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★おじいちゃん祝退院 今日28日おじいちゃんはやっと退院した。今日を含めて157日間病院にいたことになる。なんと長い間だろう。11時半におじいちゃんの「今家に帰ってきました。」の電話があり光太も私もパパも笑顔で嬉しい日となった。出来れば退院日にはかけつけたい気持ちだったけれど、卒業式も間近だと週末に色々とイベントがありなかなか動けない。 しかも、昨日は昼過ぎ園から電話があり、光太が急に熱が出て頭が痛いというのでお迎えに来て下さいとのことで慌ててかけつけた。帰ってきてすぐしょうがをすりおろし、葛粉とお砂糖を熱湯で溶かした葛湯を作って飲ませると甘いから喜んで飲んですぐ寝た。2時間後起きたらいっぱい汗をかいて、もう熱は下がっていた。すごい葛湯の効果!やっぱり風邪のひき始めには昔から葛根湯と言われるように葛湯はきくようだ。 おじいちゃんの方はきっと昨日は嬉しさのあまり眠れなかったであろう。私も色々と物思いにふけっていると寝つかれなかった。倒れた直後はこんな日が来ることすら想像できなかった。明日をも知れぬ命で、お医者さんに会うといつも難しい顔をしておどされるじゃないけど、決していい言葉は聞けなかった。 私はそんな言葉を聞きながらも、まるで、それはゆめのように感じていた。「お父さんがこのまま死んでしまうはずがない・・・」絶対また元気になることをずっと信じていた。 手術室に入る前日にみんなで折り上げた千羽鶴が折りあがった。前日の夜10時頃、母とやっと終わったねと心地よい疲れと共に明日の父の手術が無事終えることを祈ったことを思い出す。翌日、手術室に入る前には父はもちろん麻酔で寝かせられて意識はないのだけれど、耳は聞こえていると看護師さんに言われて、必死になって「お父さん、がんばってね!もうひとふんばりだよ!!」「千羽鶴もみんなで折って祈ってるよ。」と声掛けしたことを思い出す。もう祈るしかなかった。 手術室に入って7時間半、待合室では母と姉、そして小さい頃よく私も遊んでもらった父の弟であるおじさんと父との思い出をずっと語り合った。笑ったり、なんだか泣けてきたり・・・みんながとにかく無事手術が終わってくれることを祈るばかりの時間だった。 そして、お医者さんが出てきた。祈る気持ちで先生の顔色をうかがう。『お願い、大丈夫だと言って・・・』先生は「とりあえずは無事手術は終えました。あとは翌朝までしばらくまた一つの峠がありますが、しばらくはここで待機して下さい。」とのことで病院の待合室の椅子で寝泊りすることになる。 その間、待合室では父と同じように救急で担ぎ込まれた家族の人が心配な顔でずっと待っていた。会話が時々聞こえてきて、どうやら稲刈り機に指を巻き込まれて指が飛んでしまったらしいことを話していた。痛々しい・・・みんなここにいる人達は仲間のようにそれぞれの家族が無事助かるように祈り続ける。重たい空気が流れる。なかなかその夜は寝つかれなかった。 手術後、父が目覚めてそれから今日退院を迎えるまで、一筋縄ではいかなかった。山あり谷あり。離れている分、状況が見えずもどかしい思いをすることもあり、本当に辛い日々もあった。それでも絶対あきらめなかった。絶対お父さんは助かると信じていた。そして信じた通り、今日という日を迎えることが出来た。やっぱり神様はいたのだ。 父の運の強さ、そして命の尊さを感じる。私には今まだ父がいてくれている。ほんとにもしかしたらダメかもという時に感じたことは『どんな状態でもいいからとにかく生きてほしい!』と願った。その危険な状態から少し抜けるととにかく集中治療室から出られたら・・と願い、そして話すことがずっとできなかったから早く話すことができたら・・と願い、今度は歩けるようになれば・・・そして家に帰るようになれば・・・と一つ一つ父はクリアーしてきて今がある。 最悪の状態の時は、はたして手術が成功したということを喜んでいいのか・・と父の寝たきりの状態、そしてベッドに縛られている状況をうらめしく思ったこともあった。でも、やっぱり今があるからこそ、あの時の苦しさ辛さも過程であり仕方ないことだったのだと忘れられよう。