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28日の日記だが、厳密には山小屋で床に入ったおんなじ日、つまり前日の午後11時15分に目が覚めた。 というか、出発準備のツアー客の喧噪で起こされた。 7/28の午前零時、富士山河口湖口登山道八合目の山小屋「蓬莱館」を出発。と思ったが、小屋の外は大渋滞だった。「お義父さん、寝れました?」「全然寝れんかった。一睡もできんかった。」・・・その日、小屋の宿泊客の中でいびきが誰よりも最大音量クライマックスだったおちちうえが応える。 俺は1時間くらいは寝た感じ。 渋滞は果てしなく続いているようで、5歩歩いては、30秒ストップ・・・ってなことを延々と繰り返す。 皆が御来光めがけて富士山の頂上をめざしているのである。 気温は5度前後。風は時たま10mを超えるので、体感温度はおそらく氷点下。 ただ寒いだけなら耐えられるが、自分のペースで歩けないので体が全く温まらないのが俺にとってはつらい。 おちちうえにとってはこれが適度なペースだったようで、程良く体もあたたまり、小休止の時は一番風がつよく直撃するところを選んで休まれる。だから、余計に俺は体が冷えてつらい。 ほとばしる鼻水。 やがて、東の空が白み始めた。ここからまだ30分はこのまんま。もうすぐかな?おっ、チラッ!おはようございます。頂上まで、あと高度差100mというところで、御来光。なんだが、非常にありがたいものである。手を合わせて拝みたくなるくらい荘厳な日の出なのである。渋滞の列も御来光の瞬間は完全に動きを止めた。そしてまたゆっくりと動き出した。再び動き出した渋滞は、狭い登山道を3列に並び、ずるずる納豆歩行でゆらゆら進む。見える範囲で頂上から本八合の下の八合目までは同じ調子の大渋滞。そっから下は見えないが、おそらく渋滞だろう。難民の民族大移動か、はたまた聖地巡礼の信者の列といったところ。何が嬉しくて、こんなにたくさんでずるずる登るのか、君たちに聞きたい。が、そっくりそのまま自分にその質問を返されそうだな。やがて、頂上の鳥居。午前5時30分、おちちうえ、みごとに通過。(真ん中のブルーのカッパ)だが、頂上に着いたと気付いていない。「お義父さん、頂上着きましたよ。」「えっ、ほ~か、着いたかぁ」(広島弁) おちちうえ、頂上の浅間大社のそばに座り込み、おもむろに携帯で広島の自宅に登頂報告。「富士山登ったよぉ。やっと登れたよぉ、夢が叶ったよぉ、渓遊ちゃんが連れてってくれた○κ△♯□μ※」おちちうえの目に光る物が一筋、二筋。体中が満足感と達成感に満たされていくのが見て取れる。なんだか俺も目頭が熱くなってきた。 さて、では、おちちうえ、念願の詩吟を謡って頂きましょう。人目に付かぬ場所で、デジタルビデオカメラを三脚(これも俺がボッカしていた)にセットし、剣ケ峰に向かって満足行くまで謡って頂くこと3回。 標高3,700mで平気な顔で息も切らさず謡うおちちうえ、見事である。と同時にこれが、恐らく勝因でもあるのだろう。おちちうえは詩吟のお陰で腹式呼吸ができる。多分呼吸器系がしっかりしていて、高山病に全くならなかったんじゃないかなって思っている。お次は俺の楽しみ。ピークラーメン!昨年から定番となった塩ラーメンなのである。バスツアーの皆さんはさっさと下山に取りかかっているが、俺はせっかくここまで来たからには十分たのしみたいのである。旨い、旨過ぎ! 清く正しすぎるピークのラーメンなのだ!3時間近く富士山頂上でのんびりしてから、ようやく下山にとりかかる。残念ながら、おちちうえ、登頂連絡の自宅電話の時、満足感と達成感で体が満たされると同時に、それまでみなぎっていたモチベーションや根性やヤル気が、背中から空中に昇華されていくのが見えてしまった。だからお鉢巡りは無理せずやめておいた。三角点は無理にはいいのである。おちちうえが満足してるのならね。下界から富士山を指さして、いつか「ワシはあそこに登ったんじゃ」と言うであろう指の先は、3,776mの三角点ではない。紛れもない今俺達が立っている場所。これも富士山の頂上なのである。とりあえず記念写真。おちちうえ俺。山中湖富士吉田市街地山に登って地球が丸いなあ、と思ったのは、これが初めてである。富士山は見る山か、登る山かなんて議論の結論、ここに登ったヤツしか答えられないんじゃないかな。