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我が家では,夏休みに追加公認になったテレビ番組は 「大好き五つッ子」と、朝のNHKの連続放送である。子供たちは,このテレビを昼の食事時に合わせて見ている。したがって, 「大好き五つッ子」は,午後1時からなので,前日録画したものを昼に再生している。私も昼の時間があると家に帰って一緒に見ている。「大好き五つッ子」は,特段面白くと思わないが,思春期の子供たちの出来事を扱っており,子供たちには面白いようだ。連続放送は,戦時中のところをやっている。戦争が庶民に与えたことを子供たちに伝えるのに丁度いい番組だ。そして,家族,兄弟,仲間が,助け合って生きる姿には感動する。特に,絵しか書く能力がない絵描きが,家族のために鉄工所で踏ん張っている。また絵描きの妻は夫の才能を信じて逆境に堪えている。戦争が人々から幸せを徐々に奪っているのに みんなでがんばっている。ときどき目が熱くなるが,子供たちにわからないように平然を装っている。
2006.07.29
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週刊誌に有名中学合格者の勉強時間の記事があった。A君 塾 12時間B君 塾 8時間 家庭2時間Cさん 塾 12時間 家庭3時間Dさん 塾5時間 家庭5時間E君 塾13時間F君 塾6時間 家庭2時間やー驚異的だなあ。逆にいうならば,これだけの勉強量がないと合格しないならば,わが子には有名中学は遠い遠い存在だ。大学受験生なみいや,それ以上の勉強量には驚いた。ところで,我が家のほん太は,チンタラやっている。午前中は少しは勉強とか,宿題をやっているようだが,後は,大いに友達と遊んでいるようだ。本人は,8月からスイミングの選手何とかコース入るのとかいっている。私の口癖は勉強はいつかしなければならない。しかし,情操は機会を失ったらできないということだ。そんなに運動能力がなくても水泳をやりたいというならば,自分の能力の限界までがっばって欲しい。クラスで同じスイミングに通う友達と市の水泳競技会にチームを組んでメドレーに出るといっている。いい夏の思い出になればと願っている。
2006.07.28
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仕事場でときどきラジオを掛けてやっている。昨日の夕食前にNHKラジオで落語家の柳家花緑?が仕事は趣味でやった方がよいと言っていた。遊びだったら何時間でもやるが,仕事としてするとできない。だから趣味として,また自分を評価して仕事をくれた人に感謝してすると疲れないというようなことをいっていた。確かに,仕事は体に鞭打ってやるが,遊び,趣味だといわれなくてもやる。私達のやっている仕事は人から信頼されているからやっている面がある。納得して家路についた。夕食後,ピアノの練習をすることになっているが,いつものごとく,ほん太が新聞をじっと読んで腰を上げないので,私なりに応用して言った。「ほん太,地球に60億人がいるが,その中で音楽ができることは感謝してもいいと思う。音楽がしたくてもできない子が沢山いる。レバノンでイスラエルからミサイルを打ち込まれている子供もいる。また,ほかのおとうさんは聞くところによると言うことをきかないと殴っているというが,ほん太にはそんなことはない。おそらく子供。100人いれば一番か二番位幸せである。」これに対し,ほん太は, 「ほかのおとうさんはゲームを買って暮れる。」という。「ゲームは,ゲーム脳になってしまうから買わない理由がある。」こんな問答をして,ほん太は防音室の方に出ていった。程度は低いが,子供の指導も禅問答のような老師の資質が必要になって来る気がする。
2006.07.23
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先日の地元国立大学教育学部の先生と話をする機会があった。新聞を読まない学生がいるそうだ。そんな学生が教師になったら,どうなるのか心配だといってた。新聞の点だけ言えば,ほん太の新聞をよむ趣味は自慢していいことだろうか。そんな経緯で,ほん太には夏休みだけ別途毎日新聞を取ってやることにした。毎年,夏には各新聞には戦争の記事が載る。我が家の子供たちが,朝日新聞,毎日新聞それぞれを読み比べてくれたらいいと思う。
2006.07.22
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私達の町では,夏休みに小学生,中学生,高校生らにいろいろてなボランティアを募集している。 今日夕食のときに,ほん太に話したら,めんどうだからいやだという なことをいった。私は語気強く叱った。勉強よりも人の役に立つことをすることは大事なことだ。姉にも言った。「施設の食事の示度と後片付け障害者の介助川の清掃防災マップ作り」いろいろある。子供たちには何か一つやることを指示した。子供たちがひとつでもボランティアをやって欲しい。勉強ができるできないよりも大切なことであると思う。
