2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全12件 (12件中 1-12件目)
1
今日は妹の誕生日です。おめでとう。 キム・ギドクの『春夏秋冬そして春』を鑑賞しました。 山奥に、とうとうと水を湛える小さな池に浮かぶ寺。その寺を舞台に、季節が、人生が、巡る。ストーリーはなく、ただそれだけの映画です。それが、とても美しい。山奥の池に浮かぶ寺、という発想が現実感をこれでもかという程にそぎ落とし、観る者の感覚を鋭利にする。どこにもない寺、それは自分自身の心の内。 寺の周りには水があり、そこをボートで行き来する。それらは自由としがらみの象徴のよう。 また、劇中に繰り返されるモチーフとして「扉(門)」があります。池岸に小さい形だけの門がある。寺の中にも、部屋というものがないのに関わらず扉だけがある。寺に住む老僧と若い僧はそれらをくぐることを守って生活をしている。寺を訪れる人々もまた、門を通り池をボートで渡り寺へとやってくる。これらの門も扉も、ただそこにあるだけで、必要性が全くない。門も扉もくぐるもの。そういった概念を守り不必要な門と扉をくぐり続ける人たち。だけど、若い僧は寺にやってきた女とセックスをした以降はその扉は使わなくなる。これもまた象徴的。 キム・ギドク監督の映画言語は徹底されていて、言葉なくして心を打つ。五感をつかさどる器官に「閉」と書いた紙を張って自害する老僧、顔にスカーフを巻きつけ、寺に赤ん坊を捨て菩薩像前で泣く女、石をくくりつけられた蛇、蛙、魚。 なんだか、圧倒されてしまいます。 難解な映画かもしれないけれど、それは頭で理解しようとしてしまうからで、感じるがままに感じるだけ感じればよいのだから、こんなに気持ちのいい映画は他には無い気がします。 だけど、監督独特の「毒」にはクスリとさせられます。秋の長雨にはぴったりの監督かと、思います。
September 30, 2007
『ティファニーで朝食を』Moonriver 昨日は中秋の名月でした。 月見団子を近くの和菓子屋さんで買って、1本ススキを貰って、月がよく見える川辺に座って観月会。月明かりにふわふわと照らされてこうこうと鳴く、秋の虫の声に包まれススキの穂を揺らすひんやりと冷たい風に身を任せ、もぐもぐとお団子を食べる。月が高すぎて、マンションの明かりが強すぎて、たゆたう河に月は写っていなかった。漆黒の流れが、とうとうと、さらさらと、メルヘンの彼方に向かって流れていた。 月面のクレーターは、やはり、うさぎには見えず、かにに見える。小さい頃、親から与えられた本に「月の中に見えるものと言ったら日本ではうさぎだけれど、世界の国によってそれは違う。」と書かれており、かにが逆さまになってハサミを振り上げている幼稚な絵と共に「中国:かに」とあった。私は「私もかにに見える!」と興奮したのを覚えている。それ以来、うさぎより先に、月の中にはかにが見える。 ぼーっとしていたら、手の先がかじかんだように冷たくなっていた。
September 26, 2007

美味しいモンブランが食べたいー!ということで、 自由が丘のMONT-BLANCにモンブランを食べに行きました。 ここのモンブランは日本最初のモンブランらしく、見た目も味もごくごくシンプルで、しかし、最高に美味しいモンブラン。かの有名な自由が丘ロールを作ったのもここのオーナーシェフさんらしい。本当に美味しいモンブラン。 サダハル・アオキのように、芸術的で複雑な味のケーキも大好きだけど、ここのモンブランみたいに、単純な美味しさ極めり、なケーキも素晴らしい。 