周りに高い山の無い独立峰から眺める展望、裾野の広がり、雄大さ、高度感、貧弱な語彙では表現しきれないデッカさが富士山にはあった。これは北アルプスや南アルプスなんかとは明らかに異なる富士山ならではである。登って初めて分かる富士山なのである。下山開始。登りとは異なるつづら折れのブルドーザー道を激下り。おちちうえは、ストック使って3本足で一歩一歩。俺は、早下りで小走りでつづら折れを1往復ごとに、おちちうえを待つ。それにしても砂塵がすごくて、口の中もじゃりじゃり。おニューのドタ(重登山靴)も一気に年期が入った、というかどんな靴なのだか分からなくなってる。実は富士山は、キャタピラを使えば歩かなくても頂上まで登ることができるすごい山なのである。写真は救護用。荷台に布団が敷いてあった。歩けなくなったと根を上げた人がいて、救護に向かったが、行ってみたら要救護者本人が立って歩いていたので、そのまま引き返してきていた。運転していた人は怒りまくっていた。やっと雲と同じ高さまで下ったが、まだまだ高度感ありあり。でも、ぐんぐん気温が上がって、頂上で寒かったのが嘘のよう。そして、13時10分、スバルライン五合目に無事到着。標高差1,400mを一気に下った。さすがに俺も久々膝が痛んだ。八合目の山小屋を午前零時に出たから、13時間の行動時間。おちちうえとがっちり握手をして、お互いをねぎらった。おちちうえは富士山登頂という夢が叶ったことを喜び、俺は登ったことはもちろんだが、それ以上に、おちちうえを無事案内できた?ことを喜んだ。こうして、数年来のおちちうえの夢だった富士山登山も無事に幕を閉じた。日本一の富士山は、やはり清く正しく日本一高い富士山だったのである。そして、富士山、それは日本人のココロ、なのである。終わり。
2007年07月28日
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遠足前夜の小学生状態だった俺は、なかなか寝付けなかったが、それなりに寝ることが出来て、朝5時起床。おちちうえも寝られたよう。 6時に朝食。夕べは3組6人が、この民宿に泊まったようで、1組は俺達が食い始めた後に食い始め、先に食い終わって出ていった。 残る1組はまだ起きてこない。 おちちうえと俺は、じっくり腰をすえ、それぞれ茶碗大盛り3杯ずつ飯を食い、保温ジャーの中の飯が、残りの1組の客には足りないと気付いたところで、おちちうえはトドメにもう1杯食い、そそくさあたふたと食堂を逃げるように後にした。 部屋に戻って窓を開けると、OH!FUJIYAMA!これから挑戦する山が全貌を現し、否応なしにモチベーションが上がる。 朝飯食ってる最中の最後の1組の客に見付からぬよう、宿をチェックアウトし、富士スバルラインへ突入。 スバルライン四合目、標高ほぼ2,000m。既に富士山の懐にはいっているので、全貌は見えないが、なんか雲ひとつなく、いい感じではないか! スバルライン終点の五合目駐車場は既に満車で、2キロほど手前の路肩駐車場に車を止めた。ここから五合目までは、無料のシャトルバスが運んでくれるので、楽チンのチンなのである。 路肩駐車場と五合目で合計1時間半ほどのんびりした。 既に五合目で標高2,300m。それを車で一気に上がったから、高山病予防に体を慣らすためだ。とにかく、60歳台半ばのおちちうえの体への負担を極力減らすことを心がけた。 そして、午前10時、靴ひもをしっかり締め、五合目を出発、歩き始めた。 目指すは八合目の山小屋、蓬莱館だ。 しばらくは、広くなだらかな道なので、おちちうえもペースが上がる。 オッ、俺よりも早い・・・。 あわてて制して、ゆっくり行って貰う。最初を飛ばすと後でバテるし。 六合目、1ピッチは短いが、それなりにおちちうえも足を前へ進める。なんてったって、これまで1年間、この富士山の為に、毎日10kmを欠かさず歩いてトレーニングしてこられたのである。 気合いが入っているのである。七合目、標高2,700m。花小屋を過ぎた辺りから、フラットな道が岩々のルートに変わった。ここで、おちちうえ、ペースがガクンと落ちた。やはり山道に慣れてないせいか、5分おきに座って呼吸を整えている。 負担軽減のため、おちちうえのザックから水2リッターを俺のザックに引っ越し。これでおちちうえのザックは6kgになった。それでもおちちうえのザックには、コンパクトデジカメと、デジタル一眼が入っている。重・・・ちなみに俺のザックは、13kg。