わたしのこだわりブログ(仮)

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2009年06月19日
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カテゴリ: トイレについて

​​ ​マリーアントワネット関連back numberのリンク先をラストにさらに追加しました。​

びっくり フランソワ・ブーシェ(François Boucher)の作品の中から衝撃の絵を発見しました。
これで全ての説明が付きました。 客人は持参のオマル? の下に写真追加。

星 ​​ 写真を入れ替え、増やして編集し直しました。 全面改訂です。
「マリーアントワネットのトイレとベルサイユ宮殿の事情」初期も初期に書いた、つぶやきに近い物が、毎日一番多いアクセスをいただき恐縮です。長らく避けてきましたが、写真だけでも入れ替えをと見たら、中身も
とてもはずかしい内容で。 (* v v)。ハズカシイ 
やはり直したくて仕方無くなりました。ぽっ

​​

前作では、ベルサイユ宮殿は入場料を取る上にトイレも有料と言う事を書きました。
トイレ代金はトイレ管理のおばさんへのチップとして徴収されていたのですが、おばさんがチップの金額をごまかすのを防止する為に領収書を発行していたのです。
それが ​2018年くらいに新たな無料の大きなトイレが王の前庭の地下に造られ、渋滞の大幅改善がされたようです。​
​入り口はガ ブリエル翼と旧翼の両方からアクセスできる と言うので、個人入場口と団体入場口の両方から入れるトイレらしい。​
とにかくベルサイユのトイレは評判が悪かったのです。
最も、このトイレも庭だけ見学の人は対象外らしく、城への入場料を支払った人のみと言う事らしい。


新 マリーアントワネットのトイレとベルサイユ宮殿の事情

トイレ事情の悪いフランス
ベルサイユ宮殿のトイレ事情​​
マリーアントワネットのトイレ
シオン城のトイレ
​​​​客人は持参のオマル?
ルイ14世は「最高の香気を匂わす国王

1778年マリーアントワネット22歳の肖像画

マリーアントワネットが王妃になるのは1774年。18歳で王妃にびっくり
こちらの写真はウイーンの美術史美術館から 持ってきました。
実家に送られたマリーアントワネットの肖像画で、ルイ16世と対になっています。
ベルサイユにも同じ物があるようですが、こちらは大きい作品です。本物であるのは間違いないです。​



​​
トイレ事情の悪いフランス
そもそも、 フランスと言う国自体、公共のトイレが今現在でも非常に少ない国 です。
地下鉄駅にトイレは存在しないし、フランス国鉄の大きな駅でさえ、個室が僅かの有料トイレが一つある程度です。
※ ルーブル美術館の駅だけ外に個室の多い有料トイレがありました。
デパートもそうです。各階にトイレは無く、1階おき。男性はさらに数が少なかったと記憶しています。
また、必らずと言って良いほど壊れて使用できないトイレが複数存在するのでフランスでトイレはどこも行列です。
​​ ​​そう言えば、シャルル・ドゴール空港でも、真ん中あたりの地下に一つとそこまで行くのに大変でした。
※ 一つと言う事はないでしょうが、トイレまでの距離がありすぎるし、必ず待つ事になるので時間がね。

​パリの街は今でこそ下水道がしっかり完備されましたが昔は汚水を窓からバケツで投げ捨てていたらしい。​ ​汚物がはねてドレスが汚れる事も・・と読んだ記憶があります。
近年まで下水道の整備が遅れていたのかも しれません。​

私が初めてパリに行った時、街は犬のフンの悪臭だらけでした。今はフンの清掃が年中来るし、下水溝の間口が広くされ、いっきに洗い流すようにされてパリの街においては、臭い事は無くなっています。

が、問題は他にも。
この国はトイレが少なく、しかも有料が基本の国なので必然的にトイレでしない人が多い のです。
同じフランス語圏のベルギーもそうでした。街や特に地下鉄などの地下道が臭いのです。掃除が行き届いていない事もありますが・・。
これではペストも流行るよね ・・と思うわけです。​

