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【粗筋】 江戸屋敷で。殿様は月を隠す松の位置を変えたいと思うが、先祖手植えの松だから枯らしてはならない。家老の三太夫、「餅は餅屋と申しますから、松のことは餅屋に相談致しましょう」……三太夫さん、粗忽者なのだ。植木屋を呼んで話をさせるが、「おったてまつる」言葉を使うよう言うから通じない。結局松を移しても枯らすことはないと請け負われ、酒をふるまって無礼講となる。そこへ、国元から手紙が届く。三太夫が開くと、「国表において御殿様姉上様御死去」とある。すぐ殿様に知らせるが、亡くなったのはいつかと聞かれ、置いて来た手紙を確認しようと戻ると、「御殿様」ではなく「御貴殿」、つまり殿様の姉ではなく、三太夫の姉が無くなったのだ。切腹を覚悟して殿様に報告すると、殿様も激怒して、「切腹申しつける」「ありがたき幸せ」と屋敷に戻って腹を切ることにして殿様に別れを告げると、「いや、待て、切腹には及ばぬぞ」「何故でございます」「よう考えてみれば、余に姉はなかった」【成立】 17世紀の朝鮮、洪万宗の笑話集にあるが、日本の落語を持っていた可能性もある。前半がタイトルになっているが、「妾馬」と同じような武家と町人のやり取りで目新しさもない。後半だけを演じて「主従の粗忽」という題も。三遊亭小円朝(2)が得意としていたというが、立川談志以外を聞いたことがない。談志の殿様、いない姉を思って涙を流すからすごい。
2026.09.27
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【粗筋】 明和2(1765)年、金森家の重役だった粥河は、芸者の小兼らと池上本門寺詣で、茶店で働く元の主人の娘・お蘭に会う。浦賀の名主役・石井山三郎と江戸屋半治が来て、山三郎はお蘭の母が病気だというので茶代を多く置いて行く。申し訳ないと思ったお蘭が追って行くが、侍に襲われて金を奪われるが、お蘭は粥河に救われる。 元按摩医者の真屑周玄が間に入って粥河とは無理やりお蘭と結納を交わす。 山三郎は川崎の宿で半治と馴染みの小兼を引き合わせる。泊まり合わせた饅頭商の井桁屋米蔵が、隣の侍が荷を盗んだと訴える。荷を改めるが何も見つからず、山三郎が仲介に入るが、荷の中に自分の金入れを発見し、侍はすごすごと退散する。 2年後、小兼がお蘭を訪問、粥河がずっと留守であると聞いて、一緒に鎌倉にあると聞いている屋敷へ向かう。途中で井桁屋の女房・お直に会って、屋敷を探し当てる。お蘭は本棚にある隠し戸を見付ける。帰った粥河が又すぐに出かけるのを不審に思い、隠し戸の奥を覗くと、粥河、真葛らが集まっていて、女が縛られている。悪党らが口論の上女を殺すので、お蘭は気絶する。 山三郎は三遊亭円馬の弟子の馬作と釣り舟で出て嵐に合い、3年前に池上で財布を盗んだ侍らが、馬堀の定蓮寺床下に棺桶を埋めるのを目撃する。 井桁屋からお蘭が死んだと聞いた山三郎、穴掘りに化けて覗くと、死体は別人であった。葬儀の後、改めて墓を下り起こすと、棺桶に入っていたのはお蘭、生き埋めにされていたのだ。これを船底に隠して太助、上総の天神山に隠す。お蘭は山三郎に事情を話して、粥河を改心させると約束する。 山三郎の母から手紙が来て、妹のお藤が粥河と結納を交わすと知らされる。慌てて戻って破談にすると、粥河から果たし状が届く。母に置き手紙を書いて、お蘭に明日まで開けぬようにと預ける。 浦賀の奉行を勤める腹違いの兄・一式宮内から馬をもらって決闘に臨む。馬対馬、剣対剣、鉄砲対鉄砲、かなわぬとみた粥河は平伏して、明日坊主になるからアジトに来てくれと言う。 山三郎は友人である浦賀の女郎屋・江戸屋の主人である半治の兄・半五郎に分けを話してお蘭を頼む。半治は小兼と口論になり、半治は粥河の手下になると言って、小兼を譲ることで定蓮寺の海禅から粥河への紹介状をもらう。小兼が来るが、海禅は縛られて棺桶に入れられてしまう。 半治は粥河のアジトに現れて紹介状を見せるが疑われる。追って来た小兼を殴り木に縛り付けることで仲間入り、山三郎には毒酒を飲ませる相談がまとまる現れた山三郎、勧められても毒酒を飲まない。丹羽に縛られた小兼に気すいて詰問し、山三郎と粥河一味の立ち回りになる。半治は裏切ったのではなく、山三郎に協力するために行動していた。手下は役人に捕縛され、粥河は自害し、お蘭は出家する。 【成立】 三遊亭円朝作。フランスの小説が英訳され、それを福地桜痴が円朝に伝えたという。明治19(1876)年、やまと新聞創刊と共に連載開始されたもの。
2026.09.26
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【粗筋】 明治4(1971)年9月、奥州屋新助は幇間・三八と会って芸者の美代吉を訪ねる。新助は松山家から勘当された身だったが、美代吉が持っている短冊がその時残した物、実の妹と分かる。身請け話を勧めるが、美代吉と恋仲の藤川庄三郎が嫉妬して、俥で帰る新助を襲って殺す。新助は色恋ではないと言って身請けの金を渡す。 新助の妻・ふみを兄の徳蔵が訪ねて無心。この徳蔵は、新助を乗せていた車夫だった。子供を残して夫が死に、生活は楽ではなかった。 新助からもらった金で美代吉を身請けした庄三郎、二人で葉茶屋を開く。翌年の9月、新助の墓参に行くが、徳蔵の俥に乗る。徳蔵は現場で拾った煙管を証拠に庄三郎を強請る。庄三郎は徳蔵を谷中に呼び出して殺す。 翌年明治6年の1月、夫と兄を失って生活に困ったふみは苦労のため盲目となり、幇間の三八が助けてやろうと、奉加帳を持って庄三郎を訪ねる。ここで新助が美代吉の実の兄であり、車夫の徳蔵はその女房の兄だったことを知る。庄三郎は自害して、家督をふみ親子に譲る。【成立】 三遊亭円朝作。明治23年の書き下ろし。7年後読売新聞に連載された「雨後の残月」は頭に彰義隊の墓参りが加わっただけで全く同じストーリー。若松屋新助、妹の小美代、藤川幸三郎、車夫の斧五郎……と人物名が変わり、全てを2年後の出来事としている。【蘊蓄】 美代吉の家が上野の下谷数寄屋町(現在は上野二丁目、中央通りの一つ西側の通り)、新助殺しは湯島の妻恋坂(文京区湯島、天神と聖堂の間で妻戀神社がある)、新助の家は千代田区美土代(みとしろ)町(内神田一丁目。武家屋敷だが、待ち家も多い。丹前風呂があったので有名。明治になってからの地名で、伊勢に捧げる稲を育てる田があったのが地名の由来。因みに神田というのも同じことから)、車夫殺しは谷中の蛍沢(谷中の観音寺の石垣があるがその奥の梅禅院の角)、庄三郎の家は御徒町、かなり狭い範囲が舞台。
2026.09.25
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【粗筋】 夫婦で、明日の朝松茸汁にしようと、楽しみに取っておいたが、朝起きるとみんな駄目になっている。「お前ぇ、これはどこに置いといたんだ」「鼠が出ちゃいけないから、米櫃に入れといたんだよ」「そりゃだめだ。松茸はな、米粒1つぶ付いたって腐ると言われているんだぞ」「あら、そうなの……だから褌には糊をつけないんだね」【成立】 三遊亭円歌(2)の速記にある。実際に聞いたのは金原亭馬生(10)が最後。こちらは前夜の描写はなく、朝の会話のみ。松茸が米で駄目になるというのを20年ほど前にネットで尋ねたが分からなかった。褌に糊は、糊が米をすりつぶして作ったということ。褌と松茸については……毎度同じことだが、他の小噺を参照。
2026.09.23
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【粗筋】 絵を見た男が、「これは見事な猫だな」「おい、絵に猫を書くものか、これは虎だよ」「じゃあ、虎のようなものじゃねえか」 と議論しているのを奥で聞いた絵師、「松茸を描くのはよそう。松茸のようなものと間違えられてはたまらぬ」【成立】 何に間違えられるのか、うぶな選者には何だから分からないので、松茸に関する他の落語や小噺を参照すること。
2026.09.22
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【粗筋】 娘の病も良くなって、親も安心。「お陰で食も進むようになりました。鱚、長芋などは与えてもよろしゅうございましょうか」「うむ、もはや、そういう物もよろしかろう」「松茸のようなものは」「それはいかん。なりませぬ」「先生、松茸はいけませんか」「松茸ならよろしい。松茸のようなものはなりませんぞ」【成立】 安永4(1775)年『豆だらけ』の「禁物」。柳家小さん(5)を聞いたことがある。うぶな選者には何だから分からないので、松茸に関する他の落語や小噺を参照すること。
2026.09.21
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【粗筋】 懐石料理の席で、吸い物に筍が入っている。「これも何年かすると立派な竹になるもので」 と言うのを聞いていたが、後から出たのが見事な松茸。「これも何年かすると立派な松になるもので」【成立】 『醒睡笑』の「振舞の汁に、大きに見事なる笋出たる」。元和版『戯言養気集』上野「まつだけ年をへて松になる故事」は、一人が「筍をむやみに食ってはならない。2、3年も経てば立派な竹になって、家を建てることも出来る」と言うと、もう一人が、「松茸も同じだ。15、6年もすれば大木になるだろうに」……『醒睡笑』巻二の「躻」18、『きのふはけふの物語』上巻にもある。書物には「松茸汁」という題で出ているのでそうしておく。
2026.09.20