人間は欲張りな生き物なので、ひとつ願いが成就されるとまた次の願いを思ってしまう。 でも、今この状態を祝い、満足しようと思う。ここまでくるまでには数々の峠を越してきたのだから。今は先のことはあまり考えすぎず、毎日毎日がつつがなく過ぎてくれる事を祈るのみである。 今日は朝から父の好物のあんぱんを作った。あんこから炊いたので時間がかかったけれど久し振りに昔フル回転していたパンこねきも出してきて2種類のあんぱんを作った。一つは紫芋粉が入った生地に黒すりごまやごま油にねりごまを入れた中華風あんこを包んだものと、もう一つは少し甘めなリッチな生地に普通のあんこを包んだもの。上が中華風あんパン下が定番のあんパン 食べてもらえる父がいてくれる嬉しさをかみしめて、これを美味しいと食べてくれる時のことを想像して箱に詰めた。光太もおじいちゃんへのお手紙を書いて一緒に入れた。 よかったよかった。本当に退院できて。 よかったよかった。生きていてくれて。 父がいない実家は広く寂しかった。 いつも座っている縁側に父がいないのは なんだか周りの空気まで違って感じた。 「ただいま~」と帰るといつも「よく 来たね。」と庭先で笑顔で迎えてくれた。 畑に行く時にいつも着ていた服。 いつも運転していたバイクにヘルメット。 そして、いつも畑にはいていた長靴。 父が使っていたお盆に毎日何杯も飲んで いたコーヒーのカップ。 父がいない時に実家にいるとそれらを見 るのも辛かった。 でも、今では全部父の帰りを待っていて 父が帰ってきたことを心から喜んでいる ことだろう。 母も今頃さぞかし喜んでいることだろう。 よかったよかった。こういう日を迎えら れて。 よかったよかった。今日という日が来て。 神様仏様、本当に本当にどうもありがとうございます。お父さん、これからもずっとずっと長生きしていい人生をお母さんと一緒に送ってくださいね。
February 28, 2009
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★ゆめまつり 先週末は光太の園でゆめまつりがあった。ゆめまつりといってもお祭りではなくて、いわゆる発表会。劇を見せてくれるのだ。光太達のクラスは『海賊たちと宝島』というタイトルのオペレッタ(対話と歌と踊りによって物語が展開する音楽劇)をやることになっていた。光太の役は海賊のリーダー。 内容は、コンドルとフラミンゴの住む岩だらけの宝島に海賊がやってくる。島の平和を守ろうとするコンドルとフラミンゴは海賊を追い払う計画を立てる。それを見守る泉の精。海賊は宝を見つけることができるのか? 「海賊のリーダーなんだからもっと偉そうにしていいんだよ。」と先生に役作りの上で言われたらしいけど、『これ以上偉そうにしてたらどうなるんだ!?』と親は思うが、家で見せてる顔とクラスで見せている顔はまた違うのかもしれない。 家では当日を迎えるまでに何度も何度も、お風呂の中では海賊たちの歌を歌って練習していた。相当楽しみにしているようで、当日を迎えるとやる気マンマンだった。海賊の衣装としての当日のお約束はボーダーのTシャツにGパン。そしてバンダナ。みんながそれぞれの役にあった服を着て集合。 光太もゆめまつり当日が待ち遠しくてたまらなかったようで、やっぱりこのあたりが、のびのびと保育をさせてくれてる園の良さだなぁと思う。もしこれが先生達が、「絶対失敗したらいけないよ!」という感じのプレッシャーを与えていたら、子供達は委縮してしまって緊張しまくっていただろう。そしたら見る側には伝わってきたと思うけど、本当に素のままの光太達の頑張りを見れて、心から楽しんでいるような笑顔が良かった。 話はそれるが、今思うと、この園を決めたきっかけもそんな園児たちの様子を見てだった。いくつか他の園も見学に行ったけれどある園では運動会の練習か何かの最中で先生がやたらと子供達がピシっとすることにこだわり叱りまくっていた。とても厳しい印象を受けたし、そこの生徒たちにも笑顔がなかった。「まるで軍隊のようだねぇ・・・」とパパとも言いながら、もちろんそこに光太を入れることは考えなかった。 この園は見学してみて、本当に子供達の楽園でみんなが楽しそうに遊んでいた。今とは違う園舎だった時だけど、光太もそこの遊具でずっとずっと遊んでいた。