2006.07.18
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昨日は,長女の所属する音楽教室の学外発表会だった。これで我が家の1学期の大きな行事の終了だ。ところで,みんなすばらい演奏だった。すばらい演奏には相当な努力があることを想像する。しかし,音楽家になるためには,努力の外に天性が必要だろう。先生に言わせると天性は演奏前の調弦だけでわかるようだ。いつもは姉,弟が一緒に出ていたが,今年から姉だけの出場になり寂しいかぎりだ。今日も,ほん太は相変わらず,チンタラしていた。午後受験するというのに遊ぶ余裕のある友達の家に招かれゲームをやりに行くといって出ていった。姉のいうには,実は内緒ごとで友人宅に行く前に友人らがメールでやりとりして,女の子と一緒に隣の駅にプリクラをやりにいったそうだ。妻も姉も内緒ごとを叱ってくれといわれたが,私は,多少の秘密があってもいいと思い夕食時もその点は黙っていた。他方,姉は,マイペースでやっている。もう夏休みの英語の宿題をやっていた。一歩づつそれぞれの人生を歩んでいるということだろう。
2006.07.17
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岩波新書「豊かさの条件」(暉峻淑子)に次の記載があった。・・・・・・・・ ベルリンに住む友人は,自分の息子が18歳になった誕生日のパーティーで,「楽しい子ども時代を過ごさせてもらって,ありがとう」とこどもからいわれたとき,「その言葉は,親である私達にとって,こどもからもらった最高のフレゼントだと思った」と語った。・・・・・・国連の子どもの権利委員会は,1998年日本の子どもの状況を審査し,その結果,豊かな国,日本が置かれている過酷な受験競争を「子どもの人権問題あり」として質した。教育制度は非情に発達しておりますけども,非情に競争的な社会だからです。子ども達はストレスを経験している。システムの中であまりにも圧迫されるのは,子どもの利益にそぐわない。これはいじめや,自殺,そして子どもが学校に全く行きたがらないある種の学校忌避になるような,他の否定的な反応とも関係している。 これに対し,どのように答えればいいのだろうか。奈良県の家族放火殺害事件の少年は,父親に感謝する気持ちはないだろう。大阪の母親殺害の大阪大学の学生は,母親に感謝する気持ちはないだろう。いずれもマスコミの論調は,加害者を極悪非道なものとして厳しく非難している。しかしながら,国連の調査団が指摘するように私達の社会のシステムの犠牲者だと思えないのだろうか。高金利問題でサラ金が問題になっている。駅前の一等地に店を構えており,相当な利益を得ていることが推察される。同様に駅前の一等地塾が乱立し同じく相当の利益を得ていることが推察される。サラ金(高利貸し)で生活が破綻するように塾を通じた過激な競争で子どもが破綻しているのではないか気になる。今一度,明日に生きる子ども達が『楽しい子ども時代だった。』と言える子育てを考えたい。
2006.07.15
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昨日は長女の三者面談があった。担任女性教員は大変子どもたちに一人一人に気を使う先生だ。担任にも中学2年生のお子様がみえるそうだ。日頃の学級通信では一人一人の生徒的確に把握し,激励している。担任は長女に対し表も裏もなくいい学生だと評価してくれた。 長女が書いたアンケートを見せて貰った。学校に行くのが楽しい。将来は音楽の仕事をしたい。など書いてあった。私の子どもに対する注文は夜12時までには寝るようにといった。夜12時過ぎて帰宅すると防音室で長女がその時間までも練習しているときもあるからだ。担任と各生徒とは,毎日交換日記をやりとりしており,親以上に子どもの動静を把握されている。こんな担任はいいなあ。担任との対話を通じて子どもたちも徐々に具体的な将来の途を固めていると思った。担任が何か注文がありますか,問われた。「公立学校というさまざまな家庭の子どもたちが,集まる学校で,先生の指導のもとで一人一人に頑張る意欲を引き出し束ねていることについて,子どもたちの親も感謝していること先生の学級通信をみていると夜中まで仕事をさていることに恐縮していること先生もご家庭があり,これ以上先生にやって頂くことはありません。今のまで十分です。」というようなことを申し上げた。担任は,少し涙ぐんで「そんなことをいわれて,うれしくありがとうございます。」といわれた。・・・・・・・・ 私の中学生時代に長女のような担任に出合えたらその期待に答えるようにもっともっと頑張りたい意欲が沸いてくる気がする。実際は,不安な日々及び将来をテレビをみて紛らしていたようだ。当時NHKラジオで中学生の勉強室という番組があった。低迷していた私の学力は,毎日夜7時30分から8時まで,聴くことから徐々についてきた。
