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つーコトで、今年最後のポム・ブログである。最近では、こんな自己満ブログでも読んでくれる人が増えてきたようで、思わぬ所からコメントを頂けたりして嬉しい。ヤメようと思った事も何度かあるが、やはり続けて良かったなあ、と思う。チリも積もればマウンテン。継続は力なり。そして、11月の下旬あたりには「年内50000ヒット」なる目標を定めて、毎日更新というものに挑戦してみたが、はっきり言ってこれはキツかった。かなりキツかった。書いててウンザリする事もたびたびあったが、このブログ自体、いつまで続けられるか分からないのに、まだまだ書きたいものが山程あるので、「書けるウチに書いとこう」という気持ちも含めて頑張った。やってみて改めて思ったが。。。毎日更新できる人ってスゲーな(キッパリ)。中には一日に2つも記事を書く人もいるようだが、そういう人にはアシスタントでもいるのだろうか?、と。まあとりあえず、こういう芸当は、文章力もバイタリティもない、ワシみたいな人間には無理だという事かねよって来年からはペース・ダウンする事になるだろうが、もうちょっと続けていきたいと思っているので、物好きな方はお付き合いいただけると嬉しい。今年はYou Tubeという強力な味方(?)を得た事もあって、ブログの内容もややパワー・アップしたかも、と思う反面、「来年はもっとマニアックなものもドンドン紹介していく」という去年の宣言とはウラハラに、そうしたモノはほとんど書けない結果になったのが、心残りでもある。いっその事、来年は誰も知らないようなモノばかりを取り上げて、孤立無援のブログにしてみようか。変態のワシにはピッタリじゃつー事で、ポム・ブログは冬休みに入ります。ポム・スフレを応援してくれる(←妄想)皆さん、今年もお世話になりましたそして来年もよろしくです。今年最後の曲は、フィル・コリンズの「Take Me Home」。メガ・ヒットを記録した'85年の傑作アルバム「No Jacket Required」(写真)のラストを飾るこの曲は、同年全米7位・全英19位のヒットを記録。叙情的で伸びやかなメロディと、親しみやすくも雄大なサウンドが、グッとくるポップ・ナンバーだ。当時は、フィルのソロに引っ張られるかのように、ジェネシス自体もどんどんポップ化していたのだが、この曲にしても、同時期のジェネシスのサウンドとほとんど大差ない仕上がりになっているのはご愛嬌。しかもコーラスにはピーター・ガブリエル(とスティング)が参加している、というオマケつき。世界各国で撮影された映像が次々と出てくるPVも実に楽しい。では今年最後の、ここをクリック!この曲を聴きながら、お別れしましょう。それでは皆さん、よいお年を!※ポム・スフレのメインHPでは、フィル・コリンズの「No Jacket Required」について、取り上げています。
2006.12.30
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イギリス人のアンソニー・ムーア(Key,Vo)、アメリカ人のピーター・ブレグヴァド(G,Vo)、そしてドイツ人女性ダグマー・クラウゼ(Vo)という編成から成る無国籍バンド、スラップ・ハッピーが残した、1974年のアルバム「Casablanca Moon」は、アヴァンギャルドなポップ感覚が、今も異彩を放つ傑作だ。その前年('73年)に、ドイツの前衛ロック・バンドFaustをバックにレコーディングしたものの、レコード会社から発売を拒否されてしまったマテリアルを、再録音したものが本作で、元のヴァージョンよりも、よりメランコリックな仕上がりとなっている。タンゴのリズムを持つ、このタイトル曲は、ヨーロッパ的な哀愁とノスタルジックな雰囲気が印象的な、ユニークなポップ・ソング。エキセントリックかつ人懐っこいメロディ。妖しくも、どこか哀しいストリングスの音色。そして、キッチュでありながら、とてもコケティッシュな、ダグマー・クラウゼの歌声。これらの要素が奇妙なバランスを保ちながら、強いインパクトを持って迫ってくる。そこはかとなく漂うインチキ臭さが、またタマラないこの曲は、デカダンスと美しさに満ちた名曲だ。このタイトル曲の他にも、「michaelangelo」「Dawn」「Mr. Rainbow」「A Little Something」といった名曲が満載の本作。万人向けとは言えないかもしれないが、そこには一度聴いたらクセになる、不思議な吸引力がある。親しみやすさの中に滲み出る狂気。ここに封じ込められた魔力は、時代やジャンルを越えたものだ。前述の、オクラ入りしたオリジナル録音をまとめた「Acnalbasac Noom」とセットで聴く事をオススメしたい、プログレッシヴ・ポップスの名作である。※ポム・スフレのメイン・ホーム・ページでも、アルバム「Casablanca Moon」について取り上げています!
2006.12.29
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今年中にもう一個Zepを書いとくか…Led Zeppelinの1stアルバムに収録のこの曲。緊張感とスピード感を併せ持ったナンバーであり、Zepの作品としては、いちばんブルース・ロック色が強い、この1stの中でも思いっきりハード・ロックしている一曲である。前の曲にあたる「Black Mountain Side」のインドな演奏が終わった後に、間髪入れず飛び込んでくる「ゴゴゴゴゴゴゴゴ」というリフのインパクト。「必殺の一撃」とはまさにこの事で、このイントロで聴き手はいきなりノック・アウトされてしまう。「テクニックよりもリフで勝負」なジミー・ペイジ先生の面目躍如である。ゴリ押しな演奏が生む疾走感は、パンクにも通じるものであり、2分28秒というコンパクトさも加えて、全篇息付く暇のない密度を持った仕上がりとなっている。ロバート・プラントの喉を締め付けるかのようなシャウトにもゾクゾクするが、ペイジ先生のギター・ソロも流麗かつスリリングサビの部分では、プラントのヴォーカルが多重録音されているが、エンディングではメンバー全員のコーラスも聴ける。音質的には素人のデモ・テープ・レベルなのだが、熱気は充分。初期Led Zeppelinの燃え上がるようなエネルギーが凝縮された名曲だ。ロックに幻惑された者なら、一度は通らねばならぬ道。つーコトでここをクリック!くぐもったギターの音が最高じゃ!
2006.12.28
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'74年に結成されたアンダートーンズは、ロンドン・パンク初期から活動してきた、北アイルランド出身のバンドである。派手な話題性に欠けた事もあって知名度も低く、「B級パンク」の一言で片付けられがちだが、一級のポップ・センスを持った、いいバンドだった。また、ポップなパンクとはいっても、ピストルズやダムドのような暴力性がない分、より聴きやすく、ラモーンズやグリーン・デイに近いものがある。この「Teenage Kicks」は、'78年に発表された彼らの代表曲。現在でもイギリスでは「名パンク・ソング」の投票を行うと、この曲がランク・インするらしい。コードを中心としたストレートなギター・サウンドとパンチのある演奏。とびきりキャッチーで、ちょっぴり切ないメロディは、まさにパワーポップと言えるもので、今聴いても全く古い感じはしない。真摯さと個性を感じさせるフィアガル・シャーキーの歌声も、胸を熱くする名曲だ。間奏のハンド・クラッピングも力強い。この曲を含む彼らの1stアルバムは、他にも「Get Over You」「Jimmy Jimmy」「Here Comes The Summer」などの名曲多数。ポップで熱いロックン・ロールを求める輩は、迷わず購入すべし。なお、現在発売されているCDは、上の写真とはジャケ違いなので注意。つーコトで、名曲「Teenage Kicks」を聴くにはここをクリック!う~ん、グッとくるねぃ!