口にする度にマロンクリームが口の中にふわふわ広がって至福。しかしあまりの美味しさに、ゆっくりと味わいたい、という気持ちとは反対に、ガツガツ食べてしまってものの3分ほどであっけなく消滅してしまうモンブラン。 実家にお土産に買って帰りたいけど、自由が丘まで行くのは遠いなぁ・・・ あと、自由が丘で、底にDESIGN HOUSE stockholmと書いてある大層可愛いグラスを買いました。あまりにも可愛いので「こやつの正体は何者ぞ?」と思いぐぐってみればそのグラス、北欧スウェーデンのブランドで、 スウェーデン人のティモ・サルパネバによりデザインされたティモグラスというグラスで、エクセレント・スウェディッシュ・デザイン賞を受賞したりしちゃってる、彼がデザインした中で最高傑作ともいうべきグラスなんですってばよ。 それを知ったら、「何が何でもこやつを割ってはいけない!」という強迫観念が生じ、手元がふらついています。 割るのもそう先の話ではなかろうぞ。 話は変わって、そうそう、昨日はスーパーで北海道物産展をやっていたので、六花亭のバターサンドを買って食しました。美味すぎる。バターサンドとの出合いは、矢沢あいの名作『天使なんかじゃない』の中でした。北海道に修学旅行に行く主人公翠ちゃんのママが言ってた。「六花亭のバターサンド買って来てね!」って。それから時は流れ、中2の船中泊という北海道旅行。私はここぞとばかりに絶対六花亭のバターサンドを買うと決めて居たのに、なぜか、六花亭のチョコを買っていた。 自分の行動の意味がわからない。ちなみに、名古屋の名物ウイローを知ったのも『天使なんかじゃない』。ちなみにちなみに、1日が24時間だって知ったのは『ドラえもん』。 今週の土曜日、某映画会社の面接に行けることになり、「僥倖だ!」と喜んだのも束の間、また面接でテンパるのか・・・と、過去に面接で為した己の醜態を思い出すと、鬱々としてくる、風がぴたりと止んだ午後2時。
September 20, 2007
かぼちゃを育てようと、脱脂綿に水分を含ませその上にそっと種を置いておいたのが、腐った。無情にも腐ったのだ。 昨日は、青い空に背中を押されながら、南大沢まで試験を受けに。「なにごとも経験だから」という母の言葉に頷き、受けることにした試験で、自分でも意外なほど勉強をしていたけれど、1ヶ月でどうにかなるはずがなく。なんじゃこりゃぁぁあああああああ!!!!!!状態で試験を終えました。 その後、スカッとしたい。スカッとね。ということで、渋谷に青山真治監督『Sac Vacation』を観に行きました。最終回(シネマライズ日曜最終回は一律1000円)まで時間があり余っていたので、先週も行ったannoncookでオーガニックなご飯を楽しみ、表参道ヒルズでミニ盆栽を鑑賞。 そして、映画鑑賞。 青山真治の映画がこんなにわかりやすく、こんなに面白いなんて、ある意味期待はずれでした。 が、素晴らしい映画には違いありませんでした。HPを観てもらえればあらすじはわかると思うので書きませんが、なんてったって、浅野忠信の母役である石田えりがすごかった。強くて、大きくて、襲い掛かる悲劇にもなににも動じなくて、恐い。劇中にごうごうと響く、風の音、大地の音、広がる大地の大きさ、自分の小ささ、 が映画全部を通してとても象徴的で私の心は鷲掴みされっぱなしでした。 宮崎あおいちゃんもさすがでした。存在感で演技してるって感じ。 今までの青山真治の映画は、彼の頭の中のイメージをそのまま映像として提出する感じがあって、当然わからないとこもあって、その膨大なイメージの堆積物である映画で酔ってわかった気になって満足してしまう、という映画でした。 