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先日、かかりつけの先生に、血液検査の結果を聞きに行きました。私の12年越しの持病は、「橋本病」甲状腺ホルモンが極端に少ない病気です。(甲状腺ホルモンが多過ぎるのが、バセドー氏病)13年前の乳癌の手術の翌年、のどの左右がボコン、と腫れているのを発見し、甲状腺に再発したーー!と主治医の先生にかけこみました。検査の結果、橋本病であることがわかり、一生薬を飲み続けなくてはいけない、と言われました。再発ではなかった事にホッとしましたので、一生薬を飲み続ける事など、なんの苦でもありませんでした。そんなこんなしているうちに、父が倒れ、夫が事故で障害を持ち、直後癌がみつかり、二人を看取り、、、、自分自身の体調などにかまっている暇はありませんでした。そうして数年経ち、生活は落ち着いたものの、今は、仕事場と家とスーパー、三点を結ぶ三角をぐるぐる歩くのみの日々。圧倒的運動不足!!!身体はたるんたるんのぶよぶよ。。。ちょっとの事ですぐ疲れてしまう。肩こり、腰痛、冷え性。そしておまけに橋本病。これは何とかしなければ、と思っていた所、近所にカーブスができたのですよ。カーブス、って何かというと、簡単に言えば、女性のみの筋トレ教室。10種類くらいの様々なマシンを30秒ずつ3周こなします。マシンとマシンの間には30秒の一息タイムがあります。3周終えたら最後にストレッチメニュー。すべてが30分で終えられるのです。30分で、90分のエクササイズに相当するそうです。それを始めたのが11月はじめ。週に2~3回のペースで、仕事帰りに通うようにしてみたのです。約3ヶ月たって、冒頭に書いたとおり、主治医の先生に久しぶりの血液検査の結果を聞いたのですよ。そしたら何と、正常値。もう薬は飲む必要がありません、っていわれたのですよ!カーブスのおかげなのかわかりませんが、私はそう思っています。始めた頃は、半周もしないうちに、くたびれ果てていましたけれど、今では、難なくこなせますし、時々脈拍を計る時間もあるのですけれど、徐々に数字が上がってきました。汗をかきにくかったのですけれど、うっすら汗がにじむようになりました。その他、色々身体に変化が起きてきました。またその事は、ご報告したいと思います。
2011年01月28日
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お正月に読んでもらえたらいいな、と思って家族にプレゼントした本。母には、【送料無料】くじけないで柴田トヨさん、もうすぐ百歳、の書かれた詩集です。テレビで色々な特集を組まれたりして、たくさん紹介されていましたね。母は、NHKの「百歳万歳」の大ファンで、欠かさず見ていますし、柴田トヨさんの報道も、とても興味深く見ていたので、プレゼントしました。とても喜んで、早速読んで、私にも読んでごらん、と言っていますよ。エムコにはこちら【送料無料】10代にしておきたい17のこといよいよ19歳になったエムコは、悩み多き日々。彼女にとって、初の本田健さん本です。すごく読みやすくて、腑におちることが一杯だった、って。今じゃなきゃ分からなかった事がたくさんあった、って。本田健さん、大好き!というエムコ。エムコが今まで素通りだったウチの本棚には本田健さん、たくさんあるんですけどね。エムコと講演会とか行けたらいいなぁ。今の彼女の、ハード過ぎるスケジュールでは、ちょっと無理かなぁ。。。
2011年01月22日
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連日、東京は真っ青な空。今年はまだ雨が降っていません。かなり乾燥しています。そんな中、府中の大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)に行きました。ここへは、赤ん坊だったエムコのお宮参りに来て以来、19年ぶりのお参りです。エムコは、元日から連日深夜帰宅のハードスケジュールです。初詣も行きたいけど行けない状態なのですよね。友人たちの間で、厄年の話題が出てるみたいで、19歳は女の厄年!エムコはすごく気にして、厄よけに行きたいよ~、と年末から言っていました。全然無頓着な私が、重い腰をあげて調べてみた所、(というか、電車の吊り広告に載ってたのを見ただけなんですが)エムコ、もう後厄も去年で終わってました。。。数え年でするものなんですね。生まれた時を1歳と考え、1月1日に一つ年を取る、という数え年ですので、12月30日生まれのエムコは、2日後の1月1日にはもう2歳、という事になるんですよね。「もう3年も初詣にも行ってなくて、 神様怒ってるかな。。。。」とつぶやくエムコ。神様は怒ってませんからっ!頑張って働いている人を怒る訳ないじゃないですか、ねえ。