小屋泊まり1泊にしてはちょっと重い。水2リッターと、デジタルビデオカメラ、コンパクトデジカメ、隠し歩荷の缶詰なんかが入っている。これにおちちうえの水が加わり、15kg。だいぶん高度感も出てきた。登ってきたつづら折れの道が下に続いている。登りはじめは無かった雲もポコポコ出現してきた。雲と競争で上を目指すのである。七合目から八合目は牛歩のごとく、一歩一歩確かめるように歩を進め、休み休み。標高3,150m、本日の宿、蓬莱館に15時15分、ようやく到着。おお、槍や奥穂とたいして変わらん標高じゃん。これでまだ八合目。恐るべし富士山。おちちうえも意外と元気・・・という訳でもないが、特に高山病の症状も無く、ただ疲れているというだけ。少し安心。眼下は雲だらけ。到着したのが早かったので、まだ誰もいないが、定員200人のこの小屋も予約で満員。自分の肩幅分しかスペースは与えられない。黄色い固まりはシュラフ。アルプスみたいに1枚の布団を2人で使えという状況にはならないのが救われる。期待はしていない晩飯は、やっぱり期待通りにこれだけ。お代わりできるか聞いたら、ごめんなさいと言われた。俺は山に入れば晩飯は1食1.2合の米を食うのだが・・・。1泊2食、8,400円・・・。ビールはもちろん別料金。っと、おちちうえ、カップ酒なんかを飲んでおられる。酒を飲む余裕があるのなら、明日も大丈夫だろな。飯食って、トイレ行って、19時には横になったが、なんとまあ、ひっきりなしにバスツアーの団体客が到着してきて、騒がしい。そして、横になってる人の中にも、高山病になってる人がいて、「きぃもぉちぃわぁるいぃ・・・吐きそぉ・・・」と苦しがってる声が聞こえたり、あちこちで、「プシュー」と酸素缶を使用する音が聞こえたり、酸素缶の「プシュー」に紛れるように、ほんとに、「ぷぅ~」とやっちまう人も複数いたり・・・(気圧が低いと出やすいらしい)すがすがしい登山のイメージとは正反対、ぎゅうぎゅう詰めタコ部屋難民状態なのである。これじゃあ、ナイーブな性格の俺は、とてもじゃないが寝られたもんじゃない。20時を過ぎてもまだ客が続々やってきて、しまいにはいったん消灯していた客室の電灯が再び灯された。一体どんな山行計画なんだろ・・・。21時を時計で確認したとき、またしても団体客が入ってきて、俺も開き直った。『こりゃ寝れん、徹夜登山だ。とにかく横になって少しでも疲れを取ろう。』そう開き直って肩の力が抜けたところで、意識が遠のいていった。明日はいよいよ登頂日、そして下山である。(つづく)
2007年07月27日
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「渓遊ちゃん、わしはのぉ、死ぬまでに1度でええけぇ、富士山に登りたいんじゃ。連れてってくれんかのぉ~・・・」(広島弁)「まあ、あと300年はお義父さんは死ぬことはないと思いますが、登りましょか。」「ほいでの、詩吟で富士山いう唄があるんじゃが、それを頂上で謡いたいんじゃ。」(広島弁)「・・・」 かれこれ8年前、1999年の家内のお父様である御義父上(おちちうえ)との会話。 この年の夏、富士山登山のプラニングを立て、さて、来週出発だ!というテンションバリバリ絶好調の時に、突如、おちちうえのおちちうえ(家内のおじいちゃん)が他界し、登山は無期延期となった。 それから7年経った昨年、おちちうえは60歳も半ばに到達。そして、再び富士山へのバーニングハートが燃え始めたのである。 今年に入って4月頃から、登山コース、日程、宿などの下調べを始め、行動食なんかも準備した。 そして晴れて本日、富士山に向けて出発。数日前に広島から奈良の俺のうちにやってきたおちちうえと二人で車に乗り込んだ。 本日目指すは奈良から名阪国道、東名阪、伊勢湾岸、名神とつないで精進湖近くの民宿だ。「渓遊ちゃんのぉ、わしは、はぁ、中央道を通ったことがないんじゃ。一度でええけぇ通って見たいのぉ。景色もええらしいし。」(広島弁) 予定変更。 そして、昼飯は当然伊那インターで途中下車。伊那名物の伊那ローメン。さらに大盛り。久々の再会である。マトンの入ったこのラーメンでも焼きそばでもない、訳の分からん食い物が、俺を虜にしてから10年以上経つ。おちちうえも不思議そうに食べていらっしゃる。ネズミ色の天竜川だが、俺には優しく微笑んでんでいるようにも見える。単にローメンで腹一杯でぼーっとしていてそう感じだだけなのか。 残念ながら、天気が悪くて、中央アルプスも、南アルプスも、八ヶ岳もな~んも見えなかった・・・。 甲府南インターで下りて、精進湖近くの民宿に投宿。 天気予報はそれほど悪くはなさそう。 いよいよ明日は富士山に入山なのである。(つづく)