しかし、これは私の推測でしかないのですが、自身の小説『sad vacation』を原作にし映画化した、ということで、具体的な映像にする前に、一度自分の中のイメージを具体的な言葉に変換したということが、青山真治にこの新しい手法の映画を与えたんではなかろうか、と思いました。 それにしても、 女を描こうとすると、どうしても喜劇性を帯びるのはなぜでしょう。ソレとは関係ないのですが、光石研が出てくる場面の九州弁での掛け合いはなぜか劇場内が爆笑で、カルチャーショックを受けました。 いい映画を観ると、体中が幸福感で満たされます。
September 17, 2007
今日は図書館が夕方5時にしまってしまい、とぼとぼ帰ってきました。家では徹底して勉強できない根性なしタイプです。しかも今日の図書館は土曜日ということもあって、平日いつもの面子が一人もいませんでした。みんな土日は来ないんだな、って知りました。かく言う私も土日は通っていませんでしたし。だけど 今日がおそらく図書館通い最終日になるだろう私にとってそれはなんだかとても寂しく。 朝から晩まで机に座って雑誌を読んだりたまに寝たりする、あのボーダーワンピースを着るおばあさんは、旦那さんと仲良く二人で家庭菜園の手入れをしているんだろうか。夕方になったら縁側に座って二人で夕焼け色に染まって、昔のことをぽつりぽつりと話すのだろうか。おばあさんはいつの間にか舟を漕いでいるおじいさんを見て少し笑って、静かにそっと立ち上がり奥の台所の電気をぽちっと点けて、図書館の雑誌からメモしたレシピで鶏肉団子のトマトソース和えを作るんだろうか。 そんなこんなで私は一日中図書館で、勉強はせずに本を読み耽っていた。角田光代の『おやすみ、こわい夢を見ないように』と新潮10月号、東浩紀+桜坂洋の書き下ろし『キャラクターズ』 後者は、先日ある書店で相方殿方が読みたがっていたので、先取りして読んでしまえ!という悪意から読んでみました。個人的に、知っている固有名詞がじゃんじゃん出てくるところが非常に笑えるのですが、もし、あの作品で文学(もしくは純文学?そこらへんの線引き自体作品中でも微妙だった)の新しい表現を提出するつもりなのならば、それは失敗ではなかろうか・・・・と、インテリジェンスの欠片もない私は思ったのでした。よくわからないけれど、小説という土俵に立ち、しかしそこから飛び出して新しいものをその上に作るのならば、方法が間違っている気がする。しかも、ぶっ壊したいものにすがってしまっているのが東浩紀自身なのでは?と邪推させてしまう隙もありあり。な気が。どう?でもたくさん笑わせてもらったので、楽しいショウセツでした。 相方殿方の元彼女が自身のブログで悩み相談をしていたので、通りすがりの善人面して相談に乗りました。彼女はその通りすがりが私とは思わずにコメントを返してくれて、背徳的気分でいっぱいになって鼻血出そうなくらくら。こわいねっと。 パーフェクトスター・パーフェクトスタイルが好き。
September 15, 2007
やっとわかったのだ。 私は角田光代がひどく好きです。 『対岸の彼女』を図書館で読み始めたら、あっという間に閉館時間になってしまい、読み終えたその本だけど、カウンターで借りて、胸に抱えて、夜の道を走って帰った。赤信号に立ち止まらされて、ふっと気づくと、汗がぽたりと下に落ちた。と思ったらそれは涙だった。 『対岸の彼女』を誤解を恐れずにズバンと一言で説明すると、女の友情の物語だ。二人の主人公、葵と小夜子の物語。閉塞感で息苦しい高校時代に葵がナナコと過ごした日々と、公園デビューもできない30代主婦小夜子と社長になった葵の現在が交互に描かれる。