先生の様子を見ていてもニコニコされていて叱り飛ばしている様子などない。子供を叱ると委縮して本来の良さが出ないのだろう。みんなが泥んこになって遊んでいた。 光太の園は園長先生、副園長先生の笑顔がまた素晴らしい。いつもニコニコ。そして又涙もろい。子供達も本当にのびのびと育っている。 さて、少し話がゆめまつりからそれてしまったけれど、ゆめまつりは毎年そのクラスの最後の出し物であり、学年での最後の行事となる。 光太が年少の時は年長さんの出し物を見て『やっぱり年長さんだなぁ。しっかりしている。』と感心したのを覚えているが、自分達が年長になると本当にみんな成長したなぁと思う。周りのことを思いやる気持ちも出てきたし、安心して劇を見ていられる。 年少の時はハラハラドキドキしていたものだ。背丈も今よりはずっと小さくて、今の年少さんを見ていると懐かしく思い出される。年少から年長までの道のりは年月でいうと短いけれど、その成長ぶりはすごいものがある。大人で言うとここまで成長するなら10年以上はかかるのではないか? 一生懸命演じている子供達を見ながら、『あぁ、もうすぐ卒園だなぁ。』なんて思いもわいてきてなんだか涙がとまらなくなった。ゆめまつりで泣いてたら卒園式はバスタオルが必要かもしれない。 制作物の展示もあり、光太達はお茶碗だった。みなそれぞれの釉薬をぬったようで、白色だったり、黒色だったり、形も様々で味があった。こういう物もこんな小さな子供達で作れるのかと驚いた。 ちょうど光太のお茶碗が割れてなかったので日常使いで使ってもいいと思ったけれど、手にするとかなりずしりと重たい。 毎日使うとなるときついかな。それよりも、私の不注意でパリンと割ってしまいそうなのでやっぱり記念の物は飾っておく方がよいかもしれない。 あと1ケ月後にはもう卒園式。まだまだ園の居心地がよくて出たくなくても園から押し出されてしまう。あともう少し、この楽園で光太達は園生活を満喫してほしい。たぶん、いやきっと一生の中でこれほど楽しい生活はないに違いない。
February 24, 2009
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★バレンタインの思い出 昨日はバレンタイン。自分も食べたくて以前百貨店に行った時に光太と選んだチョコをパパと光太に渡した。さらに、何かチョコにまつわるスイーツを作りたいなぁと思い久し振りにココア生地でロールケーキを焼いてみた。かなり甘さ控えめにしたらいくらでも食べれそうな軽い味になった。 早速ティータイム。やっぱりチョコにはコーヒーが合う。光太も百貨店で選んだチョコもペロリと食べ、ロールケーキも食後にパクリと食べてしまった。 毎年チョコ好きの父にもバレンタインにはチョコのケーキ(ガトーショコラ)を焼いたりチョコを買ったりして贈ってきたが、今年は入院中の身だしと思いやめておいた。 それが、母から電話があり糖尿が出てないのでお菓子なども食べても良いそうで、母が持っていってあげた父の好きなガーナチョコや、おせんべいを食べているそうだ。どうも病室でお菓子を食べている病人というのは想像がつかない・・ 父は間もなく入院して5ケ月になる。その間、たばこや体に悪い食べ物など入ってない綺麗な体になってきていると思うのに、ここで又欲望にまかせてむちゃむちゃ食べていると血液も汚れ、又振り出しに戻るよと母にも釘をさしておいたが・・・やっぱり、父もよほど病室で退屈なのであろう。久々に好物のお菓子を口にして喜んでいたようだ。 2月終わり頃には退院も出来そうだという話も出ているのでとてもその日を楽しみにしているのだが、問題は退院した後の毎日の生活だ。そして、しばらくの間はちゃんと無事に自宅で過ごせるかどうかなど、心配しだしたらキリがない。 母が「光太くんとパパさんにはチョコを送ったわよ。」とのことで、今朝宅急便で無事届いた。お口にするのがもったいない高級チョコ。光太にこの味がわかるだろうか?? 先日、私の携帯に、父の弟で私にとっては小さい時よく遊んでもらったおじさんから電話が入った。びっくりして出ると「今、お父さんとしゃべってるところだからかけてみたよ。」とのこと。それに次いで、「お父さんです。元気にしてますか?」と父の声。 