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★お泊り会 光太はもう夏休み。夏休みに入る直前に園でのお泊り会があった。実は光太はこのお泊り会を数か月前から嫌がっていた。直前になるにつれて「なんで年長になったらおとまりがあるんだろう・・・」と暗い顔でぼやいていたぐらい。 お泊り会に向けての保護者の懇談会があった時、担任の先生がお泊り会に向けて変わった様子がある方といわれて手をあげたのはなんと私だけだった。光太以外はみーんなお泊り会を今か今かと楽しみにしている様子だとか・・・ あまりにお泊り会を意識しすぎると知恵熱が出て行けなくなるのもなぁと少しだけ心配していると、数日前になると逆にすごく楽しみにするようになってきた。 きっかけは、キャンプファイヤーで使うヘッドランプを買いに行ってあげたことからかもしれない。その後、お泊りがいやだった最大原因の夜のおもらしのことも先生にちゃんと話をしてあるから安心してというとすっかりウキウキになってしまった。実はまだ光太は夜のオムツがとれていなくてそれがずっとお泊りを嫌がる理由だったのだ。 もちろん、ママと離れるのもさびしいとは言っていたけれど・・・そんなこときっと友達とワイワイやってると思い出す間もないだろうと思っていた。 お泊り会の内容はドロケイ大会をしたり、森の中にテントを張って水鉄砲や楽器作りをしたり、子どもたちで作ったチョコバナナアイスを食べたり、園で作っている野菜を収穫して野菜カレーをみんなで作って食べたり、シャワーをあびたら今度はキャンプファイヤー・虫取りの準備。夜のうちにカブトムシの餌をつけておいて翌早朝にとりにいったり・・・翌朝の朝食時にはすいか割りもあるのだとか。聞いているだけで楽しそうだなぁと思っていた。 お泊り会に行ってる間の私といえば・・・ひっさびさに会社帰りのパパとデートをした。たまには二人でゆっくりおいしい食事をということで、普段は幼児お断りのフレンチを選んだ。そのお店は地元で20年もやっているとかで、お店の奥さんがとても気さくな方でお話も上手でとても感じがよかった。目にも麗しく美味しい食事に、これまたとっても美味しいコーヒーをゆっくりしゃべりながら2杯もお代わりして楽しんだ。帰りにはケーキのサービスもあり(結婚記念日ということで)なんとも独身時代のデートのような楽しいひとときを過ごせた。 ただ、家に帰って寝るときになると、いつもは私が光太と二人で寝ているのだけれど隣に光太のうるさい寝息が聞こえないのと、いつも夜中に蹴飛ばされて「もう!痛い!!」と思って光太の足蹴りから逃げまくっているのだけれどそれがないとかえってさびしいものだった。なんだか静かな部屋は広~く感じてなかなか寝付けなかった・・・どうやら同じころ、光太も私のことを思い出して泣いてしまっていたようだ。以心伝心なのかしら??考えてみれば、お腹の中にいるときから数えれば、6年半夜寝るときだけは離れたことがないのだもの、長年連れ添った恋人みたいなもんだ^^ お泊りに行く日は大きな、光太が一人入れるぐらいのカバンをもって元気にバイバイして行ってしまった。あっけなくて、残された私の方がちょっと気抜けたぐらい。こうやって男の子はあっという間に私の手から離れていくんだろうなぁと思うとしんみりしてしまう。ママの後追いばかりしていた赤ちゃんの頃を思えばほんとずいぶん成長したもんだ。 翌朝10時半にはもうお迎えで、束の間のお別れもすぐ再会となるのだけれど、光太達は興奮した1日の後の疲れが見えてちょっとお疲れモード。先生なんてもっともっとお疲れだったことだろう。寝不足なんだろうなぁ。一人一人名前を呼んでお泊りの様子を教えてもらってお別れなのだけれど、光太は夜少し私を思い出して泣いてしまったこと、おもらしはオムツの中では少ししていたけれど、光太が自分から朝は早く起きて先生に着替えさせてもらったことなどを聞いた。ま、あれだけ本人がずっと心配していたことを思えば上出来だろう。 お泊り会では恒例なのだけれど、夜寝る時にお家の人からのお手紙を読むというのがある。前もって親が子供あてに手紙を書いておいてそれは子どもたちには内緒になっている。子供達が読んで泣き出すような内容にならないように、明るい内容にとなっているのだけれど、そうはいっても思い出してしまうのだろう。泣いてしまう子もいるらしい。光太もそのうちの一人だったのだけれど。 