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私が尊敬する作家は三浦綾子だ。北海道の旭川の三浦綾子記念館にも行ったことがある。三浦綾子は,小学校の教師をやっていたことがあった。そのとき,生徒にノートを渡し,毎日生徒と交換日記を書いていた。そして,一日少なくとも,生徒に一声掛けることを心がけていたという。このような温かい先生のもとで,勉強できたら,どんなに素晴らしいと思う。三浦綾子のような教師は,いないだろうなあと思っていた。しかし,身近に存在していた。あん子の担任は,家庭科の担任だが,生徒に対する温かさは,三浦綾子に負けない。毎日の交換日記は当然のことで,さらに生徒の誕生日には,生徒全員からグリーティングカード添えて,先生も一人一人温かい言葉を述べている。また,ほん太も担任と交換日記を書いており,親には無口であるが,今日はあれをやった,これをやったと大げさに書いている。本当にありがたいことだ。このような先生から,子どもたちは,隠れた能力を引き出して頂いている。子どもたちの先生は,本当に生徒が好きな教師を天職としている人であると思っている。今,いじめがが問題になるとき,余計にありがたく思う。
2006.10.30
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先週末から,今日まで,体調を崩し,寝込んでいた。その間,いじめについて,考えていた。人は群れる。いじめられても,いじめの群れから,出ない。こんなとき,群れから,飛び出す勇気が欲しい。そして,明日に希望を持ちたい。著名な女性弁護士の大平さんは,いじめをバネに最後は司法試験にチャレンジしなし遂げた。そして,現在大平さんしかできない意義ある仕事をしている。昔,大平さんをいじめた人は,完敗だ。今,大平さんに会うことはできないだろう。しかし,以上の理性的な行動とはべつに怒って欲しい。 自殺まで考えている人は,その悲しさを,怒りとして外に出して欲しい。一生で1回の全身を掛けた怒りを出さなければならない。自殺者の手記は,(その部分がカットしてあるにしても)優しすぎる。自殺は,自分の大切な,一回限りの命をかけるものである以上怒って欲しい。ときどき,怒って,後で恥ずかしと思うことがある。しかし,自殺まで考えているのだから,後のことなど考えずに怒りの行動に移すべきだ。私達は,わが子をいい子に育て過ぎて,怒ることをさせていないのではないだろうか。しょっちゅう,怒れというのではない。正義の観点から,絶対に納得できない問題について怒りが出てきて当然である。ときどき,子どもの見ている前で,大人を叱責することがある。順番待ちの横入りのズル違法な訪問販売イベント会場で,無許可で写真を撮り売りつけるもの横道にそれてしまった。このプログを今いじめを受けている子はみることはないと思う。しかし,もし見たら,再び次のことを述べたい。 死ぬ気で怒って欲しい。負けるな。
2006.10.30
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昨日,市内の小学校の記録会があった。私は,体調をこわし,寝込んでいたので,妻にビデオを撮ってもらった。予選の5位までは,決勝に出れるのである。1000メートルは,400メートルの競技場を2周半する。朝,ぽん太に言っておいた。「最少はドべでチンタラ行け,そのうち,みんな落ちてくる。最後の1周まで力を取っておけ。」しかしビデオのぽん太は,みんなと同じく,飛び出していた。悲壮な顔つきで,走りきった。5位など遠い彼方の話だ。妻は,もっとスピードをつけないといけないというが,私ば,逆だ。自分の力を知って,走れだ。力以上に走っても,直ぐに力尽きる。無念のぽん太は,それでも,今度は,市のロードレース2000メートルに出るという。いいことだ。野球等,激しい運動をしている子には当然かなわないだろう。しかしながら,それでも参加する意気込みだけは,いいことだ。そんなことをいっていたほん太だが,今朝,妻は朝6時に起きてラジオ体操と,ジョッキングに出かけるときほん太を誘った。しかし,完全に寝込んでいた。まあ,子どもの夢は,努力を考慮しない夢なのだろう。それでも,夢だけでもあることは少なくともないよりは,いいと思う。・・・・・・・・ ところで,明日29日(日)NHK教育午後6時~「7年毎の成長の記録21歳になりました」の再放送をやる。13人の成長の記録だ。どんなこどもにも夢がある。7歳のときの子どもたちは,本当に生き生きかわいい。 そして,やがて人生の試練がある。8月に放送したときに出ていない人も出るというので,また見てみるつもりだ。私の,プログに訪れる人は,さほど多くない。それでも後日,感想でも聴かせていただければ,ありがたい。