この正月帰省した時には、まだ管が通っていてしゃべれなかった。倒れて以来初めて、久しぶりに父の肉声を聞けて嬉しかった。父の肉声は想像の中で覚えていたが実際聞いてみると『あぁ、そうだ。こんな声をしていたなぁ。』と思った。以前ほど大きなはりのある声でなかったけれど、声を出して話せるというのはなんと楽なことか。それまで文字盤を使ってしゃべっていたのがもどかしくてたまらなかったことを思い出す。 好きなように生きたいと常々口にしていた父ではあるが、今回のようにある日突然倒れ辛く長い集中治療室での生活を余儀なくされ大手術も終えて、ようやく以前ほど心臓は元気にはならないにしてもなんとか生きていけるようになった。 それだけでもすごいことだと思う。せっかく助かった命なのだから、今後の人生は好きなように生きていくというよりは体を気遣いながら大事に生きていってほしいと思う。 母と姉といつも泣いてばかりいたあの頃がもう遠い。毎晩光太と一緒に祈ることしかできなかったあの日々ももう過ぎてしまえば遠い過去の出来事のように思う。 今の発達した医療と素晴らしいお医者さんそして看護士さんたちの日々の働きかけのお陰で命を落とさずにすんだ。よほど父も運が強い人なのだろう。 さて、バレンタインの話題に戻るが、私にも初めてチョコを渡した記憶がある。友達と一緒に選びに行き、それがどんなにかわいらしいチョコだったかも覚えている。そして、渡すまでの超ドキドキ感も覚えているし、相手の反応も覚えている。なんだかあの頃はみんなそれぞれに意中の先輩がいて、友達同士でキャーキャー言って青春してたんだなぁ~と思う。なつかしい・・・ 告白なんてなんだかくすぐったいが、小学1年生の時いつもそばにいた○○君から突然好きだと告白されたことがある。それが生まれて初めての告白で驚いた。その後どうなったのか全く記憶がない。パタリとその告白で記憶がとぎれている。 小学6年生の時はある男子からクラスの大半の男の子が私のことを好きだと聞いた。あの頃はニキビもまだ出てなかったからか??その中でも一番ハンサムボーイで勉強もできた子が私を好きになってくれた。私も好きだったのになぜか照れくさくてそう言い出せずそのまま終わった。こんな幼くしてモテ運を一気に使い果たしてしまい、その後中高時代はずっと片思いばかりだった。 なんといっても、私を悩ましたのがニキビ。すべすべの肌の友達がうらやましくて仕方なかった。次々と効くと雑誌で見た化粧品を少ないお小遣いをはたいては買ってこっそり二階で試していたら、学校いってる間に母に全部捨てられて泣いた記憶がある。母はそういうあやしい化粧品を使ってかえって肌に変な影響を与えることを心配したのだが、私にしてはたまらない。何度注意されても、又懲りずに買ってきてなんとか治したい一心だった。 ニキビにはチョコや甘いもの、刺激物も悪いと聞いたので姉と一緒になって味のないカレーにしたり、チョコを我慢したり大変苦労した記憶がある。それでも出る時は出るし出なくなると出ないものなのだ。父も母もニキビとは無縁のきれいな肌をしていて、母はいつも肌がきれいだと他人から言われていた。その子供が悲惨な肌なのだから・・いつも母は私を慰めるつもりで「いいじゃない、ニキビは青春のシンボルで」なんて言ってたけどつるつるお肌になりたくて毎日毎日泡だらけになって洗顔ばかりしていた。それが今思えば逆効果だったのかも。 ニキビもいじらなければ害はないのだけどつぶしたりすると跡が残って最悪になる。だからやり直せるのならニキビのなかったあの幸せな小学6年生にもどりたい。そしていじらないでじっとしていれば今のようにニキビ跡も残らないですんだだろうに。あの頃はもっと性格も今より控え目だったし、おとなしかったように思う。 長らく忘れていた記憶なのにある時ふと何かをきっかけに思い出す。もう遠くて出会えない人達のこと。記憶の中だけで笑っている人たち。心ときめいた人たち。今頃どこでどうしているのだろうか?その人たちの心の中で私も永遠に昔のままの笑顔で時がとまっているのだろう。 光太がこの頃毎日のように私にラブレターをくれる。「いつもいつもどうもありがとう!」だったり「ママが世界中で一番かわいいよ!」だったり「ママのことずっとずっと忘れないよ!」