おうちの人からの愛情を感じて手紙を抱えて眠る子もいるらしいが、うーん、どうだろう?せっかく友達同士のお泊り会でもりあがって親のことなど忘れているところに最後に眠る前になって思い出させられるのは、いくら前向きの内容とはいってもかえってさびしくなるものじゃないかなと思う。いっそ忘れたままの方が子供にとっては幸せなのでは? 光太にはパパとママからのメッセージを書いて渡してあったのだけれど、そこからパパやママを思い出して悲しくもなったのだろう。でも、それをまた乗り越えることで一回り大きくなれるのだから、やっぱり、お手紙を読むことそして親の愛情を感じることは素敵なお泊り会の夜の締めとしてはいい習慣なのかな。 これは私が大人になり初めて社会人として会社で仕事をし慣れない1日で緊張もし、かなり疲れて帰ってきた日のこと。母が姉の子供のお世話でお泊りしていていなく、食卓には私を励ます内容と、翌朝忘れてはいけないこと、そして食事のことなどが書かれてある手紙が置いてあった。それを読んでなんだか母の温かい心を感じると共に自分の我慢していた辛かった思いをわかってくれてる母がいてくれる嬉しさみたいなのがこみあげてきて誰もいない家で一人泣けてしまった。今でもそれは大事な手紙の一つとしてとってあるけれど、その手紙を読み返とすぐにでもあの時の気持ちがよみがえる。 泣くことは悪いことではない。泣くことで強くなれることもある。泣いてしまってもやもやしていた気持ちがすっきりすることもある。光太も手紙を読んでパパやママのことを思い出して感傷的になったみたいだけれどまた現実にもどって笑顔をとりもどし、それ以降は全く大丈夫でしたとのこと。泣いたり笑ったり色々とドラマがあるのがお泊り会なのだろう。 今週末は私の方のお泊り会がある。高校の時のクラブの仲間で富士登山の予定でその後は飲み会→お泊りなのだ。富士登山といっても一人頂上を目指す子をのぞいては7号目までを目指すゆるゆる登山なのだけれど、なんせ普段の生活が運動といったことは全くしていないのでとても心配。 自分の体力以外に、光太にママもお泊りをするよという話をすると最初はすごく嫌がってカレンダーのお泊りの印に落書きをしてダメダメと言っていた。でも、一人じゃないこと、パパと一緒にお利口にお留守番していてほしいこと。そしてもうすぐ1年生になるのだからママがいなくても大丈夫となったら格好いいなとか言ってると「1日なら行かせてあげる・・・」とか。行かせてあげるといわれるのも変なものだ。何も光太のお伺いをたてなくてもいいのだけれど。普段、ママっ子はいざママが留守になるとめっぽう弱い。それでも、またこのお留守番を乗り越える事で光太にも自信がついて少しずつ強くなっていくのだろう。 そもそも、私はこの登山のお誘いがあった時、光太のプール熱がうつり寝込んでいる時で手足も腫れ上がり不自由な生活で、日常生活ですらままならないのに富士登山なんて絶対無理と思って諦めていた。 でも、7月に入って色々なことを前向きに考えられるようになり「よし!せっかくだから登ってみよう。」と思い参加を決心した。登山の用意を色々を買い込んだり、少しだけ光太が登園中に歩いてみたり気持ちは高まっていた。いよいよ登山は明日になる。一緒に登る旧友との間でまた友情が深まることだろう。ちょっと大変だなと思うことから逃げるのではなくて立ち向かうこと、ひとつひとつ目前に用意された困難な山をのぼっていくことで人間は乗り越えられた時また成長するのだろう。富士登山を終えて間もなく私は誕生日を迎え40歳の大台に乗る。この登山も40歳記念でみんなで登ろうと企画したもの。四十路はまたどんな時代になるのだろうか?40にして惑わずの故事通り、不惑の時代になるよう一歩一歩前を向いて歩いていきたい。
July 19, 2008