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【粗筋】 松茸売りがきて、「ええ、松茸ぇ」と売っている。「ちょいと松茸屋さん、見せてちょうだい。まあ、これはまた大きくて立派だねえ。おいくらなの」「へえ、15銭で」「手頃でいいけれど……これだけ大きいと食べきれるかねえ……ああ、こちらの小さいのなら……こちらはおいくら」「へえ、15銭で」「あら、大きいのも小さいのも同じ値段なの」「はい、松茸はみな突っ込みでございます」【成立】 昭和の頃には「松茸」と題した小噺集として演じられていた。「突っ込み」には分け隔てせずに全部を一緒に扱うことという意味があるが、最近通じないので演じられなくなっていると思う。もちろんこれと、女性に突っ込む意味を掛けたのだが、そちらのことはうぶな私にはよく分からない。 三遊亭円歌(2)は、これを最初に演って、「あたくしも、この……『松茸』のはなしを、いくつか、つッこみで申しあげますが……」と言って次の噺に掛かっている。この「つっこみ」も、分け隔てせずに一まとめにすること。
2026.09.19
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【粗筋】 世の中にはおかしなこと、不思議なこともあるものだ、と話していると、「今、表で胡瓜(きゅうり)が真桑(まくわ)を食べている」と言う。 みんな信じないが、表で確かめることにすると……薪売り(きうり=きゅうり)が真桑を食べていた。【成立】 うんそれだけのこと。「きゅうり」を「きうり」で発音しないとね。寛政11(1799)年『欣々雅話』二(『醒睡笑』の続編)の「真桑売り」。曽呂利新左衛門が太閤の御前へ出て、「外できうりがまっかを食ってます」と言う。近習に見て来いと命じると、薪売り(きうり)が真桑(まっか)を食っていた。なぜ「薪売り(「きうり」あるいは「まきうり」)」ではなくて「真桑売り」という題なのか分からないが、上方の本では全て「まっかうり」で出ているのでそのままにしておく。
2026.09.18
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【粗筋】 息子がケメ塚のケメ子さんと結婚したいと言うが、父親は反対。自分が若い頃に間違いを犯してこしらえた、母親は違うが、お前の実の妹だと告白される。ペソ子さんならどうですかと言ったら、これもお前の妹だと言う。回りにいる女性はみんな自分の妹のような気がすると嘆いていると、母親に声を掛けられる。訳を話すと、母親は逆上して、「かまいません、どちらでもいいから結婚しなさい」「お母さん、分別を無くしちゃいけません。兄妹で結婚は出来ません」「いいんです。お前はお父さんの子じゃないんだから」【成立】 日本の笑い話集にもフランスの小噺集にもあった。三笑亭笑三が「異母兄妹」と題してよく取り上げていた。雑誌にまたこれかと非難する記事が出たこともあるが、とにかく明るい調子で楽しく、間の取り方が変わる。それもお客さんを巻き込んだりするので、その日の客に合わせて変えていることが分かる。そのように色々やっているので、いつも同じではない。評論家はそこが分からないのだろうなあ。同じネタを毎日講座に掛けますといったら、毎日来て批評をするべきで、その一日だけで書くのは批評ではない。韓国ドラマが流行すると、この噺を「冬のソナタ」という題で演じていた。記憶を失った主人公、戸籍もお金もないのに海外留学をして、恋に落ちたのが妹だったというネタなのだそうだ。「お父さん」という呼びかけを何度もするうちに目が合ったので、「はい」って答えたら、「二人で落語をしたのは初めてです」。 橘家円太郎(7)がフランスの小噺を落語に仕立てた。ただし、円太郎のものは短くて、ケメ子さん一人しか話題にならない。笑三は珍名さんだったり、普通にある女性の名前だったり、二人から三、四人ならべることもあった。尚、ケメ子さんは昔から落語家の間に女性の名前で、「キミコ」が正しい発音。ペソ子ちゃんはよく分からない。東京ぼん太の彼女はペケ子ちゃん。ペソ子は石ノ森章太郎のマンガにいた記憶があるが、探していない。後、少女漫画の土田よしこにだったかな……
2026.09.17
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【粗筋】 喫茶店で待ち合わせをしたが、彼女が来ない。まさか振られることはないと思うが、時間はどんどん過ぎて行くのでイライラ……スマホはつながらないし、混んできて自分が見つからないのではと三度もアナウンスしてもらったが彼女は現れない。 マスターが心配して何かと声を掛ける。色々話しているうちに、「あれ、それは明日じゃないですか」 日付を間違えて一日早く来てしまったのだ。「よかったですね。一度家に帰ってはどうですか」「いいえ、明日までここで待たせてもらいます」【成立】 桂文枝(6)の創作落語。第18作目、1976年6月の作品。
2026.09.16
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【粗筋】 去年再婚した男から、結婚式の招待状が来る。つまり三回目。どんな相手か見たいが、三度もお祝いを出すのは嫌……早めに行って受付を手伝って、自分のは出さずに持って帰ろう……と、決めて出掛ける。 仲人は「三度目の正直や、言われて引き受けました。これまでは年下の奥さんで、とにかく新郎は人を引っ張る力がなかった。今度は8歳年上で、うまくいくと思います。もしまたダメなら、仲人は皆さんの回り持ちということにしたいと思います」 会社の上司は「前回は次長でしたが、皆様のおかげで支店長になりました。支店長になって、いよいよ会社の発展のために、新製品が必要です。わが社ではこういう品を作りましたので、皆様、どうぞ暖かく見守っていただきたい」 新婦の恩師は「彼女は高校時代から髪を真っ黄色に染めて、何て御洒落なんだと評判でした。煙草は吸わない真面目な生徒で、酒と麻雀はかなり強いと評判でした。足が速くて体育祭のスターでした。補導係の先生もあの子には追い付けないと言ってました」 新郎の友人は「同級生の中で三度目の結婚は二人目です。ぜひ記録を更新するよう努力してもらいたい。実は彼が前の嫁はんが逃げてうちに来たんですが、うちも喧嘩の最中でした。相談に乗るうちに、うちよりも悲惨な家があるんや、僕らは離婚せんよう頑張ろうと話しました。いま円満なのは新郎のお陰です」 みんなで新婚旅行出発の見送り。一人バンザイバンザイを連呼している男がいる。「こっちは三度目やから、あれは新婦の親戚やろうな」「そうや。新婦の前の婿はんや」【成立】 桂文枝(6)の創作落語。第29作目、1981年11月の作品。結婚式のスピーチで本音を喋ってしまうというのは、東京では春風亭柳昇の「結婚式」がお馴染み。再婚というので更に内容が強烈になっていく。
2026.09.15
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【粗筋】 帰った亭主に、いらいら女房が文句を言う。部屋を三つに区切って貸しているが、間代を払う奴がいない。せかされて催促に行く。最初の部屋は占い師。「君は間代を催促するために来たな。人相に出ている」と手相を見る。「君は知能線が全くない。これが運命線、これが感情線で、東武線に西武線。君は金に執着するとひどい目にあう。だから金はあるが払えない」「そりゃひどいね。帰ります」「待ちたまえ、見料を置いて行け」 次の部屋は女形。「まあ、こんな汚い部屋へわざわざ……え、間代……実は仕事もないんですが、来年からは化粧代が出ることになりまして」「どんな芝居に出てるんですか」「忠臣蔵です」「ああ、これが台本ですか。中村貧弱……これがあなたの芸名で……へえ、ちゃんと台詞があるんですか。何ですこれ……『んこっち』ってどこの言葉です」「由良之助が目隠しをして、回りを女が囲んで、上手の女が『ゆーらさ』というと、私達14人が『んこっち』と言うんで」「じゃあ、後の『るほうへ』は『手の鳴』の続きですか」「当たり」「この程度の役じゃ間代も払えないでしょうねえ。分かりました」 三軒目は相撲部の応援団。「すみません、言いにくいことなんですが」「じゃあ言うな」「そうはいかないんで……間代を」「くれるのか」「いただきたいんで」「金はある。払ってやりたいと思う。思うが、お前の嬶ァは何だ。化けべそのくせに挨拶もせん。その嬶ァの尻に敷かれるとは何事だ。私の言うことを大きい声で繰り返せ。いいか、嬶ァが何だあ」「そんなこと言ったら家を追い出されます」「出てしまえ。ほら、やってみろ」「嬶ァが何だあ」「そうだ。嬶ァは亭主の奴隷だあ」「嬶ァは亭主の奴隷だあ」「嬶ァなんぞいらん」「嬶ァなんぞいらん」「間代もいらん」「間代も……あんた、うまいな」【成立】 雷門助六(8)が演った。作者未詳。
2026.09.14
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【粗筋】 安政年間、加賀藩士・石川新右衛門とお牧、娘・お録を授かるが、年回りが悪いので養女に出そうと相談。下女のお嘉と足軽・力蔵が密会、お録の養女先で儲ける相談。お嘉の兄・治助のところに養女に出し、お嘉が乳母となってお録を手なずける。力蔵は枚方に小間物屋を出して、お嘉を嫁に迎え、なついたお録も引き取る。 石川夫婦に長男・団三が生まれ、新右衛門はお録に会いたくなって治助を訪ねる。力蔵は酒と博打で借金に追われ、お録を連れて出奔していた。団三が10歳の時、新右衛門は娘に詫びてくれと言い残して死ぬ。 18歳になった団三は、親戚の勧めで上京し、姉を探す。明治14年、母のお牧の病気が回復し、一緒に深川不動に参詣して、偶然お嘉に声を掛けられる。お録の身の上話。15年前に借金から逃れて松戸に住んだが、父親代わりの力蔵が金のために吉原の桜屋に売ることを約束する。これを知ったお嘉は家を飛び出した。【成立】 三遊亭円朝作。明治15(1882)年、諸芸新聞に連載されたが、10回で未完成。タイトルからはハッピーエンドが予感される。
