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昨日は,ほん太は,今日のスイミングの選手なんとかコースに合格すると言っていた。夕食のときに,ほん太は「あと4秒」といった。なにか,あと5秒とか,8秒とか,言っていた気がする。ほん太は,「スイミング10月から週2回にしたい。」といった。「これまで,週2回にしたこともあったけど,記録がたいして伸びなかったこともあった。10月は,週1日にして後一日は,陸上ドレーニング。走ったり,腕建て,腹筋などやってごらん。筋肉をつける。それでもだめなら,11月から週2回を検討するよ。」「11月はロードレースとか,陸上記録会があるから,がんばる。」とほん太。勉強とか、ビアノは,させられている様相だが,水泳だけは、他の人に比べて、たいした能力がなくとも自分の意志でやり続けていることだけは,いいことだ。来月,ほん太から,合格の結果を聞きたい。
2006.09.28
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ほん太は,今日3回きらりを見たそうだ。昨日はほん太の運動会て,今日は休み。朝出かけに,見ているとき、姉から「きらり」の録画を頼まれた。昼、食事をするときは,また見た。夜食事の時に姉が録画したときに一緒にまた見た。ところで,きらりの終わり方が気になる。 映画とか、小説では最後主人公を死なせる。これまでNHKの朝の番組では主人公は死なない。希望をもって終わる。しかし,なんだか,「きらり」は,主人公を死なせる気配だ。全国の戦争の時代を生き抜いた人々も見ているそうだ。なんとか,ハッピーエンドで終わって欲しい。子どもたちは、明日からも夕食のとき,「きらり」の録画をみたいといった。私は,「それはやめよう。夕食は,知らないもの同士の食堂の食事ではない。黙々とテレビを見入ってする食事は良くない。今週は,きら録画してもよい。但しみるなら日曜日にしなさい」といった。家族の対話ができるのは,食事のときぐらいだ。これを大事にしたい。こどもたちも納得したようだ。私の考え方ー家族は下宿人の集合体ではない。家はワンルームマンションの集合体ではない。家族は,共に生きるすなわち、共生するものだ。
2006.09.25
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今日は、ほん太の運動会だ。小学校最後の運動会だ。ほん太が低学年のころ、6年生の子どもは大きく大きく見えた。ひよこのようなわが子を見て早く大きくなって欲しいと思った。(しかし、苦労もあるだろうなあとも思った。) 今日改めて、大きくなったほん太をみた。入学式で見た子も大きくなっていた。もう、大人の手前だ。最後の演技が組み体操だった。人間の五重の塔は感動的だ。全員が他人を信頼し、力のある子が下になり支えるものだ。みんな協力して素晴らしいものだ。力を合わせるこはこのことだろう。子どもの能力はすばらしい。ふと,こんな組み体操が、パレスティナとイスラエルの子どもたちで出来たら、いつか平和がくるのではないかと思ったりした。また、せっかく仲良くなったこの子たちも卒業後はばらばらになるのかなあとさみしい気持ちがわいた。地域で暮らしていた子どもたちが相互に疎遠になることは。いずれにしても今日の組み体操の感動をビデオにとった。全員の子どもたちも撮らせてもらった。
2006.09.24
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図書館の書棚ながめていたら、大学時代の恩師の著作があった。恩師は、私が卒業後,たしか教授になって直にお亡くなりになった。当時のことを思い出ながら書棚から探している書物があった。本のはしがきに、遺稿である旨、書いてあった。この先生も教授になって若くして亡くなっている。帰宅の途中,下車して都心の大きな本屋に入った。調味深い題名だった。ぺらぺらめくってみた。この先生は助教授になって亡くなっていた。末尾お奥さんのあとがきがあった。話は飛ぶが、モーツワルトとも夭折している。そういえば、身近にも2~3人,人生の真ん中も行かずに若くして亡くなった人を思い出した。みんな優秀だった。不謹慎な話だが、これらの若く優秀な人々は、人生を早く走り過ぎたのではないか,と思ったりすることがある。こんなようなことを朝の身支度をしながら妻に話した。「だから、ほん太はチンタラでいいじゃないのか。」台所で食器を洗っていた妻は、脈絡がわからず,ぽけっと聴いていた。「ぽん太がどうしたって。」
2006.09.23
