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今日は、なくなって1年過ぎたかたの記念式を行いました。60歳の半ば過ぎ、病が見つかった時は、もう手遅れで早ばやと、天に翔けて行かれたのです。今日はお写真をしみじみと拝見穏やかな顔つきの、やさしいかたでした。娘さんばかり4人おられます。みんな美しい娘さんばかりなのでこの世を早く去られた理由がわかったような気がしています。
2005年04月30日
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ボクのお務めする教会で、集いを持ちました。午前と午後の2度の集いの中で4人の牧師さんたちの「説教」を聴きました。旧約聖書の「ヨセフの生涯」を、お話を聴きながらたどりました。毎年開きますが、今年は40名以上の人が集って下さいました。東京や横浜、浜松からお集い下さいました。ウチの教会の信徒さんたち、いつもながら、お食事のお世話を骨折ってくださいました。カレーライスがおいしかったです。それぞれのおうちで作ってきて、それを一つに合わせ、皆さんに食して頂きます。手作りの「キムチ」もあります。サラダも。穏やかなお顔お迎えする方も、来て下る方も、笑顔。幸せな一日が終わりました。ほんとうは一人一人を抱きしめてお礼を言いたかったです。
2005年04月29日
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自治会の配布物をテーブル1面に広げていた所に、見知らぬお客。クリスチャンということで、妻が中に招じ入れた。夫婦で市広報の数を数えているのを見て「アルバイトをなさっているんですね、牧師さんもたいへんなんですね。」「違うのです、ご奉仕なんです」彼のお話は・・・・長年の仕事は不況でつぶれた。通っていた教会も人数の激減でつぶれた。今の住まいも今月限りで出ていく。悲しいお話の連続に、同情してしまった。お金のお話になり、少しお金を工面して欲しいらしかった。ちょうど、うちに草取りのご奉仕に来ていた信者さんが、一段落して入ってきた。彼はその人をこわい顔で見て、「市役所に行けば、隣の駅までの切符を買ってくださるよ。 教会の裏に自転車が転がっているから、それで帰るといいよ? 駅に行って、物乞いをしなさい!」おだやかな口調だが、きっぱりと言った。それから、お昼になり、みんなでインスタントラーメンを食べた。ボクはお金を少しあげようと思っていた。でもあげなかった。1対1ならあげたと思う。あげなくて良かった。一緒にいて下さった信者さんのお陰だ。
2005年04月28日
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先日の朝日新聞の土曜特集に「嵐が丘」を生んだ土地、ハワースが取り上げられていました。(2005/4/23)「ヒースクリフ!」原本は読んでいないのですが、中学生の頃でしたか、映画を見に行きました。とても暗い映画と言うこと、それから、キャサリンがヒースクリフの名を呼ぶ、上のセリフだけが今でも心に焼き付いています。新聞を読んで初めて知りました。「嵐が丘」の作者、30歳で世を去ったエミリ・ブロンテのこと。牧師の家庭に生まれ育った娘、拒食症、世間との隔絶。恋愛経験のない作者が、ただ一つ残した作品が、烈しい恋愛モノだったこと。22歳で書かれたという詩に心を打たれました。 富など取るに足らず 愛なんてお笑いぐさ 名誉欲だって暁と共に消える夢 ・・・・求めるのはただ 耐え抜く勇気を持って この世でもあの世でも 縛られることなき魂
2005年04月27日
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JR福知山線の事故に遭われたかた、持って行き場のない悲しみに耐えておられると思います。けがをしたかたは、はやく直って元の生活に復帰出来ますように、お祈り致します。人をたくさん乗せて走っていた電車が、マンション1階の駐車場に潜り込む紙のように折れ曲がる初めて見る恐ろしい光景だった。文明が進んだ時代の事故は大きいと、だれかが言っていたことを思い出した。そして、文明の時代を生きることは、命を託しあって生きることだと改めて思った。それでも、信頼しあって生きなければならない。命のあることを喜び限りある命を思い愛すべき人を愛することが、今日の最大の仕事のように。
2005年04月26日
