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久々にブログのページを開きました。先週から某映画系出版社でアルバイトとして働いています。毎日くるくるしています。朝起きるのがこんなにも面倒臭いものか、と週末はこんなにも待ち遠しいものか、と人と関わるのはこんなにも神経使うものか、と働くことがこんなにも楽しいことか、と日々、懐かしい感情にくるくる撫でられている気分です。出版に関する雑用、が主な私の仕事ですが、「勉強だよ」と言って、ボスや先輩からちらちら嬉しい仕事をもらえたりもします。こだわった結果の一つとして、今のこのバイトがあって、親や相方殿方に支えられてようやっと辿り着けた現在地。己のささやかなユメを先に見据えることができそうな広場に出た感じ。我武者羅に、一生懸命、精一杯、がんばる。ただ、目の前のことに溺れてしまって、時間が無いといって、本を読まなくなることは避けたい。時間が無いといって、映画を観なくなることは避けたい。時間が無いといって、実家に帰らなくなることは避けたい。時間が無いといって、ステップアップする気力を失うことは避けたい。時間が無いといって、好きな人と話す時間が減ることは避けたい。手放したくないモノは絶対に何があっても手放すまい!!!!3連休は飛騨高山に旅行です。超たのしみ。
November 21, 2007
もうすぐ東京に帰らなければいけないので急ピッチでケープを編んでいます。もう当分編み物はいいかなー、なんて。昨日の夜身ごろが出来あがり羽織ってみたらまるで鎧。これに大きな襟がついたらもっと鎧。彼女が彼氏へのプレゼントに手編みのセータープレゼントして「手編みなんて、重たいよ。」と彼氏が言うその心は、心が重いというよりも物質的に重たいのだね。まぁ、安い毛糸を使うから重たいんですよ。私の場合。もうすぐ東京に帰らなければならないので、急ピッチで実家に録画してある映画を観ています。でも、結局観るのは『花とアリス』。『花とアリス』、こんなに好きな映画だったっけかなー。と思いながら魅入ってしまいます。もう6回も観ちゃった。好きなシーンが多すぎて、身体の内側がくすくすして涙腺がきゅっと弛む。監督独特のリリカルな切り取り方は、言葉以上に、大きく、大きく、心の動きを映し出し、アリスの追憶と現実の作り話が重なっていくそれに、やっぱりくすくすしちゃってほろほろしてしまう。監督自身が作曲した音楽もいい。私は身体がウルトラ硬くてバレエなんて踊れないけど観た後は必ず劇中音楽でバレエみたいなダンスを踊ってしまう。(そんな私は醜い)そして、岩井俊二といえば篠田昇。篠田昇氏の撮影はなんだか涙が出るほど優しくて透明だ。こんなに好きな映画だったっけかなー。きっと、若かりし私が観たときは見落としてしまったことが多かったんだと思う。いろんな気持ちを身体で知って、それらを拙い言葉に変換する方法も知って、変換できないことも知って、目に写ったもののその向こう側を少しだけ覗けるようになって、わかるようになったことがたくさんあるんだと思う。だから、好きな映画は幾度も観なくちゃいけないんだと思った。何回も何回も観なくちゃわからないことがたくさんある。淀川先生の言っていたことがほんのちょっとわかった気が。それに実はこの映画、細部にいろんなネタを仕込んでますよね。それを一つ一つ見つけてニヤニヤするのもいとおかし。
November 9, 2007

