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朝のNHKの「きらり」を聞いている(子どもとの紳士協定で,月から金まではラジオ,土だけテレビ)。治安維持法とか,赤紙の召集令状とか,抽象的に考えていたものが,現実の市民生活にあったことを連想している。いやな時代だなあ。政府を批判することは天皇の批判であり不敬罪とか,治安維持法違反になり,最悪死刑になってしまう社会だ。ほんの少し前の日本の社会にあった出来事。学校の先生は,戦争前は戦争を賛美し,子どもに天皇陛下のために死ぬことを煽動し戦後は,戦前の教育は,全くの誤りとして,戦争は侵略戦争であり天皇は人間であり,天皇陛下のために死ぬ必要はないと教育した。ときどき,母親で,もし,今徴兵制が導入されたら,刑務所に入ってまで反対するという人がいる。しかし,これは現在の日本が平和だから言えることで,戦時下になれば,不可能であると思う。あの民主主義の国といわれるアメリカでさえ,イラク戦争に反対した国会議員は,下院議員一人だけである。あとは全員賛成だった。母親,ひいては親が体を張って,わが子の命を守ることはそのような状況ではできないと思う。教育基本法改正,さらには憲法改正が問題になっている。今,体を張って,わが子を守るという母親の出番の時ではないだろうか。
2006.06.30
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ほん太は,特別優れているものはない。そのことを妻は危惧している。何か打ち込まないものがないといけないという。 このまでは,中学に行っても普通,真ん中で心配という。私は反論する。ほん太は,何かを打ち込むために生まれてきたものではない。優れた人間になるために生きているのではない。ほん太にはほん太の人生がある。少なくとも,親の義務があるならば,ふつうまでであり,それ以上努力するしないは本人の意志だ。私は,子どもたちが自分の力で生きるならば,どんな人生をおくるかは,子どもの意志である。と思っている。妻にはチンタラ映るぼん太も朝6時に起きるために5時20分からつぎつぎにアラームを掛けて,起きる努力をしている。6時過ぎて妻に起こされるほん太は目覚ましの音を覚えていないといっているくらい熟睡しているのである。妻のいうには,ここ数カ月同じ曲ばかり練習をして進歩していないという。これは見方の問題だ。私は,それでも合計毎日1時間練習することは立派だと思う。ほん太,がんばれ
2006.06.28
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新聞の一面に生活保護費削減の記事があった。そこを読もうとしたら,既に読み終えていたほん太が質問した。「『生活保護費を削減』ってどいうこと?」「生活保護の費用を少なくすることだ。」「イラクなんかに自衛隊を派遣せずに,(お金を)ここに回せば,いいじゃないの。」「おとうさんは,ほん太のいうとおりと思うよ。」ほん太は,いつも朝一番に新聞を取りに行き,隅から隅まで読んでいる。趣味の一つが新聞という具合だ。そんなほん太が,自分で考えて意見を述べたのである。・・・・・・長女の学校では,いわゆるインターシップがあるようだ。 「今度老人ホームに行くよ。」「じゃ,バイオリンを弾いてあげたら。」妻も「いつも施設にいる人に生の音楽は喜ばれるよ。」と口添えした。施設の都合もあるので,長女だけの都合でバイオリンを聴いてもらうことはできない。もし,これが実現したら,大好きな音楽を通じたよい経験になると思う。・・・・・・夕方,○ちゃん,ほん太とじゃがいも堀に行ってきた。長女が,「どうして,じゃがいも堀をするの?」と質問した。「土をいじったりして,心豊かになってほしい。」と答えた。何年間もじゃがいも堀を続けてきた。お金のことを考えれば,スーパーで買えばいいかも知れない。農家の人から,大根とキュウリをおまけに頂いて衣装ケース3個分のじゃがいもを掘ってきた。遠い遠い未来,じゃがいもを見て,子どもたちは,何を思い出すのだろうか。
2006.06.25
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奈良放火事件は,悲劇だ。何の落ち度ものない二人の幼児。毎日楽しい日々を過ごしていただろう。継母は幼い幼児二人を育てるのみならず,10歳離れた思春期の義理の子の子育ては大変だったろう。問題は,夫であり,父親の医師は,スパルタでの勉学の強要である。家庭内ではこの事件の前に何等かの兆候があった筈である。父親は残された被害者であると同時に加害者の親権者である。父親の子育て一つで今回の悲劇は回避された可能性がある。ところで,普通,父親が暴力を振るえば,母親は父親をいなしたり,諭したりする。それでも暴力を振るう場合は,母親は子供を連れて家出する。この事件の母親は,継母であって,父親の子に対する暴力について,傍観していたと思われる。結果として,同意していたのではないだろうか。スパルタを容認する家庭環境だったのか。文学のだけの世界だろうか。継母が体を張って,父親の暴力を阻止し,相互に真実の愛情が芽生えるのは。この少年には児童相談所は思いつかない。 しかし公立の小中学校では,スクールカウンセラーがいる。この超進学校では,このようにカウンセラーを置いていないのではないだろうか。ところで, 逆説的だが,この少年は,父親によって能力が開発され,父親によって,能力をつぶされた。父親の力を借りての少年の能力を超える進学を可能とし。その水増しの,嵩上げの学力は,父親の支えが通用しなくなって,真の実力が顕在化した。そこを認めるべきであった。父親自身も医者の子は医者になるべきという狭い考えに囚われていたのではないだろうか。