だったり。『おいおい、なんでもう忘れないよ!なんて涙が出るようなことを言うんだい』と思うのだけれど、いっぱいいっぱいかわいい絵もついているので嬉しくて心がぽっと明るくなる。 子供をもってる幸せというのは、こういう時に思いがけず訪れるものだ。ママだけママだけと言ってくれるかわいい気持ち、その幸せな記憶も私の記憶の中で永遠に生きていくことだと思う。 それにこんなに年老いてきた私をかわいいとベタ褒めしてくれるのは光太をおいて他にはいない。子供も褒めて育てよというけれど子供から褒められるのもまんざらではないものだ。今だけだとわかっているからなおさらこのまま小さいままでいてほしいと思ったりする。 夫婦についていえば、チョコをわざわざプレゼントしなくても、夫婦の愛情は言わずもがな。なんて言ってるといけません!お互い理解しあってると思っていてもだんだん離れてきていることだってあるかもしれません。夫婦というのはいて当たり前ではなくて、やっぱり日々思いやりの積み重ねで出来上がっていくものなのだなと、あることがきっかけでまた強くそう思う。 私はパパには何でも話す。パパも私に何でも話してくれる。その関係がないと信頼関係なんて絶対築けないと思うのだ。相手に変に遠慮したり、諦めたり、そういう関係になりたくないから結婚当初からちょっとしたわだかまりあることも包み隠さず言い合ってきて今快適な関係がある。 バレンタインや結婚記念日(今年は10年目なのだ!)誕生日やクリスマス。色々とお祝するきっかけは何であれ、一緒にこうして思い出を作っていける相手をもっともっと大事にしたいと思う。せっかく巡り合えたパパと光太。私にとっては二人ともかけがえのない存在だ。 光太が「僕は大きくなったらママと結婚するの。」と言ってくれるので、光太が結婚できる年になったらママは白髪だらけでしわだらけのおばあちゃんになってるよ!」と言うと「それでもいいの!」「じゃぁ、パパはどうなるの?」と言うと「・・・・・」 こんなかわいいことを言ってる光太にもいつか誰かに心ときめく時が来るのだろう。そして、光太が初めて誰かからチョコをもらってくる日のことを想像する。ちょっと鼻の下をのばして照れ笑いをしていることだろう。ママに教えてくれるだろうか?高校生ぐらいの青春している光太にちょっとだけタイムスリップして会ってみたい。ニキビだらけの醜い顔になっていたらちょっとショックだけれど。
February 15, 2009
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★お友達と大はしゃぎ 1月はねんざにインフルエンザと散々だったけれど、2月に入ると光太にとってはいいことがいっぱい。まずは以前近所で園も同じだった1歳上のお友達が遊びにきてくれた。光太は朝からずっと来てくれる瞬間を待ちわび待ちわび1日を過ごした。 やっとその時間が来ると気持ちは最高潮になっておおはしゃぎ。普段は見向きもしない二階へおもちゃを何度も何度も往復しては運び二人で遊んでいた。 やっぱり子供は子供同士で遊ぶのが一番楽しいのだろうと思う。いつもと笑顔が違う。お友達が帰ったあともしみじみと「あ~今日は楽しかったなぁ~」と何度も言っていた。こちらも子供達が仲良く遊んでいる間ママ同士おしゃべりができて楽しかった。 これが2~3歳ぐらいだと子供から目も離せないし、すぐおもちゃをとっただ、とられただと泣いたりわめいたり大変なことになるからこちらも大変。光太が年少になるまでの時間というのがまさにそうだった。 公園に行けばお友達とおもちゃのとりあいっこ。まだまだ社会生活を送っていない子供にとっては公園が初めての社会なわけで、遊びにいったはずの公園も親子ともどもヘトヘトになって帰ってきた記憶がある。 帰り際も「帰りたくない。」でまたひと騒ぎあり、いつまでも納得しない光太を説得するのは一苦労だった。今は友達と別れの時間があることは納得しているし、少しはひきのばそうとするがまぁそのぐらいはご愛嬌。時間という観念ができてからの友達との遊びと別れは随分スムーズになったと思う。 また別の日には光太の園の友達と園が終わった後一緒にサッカーに行くことになった。そのお友達のママの都合があって私が連れていくことになったのだ。