2026.09.13
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【粗筋】 「刑事さん、俺が突き飛ばした男は軽傷だったんだし、俺がやったって素直に認めているんだから、もういいじゃないですか」「いや、そうはいかんのだ。調書というのは、動機から明らかにしないと」 刑事は相手の心をほぐすのに、自分のことを話す。人と話す自信がないから、相手の本音を引き出す質問の仕方って本を買って勉強した。相手の趣味を探って話題を合わせたりするのだ。ノックでも上司の部屋に入る時はゆっくり3回、トイレの場合は2回叩くのが国際ルールになっている。「動機と言っても、理解してもらえるかなあ」 ずっとマスクをしているのは、顔を隠すためで、自分に自信がないからだ。その日は38度の真夏日で、マスクの代わりにグラサン掛けていたが、その男はマスクに落書きで鼻毛を描き、「Look at me」とアピールしている。コンサート会場に向かうと、後ろから付き飛ばされてグラサンが飛んだ。それがそのマスク野郎だった。「それでカッとしたということか」「違います。俺、負けてるなって思ったんです」 自分は人目を気にしてマスクをしているのに、この男は人目を気にしていない。そういう嫉妬心が動機だったのだ。「それで、回りの目を気にしない、強い人間になりたいんです「ここで話して吹っ切れるだろう。少しずつマスクを外す練習をしたらどうかな」 部長に報告して、「案外早く終わったな。飯にしよう」 と席に座って弁当を広げる……と、トントンとノックの音。「あっ、入ってます」【成立】 菊池寛の同名の小説を春風亭小朝が落語に仕立てた。原作は、病気でマスクをしたら人から見られるのが恥ずかしいと外せなくなり、人の多い所でマスクをして行ったらどう思わるかと、そういう不安を描いた大正9(1920)年の作品。落ちが分からない人がいたので説明しておくと、人に見られるのが嫌でトイレで食事をする人が増えたということ。人に顔が見られるのが嫌で、常にマスクをしているという人が増えたが、新型コロナの流行で、そういう人が不通の人になった。 このコロナの時にはマスクが不足し、アベノマスクが配られた。うちにも「小」が2枚届いたが、ビニール袋は何ともないのに中のマスクが折れているので、何だかもう付ける気がなくなった。近隣の町で、マスク余っていたら寄付して下さいとボックスを設置したら、9割がアベノマスクだったのでやめてしまったそうだ。因みにコロナ対策は政府がちゃんとやったと思うという人が7割を超え、アベノマスクも6割の人が評価するという記録が残されている。
2026.09.12
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【粗筋】 遊びが過ぎた若旦那、さすがに金が自由にならなくなって家にいるが、若いからムラムラして来る。下女が給仕に来るが、これは間違っても手を出さないような人三化七……ところが腹が減っている時は何でもご馳走になるというやつで……こともあろうにこれを口説いてしまう。いざ……というところで女を見ると、それなんで……若旦那、風呂敷を頭にかぶせる。「あれ、若旦那、何なさるだ」「コリャ子供の出来ないまじないだ」 と始めると、おやかした下女が風呂敷を取って、「若旦那ぁー」「おい、駄目だ風呂敷取っちゃ」「なあに、かまわねえ」「だから子供の出来ないまじないを」「なあに、途中だから流産ですみます」【成立】 昭和のこういう話の本に載っていた。【蘊蓄】 そういう席でしか歌えない歌。カラオケにも入っていない。 一つでたほいのよさほいのホイ 一人娘とやるときにゃホイ 親の承諾得にゃならぬホイ 二つ(省略) 二人娘とやるときにゃホイ 代わりばんこにせにゃならぬホイ 三つ(省略) みにくい娘とやる時にゃホイ 袋かぶせてせにゃならぬホイ (以下略)
2026.09.11
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【粗筋】 「この度正宗の刀を手にいれた」「それはそれは、ちと見せてくれい」 と柄、鍔、鞘までじっくりと眺めて、「なるほど、正宗と申すだけ立派なものでござる」と返そうとする。「かまわぬから抜いてみなされ」「何、中もでござるか」【成立】 安永2(1773)年『再成餅』の「正宗」。刀を見るのに刃を見ないでどうするのだ。しかし、私なんぞも、刀を見ても良さが分からない。鞘の作りや工芸は何となく分かる。
2026.09.10
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【粗筋】 京の旦那が、馬方の七蔵を島原へ連れて行く。江州の旦那という触れ込みで、素性が現れないよう気遣うが、本人の七蔵が無頓着で、草鞋を懐に入れたりする。これを注意するうちに七蔵、すっかり緊張して、芸子幇間に囲まれても、応対出来ずに飲むばかり。食べ物を残すのはもったいないと、手拭にくるむので、旦那も呆れて、さっさと寝かしてしまおうとする。寝所でも、煙草を飲んでは「こりゃええ煙草だ。1銭5厘のとは違うな」、着物を褒めて「古着でも安くなかんべえ」、ついには手拭の料理を絹布団の上に広げるので、遊女の方でもふざけているのではない、これが地なんだと分かってしまう。出て行こうとするのを七蔵が止めるが、裾を抑えたのでしごきがだらりと下がる。これをつかんだ七蔵、「これ、どこ行くだ、どうどうどう」【成立】 馬の手綱に見立てたもの。上方落語でこんなのがあるよって聞いたもので、一席演じたものは聞いていない。
2026.09.09
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【粗筋】 朝に強いから遅れは出ない、運転が荒くない、親切、という評価で、65歳以上の運転手だけで朝のシフトを汲んだタクシー会社。点呼を取ると一人いない。いや、いた。大きい声でないと聞こえないのだ。この運転手、唯一運転が乱暴というクレームが来ている。実は息子の嫁ともめているというのだ。「もういつ死んでもええんで」 次の運転手は浪曲が趣味で、運転しながらうなるのにクレームが来ている。やめるように言っても「人前で歌わんと芸は磨かれへん」と言う。 次の運転手は耳が遠く、客が空港の伊丹までと頼んだのに、聞き違えて熱海へ向かった。次の運転手は病気持ち、4時間おきに飲む薬を忘れないようにと言うと、「大丈夫です。朝全部飲んどきます」 次の運転手はタクシーに草鞋をぶら下げている。「わらじは健康にいいんで、欲しいというお客さんにはサービスでただで上げてます。一声添えて」「何と言うのや」「健康のため、タクシーに乗らないで歩きましょう」 のんびり走って安全ではいいが、急ぐ時は災難で……「急いで新大阪へ……急いで」「へえ……ええ……」「早くしてえな。取引先が締まってしまうんや」「はい、動きました」「もっと急いで……ああ、自転車に抜かれた……あ、信号……まだ黄色やないか……ああ、もうええわ、幾ら」「ええと……目が悪うてよう見えまへんのや……1890円でんな」「運転手さん、1690円やないか」「あ……じゃあ、それでええです」「はい、2000円……」「あ……ええとお釣りは……繰り下がりがあって……」「610円や、早うしてえな」「はい、310円やから……まず10円……あとどこにやったかいなあ……」「もうええわ。急ぐからチップや……」「あ……もうかった」 【成立】 桂文枝(6)の創作落語。第34作目、1982年9月の作品。録音にあるのは、朝の点呼だけで、「健康のため歩きましょう」が落ちだった。1990年頃に聞いたのは、草鞋の件はなくて、本文の落ち。
2026.09.08
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【粗筋】 箱根越えの馬方、大雨の中で馬を引く。「ほうれ、すべるぞ、転ぶなよ、はい、はい」と言いながら、自分がすべって尻餅を付く。「ほら見ろ、こうなるわ」【成立】 寛政8(1796)年『喜美談語』の「すべり道」。
2026.09.07
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【粗筋】 車夫のずぶ六、その名の通り酒で身を滅ぼしたのだが、困って泥棒を働く。入った家がろくな物がなく、ガラクタを風呂敷に包んで逃げ出すが、慌てて書生とぶつかってしまう。書生が怒鳴りつけるが、風呂敷包みに目を止める。「それは何だ」というので、とうとう泥棒をしたと白状してしまう。すると、この書生も、ずぶ六と同じ、酒で女房に逃げられ、泥棒をして来たと言う。質屋へ行って、それぞれの物を売るが、さすがにガラクタばかりで大した金にはならない。それでも何とかなるだろうと縄のれんをくぐる。酒が入ると気が大きくなり、そのまま吉原へ繰り出す。 朝になって金がないから、二人とも着物を剥がれて追い出される。昼間から裸で稼ぎは出来ない。ずぶ六は自分の家が近いからいらっしゃいと言う。付いて来た書生、家に入るのをためらうので、訳を聞くと、昨夜ががらくたを盗んだのがこの家だと言う。 じゃあ、全部俺が出したんじゃねえかと、腹を立てたずぶ六、金を返せと言い出した。そのまま書生の家まで行って金を取り返すことにしたが、いざ家に着くと、ずぶ六は中へ入ろうとしない。「どうした、中へ入れ」「いや、もうここで結構で」「なぜそう遠慮する」「へえ、実は昨日入ってしまいました」【成立】 明治40(1907)年の『文藝倶楽部』の懸賞新作落語。2等に入ったみよしの家の作品。「両泥」がこの改作らしい。
