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私の体調復活と入れ替わるように、10日ほど前から母がすっかり食欲をなくし、4kgもやせてしまいました。もともとほっそりしてる母、30kg台に突入か?というほどです。暑さの盛りの入院中、連日通ってくれたりして無理させてしまいましたし。。。体力も落ちてきてるからか、6月頃から何度か、暑さの中の外出後に頭痛がひどくなったり、耳が真っ赤になったりしてた事がありました。あれはやっぱり熱中症だったかもしれません。急いで冷やして水分を取り、横になってすぐ良くなりましたけれど、恐ろしい事です。更に私の入院で、かなりの心労なはず。もっと注意してあげなくてはいけませんでした。ところで、私の病理の結果、原発の肺癌ではなく、13年前の乳癌の転移でした。となると、治療も全然違ってくるのです。原発の肺癌の場合、腫瘍のみをくりぬくのではなく、しこりのある中葉部分全部の摘出が標準となるそうです。乳癌の転移だった場合は、それは遠隔転移ですので、すでに全身に癌が散らばっている状態、なので、中葉すべてを取る意味がなくなります。しこりのみを取ることになります。ということで、手術中に迅速検査を行い、その結果、手術方針は中葉切除から、くりぬきに変更となりました。手術室では、始まる前にあちこち興味しんしんで眺めておりました。9時から開始ということで、8時頃手術衣に着替え、15分には手術室に到着。早速給食当番みたいなキャップを頭にかぶせられ、車いすへ。手術室担当の看護師さんが腰をかがめて自己紹介してくれました。名前を名乗ってくれると、何か安心しますよね。色んな処置をするたび、名前と生年月日を何度も確認されますが、それは必要な事ですものね。今の医療は、今までの経験の上にあるのですから、苦い経験や反省も含めて、防止策なのでしょう。車いすでいくつかドアを通り、手術台そばまで行きます。7~8人の皆さんが、あれこれ準備をしていらして、あいさつ。「チーム一丸となってこのプロジェクトを完遂させる感」というか、慌ただしくもピンとした空気があります。手術は全身麻酔ですが、術後の痛み止めのため、硬膜外麻酔という処置がその前にあります。横向きになって背骨に針を刺すのです。手術台の横のすごく狭い台に横になって、その処置を受けるのですが、あまりに狭いため、私の右腕は台からはみだしていました。若い男性の看護師さん(ドクターかも?)が、その右手に点滴を入れようとしてるのですが、何ともやりにくそう。右手を台にしっかり乗せたらやり易かろう、と私が体を左にずらしてみましたら、「ああ!ありがとうございます。」そしたら、年配の指導教官ぽい先生が、「な~に患者さんに気を使ってもらってんだ^^」私も「いえいえ、あはは」と、手術室も会話満載です。そうそう、手術室では、控えめな音量で映画音楽がかかっていました。これって手術が始まっても流れてるんですか?と聞きたい思いにかられたのですが、アホな質問かも、、、と思ってやめました。硬膜外麻酔の処置は、横向きに寝たままで、別に大して痛くもないのですが大勢で取り囲んで何をされるんだろう?という恐怖心で、痛がりの私は最初コチコチになりました。麻酔の先生は、私の怯えた表情を読み取ってくれたのか、みんなにそうするのかわかりませんけれど、今、何をしているかを細かく口で説明してくれました。「背中をさわりますよ。」「今はさわっているだけですからね。」「アルコールで拭きますから、ちょっと冷たいですよ。」「この部分に針を刺します。ちょっと痛いです。」という感じ。今、何が行われているかわかるだけで、怖さは半減しますね。歯医者さんとかでもそうですね。その後、処置が終わった私は、下に敷いていたバスタオルごと手術台に移され、あとはぷっつりと記憶がありません。すっと、突然意識が戻り、目を開けると、壁の時計が11時25分を指していました。「ありゃ、これはおかしい。」中葉切除だと4~5時間かかると言われていたのに、2時間半しかかかっていない。ということは、中葉切除はしていない。方針変更だな、これは。意識が戻ってすぐに、これだけクリアに考えられるのだから、麻酔の技術も以前とずいぶん違うのかもしれないな。と、そんな事を考えていました。待機していた母とエムコには、その場で結果が伝えられ、私にも、病室(手術当日はICUみたいな所)に戻って程ない頃、先生から結果を聞きました。手術中の迅速検査の結果、元の乳癌組織と一致する。しかも胸膜に無数の微小転移あり。従って、中葉切除は中止し、今回見つかった1.5cmの腫瘍のみ摘出。という事です。レントゲンでもCTでもPET検査でも、1.5cmの腫瘍しか見えていませんでしたから、この微小転移にはがっかりしてしまいました。この先しばらくは抗がん剤治療はまぬがれない事になったのです。続きます。
2011年08月28日