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夜7時ころ家に帰ったら,ほん太が台所にいた。おん子たちは、バイオリンのレッスンだ。「ママからごはん作ってと言われたので,カレー作っているの。手伝って」ほん太とカレー作りは2回目だ。1回目は極辛のルーを買ってきた。ヒリヒリして,舌を水で冷しながら,食べことがあった。今日はほん太が全部の材料を買ってきた。ジャガイモを剥き,ニンジン,タマネギを切ってやった。 出来上がりを試食した。まあ,合格か。8時過ぎ,あん子たちが帰ってきた。あん子は「まずそう」といいながら,全部食べた。
2006.09.22
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NHKの朝の「きらり」が後一週間で終わる。家のこどもたちは、家に帰ってきて、録音されたラジオで毎日聴いているそうだ。主人公は,時代に翻弄されながら,精一杯生きている。その糧が音楽だ。ほん太が小学校低学年のとき,母親の欲求水準が高く,大変厳しい指導を受けていた。 「もう音楽はいやだ。テレビゲームを買って欲しい。」と泣きべそをかいていた。そのとき,私はこう言った。「音楽は、人生を楽しくする。またつらいときがあっても音楽は、乗り越える力を与える。テレビゲームは、簡単に遊べる。バイオリンは練習をしないと弾けない。しかし,うまく弾けたとき,うれしい筈だ。テレビゲームは,高々○万円だ。バイオリンは,○万円もする。テレビゲーム以上に高価なものだ。もし、将来音楽をやって、損したらお父さんに文句を言ってよい。お父さんは音楽をやりたくても,できない家庭だった。」こんなことを言った。まさにキラリの主人公は音楽によって人々に幸せを当人に生きる力を与えている。私が考えていることだ!!子どもたちがラジオで聴いていることを知って,特にほん太に音楽の素晴らしいを「きらり」通じて,伝わればと思っている。バイオリンを挫折して,ビアノに移ったほん太。そして、チンタラしてもピアノだけは辞めない。私の音楽への憧憬が伝わっているのだろうか。 新聞によると最後はこれまでの朝の番組にない終わり方をするそうだ。私が脚本家なら,最初に弾いた「埴生の宿」で終える。
2006.09.21
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夕食のときの議論。「人は一週間何時間働ければいいの。」と質問する。「40時間」とほん太が答える。「ほん太どうして知っているのか。」「一日8時間だから,それを5倍した。」とほん太。「では,一月は何日働けばいいの。」「20日か21日」とあん子「最低賃金法という法律がある。時給650円とすると一日8時間,1ケ月21日掛け算すると約11万5000円だ。生活保護という法律がある。仕事しなくても月14万円くらい貰える。仕事した人が11万5000円,しない人14万円11万5000円の人どうしたら、いいの。」「結婚すればいい。」とあん子「なるほど23万円か。それでは子どもは生めないよ。」「寄付を集めて,あげる。」とあん子「そんなに寄付は集まらないよ」と母親 「生活保護で足してあげる。」とほん太「今生活保護を受けている人,100万人少しだ。後400万人は受けれるのに受けていない。あげるお金はどこからもってくるのか。」「政府は無駄をやめる。イラクに自衛隊を派遣しないでそのお金を回す。」とほん太「こんな難しい問題は、大人になってから考えればいい。」とあん子「いや,勉強は,どうして,なぜ。人間の幸せは何かなあとか。どうして貧しいいるのかなあとか,考えてやるべと思う。ほん太の考えは,どこで勉強したのか。」「新聞に書いてある。」とほん太「そうか,我が家ではほん太が一番新聞を読んでいるからな。ペーバー試験では,あん子が我が家では一番だと思う。しかし、今日の議論では,ほん太もいい。人間の能力は,それぞれある。ひとつの基準では図れないね。」
2006.09.20
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娘の朝日中学生新聞に,戦争をしたり、子を殺したりするような大人になりたくないという投稿があった。子どもたちに現代の世相は健康的でないと思う。ふと,我が家の子どもたちは、毎日どんな気持ちで過ごしているのだろうか,と考えた。特にほん太は、毎日チンタラして毎日,母親から叱られている。先日,落語家のカロクという人がいいことを言っていた。「受け入れる。敢えて抵抗しない。」と楽になると。なるほど、チンタラしているほん太丸ごと受け入れれば、よいのだ。私は今まで以上、チンタラしているほん太に対し、怒らないことにした。今日も、チンタラ宿題をやったり、ピアノをやったり、ベットで寝たり、していることについて母親から「どうしょうもない」と馬鹿にされていた。私は、母親に対し「チンタラがほん太の本質だ。どうこうもできない。」と諭した。それにしても、大人の社会戦争くらいやめにできないものだろうか。
