味を学んでいるものと思っている。(それでも迷いがある。時々息子に音楽の習いごとをさせて良かったのか,と。)最近のチンタラした練習ぶりから,もうこれが最後の発表会と思っていた。ポンタは,先生から新しい楽譜も喜んで貰ってきていた。
2006.02.13
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今日は,ポンタのバイオリンの発表会だ。最近の練習ぶりを見聞するとここまでが限界かなあ。私としては,チゴイネルワンゼンを有終の美としてほしいと思っているが。今日の曲は,たしかビアンスキーの華麗なるボロネーズと第1楽章(?)とかいっていた。発表会を身内にも誰にも知らせていないので,恒例の花束はない(私が買ってやるか)。
2006.02.12
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思わしくない受験の結果の日記は痛々しい。受験の結果が残念なものなったことについて,発想をかえたらどうだろうか。この結果から何か明日につながるものが学べたらと思う。超難関校の合格者の声の中で,将来の夢に医者とか,弁護士があったそうだ。医者の世界は知らない。弁護士の世界は多少知っている。弁護士になる途は,これからは,法科大学院と新司法試験だ。社会科学さらに狭くいえば,現代社会の知識を前提とする。まわりの優れた弁護士は,多くの経験を踏んだものが多い。ほとんどの人が生徒会の役員をやっている。超難関校では,簡単に生徒会長になることはできないだろう。しかしながら,望まない公立では,一応の人望があればなることができる。ここで,物事をまとめる能力,説得する能力を学ぶ最良の機会だ。そして,私学に行かずに出費を免れた学費は,世界を見聞するための遊学費にして頂きたい。北欧の福祉,フランスの芸術,ドイツの勤勉さ,韓国の力等。これまでの静岡側からの富士山の登り途を山梨側に代えて,10年後に大きな人間になって,よりよい社会の実現も目標した法科大学院がある。
2006.02.11
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小5の子の日曜テスト会の入会のテストがあり,辛うじて合格(ひっとしてだれでも合格かな)した。夕食の際,このことを話題にすると中1の子が真顔で話す。「私立の受験もしないのに,どうして入れるのか。お金がもったいない。うちは金がないから,やめさせなよ。〇〇ちゃんのバイオリンを買うお金がなくなっちゃうよ。」「〇〇ちゃんは,本当に一生懸命に勉強をしていて安心している。ポンタは,心配だ。お父さんは,勉強で数学が大変苦労した。将来,もし大学に行く場合は,国立に入学して欲しい。国立は,もし親の収入がないときは,授業料を免除してくれるからだ。国立は数学が必須だ。〇〇ちゃんの楽器のお金は少しづつ貯めているから心配するな。」私は,小学校は漢字,四則計算ができればよい,後は,大いに遊んで貰いたい,どうせ人生はいつか勉強をしなければならない時が来ると考えていた。ところで,今でも悪夢(数学の勉強の予習をしていない)をみることがある。冷や汗をかきながら,目覚めて,本当になけなし頭だったなあと思う。そんなことから,今度6年になる子に算数だけは,体系的に基礎の復習をさせるために日曜日のテスト会を申し込んだわけである(途中の挫折も折り込み済みである。)。
2006.02.05
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別のテーマの中学受験についてのサイトは,今,中学受験の結果についての記事が沢山あった。一生懸命にがんばった人ほど不本意な結果について,受け入れることはつらいだろうね。中学受験の実態の知識は乏しい。でも定員割れする学校があるようだから,無理をしなければ,どこかは入れずはずだが,そんなわけにもいかないのかも知れない。受験産業は,あたかも塾のシステムにのれば,特定の大学に入学できるように宣伝する。しかし,冷静に考えれば,普通の能力を前提にして,親の力で入学させるのは,不可能であると判断した方が懸命と思う。それでも試みるとそのために失うリスクの方が大きい気がする。ところで,私がリスクを気に出したのは,知人の人権派弁護士夫婦の子育ての方針を聞いた時からだ。夫婦ともに著名な国立大学法学部を卒業した弁護士である。私は,当然にお子様が小学校高学年になったころ,超エリートコースの途を歩ませていると思って何かのついでに訪ねたことがあった。予想外の回答であった。「少年事件なんかで,無理に勉強させて親子,家庭が崩壊している事件を体験している。自分のこどもの能力を知っている。親子関係を大事にしたい。専門学校でもいいと思っている。」彼は笑顔で語ってくれた。以後,私も中高一環校を挫折した少年事件に関係するとき,このリスクを強く意識するようになった。
2006.02.04
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風邪で,小5の部屋のベットで寝ていた際,何気なく,なんかのアンケートのメモみたいなものがあった。思い出すと次のとおりであった。好きな勉強1 家庭科 2 父親との勉強 3 体育嫌いな勉強1 国語 2 図工 3 音楽世界で最も大切な人 母親その人はどんな人 やさしい人 私の感想一番やっている勉強は,音楽だが,嫌いな勉強の3番目か,母親はどんなにこどもを叱っても,なんとも思っていなのかなあ。母親は偉大な存在と思う。父親は母親を超えられない。超える必要もないのかも。上の父親との勉強は,朝日小学生新聞にときどき算数の問題がのっている。それを家族で解き合いすることがある。そのときことだろう。
2006.02.03
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