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★夢 子供のころの夢って何だったのだろうか?と最近思い出す。色々とあったように思う。バレリーナとかピアニストとかなんだか今思い出すと恥ずかしくなるようなことをいっぱい考えていた。ある時、姉の卒業アルバムの一言に書いてあった「女優」という言葉の響きに憧れてどんな職業かも知らずに自分もマネして書いたこともあった。 夢が夢で終わるか、それともそれを実現させるかは本人の努力次第なのだろう。私の夢は大人になってからはもっと現実的なものとなり、好きなパンやケーキを焼いて売ってる人になりたいと思っていた。明けても暮れてもケーキの本を買ってきては眺めていた日もあった。美味しいと言われるお店に行って食べ歩いてはノートに書き記していた。こういう関係の仕事についていたらもっと幸せで今頃もっと蓄積されたものがあったかもしれない。 しかし、実際の仕事はといえばお酒の関係のOLをしていて、全くお酒には興味がないのに今思えば、イメージがよかったということや、社風が良さそうといった漠然としたこと、またOBやOGに会ってみてみんなちょっと楽しい人が多かった。「やってみなはれ」という社風でなんでも自由にさせてくれる自由闊達な雰囲気があった。でも、いざ働いてみるともっと泥臭い世界で私の思い描いていた生活とはかけ離れていた。 それでも、働いている中で出会った先輩や友達がいたからこそ7年半だけど勤め続けられた。色々と悩み多き時代だったけど、ずっと先が見えない不安と将来の絵が描けないことのストレスで何やら焦っていた。 お酒の会社だったので、ある時ウイスキーを使ったケーキを作ってみないかという友達の上司のアイディアで、それこそまた明けても暮れてもウイスキーケーキの試作ばかりしていた。この会社でお菓子部門を作れるかもしれないと勝手に妄想を描いては楽しんで作っていた。まぁ、それも今としては楽しい思い出だが、会社の中でキラリと秀でるにはまだまだ決め手に欠けたように思う。 仕事しながら週末にはお菓子教室のはしごをしたり、本当はいけないのだけど週末だけはパン屋で働いていたこともあった。体は疲れていて悲鳴をあげているはずなのに、好きなことをしている時は心地よい疲労感というのか意外と疲れ知らずなものだ。 いつも仕事から帰ってきてオーブンの前で何かを焼き始める私を見て、「ほんとにあなたはいつも何かに夢中になっていないといけない子やね・・・」と母はあきれていた。 何度か仕事をやめて海外にケーキの留学をしたいと思ったこともあった。父や母に相談するとそれこそ大反対になってしばらく口を聞いてもらえないこともあった。私はいざとなるとどんな反対でも押し切ってやるタイプなのだが(そういえば、こういうところは光太は私に似ているのだ)父がそのころ会社の方で大変だったのと私がかけた心労も重なり倒れたことがあった。 安定している会社をやめて一人お菓子留学をしたいと言い張る私の前で「一人で大きくなったようなことを言って・・・」と悲しく外に出ていった父の姿を見てなんだかすごい罪悪感を覚えた。そして病気になってしまった父の寝床でもう心配かけるようなしないからと誓ったこともあった。 でも、今思えば親の反対でやめるということは所詮それまでのものだったのかもしれない。どんな反対があろうと自分を信じてやりきればよかったのかもしれない。でも、私はそこまでやる勇気がなかった。親は何でここまで教育させてきて今さらお菓子の世界なのだ?と思っていた。お菓子の世界に行くのなら学歴など必要ないのだと。私も遠回りしたけど、結局自分のしたいことはそれなのだと思っていた。最初から夢を描いてそれに突き進んでいくのは理想だが、はじめからお菓子の世界に行きたいと思っていたわけではない。 私の人生は常にそうだ。いつも最初からこれがしたいと思う計画性に基づいて動いているわけではなくて半ば衝動的にこれがやりたい!と思う時がある。その熱い思いが私を動かしてきた。思えば私は熱い人なのだ。 それが会社のOL時代では自分が好きなことではないので仮面をかぶって生きていかねばならず、自分で選んだ仕事なだけに辛かった。とにかく途中からは割り切って生きていこうと思ったがなかなかうまくいかない。そんな腰掛けで生きていられるほど社会も甘くなかった。