2006.10.28
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ある日のほん太との会話「おとうさん,狭いから一戸建ての家買って。」「買わない。一戸建ての家を買うと,ほん太が引きこもりになって,家から出ていかない。」「絶対に出ていくよ。」 「ほん太には,おうさん!,こんな住みにくい家なんかに暮らしたくないといって出ていって欲しい。戸建ての家を買わないのは,子どもたちのためだ。」とこんな,会話をすることが多い。私もあるときまでは,自分の理想とするような家を持ちたいと思っていた。しかし,仕事を通じて,引きこもりとか,そうでなくともニート,さらにはパラサイトシングルが目につくようになった。その原因の要因の一つに快適な住居がある思う。現代の人々はコミニュケーションの苦手である。こんなとき,快適な住居があり,個室が完備しているとこれ以上の快適さが外の世界になく,外でのコミニュケーションはしたくない。その結果,引きこもってしまうのは,自然の摂理であると思う。また,仮に住宅を購入するとしても多くのサラリーマンは,30年(中には35年)ローンで購入することになる。生涯掛けて,家を取得し,その後,相続が開始し,子どもたちが遺産でもめる。そうであるならば,そして,子どもの幸せを考えるば,雨露をしのぐ程度の家は必要だが,快適な(豪華な)住居は,大人にとってはよいとしても子どもにとって,有害とではないか。そうすると,子どもたちには,生きる手段には,お金を掛けて,財産は残さないのが賢明ではないか,と思う。
2006.10.24
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日曜日の午後,あん子が熱をだした。38度5分という。月曜日と火曜日の中間テストを控えていた。妻は,夕食のとき,勝手にあん子を休ませるような言動をした。「明日休みなさい。元気になってから,後で試験受ければいいじゃない。試験の時,市の陸上記録会に出る人と同じく,後で試験受けられるよ。」「そんなことはあり得ない。試験という公正なものを,病気だからといって休んだものに,同じテストをすることはあり得ない。記録会の子どもは先生が引率しており,試合終了後,学校に戻り先生の監督の元で試験を受けるはずだ。」あん子はあいづちをうった。「おとうさんのいうとおりだよ。試合後学校に戻り試験を受けるそうだ。」「バイオリンの諏訪内さんは,チャイコスキーコンクールのとき,高熱を出して,出場して優勝した。」「バイオリンだったら,大丈夫だけれどね。」と体調不調な様子で答える。「試験が終わったら,救急車が呼ばれるくらいの覚悟でやらなきゃいけないよ。これからの人生,いろいろなことがある。病気したって,やらなけれはないことがある。もし,試験中倒れたら,保健室に行って試験を受けなさい。」「試験が終わって倒れて,救急車で病院に行って,成績が悪かったら,かっこわるいね。」夜の8時過ぎにこんなことをいうので,病院に行く機会もなかった。「12時まで後3時間ある。」「そんな時間までやれない。」と行って,食堂を出て行き,直に部屋が暗くなった。今日,体調が回復しないので,車で学校に送った。今日の夕食のときも,体調が悪そうだった。妻は,また「早くやすんだら」とつまらぬことをいう。「理科がわからないから,やる。」「明日は,試験が終わったら,ゆっくり休み。ピアノも休んだら。」「そうする。」
2006.10.23