そんな訳でフランス旅行はトイレ・ポイントを考えながらプランを作る事をお勧めします。スマイル

因みに、団体旅行でトイレ付きのバスと言うのがありますが、これもあてにできません。運転手がトイレ掃除が嫌でトイレを使用させない事が多々あるそうです。

王の前庭からの王宮

この地下に2018年頃、大きなトイレができたらしい。入城者は無料。
下の写真のみウィキメディアから借りてきました。


​​
「ベルサイユ宮殿にはトイレが無かったので臭くて汚かった。」と言うのは、大方の所では当っていると思います。
王や妃の場合は自室の領域に便座トイレの個室がある のを私も見た記憶があります。
だから全くなかったと言うわけではないのですが、 汚水を処理する下水の観点から見ると、やはり無かったと言える と思います。
そもそも近年でも来客用のトイレが宮殿内に設置できなかったのは、そう言う場所が無かったと言う事を意味しているのでは無いでしょうか?

ルイ14世時代には、ルイ13世の小城館とル・ボーの新城館の中庭に面した場所に「キャビネ・ドゥ・シェーズ」(椅子の間?)と呼ばれる小さな小部屋があり、シューズ・ペルセ(便座椅子)が置かれていて、ルイ14世の専用トイレだったと言われています。​​

ルイ15世の時は寝室の隣に上げ蓋式の便器を備えた部屋があったそうです。これは城見学に行くとよくあるパターンで、私も見た記憶があります。(捜したが写真が無い)

​​ルイ16世の時は? 「水洗式のトイレを使用していた。」などと言う説もありますが、文献がないのでわかりません。
本当に水洗であるなら、下水道が無ければならない。そのような施設がどこにあったのか? どこに汚物を流したのか? と考えると不自然な気がします。
ベルサイユは庭の噴水の為に遠く川から水を引き上げていました。水道の方は説明できなくは無いですが・・。
ローマ水道の時に紹介したように、水洗トイレは上下水道が完備された時に初めて機能するものだから。

プチトリアノン(le Petit Trianon)にある王妃の部屋の中にマリーアントワネットも使用した木製便座のトイレがあります。ガラス張りで中までのぞけませんが、水洗には見えません。

横の小さな穴の方が気になります。そこから水でもそそいだのでしょうか?

トイレは王妃の部屋に付随している。

ベッド類も再現物のようです。また。テキスタイルもちょっと現代風でいただけない貼り方です。

​​​​​ついでにプチトリアノン(le Petit Trianon)のロビー吹き抜けです。

ルイ15世がポンバドゥール夫人の為に建設したものの、間に合わなかった建物 です。でも ロココでなく、新古典様式の建物です
最初に使用したのは次の公妾(こうしょう)デュ・バリー夫人(Madame du Barry)。ルイ15世が病気で倒れるとデュ・バリー夫人は宮廷から追い出された。
その後、1774年から1789年までマリー・アントワネットが使用。


シオン城のトイレ
さて、一般のトイレですが、何百人も集まるパーティーなどにおいて、客人が使用するトイレは下水の観点からも無かったと言えます。
ただ、使用人達が使用していたであろうトイレはあったはずです。
写真を捜しましたが、無くてしかた無く中世のスイスの城から持ってきました。

木製になっているだけで古代の石のトイレと似てますね。ただ、あちらは水洗でしたが・・。

スイスのモントルー(Montreux) のレマン湖畔にあるシヨン城(Château de Chillon)の兵隊達が使用したトイレです。
トイレと言った個室ではなく、煖炉もある広い部屋の一画にあり穴の下は下界です。

シオン城の写真はウィキメディアから借りてきました。
自分の写真は全景が入っていなかったので・・。
前の湖はレマン湖です。


客人は持参のオマル?
基本的にトイレは椅子型の場合も、オマル型、あるいはし尿ビン型にしても一時的に受けるもので、中身はどこかに棄てなければならないもの でした。
また、用を足す部屋があったか? 無かったか? と言うなら、客人用には無かったようです。
「274の便座椅子がある」と書いてあった本がありましたが、全くもって確証がとれません。

招待を受けた紳士淑女たちは、香をたいた携帯のMy便器を持参 したと言われています。
でも、その 中身は従者が庭に捨てていたから、ある廊下のはずれは「汚物で沈んでいた。」とまで書かれていました。
一晩のパーテイーに100人来たとして、その従者などいれたら400人以上。確かに一晩で汚物まみれになりそうです。
故に、 ベルサイユ宮殿が汚物にまみれて汚く悪臭を放っていたのは本当なのでしょう
だから宮殿南の翼にオレンジの果樹園を置いて空気を浄化しようとした。とも言われています。