医者の業界では,同業者がなんと言おうと,息子は自分の意志で医者以外の自分に相応しい途を選択させると言えないものだろうか。医者だけが立派な仕事でないことを理解できないものだろうか。・・・・・・かわいそうだな。資質ある少年が,これからの人生大きな十字架を背負っていく。その遠因が医者の家庭に生まれたことか。これからこの少年にかかわる,さまざまな人々の力によって,少年が立ち直り,その資質を社会に貢献してくれる日を待ち望みたい。いずれにしてせ,DV(ドメスティック・バイオレンス)は暴力「夫」を想定しているが,暴力「父」のシャルターを検討しなければないない時代がきている。もし,そんな制度が備わっていたら,今回の事件は回避されたと思われる。スエーデンでは15歳を過ぎたら,施設ではなく,不的確な両親から独立して生活できる制度があるそうだ。
2006.06.24
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奈良県の高校生の事件に関連して朝日中学生ウィークリー平成18年6月18日号いじめ伝言板に次の投稿があった。長い文だが,一人の子の命が救われた経緯がわかるので,全文を記載する。ストレスの原因を話してよかった 私はつき最近まで,地獄のような日々を送っていました。 私の父は弁護士で母は教師です。そんな親に育てられた私は,今までたくさんのぜいたくをしてきました。しかし親はテストは百点が当然,学年で一番にならなきゃうちの子ではない。○○高校に入らなかったら出ていけなどと言いました。当然これが全部できる筈がなく,テストが悪いと,しばらくの間は何かある度に怒られ,ののしられました。勉強以外のことも,あの子ができて何であんたができないの?など,とにかく毎日すごいプレッシャーでした。 たいていのわがままをかなえてくれた親に孝行しようと思い,私は何でも頑張りました。しかし結果が出なかったり負けたりすると嫌になり,いつしか親にバカにされストレスがたまっていきました。そのストレス解消法がお菓子のやけ食い。甘い物を食べまくりました。でも絶対に太りたくない。だから,私は物を食べたらトイレにかけ込み,食べた物を全部吐くことを続けました。 ある日,そのことが親にバレてしまいました。家中に響き渡るほど怒鳴られ,たたかれました。 父に悲しい顔をされ,母には泣かれ,夜中までずっと「何で?」と,吐き続けたことについて質問攻めでした。やっと一人になった時,弱い私は,何もかもいやになり,今まで誰にも相談できずにいた胸の内を出しきるように,はさみで自分を傷つけました。血が出ているのをその時鏡で見て,わけも分からず泣きました。 翌日,父と母は私の顔を見て驚き,私がわけを話すと「そんなに悩んでいたの。ごめんね。もう何も言わないから。勉強も好きな時にしなさい。高校も指定しないから」と,何十回もごめんなさい,と謝られました。本当に謝らなきやいけないのは私の方なのに。 幸い傷は浅く,何本かは消えかけています。私はこれから何かあったら迷わず誰かに相談してみようと思います。 ところで,奈良の高校生はストレスにより放火し,この中学生はリストカットをした。幸いこの中学生の両親は,はじめて何が大切かわかり,この中学生は希望の明日が開けた。これに対し,奈良の高校生は,これから少年鑑別所,家庭裁判所,少年院と大変な長い長い困難な明日が待っている。そして,父親はおそらく医師を気力の問題として続けることはできないだろう。少年と父親,いばらの途だが,お互いに携えて生きているほかない。
2006.06.24
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奈良県の放火による事件の犯人が同宅の高校1年生あった。父親,母親は医師という大変な高学歴の家庭であった。この点について,プログで触れたことがあった。以下のとおり引用する。2005.10.06 [子供にとって高いハードル] 子供にとって,親の高学歴は,かならずしもよいとは限らない。いつも世間から注目の的になり,普通の家庭の子供なら,ある程度の成績は,子どもの努力の成果としてもらえる,子供に気楽に生活できる。出来て当然という優秀な両親の場合は,いつもハードルが高く気が抜けない生活となる。私は,こんな風に考えている。仮に,両親がともに優秀である場合は,子供に謝るべきである,と。 ところで,新聞に次のコメントがあった。 勉強中心としたプレッシャーか小林剛・武庫川女子大大学院教授(思考臨床学)「おそらく心の中は大変煮詰まった状況になっていたはずた。親などから,勉強を中心とした膨大なプレッシャーがかけられていたのではないか。少年の気持ちに寄り添って『君もしんどいんだね』と言ってあげられる人が,彼の周りにいなかったのが残念だ。」この少年は気の毒だ。もし,両親が医者でなかったら,違った人生の選択があったかもしれない。また,なんと背理と思う。医者は,相手の気持ちを推察して治療するものではないだろうか。仮に精神医学が専門でないとしても,授業ではあった筈であるし,私達よりも多少の知識がある筈である。人間,この場合少年が追い詰められたた場合,どうなるか。容易に知り得た筈ではないだろか。この高校生はズッコケ先生のいう「よい子病」にかかったいたのではないだろうか。この少年は,ぼやっと過ごす余裕を与えられず,「よい子」強要されてきた人生だったのか。加害者であると同時に被害者でもある気がする。
2006.06.23