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今朝読んだ聖書~ヨハネの手紙1「その証しとは、神が永遠の命をわたしたちに与えられたこと、そして、この命が御子の内にあるということです。御子と結ばれている人にはこの命があり、神の子と結ばれていない人にはこの命がありません。」(5:11-12)上の箇所に「召天を待つO姉へ」と走り書きしてある。ボクが病床を訪れて、教会のこととか、仲間の信者さんのお話をしても「お忙しいでしょうからもう結構です。早く「お言葉」を読んでお祈りして下さい」と言われるのだ。O姉は、地上では報いられることが少なかったので、最後まで愛するおかたに頼り、やがてそのおかたの所にのぼって行かれた。
2005年04月25日
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朝4時半に、信者さんからお迎え依頼の電話。快く引き受け、「さぞ待ちくたびれているだろうな」と、9時にお迎えに行く。「朝早く電話してしまってごめんなさい」と言われ、安心した。あまりに朝早い電話に、ぼけてしまったのかと心配したんだ。礼拝は妻のメッセージ。一番前で聴く。礼拝の中で、他教会から移ってこられた信者さんの「入会式」さらに新しい役員の「任職の祈り」をした。こんな牧師でも、支えて下さる信者さんたちの祈りのおかげでここまでやってこられたもんだ。「牧師も誤ることがあるので、その時には、愛を持っていさめて下さるように」と、こんな時代だから、普段言わないことも付け加えた。信者さんをお送りして、帰ってきたら何と今頃タクシーを乗り付けて、来られた人がある。教会の庭木を消毒するために来たのですか!ありがとう。
2005年04月24日
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知人だった牧師は、長年一つの教会で働いた。その教会を辞してから、同じ町の市営住宅に奥さんと移り住んだ。そこで静かに生涯を終えた。また他の牧師は亡くなって葬儀の後、預金通帳を調べたら空だった、と遺族が話していた。それからボクは確信するようになった。貧しくして生涯を終えたとしても少しも恥ずかしいことではないこと。そういうものに捕らわれない喜びと輝きの毎日を目指すべきこと。今まだ、道の途中ではある。
2005年04月23日
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会えば必ず別れなければならないことが、決められているのにボクはそれを忘れてしまう。
2005年04月22日
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ミルクココアを、妻に作ってあげたのには、理由がある。婚約時代、喫茶店に入り二人でミルクココアを飲んだことがあった。妻の笑顔がこぼれていた。ボクは言った、「その笑顔をずぅっと見たい」変わらないあの時の笑顔がこぼれ始めているから。
2005年04月21日
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こんばんは今日はずいぶん降りましたね。いまだに、雨音がしております。降る時は、どっと降りがちです。「春雨じゃ、濡れていこう」というわけには行きませぬ午前の「祈り会」はどなたも来られなくて妻と二人で、詩編を読み、感想を語り合い、お祈りしました。午後は部屋の片づけをしていました。たまる一方のカセットテープどうしようかな。捨てられない性分なのかな。夜の「祈り会」は、娘が加わり、3人となりました。お祈りは、それぞれ3回りしました。病みがちの信者さんのため、若い人たちが、試練に負けないように家族のため、神学校のため、日曜日の礼拝のため、祈りました。
2005年04月20日
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伊豆急の「リゾート号」は座席が海の方を向いている。JR伊東駅で待っていたらリゾート号が来た。わぁ!夜の太平洋を眺めながら、帰るはずだった。外は真っ暗で、見えるのは窓に映る自分の姿だけ。町にさしかかると、夜景が瞬くが、小さな町は、走馬燈のように消えていく。結局、老いにさしかかろうとする自分の姿をとくと眺めながら、熱海駅に着いた。
2005年04月19日
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礼拝の時の説教が、皆さんの頭の上を上滑りしている。話し始めた時は、いいのだけれど、中頃を過ぎると、どなたとどなたがお話を聞いてくださっているのか頭から抜け去ってしまい、話しながら自分の世界に閉じこもる状態になる。一日のプログラムを終えた夜、妻にそのことを話した。妻はじっと考えて、答えた。「自分もそう感じている」と。それから、「きっと、祈りが足りないのだわ。祈りが足りないのは、私も同じ ただ、あたなの心の中に入る、情報が過多なのではないかしら」
2005年04月18日