2007年07月26日
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夕べ降った雨のお陰で、奈良県は吉野川の川幅もふた周りほど太り、濁っている。 本日の『山の学校 達っちゃんクラブ』は、吉野川支流にある御船(みふね)の滝を見た後、アマゴの養殖場で、ちびっ子にアマゴつかみをやってもらって、それを焼いて食っちまおうという作戦である。 井光(いかり)という集落の上流にある御船の滝。冬は氷瀑で有名だが、今日は雨のお陰で豪快の水を吹きだしていた。 滝壺は飛沫のお陰でカメラを持っては近づけない。マイナスイオンを通り越して、顔面シャワーなのである。 滝を見た後は、ちびっ子はプールに放したアマゴを手づかみし、お父ちゃん達が肥後守で削った竹串に刺して、じんわり炭火で炙る。 おなかも落ち着いたら、今度はスイカ割りに挑戦。 ちびっ子の退屈しないイベントでなかなか盛況なのである。 それでも遊び足りない息子のK助は、帰宅してから花火で1日の締めくくり。 うちの中では、飼育箱から脱走したヒラタクワガタが、屋外逃亡の機会を虎視眈々と狙っていた。 長い長い初夏の一日なのであった。
2007年07月21日
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奈良県北部はさほど影響も無く、なんだったのかな?ってな程度で台風が通過した本日、一人で東吉野村へ向かった。台風一過のいい感じの天気だ。 本日のルートは車で林道終点まで上がって、そこから林業の作業道を適当に歩き、適当な尾根を見付けてゴリゴリ上がって、国見山に直登してやろうという予定・・・だった。 ちなみに国見山とは、奈良県と三重県の県境を走る台高山脈にある、標高約1,400mの山で、特に何があるわけでもない。 実は夕べ、思いっきりナルシーに飲んでいたので(昨日の日記参照)、少し家を出るのが遅くなったのと、予想以上にコースタイムがかかったので、結局国見山の稜線に到達せず、ピーク手前で引き返すピストンとなった。 さて、10時前、車を置き、少し酒が残って重い足を颯爽と引きずりながら歩き始めると、早速下山してくる登山者がいる。 この時間で下りてくるとは、なかなかスーパー早起きで結構なことだ。 と思いきや、ルート始めの沢渡りが、台風の増水の為、渡れず引き返してきたとのこと。 恐るべし、台風。 この後も、数人スーパー早起きの登山者とすれ違った。 俺は彼らとは別ルート。大丈夫かな・・・。さて、俺も対岸に渡ろう。渡れなかった。道が見えなくなっていた。やむなく靴を脱ぎ、浅いところを探して渡渉。初夏とはいえ、水は冷たく1分と浸けていられない。釣り竿持った漁師スタイルのときはこんな流れはなんともないのだが、今日は猟師歩きなので、痛みを通り越し感覚の無くなった足には正直しびれてしまった。気を取り直し、靴ひもを縛りなおして、しばらく歩くと、足跡発見。アイツか、はたまたソイツか?俺はアイツだと思う。さらに歩くと、100mほど向こうに、姿は見えないが、何か動物の気配を感じる。行ってみると、やはりアイツだった。ニホンカモシカ。 彼とは2年ぶりの再会である。 一昨年の冬、一人で鉄砲担いで雪の中をズボ足で歩いているときにばったり出会ったのが最初の出会い。この付近をテリトリーにしているのかな。 人が来ても全くビビらない彼は、5mの距離まで俺とにらめっこし、そこできびすを返し、ブシュルルル~ッと、鼻水垂らしながら森へ戻っていった。 さらに歩くと、ソイツもいた。ちょっと見にくいけど、普通のニホンジカ。こりゃ、なんじゃ?ランの仲間か?先週登った薊岳も近くに見える。遠くに霞むは、金剛山(左)・葛城山(右) 国見山まで後200m登れば、というところでタイムアップ。夕方別件があるのでやむを得ん。 2時間半かかった登りを1時間半で下り、またまた裸足で絶叫渡渉をやってのけ、無事帰着。 カモシカ1頭、メス鹿2頭、オス鹿3頭とご対面。さすが3日も山が荒れたので、動物たちも腹を空かせていたのだろう。たくさん出会えて俺もご機嫌である。 台風の猛威には驚いたが、初夏のそよ風が舞う台高の山々は、清く正しくそして優しく俺を楽しませてくれるのである。 うちに帰ったら、冷蔵庫のビールに優しく出迎えてもらおう。