角田光代はこの本の帯にこう寄せた。 「けれど私は思うのだ。あのころのような、全身で信じられる女友達を必要なのは、大人になった今なのに、と。」 角田光代は描写が丁寧で繊細で、微かな心の動きも見事に描ききる。それが私の心にストンストンと矢のように刺さって段々と感覚を麻痺させていく。 まだ私が地元で中学生、高校生をやっていた頃、女友達との友情はヒリヒリとした苦しさと切なさを持っていた。信じることのできる友人がいなかったら世界は終わってしまっていたし、信じている友人を理解することができないだけでみっともなく苛立って、ずっと一緒にいられる気がしたし、どんなことでもできそうな気がして気持ちが大きくなった。だけどそれと同時に怖かった。歳を重ねるごとに変化していくことが。 そんなこともうないな。と思っていたけれど、たぶんそんなの関係なくて、ずっと変わらない。いくつになっても変わらない。 そういえば、ナナコと葵の高校時代の部分は、キリコの『blue』を思い出させました。
September 14, 2007
お願い想いが届くといいなたいけーつーのーひーがーきーたー!巷ではブレイク寸前と言われている女の子テクノグループPerfume。Chocolate discoがとにかく可愛くて、朝と夜「チョコレイトッディスコ!」と踊って上機嫌であります。ピコピコしてるのって可愛くていいね。っていう感性は非常に女の子っぽいと思う。ソニプラとかイッツデモでかかってる音楽好きな感じも女の子っぽい。スウェディッシュポップとかフレンチポップ好きな感じも女の子っぽい。女の子っていう響きはいい匂いで軽くて甘い。オノ・ナツメって女の人だって知ってましたか?あたしは知らなかったんです。私は彼女を男だと思ってたわけだが、めちゃくちゃなよい男だと思ってたから、溜飲が下がった感じがしたー女かー。むむー。あの画力はすげえなー。雑誌で黒田硫黄や松本大洋になれる漫画家って紹介されておった。ならなくていい、と思う。オノ・ナツメは十分オノ・ナツメだ。
September 13, 2007

新潮文庫夏のプレゼントが届いたー。赤が欲しかったんだけど青だったー。生地が気に食わないー。文庫にしっくりこないー。アロハ柄なのにもう秋ー。でも可愛い100%orange!!!今日は図書館の空調がキツくて、それでも我慢して4時間はいたんだけど、鼻水がずびずびしてきたから退散。なんで図書館のみんなは半袖でいられるのだろう。そしてベッドで寝てしまった。起きたら空がピンクと水色と黄色と灰色だった。こんな時はいつも思うのだ。あー、みんな、知らない外国の食べたことないゼリーの中で溺れてる。週末に相方殿方の前髪をじゃきんじゃきんと切ったのです。図らずもパッツン前髪になった彼。楳図かずお先生のまことちゃんみたいな。art-scholの木下理樹じいみたいな。フジファブリックの志村くんみたいな。これが超かわいいんです。会社では「なにそれ?新しいキャラ作り?」とか言われてるみたいですけど、超かわいいんです。超かわいいから超気に入っていたのですが、会社で後ろ指差されて笑われてるのかと思ったら心苦しくなったので「ごめんね。」と謝ったら「キミが気に入ってるならそれでいいよ。」って言うんです。超かわいいんです。ちょーかわいくない?あたしのカレシーって誰かに言ってみたかったんで此処に書いてみました。というより、私も、私の存在は彼だけに気に入ってもらえればそれでいいいのですが、彼の前で一番可愛くいなくちゃいけない、というか可愛くいたいのに、彼の前にいる私が一番可愛くなくて優しくなくて意地悪な気がします。むんむん!