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こどもをどのように育てたらよいか,深い愛情があればあるほどなやんでしまう。最近書棚に下記の本を置いて時々読んでいる。岡田尊司「子どもの『心の病』を知る」ー児童期・青年期とどう向き合うかー著者は,医療少年院の臨床医であり,日々若者の精神的危機に向かい合っている。この本のおわりにの項に今日の日記のタイトルの「躓(つまず)きこそが成長をうむ」として下記のとおり,まとめている。(要約) 人生には本当に多くの困難がひそんでいる。そんなときは一旦立ち止まって休むことも大切だ。人生は決して一つの尺度だけで測れるものではない。もっと自由に生きていいのだ。そして,時が来たら,再び勇気をもって進んでほしい。試行錯誤を続ける中で,きっとあなたは新しい発見に出会うだろう。あなたに降りかかっている問題は,飛躍のための試練なのである。問題があるからこそ,人は同じ自分に甘んじず,成長していける。人は驚くほど大きな回復力と順応力をもっている。ましてや,子どもや若者の潜在力は計り知れない。失われたものに囚われる続けるよりも,新しい世界に向けることが,希望を取り戻す近道なのである。以上日毎,人に,私の拙い言葉で勇気づけているが,上記の言葉の方がわかりやすい。そこで,人にも上記のタイトルの言葉を使用させて頂いている。ところで,私自身は,いつも躓(つまず)いている。この躓きを悔やむよりも成長の糧と思うことにしよう。
2006.10.23
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今日は,103の会のイベントがあった。サッカー,キックベースボール,カレー作りの会だ。この種のイベントは,高学年に行きにしたがって,参加者が少なくなる。6年生は,ぽん太ほか,2~3名だ。親子で父親と子の参加が多いが,母親と子の参加者もいる。未就学児も同伴してくる。このような親子はどんな親子か,勝手に想像している。日曜日は,寝ていたい。運動はシンドイ。そんな親が多いと思われるところ,カレー代150円を持参していらっしゃる家庭は,親子交流が円滑ではないか,思ったりする。お父さんの会の参加者も増えて,私の仕事も少なくなったが,それでも体力を使った秋の一日だった。
2006.10.22
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今日は,私が我が家で一番早く起きた。7時だった。私は,土,日は意識して,子どもたちにチンタラさせている。特に普段,姉は,寝るのが午前1時ころなので,飽きるまで寝かせてやりたい。7時30分ころ姉が起きてきた。妻からほん太を起こすように頼まれて,ほん太の部屋に行くが,真剣には,起こさない。起こす演技をする。ほん太は,今日は,やっと8時30分ころ起きてきた。姉のいうには,ほん太は,友達とメールのやりとりを深夜までやっているといっているので,それで夜更かしをしているかも知れない。そうであったとしても,まあ,そのようなことが本当でも,一週間に一日くらい,いいじゃないかと思っている(姉のいうには,女の子とやっているといっている。)。ところで,明日は,お父さんの会のイベントだ。朝7時30分に学校に集合だ。生徒,父兄合わせて200名のイベントだ。「おやこでサッカー&キックヘ ースをやろうよ。」ゲームの間,校庭の片隅でカレー作りだ。お昼は,みんなでカレーを賞味することになっている。お父さんの会は今年で4年目。作るときは孤立無縁だったが,着実に大きく発展している。お父さんの会の正式名は103(トーサン)⇒イチマルサンと呼びます。明日は,総勢約20名のお父さんが103のTシャツを着て,ボランチィアです。ほん太も,キックベースもサッカーもあり,カレーも食べれることを楽しみにしているようだ。
2006.10.21
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ほん太は,朝6時過ぎに起き,ピアノ練習を6時45分ころ終えた。「足は,どうだ。」「痛い。」「どうする。」「今日は休息する。」私は,足が本当に痛く走れないか,夜寝るのが遅く,夜更かしをして,眠いからなのか,わからない。「今日は完全に休息だ。ほん太は,中学で陸上部に入りたいといっているが,本当に走るのが,好きでないとつづかないぞ。」「痛いけど,いつも時々痛むところ。直ぐになおると思う。」「日曜日,お父さんの会の『親子,サッカー,キックベーズ,カレーライス作り』に参加するか。」「参加する。キックベースやりたい。」こんな具合で,足の痛いのは三日坊主の言い訳のような気がしないでもないが,詮索しない。当然のことであるが,努力する,しないは自分のためだからである。
2006.10.20