2011年01月07日
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今日は、母と近くの白山神社にでかけてきました。ここは歩いて行けるのに、初めて来たんですよ。いいお天気で、清々しかったです。さて、今、かっこちゃんの新刊「満月をきれいと僕は言えるぞ」を読んでいる所なのですが、 アマゾンで購入できます。→その紹介はまた次の機会にして、今日のかっこちゃんのメルマガをぜひ紹介したいと思います。長いですけれど、以下に転載します。読んでいただけたら、ありがたいです。 あるお嬢さんのお母さんからメールをいただきました。お嬢さんが、夏のある日、お母さんにメルマガの日記を印刷して見せられたのだそうです。その日記は下のような日記でした。夏のモンゴルへの旅のあと書いた日記です。・・・・・・私はもうひとつ、旅の間中考えていることがありました。毎日メールをくださる方に、どうしても、私の思いをお話ししたいと思っていたのです。これまでも、何度もそう思いながら言いだすことができなかったけれど、旅が終わったらお話ししてみよう。自分の思いを伝えてみようと思っていました。 その方には、お嬢さんがいらっしゃって、過失による事故で、今はベッドに寝たきりになっておられるのだそうです。どうしても、事故を起こされた方を許すことができなくて、もし、事故に遭っていなかったら、今、お嬢さんは、就職もし、結婚もしていただろうと思うと、相手が幸せになるのが我慢できないとメールに書いておられました。そして、保険金以外に、毎月必ず同じ日に、同じ時間に、病院に来て、謝ることというのを、条件の一つにされたのだそうです。旅から帰ってパソコンをあけると、その中に、その方からのメールがありました。「・・・どんなことがあっても、必ずその日のその時間に病院に来るというのが 条件だったのに、今月はどうしても来れないので日を変えて欲しいと 加害者から電話がありました。 そのようなことは許されることじゃないということが、 加害者にはわからないのです。どんなに大切な予定であろうと、 将来に関わることであろうと、加害者にはそのような未来があって、 被害者はただベッドの上で寝ているだけ。 せめて月に一回のその日くらい、どんなことがあっても、 償うということができないのかと 腹立たしく、申し出は断りました。 私たちには一生幸せなんて来ないのに・・・ 幸せになる方法があったら、教えてほしい。 私はいつもそう思っています。・・・」いただいたのは、旅の間に決めたことを、お話ししたらいいよと誰かがそう言っているようなそんなメールでした。「私は幸せになる方法、わかります。知っています。 相手の方に“もうあなたは充分つぐなってくださったから、 もう私たちのことは忘れて幸せになってくださいね。 あなたの幸せを祈っていますね”とお話しされること、 そのことのように思えてならないんです。 私はそのことで、きっときっとお二人が幸せになられると信じます。 お嬢さんとお二人、どんなにおつらい日々を送っておられるだろうということ、 私、充分わかっているつもりです。けれど、私は恨んでいる間は、つらくて、 幸せには決してなれないだって、知っています。知っているつもりなんです。 メールをいただいているうちに、どんどん大切になったから、 私、旅の間中、帰ったらそのことをお話ししよう。 勇気を出してそうしようと思っていました」書いてからもまだ、迷って、でも、エイっと送信ボタンを押しました。今日一日、「どんなふうに思われただろうか?怒っておられるだろうか?と何度も考えました。けれど、すごくうれしいメールをいただいたのです。私うれしくてうれしくて泣きました。・・・・・・ かっこちゃんからのメール。いったいかっこちゃんは何のつもりなんだろう。 何を言ってるのだろう。話にならないと正直思いました。 それなのに、私自身、メールを閉じて、娘とテレビを見て、 テレビを消して、ふと、相手に電話をかけてみよう とそんな気持ちになりました。 そして、電話をかけたあと、私自身もわけがわからなくなって、 口走っていたのです。 「もういらっしゃらなくてもいいですよ。充分償ってくださったのですから、 幸せになってくださいね。