2026.09.06
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【粗筋】 宿屋の主人、丁稚の定吉を使いに出すが、余計なことをしゃべりすぎるから、何も言わずに手紙を出すだけにしろと命じられる。向こうへ行くと、それを全部しゃべって、手紙を出す。「どれどれ……御免くだされたく候……田舎より女客三人参り、まことに申しかね候えども、お空きのマラ三つ御貸し下さるよう……こら何や……」 こちらの主人が怒って追い帰す。 宿に帰って宿の主人に報告。何も怒鳴りつけることはあるまいと手紙を読み返すと、「はっはっは……そうかあ……」「何か分かりましたか」「マクラのクの字が抜けていたわい」【成立】 上方の噺。タイトルでバレちゃうから非公開で演じないとねえ。上方の本では本文の通り。ある噺家さんはその言葉だけを飛ばして落ちで分かるという考え落ち的な演出。ズバリ言わないのが上品だが、言わないと分からないという声もあるそうだ。
2026.09.05
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【粗筋】 枕を売り歩いていると、お屋敷に呼び込まれ、お姫さまや女中の所へ連れて行かれる。役者の紋の付いたものを求められ、紹介しながら物真似を披露する。御老女が古いことばかり言うが、とにかくたくさん売れたので喜んでいると、踏み込んで来た侍が「枕屋、そこを動くな。不義を見付けたり」「そんな覚えはございません」「黙れ、そちゃ、姫に枕を買わした(交わした)であろう」【成立】 安永2(1773)年『聞上手』三篇の「枕」。亭主の留守に枕売りを呼び込んで買ったところへ亭主が帰り、「お前は人の女房と密通したな」と枕売りを捕らえる。「これは迷惑。何を証拠に」「俺の留守に、女房に枕をかわしただろう」というもの。同10年『いかのぼり』の「まくら箱」は、「まだね(値・寝)は致しませぬ」という落ちが続く。上方では「枕屋」という題で、原作の方、姫君ではなく女房で演るそうだ。まあ、その方が上方らしい。
2026.09.04
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【粗筋】 大家の商人、娘の腹が出てきて酢の物を好む。乳母が呼ばれて話を聞くと、店の若い者と関係したことを認める。これを聞いて父親は怒り、母親は呆れる。「まだ子供だと思っていたのに、魔がさしたということでしょう」 すると乳母が、「まだけではない、らもさしたのでございましょう」【成立】 安永9(1780)年『大御世話(おおきにおせわ)』の「魔」。「魔がさす」は分かるが、「らがさす」は分からない。うぶな私なので、両方いっぺんに刺すのだということも知らない。【蘊蓄】 店の者が娘に手を出したのだが、『元禄御法式』によれば、店が訴えると店の者は死刑か遠島に処せられた。寛保元(1741)年に改訂されて「中追放」とされるが、これは武蔵、山城、摂津、和泉、大和、肥前、駿河、甲斐、五街道添いに入ることを許されないものだった。死刑、遠島より軽いとはいえ、相当重いものだった。
2026.09.03
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【粗筋】 与太郎の女房が昼間から男を引き込んでいる。悪友連中が面白がって、与太郎をけしかけてその場へ暴れ込ませようとし、「間男見つけた」の台詞を教え、ご丁寧に包丁まで貸してやる。与太郎も団十郎の真似は出来るし、間男の相場である七両二分はもらえるしと、大喜びで家へ飛び込み、「さあ、間男見つけた。重ねておいて四つにするとも八つにするとも……」「あら、まあ、そんな台詞を誰に教わって来たんだい」「文ちゃん、源さん、八っつぁん、七公に、髪結床で教わった」 七両二分を出せという与太郎だが、そのくらいで間抜けな亭主を追い出せるなら安いもの。細かいのがないので八両を出すと、「へへっ、毎度ありィ」「じゃあ、この女は俺が連れていくぜ」「ああ、ちょっと待ってくれよ」「何だ、まだ文句があるのか」「八両だから二分のお釣りです」【成立】 寛政6(1796)年(寛政6)の『喜美談語』の「七両二分」。女房の間男を確かめようと隣に頼んで様子を見る。男が来たので庭から入ると、そこに金八両が置いてあるので、これを手に隣へ戻り、「これおかみさん、二分貸してくれ」というもの。三遊亭円遊(2:俗に「鼻の」)の十八番として、「紙入れ」「二階の間男」「大男の女郎買い」などの艶笑物と一緒に並べられる。彼の死後演じられた記録はない。与太郎が間男の噂を本人に話してしまい、「誰にもいうなよ」と落とす小噺、「間男一件」を枕につけていた。これは「紙入れ」などの枕として残っている。落語は、烏亭焉馬の咄の会で、竹里という物が作った小噺に肉付けされたもので、 喜久亭寿暁のネタ帳『滑稽集』に「真色八両 二分のつり」、「真男七両二分 △八両出ス・二分つりが有レバイ々」とある。上方では「七両二分」、解説では東京では「二分釣り」という題で内容がバレバレなので、東京はセンスがないと指摘されている。そのくせ「(東京では)円遊以降演ずる者がいない」というのはどういうことだろう。題名は楽屋の符牒なので、問題にする方がおかしい。【蘊蓄】 亭主が現場を押さえた時の口上は、「間男見つけた。重ねておいて四つにするとも八つにするとも俺が勝手だ。そこ一寸も動くな」というものが世話物狂言の決まり台詞であるが、世話物の人気がなくなった現在では、歌舞伎座へ言っても耳に出来なくなってしまった。間男は十両出せば命だけは助けられた。これを両替すると手数料を取られて七両二分にしかならないため、俗に間男の代金は七両二分となった訳である。 町内で知らぬは亭主ばかりなり 間男と亭主抜き身と抜き身なり 据えられて七両二分の膳を食い 天明期には賠償金の額が下落して次のような川柳になる。 生けておく奴ではないと五両とり 女房はゆるく縛って五両とり 女房の損料亭主五両とり
2026.09.02
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【粗筋】 間男を見付けられ、謝罪の上、友達だから助けてもいいが、間男七両二分というから金を出せと言う。五両に値切ったが当てがない、仕方なく女房に泣きつく。「たった一度の間男だ。何とか5両工面してくれ」と言うと、「なあんだ、その位。じゃああたしがそう言ったと、十両もらっておいで。あちらの亭主とは三度何したんだから」【成立】 安永3年『仕形咄』の「あつかい」、元文5年『軽口福おかし』の「れんぼの月」、文化3年『噺の見世開』の「色男の先手後手」。間男七両二分の説明で、マクラでよく聞く小噺。金原亭馬生(10)は、この後に、「さすがは女房大明神」あるいは「でかした」と叫んで「他にそういう口はないか」と続く。十返舎一九がこの落ちを用いている。【蘊蓄】 「堪忍五両」という言葉があり、我慢をすると必ずいいことがあるということ。ここから五両を出せば許してやるという風習が生まれた。尚、「堪忍五両思案十両」、「堪忍五両笑顔は十五両」、「堪忍五両負けて三両」などあるが、出典がはっきりしない。詳しい本を探したら、A社のことわざ辞典にB社の事典が紹介されていた。B社のにはC社が、C社のにはA社が紹介されているのが楽しい。
2026.09.01
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【粗筋】 「町内の間男一件、お前だから教えるが、誰にも言うなよ」って言われると、他に教えたくなるのが人情。これを与太郎が知ると、「へへへ」「うれしそうだな。どうした」「親方知ってる、この町内の間男一件」「ほう、面白そうだな。どこだい」「町内の豆腐屋」「豆腐屋って……この町内はうちしかないが……」「あ、そう、親方んとこ」「相手は誰だ」「建具屋の半公」「何だか様子がおかしいと思ってたんだ。教えてくれてありがとうよ」「親方だから教えたんだ。誰にも言っちゃだめだよ」【成立】 間男物の枕によく聞く。桂文楽、三遊亭円生「これは言う気遣いがございません」、古今亭志ん生「いう訳がない」。古今亭菊之丞が、時間が短い時にこれだけで一席にしたことがある。【蘊蓄】 町内で知らぬは亭主ばかりなり
2026.08.31
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【粗筋】 亭主が間男を見付けて真っ二つに斬り殺す。女房が、「私も一緒に斬って下さい」「いや、あの世でまで添わせてなるものか」【成立】 安永2(1773)年『近目貫』の「密夫」。享和2年『新撰勧進話』巻三の「雞女」は、重なっている上の男を切ったが、下の妻を切れず、「家来ども、まな板を片付けておけ」……逆に男の方を残して「あの世で添わせてなるものか」という小噺もあったはずだが、不明。実際に演じられたものでは、「あの世で続きをやるつもりであろう」というのがあった。これも男を残したと思う。 夫の方はまだ女房に未練があるのかも知れないが、その場で手討ちにする場合、一方を殺して他方を残すことは許されなかった。
2026.08.30
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【粗筋】 ある大店で、主人が奉公人と物はづけで遊び、褒美を出していたが、「今度は前句付けをやろう」と、「思うままにはいわれざりけり」に前句を付けるという題を出した。 大川の舟と舟との挨拶は思うままにはいわれざりけり などが出たが、小僧が口いっぱいに牡丹餅を頬張った。行儀が悪いと叱ると、牡丹餅を口いっぱいにほおばって……「思うままにはいわれざりけり」【成立】 万延2(1861)年桂松光のネタ帳『風流昔噺』に「お家様るす事、狂歌あそび 但シ思うまゝにぞいわれざりけり」とある。5つの書物に紹介されている噺だが、全てがどこかからの引用なのか、「大川の」一句だけを出して、他の句が紹介されていない。 「物はづけ」は、「何々なものは」「何々するものは」という題に対して五七五で答えを出すもの。寛保(1741~44)の頃に大流行した。これと前句付け、謎かけが当時庶民に流行した三大言葉遊び。