2006.09.19
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ほん太たちが,小学校でクラブ活動で野球をやりたいと校長先生に話したら,先生たちは忙しいので,父兄の誰かが責任者をやるなら認めてやってもいいと言われたそうだ。そこで,ほん太と友達が私にやってくれと言ってきた。金曜日の午後のクラブ活動の時に来たり,試合に引率して欲しいそうだ。子どもたちが自発的にやる活動だ。その意気込みとを買ってやりたい。「いいよ。」と返事した。「ほんとうに,仕事はいいの。」と友達は心配そうに質問した。「前もってわかっていれば,やりくりしてあげる。」と答えた。できるか,どうかわからないがみんなで、校長先生のところにいったり,いろいろ苦労することは意味がある。もし校長先生の理解で,野球部ができたら,小学校の最後のいい思いでができると思う。もし野球部が出来たら,大げさだが,明日に生きるこどもたちにできる限り支えてやりたい。
2006.09.18
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在留特別許可申請をしていたが,それが認められず,小学1年生のすーちゃんは両親とともに中国に帰ることになった。すーちゃんのお父さんは立派な人だ。いつもこんなことをいう。「日本の若い人はどうして親を大事にしないのか。パチンコをする金があったら,親にあげたら,喜ぶよ。」いつも耳の痛い話だ。ある会社の責任者になっており,社長にアドバイスをしていた。「人間は得て不得手がある。不得手な人にその仕事をさせても,ダメ。その人ができる仕事をさせること」こんなことから,いろいろな取引先から信頼されてきた。私は,中国人のすーちゃんのお父さんから親を大切にすることを教わった。帰国に必要な書類を取るために役所で待っているときに私,すーちゃん,そしてお母さんと尻取りをやった。すーちゃんの日本語の語彙はおかあさんを超えていた。中国に帰れば、覚えたばかりの日本語も急速に忘れてしまうだろう。私は,すーちゃんに公文の童謡カードと童謡CDを贈った。中国で少年,青年そして成年と成長し記憶のどこかに日本の童謡があればいいと思う。
2006.09.17
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昨晩のの夕食は,あん子の職業実習の無事終了と ほん太の自由研究の発表の成功を兼ねて親はワイン,子どもたちはワイン風のジュースで乾杯した。あん子は,父親には口数が重いが,母親には軽く施設ではお別れのとき,また手伝いに来てねといわれ,また行く気になっているようだ。ほん太は,学校代表になったことが本当にうれしいようだった。さあ,子どもたちは,特にチンタラしているほん太は10月1日のピアノの発表会に向けて最後の精進だ。・・・・・・・・・・食事のとき,一昨日労働事件をやっている人のベンツに乗せて貰ったことを話した。「ベンツ2000万円くらいかな。」「ベンツ2000万円はないよ。1000万円だよ。300万円もあるよ。」とぽん太が答える。「お父さんも今度ベンツを買うか。」と冗談をいった。あん子が,真に受けて「ベンツより前に家買って」という。「あっはは,お父さんは,いっくら金があってもベンツは買わないよ。」「エスクードだね。」とぽん太が,また答える。私はほん太の頭の上に手をかざしながら「お父さんは自分の身の丈を知っている。ベンツを乗る人間じゃないよ。」と答えた。
2006.09.16
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昨日の昼、ぽん太の自由研究発表会をそっと見てきた。この地区の小中学生の各学校での代表の子の発表のようだ。ほん太とその友達の新聞のチラシの分析以外は,実験の発表だった。印象的なのが,ゴハンに,炭,酒,ミリン,等を入れて炊いて,その味はどうかというものだ。実験の結果,炭を入れて炊くのがおいしいことだ。洗濯の研究も面白い。複数の実験用の靴下を買ってきて、100メートル走って汚し,合成と石鹸の場合の差異洗濯機と手洗いの差異実験の結果,石鹸の手洗いが一番きれいになったといっていた。本当はこうした発表は,子どもの前でやるといいと思った。幸い,ほん太はその機会に恵まれたが・・・・,そして実験の発表がつづく中で,新聞のチラシの発表はユニークなものと思えた。はっきり,説明していた。事前の先生との練習の成果だろう。大げさだか,ほん太とその友達の自由研究は実験という既成の概念を打ち破るものだ。勉強の基本は好奇心だ。昨日,発表した各生徒は,好奇心をもった人だろう。これからが楽しみだ。ほん太とその友達のレベルは,今一つだが,独創性はかってやりたい。今でも,妻はほん太に夏期講習会行かせればよかったというが,行っていれば,この自由研究はなかった。夏期講習会に行って身についいた思う学力チンタラ過ごした小学校最後の夏休みの自由研究の思い出一つをとれば,一つは取れない。これが人生というものだ。ほん太の性格は,チンタラだ。そんなほん太にふさわしい貴重な夏の思い出であろう。