September 12, 2007
水戸短編映画祭・・・・行きたいぃぃぃぃいいいいい!!!!!!!でも16日は試験。受からない試験だけど、受けることに意味のある試験。と己にいい聞かせてる試験。心がふつふつとあわあわします。ひどくあわあらあらわ。家族に会いたい。カノン(犬)に会いたい。短編映画観たい。しかし、だがしかししかししかしかかし!私はここにいてここでしかできないことをここでやるのだぁぁぁあああ!!!己が生きるためにやるべきことをちゃんとできる人になりたい。多くは語らず、虎視眈々と狙い、淡々と手に入れていく人になりたい。あ、それでは、これ書いちゃダメでございましょうぞ。おやすみなさい。
September 11, 2007
三鷹図書館に通っています。可愛いショッキングピンクの図書カードも気に入っています。そのピンクのカードで内田ヒャッケン、多和田葉子、デュラン、経済学、民法、行政法・・・いろんな本を借りて返して借りて返して。飛んで戻って飛んで戻って。平日の図書館は毎日決まった面子です。荷物をたくさん抱え、ボーダーのオシャレなワンピースを着てくるおばあさん。長椅子でずっと口開けてときどき無呼吸でときどき寝言言いながら寝てるホームレスのおじさん。私と同じテーブルで私とはまるで違う素晴らしい集中力を持ってなにかを熱心に勉強している老眼鏡をかけたおじいさん。労働法をずっと勉強している若い男の人。作家になるための本。みたいなものを食い入るように読み鉛筆の芯が折れるくらいの筆圧でそれらをメモする若い男の人。私はあと1週間もしたらたぶんバイトを始めるだろうから毎日図書館に通うこともなくなって、彼らに会うことはなくなるだろう。彼らは、私が図書館に通うようになるずっとずっと前から図書館に通っていて、毎日同じ時刻に来て同じ時刻に帰っていたのだろう。そして私がいなくなってからも、毎日同じ時刻に来て同じ時刻に帰って行くのだろう。あの場所は、切り取られている。日曜日、ラフォーレ原宿ミュージアムにヤン&エヴァ・シュバンクマイエル展を観に行ってきました。ヤン・シュバンクマイエルはチェコのシュルレアリストです。(エヴァは彼の奥さん。)私は映画監督としての彼しか知らなかったのですが、そこにはたくさんのオブジェや絵画、コラージュにリトグラフなど、彼の作品が密度高く詰め込まれていました。私が彼を好きな理由、それは「理解できないことを感じることが出来る」からです。己の見た昨晩の悪夢を理解できないのと同じ。でもそれは恐ろしいほど無限のパワーを持っている。それを皮膚で感じることが出来る。そして私はこの展覧会で、視覚を失った触覚はまるで闇だということに初めて気がついて鳥肌がたったのでした。アリスは言うのです。瞳を閉じなければ見えないものがたくさんあるよ。その後、annoncookでオーガニックなお茶を愉しみ、代官山へてくてく。目指すは代官山UNIT。そう、この日の大トリはライブ。toeとクラムボンのライブ!!!!相方殿方がチケットを取ってくれたのです。正確に言うと、Combination vol.2というUNIT企画のライブイベントで、出演はtoeとクラムボンの他にPARAとJimanica×ametsubという人たちもいました。でも私の頭の中は初toeと初クラムボンでいっぱいでした。toeは相方殿方がたいそう好きで、それに影響を受けて私も聴くようになったわけですが、そこまで唯一無二の存在ではありませんでした。が!しかし!!!私はライブで完全に打ちのめされてしまいました。人が叫ぶ姿をみて、涙が落ちたのは、人生初めて、でありました。私はtoeという宇宙に放り込まれていた。たくさんの星がキラキラチラチラと輝いて調和を優しく保っていた。そこに突如、幾筋もの流れ星。流れ星は激しさを増し、星たちはある1点へ集中し、ビッグバンのように大きく激しさと輝きを増し飽和を迎えた。飽和の中でひりひりとする切なさ。すると、ブラックホール。一瞬にして輝きは全て吸い込まれ、光も音も感情も、何もなくなった。虚空。が、その一瞬の後、もの凄い突風と光と共に戻ってきたすべて。私がどこにいるのかわからなかった。なにもなかった。でも・・・。なんと言ったらいいのか兎角わからないのだけれど、カッコよすぎて、苦しくて、泣けた。そして私は森のくまさんみたいなギターの人に恋してしまった。クラムボンはmitoが細くて、郁子ちゃんよりも細くて、ビックリした。そしてmitoは若かった。大学生、いや、高校生みたいだった。ドラムがずっと変な顔してた。郁子ちゃんのボーカルは楽器なんだってわかった。日曜日は吸収しきれないくらいのたくさんの刺激を受けて、身体が溶けるほど重かった。そして、不眠症のこの私が意識を失くすのも早かった。