2026.08.29
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【粗筋】 コトが済んだと思ったら、男、彼女を抱えてコトもあろうに後ろを犯し初めた。「嫌ッ、駄目よ。双子ができちゃう」【成立】 三遊亭小円遊が演った。本当に出来るのか、うぶな私には分からない。 イラスト作家さん、こんなのに使ってごめんなさい。
2026.08.28
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【粗筋】 日雇取りの太吉は、病気の母を抱えて年越しの金に困り、大晦日の夜、盗みに入る。ここが手習の師匠・穂積利助のところで、説諭して金品をくれる。子供の利吉は迷子札をくれる。人情をかみしめつつ家に帰ると母は亡くなっていた。初七日の墓参で紙入れを拾い、本当の絹屋に届けると、主人が勘当して、奉公人となる。真面目に働いて番頭に抜擢され、ついに娘・お玉の婿となり、絹屋彦右衛門を継ぐ。 生まれた娘・お絹が17歳になって、小僧の権太郎を連れて王子稲荷の参詣に行くと、ならず者の武士に襲われ、浪人の安田幸八に救われる。安田はお礼にと差し出した金も反物も受け取ろうとしないので押し付けるようにして帰る。お絹が権太郎を気に入っていると思った、番頭の六蔵、自分が婿になるつもりでいたので、主人に告げ口をして権太郎を追い出す。お絹は彼を追って、安田に助けてもらおうと家へ向かうが、お絹が金を持っていると思った駕籠屋の丑松に殺されてしまう。翌朝、お絹が戻らず、安田の所へ向かったということで、役人が調べると、以前渡された反物が出て、安田が捕縛される。 調べに当たったのが大岡越前で、お絹の死骸から無くなっている櫛などが出ないので、下手人は他にいると思うが、安田は何も言わない。お絹の紋入りの櫛を売ろうとした丑松が捕らえられ、権太郎が反物を渡したと証言して、安田は無罪となる。主人が挨拶をすると、この安田は、昔迷子札をくれた利吉であった。安田は、お蔵番をしている時に蔵の刀を盗まれたために浪人していた。番頭がクビになり、権太郎が戻って、安田が後見人となり、これを機に刀の詮議にかかる。 絹屋が買い出しの帰り、熊谷土手で侍に殺され、金を奪われる。目撃していた僧侶の話から、下手人は蔵の刀を盗んだ五十嵐小文治だと分かる。料理屋に隣り合わせた侍の中に五十嵐がいて、安田は五十嵐を捕らえる。【成立】 明治23(1890)年、翁家さん馬(5)の速記がある。全64席だが、一席一席が短め。
2026.08.27
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【粗筋】 全国の舞子のナンバーワンを決めるバトルロイヤル、今年もついに決勝戦。連覇を狙う京都の舞子に挑むのは秋田の舞子。京の舞妓が剣を振り回す。いや、剣ではないない、九条ネギだ。これに対して秋田の舞子はきりたんぽで応戦。双方の得意技が次々炸裂、京都の勝利に思われた時……「うっ、体がかゆい……一体どうしたのだ」「ふふふ、油断したな。田植え攻撃。毛穴一つ一つに秋田こまちが植えられたのだ」京都の舞子は餃子の王将の呪文を唱え、油でコンバインを足止め、稲を抜いてしまう。秋田の舞子は滋賀・琵琶湖の水を止めてついに勝利する。「勝ったよ。見事な逆転勝利」「逆転勝利する訳だ。京の舞妓のご両親、鳥取の出身だ」【成立】 月亭希遊の創作落語。秋田にも舞子がいると聞いて、さぞライバル心を持っているんだろうってんで作ったそうだ。本人が滋賀出身だからどうしても琵琶湖がカギを握ることになる。まあ、私には何が面白いのかよく分からない。
2026.08.26
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【粗筋】 背負い(しょい)小間物の源兵衛、京橋八丁堀に女房のおみつと二人で暮らしていた。子供が出来ないので、浅草の観音様に日参、満願の日、天王橋に人だかりが出来ていて、迷子の女の子がいる。これは観音様のお導きと、この子を引き取っておひろという名で大事に育てる。 1年後、子供達が集まってぼんぼん唄を歌うのだが、回りの子は皆、「ぼーん、盆の十六日、江戸一番の踊りは八丁堀」と歌うのに、この子は「江戸一番の踊りは相生町」と歌うのだ。これは自分の町を入れるのだからと、翌日相生町に調べに行くと、材木商の越後屋が、一年前に天王橋で喧嘩に巻き込まれ、娘とはぐれてしまったという。源兵衛が主人に会うと、おひろとそっくりの顔。「お子様を拾って、大事にお育て申しておりました」 と言うと、越後屋は大喜び。婆さんは嬉しさに踊り出してしまう。おひろは疲れて寝てしまうが、寝言で歌う。「ぼーん、恩のあるのは八丁堀、江戸一番のいい夫婦、御恩は一生忘れません」【成立】 古今亭志ん生(5)が演った。婆さんが踊り出して終わり。立川談四楼、古今亭駿菊はおひろの寝言で終わった。この寝言はちょっと作り過ぎかな。他に立川談四楼、三遊亭萬橘らが演っている他、桂文我が上方に移植している。上方では「盆歌」とし、お盆にあの世から帰って来ることを入れた演出にしたと聞く。この後越後屋が小間物屋の店を出してくれる演出もある。 ぽんぽん唄は、夏の行事で、浴衣を着た女の子が提灯を手に歌い歩く。松本市に大坂商人が伝えたものが残っていて、有名。この歌を譜面にした人がいるが、4分の2拍子で書いているが、途中8分の3拍子が入る。「ゴジラ」と同じだ。「あんたがたどこさ」も2拍子から3拍子になるが、これは手毬歌なので正しくは4分の1拍子なのだ。
2026.08.25
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【粗筋】 芝居の舞台では「本能寺」を上演中。武智光秀(明智光秀)が小田春長(織田信長)に挨拶に来て、逆鱗に触れ、森蘭丸が春長の鉄扇で光秀の頭を叩く。もう済んだかと顔を上げた所をピシッと打たれ、ついに怒り心頭、小柄を抜いて投げると、上手にある「忠孝」と書かれた額に打ち込む。途端に聞こえる早鉦と太鼓。蘭丸が物見に出ようとすると、光秀が、「物見に及ばん、謀反でござる」「謀反、その統領は誰、何びとなるぞ」「誰でもない。この武智十兵衛光秀なるわ」光秀着物をぶっ裂き、ザンバラ髪になる。(ここで扇子を広げて水平に回転させ)舞台が回ると、手負いの蘭丸が登場…… 見物していた田舎の婆さん、孫への土産にイナゴを紙袋に入れて持って来た。芝居に夢中になるうちに、袋の口が緩んでイナゴが飛び出す。舞台の上では立ち回りだが、「イナゴがいてる……どないなっとるねん。イナゴだらけやで。なんでこんなにイナゴが出たんや」「おおかた、前の客が青田らしいわ」【成立】 上方噺。前半は鳴り物入りで台詞と仕草で舞台を再現したもの。桂米朝、など数人を聞いた。 青田というのは金を払わずに見物をする客。米朝師匠によれば、客の入りが悪いので、景気づけに入れる客もあったという。
2026.08.24
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【粗筋】 髪結いに集まった若い衆が好きな物を話し合っていると、「本堂建立」と幟を立てた托鉢の坊主が通り掛かる。呼び込んで話を聞くと……陰間茶屋に勤めて男の坊主に見受けされ、駒込の吉祥寺に預けられた。そこで八百屋お七に惚れられ、お七が自分に会いたいばかりに放火して死刑になる……などなど、どこかで聞いた話をつないで、自分のことのように話す。「坊さん、あんたの話は一つも本当のことはないね」「今言ったことは嘘だが、この旗を持って表に出れば絶対嘘はつかない」「どうして」「本堂(本当)建立に歩きます」【成立】 桂文治(8)がよく演ったという。
2026.08.23
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【粗筋】 村長さんの家に嫁が来るというので、村のみんなでお祝いを出したところ、ご馳走するから来いと連絡が回った。聞くと簡単な料理ではなく、本膳の総振る舞い。礼儀作法があるというが、知っている者はいないから夜逃げをすることになった。いや、手習いの先生は江戸にいたから心得があるだろうと相談……今夜では間に合わないから、みんな先生の真似をするということになった。 先生落ち着いて座敷に入って座ると、みんなが真似をする。「吸い物が出た。蓋を取っただ。一口吸った……何、全部吸ったって……一口だけだ、戻せ戻せ」 先生里芋を取ったが不覚にも取り落す。途端に座敷の中を沢山の里芋がコロコロコロ……先生これはいかんと箸で刺そうとしたが、慌てているので失敗。みんなが里芋を追って、誰が一番に刺せるかの競技大会になる。 飯に取り掛かると、鼻の頭に飯粒が3つ。「こりゃ難しい。手でやっていいかね」 いい加減にしろと先生、隣の男を肘で突く。やられた男、これも礼式だと、隣の男に肘鉄、だんだん強くなって行って……最後の男が、よし見てろよって隣を見るが誰もいない。困って肘を示して、「先生、この礼式はどこへやるだ」【成立】 元和(1615~24)頃の『戯言養気集』上巻にある(無題)は、信濃の国深志という地で、参宮のため、坊主にお手本を頼んで真似をする。山椒にむせて皆で同じ顔になり、たまらず手水の水を飲むと、皆で飲んだという噺。中国の『笑林』には、弔いに行って、先頭の者がむしろの上で平伏すると、皆後ろに並んで一斉に平伏、前の男が後ろの者の足を踏んでののしると、これが後ろへ後ろへと伝わり、最後の者は喪主を踏んづける。 上方では「平の陰」で本来東京落語と同じ落ちだったのだろう。笑福亭鶴光は「徳利を貸してくれと言うてましたが」「ああ、ここに書いたぁる」「書いてあるのに、なんで読みまへんねん」「とっくりと見なんだんや」という落ちで演っていた。鶴光は東京の「本膳」をもとにしたようだ。【蘊蓄】 本膳は正式の食事で、簡単なもので一汁三菜。江戸期の料理本では、七菜が出て、二の膳が五菜、三の膳が三菜となるのが正式らしい。