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ズッコケ先生の新聞の記事がほん太の部屋の前に張ってある。記事の要旨は「子どもは『ぼけっとしなさい。』」ということだ。最近,ほん太に面白い現象が起きた。これまで食後,妻から「勉強しろ」といわれるとほん太は黙って動かない。 しかし,私が「ぼけっとしているか。」というと大げさな表情で「忙しくてぼけっとできない,宿題とか勉強で忙しい。」といって,しばらくすると部屋を出て行く。子どもの意志を尊重し,プライド認めたということであろうか。 ところで,西欧では高等教育が無料で生活費は奨学金を得てその教育を受けるという。これに反し,日本ごは高等教育は高額の授業料を必要として生活費は親が面倒を見ている。さらに日本の教育の実態は,子どもが勉強がしたいか,どうかお構いなしに親が勉強させる環境を用意して,させている。冷静に考えてみると,食用用の鳥のように無理やり口を開かせ無理矢理栄養を押し込んでいる気がする。子どもが子どもなりに勉強をすることについて悩んだり,考えたりする余裕を与えていない。しかし,よく考えて見るとこうした子育ては子どもの主体性を考えていないしそもそも主体性の確立を阻害している。自分自身で悩み,考えて,自分自身で人生を選択すること。試行錯誤したり,迷ったり,自信を喪失したり,自己嫌悪になったり,そんな一見無駄に見えることをする必要のないこととして,近道を用意している。つまり,無駄をさせず,より安全なより確かな道を用意しこの道に歩むよう誘導している気がするのである。しかし,ズッコケ先生の記事とかあらためて読んで見ると親には,子どもが回り道とか,無駄な時間を過ごすとか,一見無意義なことを見守る勇気がいると思うようになった。
2006.06.21
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わが団体で教育基本法改正問題の講演会を行った。そこで靖国神社に関する雑誌の資料が配布されたので引用したい。) 最も大きい愛 靖国神社の英霊となって,天皇陛下の御拝を辱(かたじけな)うするほど,日本国民としての栄誉があろうか。これというのも,愛する祖国のために命を捧げて尽くしたお蔭である。ー愛するもののために命を捨てるほど大きい愛はないーほんとうに人間としてこれほど尊い愛の好意があるのだろうか。 命を惜しまず尽くすことは,祖国の急に赴(おもむ)く場合ばかりではない。愛する家庭のためにも愛する肉親のためにも,愛する働きのためにも,愛する友のためにも,命を捨てて尽さねばならぬ場合は必ずあるべき筈である。 そういう場合に,喜んで命を捨てて惜しまぬ人となりたいものである。大きい責任のために命を捨て得る人こそ,命を全うし得る人である。大きい義務のために死に就き得る人こそ,永遠の生き得る人である。 靖国神社の神事は,人として永久に生きる道を,教えるものである。(記者)(主婦の友,昭和14年6月号,巻頭言) 昨日のNHK朝の連続放送「きらり」におばあさんが孫が兵隊に出征することになって泣いてばかりで,出征する孫から見送りにきて泣くのは,非国民だから来るなといわれたことに泣き伏す場面があった。あの時代は,兵隊に行って,死んで靖国神社の英霊になることは,栄誉だった(と洗脳されていた。)。栄誉の可能性があるのに泣くことは非国民なのである。頭書に記載した「主婦の友」(当時100万部の実績があった。)の巻頭言は,当時の社会状況を表していることを実感した。国が地域が社会が戦争で死ぬことを奨励し,国民はこれを受け入れてきた。「靖国神社の英霊となって,天皇陛下の御拝を辱(かたじけな)う するほど,日本国民としての栄誉があろうか。」悲しいなあ,天皇陛下のために死ぬために生まれてきた人生か。「愛するもののために命を捨てるほど 大きい愛はない。」これは,詩的である。ある種美しい。しかしながら,個人的にはなんら恨みにない人間を国から殺せを命じられて,これが「愛するもののために命を捨てるほど 大きい愛はない。」の意味なのか。 私も,妻も,わが子も,その子たちも「戦争を知らないこどもたち」のまま死んでいきたい。
2006.06.20
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今日も,朝から,ほん太のチンタラした態度について妻との論争だった。固い表現でいうと 争点は「こどもがぼやっとしていることの是非である。」妻は,「いつものごとく,きちんと計画をたててやるべきことは当然にやるべきである。」といってほん太を大人と同じように考えている。私は,「こどもなんだから,チンタラやってもいい。やるべきことをやらなかったら,またやればいいだけ。」といって,ほん太が子どもであることを強調する。丁度,今日の毎小に次の記事があった。悩みなんか吹き飛ばせ! 子ども未来研究室「小5の娘は頑張り屋さんで,お手伝いも勉強もしっかりします。小3の息子はぼっとすごす毎日です。気立ては悪くないですが,怠け者のタイフです。どうすれば,頑張り屋さんになるのか。(父親)」という相談。ズッコケ三人組の作者那須氏は次のように回答した。 「片づけできない,勉強も熱心でない。ぼやっと過ごす毎日どいうのは,きわめて一般的な子どもの生態です。特に,ぼやっと過ごしているというのが,いいですね。子どもの時代には,何もせずにぼんやりする時間が不可欠です。空行く雲や,アリの行進を飽きずに眺めたり,雨だれが地面をたたくのを何時間も見つめていたり。ご安心ぐださい。息子さんは十分子どもらしく生きておられます。子どもらしく生きることができれば,大人らしく生きることもできます。まだまだ時間がたっぷりあるのですから,長い目で見てあげてください。実のところ心配なのはお姉さんです。「よい子病」の初期症状です。この病気にかかりやすいのは,両親の期待が大きすぎるお子さんです。両親の期待に沿うよう日夜,無理をした揚げ句,ある日精神に異常をきたすのです。