2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全29件 (29件中 1-29件目)
1
仕事上,今年1年さまざまな人の生活の一旦に触れてきた。心に深く残るある件を思い出す。 母子家庭で子を思う母母を思う子不登校を改善するために施設に入った子が夏休みには家に帰れると頑張っていた。少しずつ学校に行っているようだった。しかし,夏休み前は母親は不祥事を起こし逮捕・裁判になった。子は母親に手紙を出した。「いつ迎えに来るの。」施設では夏は子どもを親元に帰している。帰れない子は,親に事情のある子だ。 子は,また,手紙を出した。「どうして母ちゃん,返事をくれなの。私が悪い子だから。」母親は子どもに理由を言えない。嘘でも手紙も出せない。手紙には点検の印が入るからだ。夏の終わりの8月31日執行猶予がついた。この親子のわずか一日の夏休みどう過ごしたのか,ときどき気になる。
2006.12.30
コメント(0)
正月は,スキーと温泉となった。ぽん太は新潟を主張し,あん子は栃木を主張した。あん子の学校では1月下旬にはスキー教室がある。あん子は,一応滑れるが,予習をしたいという。 そこで,初級者用のスキー場が充実している栃木になった。しかし,昨日現在積雪10センチ滑降不可となっている。ぽん太が,だから新潟の方がいいのにと言っていた。しかし,ほん太に新潟も昨日現在も雪不足であると説明したら納得した。そんなわけで,家族全員で雪乞いをしている。ところで,子どもたちには,雪がなかったらハイキングとか,鬼ごっこをやろうといった。
2006.12.29
コメント(2)
夕食のとき「明日,学校の勉強会に行っていい。」 とぽん太が突然聞いてきた。今日学校でサッカーをやっていて,担任にあったら,明日勉強に来ないかと言われたそうだ。妻に聞くと,担任の先生は,この冬休みに学校で個別指導をしているそうだ。先生は,懇談会で父兄の了解のもと,生徒を指名し補習授業をしているのだ。たまたま、学校にサッカーをやっていたぽん太も先生から声を掛けられたわけだ。本当にいい先生だな。先生が気になる生徒をこうしうた休みに学校に呼んで補習をして,学力を付けさせることに涙がでるくらい,先生の心のやさしさを感じる。こうした先生のもとで,小学校最後の学年を過ごすことができたことは,うれしい。ほん太がこの担任に年賀状を書いていた。「昨年は大変迷惑をお掛けしました。今年は少しにします。」とぽん太なりのジョークであろうか。あん子は,今日は,数学を宿題を一日で終えてしまった。夕食後,あん子は,私を試してきた。 「わからない問題が1問ある。絶対にお父さんにもわからない。」「よし,もって来い。」図形の角度を求める問題であった。内心は少し不安気味であるが平然を装ってなんとか解いた(あー良かった。)。
2006.12.28
コメント(0)
急いで仕事を終えた帰宅したら妻が台所で夕食の支度をしていた。「ほん太,また落ちた。」私は何のことはわからなかった。「今年最後の進級テストだったのに」ようやくスンミングの進級テストのことであることがわかった。そういえば,ぽん太は,「今月は合格するよ。」といっていた。ぽん太の言い分では,ゴーグルに水が入ってしまって背泳の見えなくなって,コースロープに当たったり,ゴールのコンクリートに頭に当たったりしたということだ。ほん太は,来月は合格したいという意欲はあった。「お父さん,週2回にしていい。」「ゴーグルに水がはいたのも,力のうちだ。絶対に合格したいという意欲とそれに伴う練習をしなければ,なかなか無理じゃないか。」「練習をするから,週2回にして。」「じっくり,ぽん太の計画をきいてから考えてみよう。」夏の水泳大会に出た友達は先月合格した。ぽん太にとって,選手コースへの途は遠い遠い途だ。しかし,ほん太なりにその途を目指している。水泳の能力のある子どもからは,はるかにレベルの低い問題だ。限られた環境の中で(両親の遺伝子を含む)努力しようとする姿勢だけは,買ってやりたい。
2006.12.27
コメント(0)