あの手この手でふるい落とされそうになりながらもなんとか生き抜いてきたがそれもある時プチーンと糸が切れたようにがんばることをやめた。 自然の流れに逆らわず、自分の気持ちに素直になって生きようと思った。もういやなことはやめて思う通りに生きようと思った。その年初の自分の誓い通りに会社も5月でやめた。結婚もなかなか思う通りの人に巡り合わず苦労が続いたが、その年にあっさり結婚した。独身時代は学生時代の恋愛を長らくひきずりすったもんだがあった。それも過ぎてしまえばあんなこともあったなぁとすべて青春のひとこまにしてしまえるが、あの当時は本当に辛かった。恋愛は常にどちらかが片想いなのだと思う。両想いになったら瞬間的に頂上は過ぎてしまう。気がつくとよかった思い出だけが残り、時間だけが無情に流れていくだけだ。別れにはつきあっていた時間の倍かかるとよく言うが、つきあいが長かっただけに別れるのにも時間がかかった。 今のダンナさんとの恋愛に苦しみはなかった。気がついたら一緒にいるのが当たり前になっていた。夢とかそんなたいそうなことを考えなくても日常にいてくれるのが当たり前になっていて気がついたら結婚していた。あれだけ苦しみもがいていたのがウソのようにおさまる時はおさまるものだと思えた。 毎日苦しくてドカ食いしていた時代も遠い日々になった。でもあの精神的に苦しい時代があって、私を苦しめた学生時代の恋人のことも大変な経験だったけれどそれも人生のこやしなのかなと思う。生きていると思い通りにならないことがいっぱいあって、辛いことも多い。でも、なんとか我慢しながら生きてきたらまたいいこともある。 事実、結婚して今までこの結婚を後悔したことは一度もない。本当に独身時代で苦しんだだけに神様は生涯の伴侶となる人とは苦しまないようにしくんでくれたのだろう。 結婚してあの苦しみを味わうようなことにならなくてよかったと心から思う。結婚してからあぁこんなはずではなかったと後悔すると、子供はいるし、親には迷惑かけるしで巻き込む人が多い。独身時代に苦労する分には一人とその相手だけなのだから害は少ない。いっぱいいっぱい独身時代に苦労しておいてよかったと思う。もうあの苦しみは二度と経験したくないが。恋愛によって人間も成長するのだと思う。相性にもよるだろうが、自分の長所も短所もうまく素直に出せる相手がいい。 夢を思い描いているうちはまだ幸せな時代なのかもしれない。それが現実問題になるとまた別の問題が押し寄せてくる。人間は一生その夢と現実の間の努力で成長していくのかもしれない。 光太は今何になりたい?と聞くと、「サッカー選手になりたい」と言う。習っているサッカーのコーチは子供達のいいところを引き出す天才で、まかせていたらどんどんサッカー好きな子になりそうだと思う。そのやりたいという気持ちがあるうちは苦労を苦労とも思わないはずだと思う。サッカーを続けていくとすればそのうち辛いこと、挫折、ケガなど色々なことにぶつかるだろう。でも、そういうことも含めてやり続けていけるとしたら本物なのだろう。 先日横浜マリノス対浦和レッズの試合を日産スタジアムで観戦してきた。お互いの応援がスタジアム中に響き渡り、こういうところで見るのはテレビで見るのとはまた違って臨場感があって、すごいサッカーファンでない私でも心が高ぶる。特に浦和レッズの応援の声はスタジアム中を響き渡るような大声で、主に男の人なのだろうが、腹の底から出す声には迫力がある。赤のユニフォームを着た姿も大勢になるとまるで大河ドラマの武田信玄軍の軍勢を見ているようで格好よかった。私達が応援しているのはマリノスなのだが、浦和の応援を賞賛していると光太がそれだけでむすっとして「ママは相手チームを応援するの?」という風に怒っていた。 光太にはファンの中澤選手のリストバンドを買ってあげるとそれだけで気持ちが踊っているようだった。この日は残念がながら中澤選手は体調を崩していて出てこられなかったのだが、中澤選手がいなくてもみんなよく頑張って2-0で浦和レッズに勝利した。前回はジュビロ磐田との対戦を見に来てやはりマリノスは勝利していて私達が見に来ている時に負けはなく気持ちがいい。しかし、この浦和との戦いの日は大雨で並んで待っている間にずぶ濡れになり大変ではあったが・・・ ピッチにたっている選手達は幼いころからサッカー選手になりたいと一途にがんばってきた人達が多いのだろう。何かでプロになろうということは並大抵の努力では叶わないものなのだと思う。普通の人以上の努力に努力を重ねて後は運がある人が自分の夢を実現できる。 光太はいつ自分の夢を実現できるだろうか。そしてどう自分の夢が成長するにつれて変わっていくのだろうか。きっと心の底からこれがやりたいと思えるものに出会わなければ成し遂げられないだろう。それを1日でもはやく見つけられた人は幸せだと思う。人生には寄り道も時には必要だが、ひとつのことを成し遂げようと思えば、寄り道ばかりしているヒマはないと思う。