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ほん太二日目1周目は順調2週目著しく遅くなった。 足のふくらはぎが痛いという。3周目でやめさせた。ほん太に原因は聴いた。昨日は,野球とサッカーて足を痛めたといった。このことを,帰宅して妻はいうと「なさけない。」というので,「足が痛ければ,しょうがない。」と弁護してやった。どうして,母親は,厳しくみるのだろう。・・・・・・・・夜勉強会があった。まじめな社員のうつ病が増えているそうだ。社会にうつ病が蔓延している現代。ほん太みたいに,チンタラ生きることは,大切なことである。さあ,明日は3日目だ。もし,明日も足が痛いなら,休息させるつもりだ。
2006.10.19
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今日は,午前3時に寝て,朝6時に起きた。ほん太も母親に起こされた。本当は,ピアノの練習だが,社会の宿題が,未了ということで,宿題のつづきをすることになった。やあ,ほん太の担任は,算数,漢字,そして,社会の出来事新聞と毎日盛り沢山の宿題を出される。担任の子どもに対する意気込みを感じる。ほん太もこれに応えようと一生懸命やっている。昨日,「夜10時に寝るように,宿題は完成しなかったら,しょうがない。そのまま出したら。宿題よりも健康だ。」といっておいた。そんなわけで,宿題後の7時少し前,急いで陸上競技場に向かった。途中,あん子の中学の前を通った。テニスクラブが既に朝練をやっている。また,朝練をする子どもたちが,自転車が次々に到着している。そんな子どもたちをみながら,陸上競技場に向かった。競技場の外周コースは既に,老若男女が思い思いに走ったり,歩いたり,やっている。1周580メートル4周の朝練初日が終わった。果たして,何日続くのか。私もおおげさだか,大変なおつきあいだ。まあ,しょうがない。これがほん太の子ども時代の最後の親子ふれあいかも知れない。そんな気持ちで・・・・・
2006.10.18
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時々,ほん太に中学に入学したとき,クラブについて尋ねることがある。「ほん太は,音楽ができるから,ブラスバンドに入って,音楽やったらどうか。」「運動部に入りたい。陸上部。長距離をやりたい。」「やー長距離か。毎日練習は大変だなあ。ケニアのマラソンの選手は,通学に10キロ走っていたよ。ほん太も隣町に引っ越して,中学に走って通うかね。」と冗談をいった。前は,水泳部が中学にないと嘆いていた。少し前は,野球部とかいっていた。今度は,陸上部といろいろ,夢が変わっているようだ。何れにしても,音楽の「お」はない。自宅に戻ったとき,ほん太が100円ショプで買ったストップウォッチを自慢して見せた。ほん太は,最近夜11時過ぎまで起きており,そして朝は,母親に起こされても起きずに寝ている様だ。そんな,ほん太に「今日からは,10時までに寝ること明日は朝6時15分から45分までビアノその後陸上競技場に連れて行ってやる。」と言って,自宅を出て,仕事場に来た。はたして,明日起きれるだろうか。
2006.10.17
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夜8時に帰り,食事をした。ほん太が,「持久走の練習をするので,一緒に陸上競技場の外周のジッギングコースに行ってくれ」という。本来,夜10時る寝かせているところ,ほん太の宿題やら,ピアノの練習やらで,10時近くになってしまった。今日はやめようと思ったが,ほん太が真剣だったので,こんな遅い夜10時からの練習になってしまった。一週580メートルを4周走った。自宅に帰ったのが,10時30分だった。今度からは,こんな遅い練習はやめにしようと思いながら,仕事場に向かった。丁度,塾から出て来た親子がいた。楽しく談笑しながら,駅の方向に向かって行った。ほん太は,持久走大会の上位を目指して,その子は,おそらく私学の合格を目指して,それぞれ,富士山を,目指しているわけだ。
2006.10.16