光太にとっては友達と一緒にバスを降りて自分の家で遊べることはまたことのほかに楽しいようでこれまた大はしゃぎ。 バスの先生にも「すごいはしゃいじゃっているんですが、おうちにいっても大丈夫ですか~??」と心配されたぐらい。二人はニコニコ。先生との挨拶もそこそこに二人とも家に向って走り出し、光太はあまりに慌てたので何かにつまづいて転んでしまいひざから血を出していた。それで少~しテンションが下がってしまったようだが、二人で家でおもちゃを使って遊びが始まるとケタケタ。 おやつの時間もいつもより早い早い。とにかく早く食べることは切り上げてもっと遊ぶ時間をとりたいみたい。ケーキを焼いておいてあげたのだけど、そんなお菓子のできばえなんてどうでもいい!という感じであっという間にほおばって遊びに直行。サッカー行く前の数分なので気持ちは焦っているのかも。 それがサッカーの着替えの時間になると二人でまたふざけてなかなか進まない。お尻を出したりしておおふざけ。ゲタゲタ笑い続けてあやうくサッカーに遅れそうになった。車の中でも二人とも笑いが止まらないようでずっと笑っていた。 光太はある時、「あぁ僕にも妹か弟がいたらなぁ。」と言った。「どういう時にそう思うの?」と聞くと「だってママが忙しくて相手してくれない時 一緒に遊べるでしょう。」と。もっともだ。私が食事の準備をしたりしている時はどうしても一人っ子だと自分で遊んでおいてもらわなければいけない。いくら家で遊ぶ楽しい時間があっても、近所でいっぱい遊んでもいつかは終わりがある。その後が光太には大事みたいなのだ。その後も家でずっと自分の相手をしてくれる友達が欲しいようだ。 でも、ふと気を取り直してか「あ、でも、一人だといつもおもちゃを買ってもらうにも我慢しなくてもいいね。」などと付け加えていた。兄弟がいるとおもちゃも我慢しないといけないと思っているのか親のサイフを心配してくれているのか? ま、物事はいい面もあれば悪い面もあってということを知る良い機会。一人っ子であることはいいことも悪いこともあるのだ。それは兄弟がいても同じこと。 親にしても子供同士で遊んでくれていると助かる面もあれば、ケンカばかりして大変だともいえる。ただ、食べる時にも兄弟がいてくれると二人で競争したりして(逆に遊んだりして)早く終わったり(遅くなったり)それはそれで楽しいことだろう。 親だと食事にしてもすませてしまえばいつまでもダラダラしている時間ももったいないので片付けに走る。食べるのが遅くて遊びながら食べている光太は結果として常に最後まで食べている人になる。 給食の時間が20分ぐらいと聞いて(配膳時間も含めて)そんな短時間ならいつも光太は全部食べ終わらないうちに食事がひかれてしまうのでは?とちと心配。周りの影響でさっさと食べるのかな。 でも、何事においても同世代の子供達と交わって一緒に遊んだり勉強したりするのは、切磋琢磨しあってお互いにいい影響を与えることだろう。もう少しお勉強も難しくなってくるといいライバルとなる存在がいると尚いい刺激になるのだが。 私も中学時代はテニスクラブのペアでもあり、勉強ではお互いに一緒に頑張ろう!と燃えることのできる友達に恵まれたことは良かったと思っている。長らく続いた交換日記には当時の苦楽がイラスト入りでびっしり書かれていて今読み返しても面白い。 ある程度大きくなると友達が何よりもの財産。光太もいつかそのことに気づくだろう思う。今はあまりピンときていないだろうけど、やっぱり友達同士の世界は親子の世界とは又違った良いものがある。親に言えないようなことも友達に言えたり、またどこかへ遊びに行くのも親と一緒より友達と行く方が楽しくなるものだ。 ただ、幼年時代に親子の世界がしっかりしているからこそ友達の世界へもスムーズにいけるのだろうから、今はその過渡期。親子関係も保ちながら友達との関係も大事にしたい。 この春小学生になるがまた新しい出会いがあって楽しみだ。今のお友達を大事にしながらもまた新しい友達を見つけていくことになるだろう。どんな光太の新しい顔が見られるか今から楽しみにしている。
February 8, 2009
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