2006.09.15
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昨日は,あん子の特別擁護老人ホーム2日目の職業体験だった。バイオリンを聴いてもらったそうだ。「あん子ちゃん,みんな拍手してくれた?。おとうさんのおばあちゃんみたいに」「お年寄りの人は,体の具合が悪く、拍手できないの。ふだんから,あまり話さないの。黙っているの。」「でも,みんな,はじめて,ほんものの生のバイオリンを聴いたとおもうよ。」あん子の身近に老人がいないので、無表情の老人にとまどったかも知れない。でもこれが老人,年老いた人の現実だ。最初の日は,疲れた,疲れたと言っていたが,昨日は,何もいわない。はじめてのいろいろな体験の連続のようだ。妻がメモに書いて置いたらといったらあん子は、メモしなくても忘れないといっていた。
2006.09.14
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昨日,あん子が特別擁護老人ホームの実習初日だ。疲れたといっていた。食事を配膳したり,入居者の食事用のエプロンを洗濯したり大変疲れたそうだ。30分立っているだけで疲れたと言っていた。小学校幼稚園コンビニ製パン会社消防署いろいろなところに生徒は行っている。こんな中で,老人ホームは大変な方だ。でも本当の仕事らしい仕事をさせてもらっていい経験だ。「お父さん、老人ホーム時給840円だって5時間仕事をしたから4200円分仕事をしたよ。」といっていた。仕事のうち,楽なものを子どもたちにまわしたと思う。24時間の交代勤務であり、お風呂に入れたり,おトイレをさせたり大変な仕事であると思う。でも,ここで働く人は,みんな心のやさしい人だろう。こんな人と一緒に仕事のまねごとをさせて貰い,仕事をすることの意味,生活の糧を得ることの意味など少しでも,わずか3日間の実習からでも,得られたらいいと思う。今日の夕食もあん子がどんな体験をしたか,聞くことが楽しみだ。
2006.09.13
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仕事を終えて帰宅途中の電車に,ほん太が携帯で電話してきた。「自由研究が選ばれて,教育委員会の人の前で発表することになった。」といって、興奮気味で作業するので仕事場を使わせて欲しいといってきた。7時ころ仕事場に戻ったら,ほん太と友達が作業をしていた。先生から「新聞のチラシの自由研究について、家庭科的な考察でまとめて、来い」と言われたことをやっているという。木曜日の授業中に抜け出して発表場所に先生と行くそうだ。ほん太たちは、給食どうなるか、つまらないことを心配していた。また、明日から3日間、姉のあん子は老人ホームに級友と二人で研修に出かける。あん子の中学校では、この時期、地域の会社,役所等の希望するところで職業研修がある。私と妻はあん子にもし機会があったら,バイオリンを聴かせてあげて欲しい,本当に喜ばれると思うと言った。子どもたちどんな体験をするのか、いい機会を与えられた。
2006.09.11
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昨日は,専門書をコピーするために大学の図書館に行ってきた。キャンパスは,若者が闊歩していた。図書館の中は閑散としていた。四方が書棚で囲まれたた閲覧室だ。読みたい本が直ぐ手許にある。 町の公立図書館の喧騒なものとは違う。昔ここの図書館で勉強していたころの気持ちを思い浮かべていた。当時は,未来に希望を託してむしろ希望を賭けてそして,今は,格差社会に疑問を感じて同じ勉強といっても気持ちが違っている。勉強する度に現在のこの格差社会が悲しくなる。 大学の授業はなくても日曜日も図書館はやっていることを知った。今日も行くつもりだ。 こんな気持ちを我が家の子どもたちにもわかってもらい。なぜ,日曜日も図書館にいくのか,を。勉強は未来の夢であることを。
2006.09.10