2006.07.13
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ほん太は,算数だけを独学し,日曜テスト会に行っている。ほん太と同じくテストだけを受けている子もいるようだ。そんな子も夏期講習会を受講するそうで,受講しないのは,ほん太だけた。ほん太の言い分は「そんなオタクになりたくない。」という。夏期講習会の日程を見ると率直な感想は「かわいそうだ゛。」と思ってしまう。(妻は,普段の学校と同じという。)仮に,この夏期講習会に予習復習して受講すれば相当な受験に役立つの能力がつくと思われる。しかし自ら進んで予習復習して受講する子は少ないだろう。大半は親が叱ってさせることになるのではないだろうか。人間が一番怠惰になる夏子どもが一番好きな夏まだ,12歳の子にこんな夏の全てを子どもの意思に反する勉強の強要は,「かわいそうだ。」と思ってしまう。親馬鹿な話だ。ほん太に夏なにをしたいか,言わせた。「イタリアでサッカーみたい。楽天の野球をみたい映画をいっぱい見たい。 日本列島沈没 カーズ ドラえもん その他いっぱい」私の12歳ころの夏の思い出大半は何もしない時間の流れそして,ぼつぼつとした思い出であるが,海水浴毎日のように行ったプール 近くの山でのセミとり絵天下の野球等々
2006.07.12
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ほん太は,トルコ行進曲を終えて,ショパンの曲になるそうた。いつまでもトルコ行進曲をやっていると,他の生徒に追い抜かれるとつまらないことをいっていた。 それでも一生懸命練習をして,秋の発表会は,ショパンを弾いて,それぞれの実家のもの聴かせたいといっていた。私は,音楽のことは詳しくはしらない。あのほん太が喜んで弾きたいというものだから,ショパンのピアノはよいものだろう。バイオリンは直ぐにやめたのにピアノだけはやめない。練習をしないので,母親から,やめろといっても「やめない。」という。この会話をほん太の先生についでのときに話したら喜んでみえた。
2006.07.11
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努力の種をまかなければ,夢の花は咲かない。 今朝,NHK教育のようこそ先輩という番組があった。原田泰治という画家が平成10年に当時小学校6年生の児童に授業をし,8年後同級会に原田泰治が招かれたという企画だ。それぞれの20歳,その8年間にいろいろな出来事もあった。夢なかばの人夢をあきらめた人夢をわすれた人人に語れない不幸を体験した人12歳のときには,少なくとも夢があったこと大切なことだ。最後に原田は次のように記念の絵画に書き込んだ。努力の種まかなければ,夢という花は咲かない。・・・・・・そうなんだ。私たちが,自分に激励して努力することは,夢の花を咲かせることなのだ。 努力の種をまいて,夢の花を咲かせる。こんな人生を子どもたちに送って欲しい。
2006.07.09
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昨晩の夕食の際,子どもたちにどんな仕事が向いているか,話を向けた。「○ちゃんは,音楽以外だったら,どんな仕事がいいの。」「友達は,福祉の仕事が向いているというよ。私は保母さんがいい。」「ほん太は,どうか。」「わからない。」「前建築家になりたいと言っていたよ。」「建築家,いいかな。」「ほん太は新聞好きだから,新聞記者はどうか。」「う・・ん,」「そうだ,ほん太に向いている仕事がある。・・・・ぼっとして考える仕事(沈黙) 思想家だ。」長女が口添えして,「哲学者,考える仕事をする人よ」妻が心配そうに「考える仕事って,生活できるの?」・・・・・・・おそらく多くの母親は心配性で,現実的なことを考えるだろう。しかし,子どもには,ロマンをもって欲しい。みんな,夢をもって,どこかで現実と折り合いをつけている。しかしながら,夢をもったこと,夢に向かって努力したことこれは本人の財産である。しかしながら,仮に将来適職つけなくとも思想とか,哲学は大切なことだ。今は,ロマンをもって堂々と「ぼっとして」いいのだ。
2006.07.08