2006.12.27
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年内の目標であった50000ヒットもなんとか達成できたし、クリスマス特集も済んだし、年賀状もまだ書いてないし…残りは消化試合として軽~く流して終わりにしようか…などと、思っていた矢先に超ド級のニュースが飛び込んできた…ジェームス・ブラウン逝去…今年最後にして、最大の訃報である。----米ジョージア州アトランタ──米ソウルミュージックの大御所ジェームズ・ブラウンさんが25日未明、合併症のため当地で死去した。73歳だった。ブラウンさんは歯医者で定期診察を受けるため当地を訪れていた24日、心不全とみられる異常が判明し、当地のエモリー・クロフォード・ロング病院に入院していた。ブラウンさんは今週、コネティカット州ウォーターバリーとニュージャージー州イーグルウッドで予定されていた公演を中止した。週末にはニュージャージー州レッドバンクのカウント・ベイシー劇場で公演を行う意向だった。大みそかから新年にかけても、CNNの特別番組を含めた各種の出演スケジュールが入っていた。-------こちらより抜粋。ゲロッパなエネルギーを放っていたこのオジサン…殺しても死なないと思っていた人なのに、あっけなく…しかもそれがクリスマスの日だなんて…最後までエンターテイメントなお方だJBの軌跡についてはこちらを参照してもらうとして、ここでは個人的な追悼の辞をざっくばらんに述べていきたい。僕がこの人の存在を初めて知ったのは小学生の時。曲は「ロッキー4」の挿入歌として使われた「Living In America」。映画の中で劇中パフォーマンスをするJBの姿に、いかがわしいインパクトを感じたのを覚えている。テレビの洋画劇場で放送された「ブルース・ブラザーズ」も先に見ていたかもしれないが、僕の中で「JB」の名前がインプットされたのは「ロッキー4」によってだった。同時期、「ベスト・ヒットUSA」にゲスト出演していたJBが小林克也を相手に「アルバムは200枚。持ち曲は2000曲」などと勝ち誇っているのを見て、「やっぱりいかがわしい」と思ったものだが、その時はこのオッサンが「Godfather Of Soul」と呼ばれる人物だなんて思いもしなかった。その後、Led Zeppelinをはじめとした過去のロックを聴き漁っていくうちに、JBの音楽にも行き着いた僕は、そのファンク・ビートと歌声のエネルギーに打ちのめされたのだった。一時期は「In The Jungle Groove」を浴びるように聴いていたっけなあ…彼の生み出したリズム解釈は、後に「ファンク」と呼ばれるものになり、スライ、P-Funk、プリンスは言うに及ばず、フェラ・クティやマイルス・デイヴィスから、ロック系のミュージシャンにまで、ここでは言い表せない程の影響を与えた。JBがいなければ、ヒップ・ホップもこの世になかっただろう。彼の傘下からは、ブーツィー・コリンズをはじめとして、有能なミュージシャンも多数輩出している。その実績の割りには、思いのほか有名曲が少ない事や、あの映画の影響もあって、一般的(日本でのハナシね)には「ゲロッパおじさん」のイメージくらいしかないかもしれないが、この人がいなければポップ・ミュージックの歴史は変わっていたかもしれないし、そういう意味ではエルヴィス・プレスリーやビートルズと並ぶ最重要人物である事は間違いない。プライヴェートでも波乱の多い人だったらしく、家庭内暴力で家族から訴えられたり、警官と銃撃戦をやるなどのファンキーなエピソードも残しているが、そうしたトコも含めてのJBなのだ。残された音源があまりにも多く、僕も偉そうなコトを言える程聴き込んではいないのだが、最低でも二枚組以上のベスト盤は一家に一枚置いとくべし。単独アルバムでは「Sex Machine」「Hot Pants」「Live At The Apollo Vol.2」「ソウルの革命」「Love Power Peace」あたりから入るのがオススメ。こりゃ今年の残りはJB三昧だなあ…とりあえずコレでも聴いてシビれろ!パリでのライヴ映像だ。これも強烈!JB凄すぎ!こちらは映画「ロッキー4」から。りびにん・あめ~りか♪Please Please Don't Go…
2006.12.26
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'76年5月に全米1位を記録したアルバム「Breezin'」は、ジョージ・ベンソンの代表作であるばかりでなく、いわゆるフュージョン・ミュージックを代表する名盤として、おなじみの一枚。'43年生まれのジョージ・ベンソンは、「ウェス・モンゴメリーの後継者」と言われ、'60年代から有能なジャズ・ギタリストとして活躍していたが、'70年代半ばにレコード会社をワーナーに移籍した頃を境に、よりポップ・ミュージックに接近した音楽性を指向するようになる。アルバムのオープニングを飾るこのタイトル曲は、ボビー・ウーマックの曲をカバーしたインスト・ナンバー。柔らかさと耳に残るキャッチーさを持ったリフを軸にして曲は展開していくが、何と言ってもベンソンの流麗なギター・ワークが聴きもの。涼しげなストリングスの音色と、グルーヴィーなリズムも実に心地良く、プロデューサ-であるトミー・リピューマの手腕と、ベンソンのミュージシャンとしてのセンスの賜物と言える。ドラムのハービー・メイソンも実にいい仕事をしとる。お洒落でいて、万人向けの聴きやすさを持ったこの曲は、いい意味で「BGMに最適」であると共に、「フュージョン」というカテゴリーに囚われない名演と言える。このアルバムからは、ベンソンのネバッこい美声が聴ける「This Masquerade」(レオン・ラッセルの名曲)が全米10位のヒットを記録。他にも「Six to Four」「Affirmation」などの名演が揃ってる本アルバムは、普段フュージョンに馴染みがない人にもオススメな一枚。「20/20」や「Give Me The Night」なんかも、ポムブログ的視点からオススメしたいアルバムだ。つーコトで、「Breezin'」を聴くにはここをクリック!このリフに身を委ねてると、日頃のわずらわしさも忘れるなあ…
2006.12.25
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アルバム「SGT. PEPPER’S LONELY HEARTS CLUB BAND」での自分の好きな曲といったら、昔は「Lucy In The Sky With Diamonds」や「A Day In The Life」と相場が決まっていたのだが、今は迷わずリンゴの歌う「With A Little Help From My Friends」と答える。理由?んなモンがあるとすれば、自分が友達のいない人間だからかも(笑アルバムの表題曲が終わった後に続いて、「Billy Shears(=リンゴ)」という紹介MCと大きな拍手に迎えられて始まるこの曲。リンゴの朗々たる歌唱と、大らかで弾むような演奏がたっぷりと楽しめる一曲だ。作者はポール・マッカートニー。始めからリンゴに歌わせる事を想定して書かれたというだけあって、もったりとしたリンゴの歌声がお気楽な歌詞とホンワカした曲調にピタッとハマっている。特筆すべきはポールのベース・プレイで、シンプルでいてツボを押さえたフレーズと、4拍目のハネ具合を重視したビートは聴いてて実に気持ちいい。ベースの音も当時としては綺麗に録られており、音色の太さや温かみがしっかり伝わってくるのが嬉しい。リンゴのファンキーなドラムとのコンビネーションも抜群だ。また、歯切れのいいギター・カッティングも見逃せないが、曲がワン・コーラス終わった時に出てくるズンドコしたドラムのオカズがタマらない。「友達の助けがあれば」というフレーズが心温まるこの曲は、そのまま後のリンゴのミュージシャン人生におけるテーマ・ソングとなっていく。サージェント・ペパーズが発表された翌年には、ジョー・コッカーがデビュー・アルバムでこの曲をカバー。アレンジを担当したのはジミー・ペイジで、ビートルズのバージョンとは似ても似つかない激しい仕上がりとなっている。ほとんど別の曲と言えるジョー・コッカーのこのバージョンに、「心の友」という邦題を付けたのは藤子F先生か?個人的には、セルジオ・メンデス&ブラジル'66やロジャー・ニコルズのバージョンも好きだなあ。。。…って、今年最後のビートルズ・レビューがこんな乱文でいいのか…それはともかく、ここをクリックして「With A Little Help From My Friends」をどうぞ~!
2006.12.24
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50000アクセス突破を記念して、本日は元気いっぱいになれるこの曲を。ボストンが生んだ最高のロックン・ロール・バンド、J・ガイルズ・バンドの名曲である。J・ガイルズ・バンドは、1969年にJガイルズ(g)、ピーター・ウルフ(vo)、セス・ジャストマン(key)らで結成された。アトランティック時代の彼らは、ブルース/R&Bに根ざしたタフなロックン・ロールを聴かせていたが、1978年にレコード会社をEMIに移籍してからは、シンセサイザーも導入した、よりポップな音楽性へと変化していく。その頂点と言えるのが、1981年発表のアルバム「Freeze Frame」(写真)だ。アルバムからの1stシングル「Centerfold(堕ちた天使)」は、1982年に6週間連続全米1位を記録。手拍子がゴキゲンなイントロからしてゴキゲンなこの曲の作者&プロデュースは、キーボード担当のセス・ジャストマンだ。ピーター・ウルフのガッツ溢れるヴォーカルと弾けるような演奏(キーボードの音色が最高!)がカッコいい。ポップで親しみやすい楽曲に、ウキウキするようなナナナ・コーラスは、聴いてるこちらも思わず一緒に歌っちゃう。最後で聞ける口笛にホロリ。当時は「売れるためにコビを売ったサウンド」などという声も上がったらしいが、ローリング・ストーンズを10倍くらいポップにしたようなこの曲もやはり魅力的だ。アルバムからはタイトル曲「Freeze Frame」もヒットを記録(全米4位)。バンドは商業的な絶頂期を迎えた。また、このアルバム発表の前年(1980年)には初来日も果たしており、「一晩じゅうでも演るって言っただろ!ドゥ・ユー・ウォナ・ダンス?」というMCと共に9回のアンコールをやったというライヴは、もはや語り草。しかし1983年にはウルフがソロ活動のためバンドを脱退。残されたバンドは、セス・ジャストマンをヴォーカルにして継続したが、1985年に活動を停止した。なおピーター・ウルフは、映画「俺たちに明日はない」で有名な女優フェイ・ダナウェイの夫でもあった(過去形)が、確かにこのワイルドさには男もシビれるぜ。それではここをクリックして「Centerfold(堕ちた天使)」をどうぞ~!な~なな・ななな~ ななな・ななななな~♪
2006.12.22
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桑田佳祐はサザン、Kuwata Band、ソロの活動を通じて、何曲ものクリスマス・ソングを作っているが、その中でも個人的に最も好きな曲が、'93年に発表されたシングル「クリスマス・ラブ(涙の後には白い雪が降る)」である。1993年オリコン第3位。現在ではサザンのバラードを集めた編集盤「バラッド 3」で聴ける。作詞・作曲:桑田佳祐。編曲には小林武史も関わったこの曲。桑田のポップスへの憧憬とメロディ・センスが存分に発揮された一曲で、サザンのバラードの中でもかなり上位にくる出来と言える。フィル・スペクターにも通じるゴージャスなサウンド。切々と歌い上げる桑田のボーカルと、それを盛り立てる豊かなコーラス。そしてサビの部分で一気に爆発する美しいメロディは、サザンならでの醍醐味。中期ビートルズを思わせるホーンのサウンドにもグッとくる。エンディングは原由子の優しい歌声と悲しげな口笛の音色に包まれて、ゆったりとフェイド・アウトしていくという見事な構成。天才メロディ・メーカー桑田佳祐の面目躍如たる名曲である。ロマンティックかつ切ない歌詞も胸にしみるこの曲、クリスマスを恋人や家族と一緒に過ごす方にも、ひとりでお酒を飲みながらシンミリと過ごす方にもオススメな一曲です遠い夜空の彼方に面影揺れる Lonely Night白い天使が舞う 永遠の世界でBaby Baby 涙はBlue Oh… きっと愛する誰かの声が聴こえる Holy Night心に積もる音は 魔法のしらべBaby Baby 悲しみはGray 愛も守れずに 振り向けばいつも君だけが見える Wish you a merry christmas,when you're faraway. Oh…逢えない運命の Holy Night胸の慕情がせつない夜にもOh Oh 君は帰らない…
