だっこちてチュッ
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★自分の居場所 先週末家族3人で散歩をした。途中本屋に立ち寄りパンの本を買ったらむしょうにパン屋さんに寄りたくなった。ちょうどその本にも載っているパン屋が少し歩くとあるので、そこで軽くランチをすませることにした。 ランチといっても、パン屋さんで買ったパンを飲み物をオーダーしてそこで食べるというもの。スープやサラダなどがついているわけでもない。座る席も4人がけのテーブル席一つと窓際のカウンター席のみ。 最初光太は車が通るのが見える窓際の席を座りたがったが、そこはお店の人の通り道にもなるし狭くて落ち着かないのでテーブル席に移動。そこで先ほど対面販売で買ってきたばかりのクロワッサンにクリームパン、いちじくとくるみの天然酵母パン、黒と白のごまがびっしりまぶされたスティック状のデニッシュパンを食べた。飲み物は私達夫婦はコーヒー牛乳に光太はいよかんジュース。このいよかんジュースがかなり酸っぱくて結局光太は飲めず私達が飲むことになった。 ここのパンはなかなか美味しかったが、残念なのはカフェのスペースが本当にあまりに狭いことだ。やっぱりもう少しゆったり出来るところで食べたい。それに奥まったところにあり日も差さず暗い。お菓子やパンの本などゆっくり目を通したい雑誌等も山ほどおいてくれているのだが・・・もう少し開放的な明るく広い場所ならばもっとカフェも人が来るだろうにと思った。(↓かぶりつこうとしているのは飾り用の食べられないパン!) 私が独身の時はずっとパン屋さんやケーキ屋さんを自分で持ちたいと思っていた。素敵なお店を見つけると、何度も足しげく通い、店長に手紙を書き、そこで働かして欲しいと訴えたこともあった。熱い思いが通じて雇ってもらったこともあったり、それは自分の店を持ってから実現されたらと断られることもあったが、色々と足を運んで気がついたのは何度も通いたいと思う店というのは、落ち着いてほっとする雰囲気があり、あったかい場所なのだ。 思えば、私は結婚して光太が出来てからあの時のようにパンとお菓子と心中したかのように熱い想いを持ち続け、毎日毎日パンやケーキを焼いてはいない。どの喫茶店に行ってもそのケーキやパンの姿形をノートにデッサンして、帰ってからそのことを思い返し良かった点、悪かった点を書き記していたが、そういうことも最近はしなくなった。 ケーキというのが特別な日の食べ物であることから家庭を持ってからは光太の誕生日だとか、パパの誕生日、父や母などに作るのは限られてきた。パンは作るとなるとやはり2時間は最低かかるので、毎朝食べるものをオンタイムで作るのは無理があるので、ホームベーカリーを買って夜に材料を入れておいてタイマーで焼くだけになった。 家庭の主婦になってからは、独身時代に仕事から帰ってきてからだとか、週末にその趣味だけやっていればよかったのとは違って、他にやるべき家事があり園に行っている間の時間というのは長いようで短い。その限られた時間の中でやれることと言ったらどうしても家事プラスほんの少しのことなる。そう思えば、仕事をしていた独身時代はすごく精神的に追い詰められていたけれど、趣味に関しては時間もお金も惜しみなく使えていたのだなぁと感じる。 このことは私が以前ケーキ教室に通っていた時、主婦であり先生である方が「女性がこうやって趣味に時間を割けるというのは人生の中でも限られた時間なのですよ。結婚したら家事に追われ、子育てに追われ、またそれが一段落したら介護に追われとなかなか自分の自由に出来る時間を持つのは難しいのです」とおっしゃっていた事が今思い出されてその通りだと感じる。 家族の中での自分の役割を思うと、食事作りはきっとこれからもずっと続くことであろう。食べることを作るのは大好きだし、料理番組やレシピを検索して実際チャレンジするのもずっと続けていることだから好きなことなのだろう。出来ればパンも毎日自分で作りたてを味わいところなのだけれど、もう一歩そこまで時間が回らない。 自分が独身の時にあれほどまで願った自分の落ち着ける家庭を持てて幸せであるのだが趣味の時間に没頭できるほどのまとまった時間は持てない。子育てをしている期間はどうしても仕方のないことなのだろうか。 最近は間もなく小学生になる光太の勉強でも見てやろうと思うと、またさらに自分の時間が削られる。大人になって親になり、日々の生活に追われるだけになると、どうしてこうもパワーがわかないのであろうか。昔は無理もきき、無茶な生活をしていても平気だった。平日はOLをし、週末はパン屋で働き(本当はいけないのだが・・)家に帰って時間さえあればパンやケーキ作り、そしてジムに通って魚のようにすいすい泳いだり、エアロビをして体を動かしていた。 そう思えば、やりたいことをやっている時というのは体が疲れても割と平気なのだと思う。ということは今はやりたいことをやれてないからエネルギーも出ないのだろうか? 家庭の中で、パパや光太を見ているとそれぞれ家庭以外で自分を表現する場所がある。私は何なのだろう?家庭を大事にしたい気持ちはある。それだけでずっと時が止まっている自分がいてそこからなんとかしなければともがいている自分もいる。こういうことを思うまでは二人目という悩ましい問題もあって先に進みたくてもその問題をクリアーしないことには先に進めない自分がいた。それが父が9月に倒れて実家に戻っていると、そんなことも考えていられない状態になった。 ふと、自分の立ち位置を考えれば、昔から夢に思い描いていた自分の好きな物を作って人を喜ばせたいというのは今は家庭が実現の場なのだと思う。今はここが私の生きる場であり活かせる場なのであれば、ここで精一杯努力しようと思う。自分の喫茶店を持ちたいだとか、自分のパン屋さんを持ちたいだとか色々と考えていたがつまりはそれは自分の自己表現の場を持ちたいということだったのだろう。今家庭を持てて、そこで実行できる毎日を送れてあの時のような熱狂的な自分が消えたように思ったが、姿を変えて実現できているのだ。 だが、いつの日か家庭がなくなったら?私の自己実現の場はどこになるのだろうか?光太もいつかは私の手元から独立し、パパと二人きりになる。そしていつかはパパもいなくなるかもしれない。(そんなこといって私が先立つこともあるだろうが・・・) なんでこんなことを思うのだろう。今母が父の面会で毎日病院通いしている姿を思うと、自然といつかは家庭というのもこういう日が来るのだなと思うからだろうか。母が全盛期だった頃はそれこそ毎日美味しい料理が作られていて、パンやケーキを焼いてくれていた。そこにはいつも家族の笑顔があって和やかな雰囲気があった。それがそれぞれに独立し父と母二人だけの生活となり、その父も今は長い入院生活となり、母は一人暮らしで食べることとなると、それほどがんばる気持ちもしないだろう。それは義母にしても同じことだろう。パパが結婚して独立してから家を出てからは一人暮らし。お料理がとてもうまい義母だけれど、家族がいてこそその活躍の場もあるというものだ。 こう考えると、家庭で自己実現の場を持っているだけではいつかは自己実現できない日が来るということになる。今からその日を考えて自分の居場所を求めなければいけないと思う。自分がその場でいてほっとして、尚且つ他の人も和めるものを作りたい。具体的にどうすればいいのかはまだ浮かばないけれどずっとずっとそのことを考えていけば答えはいつかは出るだろう。 限られた人生の時間を後から思って後悔しないように今を生きなければ・・・
December 8, 2008
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