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昨晩仕事をしていると10時をかなりすぎたころ妻から,「ほん太は何もせず,チンタラしていていやだ。」とほん太に対する小言の電話がかかってきて,いろいろ言ってきた。私は,いつもより冷静になり答えた。 「ほん太は,自分の子だぞ。自分の子を悪くいうな。今のほん太がいやなら,その責任は私達にもある。ビアノの練習をしなくても、先生に叱られるだけだ。宿題をやらなくても,自分が恥をかくだけだ。学校でも先生によくいわれている。いい子だ。姉と比較するな。 よくても,悪くても,今のほん太を受け入れていくしかない。」妻は,家に来て,何もしないほん太に言ってほしいというが,仕事が忙しいので,ほん太に伝言を託した。「早く寝ろ,明日6時に起きてやれ」・・・・・・・今日の朝どうなるか,心配して未明に休んだ。普通の静かな朝だった。ほん太は,それなりに起きてやったようだった。・・・・・・・・先日,児童擁護施設の運営者の話があった。むかしは,貧困の原因だったが,今は虐待が原因で施設に子どもが来るという。社会が豊かになって,児童虐待が増えるというのは,なんと未熟な社会だろうか。我が家も程度が低いが,未熟な 社会の一員だろうか。
2006.07.06
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東京のした町の小学校では,「卒業文集を制作するため、クラスの児童に『将来の夢』を作文させようとしたが3分の1の子が何も書けなかった。これについて,「どんな大人になりたいのかイメージできない」からといわれる。貧困が子どもから夢を奪っているというのだ。これは悲しいことだ。 では,ふうつ家庭の子どもには夢はあるのだろうか。「自分探しといって(夢が見つからない)」というフリーター,ニートの増大は,ふつう家庭でも生じている現象ではないだろうか。子どもの成長段階とは無関係にある形だけの勉強(テスト勉強)をふつうに強いている。テスト勉強のみの強要では,夢はみつからないのではないだろうか。子どもに,誰からも強要されない 「ぼっとした時間」が必要であるのでは。ワインが樽で醸成するように!!何れにしても明日に生きる子ども自身から湧き出る夢を語れる社会でありたい。
2006.07.03
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最近生活保護の勉強をしている。格差社会が広がっているそうだ。もっともっと生活保護が利用されてもいいと思うようになった。生活保護は,難しくいえば,憲法25条の生存権の保障ということだが,平たくいえば,所得がない人も含めた戻し税みたいなものだ。多くの場合は,所得を申告し,控除をし,なお一定の基準以上の所得があると自動的に納税額が確定する。そして生活の困窮者の生活保護というのは,実質的にこれの反対の様相を呈するものである。一定額以下の収入しかない場合にお金を戻す制度である。生活保護の勉強をするとひと言いって驚く。東京都で3・5人世帯(夫婦プラス子ども1・5人)の年収440万円(年収440万円から税金,社会保険等を控除するから)を割り込むと生活保護の方収入が多くなる。社会のいわば下層グループで働く人々と生活保護で生活する人々との所得額年収440万円を起点に逆転してしまっている。つまり,ある家庭の家計の収入が440万円以下だと同一世帯での生活保護費の方が上になるのである。一生懸命働いても,何らかの事情で働かない人の方が生活水準が高いのである。勘違いをしてほしくないのは,生活保護給付額が多いのが問題ではない。下層グループの賃金等の所得額が低いのが問題である。賃金等の所得額が生活保護基準の最低生活を超える生活をする額に達しないのである。経営者は,日本の賃金は世界一高いからこれ以上賃上は期待できない。賃金上げると倒産したり,企業が中国等に移転したり,産業が空洞化する。賃金額は世界一といわれても,生活保護基準との逆転をどのように理解すればよいのだろうか。70歳の国民年金6万7000円で生活するよりも無年金の生活保護14万円の方が多い。年金額が生活保護よりも低いということをどのように理解すべきであろうか。世界2位の経済力の日本で暮らしていて幸福感がわいてこない。原因はどこにあるのだろうか。賃金からの大きな支出が住宅ローンもしくは家賃,教育費である。家賃,教育費を下げてない限り 働らけど,働らけどわが暮らし楽にならざりき。というのが日本の実感か。こんな日本で餓死をする人がいる。日本は大企業が富んで,中小及び庶民が貧困な社会であると思う。固い話でいうと生活保護は憲法に生存権規定のないアメリカでもある制度だ。憲法に平和条項と共に生存権規定の存在するわが国では,生存権保障は,憲法の平和主義の平和配当の象徴だ。憲法9条と共にこの憲法25条の生存権の存在を考えるようになった。明日に生きる子どもたちに生活保護では義務教育期間は教育扶助が出る。高校の場合は,自立支援を目的とした生業扶助として支給される。しかし,大学への教育支援はない。豊かになったといわれる日本勉学の意欲と能力があっても大学以上の教育は国家は保障しないのだ。
2006.07.01
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