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“いざっ!一の谷へ、鵯越えのダウンヒル”はコースが決定し走る時期を待つのみになってしまいましたが。私は、いろいろな意味で、やっと軌道に乗ってきました。体も、順調に回復に向かい最近では以前の調子を取り戻し、体が疼き始めました。えっ!体調が悪かったのですか?と思われる人がいるかもしれませんが、実は腰痛でした。少し、いや一時期はほぼ完璧に乗ることができませんでした。いろいろな方のブログを拝見しても、膝であったりとか、腰痛であったりとか、なにか良く分らないのだけれど調子が悪いだとか、体の不具合についてはいろいろと書込みされていますが、まあ人間だから、調子の悪くなる時は必ずあるもので、万全の体調を整えている人なんか、少ないでしょう。特に、スポーツを専門としてやっている方は。私の場合は、仕事上での無理が腰痛となってしまったようで、自転車でという訳ではないのですが。もっとも自転車に於いては、そこまでハードには練習していないので(笑&反省)バランスの悪い筋肉の使い方が、一番いけないのでしょうね。良く、水泳は全体の筋肉を使うので、バランスが良いとかいいますよね。逆に、プロボーラーなんかは手の筋肉ばかり多く使うのでバランスが悪いとか。だから、どんなスポーツであっても、まんべんなく体を鍛えなければいけません。自転車の場合も、下半身がどうしても注目してしまいますが、上半身も鍛えなければ強くならないと考えます。少しずつ、自分の体と対話して調整してゆこうと思います。
2005.05.29
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いよいよ、ツーリングのコースが出来上がりました。全長88km,オンロードありオフロードありの充分楽しめるコースとなったと思います。箕谷→高尾山→鵯越えのルートがちょっとややこしいですが、方向音痴の私は迷ってしまいそうです。いつものことですが。決行日は大河ドラマでの“一の谷の戦い”の放送の次の木曜日でしょうか?それまでに、鵯越えのあたりをもう一度詳しく調べておきたいものです。一緒に走りたい方募集します。決行日は未定ですが、走ってみたいという方ぜひ一緒に走りましょう。
2005.05.25
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須磨で見つけた“なめくじ”です。どんな種類のものかは分りません。とにかくデカイです。全長14cmぐらいありました。上りの、遊歩道の途中で見つけたのですが、こんな天気の良い日でも、堂々とぬめっていました。これだけデカイと太陽光にも強くなるのでしょうか?とても、貴重な?写真だと思いアップすることとしました。鵯越えには関係ないとしても、自然っていいな~と感じました。ところで、もうぼちぼち“いざっ!一の谷へ、鵯越えのダウンヒル”のルートがかたまりかけています。最後の部分はもう少し練ってみたいので、残すとしても大筋でのルートが決まりました。今マップを作成中なのでおまちください。
2005.05.23
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鉢伏山からの遊歩道を下りてくる途中での写真です。目の前が瀬戸内海です。やや青みの強いエメラルドグリーンでこの時期はとても美しく透き通っています。この日は天候にも恵まれてブルーがさらに美しさを増していたようです。この写真の正面の真下が一の谷ですが、かなりの急斜面です。一の谷までは距離的にはさほど遠くはないのですが、やはり急斜面とあって馬で下りるのは至難の業ではと思います。でも、MTBならOKみたいです。(注:走れることと、走って良いこととは別です。)こんな天気の日にダウンヒルしたら気持ち良いでしょうね。彼らは鎧、甲を身に付けてこの山を登ったり下ったりした訳ですから、いくら距離が短いといっても相当きつかったに違いありません。だから、奇襲攻撃が効をそうしたのでしょうね。
2005.05.22