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昨晩は,ほん太が,算数の,今日はあん子が実に1年ぶりに数学の質問してきた。(あん子は,自学自習をしており,昨年のこのころに方程式の質問をしたのが最後)丁度,同じ内容の質問だ。昨日は,算数の列車の追いつき算の質問だ。ほん太にこんなことを言った。「走っている電車で走っている方向に向かって,ボールを投げるとしよう。電車の外でこのキャッチボールを見ている人は,どのように見えるのだろう。」今日は,あん子が,連立方程式の流水算船の速さと川の流れとの問題。あん子にこんな風にいった。「人は分速80メートル。歩く歩道は分速50メートル。歩く歩道の外からみる人は,どのように見えるのだろうか。また,反対側から歩くとどのように見えるのだろうか。」最初は見る視点を変えると,速度に違いがでることに困惑していた。しかし,段々わかってきたようだ。二人の子どもの質問から,勉強につまずく理由を少しわかった気がする。勉強のできる子は,何も疑問に持たず,頭に解法を入れる。そうでない子は,納得しないと頭に入らない。最近仮説授業というものがあるそうだ。実験する前に,いろいろ考えてみる。 そして実験をする。今回も,考え方を教えずに実験ができたら,面白かったと思う。そして,子どもたちの質問は,実はアインシュタインの相対性の理論の問題でもあるのである。ほん太に自慢した。「お父さんは,塾も行かず,独学でアインシュタインの相対性の理論を勉強したよ。」と。
2006.10.15
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昨日,ほん太のクラス懇談会があった。妻が,出席した。ある女の子に対するいじめがあった。「きもい」とか,いって女子が集団で村八分にしていたそうだ。担任の先生は,最近,北海道のいじめ自殺事件もあり,大変心労の様子だ。。妻が帰宅後,このことをあん子に話したら,既に知っていた。あん子は,ほん太と女の子とのメールのやりとりを盗み見しておりその中で,ある女の子に対し,「きもい」といっている女の子のメールをほん太も同調していた様だ。こんな前置きがあり,夕食時以上のことは知らないふりをして,妻に懇談会のことを聴いた。妻から,いじめ問題があったことを言わせた。私はほん太に問い質した。「ほん太も一緒になって,やっていないのか。」「女の子達がやっている。女の子達は作文を書かされた。」妻があん子に,「中学もいじめがあるじゃないの。」「ない。担任の先生が一年のときあったそうだ。先生はみんなに作文を書かせて,みんなの前で読んで泣いてしまった。」そんなことを話いるうちにあん子が「大人の世界でもいじめはあるじゃないの。」と問いかけてきた。鋭い指摘だ。「会社で,仕事を与えられず,新聞の切り抜きだけを何十年をさせられている人がいた。」「お金もらえるの。」「もちろん,もらえる。会社はいじめてやめさせたい。」「もらえるならば,いいじゃないの。」・・・・・・・・いじめ問題を考えてみた。大人の社会の縮図だろうか。どうしたら,少なくとも,こともからいじめをなくすことができるか。大人は,大きな利害関係で生きている。学校は,勉強して,共生することを学ぶ場だ。大人の社会とは,基盤が違う。でもいじめが起きる。いじめの反対の極にあるのが,マザーテレサのような活動だ。弱者に手を差し伸べる。いずれにしても日本の学校のいたるところで「きもい」といって,いじめ問題が起きているようだ。現在の子どもの社会は,豊かな心を育む状況ではないことを示唆している。こども達に言った。「3月8日は,父さんが団体の『子どもホットライン』の当番だ。みんなに伝えておいて」あん子は「勉強の質問の電話をしよう。」ほん太は「つまらん,電話をしてみる。」
2006.10.14
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我が家は何かにつけて,お祝いをする。今日は,ほん太の試験の結果が少し良かったので夕食は,ほん太の好きなピザになった。(あまりピザのすきではない私は天丼)そして,乾杯にほん太にビール代用品としてサイダーを買ってきた。「乾杯」ほんとうにたわいもない。試験の結果がよいといっても(説明すると長くなるので省くが)優秀な人からすれば,やってられない結果だ。でも,我が家では何かにつけて,祝ってしまうのである。まあ,以前より,少しよければ,「乾杯」になってしまうのである。こんな親馬鹿なことをしながら幸せについて,考えることがある。ある人は,90点でガックリある人は,ブ ラボーと叫ぶ。