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★おじいちゃんおばあちゃんとの再会 この頃、光太はふとした時にこんなことを聞く。「ママの一番好きなのはだれ?」いつも「そりゃ~こうちゃんだよ!」と言う。その答えを聞いて嬉しいのだろうか?ニヤっといつも笑う。私もたたみかけるように、「光太の一番好きなのは誰?」と聞くと、いつもは即答で「ママ!、パパ、しょうご君」と両親の名前と園で一番好きなお友達の名前があがってくる。 それが先日はこの順位に大きな変化があった。私が一番というのは一人なんだよ。とあえて言うとちょっと悩んだ後に、「1位おじいちゃん、2位おばあちゃん、3位パパ4位ママ」なんだそうだ。なんとママは常に堂々1位だったのが4位に転落。上位は、おじいちゃんおばあちゃんに取って代わられた。 きっと先週からおじいちゃん、おばあちゃんが遊びに来てくれていて、しばらく光太と遊んでくれたのでこういう展開になったのだろう。畑を心配していたおじいちゃんが先に帰り、おばあちゃんもその数日後帰り、光太はいつものママとの二人っきり生活にちょっと物足りなげなのかな。 更に、今朝はいつも寝起きが悪いのだが、あまりに何度起こしても起きないので両脇を抱えてまずトイレに連れていったところ、それが気に入らなかったようだ。ぷぅ~っと頬っぺたを膨らませてすねていた。その後歯磨きをしてこんな質問になったのでママは好きな人トップ3から外されたのだろう。 子供の言うことと聞き流しながらもいきなり4位に落ちたことは内心悲しいものだ・・まぁそんなこと言いながらまたママ~と甘えん坊なのは相変わらずなのだけれど。 とにかく光太はおじいちゃんが大好きで、正月に何気におじいちゃんが光太に約束してしまったことがきっかけで今回は畑に忙しい中遊びに来てれくた。「こんどこうちゃんのおうちにあそびに行くね!」しかも6月に行くと約束したらしく、光太は3月頃から6月のカレンダーを見ては「あ~おじいちゃん早く来ないかなぁー」と言っていた。そして6月頃の予定をいれようとしたら、「ダメだよ!おじいちゃんが来るんだから。」といつでもウエルカムの状態で待っていた。 光太とおじいちゃんが過ごした時間は短い日数だったけれど、いつも園の送迎とその後の遊び、そしてお風呂からは毎日キャッキャッと笑い声が聞こえていた。私と二人では、こんなに楽しそうな声を出させてあげてないなぁと反省の日々だった。 おばあちゃんが帰る日も光太はしきりに「もう一回ウノしよう!」とか、その日は晴れていて暑かったので「おばあちゃんもっと曇りの日に帰ったらいいのに、今日は暑いよ」「明日のサッカーを見てからは?」とかなんとか帰る日を引き延ばそうとしていた。 私は久々に父や母と私の最近の悩み事を話たり、出かけていて帰ってきたら母の美味しいハンバーグが待っていたりして、娘時代に戻ったようだった。こんな年になっても甘えられる両親がいてくれて感謝感謝。有難いことだなぁと思う。母は自分が30の時には自分の母は亡くなっていて父はもっと小さい時に亡くなっていたと言ってたから、きっと私のようにこんなに父母と接する時間も持てなかったのだろう。 光太は私と母が別れ際にお互い少し涙ぐんでいると「ママはお母さんとお別れするからさびしいんだね。」と言う。「そうだよ~光ちゃんも園に行くバスで別れるだけでも泣いてたよね。ママも別れるのは寂しいんだよ。」と言うと納得したような顔をしていた。そんな遠くに離れるわけではないのに父や母と「じゃぁまたね。」といつも再会の後の別れがある時はなんともいえない寂しさがある。あまりそれを感じないように心を持っていくようにしているけれど。 別れというのはどんな時であれ寂しいものだ。それがいつかまた会えるとわかっていても。永遠に会えなくなった場合の辛さはいかほどだろうかと思う。 突然の事件で子供を失った両親がある日「こんな早く亡くなるならもっと優しくしてあげればよかった・・・」と肩をがっくりと落している姿をテレビで見た。朝いつものようにバイバイして次には帰らぬ人となって出会うわが子。その気持ちを思うだけでも胸が締め付けられそうになる。 突然わが子が目の前から消えたら・・・毎日こんなに叱ってばかりいてもいざいなくなると、どれほど寂しいことだろうか。 この間、一度一人でお買い物に行ったことがあった。もちろんその少し後にパパが偵察に行ってたのだが。光太は先日も、もう一度一人でお買い物をやってみたいと言った。とても心配だけど任せると満面の笑顔で「いってきます!」何かあった時の為に私の携帯も持たせておいた。 私もその数分後に後を追っかけた。まだそのあたりをゆっくり歩いているかと思ったら姿が見えない。一瞬いやな予感がする。もし誰かに車で連れ去られたら・・・やっぱり一人で行動させたことを少し後悔する。まさか、あの子は大丈夫。自分を安心させながら慌ててお店に小走りして着くと、レジを終えてレシートを一生懸命カバンの中にいれようとしている姿が見えた。顔を見るとほっとした。 