June 28, 2009
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★体力 先週末は小学校入って初めての運動会だった。本当は土曜日にやる予定だったが、あいにくの雨のため延期になり翌日日曜に実施された。その日は見事なまでの晴れ。日焼けが気になる1日となった。 光太の出る種目は玉入れにかけっこ、みんなで踊る盆踊りのようなものと、大玉送り、そして両手に旗を持っての団体での踊りだった。玉入れを見ていて、ふと自分の小学校の時の記憶がよみがえった。一生懸命に上にあるかごをめがけて玉を入れたこと。その姿を父や母が見に来てくれていたこと。かけっこもいつの時だったか終わった後母から「顔を右に左に振って走っていたわね~」と笑われたのを覚えている。自分にはそんな意識は全くないのだが。 光太のかけっこは本当に一生懸命走っていた。スタートが悪かったので順位は6番中5位となってしまったが、一生懸命最後まで諦めず走り抜けたことはがんばったと思う。1位になってあのテープを切れる喜びもいつかは味わってほしいが、考えてみれば私は6年間一度もテープを切ったことがない。そんな私でも中1になるとクラスでも陸上部の子と肩を並べるほどタイムがのびた時があった。50メートルを何度か競ったものだ。 なので、今は目立って走りが速くなくてもそのうち速くなる日が来るかもしれない。私の友人からもリレー選手にも「4年の壁」があるということを聞いたばかり。1~3年の間にいつもリレー選手として選ばれていた子が見事に4年になるとおちてしまい、その代り今まで選ばれなかった子が4年から活躍することが多いのだとか。なので、リレー選手に低学年で選ばれなかったからと諦めなくても中高学年で選ばれる可能性も高いということだ。 まぁ、その4年からぐっとのびる条件として大事なことは、低学年の間にしっかりと基礎体力をつけることが大事なのだとか。 この間光太が15分ぐらい朝の会でずっと立ちっぱなしだったことで足が疲れたと言ってたことが気になった。今の子供達は意外と足が鍛えられていないのかもしれない。光太のように森の中の幼稚園で毎日ガケを登ったり下ったりしていた子でさえそんな様子なのだから、園庭が狭い幼稚園で育った子などどうなるのであろうか? 持久力や体力をつけるにはゆっくり長く歩いたりすることがいいらしい。体力や筋力をつけようと思うと急激な運動では不十分なのだ。となると光太は週に2回サッカーをやっているだけなので体力を養うには不十分なのかもしれない。日々40分~1時間ぐらいかけて歩いて学校へ通っているのなら体力もつくだろうが、歩いて10分~15分ぐらいならそれも期待できない。 思えば、年中にあがる前に上野動物園につれていってしばらく歩いただけで疲れた疲れたと泣きだしたことがあった。体力がついてこなくてしかも暑い日だったのでバテたのであろう。でも、結局がんばって最後まで歩き通したのだけれど、本人にしてみたら動物園がこれほど歩くところだという意識はなかったに違いない。 昨日は久々に遊園地に行った。朝の体調と天気で決めたのだが、遊園地に行くというと大喜びで宿題もあっという間に仕上げてしまった。アメとムチで楽しいことをぶらさげておくと子供は大変なこともすぐやってしまう。 遊園地の中は動物園ほどではないが、起伏があり階段をあがったり下がったりするところもある。それでも光太は次から次へと大好きな乗り物に乗り放題なのだから疲れを知らない。結局閉館までいたのだが、まだまだ遊びたいような感じだった。でも、車に乗ったらすぐ寝てしまったが・・・ 帰ってからは焼き肉パーティーにするつもりが途中渋滞もあり、ふと見ると並んでいる回転寿司の店があったので入ってみた。ここで30分以上は待ったか、もうしびれを切らした頃にやっと呼ばれて食べてみたら美味しい!