2006.12.21
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「ビーチ・ボーイズ=夏」というイメージを持つ人はいても、「ビーチ・ボーイズ=クリスマス」というイメージを持つ人はいないだろう(いるのか?)。だが、そんなビーチ・ボーイズもクリスマス・アルバムとして秀逸な作品をしっかりと残していたりする。この「The Beach Boys' Christmas Album」は'64年12月リリースの、彼らにとって8枚目のアルバムで、全米6位を記録。プロデュースはブライアン・ウィルソン。オリジナルとスタンダードが半々という構成になっている。アルバム前半は「クリスマス版ビーチ・ボーイズ」といった感じのオリジナルが並ぶ。クリスマスっぽさを強調したアレンジながらも、ビーチ・ボーイズならではのメロディとコーラス・ワークが楽しめるポップ・ソング「Little Saint Nick」。彼らのコーラス・グループとしての力量を改めて思い知らされる「The Lord's Prayer」。お遊び加減が心地よい「Santa's Bread」に、ハンド・クラッピングがゴキゲンな「Merry Christmas Baby」、切ないメロディとオルガンの音色がシミる「Christmas Day」、その美しさにウットリしてしまう「I'll Be Home For Christmas」など、小粒ながらなかなかの聴きものが並ぶ。後半は「ビーチ・ボーイズ、クリスマス・スタンダードを歌う」といった趣で、おなじみの曲がソツのない歌声とアレンジで演奏されてゆく。フィル・スペクターを意識していたというブライアンだが、アルバム最後に置かれた「蛍の光」のエンディング部分でのナレーションは、フィル・スペクターの「Christmas Gift For You」での手法をそのまま真似ている。全体的に派手さはないものの、楽しさと美しさが程よくブレンドされた秀作となっている。企画アルバムとして「急いで作らされた」という印象は払えないが、そんな所も含めて妙に愛おしい一枚であり、この時期になると必ずひっぱり出してはシミジミと聴くビーチ・ボーイズ・アルバムだ。現在では「完全版」として出回っているこのアルバムだが、その完全版のジャケットは情緒もへったくれもないシロモノで悲しくなる。やはりこのアルバム、メンバーがツリーの飾りつけをする愛らしいジャケット(上写真)を眺めながら聴きたいなあ。
2006.12.20
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The Move~初期ELOの中心人物にして、ジェフ・リンと並ぶ天才ポップ・クリエイターであるロイ・ウッドが'72年に結成したウィザードは、グラム・ロックのムーヴメントに便乗したケバいルックスと、ティーン向けのキャッチーなポップ・ソングを武器に、70年代前半にヒットを連発したグループである。8人編成という、この大所帯バンドの音楽は、騒々しくかつキッチュな華やかさに満ちており、ロイ・ウッドの作り出すそのサウンドは「ひとりフィル・スペクター」などと言われた(大瀧詠一のサウンドは、むしろロイ・ウッドに近い)。ウィザードの4枚目のシングルである「I Wish It Could Be Christmas Everyday」は、1973年に全英4位を記録したクリスマス・ソング(上のジャケットは1984年の再発時のもの)。今でもクリスマスになると、イギリスではお約束のようにかかるらしいが、日本でもよく耳にする1曲だ。「もしも毎日がクリスマスだったら」と歌うこの曲、彼らお得意のシャッフル・ビート・ナンバーで、底抜けに楽しく、それでいてどこか切ないメロディが耳にこびりつく名曲。グラム・ロック版「ウォール・オブ・サウンド」とでもいうべき分厚いサウンドも、クリスマス・ソングにピッタリだ。曲の後半は、ゴージャスな管楽器やコーラス隊も加わって、さらに壮大な盛り上がりを見せる。ラストの子供のコーラスだけで歌われるパートが泣かせる。そして、大円団ともいえる感動的なエンディングを迎えたかと思いきや、鈴の音とコーラスのみが静かに流れ、何とも言えない余韻と共に曲は終わる。クリスマス・ソングとしても、そしてポップ・ソングとしても完璧な一曲だ。この曲はロイ・ウッドのベスト盤に収録。この曲の他にも、ウィザードの「See My Baby Jive」や「Angel Fingers」などをはじめとして、Move、ELO、ソロの曲など、名曲がぎっしり詰まっているので、ポップ・ファンなら押さえておきたい。ウィザードの名曲「I Wish It Could Be Christmas Everyday」を聴くにはここをクリック!…って、手前のドラムの人は何度見てもフランク・ザッパにしか見えねえ~
2006.12.19
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本日はakikkiクリスマス特集、2本立てでござ~い☆1984年に発売されたワム!のクリスマス・シングルであるこの曲。20年以上経った現在でもクリスマスの定番のひとつとして親しまれている曲だ。もっとも、お若い方の中には、某踊る警察官の歌として記憶している人もいるかもしれないが…(泣発表当時、イギリスでは最高2位を記録し、セールスも200万枚という、ワム!としては最高の売り上げを誇ったらしいが、アメリカではチャートインすらしていないようだ。「去年のクリスマス、僕は君にハートをあげたのに次の日君は放り出してしまった。今年は泣くのは嫌だから、だれか特別な人にあげるんだ…」という内容の歌で、ドラマ仕立てになったPVでは、元彼女の恋人役をアンドリューが演じるという凝った設定になっている。さらに歌詞全体を見てみると、クリスマス・ソングというより「フラれたオトコの女々しいタワゴト」という感じにも取れる。そんなコトも知らなかった当時オコチャマの僕は、PVを見て「雪合戦が楽しそうだ」という印象くらいしか持たなかった記憶がある(笑そんな歌詞に合わせてか、ワム!としては思いのほか地味な曲調なのだが、実にしみじみとした味わいを持つ名曲に仕上がっている。これといったサビらしきものがあるワケでもないが、ポップで切ないメロディとジョージの甘~い声、そしてオルゴールを思わせるフレーズには聴いていてホロリとくる。今のジョージ・マイケルを知っている人間には、別な意味でもホロリとさせられるが…(泣鈴の音も入ってはいるが、個人的にはあまり「クリスマス」という感じがせず、普段から「フツーにワム!の曲」として聴いていたりする。80'sなシンセの音を聴くたびにノスタルジックな気持ちにもなるなあ…オリジナル・アルバムには未収録だが、ベスト盤などで手軽に聴ける、ワム!の代表曲のひとつである。2003年には12インチ・シングルのジャケをそのまま使ったマキシ・シングルCDとしても再発された。個人的には、アンドリューのトナカイ・コスプレが可愛い7インチ・シングルのジャケ(写真)が好きだったなあ…ジョージの歌う姿が全く出てこない「ラスト・クリスマス」のPVはここをクリック!↓つーコトで、下へ続く…
2006.12.18
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パワー・ステーションというグループは、1985年という年を代表するスペシャル・ユニットだったように思う。当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったデュラン・デュランのアンディ・テイラー(g)&ジョン・テイラー(b)と、実力派ホワイト・ソウル・シンガーとして評価の高かったロバート・パーマー(Vo)が手を組んだ企画プロジェクトで、ドラムにはChicのトニー・トンプソンが参加。これでロバート・パーマーを知ったという人も当時は多かったろう(ワタシです)。プロデュースには、これまたシックの中心メンバーであるバーナード・エドワーズ。前年のデュラン・デュランのNo.1ヒット「The Reflex」のリミックスを担当したのが、同じシックのナイル・ロジャースであった事を考えると、自然な展開だったと思われる。The Power Stationというグループ名は、レコーディングを行ったスタジオの名前からそのまま取られた。プロジェクトは、ロバート・パーマーのファンだったジョン・テイラーが、パーマーに話を持ちかけた所から始まったとの事(当初ロバートが歌うのは1曲のみの予定だったらしい)。デュラン・デュランを「単なるアイドル・バンド」としてしか評価しないメディアに対する反発心と、「Get It On(T・レックスの名曲)演りた~い」という遊びゴコロから生まれたユニットだったが、当時のメディアからは「チャラチャラしたお坊ちゃんが作ったお遊びバンド」という声もあがったという。この「Some Like It Hot」はアルバム「The Power Station」(写真)のオープニングを飾るナンバーで、'85年に全米6位・全英14位のヒットを記録。「セックス・ピストルズとシックの融合」というジョン・テイラーの言葉を体現するかのようなパワフルなファンク・ナンバーで、イントロのドラムからしていきなりテンションが上がるが、クールなメロディとロバート・パーマーのソウルフル&ダンディなヴォーカルがエラくカッコいい。スキ間を生かしたシンプルな音空間と、リヴァーヴの強いスネアを強調したサウンドはまさに80年代で、「古臭い」と言われればそれまでだが、やはりキライになれないんだよなあこの音。アンディ・テイラーも間奏の部分では、ヘヴィにドライヴするギターを聴かせてくれるが、これがまた短いながらも実にカッコよく、むしろデュラン・デュランでの演奏よりハマッてるように思える。この曲のみならず、アンディはアルバム全篇でエッジの効いた素晴らしいギター・プレイを聴かせており、このパワー・ステーションでアンディを見直した人も多かったという。一方、ジョン・テイラーのベースは、バーナード・エドワーズに何度もダメ出しされ、結果「Some Like It Hot」ではジョンはベースを弾いていないらしい(これは当時から噂されていた)。アルバムからはT・レックスのカバー「Get It On」も全米TOP10ヒットを記録。パワー・ステーションは予想以上の成功を収め、これが後にロバート・パーマーの大ヒット作「Riptide」や、アンディのソロ活動(=デュラン・デュラン脱退)へとつながってゆく。同年のLive Aidでは、デュラン・デュランとパワー・ステーション(ただしVoはマイケル・デバレス)の両方で出演するという、デュラン・デュランのファンには嬉しい荒技まで行われた。1996年にはパワー・ステーションとしての2ndが発表されるも、ほとんど話題にならず。そしてロバート・パーマー、バーナード・エドワーズ、トニー・トンプソンの3人も今はもういない。なかなかに萌える「Some Like It Hot」のPVはここをクリック!ああ80's…
2006.12.18