あん子の学校では,農家から農地を借りて,総合学習に利用している。昨日は,その作業の日ということで,あん子は午前中出かけていった。ミミズがいたとか,腰が痛いとか,作業後,先生からおごって貰ったとか,それなりに有意義な農作業のようだ。仕事の途中,農地に横を車で通ったら,作業している学生がいた。その中にあん子がいたわけだ。この農作業は義務ではなく,希望者だけということだ。夕食のとき,一緒に作業している先生のことをあれこれ話している。農作業を通じて勉強では学べない何かを得ていることだろう。ゆとり教育と一貫として上記のような農作業がある。ゆとり教育がなくなるとこのような農作業もなくなるのだろうか。
2006.12.26
コメント(2)
Christmas から Happy Holliday へ昨日は,隠し芸として,子どもたちはリコーダーを吹いた。小さいころは,姉・弟でバイオリンを合奏したが,もう,家族の前で弾くことは,気恥ずかしいことだろう。私も隠し芸をやろうと思った。自宅にトランペットかあるが,それを吹こうと提案したが,全員から否定された。パーティか終わったときあん子は独り言をいった。「サンタの贈りものは,13歳までか。もう,今年からは,来ない。」そんな独り言を聞いて,少しさびしい気がした。あん子も少しずつ,大人になって行く。ぽん太は,サンタの赤い服を着て喜んでいた。
2006.12.25
コメント(0)
昨年,子どもたちは友達から言われてはじめてサンタクロースを疑った。どうして西武の包装紙なのか。なぜ,サンタに書いた手紙をもっていかないのか。これまでのイブの日の出来事をいろいろ思い出し,友達から言われてはじめて疑ったのである。あん子は13歳まで,ぽん太は11歳までサンタクロースを信じてきたのである。「お父さん,今年サンタ来るの。」とあん子が尋ねる。「サンタを疑ったらもう来ないじゃないかな。」「だったら,お父さん何かプレゼント買って」「我が家は,今年からクリスマスは止める。キリストを信じているわけではない。日本は仏教国だ。だから今年から,パッピーホリディーとする。プレゼントは,交換することにする。子どもは,大人にそれぞれ300円くらいのものを買う。大人は子どもに2000円くらいのものを買う。当日,大人と子どもで交換しよう。」 家族みんなに宣言した。今日は,我が家の第1回目のハッピィーホリディーだ。
2006.12.24
コメント(1)
朝,朝8時になっても起きてこないぽん太をについて母親は,冬期講習会に出かけている 受験をする子から,相当遅れをとってしまうと言っていた。真摯に受験をする子は,結果はどうあれこれから最後の追い込みの勉学は財産になるだろう。そのようなきちんと未来を見据えて勉学に励むお子さんは,うらやましい限りである。しかし,そのようなお子さんとぽん太を比較する必要はない。少なくとも,今も幼児性の残るぽん太には,受験は困難であることだ。こんなことを思っていると,昨日の新聞の記事を思い出した。昨日の朝日新聞の人の覧に,「子育てハッピーアドバイス」の著者の明橋大二さんの紹介があった。主張の要点はー子どもが,自分の存在価値を肯定できるように育むこと周囲と比べ,あれもできてないと悩むことはない。ありのままの我が子を認め,時に「あきらめること」も必要。そこから子どもの成長が見えてくるーそのとおりと思う。いろいろ,子育てを模索しているが究極は自己の価値の肯定であろう。現在のぽん太の状態で,受験を強要すれば,自己の価値の肯定にはならない。そして,自己の価値の肯定は,子育てばかりではなく私達の生きがいにも当てはまる。明橋さんの主張に意を強くした。
2006.12.23
コメント(3)
今日は,子どもたちの終業式だ。それぞれの思いで通知表をみせてくれた。私は,成績が悪くても叱ることはない。成績が悪いとするならば,何か原因があるからだ。子どもの意志でその原因を自発的に完全することは困難であろう。子どもに自覚させ,がんばる意欲を引き出させる努力をしたいと思うだけだ。私の場合は,父親が健在のなときは,この日が怖かった。ところで,母親によると,ほん太は今日も5時に起きたそうだ。眠りながらピアノを弾いたいたということだ。そして,6時にまた朝練に行ったそうだ。朝練は1月9日まで休みということだ。ぽん太にとって,こんなのんびり友達に過ごせる日は,一生で貴重なものとなるのかも知れない。もう数年すると旅立ちだろう。
2006.12.22
コメント(0)