ブリなんかは大きな魚を眼前に持ってきて今からこれをさばきますがどうですか?と聞かれる。ここまで見てしまったら頼まない人はいないのでは?その場でオーダーすると、とろけるように美味しい。 このお店は店員すべて活気があって太鼓をたたいて色々なサービスをお知らせしてくれたり楽しい演出もある。こんな活きのよいところなら次もまた行きたいなと思うところだ。やっぱり人が並ぶところにはわけがある。ランチ時や夕食時にガラーンとしているところは近づかない方がいい。みんな美味しいところは自然と口コミで広がるものだなと思う。 さてさて、体力のことを書きながらついつい食べる話にとんでしまったが、光太の体力はこれからうなぎのぼりにあがっていくだろうが、私の体力は逆にまっさかさまに落ちていくのを感じる。これに歯止めをかけるには日々地道な努力しかないのだろうが・・・とにかく今は委員の仕事が忙しい。 このところ毎日ミサンガ作りをしている。まだまだ試作段階でこれからどういう配色でやっていくかをもう一人の方とで作っては決めていくところ。私やパパはミサンガは派手な色合いがやっぱりいいと思っていたが、他の子供達の意見を聞くと、派手な好みの子もいれば地味好みもいるし、スポーツ系の好みもある。だからミサンガは3種類ぐらいは最低いるのだと。人の好みは色々だということだ。そういえば顔の好みだって色々あるように、濃い顔が好みの人やあっさり顔が好みの人、色々あってこの世はうまくいってるのだ。 食べ物だってこってり料理やあっさり料理好みは様々。日によっても食べたいものは変わる。思えば、私は母がフランス刺繍を小さい頃からやっているのを見て育っているので洋服なども色とりどりのものが好き。でももっとシックに黒や茶色、白などモノトーン好みの人もいてそれはまた素敵に着こなしている方を見ると素敵だなぁと思う。要は好きなもので自分が似合っているのを着ればいいのだ。 光太は年少ぐらいからそうだが、服の好みはかなりうるさい。朝から上下のコーディネートに時間がかかる。そして小物系にもかなりこだわる。襟に防犯ブザーをさしていったり首に巻きものを巻いていったり、ベルトを通すひものところに何かアクセサリー系をつけてみたり・・・かなりおしゃれさんだ。たくさんもらいものの服があるが、そのうち半分着ればいいほうだろう。ボーダーのTシャツでも気に入らない柄だと一度も着ない。もったいないと思うけど、好みだから仕方ない。 しかし、遊園地でよく遊んだ翌日は何時になっても起きてこない。よほど遊び疲れたのだろう。やっぱり土曜日に遊んで正解。これが日曜なら月曜の学校生活は成り立たない。私もなんとなく今朝はだるい。体力をつけねば。親も子も。
June 14, 2009
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★6月2日の横浜開港祭 6月2日は横浜開港祭があった。この日は小学校も休みで朝から出かけることにした。今年は開港150周年でもあるため最大級の祭典になるということで楽しみにしていた。 もとはといえば、光太がこの開港祭に向けてGWに写生をしていたお陰で体験乗船会に参加できることになっていたのだ。 なので、この日の私達のメインイベントは海上保安庁の巡視船の乗船会。船に乗っているのは13時~15時の予定なのだけど、乗る前の受付やら準備やらで11時半には移動しないといけない。急ぎ足で乗船前に他のイベントもいっぱいやっているので覗いてみた。 まず最初に急いでかけつけたのが、エンジン付きゴムボードの操縦体験会。たくさんの子供達が海辺に並んでいるのが見えた。それが着くやいなや係の人から「今日はもう終わりました。」との無情な言葉が・・まだ10時過ぎなのに押し寄せた人たち全員乗せるのには時間がかかるのだろう。くよくよしていても仕方ないので次と心を入れ替える。気持ちの切り替えができないのは光太。ふくれっつらをしてヤバイ雰囲気。急いで入口の目玉だった消防車のところにかけつける。 ここでは以前ドラマでやっていた「RESCUE」さながら横浜消防SUPER RENGER(特別高度救助部隊)の人達がいて車も展示されていて自由に写真をとったり車の中を見たり、実際救助隊の服装を着させてもらうことが出来るようになっていた。こういった制服に弱い?光太は早速着替えることに。照れているのか無言で表情も硬い。