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形あるものは必ず姿を変えていく。それは古今東西、誰でも知っていることで、そして、誰一人としてその現実を受け入れないわけには行かないのである。 卒業して早35年余りを経た母校である小学校が創立から136年目の今年、少子化による児童数の減少と、市の推進する小中一貫教育の実施のため、近隣の幾つかの公立小学校と統廃合され閉校となる。 そう決まった時から、覚悟を決め、母校がなくなることを受け入れようと努めて来た。そして、今日、完全に子供達がその校舎からいなくなる3学期終了を一月先に控え、大々的に閉校記念式典が執り行われた。在校生の子供を持つ卒業生はもちろんのこと、小学校となる前身であった頃のその学校に通った老齢の方々も姿もたくさんあり、そして、この学校の昭和50年度の卒業生である、タケシ軍団の柳ユウレイ氏も、最後の別れのため、駆けつけてくれた。 式典後のアトラクションは大いに盛り上がった。5,6年生の歌うトゥモロウに涙し、在校生や卒業生の組織するダンスグループの踊るさくらんぼ(by 大塚 愛)に心打たれた。そして、最も心を揺さぶったのは、当時千人を越える在校生による運動会最後の演技「大行進」の歌を3,4年生たちが手旗信号の振り付けで歌った時であった。♪青空既に暮れる今 強く正しく美しく みんな元気に健やかに 過ごした今日の思いでを 高く歌おう いざ友よ♪ それまで必至でこらえていた懐かしさと切なさが 一気にあふれ出し嗚咽を漏らしてしまうほどであった。となりに座っていた同じくここの卒業生である夫は、あっけに取られ、それでも私の肩をぽんぽんと優しく叩いてくれた。 ここに人がいなくなっても、この建物がなくなっても、ここで刻まれた思い出たちは決して消滅することはない。いつまでも、いつまでも、この心の中に留まり、あの頃の純粋な気持ちを思い出させてくれるに違いない。 で、テーマに選んだ今日の夕食ですが、帰りに夫と立ち寄ったスーパーで、永谷園のマーボー春雨を購入。また、いつか作ろうと思っていたのに、夫がどうしても今日じゃないとダメと言う。義母がオムレツを作ってくれたけれど、それを明日に延ばし、一部の人間はマーボー春雨の夕食。結構イケル。
2008年02月24日
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去年の合格時点で、一度、不動産屋さんへ電話をしたら、まだ早いので年が明けてからと言われた。年が明けると、一応、センター試験を受ける娘は出かける云々の問題ではなくなり、以後、そうは言ってもあれこれと忙しく、結局、二月も半ばに至ったこの日、広島市西区に住まいを求めて出かける運びとなった。 結局決めたのは、西区のアパート。学校から4km程の距離。義姉家のもとの住まい、現在の工場とは組内になるほどの距離。親としては安心至極である。 引越しは3月29日と言うことにして、申込金34,000円也を支払って帰った。 帰宅するや否やで、娘はコンビニのバイトへ。学校へ届け出無しの引越し資金稼ぎだ。親としてはどうしたものか・・・・・。夫は本人が学校へ行ってくれといわないのだから放っておけと言う。でも・・・・ 後ひと月半で親元を出て行く娘。夫はすっかり元気がなくなっている。本人はそんな事は言わない。でも、見ていれば一目瞭然だ。娘って、可愛いんだろうな・・・・。女親は寂しければ泣きもできるが、男親はそうは行かない。いわゆる「男は辛いよ!」ですな! 父さん、晃子がいなくなっても、私がいるでしょ!元気だしなって!
2008年02月22日
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今日は実家のお寺で、節分の豆まき。午前10時から。同じ時刻、我が家の旦那寺でも同じように豆まき。こちらには義母が出席するとの事だったので、私たち夫婦と子供二人は、実家の方のお寺へと思っていた。すると義母が寂しそうに「私は一人で行くから・・・」。いやいや、それなら、私がご一緒しましょう!と夫に段取りをを相談したら、「俺が行く。」ときっぱり。で、結局、旦那寺には夫と義母。実家へは私と子供二人、と言うことで豆まきに参加しました。と言っても、今年、我が家に厄年の者は居らず、全員撒かれる方。旦那寺の方は真言宗で、大きな数珠をみんなでのくる数珠送りという儀式?があったもよう。こちらは、15~16人の厄年の年男、年女の皆さんが、本堂の前の方から勢い良く煎った大豆や落花生、一口チョコなどを混ぜたお豆を撒いた。小さな丸餅もあり、頭に当たるとちょいと痛かったが、それほどに厄払いの効果が期待できて逆に嬉しかったりした。って、どMかっ! その後、悲願のミスターバーグで昼食。昨日、新聞にチラシが入り、幾つかのメニューが割引になっていた。何回も行こうという話はするのだが、縁がなく、今まで、一度も行った事がなかった。国道沿いにある府中店は、私が通る時にはイツだってガラガラ(の様に見えていた)。あの店、どうしてつぶれないんだろう??と、真剣に思っていたことも、一度言ってみたいと考えた理由の一つだった。 私たちを降ろして旦那寺へ回った夫と義母がこちらへ迎えに来てくれてお店に入ったのが午後零時半。席はほぼ満席。正直、ビックリ!チラシの効果なのか、いつもこうなのか?ひたすら疑問だった。 私と義母はチラシで割引の聞く和風ハンバーグステーキ。夫と耕平はわさびソースのステーキ。晃子はなんだったか、チーズがのっていて目玉焼きまで付いている豪華版ハンバーグステ-キ。熱々に焼けた鉄板にステーキやハンバーグステーキと一緒に半端ない量のお野菜とスイートコーンが乗っかってくる。その他にスープとっちっちゃなサラダ。ご飯はお代わり自由。ちなみに、飲み物も麦茶、アイスティー、アイスコーヒー、熱いお煎茶、ホットコーヒーや紅茶類など、フリーのドリンクバーがお食事の人には無料となる。 父さんは生ビール中ジョッキも頼んで、食後のアイス二つ追加して、〆て5人分5千円弱は嬉しいかった。 来る14日は耕平の誕生日なので、今日の外食は耕平の御祝ということで、本当に充実した日曜日だった。
2008年02月03日
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気が付けばもう2月。一年の12日に1日は過ごしてしまったと言う計算になる。って、それってどうなん? 19日20日にあったセンター試験。専門学校への入学を決めた上で、実力試しの意味でセンター試験を受験した晃子は見事玉砕(したらしい)。あれだけ頑張ったのにと、かなりの落ち込みようで、二次試験のための面接では、全く、前に向かない。尤も、進路が決まった上での大学受験そのものが、無意味と言えばそうなのだけれど・・・・・・。進学校と言う環境下における特殊なパターン?! 結局二次試験はドロップアウトすることにして、他一同が二次試験や私立に向け受験体制を万全に整えるこれからの期間をどのように過ごすのかが問題になってくるわけである。 本人は、苦しい家庭の経済状況を把握しているが故、とにかくアルバイトを希望するも、先生は「それは卒業式を終えてからにしてくれ。」と仰る。ここで、母親の私が状況を強く主張すれば良いのだろうが、どうしたものか・・・と思案するうち、面接は終了。親子は退席となった。 アルバイトで生活がひどく乱れるとすれば問題だが、ここが思案のしどころ。中には、無許可でアルバイトをされている生徒さんもあるとか。でも、だから我が家も、それに右倣え、と言うのは如何な物か・・・・・。親として、どう動くべきか。没頭する受験勉強がない者にとって、どう過ごすのが最良の道なのか・・・・・
2008年02月01日
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