コップ一杯の水ただの水だ。でも砂漠では,体にしみとおるおいしさは高級ワイン以上だろう。オリンピックの銀メダルでも悔し涙の選手。子育てで苦労している人。子育ての苦労がしたいと涙する子に恵まれない人。そして,いつも想像する。死刑囚は,当日の朝8時ころに告知されるそうだ。9時ころになると今日一日,命があることに安堵するらしい。知人の弁護士に死刑囚からはがきが来た。「窓から見える花か咲いている雑草が見えた。そんな花を見て,幸福な気持ちになった。」とそんな死刑囚は,毎日どんな気持ちでいるのだろうか。ところで我が家の妻は,どちらかというと90点でガックリ型だ。私は,90点のみならず,80点でもさらに前より少しでもよければよしとするブ ラボー型だ。人生はブラボー型の方が楽しい気がする。
2006.10.12
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私たちの社会にはさまざまな問題点がある。特に学齢期の子どもをもつ,私達には,学校教育について関心がある。人格的に尊敬できる友人と話していたら,日本の教育に期待が持てないからとお子様たちをアメりカンスクールに入れてしまったそうだ。いあ,極端な話だ。芸能人で子どもをアメンカンスクールに入れるという話を聴いたことがある。日本の学校教育には問題があるが,アメンカンスクールに入れると心配なのが,英会話力は,身につくとしても日本語,特に古典の力がないことになる。私もたいして古典などの知識があるわけではない。でも万葉集とか,枕草子とか,断片的な知識は,日本の景色を味わうときに潜在的な何かになっている。また,ある人は,国語以外の授業は英語でする学校に子どもを入れられたことを会合のとき,話される。発展途上国で,この国に文化がなければ,世界標準語の英語にシフトするのはわかる。日本の文化は,大変なものであると思うのだが,・・・・・日本が嫌で日本を棄てるなら,わかる。日本で生きるために,日本語よりも英語を優先することにどうしても納得できない。アメンカンスクールに入れられ動機が日本では,目育つと「いじめ」にあうというよう なこともいっていた。アメンカンスクールでは,個人を尊重すると言われている。 仕事を通じて,個性的な魅力的な人は学童期から個性的なひとで,独善的な教師とあわなかったり,「いじめ」などを受けてきた。しかしながら,堂々と生きて来て、人権問題など社会の指導的な仕事をしている人が多い。勉強の意欲は,学校のシステムだけでなく,学校という社会からも与えられる。日本の教育には問題が多いかも知れない。しかし,子どもたちには,この国の問題がある教育から逃避せずに成長して欲しいと思う。そして,本当に問題があるならば,上級の学校に行ける機会があるならば,そこで問題点を指摘し,真の教育を考えて欲しい。それこそが,なんのために勉強するのか,真の動機になると思う。ところで,夕食のとき,子どもたちにアメンカンスクールに行くことはどうか,聴いた。「いやだ」と答えた。ほん太もあん子も二人とも今の学校が楽しいと言っていた。
2006.10.11
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ほん太が友達の机の上に置いてあったカバンを取ったところ、友達のメガネが床に落ちてしまい,鼻当てのところが曲がってしまった。友達が先生にメガネを渡し,先生が直そうと思って,メガネ自体を壊してしまった。この件で、先生から、弁償について,負担したいとの申出があった。妻は、「ほん太が悪い」といって,ほん太を叱る。ほん太は「悪いない,先生か悪い」といって、平然としている。メガネは結局作り変えることになり、3万円余りだ。良く考えれば、ほん太の責任は,3万円の鼻当て修補代の無料であるならば、ないし、あっても実費代500円程度かも知れない。先生の簡単に直せるという判断が甘かった。学校の懇談会で妻は友達のお母さんに弁償するお金を渡すことにしたそうだ。昨日になって、「電話で謝罪をした。何回も謝罪をしたくない。懇談会も行きたくない。」とか,いい出した。ここで,ほん太の責任がない,とか、500円とかいっても解決にならない。また先生の善意に対し,負担してもらうのも妥当でない。そんなわけで,全額負担することは当然だ。「じゃ,俺がお金を渡して来る」といった。「悪くない」といっているぽん太に「少なくとも1000円分の責任はある。先生に残りを負担してもらうわけにはいかない。」といって,昨晩一緒にお友達宅を訪れ謝罪と弁償をした。ほん太には、「これからの人生,納得できなくても解決しなけれはならないことは沢山ある。自分が,がまんしてものごとが収まれば,それも問題の解決だ。」といった。