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礼拝中、お子さんがお母さんの所に来たので、お母さんは満面の笑顔を子に向けました。すべてのお母さんたちが、自分のお子さんにこんな笑顔を奮発して欲しい、と思いました。教会では、どんなことがあっても、お子さんを叱らないで欲しい「教会でなら、お母さんは何をしても叱らないよ 教会って、すごいな 教会って大好き お母さん、早く教会へ行こうよ」
2005年04月17日
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今週、中国では反日デモが暴徒化し、日本大使館のガラスが割られたりした。在外公館が襲われるとは、双方の国にとって由々しき事態だと思う。日本の心配をよそに、中国政府は、「日本にも責任がある」などど発言。1989年の「天安門事件」などは、暴徒化した民衆に、最後は「戒厳令」を敷いて鎮圧した。暴徒化した民衆への態度も、怒りの矛先によって変わるのだ。近代国家への道は、なお険し。
2005年04月16日
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パラレル接続のインクジェット・プリンター。他のパソコンに付け替えようと、いきなりコネクタを抜いたら「ピーッ」っと甲高い音を発して、動かなくなった。終了操作をしないで、コネクタを抜くとこうなるのか(苦笑)おだぶつか。インクジェット印字方式のコピー機能付きファックス送信のための書類の吸い込みがおかしくなった。まっすぐに吸い込まずに、曲がってしまい、書類が破れる。ダメになったか、とあきらめかけた。ためしに吸い込み口を開いてのぞくと、途中に何かかが引っかかっているぞ。ピンセットでつまみ出すと、セロテープのかけらだ。小さな書類をセロテープで貼り付けて送ったっけ。セロテープがはがれて、くっ付いたのだ。そんな書類をファックスに掛けては、いけなかった。ファックスだけは助かった。
2005年04月15日
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お手伝いしている牧師養成学校の、新学期開始お泊まり会に行ってきました。今回の会場は、カトリックの「黙想の家」をお借りしました。教師と生徒が集まって、ガイダンス、お祈り、聖書や書物の学びに精を出すのです。3日間、雨にぬれそぼちました。それでも真ん中の日、お花見に出かけました。雨に打たれるお花とボクたち4月には似つかわしくない寒さ広大なカトリック施設の構内は、散り始めた花びらでうっすらとした雪化粧のようでした。道にも灌木にも、野草にも、花びらが一様に積もっています。「雪のようね」「うん、雪が積もっているようですね」黙想の家は、ボクたちが集まってお勉強をする部屋以外では声を出すことが禁じられています。食事の時も、みな黙りこくって、お互いに目で合図をするだけです。その代わり、美しい音楽が、CDラジカセから流れていました。わざと変な顔をして、吹き出させようとしていた人がいました。会が終わって、「さようなら、お世話になりました」と玄関から出たとたん「わ~、わっはっはっはっは あ~ぁ ふふふぅ、あっははははは」息せき切って、笑い声が吹き出してしまいました。
2005年04月14日
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家族なんだからなぁ新年度は「神の家族」というテーマを決めさせて頂きました。きのうの定期総会の前の礼拝で、この言葉が記されているエフェソ人への手紙2章を取り上げました。思いがこもって、時間ぎりぎりまでお話ししてしまいました。キリスト様の十字架を通して結ばれた兄弟姉妹。キリストはボクたちの平和20名あまりの教会の中にも、貧富の差があり、職業の違いあり社会的な功名を遂げた人、がんばってはいても、なかなか芽が出ない人子だくさんな人、子供がない人、長い間心ならずもシングルで生きている人こういう人が一緒に生きていく群れは、お互いにしんどいなと感じる時がしばしばあるだろう。「家族じゃなぁ 家族なんだからなぁ」十字架の元で許し合い、受け入れ合うその道を創っていきましょうよ。
2005年04月11日
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一日のご用が終わって、寝る前に(寝そびれて)、ネットのニュースを眺めていたら不祥事を起こした牧師のことが、たくさん出ていた。そのグループの教会のいくつかが、離脱を決めたという。ほかにも離脱を準備している教会があるという。情けなくなった。その教会には、たくさんの普通の信者さんたちがいて、みんな矢面に立って苦しんでいるのでしょう?みんなでそこにでかけて行っていやしと回復のために、立ち上がるべきでしょう?それが教団というものでしょう?