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一昨日,遠隔地で法律相談をした。ローンの相談だったところ,詳しく聞くと 「2月に失業保険が打ち切られた。昨日から何も食べていない。」というのだ。私は,明日一番に福祉事務所にいって生活保護の申請をするように指導した。「私は,40代で仕事することができるのに生活保護受けれるのですか。」「仕事をする能力があっても,今所持金がない。当然に生活保護を受けることができる。,生活を確保して仕事を見つけるように」といって電話番号も教えた。「ありがとうございました。」といって,ハンカチで目頭を抑えていた。自宅に帰って,このことを妻に話したら,「晩飯代でも上げたら」と言われた。今日心配していたが,電話がなかったようだ。一安心・・・・・・・最近自宅で生活保護手帳という本を読んでいるとあん子が「おとうさん,うちも生活保護貰うの。」と心配そうに訊いてきた。「まだ,大事じょうぶかな。」と答えた。フリーター,ニートそして,失業者次の総理大臣は,うわさでは日本を戦争ができる国にしたいようだ。私は,戦争の前に福祉と思う。最近子どもたちに生活保護の話をする。生活保護は,平和の配当であると思っている。
2006.09.08
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あん子の希望で,夕食時に録音したきらりを再生した。15分間,黙って食事をしながら,ラジオに耳を傾けている。結局,私は今日2回目である。想像力をもって聴いている。達彦が何か叫んでいるところがあった。午前中は,どんな場面か,想像できなかった。ほん太は,夢でうなされているといった。確かに戦場の悲惨な場面の悪夢のようだ。ほん太の想像力に関心した。いつもにぎやかな夕食が,禅寺の食事のように静かだ。・・・・・・最近宮本延春著「オール1の落ちこぼれ教師になる」(角川書店)を読んでいる。この本を読むと,考えさせられることがある。著者は,アインシュタインの相対性の理論に魅せられて物理学の勉強する意欲が沸いて,夜間高校,高校助手,推薦で大学に入った。勉強したいという人と勉強をさせられている人と勉強の意欲,理解に歴然たる差異があるだろう。わたしはなんだかんだいってもほん太に勉強させているのではないか,自問する。
2006.09.07
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夏休みは,子どもたちはNHK純情きらりを見ていた。9月に入ったので,土曜日だけになった。子どもたちは,録画をして9月もみたいといっていたが,説得して,やめさせた。この点は素直でいい子だと思う。私だったら,それでも録画といってわがままをいうのかも知れない。時間は有限であり,やるべきことがある場合は,どちらを優先すべきかの問題である。人生はこの課題の連続である。 (だから,私には,今年は夏休みがなかった。) 子どもたちが見ないのに私だけがみることは妥当でないのでテレビをラジオで聞いている。そうしたら,ほん太がラジオを録音して欲しいという。録音してやった。子どもが音声でテレビの場面を想像するのは,いいことだと思っている。昨日のきらりで,ジャズの基本をやっていた。少し,ジャズをやったといっていた妻と会話した。「ぽん太に教えてやってくれ。」「ジャズも勉強しなきゃだめで,勉強しないぽん太はだめ。」「一応,音楽教育を受けているなら,できるだろ。」「たった4年だけだ。」「4年もやったろう。」こんな具合だ。きらりの桜子先生は,楽しく音楽を教えているのに我が家の妻は,音楽を構えてほん太に接している。まあ,しかたがない。これが現実であり,人生だ。
2006.09.05
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長女のあん子は,早く家を出て一人で暮らしたいといっている。ほん太は,何もいわない。現在のぽん太は現在の我が家に満足仕切っているかも知れない。親の努め,義務は子どもたちを私達から巣立ちさせることと思う。さみしいことである。しかし,子どもがいつまで経っても親に依存するのは,より悲しいことだ。そう思うとき,実際どうなるかわからないが,あん子の意気込みは買いたい。今,子どもたちの部屋はそれぞれ4畳しかない。もっと広い部屋が欲しいといって友達の部屋の広さを教える。私はこんなとき,子どもたちを家から追い出したいから,今で十分といっている。子どもたちの部屋にはカギがない。あん子は,カギを掛けたいといっている。私は,子ども部屋はワンルームマッションではない。家族は,こんな家の中でともに暮らすものだという。それでも,あん子は,部屋で自分の世界を作っており,食事か,新聞を読むことくらいしか,部屋から出てこない。ほん太は,しょっちゅう出てきては,また部屋に戻って行く。また,あん子にちょっかいを掛けにあん子の部屋に入って行って追い返される。ほん太の巣立ちの様相はまだまだのようだ。