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1971年10月に録音されたジョンのクリスマス・ソングである。わが国でも、タツローさんのあの曲と並んで、ポップ・アーティストが作ったクリスマス・ソングとしては最も親しまれてるもののひとつだろう。アメリカと日本では1971年のクリスマスの時期に発売されてるが、本国イギリスでは一年遅れで発売されている。発表当時は、イギリスでは4位まで上昇しているものの、アメリカではチャートインを逃しているのが残念。プロデュースはフィル・スペクターとヨーコの共同名義。演奏にはニッキー・ホプキンズ(p)、ジム・ケルトナー(Dr)といった名プレイヤーが参加。また、ギターを弾いているヒュー・マクラッケンは、ポールのソロ「Ram」やウィングスの「Red Rose Speedway」にも参加していたセッション・ミュージシャンだ。オリジナル・アルバムには未収録だが、何度も発売されてきたジョンのベスト盤には必ず収録されている事からも分かるように、メロディ、サウンド共にジョンのソロの中でも突出した出来で、クリスマスの季節だけに聴くのがもったいないくらいの名曲だ。冒頭の囁き声に続いて、6/8拍子のゆったりとしたギター・ストロークで曲は始まる。続いて重ねられていく鈴の音や、ギターのトレモロ・ピッキングだけでもウルウルくるが、包み込むようなストリングスの音色が素晴らしい。ジョンとフィルのコラボレーションの中でも最高の成果のひとつだろう。ニッキー・ホプキンスの優しさ溢れるピアノも泣ける。ボーカルもヨーコと子供コーラスが加わる事によって、最高の盛り上がりを見せる。僕はヨーコの歌に関しては、未だに生理的に受け付けないフトドキ者なのだが、この曲に関しては、全く違和感なく聴けてしまう。歌詞も非常に良いのだが、それだけにサブ・タイトルでもある「War Is Over If You Want It」という最後の一節が個人的には気に入らない。平和の願いを込めるというのは分かるのだが、クリスマス・ソングにむりやり反戦メッセージを結び付けてるようで、なんだか鼻についてしまう。まあ僕は洋楽の場合、歌詞はほとんど気にせず聴くタイプの人間ではあるが…ともあれ、クリスマスにふさわしい華やかさと美しさを持ったこの曲は、これからも定番曲として残っていくに違いない。つーコトでここをクリック!ポム・ブログを読んでくれる全ての人達にHappy X'mas!ポム・スフレのメインホームページはこちら。
2006.12.17
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クリスマス特集~恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第六夜原題「Arthur's Theme(Best That You Can Do)」。「ミスター・フラミンゴ」ことクリストファー・クロスの1981年の全米No.1ヒットである。共作者であるバート・バカラックにとっても、4つめのNo.1ヒットとなった。1980年のデビュー・アルバム「南から来た男」が大ヒットを記録し、その年のグラミーも総ナメしたクリストファーに声をかけたのはバカラックの方だった。バカラックは、この曲を歌うのはクリストファー以外にありえないと考えていたという。「彼にとってはいい経験になるだろうと思った。僕やキャロル(バカラックの奥方)と一緒に曲を書いてみる気はないかと誘ってみたんだ」-----バート・バカラック。この偉大なる先輩からお誘いがあったのは、クリストファーがグラミー賞をとる前の事で、当時ノリにノろうとしており、もうひとつダメ押しのヒットが欲しかった彼にとっても、願ってもない話だったに違いない。バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガー、そしてクリストファーの3人は、1晩か2晩で曲を書き上げてしまったという。この曲の共作者に名を連ねている、もうひとりの人物はピーター・アレン。サビの部分の「When You Get Caught Between The Monn And New York City」というフレーズは、キャロルがその2~3年前にピーターと書いた未発表曲の中のものだった。切ないイントロに導かれて聴こえてくる、クリストファーの透き通るようなハイトーン・ヴォイス。センチメンタルかつスタンダード的な気品を持った美しいメロディ。洗練されたメロウなサウンドの向こうには、摩天楼の夜景が見えてくるようでもあり、「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」という邦題もふさわしい名曲中の名曲だ。ダドリー・ムーア、ライザ・ミネリ主演の映画「ミスター・アーサー」の主題歌として使われたこの曲は、アカデミーの主題歌賞も受賞した。この曲はオリジナル・アルバムには未収録。上の写真にあるベスト盤などで手軽に聴ける。クリストファーはこの後、残念ながら商業的にはどんどん尻すぼみになっていったが、良質な作品をコンスタントに発表し続け、今も地味ながら根強い人気を保っている。アダルトな雰囲気漂うロマンティックな名曲「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」を聴くにはここをクリック!月とニューヨークの間に迷い込んだ時は わかってるさ、そんな例えが馬鹿げてることは でも、本当にそうなんだ 月とニューヨークの間に迷い込んだ時は君にできる一番の事はね 一番いい方法ってのはね 恋に落ちることなんだよ
2006.12.16
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クリスマス特集~恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第五夜'88年の終わり頃、突如無名のバンドの曲がビルボード・チャートを上昇し始めた。そのバンドの名はシェリフ。曲は「When I'm With You」というバラードだった。この曲はあれよあれよという間にチャートを上昇し、'89年2月4日にはついに全米1位を記録。僕もラジオで曲を聴いて一発で気に入ってしまい、それだけを目当てに彼らのアルバムを早速レンタルした憶えがある。僕は最初、どこかの新人バンドかと思ったのだが、この曲が発表されたのは、その6年前に当たる1983年。そして、この曲が広く世間に知れ渡った頃には、当のバンドはとっくに解散していたのだった。シェリフはカナダ出身のハード・ロック系バンドだったらしいが、活動していた当時はさっぱり売れず、サッサと解散してしまったらしい。「When I'm With You」の突然のリバイバル・ヒットは、とあるローカルなラジオ局がきっかけだったそう。'88年にラスベガスのDJがこの曲をかけた事で、人気に火がついたんだとか。いいハナシだなあ(´ー`)同時期に全米1位を記録したUB40の「Red Red Wine」もこれと同様のケースだった。「When I'm With You」は彼らの唯一のアルバム「Sheriff」(写真)に収録のナンバー。静かな響きのイントロと、アコースティック・ギターによる弾き語りの歌い出しからして「名曲だな」と予感させるが、練り上げられたメロディと、リード・ボーカルのよく伸びるハイトーン・ヴォイスが美しい。ジャーニーやスティックスなんかが好きな人には特にツボに来るだろう…と言えば分かりやすいというか、音楽的な形容をするなら典型的な産業ロック風バラードなのだが、名曲には違いない。サウンド的にも'89年当時のアメリカのチャート市場の風潮にピタリとハマッていた事も、ヒットの要因になったのだろう。逆を言うなら、どんなにいい曲でも運やプロモーションに恵まれなければ人知れず埋もれてしまう、という音楽業界の厳しいオキテを教えてくれるケースでもある。降ってワイたようなヒットで、再び注目を集めたシェリフのヴォーカルとギタリストの二人は、その直後に元ハートのメンバーと組んで、ハードロック・バンドAliasを結成。これまた名バラード「More Than Words Can Say」を大ヒット(全米2位)させている。それではここをクリックしてシェリフの名曲「When I'm With You」をどうぞ~映像はアメリカのドラマ「Three's Company」から。
2006.12.15
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クリスマス特集~恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第四夜「This Is '70sソウル!」と言いたくなるこのジャケット。ジャケットのみならず、70年代ソウルを代表する名バラードである。僕がこの曲を知ったのは1990年。ポール・ヤングによるカバー・バージョン(全米8位)を聴いたのがきっかけだった。現在ではスタンダードと化しているこの曲のオリジネイターは、シャイ・ライツ(Chi-Lites)。1960年に結成されたこのグループは、当初は「ハイ・ライツ」と名乗っていたが、'64年にレコード会社を移籍するにあたってグループ名を「シャイ・ライツ」と改めている。シャイ・ライツとは "シカゴの灯火" という意味らしい。この「Oh Girl」は、1972年5月に全米1位を記録。MC・ハマーにもサンプリングされた「Have You Seen Her」('71年、全米3位)と並ぶ、彼らの代表曲だ。ノーザン・ソウルらしいねちっこさを持ちながらも親しみやすいユージン・レコードの歌声と、ムーディーなコーラス・ワーク。甘くセンチメンタルなメロディと、ふくよかなストリングスの心地よさ。そして郷愁を誘うハーモニカの音色。ソフトでいてどこかホットなこの曲、ソウル音楽に馴染みがない方にもオススメしたい名バラードである。この曲はポール・ウォールの「Girl」にサンプリングされたり、桑田佳祐が「Act Against AIDS 2003」でも演奏していた。また、バラード・ナンバーばかりが注目されがちの彼らだが、「Give More Power To The People」などに聴けるような、アップ・テンポなファンク・ナンバーにも佳曲が多かった。ヴォーカルのユージン・レコードは2005年7月22日、癌のため逝去。64歳だった。「Oh Girl」を聴くにはここをクリック!う~んロマンティック
2006.12.14
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クリスマス特集~恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第三夜アメリカを代表するスターのひとりであり、「People」「Stoney End」「The Way We Were」「スター誕生」などの有名なヒット曲を多く持つバーブラ・ストライザンド。1980年10月に全米1位を記録した「Woman In Love」は、彼女にとって5曲目のNo.1ヒットである。この曲の作者はバリー・ギブ&ロビン・ギブ。'77年~'79年のアメリカをナイト・フィーバーなディスコ・サウンドで席巻したビージーズの二人である。ロサンゼルズでのビージーズのコンサートを見たバーブラが、プロデューサーにバリー・ギブを指名したのだという。出来上がったバーブラのアルバム「Guilty」(写真)は,バーブラの単独名義だが、ジャケットにはおもいっきりバリー・ギブとのツーショットで写っている。当時の2大トップスター同士のコラボは当然大きな話題となり、アルバムはアメリカをはじめとして、12カ国で1位を記録し、2000万枚を売り上げたという。アルバムからの1stシングルである「Woman In Love」。ギブ兄弟のソングライティングが冴える、メロウなバラード・ナンバーだが、イントロなんかはほとんど歌謡曲だったりもする。歌い出しのメロディからして「ビージーズだ」と思わせる曲で、マイナー調の切ないサビは多少ベタな印象も残るが、いい曲には違いない。バーブラのシックな歌声にピタリとハマッた仕上がりだが、コーラスなんかはモロ「ビージーズ」で、ファンには嬉しくなる。後に、わが国のサザンオールスターズの某ヒット曲が、この曲によく似てると話題になった事もあった。アルバム「Guilty」からは、この曲をはじめとして、バリーとのデュエット曲であるタイトル曲や、「What Kind Of Fool」「Promise」などがことごとくヒット。グラミーでは最優秀ポップ・デュオも受賞した。今聴いてもなかなかイケる「大人のポップ・アルバム」としてオススメしたい一枚だ。2005年には、再びバリーとのデュエット・アルバム「Guilty Pleasures」もリリースされ、アルバムチャートのTOP10入りを果たしている。つーコトで、「Woman In Love」を聴くにはここをクリック!