2026.08.22
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【粗筋】 播磨の国に父親と子供2人が暮らしている家があった。子供は10歳の兄と8歳の妹。父は細工が上手い職人で、京都から5年の年季で招かれる。これが一家を支えているので、父親は村の長に子供を預けて仕送りをする。5年別れることになり、兄は硯、妹は鏡を土産に頼む。 父親は京に上り、初めての大晦日、夜中に尺八を聞く。その音に乗って子供が自分を呼ぶ声が聞こえたような気がする。翌年、同じように子供の声が聞こえるが、「苦しいよう」と言っている、その翌年には「早く帰って来て」、4年目には「硯も鏡もいらない」という声。 年季があけて村に帰ると、京へ出た2年目に二人とも風邪をこじらせて亡くなり、裏庭に埋めたと言われる。 その年の大晦日、村に虚無僧が現れて尺八を吹く。招き入れて話を聞くと、4年前にここで2本の竹をもらって尺八を作り、大晦日には毎年京都で吹いていたという。 頼んでその竹の生えていた藪で尺八を吹いてもらうと、「掘って掘って」の声が聞こえる。掘ると子供の遺体が出て来た。病気の妹を医者へ連れて行こうとして、崖から落ちで亡くなったのだと分かる。そこで除夜の鐘がゴーン。「ああ、除夜の鐘もしゃくとはち(尺と八、百と八)」【成立】 播磨の民話を三遊亭円窓が一席に仕立てた。
2026.08.21
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【粗筋】 効能を述べ立てて惚れ薬を売り歩く男、呼び入れてみると、「お前さん、徳さんじゃないか」「へえ……お久しぶりで」「惚れ薬で、どんな女も思いのままのように言っていたが、お前さんの女房は化けべそって言われていたじゃないか……どうなっているんだい」「はい、商売ものは決して手をつけません」【成立】 昭和の頃、枕で聞いた記憶がある。【蘊蓄】 化けべそは化け物べそをかいたような顔という意味。惚れ薬は「イモリの黒焼き」が定番。上野・鈴本の近くに「本家」「と「元祖」があったと桂米朝が述懐しているが、今世紀初めには御徒町駅に向かう途中に一軒が残っていた。ちゃんと見ていないので今どうなっているか分からない。
2026.08.20
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【粗筋】 あまりにそそっかしい熊五郎、信心で治そうと堀之内の御祖師様に参詣することにした。女房に弁当を作らせて朝早く出掛けるが、最初から迷子になって、「私はどこへ行くんでしょう」 逆方向へ歩いていたことが分かって戻り、道を聞こうと思ったら我が家……やっと正しい道を聞いて、さあ、この辺だ、落ち着いて聞こうと家に上がり込むと、「道をお尋ねします」「どこへ行くんです」「さあ」「あなたお題目を唱えてましたな。お祖師様では」「そう、それ。最初から知っていてなぜ隠してるんだ」「お祖師様ならここですよ」「あなたがお祖師様」「この先です。行けば分かりますよ」 やっとたどり着いて、賽銭を投げようとして、小銭を手にして財布を放り込む。弁当を開けると、枕を腰巻で包んでいる。急いで帰って、「おい、何で腰巻なんぞを持たせた……笑ってやがるな。何がおかしい」「お前さんの家には隣だよ」 慌てて自宅へ入り、「ただいまは申し訳ありませんでした」 子供を連れて湯屋に行くが、床屋で裸になったり、湯屋でよその子を裸にしたり……子供の背中を洗ってやると、「お前大きくなったな。背中が広くなった。おい、こんなに広くなくてもいいんだ。どうなっているんだ、こりゃあ」「お父っぁん、羽目を洗ってら」 【成立】 安永2(1773)年『近目貫』の「観音」は、賽銭を上げようと懐手でさぐり、一文だと判断して投げると、四文銭。「南無三、取り違えた」と言うと、観音が「苦しゅうない」」というもの。粗忽者のネタに同じように見ないで選ぶ、金貨にはギザがあるってんで、ほいと投げるとキラッと光るから「南無三」というものがある。 同年『今歳咄』二篇の「門ちがい」は、医者が急病人の見舞いに行くのに、脇差と間違えてすりこ木を差して行く。向こうでやっと気付き、急いで帰って女房を叱り付けると、お隣の家。これは失礼と逃げるように自宅に戻って、「先ほどは失礼いたしました」……翌年の『茶のこもち』の「そそう」も同じ。 寛政10(1798)年『無事志有意』の「そそう」では主人公は粗忽なかみさんになり、堀の内にお参りに行き、下女と湯に行く。入口で額をぶつけ、下女に「痛くはなかったか」と尋ね、隣のかみさんの足を洗って、「何を冗談しなさるか」と言われて「これはごめんさない私のおみ足と思いました」 立川談志(7:自称5)は「俺、そそっかしいんだ。落ち着くと、落ち着かなくなっちゃだめなんだよな」 橘家圓蔵が円鏡時代に、「あのォー」「何です」「私どこへ行くんでしょうって聞いたら、あんた驚くでしょう」 桂文治(10)は、「あわてもの」という題で浅草寺にお参りに行く。一門ではこれが受け継がれている。
2026.08.19
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【粗筋】 堀越村に与平次とおるいという夫婦がいた。このおるいは絶世の醜女だが、心掛けが良く夫婦仲も極めて良い。雪の夜に行き悩んだ侍親娘を泊めるが侍はその夜死に、娘は与平次が世話をすることにした。侍は北面の武士・松本丹下で、悪人の誹謗によって都落ち、紀州と大和の境にある堀越村までたどり着いたのである。村ではこの美しい娘、お玉の噂でもちきり。あばばの茂兵衛という男がこれを無理に口説いて夜這いを仕掛ける。お玉の方では与平次と相談をし、代わりに牛を布団に寝かしておく。忍んできた茂兵衛、闇の中で牛の角を持って振り回すと牛も我慢が出来ずに鳴く。びっくりした茂兵衛は表へ飛び出した。友達が、「どうだ、うんといわしたか」「いや、モーといわした」【成立】 『御津郡昔話集』は、夜這いに来て牛が鳴いたのに驚いて逃げ出したというもの。 前半は人情噺のような展開で、その後どうなるかと期待させるが、何もない。これと、布団に牛を寝かせるというアンバランスが対照的。そこが面白いから「お玉牛」だけでなく、「堀越村」が付く方がいいと思ってここに置く。小島貞二編集の本によれば、落ちは牛の鳴き声に「もうこりごり」の「もう」を効かせたものだと書かれているが、女のよがり声「ええ、もう」「ああ、もう」が効いているはずだと思うが、誰も指摘していない。桂ざこばが演ったのは、現場にお玉の父親が現れ、「まだ来るつもりか」「いいえ、牛だけにモー来まへん」と落としていた。子供の頃、牛とは知らずに口説きながら体を触るのを見たが、角に触って簪だと思い、布団に手を入れて「寝ぶくれする質やな」くらいはいいが、「下の方濡れとるで」と匂いを嗅いで絶句するような演出はもう……見てて嫌になった。 後半のみを独立させて「おたおたの太助」「牛の嫁入り」とも大阪でも発端を省略する場合は題名の「堀越村」を省略することが多くなったようである。前半と後半のアンバランスについて次のような考証がなされている。無住法師の『沙石集』巻二ノ六に、インドの説話があるが、「常ノ物語ナレバ、委(くわし)ク是ヲカカズ」としており、かなり世に広まっていたものと思われる。その後、最後の著作となった『雑談集』巻五で、「由緒ある娘が鞍馬へ参詣すると、これに思いをかけた老僧が、天主の声色を使って娘を奪う。これを櫃に入れて運ぶ途中、二位の中将が見つけて牛と入れ替える」という内容を紹介している。これをもとにした室町時代のお伽草子『ささやき竹』は次のようなストーリーになる。二条関白が蹴鞠見物に来た娘を見初めるが、名も所も聞かずに別れて、占いで娘の守り神が毘沙門天と出たので、鞍馬の毘沙門天に日参するようになった。一方娘は婿探しのため鞍馬の西光坊を呼んで毘沙門の法を修するが、この西光坊が娘に惚れ、竿の節を抜いた「ささやき竹」で毘沙門の声色を使って娘を奪う。ところが御泥が池まで来ると人夫は足腰が立たなくなり、そこへ二条関白が通り掛かり、櫃に入れられた娘と牛を入れ替える。西光坊の方は娘でなく牛が届いたので大あわて、最後は天狗につかみ殺されてしまう。さて、「堀越村」では前半と後半とが全く雰囲気の違う話となっているが、南方熊楠の随筆『美女が猛獣になる話』には、1:中国唐代の『酉陽雑俎』では、賊にさらわれた娘を熊と入れ替えて助けるのが則天武后の長男。2:カシミール11世紀の『カター・サリット・サーガラ』では、仙人が商人をだまして娘を籃で川に流させるが、途中で猿と入れ替えて助けるのが王子。3:インドの古典『ヴェーター=パンチャヴィンシャティカー』では、男が仏の声色を使って娘を手に入れるが、隠しておいた娘を虎と入れ替えて救うのが王子。 という三つの話を紹介している。「3」の男の手口は落語との関連もあるが、娘はいずれも貴人に救われ、幸運の訪れを予感させる。日本の昔話でも、関白、殿様といった人が娘を発見する。その相手となる娘も、ある程度の身分でなければならない。そのために「お玉牛」では娘の出生を明らかにする前半部がつけられたのであろう。ただし、落語では娘を救うのが、牛飼いや肥とりである。 ともかく、前後のアンバランスは面白い。残してほしいものである。