そうした心の病を抱えた子が急増している。こんなせりふを言えるお父さんになってあげてください。『そんなに頑張らなくてもいいよ』あまり頑張らせないで」という回答だ。 世の中は,いろいろな人がいてもいい。小さいときから,お手伝いも勉強もしっかりできる子もいてもよい(「よい子病」の心配があるが)。しかしどう転んでも,ほん太が突然,上記の子どもになることはない。12歳になったほん太の人格の基礎は,ほぼ固まりつつある。私の遺伝子と妻の遺伝子、そして現在の環境の上の人格である。よくとも,わるくともこの人格を丸受けして,大人にするほかはない。ほん太の現在の人格を他人と比較しても意味がない。ほん太は,ほん太で「人のために『も』生きていって欲しい」。堂々と自分のもっている個性を十分に活かして欲しい。 いづれにしても子どもから,ぼやっと過ごす時間を奪っているのは,間違いなく,子ども時代をぼやっと過ごしてきた私たち親である。
2006.06.18
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朝日新聞の6月16日,17日の体罰を語るに次の記事がある。「負けるのは指導者のせい。走る前から選手を追いつめていた。『走れんかったら怒られる』と選手は縮こまる。それから殴るのをやめて,練習も選手に任せました。長所を見つけては褒めることを心がけました。するとのびのび楽しそうに,自分から練習するです。体罰に教育的効果なんてありません。生徒は殴られたことだけを覚えています。殴った方もいい気分だったことは一度もありません。」「選手にとってミスは成功より頭に残っているものだ。そこで指導者が頭ごなしにしかっても進歩がない。選手がミスを肯定的にとらえ,前向きにさせることこそがコーチの仕事だ。失敗した時こそ,選手は伸びる好機なんだ。体罰に頼るのではなく,選手の失敗を肯定しながら指導することが,近道だ。」 子どもたちには,上記の指導者のような気持ちでありたい。子どもは叱られる親のために生きるのではない。子ども自身の人生のために生きなければならない。 ところで,今日の夕食の際,昼間の勉強会の話の内容を話した。「これまで労働者を守っている労働法が,労働者を守らなくなりつつあるということだ。採用期間が3年とか,会社が簡単に労働者を首にできるようになるかもしれない。」と説明してやった。すると 「労働者って何」と○ちゃんが質問する。「会社で働いて給料もらう人」と母親が答える。「交響楽団の人は労働者じゃないよね。」とさらに○ちゃんが質問する。「給料もらうから,労働者」とまた母親が答える。私は「これからは,勉強ができるより,生きる力が必要だ。どんなことがあっても,生きる力だ。だから運動をすることは大事だよ。年金もなくなるかも知れないよ。」とさらに説明した。「年金がなくなるなら,孫が必要になるね。」と○ちゃんが答えた。一瞬意味がわからなかったが,直に笑った。「孫が年金の代わりね。」 ますます,息苦しい社会になるのかなあ。明日に生きる子どもたちに,何をしたらよいのだろうか。何ができるのだろうか。
2006.06.17
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昨夕の朝日新聞に哲学者池田晶子の記事があった。(青春時代,いかに生きるか,苦悶して哲学の扉を叩いたことがあったが,扉を開けることなく,ときが過ぎたことを思い出す。)こんなことが書いてあった。 「人間の属性の一つひとつを捨てていって何が残るのか・・・・他者と自分を属性で比べることの空しさに気が付けばいい。」「私はお金に価値を感じない。自らの魂が善いと感じることだけをすればいい。人間,欲をかいてはだめ。自分の欲が自分を不幸にする。」「『舌切り雀』や『花咲じいさん』といった昔話。欲張った人間は,最後はことごとく痛い目に逢ってしまう。」「悩んでいないで,考えなさい。」 私達は,こどもにひたすら無条件に属性を付けさせているのではないだろうか。勉強の強要が教養をつけさせるためではなく,経歴,肩書をつけるさせるためだけの受験になっているきらいある。属性の前に,感性が大事ではないだろうか。日銀の総裁が,村上ファンドに出資していたことが判明し当人は,責任を感じていない様だ。人の上に立つ人,弁明するのは,情けない。公正らしさを疑われるだけで,失脚だ。そんな人がいう言葉に重さはない。 堂々と子どもの宿題をやってあげているお母さんがいる。子どもも宿題をやっても喜んでいるという。過去のことを懺悔して吐露したのではない。現在そして,来年の2月まで,これをつづけるようだ。このことをプログで告白された。今日も学校に当該子どもは宿題を自分の成果物として出しているのだろうか。宿題をやってこないものは,先生に叱られ,あるいは怒られ,休み時間にやらされている。それを当該子どもは平然として見,自分は他の友達を遊んでいるのだろうか。学校では先生から,級友から当該子どもは,勉強もでき,習い事もこなし宿題もやり終える。優秀なまじめな生徒として評価されているだろう。通知表もそのような評価となる。そして,念願の中学にも合格するのだろう。しかし何か,やるせない気がする。毒樹の果実という話がある。樹木の根っこに毒があると樹木が例え,りっぱな果実がなってもその果実には,毒があるとういのだ。無地の少年のこころが・・・・・・ 遠い,遠い将来,りっぱな社会人となった当該子どもにとって,美談か,冗談か,醜聞かこれは,何になるのだろうか。心配である。属性の前に,感性,倫理観が大事ではないだろうか。 追伸なぜ,恥部を告白されたのだろうか。告白されているように悪くないというならば,黙って,内緒にプログに告白せずにやって欲しいね。どんな理由にせよ,プログで告白すべきではないのでは?