2006.12.13
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クリスマス特集 恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第二夜女優としても、シンガーとしても一流の才能と実績を持つベット・ミドラー。ミドラーが主演した'79年の映画「ローズ」のサウンドトラック(写真)の最後に収められているこのタイトル曲は、彼女のシンガーとしての名声を印象付けた名曲である。'80年全米第3位。現在も様々な形で聴き継がれてるスタンダード・ナンバーでもある。『黄昏』の名匠マーク・ライデル監督によるこの映画は、ジャニス・ジョプリンをモデルとした主人公ローズの生涯を描いたストーリーで、酒とドラッグ、そして男でボロボロになりながらも最後までエネルギッシュに歌い、そして死んでいった女性シンガーをベット・ミドラーが熱演している。この映画でのミドラーの存在感と演技は素晴らしく、特にライヴ・シーンにおける彼女の歌唱力は圧倒的だ。その一方で、麻薬に溺れながら自ら墜ちていく後半はなんとも孤独で悲しい。映画の中でこの曲が使われるのは、そのラスト・シーン。ローズが故郷フロリダで、熱狂的なファンの待つ舞台に立ち、その命をふり絞りきるかのように歌いきって倒れた後、このタイトル曲が寂しく流れ、映画はそのままエンド・ロールに入る。このラストシーンは、この世の苦しみから解放された魂が、天に昇っていくかのような感動とカタルシスを感じさせる。アマンダ・マクブルーム作によるこの曲。静かなピアノの響きに導かれて流れる、切なく神聖でもあるメロディの美しさ。抑制を効かせつつ丹念に歌い上げていくミドラーのボーカルが素晴らしい。徐々に盛り上がってはいくものの、弾き語りをベースとしたシンプルなアレンジも、かえって曲の美しさを引き立てている。哲学性と詩情に溢れた歌詞も泣かせる。楽曲自体はジャニス・ジョプリンの音楽を連想させるものではないが、奔放に生き、男を愛そうとし、そして誰よりも「生きる幸せ」を求めながらも最後まで孤独なまま短い一生を閉じた、一人の寂しい女性の歌として、心に沁みる名曲だと思う。映画「ローズ」は、アカデミー賞に4部門(主演女優、助演男優、音響、編集)ノミネート。ゴールデン・グローブ賞では、主演女優と新人女優賞(ベット・ミドラー)、楽曲賞(アマンダ・マクブルーム)を獲得した。この曲はベット・ミドラーのベスト盤でも手軽に聴けるが、映画「ローズ」を観て、そして映画のサウンドトラック盤の中で聴くと、感動もひとしおになるはずだ。ベット・ミドラーの名曲「The Rose」を聴くにはここをクリック!人は言う 愛は柔らかい葦(あし)を溺れさせる川だと人は言う 愛は魂の血を流す剃刀だと人は言う 愛は飢えだと 終わりのない痛みだとでも私には愛は花 あなたはその種傷つくことを恐れるその心は、魂の踊りを知ることがない目覚めることを恐れるその夢は、運をつかむことがない受け入れようとしない人は、与えることもしないそして、死を恐れる魂は、生を知ることがない夜がとても寂しい時、そして道がとても長い時あなたは思うでしょう 愛は運がよく強い人だけのものだとでも、少しだけ思い出して冬の最中に 冷たい雪の下に種は太陽の愛を待ち 春にはバラの花を咲かすの
2006.12.12
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クリスマス特集 恋人達のバラード(←ありがちなタイトル) 第一夜「Theme From "Mahogany" (Do You Know Where You're Going To)」という長~い原題のタイトルを持つこの曲は、ダイアナ・ロスの1976年の全米No.1ヒットである。彼女のベスト盤などで手軽に聴ける、70年代を代表する名曲のひとつだ。モータウンの看板グループにして、60年代に12曲の全米No.1ヒットを放ったシュープリームスのリード・シンガーだったダイアナ・ロスは、ソロになってからもヒットを連発するのみならず、70年代には映画「ビリー・ホリデイ物語」の主演を勤めるなど、女優としてのキャリアも確立した。この「マホガニーのテーマ」は、「ビリー・ホリデイ物語」に続く彼女の主演映画「マホガニー」の主題歌として作られた曲である。日本ではその昔コーヒーのCMに使われていた。作詞を手掛けたのはゲリー・ゴフィン。キャロル・キングの元夫であり、60年代にはキングと組んで数々の名曲を生み出した人物である。そしてこの美しいメロディは、ダイアナのその前のNo.1シングル「Touch Me In The Morning」の作曲も手掛けたマイケル・マッサーによるもの。彼は曲を作る際に、出来上がった映画のフィルムを何度も見返したという。オーケストレーションを駆使したアレンジも、実にロマンティックかつドラマティックで、過不足なく曲を引き立てている。そして、そこに乗っかるダイアナの見事な歌唱。その美しさと完成度は、30年経った今も全く色褪せていない。当時この曲は、「その年のハリウッドが生み出した最も素晴らしい曲」と賞賛されたが、その年のアカデミー賞音楽部門のノミネートからは外されていた。それに対して多くの人が反発し、嘆願書を出そうという動きまで起こった程だった。結果、選考委員会側は当初の決定を撤回する事を発表し、この曲がアカデミー音楽部門にノミネートされる事になった。結局「マホガニーのテーマ」は、受賞する事はなかったものの、この曲の素晴らしさを証明するエピソードである。それではここをクリックして、「マホガニーのテーマ」をどうぞ~う~んロマンティック
2006.12.11
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ワシ程度の人間に、いまさらこの曲について語れと言われても(誰も言ってないけど)困るんですよね。まあ確実に言える事は、ビートルズの中でも3本指に入るくらい有名な曲だという事。それはまさに「犬でも知ってる」くらいポピュラーな曲ということさ。では、どのくらいポピュラーかと言うと、'80年にジョンが射殺された時、わが国のジョン追悼番組ではBGMにこの曲が使われた(らしい)くらいポピュラーなのださらに言うなら、その当時、とある番組では「ジョンが作った曲」としてこの曲が堂々と紹介されていたらしい。そりゃあ確かにクレジットには「Lennon/McCartney」とあるものね。これじゃあエライ大人の方々は「ジョンの曲」だと思っちゃうよなあちなみに、この曲の録音にはポール以外のメンバーは参加していないという事は、よいこのみんななら知ってるよね。ギネス・ブックによると、この曲のカバー・バージョンは全部で3000以上あるらしいが、そうすると、カバー・バージョンだけでアルバム300枚分くらいできるという事ね。ちなみにワシが持っているのは、レイ・チャールズ、ウェス・モンゴメリー、トム・ジョーンズ、ホセ・フィリシアーノ、マリアンヌ・フェイスフル…といったくらい(もっとあるかもしれないけど、覚えてない)だが、カバーバージョンを全部揃えてみようというバカ勇者はいるのだろうか?そのいかにも「スタンダードですよー。100てんですよ-」みたいな上品さと完成度が今となっては鼻につくこの曲だが、発表当時は、「ロック・バンドがストリングスを使用した」という事で、えらく斬新なものとして受け止められたらしい。楽曲そのものは、ポールお得意の「アコースティックな小品」なのだが、ジョージ・マーティンによる弦楽四重奏のアレンジが、この曲を一気に「世紀の名曲」にした…と思う。そういう意味では、この曲の真のVIPはマーティンなのだ。ジョンがポールの事を攻撃した曲「How Do You Sleep?」の中には、「君のやった事はYesterdayだけ」なんて一節もあるが、逆を言えばジョンもこの曲については文句がつけられなかったという事か?発表当時の'65年、アメリカでは1位を記録しているが、イギリスではシングル・カットされなかったというのも意外だなあ(その後'76年にシングル化)。ちなみに何ヶ月か前に「Yesterdayは1895年に作曲されたナポリ民謡のカバー曲」なんて新説が出たらしく、ちょっと話題になったみたいだ。つーかポール自身がコレを「夢の中で聴いた曲」であり「別の誰かの曲のメロディなんじゃないかと思って、みんなに聞かせて廻った」と当初から言ってるんだしねえ…いまさら「民謡のカバー」だのなんだの言われても、そんなの死ぬほどどうでもいいような気がするわ…以上、"いまさら"に始まり、"いまさら"で終わる本日の駄文でした※ポム・スフレのメイン・ホームページはこちら。
2006.12.10
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'84年の「ヤア!ブロードストリート」以降、音楽的にもセールス的にも不調だったポール・マッカートニーは、'87年の「Back On My Feet」を皮切りに、エルヴィス・コステロとの共同作業を開始する。その結果生まれた11曲は、各自のアルバムに数曲ずつ小出しにして発表された。エルヴィス・コステロの'89年の傑作「Spike」(写真)収録のナンバー「Veronica」は、ポールとコステロのコラボレーションの最良の成果のひとつである。わが国では某テレビ番組のテーマ曲としても有名なこの曲は、コステロにとっての代表的ヒット曲(全米19位)でもある。ポールとコステロの共作であり、時間にして3分9秒というコンパクトなポップ・ソングだが、その中に詰め込まれた密度はかなりのもの。サウンド的に特に激しいわけでもないが、演奏のビート感はとてもパンキッシュで、この辺はコステロのトンガリぶりを感じさせる。ポールの弾くベースの疾走感も最高にカッコイイ。Aメロはやや抑え気味だが、ブリッジでの燃え上がるような展開と、その後のホロリとくるメロディ(おそらくポールによるもの)がたまらない。ポールとコステロの持ち味が見事に溶け合った名曲だ。「(コステロは)自分の意見は通そうとするし、決して心は広くないし、自己中心的」というポールの言葉通り、共同作業時のコステロはポールに向かって、ズケズケと自分の意見を言ったらしいが、この「Veronica」やポールの同じ年のアルバム「Flowers In The Dirt」を聴く限りでは、それがポールに良い結果をもたらした事は否定できないだろう。それは、ビートルズにおけるジョンとポールの関係を連想させるものでもある。「エルビスとやっていると、ジョンとやっていたころを思い出すよ。彼はちょっとジョンのスタイルを持っているんだ。ジョンの影響を受けているに違いないよ。」----ポール・マッカートニーそれもコステロにしてみれば「ポールとのセッションについては、呼ばれたから行っただけ。特に感慨はない」(←ホントかよ…)そうだが、この曲にしてもポールとのコラボあってこその名曲であり、そういう意味ではコステロにとっても得たものは大きかったはずだ。ポールとの共作が、どれほど影響していたかは知らないが、この曲が収録されている「Spike」は、コステロのアルバムとしては最も聴きやすい1枚となっている。ポールのベースがブンブンうなる「…This Town」も最高!…って、コステロについて書くハズだったのに、ポール中心の文章になっちゃった…つーコトで、「Veronica」を聴くにはここをクリック!※ポム・スフレのホームページでは、エルヴィス・コステロのアルバム「Spike」について取り上げています!