私もあなたの幸せを祈っています」 と言いました。 おまけに私は 「あなたのご両親も本当に良い方ですから、あなたの幸せを祈っているでしょう。 長い間ご両親にもあなたにもつらい思いをさせてしまってごめんなさいね」 と言いました。 いったい私のどこにそんな優しい言葉があったのか、 自分でも驚いています。電話の向こうから嗚咽が聞こえました。 私も言葉が続かなくなって、受話器を置きました。 置いたとたんでした。不思議なことに、かっこちゃん、 受話器を置いたとたん何が起きたと思いますか? 今まで感じたことのないような幸せな気持ちにつつまれて、 胸がいっぱになって、娘を抱きしめて泣きました。「よかったんだね、これでよかったよね」と言うと、娘が「ママ、よかったね。ママ、よかったんだよ」と言いました。 娘は「もういいよ」とこれまでも何度も言っていました。 でも、私は許せなかった。 娘は、また「ママ、よかった、本当に」と言いました。 かっこちゃんは、こうなることがわかっていたのですか? 見えていたのですか? テレビを見終わったあの一瞬に何が起きたのか、 何か導かれるようにかけてしまった電話ですが、 もし、体の不自由な宮ぷーのところに毎日欠かさずに出かけている かっこちゃんでなかったら、私はこんなこと絶対にしなかったはずです。 これから、今日のことを後悔することがあるでしょうか? まだ実はわかりませんが、私が口から出た 「今までごめんなさいね」の言葉は かっこちゃんの言葉でなくて、私の心から出た言葉であるならば、 私の中にも実はそんな心が残っていたのでしょうね。・・・・・・・私も一緒に泣きました。そうですよね。恨んでいては決して幸せになれない。自分がつらいときに、相手も辛ければいいなんてことあるはずがないですもの。私はお二人が本当にすごいなあと思います。「ごめんなさいね」とおっしゃっられたこと、私、本当に尊敬します。今日はそんなうれしいことがありました。 病院に行ったら、宮ぷーは熱がありました。でも、宮ぷーにこの話をしたら、喜んでいたよ。よかったねって喜んでくれて、私もうれしくなりました。昨日、おしっこにもろもろがまた入っていたので、それで熱が出たのかなあと思いました。熱が下がりますように、つらいのが、なおりますように。・・・・・・・それが夏のある日の日記でした。その日の日記のことについてメールをいただいたのです。・・・・・ 去年の夏ごろだったと思います。過失の事故のために、娘さんが障害者になり、 お母さんが、相手を許せなかったのに許したという日記の印刷をしたものを、 娘が私のところに手紙と一緒に送ってきました。 「そろそろお父さんを許してあげてください。 お母さん、恨んでいる間は幸せになれないと私も思います。 ずっとそのことをお母さんに伝えたかった。 けれど、毎日読んでいるかっこちゃんの日記に力をもらって、 今日お母さんに伝えます。どうぞお父さんをもう許してあげてください」 主人は、娘たちがまだ小さいときに他の女のところに行くようになりました。 そして、時折帰って来ては、また他へでかける月日が続きました。 仕事と嘘をついて出かける主人に愛想をつかして、私は子供たちと家を出ました。 私はそれから、女手ひとつで子供たちを育てました。 主人は他の女の人とは、しばらくして、縁を切ったようで、 何度も戻ってくるように私のところへ電話をよこしましたが、 私はどうしても主人を許すことができずに、20年という歳月が経ちました。 ところが、去年の春、私は発病しました。病名は乳癌でした。 手術をして、抗がん剤を投与しながら、家にいたときに、娘が持ってきたのが、 かっこちゃんの日記でした。娘の手紙に、何をいまさらという気持ちがありました。 けれど、娘に内緒でこっそり日記を登録しました。 懸命にリハビリをされる宮ぷーさんとかっこちゃんの毎日を知るうちに、 私が、主人を恨みに思うことがいつのまにかばかばかしいことのように思えてきました。 そんなときに、主人から、 「どうぞ僕のことを許して下さい。あなたが病気になって、 いっそうあなたのことを大切に思えます」 とはがきが来ました。 私は、主人がいなくなったときも、家を出たときも、 癌が見つかったときも泣きはしませんでした。 けれど、主人からのはがきを読んだときに、年甲斐もなく大きな声をあげて泣きました。 そして、「私こそ、長い時間、つらい仕打ちをしてしまったことを許して下さい」 とはがきを書いて投函しました。 かっこちゃん、長々と書きましたが、今年のクリスマスとお正月は 主人、娘、息子、私と4人そろってすごすことができました。 