一方でビルゲイツのような巨万の富を求める生き方他方でマザーテレサのような博愛の生き方それぞれの途がある。今さら富を得ることは不可能だ。しかし,気持ちだけば,マザーテレサになることはできると思っている。さあ,明日も,そんな気持ちをもって・・・・・・
2006.12.20
コメント(0)
ぽん太午前6時に家を出ていった。私はてっきり学校で野球の練習をするものと思って様子を見に車で行ってみた。夜明け前の学校は静まり帰っていた。人を誘っていると思い寒いので校庭でジッキングをした。走りながら,思い出していた。子どもたちが小学校に入る前,この学校に来たとき大きな運動場にびっくりしたものだ。早く大きくなって欲しいなあ。でも高学年になったら,心配が増えるなあ。こんなことを思い出しながら,暗い校庭を走った。6時30分になっても来なかったので帰った。ほん太たちば,学校が真っ暗なので陸上競技場の空き地に外灯があるのでそこでサッカーの練習をしたそうだ。また,明日も朝6時から集まるそうだ。ところで,先日,校長先生と話す機会があり,こんなことを言われた。「『息子さんたちは,みなんでメンバーを募り野球チィームを作って、校長室に来て,校庭を△小と試合をやるので貸して欲しい』と言ってきました。今思うと○○さん(私のこと)がお父さんの会を作ったりされたからこれを見習っているのですかね。」親馬鹿だか,うれしいことだ。小さいことだが,子どもたちなりに考えたことだ。
2006.12.19
コメント(0)
今日,仕事を終えて朝5時過ぎに帰宅したら,ぽん太が起きてきた。ぽん太に「無理するな。」と言ったが,ピアノの練習をして,6時から7時まで練習をやってきたらしい。明日からは,ぽん太らの野球ティームシイノキーズ(椎の木ーず)のメンバーも朝6時学校に集合して7時まで練習することになったようだ。ぽん太が朝5時に起きると夜9時も過ぎると瞼が下がってくる。私は名誉監督らしいので明日練習を見に行けるよう今日は早くねることにしよう。今まだ朝6時は真っ暗だ。だんだん夜が明けている。そして,朝日を浴びての練習も子どもたちにも感動を与えるかも知れない一人ではじめ,二人になり,そしてメンバーのみんなも参加することになった。明日の朝それぞれの家庭で非日常的な出来事が起きる。
2006.12.18
コメント(0)
先日知人とあったら,お子さんが,ニートをしているという。大変な時代だ。現代の子どもはコミニケーションする能力がないと言われる。そう思うと,思い当たる節がある。当地では小学校は,通学班があり,子どもたちは集団で学校に登校することになっている。朝,待合場所に子どもたちは集まってくる。その集まり具合は尋常ではない。相互に無言である。一切のコミニュケーションはない。時間が来たと思うと無言で歩きはじめる。我が家の子どもたちに尋ねた。「あいさつとか話すことはありえない。」というのだ。人間関係の基本は挨拶だ。お父さんの会と校長との懇談会でも尋常ではない状態について,指摘しても改善する雰囲気もない。そんなわけで,意を決して自治会の役員に子ども同士のコミルュケーションの形成のために何か,大人がすべきではないか,話した。勉強も大切かもしれない。しかし,状況に合わせて,他人とかかわりあう能力が子どもたちはにないのは現実だ。原因を考えてみた。やはり,テレビゲームだろうか。テレビゲームがない時代は,遊ぶことは,人間同士でする以外はない。今は,テレビゲームで一人で遊べる。つまり,私達の時代は通学班の子ども達は,既に遊び友達である。しかし,今の通学班の子ども達は,相互に遊んだこともなく,全くの他人なのである。こんな幼い,コミニュケーション能力の不足がニートとか引きこもりの原因になっているのではないか思うのである。親馬鹿な話であるが,さあ,どんな風にしたら子ども同士のコミニュケーションに寄与すべきか。・・・・・・・・・ ところで,家庭そろばん教室我が家の受講生は,のたりのたりやっている。ようやく20迄の足し算,引き算をやっている。あん子のクラスの数学の一番はそろばんをやっている子だそうだ。あん子も計算力に少し自信があるようだが,その子の計算力はダントツ,凄い計算力だという。丁度今日の朝日新聞にそろばんの意義の記事があった。そろばんができる人と話しているときこんな話をしていた。スーバのレジの間違いをしばしば発見するそうだ。レジの人が読み上げると同時に暗算で計算しているのだ。ほん太はゲーム感覚でやっている。二人の力は,今は10級くらか。急がわ廻れというが,そろばんの復権を願いたい。掛け算とかつ割り算はもう忘れてしまった。子どもたちが,そこまで進んでくれると私の勉強にもなる。そうしたら,電卓の代わりにミニそろばんを持ち歩いて交渉のとき,出して計算したら,どんな風に映るから,そんなつまらないことも思いながら,子どものそろばん練習を垣間見ている。