やっぱり数分間でも一人で行動しているということは危険も伴う。今の世の中は何が起こるかわからないからその数分でも気が抜けない。いつかは一人で行動するのだし、そのための練習と思っても、誰か見守っている人がいない中で一人行動をさせてるのは勇気がいる。昔はこんな時代じゃなかったのに。もっと暗くなるまで友達同士で遊んでいたし、知らない人に声かけても今ほどまでに警戒感がなかったように思う。 子供が園にいってる間はほっとするけれどいざ本当に光太がいなくなったらという生活を少しでも想像するとやはり辛い。 そんなことを思うにつけても、せめて今自分の方に一生懸命気が向いてくれているうちはこの子をしっかり愛そうと思う。それが日々の生活を省みるとあらぬ方向に向かっていくのはなぜなのだろう。やはり今ではおじいちゃん、おばあちゃんとなった父母を見ても私達姉妹を育てていて子育て真っ最中は今のような心の余裕はなかったはずだ。 それを思うと、子育てにはおじいちゃん、おばあちゃんが孫に向かうようなそんな心の余裕を持ちながら接することができたら子供も幸せなのだろうなぁと思う。わかっちゃいるけど難しい。 時間がない時に言うことを聞かない、遅れるようなことになるとこっちのイライラは極限に達する。食べることがノロノロ→ま、食べなくても死なないか。なかなか遊んでいて寝ない→そのうち眠くなったら寝るはず。朝何度言っても起きない→早寝したらそのうち早起きするようになるか。親の考えをちょこっと変えると楽になるのだろう。が、自分が変わることより光太が変わることを望んでいるとこっちがイライラするばかりだ。もっと心がひろ~~くなればいいのに。 子供というのは親が思うようには動かないものだ。動かすには力や言葉かけだけでは限界があって、自分から動くには本人の自覚が必要だとつくづく思う。その自覚をもつように、いつもちょこっとちょこっと針でつっつくぐらいに小言を言うぐらいでいいのかな。 ちょっと小言のつもりがあまりに言うことを聞かないとドカーン!と爆弾発言になってしまう。『まだこどもなのだから・・・』という理性で抑えた諦めと『でもこどものうちにこそ言わねばならぬ!』の正義感?が常に心の中で闘っていて正義感と感情が勝つと「いい加減にしなさーーーーい!」という言ってはならない言葉ベスト3に入る失言をしてしまう。だって言うことを聞かないのだもの・・・ この頃、私に叱られた後の光太は玄関の扉をバターンと開けて出ていき、一人もくもくと玄関前の道路で自転車(補助輪をとったので)を乗り回している。そのうち、近所の子供達が光太の後をついてくる。光太はだんだん調子にのってきて回るところでは体をぐっと内側に傾けて、猛スピードで他の子達を追い越そうとする。「光ちゃんはスピード狂ね。」と近所のママには笑われている。将来暴走族にならんでおくれよ~~~~ 私もいつだったか母に「出ていきなさい!」と叱られて本当に家から夜スタスタと出ていったことがある。母は驚いたようで後からそっとついてきていたようだが、怖いもの知らずほど強いものはない。 叱った後は優しくフォローを。閉ざされた心と体だけが大きくなるといずれ母の出番はなくなってしまうだろう。怒りのマグマをためこまず、ほどよくガス抜きしながら時々は発散しないといけないと思う。 普段は光太に対して小言ばかりでこちらも楽しくないので、眠る前には絵本の後に本音トークをしばしもつようにしている。すると自然に笑いも出る。笑い声、ちょっとした園での悩みごと、愚痴。本音が聞けるとほっとする。いやなことがあってもそれを隠さず言える相手がいること、それだけでも顔の曇りは晴れるように思う。 私には物心ついた頃から何でも言いあえる姉がいた。姉も私には親に言えないようなことを何でもいってくれた。姉とのおしゃべり、その時間がまた楽しかった。今でもたまに長電話するけれど姉とは同じ家の中で育った物同士、運命共同体のような感じで離れていてもいつでもまた話せばあの頃のように通じ合える。 兄弟のいない光太には私は親であると同時に何でも打ち明けてくれるようなお姉さん役にもなれればと思う。そうやって光太の本音に時に耳を傾けておけば何を考えているかわからないという事態にはならないように思う。まぁ、いつまで本音を言ってくれるかだけど。
July 5, 2008
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