2026.08.18
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【粗筋】 親は商売をしてそこそこの家にしたが、息子が飲兵衛で、店を飲み潰し、今では親子三人長屋暮らし。息子は働きには出るものの、毎晩酔って帰って来る。親父が寝ていると頭を蹴飛ばし「もったいない」と言うから、少しは親を思う気持ちがあるのかと尋ねると「徳利かと思った」今夜は家に入れないと言って母親になだめられる。この向かいに住むのが、酒も博打も女もいらぬという真面目な男……というが、実は火事と喧嘩が大好き。喧嘩をしに一回りして来たが、「世の中が悪ぅなって、誰も相手しよらん」と嘆きながら帰って来て、長屋の前にいたうどん屋を巻き込もうとするが、結局喧嘩にならず、いらいらして自分の家に帰ると、疲れて寝ている母親の頭を蹴飛ばす。 翌朝、起こそうとするとなぐられるので、母親は一計を案じ、あそこで心中があったと独り言を言って、それを聞いた息子が飛び出して行く。無駄足で戻って来ると、「あれは50年前の話」 翌朝起こす方法が思いつかず、向かいの夫婦に火事だと騒いでもらい、友達の家に近いと飛んで行って、「俺が来たので火事を隠しやがったな」 翌日は近所の猿回しが引き受けてくれるが、猿に芸をさせる歌で起こすと、息子面白がって機嫌よく出かけて行った。 これを見ていた向かいの母親、「お父さん、向こうの息子はん猿に起こされて、自分の猿になって行きよりました」「人の息子さんを笑うんじゃない。お猿でええやないか。うちの倅、毎晩トラになりよる」【成立】 上方落語。頭を蹴飛ばして「もったいない」というのは、江戸小噺では「お櫃かと思った」。酒飲みに変えている訳だ。林家染丸(3)が得意にしていた。4代目も演っているそうだ。この3代目の弟子の小染は普段は大人しい人物なのに、酒が入ると無茶苦茶になり、1984年、飲み屋で突然「トラックと喧嘩して来たる」と表へ飛び出し、本当にトラックに轢かれて亡くなったそうだ。 ある噺家さんに「この噺の題、なぜ『堀川』というのですか」と尋ねたら、「そら『堀川』ですから、そうでなかったら他の題付けるのと違いまっか」
2026.08.17
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【粗筋】 居酒屋に来た客、「この時刻になるとどの店も閉まっていて、やっとここを見つけたんや」と、枝豆を肴にお湯割りを飲み始めるが、お湯割りがぬるいことから始めて、ぼやき始める。女房は自分の風邪には薬でものめと放っておき、猫の風邪には大事に病院へ連れて行く。最近の歌は意味が分からない。仕事でもストレスがたまる。「あんたも大変やね。酒が熱いのぬるいのと文句を言われて……大変やろ」「へえ、ところでお客さんのご商売は」「居酒屋や」【成立】 桂文枝(6)の創作落語。第108作目、1998年5月の作品。
2026.08.16
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【粗筋】 棟梁の息子の源次郎が継母にいじめられ、熊五郎の女房・お光が自分の家に泊めてやる。熊五郎は弟弟子の吉五郎から「三年添っても気を許すな」と言われ、男がいるのでこのことかと早合点、間男だと思って薪を持って源次郎を殴り殺してしまう。 死骸を大川に捨てに行くと、吉五郎に会い、死体だと見抜かれてしまう。お前が余計なことを言うからだと言われて、死骸を隠すことに協力する。吉五郎の家の縁の下に埋めると、「何かあったら万事弟分の吉五郎が知っていると言うんだ。それで、俺ぁちょいと金が要るんだが……」と熊五郎から金をせびるようになる。 その後、後妻(源次郎の継母)は男を作って出て行き、残された棟梁は風邪をこじらせて亡くなる。後継ぎがいないので熊五郎が棟梁になり、羽振りが良くなると女遊びも始まる。そうなると、女房の嫉妬が始まり、夫婦喧嘩……そこで、「お前が源ちゃんを殺したから」と言ったのを、通り掛かった八丁堀の同心に聞きとがめられる。取り調べで、お光は亭主が源次郎を殺して埋めたと証言、熊五郎は「万事、弟分の吉五郎が存じております」と言う。吉五郎が呼び出されると、「過って殺した犬の死骸を埋めました」と言う。役人が縁の下を掘り起こすと、その通り犬の骨が出るので、女房が嫉妬の余りあらぬことを口にしたのであろうと、無罪放免。 吉五郎は、「あのままでは危ねえと思って、死骸を掘り起こし、代わりに犬の骨を埋めたんだ。三年添っても気を許すなという意味が分かったかい」と言う。 そこへ野良犬が足元から吠え掛かる。「ワンワンワン」「ぶち殺すぜ」犬がひょいと避けて、「へっ、人間にはされたくねえ」【成立】 三遊亭円生(6)が演じていた。落語なのに、このサスペンスは何だ……と学生時代に思った。落ちで全て終わらせる落語の魅力もある。円生は、マクラで「いつうける」を振って手助けとしていた。これは質に入れるのを「ぶち殺す」、出すのを「受ける」と言っていて、博打で掏った男が家族に、「着物をよこせ」「どうするんだ」「ぶち殺すんだ」「いつ受けて返す」を繰り返す。子供までが同じなので、腹立ちまぎれに表に出ると犬に吠え掛かられる。「ぶち殺すぞ」、犬が顔を上げて「いつ受けて返す」
2026.08.15
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【粗筋】「おい、時鳥が鳴いているぜ」「本当だ、テッペンカケタカって聞こえる……こりゃ妙だ」「こう鳴くのは雄だけだって、知ってるか」「へえ、雌はカッコウと鳴くのか」「そりゃあ閑古鳥だ」「雌は何と鳴くんだい」「雌は、てっぺんかけやしたか……と鳴くだろう」【成立】 安永2(1773)年『御伽草』の「ほととぎす」。時鳥の鳴き声は、私には「特許許可局」の方が耳なじむ。「ホトトギス」を表す漢字は何種類もある。夜明け前にけたたましい声で鳴くこの鳥は大きく口を開けて口の中の赤いのが目立つ。だから血を吐くように鳴くとされ、結核で血を吐くことと重ね合わされた。徳富蘆花の「不如帰(ほととぎす)」は、主人公浪子が、横恋慕する男や姑の嫌がらせに耐えながらも幸せな結婚生活を送る。しかし、夫の武夫が日清戦争に従軍すると、結核を理由に離縁され、夫を思いつつ死ぬ。どうでもいいが、これをまとめた時にウキペディアの「ホトトギス」の文学に、一番重要なこの作品が紹介されていなかった……ウキペディアは間違いが多く、結局は自分で調べなければならないから、その手掛かりを得るのにしか役立たない。今は改定されているかも知れない。 「雑排」で八っあんが詠む俳句「ホトトギス浪さん待っててちょうだいな」はこの作品をもとにしたもの。 また、正岡子規は血を吐いたので、ホトトギスの漢字の一つを取って「子規」と号した。それで俳句の雑誌が『ホトトギス』。 鳥の多くは雄だけがさえずる。テリトリーを守るためと、雌を呼ぶため……書物では後の方しか書いていないのが多い。それも浮気相手を求めてと説明しているのは何だろう。作者がそういう人なのだろう。
2026.08.14
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【粗筋】 寺の住持である弁長が小僧の西念を連れて、本堂建立の勧進を求めて町へ出る。お布施が集まると酒を飲んで酔いつぶれてしまう。道ばたの馬にお布施の品を乗せて西念に引かせて寺へ返し、自分は残った馬の手綱を持ったまま眠ってしまう。馬の持ち主である百姓が戻り、馬が坊主に化けたと驚く。弁長は仕方なく、素行が悪くて馬にされたが、ようやくお釈迦様の許しが出て人間に戻ることが出来た、と嘘をつく。信心深い百姓は、母親の命日に当たるので経を読んでくれと家に案内する。弁長はまた酒をごちそうになり、泊めてもらって翌朝寺に戻ると、馬がいてはまずいと、市に売ってしまった。さて、百姓の方も馬がなくなって困るので市場へ出掛けると、自分の馬が売りに出ている。こっそり、「和尚さん、また罰が当たって馬になったな」 とささやくと、くすぐったかった馬が首を振った。「ははは、駄目だよ、すっとぼけたって。左の耳の差し毛が証拠だ」【成立】 トルコの『ナスレッディン・ホジャ物語』がほとんど同じ噺。市で買った馬を盗むが、ホジャに見付かると、母親に怒られて「お前みたいな奴は馬になってしまえ」と言われて馬になったと言う。それを聞いたホジャは「おっ母さんのいうことを聞けよ」と逃がしてやる。翌日市に来てまた同じ馬を見つけ、「またおっ母さんを怒らせたな」
2026.08.13
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【粗筋】 30歳過ぎた娘だが、婚活よりも仏に夢中で、休みには奈良仏像巡り。素敵な出会いがあったというので、両親はほっとするが、相手は広目天。阿修羅像などにも恋心を抱いているが、最も愛しているのはやっぱり大仏。あの包容力のある顔、いつもつまんでいたい耳たぶ……女性なら恋に落ちるのは当然…… これじゃダメだと会社の同僚に愚痴をこぼしていると、海外出張から戻った部下が大仏というあだ名……顔がそっくりなのだ。寺出悟という名で、両親が海外生活している時にインドで生まれ、シルクロードを渡って中国から日本に入って来た。……仏教伝来と同じだ……外国語が堪能なので海外出張が多く、日本語はちょっと下手。 娘に紹介すると、大喜びで初デート。帰って来るのを待ちかねて聞くと、「楽しかった。鎌倉のお寺88ヶ所を巡ったの」「巡礼だな……じゃあ、この話進めていいな」「ちょっと待って、結婚はちょっと……」「何かあったのか」「何を言っても彼、イエスって答えるの」【成立】 柳家小ゑんの創作落語。細かい所は支離滅裂って言ってもいいけれど、それがまたおかしい。粗筋にすると筋が通ってしまうのがまたおかしい。小ゑんワールド。