2006.09.04
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わが団体で土曜日講演会を企画した。講演者は,年収300万円時代を生き抜く経済学の著者森永卓郎であった。テレビタックルで出ている人がそうだ。その人が面白いことをいっいた。アメリカで高級住宅地で周りが500坪のところで400坪の住人には満足感がなく,下町の周りが30坪のところで40坪の住人には満足感があるそうだ。わかる気がする。私達は,世俗的な凡人で他者と比較してなんだかんだしあわせとか,幸福とか感じているようだ。・・・・・・ほん太の自由研究が昨晩やっと終わった。朝日,毎日,読売の各曜日の折り込みチラシの傾向を調べるものだ。どうして土曜日に不動産のチラシが多いかとか。どうして,読売にパチンコ屋のチラシが多いとか。 模造紙に4枚か5枚書いたといっていた。ほん太の能力を超える作品だ。算数で学んだ,100分率を計算して帯びグラフを書いて分析をしていた。チンタラ,チンタラやっていた。その都度,母親はどうしてもださなけれはならない宿題ではないから,やめなさいといっていた。 それでも模造紙がなくなっては,また急いで買いにいったり,ドタバタの作業を続けていた。私は,昨日の昼間,全然作業をやり終える気配がないので,そんなことでは今日中に終わらないぞと叱責した。私にいわれたのか,ほん太,最後の力を振り絞って,夕食前に終わったようだ。まあ、納期は遅れたが本人にとってやり終えたことは,一つの成功体験だろう。これで子どもたちの夏は終了だ。
2006.09.04
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青少年の犯罪がつづいている。北海道の高校生の母親殺害は衝撃だ。30万円で友人に依頼し,友人はこれを受けて実行した。親子間で何かストレスがあったと思うが・・・親を殺害すれば,どうなるか,予測する能力が欠如している。悲惨なイバラの道が待っていることを。親がいやだったら,後数年待って家を出るだけなのに・・・・私は青少年の悲惨な事件がつづく度にテレビゲームが原因と言っている。テレビゲームがないころ,否が応でも,親と交わる必要がある。そこに何か相互に感じるものがあったろう。テレビゲームはコミューケーションを必要としない。まだゲーム脳の問題も言われている。欧米の家庭では,テレビゲームをさせない家庭が多いそうだ。テレビゲームのない我が家は,日本では,異端だろう。こう.した事件が起きる度に,だからテレビゲームはさせないと子どもたちにいっている。今日の夕食のとき,子どもたちは,「NHKのきらりを録画したい。」と言った。私は「たいへん面白い番組だ。しかし,二つのものを得ることができない。9月はふたりともいろいろいそがしいはずだ。優先順位がある。いままでどおり,これからは,土曜日だけで我慢しよう。」と言った。「きらり」は,私にとって,戦争が庶民に与えた悲しさ。画家の心情等,日頃イメージできかったことを教えてくれた。ドラマの上だか,でも私達の実生活においても桜子のように真摯に人を気遣うこころを持ちたい。その応用問題みたいだが,今日,30前後の内縁の夫婦が相談にきた。妻が働き,多重債務者夫は2年間無職夫に言った。「きみはしあわせものだ。ふつうだったら,捨てられるぞ。妻のために,職種,賃金を選ばす,仕事を見つけろ。」妻が言えないことを私が代弁した。少し,妻は涙ぐんていた。
2006.09.03
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引きこもり,とかニートとか,フリーターの問題が気になる。フリーターと正規雇用との生涯賃金格差は4倍とか(正規雇用,2億3000万円,非正規雇用6000万円)自分のやりたい職種に就職するのは,困難な現状である。こんな観点から,考えるととにかく,職種なんか,問わずとにかく正規雇用をということになる。なにか,一種の拝金主義の様相だ。しかし,ライブドアの元社長の拝金主義ではない。最低の生活をするための知恵であり,市民のささやかな願いだ。 しかし,やっと手に入れた正規雇用の現場でも成果主義とか,厳しい現実だ。リストラもある。 最近,オール1の成績から,国立大学に入学し,教師になった人の本を読んだ。たしかに,させられる勉強よりもみずからする勉強の方が強い。いずれにしても学校に通う子どもに対する標語では拝勉主義かなあ。しかもみずからの意思をともなった拝勉主義だ。
2006.09.02
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