2005年04月10日
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明日に迫った教会の総会「委任状を出したいのですが、インフルエンザにかかり出向けません」と今朝電話があり、バイクを走らせて、そのお宅に伺ってきた。箱根への登り口に、そのお宅はある。途中、桜が、あちらこちらに咲いている。咲き誇るというより、黙って静かに咲いている。すぐに散ることを知っているはずなのに、くやしがったりしないように見える
2005年04月09日
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牧師の性犯罪が明るみに出されて、報道された。牧師の絶対化、神格化「キリスト教会のカルト化」これらは、以前から語られ、心ある人によって、警鐘を鳴らされ続けてきた。キリスト教といえども、人間が営むものであることには変わりがない。そして人間は誤るもの。キリスト教会もまた誤るものとは、以前にも書いた。牧師にとっての最大の不幸は、チェックする人がいないことだ、とある信者さんが言っていた。その人は、「銀行員が銀行のお金に手をつけないのは、何重にもチェックされているからだ」と付け加えた。チェックを受けない牧師が、不幸にも道を外す。思ったより多いのだ。今回一番驚いたのはその教団の他の教職が、「あの人はイエス様のことしか頭にない素晴らしい先生で、そんなことをしたとは信じがたい」と語っていたことだ。これには衝撃を受けた。ここまで「イエス様」の御名前を使ってカモフラージュしていたのだ。人間とはつくづく恐ろしいと思う。
2005年04月08日
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きのうの夕方出先から帰って、家の前まで来たらひいやりした風がボクの体をそっと撫でた名残惜しんでいるんだしばらくは会えないけれどうれしかったよ
2005年04月08日
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(6日の分)バイクに乗って毎朝お祈りに来られる女性が、入院したので、妻とお見舞いに。伊豆半島の背骨、狩野川に沿った道を車で走った。菜の花畑 黄色桜や桃 ピンクや赤新緑春色が風景を彩る同じ幹にピンクと赤の花を付けているのがあった。桜の一種だろうが。桜が一挙に開き始めたが他人事のように感じ感動がイマイチだなぁ自分の鬱期と重なったらしい。
2005年04月05日
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キリスト様の復活の後、ペトロたちは元の漁師の仕事に帰った。新しいお招きがあるまで、とりあえずお仕事を?主は岸辺に来られて、彼らを招かれた。イエス様が来られたので大漁となった。岸辺では火が焚かれて、朝の食事の用意が調えられた。今取れたばかりの魚を焼いて食べたんだろうピーターズ・フィッシュを。食事が済むと、イエスはペトロに「あなたはわたしを愛するか?」とお問いになった。あの時、主を裏切ったペトロは、胸がいっぱいになって「はい、主よ」主は、3度、重ねて問われた。愛をお求めになる。愛が、人間が持てる最高のもの。愛を財産に代えようなどとすれば、その人は必ずさげすまれる(雅歌8:7)ボクたちの最高のものをお求めになる。なぜなら、イエスはボクたちに、最高のものを神の命をささげて下さった。(十字架の上で)最高には、最高でお答えすることが、常道だ。最高のものに、雀の涙でお返しするなんて「江戸っ子」の名折れだぃ愛には、愛でお返ししたい。「はい、主よ」「はい! 主よ」ペトロありがとう!ボクのために、模範で答えてくれたんだね?ボクも、「はい主よ」と、もうためらわない。こうして、ボクも主を愛する人々の中の一人となった。
2005年04月04日
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今の教皇が登場した時、ヨハネ・パウロというぜいたくな命名に驚いたものだ。当初から、平和の使節として世界各地を歩き回り、積極的な発言を惜しまなかった。時代が求めていた教皇だった。最近では、アメリカがイラクに侵攻した際に、「No,」と言った。人間の良心を代表する言葉と思った。戦乱相次いだヨーロッパ、そしてアウシュビッツを抱える国から出た教皇の言葉ではあった。このイースターのメッセージのために信徒の前に立った時、すでに声を発することが出来なかった。大変に苦しそうだった。ボクはそのお姿をテレビで見て、感動した。あのお姿は、十字架の上に身をさらされたイエス・キリスト様のお姿をほうふつとさせた。
2005年04月03日
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今朝は「ヘブライ(ヘブル)人への手紙」の5章を読んだ。新約聖書の中で霊的なトーンが最も高い書だと、つくずく感じる。これから読むのが怖いくらいだ。今日、ボクの胸に突き刺さった言葉はこれ。「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。」ヘブライ人への手紙5:7-8(新共同訳)泣きたくなってしまった。キリストの激しい叫び、涙の祈りは、一体どこでささげられていたのだろう。ゲツセマネのお庭で? そうだ、汗が血の滴りのように落ちたと書いてある。でも、ほかにも、もっとたくさんあったのかも知れないと気づいた。隠れているのだ。これがキリストの御生涯だったのか。
2005年04月02日
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ほめそやされる快感を求めてあらゆる事を試みた「ひでちゃんは、いい子ね」「成績いいでしょう?」「ボクは大きくなったら映画俳優になりなよ」いつからか人の目に映る自分を絶えず演出いつも、だれにでも好かれていたい高校時代、T君と出会った。彼は、素朴で、人の目を気にしない、ありのままに生きていた。ボクと違う、こんな風に生きている人がいる。自分自身の姿を見つめた最初だった。そんなあさましい自分を受け入れてくれる場所を求めて出合ったところが教会究極的に「いい子」で生きられる場所を見つけた?うんと、いい子になるんだ。
2005年04月01日
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