2026.08.12
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【粗筋】 ある村の若後家、なかなか色っぽいので、法華の坊さんが七日ごとにやって来るうちに後家と関係してしまった。夜明けになって一番鶏が鳴き出す。「コケコッコー」と鳴いているが、坊主には「法華坊主~」と聞こえる。これはお祖師様が戒めているのだと思い、後家に別れを告げて寺に帰って行く。残された後家ががっかりしていると、鶏が「コー、コォコォ」「ほんまに人の気も知らんと、お前がしょうもない声を出すから、あの人いんでしもたやないか」 と側にあった笊(いかき=ざる)を投げつけると、鶏が飛びのいて、「ゴケッコワコワ…後家、怖怖……」【成立】 上方落語。桂米朝が演ったのを聞いた。
2026.08.11
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【粗筋】 大家が法華を信仰し、長屋にも法華以外の者は住まわせない。いつもの肥汲みが病気で汲みに来ないので大変なことになっている。仕方なく大家が通り掛かった声汲みに声を掛けるが、違う宗旨だと言うと、その宗教をさんざんけなして追い返す。これを聞いた肥汲みが、最初から分かっていればそういう応対をすればいいと出掛ける。呼び込まれると、大屋が法華でなければ汲んでやらねえと逆手に出て、酒をご馳走になる。飲みながら何かとお祖師様の話をしてすっかり酔っぱらってしまう。「長屋の衆が待ちくたびれているから、汲んでくれ」と言われて仕事にかかるが、汲み取って歩きかけた途端によろけてしまう。うっかり「おっ危ねえ、南無阿弥陀仏」と言ったのを聞きとがめられ、「お前、今、南無阿弥陀仏と言ったろう」「こんな汚い物は、他宗へ託(かず)けるだよ」【成立】 明治の頃の三遊亭円右(1:鼻の、ステテコの)、円喬らの速記が残り、昔はよく取り上げられたものらしいが、ネタがネタだけに取り上げられなくなっているようだ。私も子供の頃に聞いたぎり。江戸では葛西から汲み取りに来たのはお馴染みで、肥やしに使うので金を払って汲み取った。職人は食い物がいいので高く売れた。「大工調べ」などの大屋との喧嘩で、「腹がくちくなっても、長屋へ帰って糞垂れてやってるんだ」と啖呵を切るのはそういうこと。諸国の者が集まり、どこから来たのか話し合う中で、「尾籠な話、葛西で」という笑い話も残っている。私の子供の頃もまだこの小噺は通じていて、説明なしで理解できた。葛西臨海公園が出来た時、糞尿をエネルギーにするのだと思った……ゴメン。 よく両国は両国ではないという話が出る。両国橋は武蔵と下総の間に掛けられたのでその名が付けられたとされるが、境が変わっているので、スカイツリーのある向こう両国は武蔵になっているから634メートルで正解……どころか、橋が架かった時には既に武蔵国になっていたとする人もいる……それでは両国の意味がない。江戸中期の『江戸名所記』では両国橋について、「これより先はしもふさしもふさ」としており、江戸末期の葛西の農家が汲取代の高騰を訴える願書に、自分達で「下総国」と書いている。境界はあったのだろうが、感覚的には適当で、だからいつ境界が変わったのかも諸説あるのだと分かった。スカイツリーがあるのは「向こう両国」で、隅田川の西が武蔵の国で「両国」、東は下総国で「向こう両国」というのが、橋の架かった時の感覚だった。
2026.08.10
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その5「後筋」 (20)江戸へ戻った伴蔵は、海音如来を掘り出し、邪魔になった志丈を殺す。役人に追われ、通り掛かった孝蔵らを役人かと思って不意打ちに斬り付けるが、良斎和尚の言葉で気を配っていた孝蔵に取り押さえられる。孝蔵が白翁堂に母親の消息を占ってもらいに行くと、何とそこへ息子の行方を求めて来た母に再開。酒癖の悪かった父と別れ、再婚していたが、何とその相手の連れ子がお国。今源次郎共々自分の屋敷にかくまっているという。 (21)母は孝蔵に仇を討たせる約束をして故郷に帰るが、お国も自分を母と頼っていることに心を痛め、こっそりと二人を逃がして孝蔵への申し訳に自害する。源次郎とお国は孝蔵に恨みを持つ相助を仲間にして、孝蔵を罠に掛ける。挟み打ちにされた孝蔵は、白翁堂の占いでとにかく前に進めと言われたのを思い出し、後ろから狙う源次郎でなく銃を構える相助の方へ斬り込む。銃に恐れて後退するのを狙っていた悪人共は完全に裏をかかれ、孝蔵は見事源次郎とお国を討ち、お家再興をなし遂げる。伴蔵がお仕置きになると、これもお露と新三郎の関係が原因と知り、平太郎とお露・新三郎の三人を供養するため、新幡随院に濡れ仏を建立する。【成立】 もったいぶって後筋紹介がたった2席しかない。ゴメン…… 三遊亭円朝作、元治元(1864)年、真打になり、書割(背景)を用いた噺で鳥を演じようとするが、師匠だった円生(2)が先にその噺を演ってしまい、急遽別の噺にしたという……そこで先に演られないオリジナルの新作を創作しようと決意したという。これで師匠とは絶縁するが、師匠が老いて生活に困ると、円朝が世話をしたという。
2026.08.09
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三遊亭円生(6)の所演でまとめたが、原作は同時進行でもう一つの話が進んでいるので、各回の粗筋をもう一度まとめることとする。()数字は原作の回を表す(筑摩叢書87『円朝怪談集』)。 (1)飯島平太郎という侍が酔ってからむ黒川孝蔵を斬り捨てる。一部始終を見ていた刀屋の親父に平太郎が「よくお前は逃げなかったな、さすがは肝がすわっている」と言うと、「いえ、とうに腰が抜けております」という、『品川心中』などでお馴染みの落ちがついている。 (2)この平太郎が結婚して出来た娘がお露。妻が亡くなり女中のお国に手をつけるが、お露はこのお国と折が悪く、別邸に住むようになり、山本志丈に連れられた新三郎と出会う。(このお国が栗橋で伴蔵と関係を持つ) (4)お露が忘れられぬ新三郎は恋患いになり、気晴らしに出した船がたまたまお露の屋敷の近くへ来てしまい、二人は結ばれる。そこへ突然現れた平太郎に斬り殺されるが、これが船の中で見た夢。気が付くと夢でお露にもらった香箱があって驚く。 (6)新三郎はお露の死を知らされるが、現れたお露の幽霊と契りを結ぶ。のぞき見た伴蔵が腰を抜かす。 (8)新三郎は良斎和尚と白翁堂の勧めでお札を貼る。 (10)伴蔵はお露の幽霊に頼まれてお札をはがす約束をする。 (12)伴蔵がお札をはがし、幽霊を新三郎の屋敷に導く。 (14)翌朝、伴蔵は白翁堂と共に新三郎の家に入る。 (16)中で新三郎が白骨を抱いて死んでおり、伴蔵は栗橋へ身を寄せる。 (17)伴蔵はお露の義母のお国と関係し、妻のお峰を殺すが、女中がお峰に取りつかれ、医者を呼ぶ。 (18)呼ばれた医者が志丈で、お国の亭主と名乗る源次郎を追い返して、二人は江戸へ戻る。 ここまで、1、2の経緯、4の香箱を除いて円生が演じた内容。 同時に平太郎の屋敷の事件が展開している。 (3)平太郎の屋敷にお抱えになった孝助という若者、平太郎が気に入って重く用いるが、これが実は18年前に斬った孝蔵の息子で、事情を知らずに父の仇を討ちたいと願っている。平太郎は剣を教え、いずれ討たれてやろうと考える。 (5)お国は隣家の次男坊・源次郎と関係し、主人の平太郎を殺す相談をする。これを立ち聞きした孝助は二人に辱められ、主人のために二人を殺して腹を切ろうと決意する。 (7)平太郎は孝蔵を相川家の養子にする話を持ち帰った。断りきれぬ孝蔵は、その前に二人を殺そうと思う。 (9)一方お国も、孝蔵が相川家の養子になればこの屋敷も思いのままにされると、源次郎にけしかけ、相川家の娘に思いを寄せている源次郎の家来・相助らを言いくるめ、孝蔵と喧嘩をさせて両成敗として屋敷から追い出すことにした。しかし、喧嘩の現場に平太郎が通り掛かったため、相助らだけが追い出され、孝蔵はそのままということになった。 (11)お屋敷に盗人が入り、金子百両が盗まれる。お国はこれを孝蔵に押しつけようと、平太郎の胴巻を孝蔵の文庫に入れておく。 (13)平太郎は孝蔵の本性を見抜いているので、金は自分のしまい忘れ、胴巻は与えたものだと言う。お国はいよいよ平太郎を殺すしかないと決意するが、これを知った孝蔵は今夜のうちにお国と源次郎を殺すことにした。孝蔵の心を見抜いた平太郎は、障子に映った自分の影を源次郎だと思わせ、孝蔵に槍で突かせて全てを打ち明ける。平太郎はそのまま源次郎とお国の部屋へ斬り込んで殺される。孝蔵が二人を殺せばお家も取り潰しになるが、これで孝蔵がお国らを斬っても、平太郎の仇討ちという名聞が立つ。 (15)平太郎は相川家の世話になり、娘と祝言を行った翌日、仇討ちのためお国の故郷に向かう。実の母も同じ土地にいるという情報があり、二つの目的の旅であった。 (19)1年たったがどちらの手掛かりはなく、孝蔵は平太郎の一周忌のためひとまず江戸へ戻ったが、相川家には帰れないとたまたま回向を頼んだのが良斎和尚。人相を見る良斎和尚によい知らせがあるから家に帰れと勧められ、相川家に戻ると、何と自分の子供が生まれている。平太郎の法事で良斎和尚と再開、白翁堂を紹介され、命が危ないので気を付けろと言われる。
2026.08.08
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