母親に髪を切られた父親が、坂本龍一もしくは、一時期の木村カエラー。剛毛シュピピンの私は、猫っ毛フワフワの父親がうらやましい。ネット迷子になっていたら、面白いページを見つけました。コレね。山田悠介著『リアル鬼ごっこ』を違った視点で紹介しているこのページ。これは、読む者は必ず一度“頭痛が痛くなる”と伝えられる、一大奇書です。と前置きをし、「二人が向かった先は地元で有名なスーパーに足を踏み入れた」「騒々しく騒いでいる」「最後の大きな大会では見事全国大会に優勝」「愛を探すしかほかないのだ」「十四年間の間」「佐藤さんを捕まえるべく鬼の数である」「ランニング状態で足を止めた」「遠く離れると横浜の巨大な遊園地ができた」「三人は分かち合うように抱き合った」「営々と逃げ続けた」「いざ、着地してみるとそこは森の様な草むらに二人は降り立っていた」「一人の鬼が瞳の奥に飛び込んだ」「永遠と続く赤いじゅうたん」「この話は人々の間とともに長く受け継がれていく」と、山田悠介氏の驚くべき文章術がピックアップされています。一文一文読んでいくと、本当に面白い。なんでここまで面白いんだ!と思うほど面白い。非常にこの本が読みたくなった。映画館でバイトをしていた頃、友人と、「お腹が腹痛で痛いー」とか「入り口のご入場口はこちらでーす」などと、オカシナ言葉を言い合ってふざけていたが、山田悠介氏のそれは、そんなレベルを遥かに超えている。文章を書く時にこんな文章を普通に書けるはずがない。サイードが言っていたけれど、人間の言語は狭い共同体の中にある。よってこれはただ普通の間違いとは全く別次元の話で、研究価値までも持つと思う。さらにこのページの面白いことは、このページ内の批評文を書いている筆者自体が恥ずかしい間違いをしている点にある。(前略)五十歩百歩ゆずってクーデターが無理としても、・・・これを読んだある人が、「五十歩譲ったのか、百歩譲ったのか、それとも百五十歩譲ったのか」と言っていた。この間違いは平々凡々な恥ずかしき間違いで、それがまた面白い。私も普通のミスをするのではなく、面白いミスがしたい。
November 7, 2007
朝一。可愛い可愛いカノンぶー(実家の愛犬)がお尻ふりふりやってくる。「おお。よしよし、お主は可愛いことよのう」跪きカノンぶーに顔を近づけると、カノンぶーのディープキスで口内から流血。「血、血がぁぁぁ!!!お母さぁぁぁん!!!!!」卑劣なカノンぶーの先制攻撃に怯んだ隙に、容赦なくカノンぶー渾身のドロップキックがバックに決まる。「ゴフッ!!!!」息が詰まったその瞬間、アキレス腱に噛み付く反則技を繰り出すカノンぶー。「むぎゃぁぁぁぁ!!!!おかあさぁぁぁんぁぁぁぁぁぁん!!!!!」敢え無くダウン。NKK(日本凶暴犬協力して撲滅しよう協会)に申請したい。最近、ケープを編みながら実家のHDに入っている映画を流し見しています。でも流し見はいけません。てんで頭にはいっとりゃせん!!!今日はBS2で、私の中のベストオブ岩井俊二『花とアリス』と興味があったがしかし未見の『キリクと魔女』がやります。楽しみです。しかし頭にゃ入らんだろう!!!夜にまた活性化する凶暴犬が居るからの!!!!昨晩は、天井を見上げながら読み返した雑誌に、載っている寺山修司の詩に、何度も口ずさまれて眠ったのでした。詩は不思議なものです。その時その時の自分の気持ちの持ちようによって響き方がまるで違うのだから。その、寺山修司の詩からの抜粋です。青いメロンを半分食べて明日のために半分残すあなたなしでは生きられぬから夢も不安も残しておくの私を半分愛してください全部は いやよ全部は 明日なんて素敵な詩だろうか。全部は明日。とは。あなたの顔を思い浮かべること、あなたと会話すること、あなたと会うこと、全部半分だけにして明日にとっておく。だって怖いもの。全部になっちゃったら、怖いもの。その空気、いいなーいいなーと思いながら、また一つ保護したメールを抱きながら眠ったのでした。
November 5, 2007