かっこちゃんと宮ぷーさんに心から感謝しています。 癌は私の恨みから来たもののような気がしてなりません。 もちろん癌という病気がそれだけではない理由の方もおられます。 私の場合はそうであった気がします。 今は癌に感謝しています。私は子供たちが小さい頃は、 主人を許すことが、私の芯が崩れて、子供を育てられなくなるような気がしていましたが、 娘に教えられて、今の幸せがあります。 癌になったことで、おそらくは気弱にもなっていて、 主人の優しさが身にしみたのでしょう。 考えれば主人が他の女の人に走ってしまったのも、私が子供に夢中で、 主人に冷たく当たったことが原因だったのに、 主人はそんな私をずっと許し続けてくれていました。 主人のことをこれからは大切にしていたい と思います。お二人のことこれからも応援しています。 花より ・・・・・花さんからのメール、うれしいです。幸せな空気が、私のところにまでやってきて、私もすごくうれしくなりました。ああよかった。よかったです。ありがとうございます。そして、思いました。夏のお母さんと娘さんのできごとが、それだけでは終わらなくて、こうして、また違うお母さんと娘さんが、「幸せです」っておっしゃることにつながっていく。みんな一つのことはそれだけではないんだなあと思いました。どのことにも、神様の計らいがあるのなら、みんなで、ひとつの命をあすへ向かって生きていられるようなそんな気がしました。明日もみなさんにいいこといっぱいありますように。どんなことも、全部いいことにつながっているから大丈夫ですね。かつこプロジェクトのページ(こちらでかっこちゃんのメルマガ登録=プロジェクト参加できます)http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html宮ぷー レッツチャットで、今日もおはなし http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/おはなしだいすき http://ohanashi-daisuki.com/
2011年01月05日
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明けましておめでとうございます。東京は、穏やかな天候のお正月です。皆様、どんな新年をお迎えでしょうか??さて、我が家では年末に、大阪からジャンが帰省しましたよ。ちょこっと痩せたようで、元々スリムなのに更に小顔になり、仕事がなかなか大変な感じ。エムコは、3年連続クリスマスも誕生日もお正月も仕事。元日から早朝勤務です。ただ、31日だけはお休みで、仕事仲間からサプライズで誕生日プレゼントを貰ったり、中学の友人達が、ケーキを持って遊びに来てくれたり、嬉しい一日だったようです。しかもお兄ちゃんから、初めてお年玉を貰って大喜び家族揃ってご飯を食べられたのは、大晦日だけでしたが、仕事頑張っているんですものね。家族は応援するのみです。今日は母と、テレビの前で箱根駅伝の応援。(ジャンは高校サッカー観戦に行きました。)若い人たちが、練習の賜物を頑張って発揮してる姿は本当に素敵で輝いています。新年の箱根駅伝は、毎年見逃せません。明日も釘付けで応援予定。一年って、短いようだけど、やっぱり盛りだくさんに色んな事があるし、思ってもみなかった事が起きて、思うように行かなくて、気持ちが萎えてしまう事もありますよね。自分の心を上手にコントロールできるよう私が心がけている、暮らしのコツ3か条を紹介しますね。その1 自分の身に起きたことは、誰のせいでもなく、 自分が選択したこと、と潔く受け入れる。 今後、どうしたらベストになるのかな、と いうことだけ考える。 ああすれば良かった、こうしなきゃ良かった、とかは考えない。その2 間違いや失敗は、出来る限り早い段階で認め、 力一杯謝罪する。 それで、かなり楽になれます^^ 自分の傷も、人への迷惑も少なくて、 早く回復します。 隠蔽工作はストレスの元。その3 笑い&ありがとう。 質の高いお笑いでわはは、と笑う。とまあ、気の向くまま書いてみましたが、とにかく、たまの更新となるとは思いますが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。良い一年にしましょうね!!
2011年01月02日
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