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さて、先日の須磨観察では1つ府に落ちないことが。鉢伏、鉄拐山、両山とも常葉樹に覆われた山でとても馬で駆け下りることができるような感じではないのです。上の写真の様に。一の谷の合戦は2月だったので、冬場であったとしても、やはり木々が行く手を遮ってしまうのではと考えてしまいます。そんなことを、考えながら歩いていると、以前に聞いた話を思い出しました。それは、以前六甲山の砂防堤について調べていた時に、六甲山系は昔々は禿げ山であったということを。ちょうど、蓬来峡のような山々だったそうです。それが、植樹によって今のような木々の茂る山になったこと。 そう考えると800年前の当時はこの須磨あたりの山々は、禿げ山だったと思われます。そう考えると視界も開けるし、逆落しも考え易いです。もしそうならば、このあたりの景色は今の風景とまったく違ったものだったのでしょうか?興味のあるところですが、そのあたりに触れている文献はまだ見つかりません。
2005.05.21
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昨日は、おつき合いのある卸業者のY社へ、在庫整理の掘り出し物を買いに行ったついでに、須磨まで行ってきました。実は、須磨はY社のすぐ近くなのです。須磨浦ロープウェイで、鉢伏山の頂上へと思ったのですが、着いたのが9時でまだ運転していないとのこと。しかたなく、足で登ることに。さほどの距離ではありませんでした。ニッコリそこからの眺めは、すばらしい!の一言。平清盛がこよなく愛したといわれるだけあってすばらしい景観でした。天気も上々で、言うことなし!ところで、この鉢伏山に登ると平の布陣が一目で見渡せるのです。中核となる“一の谷城”は和田岬の向こう側、星印の場所です。その辺には戦闘用の船が沢山浮かんでいたと思われます。その様子は手に取るように分かったでしょう。現在の一の谷は手前になりますが、本来は和田岬につながるような谷を一の谷と呼んでいたと解釈する先生もいます。鵯越えは、山の手の左奥ですからその方が逆落しと一の谷がつながり易いからです。しかし、この鉢伏、鉄拐山とその麓の一の谷のこのロケーションは見事にすばらしい景観をなしています。どちらかというと、こちら側のロケーションの方がドラマチックですね。
2005.05.20
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“鵯越えの逆落し”を調べていたら、なにやら組体操のようなページが・・・四十八手の中のひとつなのですね。そうですか。ますます興味が湧いてきました。そのホームページに釘付けになることしばし、まだ試したことが無いХХの方が多いみたいですね(笑)“鵯越えの逆落し”奥深し!ところで本題に戻るとして、鵯越えの逆落しにはいくつか説があって、いまだ1つに絞り切れていないみたいです。もう、無理なのでしょうね。いまさら、新しい証拠がでるはずもないのですから。問題は、一の谷と鵯越えが離れていることです。鵯越えを逆落しして一の谷へ攻め込んだとしたら、離れているとしてもせいぜい1kmぐらいか?それが、7~8km離れているとなるとちょと問題か。一説には一の谷が鵯越えの近くにあったという説がありますが。どちらも、ほんとのような嘘のような、極端には“義経は鵯越えの逆落しはしていない”という説まででてくるありさま。はっきりしないから、なにを言っても否定できない状態なのでしょうね。さてどうしたものか?ここは、ツーリングのクライマックスなので、できればダウンヒルといきたいところなので、明日下見をしてこようと思います。
2005.05.18
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この頃の、資料と言っても、大筋での資料はあっても詳しいルートとなるとなかなか見つからないものです。そこでインターネットで発見した資料、とてもグッドです。“義経の実像、一の谷合戦における鵯越えの逆落し” 兵庫歴史研究会会長の梅村さんの検証した一の谷の合戦です。一の谷の合戦の場所はいくつか説があり、まだ解明されていない部分もあるみたいです。こういうところが、歴史のおもしろいところですね。推理です。本当の鵯越えは?誰にも分りません。まあ、この部分はまた後にするとして、この資料には一の谷に至までのルートが細かく載っているのです。これは助かりました。これで、忠実に義経が進軍したルートをたどることができます。この辺まで来ると、結構わくわくしてきます。僕だけ?街並は変わっているとしても、地形はさほど変わっていないはずです。ですから、義経が進軍したルートはできるだけ歩き易いルートだったに違いありません。義経軍は、三草山から小野市を通り、三木市に入ります。三木市の宿原で兵を二手に分けます。