本日付の朝日新聞朝刊の文化面に100Answers 悪役は必要ですかという記事が載っていて、大変面白く読みました。100Answersってのは、1ヶ月ごとくらいに紙面に登場するコーナーで、各界で活躍する100人に今流行の事象を聞く、といった内容です。亀田一家やエリカ様騒動で「悪役」が日の目を見てる昨今、様々な人が様々な意見を述べていました。特に面白かったのは、古川日出男氏が「どんな悪役が必要か?」という質問に対してネガティブ・イメージを発信できる悪役が必要。国家元首が「美しい国にしたい」と言っても誰もついてこないが、「醜い国にしたい」と言ったら国民全員が反発して、即座に美しい国造りに励むだろうと答えていることでした。思わず嗤っちゃいました。「醜い国づくり!」とか宣言する元首の下の人民、って想像しただけで・・・うふふピカレスクヒーローってのは何時の時代もカッコいいんですよね。中学時代、るろうに剣心を読んで「志々雄かっこいいーーーーー!!!!!!」って思ったのは、やはり、志々雄の超道徳的存在に惹かれていたからなんだな、と思います。普通の人よりも悪役のほうがキャラとしてなんか面白いってのはもちろんあるし、悪を通して善も社会もセカイも浮き彫りになっていく。町田康が悪役の条件として答えていた。「善がなぜ善かということを厳しく問う悪。」まさに。さすが海老蔵!じゃなかった!町蔵!善も悪も人によって選ばれるのだ。それ故、なぜ悪を選んだか、なぜ善を選んだか。己に自覚的になる感覚を研ぎ済ませなくてはならない。ただ、悪が必要なわけでは、決してあるまい。悪役に自覚的で且つ己に厳しい「悪役」こそが愛すべきヒールであるということだ。自堕落で、成り行きで悪に墜ちただけの、自己と他を把握しておらぬ悪に興味はない。
November 4, 2007
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所用があり、最近高速バスに乗りまくりです。東京駅八重洲口で高速バスを待っていたら、高校2年生のころの担任にそっくりな御仁が隣の列でバスを待っておりました。「・・・・」睥睨いたすとその御仁、韋駄天のごとくに眼を逸らし、そわそわしたおっさんに変化。こりゃ、間違いなかろう!!!キャプチャーしてやろうか、と傲然たる態度でおっさんを見つめていたが、生理痛の台頭によりそれどころではなくなったので止めました。バスまでの時間、かなりあったので八重洲ブックセンターをフラフラしていました。「写真展に行こう」と相方殿方に言われていた、スン・ウー・バックの写真集があったので予習、予習、予習する晩秋、と思い眺めていました。すると、巻末の解説みたいなページに私が相方殿方に「写真展行く日についでに観にいきたい」と言っていた、ジャ・ジャンクー監督の映画のスポットの引用がありました。そういう、必然という偶然が描く点描はひどく美しいと思うのです。もちろん、そんな偶然はヒロイコノセカイどこでだって起こっているはずだけれど、自分と、自分の好きな人との間で起こるその偶然は美しい。私と彼が出会うずっと前、私と彼は同じ映画館前と後ろに座っていたのかもしれない。私が借りた図書館の本を次に借りたのが彼だったかもしれない。気づくことはなかったけれど、言葉を交わしたのは何年も先だけれど、雑踏の中に混じったお互いの声がお互いの鼓膜を微かに響かせたのかもしれない。悲しくて悲しくてどうしようもなくて声を殺して泣いた夜、彼も同じだったかもしれない。すべてを。すべてを。運命だとは思えない。だけど、私のすべてを、彼に繋げてしまうような力がその偶然にはある。そういう反面。私の恋愛がある女の人の悲しみの上にしか立てないことを考える。彼女には徹底的に悲しんでもらわないと困る。相方殿方と彼女の間を徹底して隔絶させないと気が済まない。それによって彼女がどんなに傷つこうが、ショックを受けようが、私は心からそれを望んでいる。彼女が傷つくのをてぐすねひいて待つ私。だけどだけど、同じ人を好きだから、気持ちがわかってしまうから、厄介だ。とてつもなくふけんぜん。虚心坦懐でいたい。
November 2, 2007
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