2006.12.09
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ジョン・レノンの遺作となった'80年のアルバム「Double Fantasy」からの3rdシングルであるこの曲は、'81年に全米10位のヒットを記録している。対して、本国であるはずのイギリスでは最高30位と意外と振るわなかった。死に場所をニューヨークに選んだせいですかね?ジョンらしいメロディを持ったこの曲。原型は'78年頃に出来上がっていたらしく、その後改良を重ねた末、'80年8月~9月のセッションで完成されている。「アルバムからの3枚目のシングル」にふさわしい(?)、小粒なキャッチーさがとってもステキ。洗練された演奏とサウンドはAORスレスレだが、アダルトな雰囲気漂うジョンの歌声と温かみのある仕上がりには、「これでOK」と思わせる説得力がある。育児に専念していて5年間音楽活動を休止していたジョンに向けられた、世間からの「怠け者」呼ばわりに対するジョンからの返答の歌と言われているが、かつての攻撃的な反応とは違い、ここでのジョンの歌詞は実に大人の余裕を感じさせるもの。それでいて俗世間をあざ笑うかのような毒も失われていない所がカッチョいい。サビの部分の「僕はここに座って車輪がグルグル回るのを眺めている それが回るのを見てるのが好きなんだ 僕はもうメリーゴーランドには乗らないよ 勝手に回らせておけばいい」というフレーズは、仏教にも通じる無常観と達観を感じさせもするが、この時40歳になろうとしていたジョンは何を思っていたのだろう。バックの演奏では、車輪が無機的に動く音を連想させるアレンジがなされているのがニクい。正直なハナシ、ジョンがあの時銃弾に倒れる事なく、そのまま生きて作品を発表し続けていたとしても、ポップ・スターとして第一線でいられたかどうかは、かなりアヤしい気もするのだが、表現者としてまた別な形で僕らにメッセージを送ってくれたかもしれない、などと勝手に想像すると、やはり残念に思う今日は12月8日だったりする。つーコトで、ここをクリックして「Watching The Wheels」を聴こうか。僕がやってることは狂っている とみんなが言う破滅してしまわないように といろいろ警告してくれる僕が大丈夫だよと言うと みんな変な顔をして僕を見る君は嬉しくないに決まってるさ ゲームを降りてしまったんだから僕は人生の夢を追いかけてるだけの怠惰な奴 とみんなが言うもっと賢くなるようにと いろいろ忠告してくれるかつての全盛期が恋しくないのかい? もう楽しい時は来ないんだぞ僕はここに座って車輪がグルグル回るのを眺めているそれが回るのを見てるのが好きなんだ僕はもうメリーゴーランドには乗らないよ勝手に回らせておけばいい
2006.12.08
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トラヴェリング・ウィルベリーズ特集の最終日は、ディラン先生である。ウィルベリーズ・プロジェクトは、そのアルバムのみならず、各自のソロ・アルバムにも様々な繋がりを見せていったが、ディラン先生だけは孤高のスタンスを守り、誰のアルバムに参加するワケでもなく、また自分のアルバムのプロデュースをジェフ・リンに任せる事もなかった。ウィルベリーズ・プロジェクトの翌年('89年)に発表されたアルバム「Oh Mercy」は、'83年の「Infidels」と並んで、80年代ディランの作品としては最も好きな一枚だ。本作のプロデューサーに迎えられたのは、U2、ピーター・ガブリエルなどでおなじみのダニエル・ラノワ。録音はニューオリンズで行われた。80年代のディラン先生は、60・70年代に比べるともうひとつ精彩を欠くという感が否めなかったが、ここではラノアの存在がディラン先生を刺激したのか、かつてのような緊張感と鋭いソングライティングが復活している。ラノワのプロデュースも的確で、御大の良さを存分に生かしたアルバムが出来上がった。ソリッドな感触を持つ「Political World」、CCRっぽくもある「Everything Is Broken」、ジンワリとくる「Ring Them Bells」など、どれもいいが、個人的には6曲目の「Most Of The Time」がいちばん好きだ。ゆったりとした曲調と、「ディラン節」と言うにふさわしいメロディを持ったナンバーで、風格に満ちた御大のヴォーカルと、ラノワによる空間的な広がりを持った音作りがなかなかのマッチングを見せている。穏やかな中にもスケール感を感じさせる仕上がりは、ボブ・ディラン+U2の「ヨシュア・トゥリー」といった感じでもある。そういえばディラン先生はこの前年には、U2の「Rattle And Hum」にも参加しているなあ。アルバムは全米30位、全英6位と、そこそこのヒットを記録。ディラン先生の80年代を締めくくるにふさわしい快作となったのでした。ディラン先生の自伝である『ボブ・ディラン自伝(Chronicles: Volume One)』では、このアルバムについて書かれた章がある。まるまる一章分使って書かれている所を見ると、御大にとってもこれは思い入れが強いアルバムなのだろう。ダニエル・ラノワは、'97年の「Time Out Of Mind」でもプロデュースを担当している。つーコトで、「Most Of The Time」を聴くにはここをクリック!