2006.06.16
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ほん太は,「担任が1年に10分づつ勉強をふやさなけれはならない。1年生10分2年生20分したがって、6年生60分勉強しなけれはならない。」といって,その分の宿題が毎日出ているという。本人は,大変といいながら,信頼する担任の上記のようにいってクラスの子どもたちに対する思いやりを理解しているようだ。でも口癖のように 「時間がない。時間がない」と一人前の口をききながら,まじめに宿題をやっている。信頼している先生に宿題をやった報告をすることは子どもにとってもうれしい学校の一日はじめだろう。 ほん太にいった。「ほんとうにありがたいね。」「どうして」「宿題をださなくても,先生はだれにも叱られない。でも,ほん太たちのことを思って出してくれてるからね。」例え,ほん太にとって既習で,簡単なことでもやり遂げることに誇りをもっていると思う。ところで, 昨日は,ぽん太の個別面談だった。仕事をやりくりして,学校にいった。担任は「お仕事お忙しいのによく時間をとってくれました。」といわれました。私は,「自分の子どものことですので,時間を作るくのは当然。」と今から思えば,多少生意気に答えてしまった。姉の○ちゃんと異なりぽんた太は,普段からあまり学校のことを話さない子であるが,そんなほん太も,今年の担任とは,馬があうらしく,担任の先生のことをときどき話す。ほん太の日記の作文のとき,作文のノートをみた。ほん太のほとんど内容のない記述について先生の赤いサインペンのコメントが書いてあった。「○○くん。何を書いてもいいよ。書いてくれないと,先生は○○くんと対話がしたくてもできないよ。」というようなことが書いてあった。 その記述から,担任の人となりを連想した。小学校の最終学年にこのような温かい先生に担任になって頂きたいへんありがたいことと思って個別面談に赴いた。このとき,ほん太が代表委員になった経緯を知った。担任は児童会の顧問をやっており,ほん太に代表委員を「やってみないか。」と声を掛けて頂いたからだった。4年のときに代表委員をやったことがあるが,それ以来,人のためにやることはいやだといっていたが,今年,先生の勧めで,本人がその気になって,児童会で頑張ってくれるのは,うれしい限りである。また,クラスでもみんなから信頼されているとか,話合いでは,うまく話をまとめたりしているとか,女の子とも普通に話をしているとか,家では見えない姿を教えてもらった。最後に,担任の方から「特に何もいうことはありません。ただ,最近少し,忘れものがあるような気がしますが,何か理由があるのでしょうか。」と質問された。「これまでは,妻が忘れ物がないようにチェックをしていたようですが,もう,6年のいうことで本人に任せるようにしたからと思います。朝,あれがない,これがないとドタバタすることがあります。私は,ほん太に忘れ物をして,恥をかきなさい。それも勉強だ。」と言っていると答えました。夕食のときこのことを話したら姉の○ちゃんが「おうさん,普通はすいまんせん言うよ。先生に叱れることが勉強だと言わないよ。」といっていた。 担任は,勉学上とくに問題はないようといわれた。それでも私学受験者に比べて学力差は大きい。担任からその事情を知らないで「 受験でもするのか。」と質問されて戸惑った。いずれにしても妻が個別面談に行って,後で報告を聞くよりも直接,担任の先生の話をきくことができて大変有意義な15分間であった。
2006.06.15
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先日,朝日新聞にスポーツの体罰に関して,その原因は勝利至上主義が原因であると書いてあった。なるほど,この勝利至上主義を子どもに置き換えると次のことは当然のことになる。1 塾弁もちの夜10時ころまでの授業2 子どもだけの食事3 深夜までの勉強など生じるだろう。1 について 家から2~3分くらいのところに塾があるが午後5時から10時ころまでの授業と聞いて怖じ気づいた。そこで,この塾に入れるのをやめた。ときどき,妻は「みんな入れているから,入れていいじゃないの。」と今でも言う。2 について夕食時間が6時,6時半,7時,7時半,8時に,子どもの成長ともにつれて遅くなった。そして遅くなればなるほど,団体の会議があっても,食事の時間に間に合うことが多い。したがって,食事は一緒に食べることが多い。会議の後の飲み会も大抵遠慮している。お酒を飲んで,激論をし,またカラオケで歌を歌うより急いで帰って,食事に間に合わんなくても,わが子の様相を見聞しながら食事をした方が楽しい。3 についてほん太は夜10時寝かせている。なお,○ちゃんは,夜10時にはやることがまだ残っており寝ることができないという。上記のことから言えることは,我が家は,家族の団欒至上主義というべきか。
2006.06.14
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姉の○ちゃんが音大の学外発表会のリストを貰ってきた。例年なら,ぽん太もこのリストに名前があった。このリストを見ていたらほん太が,先回りして「発表会は行かない。」という。妻は,笑って「だれもほん太に聴きに行くか,何も聞いていないよ。」と応答している。ところで,この発表会は,希望者全員が出ることができるものではなく,テストで一定の成績がないと出れない。ほん太もぎりぎりの成績で出させて貰っていたのである。ほん太の真意を聞くと発表会に行かない理由は,他の子に会うのが格好が悪いというのだ。私は「自分の意志でやめたのであって,恥ずかしがる必要はない。堂々としていれば,いいじゃないか。もう,みんなほん太のことなど忘れているよ。」といってやった。子どもなりに,プライドがあるかも知れない。ときどき妻は,「もっと早く,バイオリンをやめさせて小3くらいから塾に行かせればよかった。」