こういう体験から子供時代に憧れていた救助隊に入る人もいるのかな。命を賭けたすごい仕事なのだから格好いいだけじゃ勤まらない。でも、実際その場にいらっしゃる救助隊の人達は日々そういう訓練を受けている方で、毎日命と向き合った大変な仕事をされていることに頭が下がる思いだ。 他にもスポーツチャンバラなどやらせたいこともあったけれど長蛇の列で断念。途中、光太が書いていたように横浜の絵がたくさん展示されていた。表彰されている絵などは又格別に素晴らしいものだった。大人でもこんな絵は描けないな~絵の才能があるのはこういう小さい時から芽が出ているのだと感じた。 そしていよいよ乗船。私達は船の後ろの方に陣取った。2時間も船に乗っているのだからどこまで行くのだろうと思っていたが、横浜港から東京湾まで行って帰ってくるコースだった。海上から眺めるブルーインパルス(航空自衛隊)の華麗な飛行が格好よかった。まさに昔見たトムクルーズの主演したトップガンを思わせた。飛行チームは突然空にけたたましい音と共に現れ午後1時から約20分間、隊列を替えながら繰り返し飛来。青空を背景に白い煙を出してハートや6個の円を描いたりしてくれたので「ハートだ!」や「おぉ~~!」と私達観客も拍手や歓声で盛り上がった。こんなすごいものを肉眼でしかも船の上で見れるとはすごい感動だった。光太も上を見あげて「お~すげ~!」 船は時にすごい勢いで動きだしたり、潮風もすごくきつくてあやうく私の帽子も飛んでいきそうだった。普段でもつけていてよく風で飛ばされてはどぶに落ちたりして泣き目を見てきた帽子なのだが、この日はずっと手でおさえていた。かなり日差しもきつかったので最初は日傘も差していたがそのうち諦めた。それほどすごい風だった。 長い乗船時間を飽きさせない工夫が色々とされていて、子供達向けには紙芝居や、保安庁の服を着せてもらったり、保安庁の人をさるまたでもって御用にしたり!?こういうのが大好きな光太は容赦なく相手をエイ!!やられた~~海上保安庁の人達も子供達へのサービスに汗水流して頑張ってくれた。 以前これもテレビで伊藤英明が主演で話題を呼んだ「海猿」のように、海上保安庁の人達がヘリコプターからロープをたらして海でおぼれた人を救助する様を実演してくれたのも素晴らしかった。こうやって尊い命がこの人たちの働きによって救助されるのだなぁと思うと見ていて感動した。海は見ているだけなら美しいが、命を奪うこともあり時に恐ろしいキバを持って私達に立ち向ってくることもある。人々の胸に永遠の記憶として残るであろうタイタニック号、そしてその映画「タイタニック」でも絶対沈まないと歌われていた船が氷河にぶつかって沈んだことを痛ましく思い出す。 船の先から海を眺めるとまるで未来の夢を信じて船に乗ったタイタニックのジャックになった気分になる。船に乗ると人間は地上にいる時よりもっと気持ちが広く大きくそして自由になるのかもしれない。そしてその反面、全てを包みこみ、のみこんでしまう海の前では人間は未来を語ったとしても全てが空しいようにも思う。光太にとって船に乗せたのは初めてではないのだが、以前乗せたのは覚えていないというから今回の体験乗船はどれほど記憶に残るのであろうか。今回の乗船は私は期待していた以上によかった。開港150年を記念して連れてこれてよかったと思っている。歴史的な意義でいうと長い間鎖国をしていた日本がペリーの来航でやっと海外に扉を開けることが出来た。とじこもっていた島国が一気に開けた島国へと発展をとげていくことになったのだ。150年前の人達の勇気ある決断に拍手を送りたいと思う。 こんな祭典もそうそうあるものではないから本当は最後までいて花火も見たかったところだが、やはり明日の日常生活への支障を考えて断念。光が大好きな光太にとってみれば見たかったであろうが(私達ももちろん見たかった!翌日が休みならよかったのに)花火の開始時間が遅すぎた。20時20分から21時までとあるので、朝から出かけている私達にとっては間があきすぎる。それでなくても帰りの電車の中では「つかれた・・・」と通勤ラッシュで座れないことにぼやいていたのだから最後までいたらどんなことになっていたやら・・・最後は船長さんのように最敬礼して横浜港を後にした。良い思い出をありがとう~
June 6, 2009
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