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ときどき,食事時に子供から算数の問題の基礎的な質問を受ける。教えるとわかった(正確にはわかったような態度)という。翌日,意地悪地にも私が質問を受けた同じ問題をやらせると,できないことが多い。こういうとき,基礎的な問題であるので,げんこつをやりたい気持ちが生じる。想像してみる。げんこつをやる。おそらく泣くだろう。子供を泣かせてまで,勉強を教えてもしょうがないと思う。何回でも子供が本当にわかるまで忍耐で教える決心をしている。そして,教える。また翌日,同じ問題をやらせる。またできないこともある。ところで,考えてみれば,子供がそのときは理解して,翌日わからないのは,当然と思うようになってきた。算数の専門家ではないが,子供が算数につまずくひとつは,具体性と抽象性,絶対性と相対性の混同があると思う。算数につまずく子は,親馬鹿な面もあるが,本当は伸びる芽をもっていると思う。これまでの体験では答えられない問題に直面していることの自白である。要領がわるいのか,柔軟性に欠けるのか,あるいは,慎重なのか,いろいろな面があろう。例えば,三角形の面積は,どんな形の三角形でも底辺と高さが同じなら面積が等しいといっても,視覚的には,同一に見えない。もし,実験して(例えば,ペンキを塗る量が同じとか)証明したら,感動するだろう。そして,一つ体験を通じて知識が自分のものとなる。この時期に算数ができる,できないは,早期教育と同様に故意に具体性と抽象性,絶対性と相対性を発達させることに成功するか,しないかであるような気がする。幼児性の抜けない長男には,まだ物事を抽象的に考えることは,困難ではないか,考えることもある。ほんとうは算数の実験をやってみるといいと思いながら,一個人ではできないのが現状である。現代は,子供の自然な成長を待たずに,人工的な成長を促しているようだ。いずれにしても子供の成長は,体,心,情操とバランスをとれて成長して欲しいものだ。
2006.04.30
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昨日,自宅に帰ったら家族の夕食はピザだった。ほん太の水泳がやっと合格したので,お祝いにほん太の好きなピザにしたという。1年かかっての合格だ。メドレーの種目で規定の時間で泳げることができたので,一つその上に進級したわけである。長女は,この進級前にスイミングを止めたので,長女を超えたことになる。たしか,1歳10ケ月でプールに入れた。最初水に怖がり,泣いてたことが昨日の様だ。そして,年少からスイミングに通っている。同級生でスイミングに通って残っているのは,2~3人の様だ。水泳でも私を超え,スキーも同様だ。たくましくなっていく子供の姿を思うと自然に目が潤んでくる。スンミングスクールから銅メダルがもらえるそうだ。1年かかった進級試験良くがっばった。
2006.04.25
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都会に近い我が家の近所にはほとんど農家がない。そんな中で,いちごの観光農園をやっている農家がある。我が家では,中2の小が年長のとき,いちご農家を探し出した。今年で8年目のいちご狩りになる。子供たちの年齢にあわせて,子供の友達を誘っていちご狩りを行ってきた。経済性を考えれば,スーパーで購入した方が安いかも知れない。最初,契約したとき妻からそんな風に文句を言われたことがあった。私の動機は,ささいなことだが,子供の情操の豊かさを願ってのことだ。そして,いちご狩り,そしてじゅがいも掘りは,恒例の我が家の初夏の行事になった。毎年,いちご狩りをすることが当然の暦になっている。小さな子供が,いちごを摘んでいる姿は本当にかわいいものだ。将来子供たちの友達が,そして,我が家の子供がお店の店先でのいちごを見て,幼い日の思い出を共有してくれれば,いいと思っている。さあ,今年も農地のひと畝が,我が家のいちご農園になった。約2~3週間収穫できる。人から見れば,ごくありふれた,いちご狩り。でも我が家にとっては,家族の絆を口には出さないがみな感じていると思う。
2006.04.23
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今,朝の連続テレビ小説は音楽好きな人の物語である。音楽をやっている子供たちは毎日の新聞の筋書きを気にしている。そして,1週間に一度テレビが見れる土曜日が来るのを待ち遠しく思っている。私は,特に音楽好きな長女がいるので,自然にこの番組が気になる。今の長女の音楽好きは,テレビの少女と同じ様相だ。テレビの少女の行く末が気になるのは,長女と重ね合わせているからであろう。長女が音楽好きになったのは,妻は私に一因があるという。確か,長女が1歳を過ぎたころか,童謡の絵つき歌詞カードとテープを買ってきた。そして,毎日絵つき歌詞カードで童謡を一緒に歌った。子供にとって童話の延長だったろう。子供は自然と歌詞を覚え,一人でテープを掛けたり,ベランダの人工芝の上で,寝ころびながら,歌詞カードを見て,童謡を歌っていた。もちろん文字など読めない。歌詞カードの絵を見て,歌詞を思い出しながら歌っていたのである。このことを長女は覚えていないという。