そこで、義経は奇襲攻撃の為に鵯越えに向かいます。兵の数は少なかったみたいです。多分、三草山での奇襲攻撃が、あまりにもみごとにあたったので気を良くたに違いありません。そこで、奇襲の効果を知った義経は、再度奇襲攻撃を狙ったのです。まちがいない。ツーリングでは、デカンショ街道から567号、18号、23号、38号と走って三木市の宿原に着きます。ここまでは快適な緩やかな下りの一般道を走ることとなります。林に囲まれていたのか、草原だったのか知る由もないですが、今は穏やかな田舎風景だと思います。宿原が2つめのポイントとなりそうです。ここまでの間にも、いわゆる義経が通ったと言われる史跡が残っているみたいですがその辺もツーリングの楽しみになりそうです。
2005.05.17
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それでは、ツーリングの始めはどこにしましょう。 義経は京都より丹波路を通って篠山に入り、そして平家の資盛と三草山で戦っています。三草山は重要な戦いのひとつなので、押さえるとして、篠山あたりからの出発が良いのではと考えます。篠山から一の谷までは6~70kmというところでしょうか?途中、史跡めぐりなどをして走るにはちょうど良い距離かも知れません。篠山までは輪行で。さて、篠山からまずは327号線を走ります。この327号泉はデカンショ街道と言われていて、昔からある道だろうと思われます。義経軍は小野原に一旦兵を構え、そして三草山の資盛を攻撃したみたいです。それも深夜の奇襲攻撃だったそうです。資盛はまさかの奇襲攻撃に、スタコラ逃げる一方だったそうです。途中まで追い掛けたそうですが、逃げ足が早く、結局追いつけなかったみたいです。まあ、首が取られるとあっちゃ、必死で逃げたのだと思いますよ。深夜の奇襲攻撃をするにあたって、大たいまつをたいたのだそうですが、大たいまつと言うのは、周囲を明るくする為に、地元の民家に火を付けることです。住民にとっては大変なことです。しかし、そんなことも普通のことなのです。武士の非道さがうかがえます。三草山では、平家が構えていた城を、深夜、大たいまつの明かりをたよりに奇襲するイメージでツーリングしたいと思います。どんなんや(関西流のつっこみ)
2005.05.16
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私は、大学も理系だったので?物理とかは好きでしたが、どうも歴史は世界史も日本史もダメでした。しかし、今こうやっていろいろと調べてみると、とても興味を引かれるところが沢山あって、正直、おもしろい!。義務教育の教え方が悪いんでしょうね。ほんと、歴史ってこんなに面白いのに。大河ドラマとかは、結構、演出があってよりドラマチックにするために、いろいろと嘘があったりするみたいですが、私達にとってはそれも事実なりと思ってしまうのが身勝手なところかもしれません。事実、義経があんなにカッコよかったかというと、ぜんぜん違うだろうし、むしろ非情な男だったと思いますよ。断定はできませんが。ドラマがあまりにカッコよすぎるので、嫉妬してみました。しかし、それはそれで常識の通じない世の中であった為、その非情さは武士らしさなのかもしれません。それが今となっては美化されてしまっているのでしょうね。『切取強盗武士の習い』(きりとりごうとうぶしのならい)という言葉があって、これはどういう意味かというと、『人を殺して金品を奪っても、武士なら許せること』という意味らしいです。大義名分のためなら、なにをしても構わない。そんな世の中だったのです。しかし、今でもそんなことがありそうな、なさそうな。
2005.05.15
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次回のツーリングの看板を出してみました。タイトルは“いざっ!一の谷ツーリング・鵯越えのダウンヒル”です。 今回は、時代考証からルート決定までのプロセスをレポートしながら、楽しんでいこうと思います。時代考証というと、なにか偉そうですが、今年の大河ドラマが“義経”なので結構資料は沢山ありそうです。インターネットと書籍にて資料を集めれば集めるほど、のめり込んでゆくのは、多分“平家物語”とかを読んでいる方がそうであるように、驚くこと悲しいことが沢山あるからだろうと思います。とにかく、今から800年ほど前の時代は、今の常識では考えられないようなことだらけ、けだらけでした。