2007年07月16日
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『男の贅沢』・・・タイトルだけ見ると、なんか凄いカッチョイイ事をしてるみたいだが、実は至って庶民的でなんの派手さも無い質素な事である。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ お昼過ぎ、庭で雑草取りをしていたら、息子の3歳のK助が蚊除けに付けた蚊取り線香に、庭に落ちている木片なんぞを集めて乗っけている。「K助、何してんの?」「燃やして遊ぶの。」「お前、火遊びしたいんか?」「そう。」 この年で、火遊びとは立派である。どうせやるなら、中途ハンパはいかん。「それなら、K助よ、炭起こして、そこで燃やすか? ほんで、その後、炭でなんか焼いて食うか?」「やったぁ」 どうせ火遊びするなら、蚊取り線香なんぞ、中途半端なやつじゃなくて、しっかり火遊びさせねばならぬ。子供の火遊びは、俺の火遊びに比べたら可愛いものだ。 火遊びは危ないからと言って、火から遠ざけるのではなく、徹底的に火遊びをさせて、火がアッチッチだということを、教えてあげれば良いだけのことである。 んな訳で、晩飯のメニューが突如変更され、冷凍庫の鶏肉と、昨シーズン撃ったヤマドリを解凍し、成り行き任せで、焼き鳥となった。 七輪(うちのは四角だが)に炭を入れ、着火剤を使って火を起こし、炭が落ち着くまで、全てK助に見せて、時々彼にもやらせて、満足するまで火遊びをさせてあげた。 さて、これからが本題であるが、満足したK助を風呂に入れ、寝かして手が離れた後は、いよいよ、俺、参上。 ホントはもっと広い庭もあるのだが、台所の勝手口横のこの狭いスペースが、氷を取るのも、酒を取るのも、つまみを取るのも実に便利なので、ここが最近の指定席になってしまっている。 のんびり独りで、炭火を眺めつつ、酒を舐めるのである。 台風通過後の吹き返しの北風が背中に心地よく、足の裏には炭火の暖かさがじんわりと染みわたり、酔いも脊髄の奥深くへシットリと、ココロも体もリラックスしてしまうのである。 これをやり始めると、自分の中の時計は壊れてしまい、ついつい深酒夜更かしになってしまうのである。 いつもはロックかストレートだが、今宵はのんびりハイボールで。 これぞひっそりしめやかで、そして清楚で可憐、更に清く正しい男の贅沢なのである。
2007年07月15日
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本当は山に行きたかったが、台風がますます接近していて、こんな日に山に行くとろくな事になりそうにない。 そこで、急遽、家族ででっかいショッピングセンターのダイヤモンドシティアルルへ。 真面目に家族サービスである。 かといって、そんなに財布に余裕もないので、バッグの中にはおにぎりを忍ばせていたりする。 「父さん、おなかすいたぁ。」 「よぉし、試食コーナーに行こう!」 先日3万円の登山靴を買っておきながら、アルルのフードコートで家族で飯も食えないとは、ほんと家族にすまんすまんと申し訳ない気分ではあるが・・・。 ほんとに申し訳ないので、もうすぐ4歳になるK助にラジコンの車を買ってあげた。 無線の心臓部分は既に完成品がはめ込んであって、ボディと車輪やモーターをぱちぱちと組み立てていくプラモデル感覚のもの。 おおよそ1時間で組み終わり、電池を入れて走らせると、K助の目の色が変わった。 歓喜の雄叫びを上げながら、車を走らせている。 まだ、右や左への操作は出来ないので、どこかにぶつかると、走って行って、車の向きを変え、またぶつかるまで走らせる。 延々2時間この調子。 これで1,000円とはなかなか良い買い物をした気分。 少しは父さんの面目も保たれただろうか。
2007年07月14日
