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現代では、シェイプアップ目的で、高品質な素材のものが常用されていますね。昭和の中期1958年に爆発したフラフープどこに行っても人々はクルクル回し続けていたのです。美容と健康に良い というキャッチフレーズでした。ところがところがそれもわずか一ヶ月ちょっと・・・少年が胃穿孔で重体、そして腸捻転になった子も出て人々は怖くなり、輪を地面に置いたのでした。だっこちゃん 腕に絡みつかせ さっそうと遊びに熱中するフリをする。昭和35年に巻き起こった旋風は、初夏から秋に差し掛かる迄のわずか5ヶ月くらいです。こちらは人形の形相に対し、黒人蔑視の声が上がったのです。誰かが提唱し始めると忽ち広がります。極端に流行るものには 杭は刺される のですね。初恋の味のカルピス 昭和からずっと愛されています。このマーク1990年迄 使用されていたようですが黒い肌と分厚い唇の男性と言うことで(私には女性に見えたのですが……)黒人差別をなくす会 なる団体の提唱で使われなくなったのですね。方向がクランクしますが、カルピスと同じ乳酸飲料森永コーラス です。昭和38年 一本買って応募するとヨーヨーがもらえるというキャンペーンがありました。メーカーは対抗しようとしていたのですねきっと。流行るものに対してチャレンジャーは攻戦を仕掛けてくるのです。
2022.03.31
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東京の 近郊路線の高崎線 昭和35年頃の光景です。群馬県の高崎から東京へ通勤通学する人はデッキに溢れています。「これ日本?インドじゃない?」と信じられなくなります。高度経済成長にさしかかった頃です。人々は働くため電車に乗る時点から、足掻き始めていたのでした。取っ手部につかまりまるでヨットでセイリングしているかのようです。線路脇に支柱はあり、対抗電車が高速で通過します。見事な身の躱し方で電車にしがみつき、目的地を目指しました。こういう乗車が許されていたのは、驚愕に尽きますがこの頃安全という面は、曖昧だったのですね。それから5年くらい年月が過ぎ、広いデッキの電車も無くなりラッシュアワーでは押し屋さんが大活躍「押しまーす」の前置きで、押して乗り切れなかった人に対しては、剥がし屋さんになってホームに降ろすという安全面が強化されました。押し屋さんは、体力のある学生のアルバイトが多かったようです。高度経済成長中、1964年の東京オリンピックを境に駅や列車での常識が覆りますがオリンピック以前は人々はゴミを電車内に置きっぱなしにしていたのです。良識ある人は、そっと座席の下に置いたのです。終点で清掃の人が機敏に登場し、回収するという認識があったのです。足の踏み場もないくらい列車はゴミだらけ 息も できないくらい列車は満員でした。
2022.03.17
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昭和のガキ大将はリーダーとしての教訓を目下の者に 常に与えました。 元の木阿弥 という故事成語、使いこなし用途は熟知していても 「モクアミって何ですかあ~?」 と聞かれると答えられませんでした。 戦国時代、大和郡山の城主(筒井順昭)は病気に罹り、死を覚悟していました。 息子2歳の順慶に跡継ぎは無理でした。 試行錯誤の上、奈良の僧侶の木阿弥が順昭に顏も声もそっくりなのを知り、 影武者にとして城に寝かせ 外来者を欺いたのです。 順慶が成人して、城主になったとき、 贅沢三昧できた木阿弥は元の居住地に帰されてしまったのですね。 行き詰ったとき 吐き出す慣用句 二進も三進もいかない これは2歩も3歩も進めないのではなく、 そろばんの割り算用語で、 2でも3でも割り切れない数のことを言うそうです。 頭を掻き毟り この慣用句の雄叫びを上げれば いい方向へ向かうような気がしますね。 埒が開かない 埒とは 馬場の周囲の柵、囲いを開くと馬が外に出てしまって全てが終わってしまう。 だけど 囲いを開けないと状況が進展しない。 そう 埒は開けると物事がはかどり進んでいく。 埒は開けた方がいいのです。 馬自身も馬場の中で思っているのです。
2022.03.04
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