2006.12.07
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特集~トラベリング・ウィルベリーズと愉快な仲間たち その4「驚異のスーパーグループ」と当時謳われた、トラベリング・ウィルベリーズのメンバーの中で、当時の僕が唯一名前を知らなかったアーティストがロイ・オービソンだった。「Oh! Pretty Woman」の人として、今ではおなじみのオービソンだが、この時は映画「プリティ・ウーマン」もまだ公開前。ビートルズと「ベストヒット USA」くらいしか眼中になかった中坊の僕がこの人を知るはずもなく、色白の顔にサングラスという姿とどこか神秘的な雰囲気を持つオービソンに不思議な印象を持ったものの、この人がエルヴィス・プレスリーから「世界一美しい声の持ち主」と言われたシンガーだなんて、その時は夢にも思わなかった。1936年4月23日、テキサス州に生まれたロイ・オービソンは1955年にシングル「ウービー・ドゥービー」でデビュー。1956年から1959年にかけてはこれといったヒットがなかったが、モニュメント・レコードに移籍してからはヒットを連発。「Only The Lonely」「Crying」「Running Scared」などの大ヒットを放ち、1964年にはビートルズ旋風のさなか、彼の代名詞的な名曲である「Oh! Pretty Woman」が全米No.1ヒットとなる。しかし、モニュメント・レコードを離れてMGMに移籍した60年代後半以降は活動が低迷。さらに事故や火災で妻子に先立たれるなど、不幸が続いた。70年代以降は、ロイの曲がリンダ・ロンシュタット、ヴァン・ヘイレン、ドン・マクリーンなどにカバーされてヒットもしたが、彼自身によるヒットは生まれなかった。だが、地道な活動を続けたオービソンは、デビューから32年後の1987年にロックの殿堂入りを果たす。同年に行われたステージではエルヴィス・コステロ、ブルース・スプリングスティーン、トム・ウェイツなどといった面々と共に演奏し、「ビッグ・オー」の貫禄を示した。そして'88年、ジェフ・リンのプロデュースで新しいアルバムの制作に入ったロイが、その途中で参加したプロジェクトがトラベリング・ウィルベリーズだった。ウィルベリーズのアルバムは当然の如くヒットを記録し、それと共にロイの歌声も改めて注目される事となった。だが同年12月6日、ロイは心臓発作のため急逝。52年の短い生涯に終止符を打った。長い不遇時代を経て、久々に第一線にカムバックする矢先の出来事だった。翌年の2月に発売されたロイの遺作「Mystery Girl」(写真)は、その悲しい話題も手伝って、全米5位、全英2位という大ヒットを記録。話題性でヒットした感は否めないが、アルバムはそんな事に関係ない素晴らしい内容となっている。ジェフ・リン、ジョージ・ハリスン、トム・ペティといったウィルベリーな面々に加えて、U2のボノとエッジ、エルヴィス・コステロ、アル・クーパー、アルバート・ハモンドといったアーティスト達がこぞってサポートしており、粒の揃った楽曲と、ロイの声を引き立たせるアレンジは、文句なしの仕上がり。ジェフ・リン、トム・ペティ、オービソンによる共作であり、アルバムのオープニング・ナンバーでもある「You Got It」は、全米9位、全英3位のヒットを記録。アコースティックを基調としたミディアム・テンポなナンバーで、オービソンのブルーな声にピッタリのポップ・ソングだ。サビの部分で飛び出すストリングスなんかは、いかにもジェフ・リンっぽいが、「BABY~♪」の後に出てくるギターのフレーズが「Oh! Pretty Woman」を思い起こさせるのが嬉しい。ジェフ・リン&トム・ペティによるナナナ・コーラスも泣かせるなあ。なお、この曲は後にボニーレイットもカバーしている。他の曲も聴きもの揃いだが、もの哀しい「In the Real World 」や、あまりにもロマンティックな「Love So Beautiful」などは、ロイの声と相俟って涙なしには聴けない曲だ。「声がいい」だけのシンガーならいくらでもいる。だけど、真に人の心を打つ声を持った人は、そうそういるもんじゃない。かつてブルース・スプリングスティーンは「誰もロイのようには歌えない」と言った。そしてその意味は、ロイの歌を聴けば誰もが理解できると思う。このアルバムでのロイの歌声は、それほどまでに美しく、そして哀しい。「You Got It」を聴くにはこちらをクリック!ついでに「Oh! Pretty Woman」もサービス!ここをクリック。
2006.12.06
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特集~トラヴェリング・ウィルベリーズと愉快な仲間たち その3トム・ペティ&ハートブレイカーズの文字通りのリーダーであるトム・ペティの初のソロアルバム「Full Moon Fever」(写真)が発売されたのは1989年の事。ジョージ・ハリスンの「クラウド・ナイン」をプロデュースしたジェフ・リンの手腕を高く評価したトムは、自分のアルバムのプロデュースもジェフに依頼。ジェフの快諾を得て、アルバムのセッションが開始。そして、さらにそこからトラベリング・ウィルベリーズのプロジェクトが生まれていく。アルバムが先に世に出たのはトラベリング・ウィルベリーズの方だが、録音が先に始まっていたのはこちらの方だった。こうした紆余曲折を経てアルバムが完成。結果的にトム・ペティ&ハートブレイカーズをもっとポップにしたような仕上がりとなったこのアルバムは、ウィルベリーズ効果もあって、全米アルバムチャート3位というヒット作となった。この「I Won't Back Down」はアルバムからの1stシングルで、全米12位を記録。演奏に参加しているのは、トムの他に、ジェフ・リン、ジョージ・ハリスン、そしてハートブレイカーズのギタリストであるマイク・キャンベル、というまさにウィルベリーズ+ハートブレイカーズという組み合わせ。トム・ペティとジェフ・リンの共作であるが、ジョージ・ハリスン風のスライド・ギターのフレーズとミドル・テンポの曲調は、イントロだけを聴いたらジョージの曲かと思ってしまう。しかもそのスライド・ギターを弾いてるのは、ジョージじゃなくてマイク・キャンベルという具合で、なんだかややこしい。なぜジョージじゃないのか謎だ。トム・ペティのヌメヌメした歌声と飄々とした演奏が印象的なこの曲。派手なキャッチーさを持つものではないが、なかなかに味わい深いナンバーで、サビの部分ではジョージやジェフのコーラスも加わって、それなりの盛り上がりを見せる。ほのかに漂うビートリーな香りが、ジェフ・リンのプロデュースを感じさせるなあ。サクッと終わるエンディングも、クールでよろしい。なお、この曲のPVでドラムを叩いているのはリンゴ・スターだが、実際にはリンゴはこの曲ではドラムを叩いていない。なんかインチキ臭えな~オイ(笑つーコトで「I Won't Back Down」のPVはここをクリック!男気溢れる歌詞もカッコいいなあ俺は引き下がらない 俺は引き下がらない地獄の門の前に立たされたとしても俺は引き下がらないしっかりこの足で立ってやる後ろを向かされたりするものかこの世界の言いなりになんてなるものかしっかりこの足で立ってやる/俺は引き下がらないヘイ・ベイビー、楽なやり方なんてないしっかりこの足で立ってやる俺は引き下がらない※ポム・スフレのホームページでは、トム・ペティの「Full Moon Fever」について取り上げています!
2006.12.05
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特集~トラヴェリング・ウィルベリーズと愉快な仲間たち その2今では「プロデューサー」としての印象が強いジェフ・リンは、70年代~80年代の前半にはELOの中心人物としてキャッチーなポップスを量産していた、イギリスが生んだ天才メロディーメイカーのひとりだった。80年代に入り、ジェフの独裁色がますます強くなったELOは、'84年頃にはいったん消滅状態となるが、なぜかブラック・サバスに加入していたベヴ・ベヴァンス(Dr)や、自分のバンドを組んでいたリチャード・ダンディ(Key)がジェフに呼び戻され、ELOは3人編成で再編される。そんなELO(というかジェフ)が'86年に発表したアルバム「Balance Of Power」(写真)からの1stシングルである「Calling America」は、僕にとってのELO初体験となった曲である。ELOというと「華麗でぶ厚いストリングス」というイメージがあるが、時は80年代サウンド全盛期。トレード・マークであったストリングス・サウンドはここでは影を潜め、エレクトロニクスなサウンドに変化しているが、それで貧弱になるどころか、むしろシェイプアップされた印象となり、「Calling America」は実に軽快なビート・ポップスに仕上がった。何よりもジェフのビートルズ直系といえるポップ・センスはここでも全く衰えておらず、起承転結のくっきりした曲作りや、サビの部分での広がるような快感を持つメロディやアレンジは見事。この曲は全米18位を記録し、ELO健在を示すヒットとなった。アルバム「Balance Of Power」は、他にも「Heaven Only Knows」「So Serious」「Getting To The Point」「Secret Lives」などのシングル向けのキャッチーな曲がズラリと並んだ傑作ポップ・アイテムとなっている。全体的な質感が軽い事もあり、見過ごされがちなアルバムだが、70年代の傑作群にも全くひけを取らない一枚だ。しかしこれほどのクオリティーにも関わらず、アルバムは思ったほどヒットせず、ELOは完全に活動停止。ジェフはプロデューサー業に精を出し、ELOとしてのアルバムは2001年の「Zoom」まで待たなければいけない(「ELO Part2は?」というツッコミはカンベンね)。ELOの名曲「Calling America」を聴くにはここをクリック!映像はアニメ「フルメタル・パニック」より(音いいのコレしかなかった…)。こちらはアルバムのCM映像。※ポム・スフレのホームページでは、ELOの名盤「A New World Record」について取り上げています!