September 10, 2007
お洒落なことがしたぁぁぁあい!!!!と藪から棒に咆哮し、私は半身浴に初チャレンジしたのでした。大好きなリチャード・ブローティガン『西瓜糖の日々』をお供にすえ。マーガレットと決まった名を持たないまたはあなたの心に浮かぶそれこそが名前であるわたしの仲がぎくしゃくし始めたところで、鼻血の来襲。やべ、鼻血出てんじゃん。バスタブから出ようとすると立ち眩みの襲撃。ガッッッ!!!弁慶の泣き所強打。お風呂から上がってもほてりがなかなか収まらず、ずっと赤カブのような顔、鼻にはティッシュを詰めて「暑いぃ~暑いぃ~」とのた打ち回る。寝ようにも眠れず、結局朝5時を迎えた地点で「もうクーラー様に頼るしかあるまい」とういう遅すぎる判断を下し、地球のことなんぞ1ミクロンも考えない設定温度22度でゴーッと身体を冷やしてやっとのことで夢の中に堕ちることができたのでした。総じて判断すると、非常に不健康なことをした、という気がします。昨晩はそれでなくても雑音がうるさくて耳栓をしてベッドに横たわっていたのです。耳栓をするとほとんどの音が私の蝸牛に届かなくなる。いや、遠くなる。でも、何かが近くで絶えず聞こえている。遠く暗い手の届かない世界から妹の嬌声が微かに聞こえる気がする。私を浮かべるこの部屋の下のずっと下の静謐な湖の底から虫の声が聞こえる気がする。ときどき、その湖面に白波をたて去っていくモーター音も、聞こえる気がする。だけど、もっと近く、もっと私の渦巻き管の近くで、ずっと聞こえている音がある。それがなんだかちっともわからない。ブローティガン『西瓜糖の日々』はとても詩的な小説だと私は思っています。全てが西瓜糖で作られた平和で安心な世界。それをある種のユートピアであるという見方をする批評家がいるけれど、私は安心へのアンチであると思っている。暴力が溢れるこの世界とパラレルに存在している西瓜糖の世界は、暴力を悪とみなすものではなく、安心だけでできている世界の狂気脆さを内包している。気がする。こんな御託並べてるけれど、わたし、小沢健二の影響でこの小説を初めて読みました。
September 5, 2007
私の不注意で、バジルとギボウシを枯らしてしまった。光を浴びたかったろうに、私はずっと水かさの増したくらい部屋に閉じ込めていた。どちらも花を咲かせてくれたのに、それらを愛でることなく通り過ぎてしまった。どうしたら生き返ってくれるだろうか。生命の匂いのしないバジルとギボウシに水をやり、太陽の下に置いてあげる。でもどうしても生き返ってくれそうにもない。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。亀が10年で死んだならばそれは、10年かけて死んでいったということだ。そう言われたことをなんでかふっと思い出した。最近、何故だか痩せてしまった。身長が今と変わらなくなってから一定ラインに安定していた体重がここんとこ一定ラインを下回っている。昔、痩せよう!と決意してちょびっとだけ努力していた時には到達できなかった数値を軽く踏み去り、終いにゃ朝起きてトイレに行って用を足すと40キロに届かない時がある。食べるものはきちんと食べているのに。私の胃にサナダ先生がいらっしゃるのか!痩せてカッコヨクなるなら何も問題がないのだが、2週間以上の沖縄旅行から帰ってきた妹に「拒食症!?」と言わしめたこの身体は病的になっているのかも知れない、と思い今日からお菓子を食することにした。なんだかここんとこずっと、女の子っぽいお洒落もろくにしておらず、化粧も一切しなくなってしまったから、貧弱文型男子学生のような容貌になっている気がする。おぞましい。
September 4, 2007
全12件 (12件中 1-12件目)
1
![]()

![]()