2006.04.17
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昨日は,ぽん太の満12歳の誕生日だ。誕生お祝いに自転車の購入をせまがれ,都内に一緒に買いにいった。自動車で行って,自転車を運んで欲しいとか,電車に乗せて自宅に持って来たいとか,自転車が家に来るのが,本当に待ち遠し様だ。私は,そんな子供が喜んでいる姿をみて,愛おしく思う。恵まれた社会,ほとんど欲しいものは手に入る社会に相反して,我が家は,あまり子供たちに買ってやらない。今の自転車は2年半前の正月おお年玉として買った。確か22インチのものだ。今度は,27インチで母親も乗れるよといっている。多少なりとも,母親を気使う気持ちがよい。○,満12歳信州の桜の満開のもとで12年前に生まれたのだ。名前をつけるとき大漢和辞典を購入して,あれこれ,思案した。海太郎も候補のひとつであった。結局,名前には,特別の意味をこめないことにした。他人のためではなく,自分のために無理をしない,普通の人生,普通を幸せを念じて,極普通の名前にしたのである。
2006.04.16
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昨晩も10時に寝かせた。妻は明日の用意をしてから,といっていたが,私はとにかく,寝なさいといって10時15分には寝かせた。今朝7時前,ほん太の話し声に目が覚めた。食事中であった。恐らく,今日も5時30分に目ざましを掛け,6時に起きたのだろう。食べ終わり,部屋に行って,妻とにこにこと明るい会話をしながら,宿題らしきものをやったり,授業の用意をしていた。早寝,早起き,朝ご飯は今日で3日目が過ぎた。夜10時に寝かせることによって,やらなければならないことが,放置されて失うものもある。しかし,得たものは,しっかり朝ご飯を食べることができるようになったこと。朝,すっきりとした頭で宿題等をやることになったこと。そして,元気よく「行ってきます。」という声を聞けることである。
2006.04.14
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今日も,ぽん太は,6時に起きた。5時30分に目ざましが掛けてあった。6時から6時30分までピアノ。6時30分から7時まで新聞とご飯。7時から本来,昨晩すべき宿題の日記を登校時間までやっていた。もし,宿題を夜やっていたら,夜11時ごろまで,チンタラやって,朝6時半に起こされて,防音部屋のピアノの前で眠り,朝御飯も食べずに学校に行った可能性がある。2日目だが,早寝,早起きしたから朝ご飯も食べれたと思う。今日早速,仕事場の3人の子供がいるお母さんに早寝,早起き,朝ご飯の新聞の記事をコピーして渡した。今日から,「早寝,早起き,朝ご飯」派になりましょうと。
2006.04.13
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本当にぽん太が朝起きれるか,心配だった。朝6時45分頃起きるとぽん太が新聞を読んでいた。母親のガミガミ怒っていない様子を見ると6時に起きた様だ。良く起きてくれた。私の面目が保たれたそして,いつも朝食を登校間際までぐずぐす食べいるが,今日は7時前には食べ終わった。未明に寝るとき,ぽん太がいつものとおり,起きなく,私が怒られるかと心配していた。昨夜の論争があったことは互いに沈黙しているが,昨晩の私の言うとおりの朝になり,痛快な朝であった。早寝,早起き,朝ご飯の習慣をこの機会に是非つけさせたと思っている。がんばれ,ぽん太。
2006.04.12
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昨晩,10時前に子供を夜10時に寝かせるべきがどうか,議論になった。妻は,やることをやっていないから,10時に寝かせることはとんでもないという。私は,やることをやっていないくても,夜10時には寝させるべきであると主張した。妻は,子供は朝起きないから,夜やらせてもいいという。私は,我が家が夜更かしの習慣を付けさせてしまった。時間を掛けて,早寝,早起きの習慣を付けさせたい。そのために結果として勉強ができなくてもしょうがないとさらに反論する。本当の勉強は長丁場である。持続する習慣を付けさせたい。丁度,朝日新聞の9日の社説に「早寝・早起き,朝ご飯」の記事があった。