ということがある。私は「つまらん。」と答える。正確には,私に言いきかせている。どう考えてもそのような気にならなかった。学童期のこの時期に音楽を通じた「健やかな,こころゆたかな成長」を願った。それなりの意義があったと思っている。ところで,他のプログに中学受験,習い事,学校の宿題が大きなテーマになっている。ここの生徒は,受験をせず音楽を継続的に続けるために公立に行く子ども。教室を休室して一時音楽を断念し,私学に進学してから再びこの教室に戻る子ども。それぞれである。優先順位を決めて,音楽を優先するもの。進学を優先するもの。それぞれ,「苦渋」の選択をしているようだ。悲しいかな,これが人生の現実だ。人生は,平等だ。ある途では,あるものを得,あるものを失う。欲しいものを全て手に入れることなどあり得ない。欲張りすぎて,すべてうしなうこともあるかも知れない。
2006.06.13
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嘘をつかないこと,正直であること,これは,明日に生きるこどものためには当然の大人の背中であると思っている。人にとって当然のことで,わざわざこのプログに書くできことでもない。ところで,他のプログで中学受験のためには,学校が出す,「役立たない」?大量の宿題を母親がやっているというものがある。私も簡単な「妥当ではない」旨のコメントをしたが,考慮されなかった。大変残念だ。 昨朝,ほん太に「お母さんが子どもの宿題をやっている人がいるが,どう思うか。」と尋ねたところ,「だめ。宿題は自分でするもの。」と答えた。これが健全な意識だろうなあ。私は安心した。思い出せば,小さいころより,オオムのように親から 「嘘はどろぼうのはじまりとか。」言われてきた。これは,私達の人格の主要な一部になっていると思う。ときどき,仕事上,嘘をつくことを求められることがある。そんなとき「良心の声」が聴こえてくる。「それはできない。」と良心の声が聴こえる。昨春,今、中2の子が小学校を卒業し4月になり,入学式の前「おとうさん,隣の駅に子ども料金で言ってもいい。友達は,子ども料金で行っているよ。」と聞いてきた。私は,「中学生になったから,大人料金だ。わずか70円をごまかしてどうする。情けない。堂々と大人料金を払って行きなさい。そんなお金はお父さんが出してやる。」といった。私は,子ども達が,それぞれ幼稚園から小学校,小学校から中学校に上がるとき,いろいろな場所(列車,劇場,旅館・・・・・)で,未就学か,小学生か,中学生は自己申告になっているとき,このとき,仮に,未就学,小学生と言えば,料金は安くなる。しかし子どもには,「ごまかすこと」,「嘘をつくこと」を覚えて欲しくない。当然に正直に申告している。子どもにもそのように言わせている。子どもと旅行する際も指定券,特急券を買わずに列車にのるときがある。このときは,検札が来る前に自己申告をしている。最後まで検札が来ないこともあるが,当然のことと思っている。 ライブドアの堀江,ファンドの村上の親は,彼らにどんな背中を見てきたのだろうか。 なお,事務所に来るため,自宅を出たとき,サッカーは日本が勝っていた。普段10時に寝るほん太は,4年に一度といって前半の10時45分までテレビを見て寝た。明日6時に起きたら,新聞の朝刊を見て驚くだろうなあ。
2006.06.13
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最近食育に関心をもつようになった。そこで麦を買ってきた。 「刑務所では,米7割,麦3割とか。また江戸時代の庶民は米など食べていなかったといわれていた。さらに白米を食べた大名は顎が小さくなり,短命であったともいわれている。」こんなことを家族に説明をして麦を買ってきた。ご飯に麦を入れて貰った。しかし,麦だけは,食べられない。どうしても,ガマン強い私でも食べられない。全く味がない。 ゴムを食べているようだ。現代は,贅沢な体質になってしまったのか,こんな体質になった自分に悲しくなる。米と麦の割合を刑務所の割合にするとまあなんとか食べられる。これなら,家族も食べられる。歯ごたえがあり,こどもの歯とか,顎の訓練に良いのかも知れないと思った。そして,白米だけを食べると大名になった気分だ。ご飯のおいしさに涙が出てくる。幸せを体感するのにいいことであった。 今度はどこかで「ヒエ」,「アワ」手に入れて,食して見たい。どうなるやら・・・・
2006.06.12
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中2の長女が小学校のとき,身長が真ん中くらいだったのが,みんなが追い抜いてきたようだ。昨晩,夕食のとき、「前から2番目になってしまった。伸びたい」といっていた。「睡眠時間と,運動しないからじゃないの。もっと早く,寝なさい。」と言ってやった。長女は,夜12時ころまで起きており,それから風呂に入ってから寝て,朝6時から英語を聞いているといっているので,著しく睡眠時間が少ない。長女の部屋には,テレビもパソコンもないので,無駄なことで夜更かしをしているのではないと思う。勉強とバイオリン,ピアノが忙しいのだろう。以前,妻に長女の睡眠時間が少ないことについて,注意をしたが「本人が寝ないから,しょうがない。」と答えていた。そんなことからインターネットで身長に関する新聞の記事を入手した。記事は,睡眠,運動などが書いてあった。 今朝,朝食のとき「8時間寝ないと伸びないよ。人間は寝ているときに伸びるよ。また,スイミングでもやたら。」といってその記事を渡した。「8時間ねるのは無理」と苦笑していた。食堂を出ていく長女に「12時前には,寝なさい。」と声を掛けたが,黙って記事をもって自分の部屋に行った。
2006.06.11