フランソワ・ブーシェ(François Boucher)(1703年~1770年)    写真はウィキメディアから

英語版で見つけました。1760年頃の作品。
今はプライベート・コレクションとなっています。
載せて良い画像か少し悩みましたが、これは当時の風俗が解る貴重な資料と思い掲載しました。
何より驚くのは、これをブーシェが描いていたと言う事実。
ヽ(・_・;)ノ ドッヒャー  衝撃でした。
何でこんな絵を描いたのか? また描かせたのか? この女性の羞恥心は?  (;^_^A

それにしても女性の場合はこんな感じだったのですね。取ってが付いたスープ皿のような受け皿ですね。ぽっ ドレスが汚れそうです。

これの中身を従者が庭に棄てに行っていたと言う事なのでしょう。
住居している人の汚水処理のタンクはあったのかもしれませんが、ベルサイユにそれらを棄てる場所が公式にはなかった。また、汚水はおそらく畑にまかれるとか、遠くセーヌ川まで運ばれて棄てられていたのではないかと結論できそうです。





こうした衝立(ついたて)の物影でスカートの中にオマル入れたのですかね。
それくらいの羞恥心は欲しいところです。ぽっ

フランドル産に比べたらたいした事ないと思ってしまう。


​​ ルイ14世は「最高の香気を匂わす国王
と呼ばれていた。
それは、 糞便の悪臭をごまかす為に大量の香水をつけていたから だと言われています。
​​
​​その理由は、 下絶えず下痢状態で1日14~18回もトイレに行ってい

ルイ14世は 主治医によって抜歯されていた為に​​
歯が無かった。 咀嚼(そしゃく)ができないから消化を助ける為に 下剤を飲まされていたからだと伝えられている。
香水が最も発達したのはこの頃 なのだと言うのも納得ですね。​


フランス人は昔からトイレに対して、前向きな取り組みをした事がないように思えます。
「取り立てて考える必要の無いどうでも良い事象 ? 」当時のエピソードを聞くと、もよおした所がどこかにかまわず、そこをトイレとしていたようです。
羞恥心の生まれた18世紀からは「しないような努力と我慢の歴史」となったらしいが・・。

最後にマリーアントワネットが使用していたであろう食器を紹介しておきます。
今後で使用する事もなさそうなので・・。セーブル焼きの磁器?


ティーカップでなくてエッグスタンドにも見えますが・・。





まだ完成されていないと言うか手作り感が凄く見えますね。
ドイツやイタリアに比べると磁器造りもおくれているようです。磁器の元となるカオリンはベルサイユの近郊であるセーヴルで見つかったそうです。でも当初は技術が追いつかなかったとか・・。

トイレ、あるいはオマルの写真がまた見つかりましたら追加しますが、城など行っても、なかなかトイレまで修復していないので無いのが現状です。
おわり

マリーアントワネット関連back number
リンク ​ マリー・アントワネットの居城 1 (ウイーン王宮)
リンク ​ マリー・アントワネットの居城 2 シェーンブルン宮殿と旅の宿
リンク ​ マリー・アントワネットの居城 3 ヴェルサイユ宮殿の王太子妃
リンク ​ マリー・アントワネットの居城 4 ベルサイユに舞った悲劇の王妃​

back number
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 10 ルイ16世とアメリカ独立戦争とマリーアントワネットの村里
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 9 (ポンパドゥール夫人とルイ15世)
リンク ​ ベルサイユ宮殿番外 サロン文化の功罪(サロンと啓蒙思想)
リンク ​ 新新 マリーアントワネットのトイレとベルサイユ宮殿の事情
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 8 (王のアパルトマン)
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 7 (王妃のアパルトマン)
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 6 (鏡のギャラリー)
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 5 (戦争の間と平和の間)
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 4 (ルイ14世と王室礼拝堂)
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 3 (バロック芸術とは?)
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 2 (入城)
リンク ​ 新 ベルサイユ宮殿 1






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Last updated  2023年05月28日 01時54分49秒
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