100マス先生がいた学校では6年の大半が9時半に寝ているという。妻は最初をこの記事を信じなく。小学1年生のことであるというので,記事を示して説明した。そうするとそんな他人の言っていることを信じてもいいのかと理由もない反論をする。仮に今日夜更かしをして,やるべき勉強ができたとしても,一過性に過ぎない。家庭教育で漢字とか,習字とか,計算力は母親の献身的な貢献を認める。ありがたいと思う。しかし,勉強することの本質とか,人生の大きな幹について,堂々としていない。睡魔と戦ってする本当の勉強は,もっともっと先にある。今ではない。このことを母親にわかって欲しい。以上の経緯で10時過ぎに寝かせた。朝6時に起きることになったが,果たして起きれるか。もし起きられないと「そらー,みろと」と糾弾される。しかし,この機会に10時に寝かせる習慣をつけさせたい。ほん太,がっばって,朝起きてほしい。
2006.04.11
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ときどき子供の置かれている状況を思うとき,自然に涙が出てくる。母親は勉強をしてから遊びなさい。私は遊んでから勉強をしないさいというが,遊ぶことについては,一致している。しかし,遊ぶ子がいないのである。だから普段は,一人でボールを蹴っている。子供はどこにいってしまったのか。子供は広告を含め新聞を読むのが好きである。新聞の折り込みで塾の広告があり,どこどこに何人合格したとの記載があり,子供は口には出さないか,この社会の息苦しい気配を感じ始めている気がする。ところで,豊かになったと言われる。でも実感はない。こんな社会を是認するのは,規制緩和大儲けをしている一部の人だけであろう。大半は,こんな社会は良くないと思いながら受け入れて生きている。明日に生きる子供達に,平和の配当,豊かさの配当をすべきである。精神的な心の豊かさの配当を望みたい。現実は,待っていても期待はずれになるなるだろう。したがってやむを得ないが,この社会を受け入れて,その中でたくましく,生きる力を身につけて欲しい。
2006.04.10
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中2の娘が携帯電話を買って欲しいといっている。家には家族全員で使うピッピットホンという3件のみしか通話ができない携帯電話がある。これはメールはできるので,娘はこれを使ってメールを送っているが,内容を秘密にしたいので,送信後削除している。そこで,私が家のパソコンに娘用のパスワードを設置してやった。これでメールは秘密裏に送ることができる。ピッピットホンにアダルトメールが勝手に入ってきて,息子がまじめに削除希望の返信を送ったためにさらに頻繁にアダルトメールが入ってくる。息子に悪徳業者は,利用について莫大な請求をしてくるので,注意するように言っておいた。携帯電話について親が心配するのは,有線電話は,一応家族の中での通話であり,安心できる。携帯は,家族の監督が困難であることが心配である。その点,パソコンは,保護機能のソフトを入れれば,対策はできる。現在,携帯電話を使った犯罪が多く発生している。中2の子は高校に入ったら買ってほしいといっている。その間にそのような対策がとれる携帯の登場を願っている。ところで,メールは最初のころは大変便利なものと思った。そもそもワープロに感動していた。悪筆の私には救世主のようであった。ところが,自筆で書いていたころは,文章ひとつひとつを全身全霊で書いており,書いた後に充実感があった。今は字を忘れ,文字が汚くなり,便利さと引き換えて失うものが多くなった気がする。
2006.04.09
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少し前に母原病とかいう本が話題になったことがあった。その本を読む機会がなく,趣旨を誤解しているかも知れないが,さまざまなところで,母親の存在を意識することが多くなった。我が家は,朝小新聞をとっているが,少し前難関校の体験記があり,要するに母親と二人三脚て合格を達成した内容であった。そして,世情の中学受検情報誌なんかでは,母親の取組方が合否を左右するようなことをいっている。極端な話,母親が子供の人生及び幸福を決定するかの,風潮である。少なくともこれが社会の現実であるだろう。いずれにしても母親が子供の成長に深く関与する時代となった。検証していないが,少年犯罪の影に両親特に母親の影を気にする。ところで,我が家でも母親は,勉強のことで子供に小言をいうことが多い。ときに子供を侮辱する言動もある。そういうとき,私はその都度反論する。仮に,子供に能力がないとしたら,これは私達の遺伝子の問題てある。特に強調したいのが、親に言われて勉強する子供にしたくない。勉強はいやいやするものでもない。子供の未来に子供が自分の意思で向かっていくものである。子供の塾の年間関係費が100万,200万とか,私たちは,豊かになったその分だけ,子供のために支出し,いつまでたっても豊かさを享受できない社会を作っている。社会の流れは,大きな政府から小さな政府,市場原理の拡大となっている。あらゆるものが商品となる。学歴までもが,商品となり,お金を出せば購入できるかの,幻想を企業は与える。単にお金の浪費だけなら,問題は少ない。当事者の子供の影響はどうであろうか。いずせれにしても,母親の存在は昔から大きいものだ。こうした時代だからこそ,意識的に距離を置いて,見守っていくのが,子供の健全な育成に必要ではないか。