2006.12.17
コメント(0)
学校の音楽発表会で伴奏をさせて貰って音楽の楽しさに目覚めたろうか。ぽん太は,朝,晩,確実にピアノをやるようになった。自分の意志で防音室に行っている。ときどき母親に教えを請うている。ところで,ぽん太の学校で卒業文集を作るそうだ。「お父さん,何を書いたらいいかな。」「ぽん太が一番やってきたことは音楽だから,僕と音楽という題でこれまでのことを書いたらどうか。」母親が,会話に割って入る。「音楽は挫折したから,書いて欲しくない。」私が反論する。「いずれ小さいころ,音楽に精進したことを忘れる。今思い出して、書くことは,本当の思い出になるのではないか。」ときどき,(ベースギターとか,ドラムとか勉強して子どもたちとジャズでもできたら楽しいだろうなあ)と思うことがある。
2006.12.16
コメント(0)
参議院議員の「福島みずほ」さんのFAXニュースがきた。見出しが「本当に悔しい」とあり,防衛庁が防衛省になったことと教育基本法改正法案が成立したことを嘆いていた。平和を愛する人教育を真に考える人にとっては,本当に悔しいだろう。もし,みずほさんが総理大臣になったら優しい政治が行われるだろう。ところで我が家という国民4名の小さな国のリーダーとして,なお,国民の福祉に尽力しよう。
2006.12.16
コメント(0)
昨日の夕刊に教育基本法が参議院の委員会可決の記事があった。これを読み上げたら一斉に納得できない反応であった。ほん太が,言う。「駅でチラシを貰ってきたよ。国が学校を統制して監視憲法9条の改正をして海外で戦争と書いてあったよ。」あん子が言う。「法律で国を愛せよなんて!」子どもなりに日々新聞の記事を読んでそれぞれの思いがあるようだ。そして,母親も嘆いた。これからの教育はどうなるのだろう。良心のある先生はつらいことになるのだろうか。私は,「二十四の瞳」の大石先生を連想した。ところで,子どもたちは,今の時代をどんな風に思っているのだろうか。いじめ,自殺,受験 我が身の力の無さをを感じる。
2006.12.15
コメント(0)
今日,ほん太は朝5時に起きて,ピアノの練習をはじめた。ビアノの練習を終えたら,サッカーの練習をすると行って出かけていった。7時過ぎに帰ってきた。学校で一人でサッカーの練習をしてきたというのである。一人で運動場をどんな思いでボールを蹴ったのだろうか,と想像してみる。最近,スポーツ選手の本を夢中に読んでいるので,いろいろな選手の少年時代の練習の記述に感化されたのかも知れない。明日はどうするのだろう。
2006.12.14
コメント(0)
教育基本法が改正になると,またひとつ子どもたちに一つのストレスを与える。社会にはさまさまな価値観,考え方がある。この場合は,議論にまかせるべきだ。法律で一方を規定すると社会にストレスが発生する。法律で,国旗を定め,国歌を定めこれに反対するもの対し現在不利益に扱っている。そして,今度は法律で国を愛すことを強制する。教育の現場では,愛国心のテストが実施されればまた子どもたちに一つのストレスの原因となる。他方,,残業規制をなくす労働法が問題になっている。労働法が改正になると今よりも過労死が増えるという。さらに父親が子どもと交わる機会も今よりも減少するだろう。社会の流れは,弱者の保護を忘れあるいは放棄し強者への保護にシフトしている気がする。社会が発展し,弱者,子ども,老人,障がい者そして,その社会に生きる人々により優しいものになって欲しい。現実は,格差社会が広がり,生きることに弱い人間にとって住みにくい社会になってはいないだろうか。こんな中で子どもたちは生きていく。哀しいことだ。先日,生活保護以下の生活の多重債務者と真剣に話し合った。いろいろな心配ごとを述べる。「ところで,世の中で一番大切なものはなんですか。」「命」「だから,何があろうと第1に命を考えなければ,ならない。借金の返済は,命があってからの話だ。」こんな自明のことを再確認するのに議論しなけれはならない。そして理解された後,目に涙を貯めていた。もう一度生きる勇気が沸いてきたようなことをいっていた。