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10万を超えた。 といっても、このブログのアクセスではない。 このブログのアクセスは、既にカウンターが一回りして、101万7000アクセスくらいなので、10万は、とうに超えている(嘘) で、なにが10万かというと、うちの愛車の走行距離。めでたく10万キロ達成。 この車の前に乗っていたのは、もともと家内が独身時代から乗ってたやつだったが、9万キロを超えたところで、横から車が突撃してきて敢えなく全損。 バイクも目指せ10万キロとばかりに、頑張って乗っていたスズキのDR250Sだったが、5万キロを超えた頃に、シャブ中のおっさんに放火されて、これも全損。 なんだがついてないカーライフだが、こうして今の車が10万キロを超えたのはめでたい。 で、うちの車は、フォードのフリーダで、マツダのボンゴフレンディをフォードブランドで売っていたもの。フロントグリルを変えているだけで、あとは全くボンゴである。 この車のすごい所は、1列目から3列目までのシートがまとめてフルフラットに出来てしまうところ。 2~3列がフラットに出来るのは、結構普通だが、3列全部というのは珍しい。 実際、3列倒して使うことは無いが、1~2列をつなげて寝たり、2~3列を倒して寝たり、と選択肢が多いのが大変良い。 さらに良いことに、サイドの窓にカーテンが付いている。 シートがベッドになり、カーテンまで付いてれば、まさに動くホテル。 これに毛布とティッシュと可愛い子がいたら、もうなんでも出来ちゃうのである。 だから俺のまわりの連中は、この車のことを親しみを込めて、「エロバス」と呼んでいる。 とは言っても、実際ホテル代わりに使ったのは、家内と東北1周旅行に行ったときと、登山口での前夜泊くらい。 いたって真面目なのである。 今日の出張先である鳥取で、ネズミ色に鈍くどんよりした梅雨空の日本海が、『なにをくだらん事を書いているのだ』と、俺に語りかけているようだった。
2007年07月03日
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ちょっと前の日記でも書いたが、これまで履いていた登山靴が、頼りなくなってきたので、ここ1ヶ月は登山靴探し行脚を暇を見付けてはやっていた。 モンベルのツオロミブーツの初期型。 なかなか良い靴で、8年ほど履いて、さすがに全体が柔らかくなってきたが、未だに防水はしっかりしているし、ソールの張り替えもやっているので、グリップに不安は無い。(滑るところでは間違いなく滑るが、長いつきあいで、どういう状況で滑るかが分かるようになったので、不安が無い。) 今度の靴は、重登山靴というカテゴリーに入るものを探してきた。堅牢で足首もしっかりガード。 大阪市内の知られた山道具屋さんは一通りまわったかな。IBS、ロッジ、好日、モンベル、ヨシミ・・・ で、分かってきたのは、昔ながらの全部革で出来て縫い目が外に見えるブーツは堅牢だが、防水性に劣る、重いなどで、今や流行らない。 そして、主流はファブリック系でゴアなんかが貼っ付けてあるやつらしい。軽い、防水がしっかりしている、などなど・・・。 10種類以上、サイズ違いを入れたら20足以上、全て足がむくむ夕方に、my靴下持参で履き比べ、気になるやつは後日もう一度履きに行ったりした。 その中で、自分の足に合ってるなというのが、2種類に絞り込まれ、遂に、とうとう、本日結論を下した。 時代遅れの重くて防水に劣ると言われる、縫い目が外に見える昔ながらの登山靴である(笑)。 グローネル社のモンテローザというモデル。イタリア製だったかな。3万円とちょっとした。店のおっちゃんも、売る気が無いのか、この靴を勧めようとはしなかったが、悩んだ末の結論がこれ。 ちなみに、今回は、お店に若いおネエさんの店員はいなかったので、おネエさんの誘惑に負けた衝動的な買い物でもない。 敢えて言うなら、このタイプの靴に昔からあこがれがあったからかなあ、という気はする。山を始めた19歳の時、大学のクラブの先輩がこんな茶色の靴を履いていてかっこよかったしなあ。 まあ丈夫だろうし、大事にすれば10年は履けるだろう。 持って帰って、早速ソールの縫い目にシーム剤で目止めをして、水が染み込まない処理をした。(やらなくても大丈夫らしいが) そして、足になじむまでは、いきなり山に持ち込まずに、うちの近所でお散歩の予定。 しかし、気持ちは既にアルプスの山の中なのである。 今年もいい夏になりそうだ。
2007年07月01日
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