人間関係も、親子であっても殺し合う、そんなことが常識の世の中でした。裏切りや反乱が頻発するなかで、武将と呼ばれる人間達は生きた心地がしないのではなかったかと思われます。しかし、そんな中でも、親子の絆や愛情みたいなものがあり、その葛藤の中で生きていたという悲劇がいままでに多くの書物に書き残されている所以かもしれません。特に、生まれながらにして武将である若者にとっては、とてもはかなく厳しい時代だったと言えましょう。事実、義経も31才という若さで自害しました。それも、実の兄に責められて。今に生まれてほんと良かった。しかし、逆をいえば人間はそうなれる素質も皆、持ち合わせているのです。“羊達の沈黙”のレクター博士のように、非情になれる側面も持ち合わせているのです。話が逸れてしまいましたが、そんな悲しい物語が沢山残されているのがこの時代です。
2005.05.14
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走りは、いくら走ったところで、また走りたくなるものです。走りだめはできないものです。そんな訳で、次のツーリングを考えているのでありますが、ひとつ閃きました。先日の日曜日にNHKの大河ドラマを見ている時に、義経が平家を撃ち破る戦い、一の谷の合戦は須磨浦海岸なのだということを。一の谷の合戦で有名なのは、“鵯越えの逆落し”です。知る人ぞ知る“鵯越え”ではありますが、恥ずかしながら私もどこにあるのか知りませんでした。そこで義経が一の谷の合戦で、どのように進軍して一の谷へ攻め入ったのか調べてみようと思いました。どうも京都を出陣した義経は丹波路を篠山、三草山、三木と進軍して、途中作戦を変更しながら戦力を2つに分断し、義経達は隠密のうちに一の谷へ奇襲攻撃をかけたみたいです。調べてゆくうちに、当然?この義経の進軍したルートを自転車で走りたいと思い、それではとただいま詳細なルート作りに資料を掻集めています。昔の道は現在の街道として残っているところが多分にあって(もちろん変わってしまっている部分もあるはず)充分に義経軍の気分になれるはずです。特に、クライマックスの一の谷に攻め入る“鵯越えの逆落し”は、馬でも下りることができたのであれば自転車でもと・・・・。この計画いつ実行できるかは未定ですが、ただいまルート作りに一生懸命です。
2005.05.06
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やっと10000ヒットを達成しました。同じ頃に、始められた方より随分と遅い10000ヒットではありますが、少なからずうれしいです。これもアクセスしてくれた方々のおかげです。有り難うございます。昨年の12月1日より始めて5ヶ月がたちました。当初は、ハイペースで伸びていたのですがブログの更新も不定期となり予定よりもかなり遅れての10000達成となりました。先輩方にはどんどん差をつけられ、後輩には追抜かれ自分のブログの不甲斐なさを露呈してしまいましたが、なにごとも継続が力なりと、今後とも不定期ではありますが、続けていきたいと思います。私はもっぱら自転車をテーマに書込みしていますが、多くの方が、このテーマで書いているのでいろいろなことを知ることができて、とても参考になります。これからも、よろしくお願いいたします。
2005.05.04
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ゴールデンウィーク 日射しも強くなってきてはいるが、気温はさほど高くなく、湿度も低いので絶好のお出かけ日和になった。というより、お出かけしたくなる天気である。ただ歩いているだけできもちがいい。自転車で、家族でお出かけしている人達も大勢いるに違いない。こんな日に、一日中車の中で過ごすのは勿体無いような気がする。しかし、渋滞情報によると、90kmぐらいの渋滞に巻き込まれている人達も大勢いる模様である。休みも分散したら良いのに、と考えるのだがどうも日本人は集団で行動したがるらしい。私も以前はその一員であったのだが。狭い日本の中を民俗大移動である。ひとつのイベントとして定着してしまった感がある。こんな日にはお店も空いている。負け惜しみに聞こえるが、こんな日に、ひとりゆったりと自転車の修理をするのが好きだ。いい仕事ができそうだ。
2005.05.03
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