2006.12.13
コメント(0)
作家灰谷健二郎が先月亡くなり,NHKの教育で特集をビデオにとっておいた。昨日ようやく,見終えた。合計4時間だった。灰谷氏からのメッセージは数多くある。私が印象に残ったのは,考える時間ということだ。そして,回り道が近道ということも印象的だった。教師の役割は,子どもの秘めた能力の可能性を見いだすというようなことを言っていた。教師の役割を親に置き換えてもいいかも知れない。灰谷氏のメッセージは,ひと言でいうならば「ゆっくりと急がずに」だろうか。100マス先生の蔭山氏は100マスを急いでやることを強調するので全く正反対の様相に見える。しかし,私は両立すると思う。考える基礎の学力をつけさせることは論じるまでもない。蔭山氏の考えは当然である。しかし,考える力は本来答えがない。自ら,試行錯誤して培うことであろう。答えがあるとしても「仮説」である。ところで親馬鹿な話であるが,先日の日曜日,ほん太が本屋に行こうという。そして,本代700万円の半分の350円を出して欲しいといった。本屋に言って,ほん太は,店員に本を探して貰った。文春文庫「真珠湾の日」(半藤一利著)という本だった。あん子の中学生新聞に紹介してあったそうだ。この本を見てみた。大人が読む本だ。ほん太が読了するのか,疑問であるが興味をもったのは、良いことだ。ほん太の冬休みの課題とするか。私も少し読んでみた。太平洋戦争の真珠湾攻撃の前夜の様相が詳しく書いてある。この本をぽん太が本当によんだら話をしてみたい。
2006.12.12
コメント(0)
佐藤陽子さんのバイオリンコンサートに出かけた。年末の恒例の一つになった。あの気楽なコンサートの雰囲気を聞き逃すと1年間待つのは長い。家族の他のものは,他に予定があった。 一人でコンサートに出かけたのは初めてだ。一人で音楽を聞くのをいいものだ。 このコンサートは気楽なコンサートだ。障がい者の自立施設が企画するコンサートで,今年で4回目になる。普通のコンサートは,咳払いひとつ我慢しなけれはならないほど静寂さを保たなければならない。これは我慢する必要がないのである。障がい者の人も当然にクラシックから縁遠い人も沢山聞いており,気が楽である。当然に未就学児をオッケーだ。素人ばかりであるので,曲の途中であるが,全員が間違えて拍手をしても演奏者も平然としている。池田満寿夫さんが亡くなって10年になるそうだ。最後は満寿夫さんの好きだったチゴイネルワイゼンだった。さあ,年末一つの行事が終わった。・・・・・・ ときどき,コンサートをこんなことを思うことがある。今さら自宅を作りたいとは,思わないがどうぜ作るなら,ミニコンサートができる施設を自前でできたらと思う。 定員は50名くらいである。毎週,自ら企画できから,楽しいだろうなあ。著名な建築家の安藤忠雄の作品に「住吉の長屋」がある。特徴は中庭がある。私には,その中庭がコンサートホールにみえるのである。安藤忠雄の仕事をやった人から聞いた話だ。仕事の精度の要求度が厳しい。その代わり工賃は普通より沢山くれる。相当のお金を覚悟しなけれはならない。宝くじでも当たらないと実現しない夢かも知れない。そもそも宝くじも買わないので,夢以前の問題だ。
2006.12.10
コメント(2)
ようやくそろばんが2個をそろった。近所の文房具屋にそろばんを買いに行ったところ「あったかな。」といって,探してくれた。1個出てきた。この文房具屋の最後の1個だった。夕食後,みんなでやった。正確には遊んだ。母親は,学校でしかそろばんをやっていないので適当なこと(正確には間違いったこと)をあん子に教えている。あん子が電卓私がそろばんぽん太がコンピューターのテンキー母親が問題をだす。電卓とそろばんが答えが一致した。「すごーい」と歓声があがる。そろばんの答えが一致したぐらいで子どもたちは喜んでいるのである。子どもたちがそろばんソフトを自主的にやれば,楽なのだが,そんなわけではないのでしばらく,そろばん教室の先生役だ。そろばんのあたらしい使い方だ。家庭団々のツールとしていいかも知れない。そろばんができるお父さん,お母さんは子どもたちから尊敬されるだろう。今日,町にでるので,後2個かってみろう。いやがる母親も含めて家族全員でそろばんをやったら面白そうだ。