2006.04.09
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団体のイベントにフォーク歌手笠木透さんをお呼びし,歌のもつ「生きる力」考えるようになりました。そして,最近「旅立ちの日に」「大地讃頌(だいちさんしょう)」を聴きました。楽譜を購入するために都内のヤマハに行ったところ,時々,ここを訪れて頂ける人から下記のとおり「ビリーブ」勧められていたことを思い出し,この曲の入ったCDを購入したのです。 記たとえば君が 傷ついて くじけそうに なった時は かならず僕が そばにいて ささえてあげるよ その肩を~こんな気持ちをもてる子になって欲しいと思います。私は,「ビリーブ」という題名で,似た曲がいろいろあり,その意味を理解していませんでした。でもせっかくのおすすめだからと思ってCDを購入しましたが,その意味が理解できました。少年を慈しむ大変良い歌です。仕事場では,「笠木透」に「旅立ちの日に」,「大地讃頌」,「ビリーブ」にBGMが加わりました。さあ,今日も,生きる力を与える歌を聴いて,仕事をはじめよう。
2006.04.08
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長女が楽器を買い換えて欲しいといっている。そろそろ本格的なフルサイズのバイオリンを考えてやらなければならないと思っている。音楽は素晴らしい。特にハイオリンのような生楽器は,聴く機会は少ない。私達夫婦のそれぞれの母親及び両親は,孫のバイオリンの演奏がうまくなくてもビデオを見て感動して聞いている。そして,涙を流している。私も,子供たちがバイリンをはじめたとき,その音色で感動した。本当に言葉で言い尽くせない音色である。狭い家で休みの日なんか,バイオリンの練習の音など気にせず寝ていた。子供たちが,私の夢の代わりに音楽を人のこころの交流に使ってくれたら,うれしい限りである。日頃から,こんなことをいっている。老人ホームなどの施設でバイオリンを弾いてあげれるなら,多少無理してもいいバイオリンを手に入れてあげる,と。美しい花と同じように美しい音楽で人のこころが幸せになるのならと願っている。
2006.04.05
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昨日は明日団体で簡単な退任式があるという話をしたら,家でも退任式をすることになり,近所のレストランに行った。家族から花をもらった。この1年は,会議とか出張で家を開けることが多かった。じっくり子供たちをみると,成長ぶりを実感する。長女は,一切勉強に関して質問はしない。コンピューターに暗号を設定し,これからメールを秘密にしておきたい様だ。長男は,自己の主張ができるようになり,母親との論争を聞いていると,母親の弱点をついている。
2006.04.03
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今日は,私達の団体の旧役員の一泊の卒業旅行だ。歴史の造詣の深い人の案内で鎌倉を散策して一泊する。当然,食事の後は,カラオケだろう。私は,ここで,「旅立ちの日に」を歌いたい。この歌は,中一の子の昨年の卒業式で聞いた曲だ。昨年は,卒業生を前にして,父兄代表でお祝いを述べた。「一番大切なのは,あなた方一人一人の生命だ。」とういうようなことを述べた。正面に長女がにこにこしていた。お祝いの結びに,「校庭の椎の木に会いに来てください,いってらっしゃい。」といった。少し,違った挨拶で卒業生は,少し笑ってにこにこしていた。それから,卒業生の「旅立ちの日に」の歌を聞いた。聞いていて涙が出てきた。今日から,私達は一会員に戻り,普通の日常業務を専念することになる。その記念にこの歌を歌いたい。ところで,ぽん太は,ビアノに専念するようだから,これからぽん太の伴奏で良い歌を歌えたらいいだろうなあと思っている。さあ「勇気を翼にこめて 希望の風にのり この広い空に夢をたくして」仕事をしよう。
2006.04.01
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