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日中,いろいろうまい話の電話とか,セールスがある。外貨預金,債券,投資向不動産,電話料金を安くする方法等々私は,こんな風に断っている。「世の中には,ほんとうに「うまい話」はあるかも知れない。しかし,金は額に汗して稼ぐべきだ。だから,うまい話による利益は要らない。」と私学受験とか,塾の問題は,こんな「うまい話」の様相がある。但し,商品の訪問販売は,金の損得だけの問題である。私学受験問題は,金の問題よりも子供の健全な育成問題がある。「うまい話」はリスクがつきまとう。 外貨預金で元本割れした人,債券が紙になった人不動産収入が激減し,負債を抱える人電話がしばしば途切れる人そして,私学に行って,挫折する人念願の大学に入学し,勉強をしなくなる人ところで,仕事で中高一貫の私学に入学したが,結局中学で退学し,その日暮らしのような生活をしている件があった。親,さらには塾の期待で入学したものの,勉学の進度が早く挫折したようだ。反対に見切りを付けた件もあった。大学の附属中学の生徒が集まらず,予算上の問題からクラスを合同したり,学級崩壊を改善しないので,見切りを付けて公立に転校した件もあった。 「うまい話」を企業は作り,消費者はこれを信じる。少なくとも,「理想の親」?は,当人(こども)の並々ならぬ努力を必要としない「うまい話」に乗ることはないだろう。こどもが努力することは,だれのためでもない。自分のためである。「うまい話」があってもなくても,むしろ「うまい話」など無関係に,こどもは,自分の描く未来に向かって努力するものだ。 わが子に限らず,未来に向かって,人のために「も」努力するこどもたちを支えてあげたい。 こどもたちが,堂々と自らの意志で人の幸せ「も」視野に入れた人生を選択できるこんな人間になって欲しいと願う。
2006.06.10
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ほん太が修学旅行から帰ってきた。わずか2000円のお小遣いで家族全員にお土産とお饅頭を買ってきたのは,優しい子だ。丁度夕方家に寄る用事があり,ベランダから子供たちが帰ってくるのを見て,目頭が熱くなった。わが子の小学校の行事もあと運動会だけか。大きくなったなあ。入学したころは,ひよこみたいに弱々しく,はやく6年生の子見たいに大きくならないか,願っていた。そして,今こうして見ていると,遠くない将来,巣立って行くのだなあ。さみしい気持ちと,たくましく,強く生きていって欲しい気持ちが交錯する。ところで,ほん太は,「温泉はゆで卵の匂いがして気持ちが悪いとして,入れない子がいた。みんなは,我が家ほど温泉は行っていない。楽しくて,一泊二日ではなく,もって長いいい。」といっていた。
2006.06.09
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昨晩の夕食時,先週の日曜日の夜のNHK特集を再生した。「子どもに好きなものを食べさせたらどうなるか。」というような題の番組であった。ある学校の児童の朝御飯が写真であった。「せんべい」「ケーキ」「肉まん」等々驚きてあった。さらに,朝ご飯を食べない児童もいた。子供の食事の内容が動物性たんばく質の過多,脂肪の過多野菜の不足,鉄分の不足等々であった。番組の中で,肥満の子が入院治療する場面では,朝病院の朝食が食べれない子嫌いなものを食べされられた泣いている子本当に,現代の異様な食生活の番組であった。このまでは,子どもたちは,骨そしょう症,糖尿病,脳梗塞,心筋梗塞等が発症するというのである。子どもは,食べたいものがいっぱいある。栄養が偏っている子どもには責任がない。子供に食事を作っている親の責任が大である。番組では当該親は責任を自覚していない。食育を考えて,我が家の子供にこの番組を見せて,よかったと思う。今朝,ほん太は,普通残す,野菜とか,食しない味噌汁を食べた。子供がいなくなった食卓で 妻にいった。「勉強とか,ピアノを叱る必要はない。偏食を叱るべきである。食生活は,子供の未来の健康であり絶対にどんなことをしてでも食べさせなければならない。」と私は,今までは,食事には無関心であったが,これからうるさくいう決意である。これは親として譲歩する問題ではない。私も極力,自宅で食事をする決意をした。
2006.06.08
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ほん太は,昨朝,久しぶりに大変な勢いで母親から叱られ起こされていた。怒鳴り声だ。 早朝6時からピアノ練習をすることになっているのに起きないからである。未明に寝ていた私も当然に起こされた。時計を見ると6時20分だ。たかがピアノのことで怒る必要はないと思ったので,反論した。 「夜,10時に寝かせずに,朝6時に起きないことを叱るのは,不当であり,親の責任であり子どもの責任ではない。」と言った。 これに対し,妻は「放っておくと,練習をしない。今より悪くなる」というのである。 私は日頃から,妻には子どもが,なんでも親にいわれてやる人間にさせたくない。指示待ち人間になる。だから「かまいすぎるな。」「叱ってさせるのは,やめるよう」にいっている。失敗を通じて,学ぶことも大切とも言っている。しかし,なかなか理解をしてくれない。ほん太の姿は,こんな論争に無関係に既に防音室に消えて練習をしているのであるが、たかがピアノのことで,妻とこんな論争をしたのである。子どもは,たやすく約束をする。またたやすく約束を破る。私は子どもが約束を破るのは,生理現象だ。妻は,病理現象であるといって真剣に怒る。難しい言葉で言えば,子どもには,責任能力はないのである。妻には,そんな子どもを理解して,たくましく,健やかに育て欲しいと願っている。 ところで,朝からこんな論争で一日は,はじまったが,昨日は,父親の命日であった。私が小学5年のときだった。二人の子どもも既に小5を超えた。感慨無量である。私の父親を超えて,最低限の親の責任を果たしたと思ったりしている。