2006.12.09
コメント(1)
勉強の中で国語がもっとも不得意だった。国語の中では,漢文>古典 >現国と現国が最も不得意だ。これに比べてあん子は,国語のテストは,難なくこなしている。夕食のとき,聞いてみた。「どうしてあん子ちゃんは,国語ができるのか。」「お父さんが言ったよ。国語は,きちんと授業のノートをとって,試験の前、ノートを復習しなさいと。」「あはは,そうだったか。」確かに学校のテストは学校の授業から試験がでるからノートを取って,試験の前に復習すれば,いいだけか。当然のことをあん子に言ったところ,忠実に実行しているのである。ところで,優秀な人と出会うことがある。みんな,きちんとノートを取っている。いずれにしても,ノートをとることは,授業に集中していると思われる。いいことだ。
2006.12.08
コメント(0)
本を読んでいたら,象箸玉杯(ぞうちょぎょくはい)という故事があった。中国の故事で,象牙で箸を作れば,その箸にふさわしいサイの角や玉で作った杯,すなわちよい茶碗で食事をしなければならない。よい茶碗で食事をするからには,それにふさわしい美味な料理でなけれはならない。美味な料理を食べるからには,それにふさわしい美しい,贅沢な衣服を着なくてはならない。美しい服を着るからには,それにふさわしい広荘な屋敷に住まなければならない。・・・・・・私なりの理解では,ひとつ身の丈を超えると,身の丈を超える生活が拡大し行く行くはやがて破綻するということだろうか。ところで,我が家の子どもの小遣いは中2のあん子は1100円小6のぽん太は900円
2006.12.07
コメント(0)
口数の少ないほん太だが,6年生全員で楽器演奏をする発表会でぽん太がピアノの伴奏をすることになったという。希望者がほん太以外に3~4人の女の子がいて,オーデションの結果,ほん太になったというのだ。ぽん太は,チンタラ,ピアノを練習しているが,校内では,そんなぽん太も活躍する機会が与えられた。先日,ぽん太と自動車で買い物をした車内でときこんな会話をした。「ぽん太は,いいな。音楽をやっている子は,楽器は一つしかできない。ぽん太は,バイオリンもピアノも弾けるよ。」「そうだね。」「そして,難しい楽譜も読める。」ほん太は黙ってうなずく。ぽん太は,長女とは違って,音楽の道を望まない。それでも培った音楽は一生の財産だ。そう言えば,ぽん太と音大の音楽教室で文字通り机を並べて一緒に学んだ子が毎日学生コンクールのバイオリンの全国上位になったという。ほん太は,このような優れた子と一緒に学べて幸せだ。ぽん太の明日の発表会,のぞいてやりたい。
2006.12.06
コメント(0)
そろばんを購入した。あん子がおもしろいといって,やりだした。夢中になりかけたので,母親から止められた。宿題が沢山あってやれないほん太もやりたそうだった。わたしもやってみた。久しぶりだ。あん子が問題を出した。やってみせた。パチパチ「おお,すごい !」と感動してくれる。 「日本が産んだ文化だよ。ほん太,そろばんと電卓とどちらが計算早いと思う。」「電卓に決まっている。」「足し算だったら,そろばんだ。そればんは,たたくと同時に答えがでるよ。」こどもにそろばんを教える機会を逸したことを残念と思っていた。できることと,教えることは別である。丁度,そればん教育ソフトがあった。短期間で閉店するかも知れないが,子どもたちも興味を示しているので家庭そろばん教室を開業することにした。コンピューター時代だからこそ子どもたちにそろばんが新鮮なものに見えるのかも知れない。
2006.12.06
コメント(0)
最近ぽん太の読書が少しずつ増えてきたようにみえる。そうだといっても本の傾向はサッカー,野球,マラソンの選手とか,コーチ等の伝記などある。帰宅したとき部屋を覗くと,何か無心になって読んでいる姿をみる。ところで,昨日,はじめて,ぽん太とバッチィングセンターに行った。「お父さん何回やさせてくれる。」「1回かな。」「イチロウのお父さんは,何回でもさせたよ。」「アハハ,ほん太,よく知っているなあ。ほん太の様子を見て考えよう。」私はそれこそ何十年ぶり,ぽん太ははじめて空振りと,チップの連続であった。こんな状態で何回もできるわけがなく,ほん太は2回やった。自動車で帰るとき突然ほん太が「最近国語ができるようになった。」と自慢げに話かけてきた。ほん太は小学校低学年のとき,ほとんど本を読まなかった。本は嫌いと言っていた。どうしたら,本好きな子になるか,思案したことを思い出す。一緒に「怪人二十面相」を読むことにした。私も子どもに帰って,明智小五郎のつもりでほん太といっしょに推理したりし,読書のおろしろさを語りあったものだ(私は無理をしているが・・・)(この本には,殺人がなく,読書の入門としていいと思う。)ほん太は毎週土曜日に図書館にいって本を借りてくるようだ。そんな本の中に怪人二十面相のまだ読んでいない巻が借りてあった。