2006.10.10
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やー10時間も寝てしまった(昨晩9時から朝7時まで)。9月は,睡眠時間が数時間毎日で,本当に体力を消耗したようだ。そんな状態なので,北海道の釧路湿原の散策の際,心拍が早くなし,足どりも重くなっていた。まだ疲労が抜けない状態のようだ。こんな虚脱状態で 新聞を読んでいたら,拉致被害者の蓮池薫さんが,朝仕事に行く前に翻訳の仕事しているそうだ。残りの人生を翻訳に掛けたいというようなことをいってた。逆境はその人だけの体験だ。しかし、その人しかできない仕事があると思える。そう思うとわたしたちの子育ては、人真似、模倣の様だ。そして,わたしたちの人生も人真似,模倣のような気がする。人真似,模倣ならば,負ける。しかし,その人だけの人生は,その人だけのものだ。さあ,そんな気持ちを持ちながら,午後少しぽん太と外で遊んでみよう。
2006.10.09
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北海道、釧路で、4日から生活保護などの勉強会に行ってきた。ここでは、文字通り、最低賃金(時給652円?)が給料になっいるそうだ。地元の大学の先生が、厳しい条件で子育てをしている母子家庭(幼児二人)の報告をしているとき、涙で報告が止まってしまった。母親は、朝6時から夜11時までの地元の水産加工所での、仕事をやっていたそうだ。朝6時の会社からの送迎バスの中で、子どもたちにおにぎりを食べさせていた。生活保護をうけ、生活を建て直していく、報告をしていた。勉強会の後、納沙布岬まで、足を伸ばした。北国の荒涼として風景が続いた。どこかの小学校で町の街路を使ったマンソン大会があった。父兄総出で、応援していた。納沙布岬では、先日のロシアからの銃撃の現場が目の先に見えた。地元の話では、夜出漁するそうだ。闇夜の中での、命懸けの操業だ。ロシア人は、カニも昆布を食べないそうだ。昆布とりは、例年一船50万円のお金を払って取っている。こんな町で、人々の生業がある。大会の前には、釧路湿原にも行った。シマリスが、遊歩道に数匹いた。子どもたちに、この自然を見せたい。おそらく、昔は北海道が、そして本州でもこんな風景が続いていたのではないか。その後、自然に手を加え、人間だけが住める町にしてしまった。旅行は、非日常的であり、何か心にもたらす。仕事場の人、実家、そして我が家にカニなどを送った。それぞれの家庭で、ワイワイガヤガヤの夕食の一つになってもらえれば、いいことだ。
2006.10.07
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やっと、昨日、母校の研究誌の原稿を書き上げた。9月末日の納期だったが、少し遅れた。話が5月にあり、この5カ月のうち,8月9月は学者ではない私には、大変な難行であった。長女が朝6時に起きるのだが、朝、ばったり玄関であったりすると、いつも長女には「はやくねなさい」といっているところ、反対に「おとうさん、普通にねなきゃ、だめ」と言われたりした。夏の暑さを知らずに、正確には記憶に留めずに気がつけば「秋」という感じだ。日曜日には、子どもたちのビアノの発表会があった。時間をやり繰りして駆けつけた。チンタラ毎日朝30分夜30分しかしないほん太だが、ショパンの「ワルツ」、8分位の曲を弾いた。途中止まらないように祈っていた。止まらずに最後まで弾いた。長女は第1、第2、ビオラ、チェロのショパンのビアノ協奏曲を弾いた。長女には何も心配もせず、安心して聴いた。まあ、私を含めこれらも実りの秋といえるかも知れない。そういえば、ほん太が今日朝の集会で夏の自由研究について地区の教育団体の優秀賞の賞状を体育館の壇上で校長先生からもらったといって喜んでいた。これも実りの秋のおまけ ?さあ、冬に備えて・・・・
2006.10.03
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