2006.06.06
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夕食のとき,人間なにかとりえがあるという議論になった。「(長女の)○ちゃんは,音楽かね。ほん太はなにか,あるかね。」一瞬沈黙・・・・ 妻が「あった。新聞。」という。みんなで,笑った。 食事が終わって,夕刊を手にとったらほん太が話しかけてきた。 「村上は認めているが,堀江は認めていないね。なんで?」「村上は証拠があり,否認できないと思ったから,認めたんじゃないかなあ。」「堀江は,共犯者が認めているから,だめだよね。」ほん太は,生意気に論評する。 今月から毎小をとり始めた。ほん太は面白くないといって,読まない。たしかにあまり読むところがない。3ケ月(6月,7月,8月)予約したが,夏休みになったら,8月だけ,毎小に替えて,毎日新聞にするか。子どもたちが,朝日新聞と毎日新聞をどのように読み比べるのか面白い気がする。ただし,問題は,この計画に妻の同意が得られるかどうかである。
2006.06.05
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今日の午後は,お父さんの会(正式名は103(とうさんをいちまるさんと呼びます)の会)の安全マップ作りで地元を廻った。全然知らない場所が地元で住んでいるのにあった。どこそこに障害者の人がいるとか,いろいろはじめて知ったこともあった。来週は,それぞれが調査してものをもちより,マップ作りが始まる。そして,直ぐに夏の露天映画会の企画もある。 地域,町内会が機能していないこの地区で,私達父親はほそぼそとゆるやかなネットワークを作りたいと思っている。 1ケ月前は校長,教頭を公民館に招いて懇談会をした。こうした活動は,親馬鹿である。こどもたちに親の背中を見せているのである。この地区でこうした活動をしているのは,私達だけと聞いている。少しずつでも広がっていくことを願っている。
2006.06.04
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少年院を見学してきた。責任者は,最近の少年を取り巻く傾向として, コミニュケーションがない。 少年が何をしているか,わからない。 少年が他人の痛みをわからない。 家庭では食事も一人でとっている。など,人間関係の希薄さを述べていた。 生徒の作文があった。 「握手」 面会に来てくれた父さんと母さんと 生まれて初めての別れの握手をした 父さんの手は冷たく 母さんの手は震えていた 父さんの涙を初めて見た 反発ばかりしていた母さんに 「頑張るよ」と素直に言えた 何かだ変わったと思った 渡り廊下で空を見ると 青空に白い雲が浮かんでいた 涙が止まらなくなった 父さん 母さん ごめんなさい 夕食のとき,子どもたちに刑務教官の仕事の意味を説明しこんな仕事もいい仕事だといった。なお,一般待合室にどういうわけか,医学技官の募集のパンフレットが掲示してあった。 私は,少年犯罪は一人の少年(子ども)ばかりの責任ではなく,少年を取り巻く環境もその一部責任を負うべきものと思っている。世界第2の経済大国になったわが国の少年を取り巻く環境は,胸を張ってよい方から第2位と言える国でありたい。
2006.06.03
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よく考える(あるいは迷う)ことがある。他のプログで真剣に受験とかかわりあっているものがある。そんな受験に熱心なプログを読ませて頂くと,私はかならずしも「よい」親ではないと思ったりする。ところで,昨日,次の本を読んだ。 福田誠治「競争やめたら学力世界一」 フィンランド教育の成功(朝日新聞社) フィランドの教育の基本は自分の意思で勉強することを支えるものであり,勉強しない場合は,「放っておく」というものである。子どもは,必ず自分の意思で勉強はするものだという信念に基づいた教育だ。これは,私が日頃考えていることだ。 そんな教育をしているフィンランドで子どもが勉強できたらいいなあと思った。夕食のとき,ほん太に冗談で「フィンランドに留学するか。」といってフィンランドの教育制度を説明してやった。日本に生きる明日に生きる子どもためにフィンランドの教育をもっともっと紹介する必要があると思った。学生時代,スウェーデン語を勉強してスウェーデンに社会福祉を勉強したいと思った。今は,フィンランド語を勉強してフィンランドに行ってこどもに優しい教育学を勉強したいと思った。フィンランド型教育に反対するのは,塾と難関進学校だろうなあ。日本は豊かになった富の一部が塾と私学の学費になっている気がする。(なお,上記の本の内容は他の機会に紹介したい。)
2006.06.01
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ほん太の早起き化によって,私も引きずられて早起きになった。もう遅いかなと思って起きるとまだ7時前で,既にほん太が新聞を読んでいるのである。ほん太に「毎小(毎日小学生新聞)は,どこにある。」というと。「しらん。」という。今日から,朝小から毎小に新聞をかえたのである。ほん太の了解を得て替えることにしたのであるが,見本をみたとき紙面の構成が全くことなり,朝小を見慣れていると違和感がある。そんなことから,いざとることになったとき「毎小は読みたいない」といいだした。ほん太は,今朝,一般紙だけを新聞受から取って,毎小は,取らなかったのである。ところで,小学生新聞は,朝小を6年前,長女が小2になったときから購入した。長女の話では,最初は一日掛けて読んだといっていた。子どもたちが新聞を読む習慣は,朝小から始まったのである。
2006.06.01
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