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昨日あたりから、少しづつ痛みが和らいで、日中起きている時間が増えてきました。退院後、すごく右上半身が痛んで、とにかく痛くてたまらず、息するのもやっと。というか、痛くて息ができない…肋骨ががちっ!と固まった感じ。息をするたびに、メリメリ、ミシミシときしむ…特に、げっぷとか咳とか出た時は、飛び上がって悶絶。。。あ、来るぞ、来るぞ、来るぞ、来た! げふ、、ひいいいいいい!!!もう3週間近くもそんな感じだったのが、昨日になって急に楽になってきました。やっと薬が効いたのかしら。この痛み、どうやら、肋間神経痛のようで、担当の先生によると、手術で肋骨の間に器具をガチッと固定させる時に肋骨に沿って走っている神経を道づれにしてしまう場合がありこういう症状が出ることがある、と。時間の経過で良くなるので、お風呂であったまってください、との事。強い痛み止めも座薬もいただいたのだけど、なかなか効いてくれなくてしんどかった…でも、やっと一息ついたわぁ。。そんな時に届いたのが、ブログのお友達MIDORIママさんからの嬉しいプレゼント♪あの、なでしこジャパンの胸元で見たことのあった「黒糖ドーナツ棒」それから大好きな柚子こしょうのふりかけとか、食欲ゼロの日にもご飯が美味しく食べられたんですよ。みどりさん、ありがとう本当に嬉しかったです。 ところで私ね、入院する日に家の庭で、大きな芋虫を見たんですよ。アゲハの幼虫のようでした。何でうちの庭を歩いてるんだろう?ウチにはみかんも山椒もないし、君の食べられそうなものは何もないよ?と忠告したんだけれど、しっかりとした足取りで、物干場を横切っていくんですよ。ぷーちゃんに見つかったら大変だ、と、ぷーちゃんが外に出ないように窓を閉めたりしたんだけど、私は、もしかして、さなぎになるために、さなぎになる場所を探してこの芋虫は歩いているのかなー、と思い、今までも、大きくなるために、自分でえさのある場所を探して、ひとりでがんばってきたんだなー。すごいな芋虫。えさを探すのも食べるのも、さなぎになるのも。さなぎになったあと、脱皮して蝶になるという一大イベントも全部自分で、ひとりで黙々とこなすなんて、すごい。私はといえば、これからまわりのみんなに世話をかけながら食事も洗濯も頼りっぱなし。もちろん治療も、自分のことながら、まわりの人にやってもらうばかりだなぁ。芋虫は立派だ!いや、芋虫だけじゃなく、考えてみたら、虫全般、みんなそうだ。鳥、とか野生動物もそうだ。地球上の生き物の大多数が、自分の事は自分でやってるんだ。その後、あの芋虫はどうなったのかわかりません。無事さなぎになったかな。
2011年08月18日
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おかげさまで、7/30に退院しました。以後ずっと自宅で、寝たり起きたり、起きたり寝たり、3度のご飯だけはしっかり食べて、晩酌も恐る恐る(?)再開、母やエムコに甘えっぱなしの暮らしをしております。すぐにご報告したいと思っておりましたが、なかなか体調も厳しく、また横になっているといくらでも眠れるものですから、PC前に座るのも少しづつ。。。ご心配くださった皆様、ありがとうございました。病院では夜、あまり良く眠る事ができず、悶々とiPodを抱えて過ごしておりました。家に帰ってきてからは、眠っている間、実にはっきりとした夢をたくさん見ました。夫とか、以前住んでいた家、家族、がひんぱんに登場。久々に夢に出て来た夫は、なぜか大量のスーツと共に現れ、クリーニングに出さなくてならないからと夏物、冬物に仕分けていました。う~ん、こんなに大量のクリーニング、まずは今必要な物だけに絞ろう、と私も仕分けに参加するのですが、その上着のポケットに、カラのペットボトルがたくさんねじ込まれていて、はちきれそうになっており私はそれをポケットから引き抜くのにえらく難儀をしているのです。なんでお父さんは、飲み終わったペットボトルをすぐに捨てずに、後生大事にポケットなんかに突っ込むんだろう!と、私は腹を立てています。この夢はどんな解釈ができるのかしら?実に面白いです。もうひとつ、はっきり覚えているのが、昔住んでいた家の事です。しかも、夢の中で、私は完成引き渡し直前の家にタイムスリップしている設定です。今現在の私が、17年程前にワープしています。完成したばかりの家は、目もくらむような装飾品でまた高価すぎると思われる内装、おまけに庭には、青くライトアップされたプールまであるではないですか。もちろん実際の前の家は、そんな高価すぎるものはありませんでした。夢の中の私は、あ~あ、こんな贅沢なこと、なんでしてるの?馬鹿なヤツ。。。とため息をついています。家族が出て来た夢も面白かったです。子供達が通っていた小学校の、多用室っぽい教室に、母と、弟3人、私、がいて、机をコの字型に並べて、話し合いをしています。みんな誠実に一生懸命考えてるのだけど、話し合いは難航していて、なかなか良い結論が出ない雰囲気。。。すると、小学生達がぞろぞろやってきて、この部屋は使うから空けてほしい、と言ってきます。ああそうか、それなら移動しましょう、と我々は理科室に向かいます。理科室には白衣を着た先生が実験をしていて、私たちが座るや否や、すぐに私たちが話し合っていた問題の解決法をフラスコの中からコポコポコポ、とビーカーに注ぎ込んでくれました。私たちは、その鮮やかな手つきに拍手しました。そして、あっさりと解決したことに心から安堵しました。え~と、何で夢の話を長々と書いたのか、私もこんな事を日記に書くつもりはなかったのだけれど、まあ、日記だからいいかそうそう、今朝、ちょっと弱気になっちゃって、「おかあさん、元気になれるかな。。」ってエムコに言ったら、「元気になるって決めればいいんだよ。」ってすぐに返答が。私には元気になるイメージしか湧いてこないよ。とあっけらかんと言ってくれました。おお、そうだった、そうだった!自分で未来を決められるんだった。何か、肩の力が抜けましたよ~。
2011年08月03日
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