2006.12.04
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特集~トラヴェリング・ウィルベリーズと愉快な仲間たち その11988年に突如現れた「謎の覆面バンド」、Traveling Wilburysの顔ぶれを見た時には、ロック・ファンなら一瞬「…え?」と思ったに違いない。ウィルベリー兄弟とその従兄弟というメンバーからなるこのバンド、その正体はジョージ・ハリスン、ボブ・ディラン、ジェフ・リン(=ELO)、トム・ペティ、ロイ・オービソンという顔ぶれで結成されたユニットだった。誰一人とってもビッグ・アーティスト(ロイ・オービソンだけは当時「過去の人」だったが)と言える人達が、ひとつのバンドの中で一緒に歌っているのだから、これには誰もが驚いた。ジェフ・リンがプロデュースした、ジョージの1987年のソロアルバム「クラウド・ナイン」のセッションをきっかけに、どんどん話が発展していった結果生まれたプロジェクトらしいが、このアルバムのプロデュースもジェフとジョージが担当している。当時、それぞれの所属するレコード会社が異なる為、メンバーの本名を明かさず「謎の覆面バンド」としてアルバムを発表したというが、このジャケットにこの内容…名前を隠した意味があまりない、というか全く覆面になってないんだが…それにしても、この5人が集まって作ったアルバムとなれば、「世紀の大傑作!」と呼ぶにふさわしいものを想像してしまうが、全然そうはなっていないトコロがミソ。と、いっても駄作なんて事があるはずもなく、これが実に「肩の力の抜けた佳作」と言うべき仕上がりになっているのだ。いかにも「遊びで一枚作ろうぜ」みたいなリラックス&和気あいあいとした雰囲気が印象的で、いい意味でのざっくばらんな作りもチャーミングこのアルバム「Volume One」の楽曲のクレジットは全て「Traveling Wilburys」で統一されているが、いずれも誰がメインになって作った曲か1秒で分かるといった具合。まあこのメンツじゃ個性強すぎだよねこの「Handle With Care」はアルバムからの1stシングルで、ジョージの作品。元々はジョージのシングルのカップリングとして予定されていた曲なのだが、ジョージらしい中庸さがソソるポップ・ナンバーだ。サウンドもまんまクラウド・ナインしており、結果的にジョージのソロ曲の録音に、ディラン、ペティ、オービソンらが「お友達ノリ」でヴォーカル参加しましたってな感じになってるのが微笑ましい。それでもディラン先生の歌声が割り込んでくるときの違和感(いい意味での)は強烈だなあ。この曲のレコーディングが予想以上にいい感じだったので、グループとしての本格的なアルバム制作が決まったとも言われている。「Handle With Care」のPVはここをクリック!この5人がガン首並べてギター弾く姿だけでも、胸がトキメクってものさ。ツアーも予定されていたというが、この直後のロイ・オービソンの逝去により、計画が暗礁に乗り上げてしまったのは残念。もっとも実現していたら、それはそれで大変な事になっていただろうが(笑なお、現在では色々な意味で再発が難しいであろうこのアルバム。中古屋では不等に高い値段が付けられているようだが、いいアルバムには違いないものの、大枚ハタいて手に入れる程のシロモノではないのでダマされないように(笑
2006.12.03
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最近ソフトバンクのCMで、バリー・マニロウで有名な「コパカバーナ(Copacabana)」が使われとる。お若い方に「ナニこれ~?マツケン・サンバのパクリ~?」とか言われないためにも(?)、今日はこのオッサンについて書いてみる。バリー・マニロウは70年代に人気のあったポップ・シンガーで…と書こうと思ったら、今も人気あんじゃねえかよ!!2002年に出したベストアルバムはビルボード・アルバムチャートでトップ10入りしてるし、その上今年になって出した、オールディーズのカバーアルバム「The Greatest Songs Of The Fifties」は、なんとチャートの1位を記録。続編の「The Greatest Songs Of The Sixties」もトップ10入りしてるし。タワレコがツブれるような向こうの音楽市場で、なぜ今もこの人がそんなに売れるのかさっぱりワカランオジサンオバサンが買いまくっとんか~。まあそれでも、この人の真の意味での全盛期は70年代という事で異論はあるまい。'75年1月の全米No.1ヒット「Mandy(哀しみのマンデイ)」を皮切りに、70年代後半には16曲のTOP40ヒット(そのうちの10曲がトップ10ヒット)を飛ばしたバリー・マニロウだが、その中にはブルース・ジョンストンの名曲を暑苦しいアレンジで歌った「I Write The Songs(歌の贈りもの)」(全米1位)なんかもあったりする。この人のエンターテイナーな歌声とわざとらしい楽曲、アレンジは、聴いてると胃もたれする事も多く、あまり頻繁に聴く気にはなれないのだが、名曲が多い事には違いない。この「Can't Smile Without You(涙色の微笑み)」は1978年のヒット曲で、全米3位を記録。イントロの口笛とピアノの音色からして、思わずこちらも笑みがこぼれそうな名曲だ。ポップスとバラードの中間のようなナンバーで、ストリングス前面に出した「いかにも」なアレンジは、この人のいつものパターンだが、心温まるメロディとバリーの人柄が滲み出る歌声には、やはり癒される。後半でさりげなくハンドクラッピングが入ってくる盛り上げ方なんか好きだなあ。ちなみにこの曲、元々はカーペンターズのアルバム「A Kind Of Hush」に入っていたものだが、プロデューサーでもあったリチャード・カーペンターは、バリーのこのバージョンを聴いて「負けた~!」と思ったそうだ。この曲や「コパカバーナ(Copacabana)」を収録した1978年のアルバム「Even Now」(写真)は、グラミーのアルバム・オブ・イヤーも受賞した、バリーの代表作だ。疲れた時にはこの曲を聴いてジーンとするのも良し。コパカバーナを聴いてノリノリになるのも良し。「Can't Smile Without You」を聴くにはここをクリック!来年はひょっとしてマニロウ・ブームだ!(←ヘンな日本語)
2006.12.02
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テレビの「ウルトラマン」シリーズや映画「帝都物語」で知られる映画監督の実相寺昭雄さんが29日午後11時45分、胃がんのため東京都文京区の病院で死去した。 69歳。東京都出身。葬儀・告別式は12月2日午前10時半から文京区湯島4ノ1ノ8、麟祥院で。喪主は妻で女優の知佐子さん。 ------2006/11/30 共同通信今日は珍しく書きたいネタが浮かばないと思っていたら、こんなニュースが飛び込んできた。特撮オタとして、昭和ウルトラシリーズを愛する者として、これも神の思し召しだと思い、今日は奇才・実相寺昭雄について書いてみよう。音楽とは全く関係ないハナシになるけどカンベンね。なお、実相寺監督の詳しい経歴や、作品のディスコグラフィーに関しては他のサイトに譲るとして、ここでは実相寺作品についての極私的な印象を思いつくままに書いていく事にする。ニュースが流れたのは11月30日の早朝。みのもんたの朝ズバで取り上げられたのをはじめとして、テレビやラジオなんかでも訃報が流れたらしい。夕刊を見たら、思ったよりも大きく取り上げられていたので、ちょっと意外な気持ちになった。いくらメトロン星人がパチンコのCMになったからといって、実相寺監督の名前なんて円谷オタか映画マニアの人くらいしか知らないと思ってたんだが、実際の所どうなんだろう?僕は小さい頃、田舎の小さな映画館でウルトラマン(初代)の映画版を見に連れて行ってもらった覚えがある。それが実相寺昭雄演出の話をまとめた編集版であった事を知るのは、だいぶ後になってからなのだが、その時は"自分の見たかったウルトラマン"とは微妙に違うとは思いながらも、「なんだかオモシロかった」と思った記憶がある。伝説の"カレースプーンで変身"が出てくるのは、この中のスカイドンの話だが、他にもスカイドンが踊りながら走るシーンのテンポ感や、写植の文字が唐突に挿入される演出(エヴァンゲリオンの先取り?)のシュールなインパクトも見逃せない。当時からこんなのを作るこの人は、やっぱりイカレてる。ジャミラやシーボーズの話は切なかったなあそしてウルトラセブンだ。有名なメトロン星人の話「狙われた街」を小さい頃に見た時は、「何が面白いんだかよくわからん」といった印象だったが、オトナになってからそれを再見すると、例の有名なシーンは言うに及ばず、そのカット割りや光と影のコントラスト、音楽の使い方などが異様なインパクトを持っている事に気付かされる。真面目にやってたのか、ナメてかかっていたのかは知らないが、どちらにしろヘンタイぶりが滲み出ている事には違いない。それでも「セットの安っぽさを隠すための苦肉の策」だったという、夕陽をバックにした戦闘シーンは、結果的に美しい名場面となった。傑作というのは、偶然の産物だったりするものだ。他にも、ゴダールの「アルファヴィル」を下敷にしたと思しき「第四惑星の悪夢」や、ストーリー部分には味があるものの、いちばん肝心なはずの戦闘シーンが視聴者(子供)をバカにしてるとしか思えないような作りだった「円盤が来た」の演出もこの人だ。それらの作品は面白い事には違いないが、それはウルトラシリーズとしてはあくまで「異端」的な面白さであって、この人を語る際に「ウルトラマンの監督」という言い方をすぐに持ってくるのは、どうもフに落ちない気がする。この人を評するなら「ウルトラシリーズも手掛けた奇才監督」ってトコじゃないスかね?まあ、この人の作品で一般的に知られているものといったらウルトラシリーズと「帝都物語」(「姑穫鳥の夏」もそうか?)くらいだからしょうがないか。それにしても伝説の円谷封印作品、ウルトラセブン12話(遊星より愛をこめて)を手掛けたのもこの人、という所に実相寺氏の映像クリエイターとしての宿命みたいなものを感じるなあ…それも今じゃネットで簡単に見られるけど、いいかげんこの機会に解禁しません?円谷プロさん。円谷と言えば「怪奇大作戦」での、この人が演出した回「京都買います」も良かったなあ。ちなみに、この人がATGで撮った映画「曼荼羅」は、岸田森、小林昭二、桜井浩子(=フジ隊員)など、円谷ファンにはおなじみの面々が出演しているが、作品としては「前衛崩れのポルノ映画」といった感じのシロモノで、桜井浩子の乳がオガめる、という点を除けば結構見るのが苦痛だったような気がする。篠田三郎と東野栄心という"ウルトラマンタロウ・コンビ"が出演した「哥」は寝た。はっきり言って寝た。アレを見て寝るなというのは不可能だ。「寝たらフレディが来るぞ」と言われても、アレを見て寝るなというのは不可能だ。にっかつロマンポルノとして撮った「悪徳の栄え」や、江戸川乱歩原作の「D坂の殺人事件」なんかは結構良かった気がする。もちろん、どっちも暗くて変態だが。あまりこの人を「名監督」みたいな言い方で持ち上げるのは過大評価な気もするが、やはり忘れられない演出家であった事には違いない。僕が最後に見た実相寺作品はウルトラマン・マックスの「狙われない街」だった。上のメトロン星人の姿と共に、愛すべき変人監督の冥福を祈りたい。なお、実相寺氏が亡くなるわずか2日前に、「ウルトラQ」「ウルトラマン」の音楽を手掛けた宮内国朗氏も亡くなっている。訃報が入ってきたのは、同じ11月30日。「昭和円谷の終わり」を改めて強く感じさせられる一日となった。最後にウルトラセブンの「狙われた街」の最後のセリフ(ナレーション)を引用して、この拙文を締め括りたいと思う。メトロン星人の地球侵略計画はこうして終わったのです。人間同士の信頼感を利用するとは恐るべき宇宙人です。でもご安心下さい、このお話は遠い遠い未来の物語なのです。え?何故って? 我々人類は今、宇宙人に狙われる程お互いを信頼してはいませんから。
2006.12.01
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