2006.12.04
コメント(0)
世の中で,制度的に良心の自由が保障されている職業は裁判官だ。他の職業にも当然に良心でもって行うべきだが,妥協,譲歩を強いらされる。子どもには,良い心をもって欲しいと願うのは,親として当然である。新聞で「大阪高裁判事自殺=3日前,住基ネットで違憲判決」の見出しがあり,その記事を読んだ。判決後,相当な圧力があったと推察される。多くの人は良心を貫くことができない。良心を貫くことの大切さをこの違憲判決から考えされられたところその判事の死のこ記事に接するのはかなしいものだ。もう定年まで秒読み段階だったのに。命をかけた判決だったわけだ。
2006.12.04
コメント(2)
昨日は忙しい一日だった。午前中は,中学のバサーの手伝いに行った。学校からお父さんのお手伝い求めるとの案内があったので午前中だけ可能と書いて出した。行ったところ,お父さんは私だけであった。餅つきをして,販売する係のお手伝いをした。非日常的な経験をさせて貰った。午後は団体の臨時総会があった。その際,貴重な議論があった。他人の議論を聞くたびに学ぶことが多い。夜は103の会お父さんの会の会合だ。4年前に4人から始まった会も20数名になった。いろいろな思いで参加されていると思う。会社の上下関係とはことなり,一点,子どもが同じ学校に通うという点で集まっている会だ。ほん太と共に卒業だ。会合の際,遺言を残した。やり残したことは2分の1成人式を行うことだ。人生で満10歳の子どもは輝いている。人生に夢をもっている。そんなとき,我が半生を振り返りみんなから成人式のまねごとを2分の1成人式としてやったら,これからの人生の大変な生きる力になると思う。ところで,我が家では,それぞれの子どもが10歳になったとき2分の1成人式を高級レストランでよそ着を着せてやった。それからあん子は4年が経過し,ほん太は2年が経過した。徐々に厳しい現実がある。音楽をやりたい,あん子でも職業としての音楽は厳しい。チンタラしている,ほん太現実はいつまでもチンタラしておれない。10歳のころは,簡単に夢が手にはいると思ったろう。でも簡単に入る夢は,簡単に飽きるのではないか。多くの人は,夢は,夢として終わる。それでも,その過程は,思いでのアルバムのようだ。願わくば,子どもたちには,生涯かけて夢を求めて欲しい。
2006.12.03
コメント(2)
昨日,ぽん太の持久走大会であった。6~70人中の25位だった。目標とした10位以内には届かなかった。野球クラブの子が○君が一番だった。残念の様子のほん太に次のようにいった。「○君は,毎日のように小学校の1年ころから野球で全力を出している。一番はそのような日々の練習の成果である。本気で練習しないと成果はでない。ほん太は一番練習してきたのは,音楽である。もし,ほん太が第1子なら野球とか,サッカークラブに入れたかも知れない。第1子のあん子がバイオリンをやったので,ほん太もやることになった。クラスの中で,練習量一番多い,音楽の能力はあると思う。楽譜を読む能力は誰にも負けないだろう。」あん子の期末テストが終わった。気になっていた英語は,ヒアリング以外は良く出来ていた。あん子の暗記を実行したし努力と少し教えた文法の成果だろうか。ところであん子の国語は,それほど苦労なくこなしている。手前味噌だが,最近までテレビのない家庭環境の影響だろうか。あるいは,音楽を通じて,感じる力がついたものだろうか。今日はいそがしい日になる。午前中はあん子の中学のバザールの手伝い。午後は団体の臨時総会夜はぽん太の小学校の校長との対話と父親の会の忘年会
2006.12.02
コメント(2)
全29件 (29件中 1-29件目)
1
![]()
![]()
