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当時11歳だったマイケル・ジャクソンをフロントに据えて1969年にデビューしたJackson 5。たった一年(1970年)の間に四曲もの全米No.1ヒットを出し、70年代前半を風靡した彼らは、1975年にレコード会社をモータウンからエピックに移籍。名前もJacksonsに変えて、再出発する事になった。アイドル的な側面も強かったジャクソン5からより本格的なアーティストへのステップ・アップを試みた彼らは、三枚目のアルバム「Destiny」(1978年)では作詞・作曲のみならず、プロデュースまで自分達でこなした。この「Blame It On The Boogie(今夜はブギーナイト)」は、アルバムのトップを飾るナンバーで、'70sディスコ・クラシックスと言っていい名曲。「Off The Wall」~「Thriller」期のマイケルにも通じるダンサブルな曲だが、この頃はマイケル個人に対する人気が、まださほど加熱しておらず、そのせいもあってか、実に初々しい躍動感に満ちている。ノリのいいイントロ、効果的に挿入されるハンド・クラッピング、そのグルーヴ感とキャッチーなメロディ。そしてマイケルの歌声に漂うマジカルなオーラは、後の大ブレイクを充分に予感させる。全米54位と、思いの他ヒットはしなかったが、マイケルのNo.1ヒット「Don't Stop Til' You Get Enough」と並べても遜色ない出来であり、マイケルのキャリアを語る上で欠かせない一曲である。「ホウ~!」「ヒイッヒイッヒイッ~」などのマイコー唱法も、この頃からしっかりと確立している(笑。ソウル(魂)を自ら抜いてしまった大物歌手としてのマイケルよりも、この頃から「Off The Wall」あたりまでのマイケルの方が輝いていたと僕は思う。「マイケル=変人」というイメージが定着してしまった今こそ、多くの人に聴いてほしい曲だ。つーコトでよい子のみんなはここをクリック!アフロ頭のマイケル…ヒイッヒイッヒイッ~なお"アメリカ人が選ぶキング・オブ・バカ"というアンケートでは、マイコーが4年連続第一位に輝いたとか…(ソースはここ)アニメ「サウスパーク」でもネタにされるマイケル…ヒデエな…コレ…ヒイッヒイッヒイッ~
2006.09.30
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ロック史上最も偉大なバンドであるLed Zeppelinの音楽の歴史は、ビートルズがそうであったように、実験と成果の繰り返しだった。よく「ハード・ロック」と簡単にカテゴライズされがちなZepだが、その本質はロック、ブルース、フォーク、ファンク…など、様々な要素を内包したミクスチャー音楽だった。そんな彼らの音楽を語る上で、見逃せないもののひとつが東洋音楽嗜好である。Zepの'69年のデビューアルバムにはバート・ヤンシュの「Black Water Side」をインド風に盗用改作した「Black Mountain Side」が収められていた。インドやモロッコに何度も訪れているジミー・ペイジ先生は、ブルガリアの民謡が好きだという発言もしている。また、彼らの音楽の特徴のひとつである変則的なリズム構造は、民族音楽の影響と考える事もできる。そんな彼らの東洋嗜好の集大成であり、後期Led Zeppelinの最高傑作といえるのが、1975年のアルバム「Physical Graffiti」(写真)収録のナンバーである「Kashmir」だ。その緊張感溢れるイントロからして耳を奪われるこの曲は、ジミー先生がヤードバーズ時代に演奏していた曲「White Summer」を発展させたもので、多重録音されたジミー先生の変則チューニングギター、ジョン・ポール・ジョーンズが弾くオーケストラ風シンセサイザーによるスケールの大きなサウンドが聴きもの。東洋風の音階を使ったメロディが実にドラマティック。8分20秒という大作ながら最後まで全く飽きさせる事のないテンションは圧巻。歌詞も瞑想的で、テーマ・リフが延々と繰り返される曲構成は、トランス的な陶酔感をも感じさせる。メンバー自身「最も気に入っている」と発言している曲であり、「Whole Lotta Love」「Stairway To Heaven」「Song Remains The Same」と並ぶLed Zeppelinクラシックスだ。後にパフ・ダディがこの「Kashmir」のトラックに工夫のないラップを乗せて、「Come With Me」として発表。ジミー先生も参加したその曲は、ハリウッド版「ゴジラ」('98年)のサントラに使われた。ハッキリ言ってダチャいシロモノだったが、そこがかえって、ゴジラという名前のオオトカゲが走り回る映画そのものとマッチしているような気がした(笑つーコトで、Led Zeppelinの名曲「Kashmir」聴くにはここをクリック!
2006.09.28
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「ニルヴァーナmeetsビリー・ジョエル」というキャッチ・コピーで'95年に華々しくデビューしたBen Folds Five(以下BF5)は、名曲「Philosophy」に代表されるようなポップ&パンキッシュな音楽と演奏で人気を集めたギターレス・トリオだった。BF5は2000年に解散。その翌年の2001年に、中心人物であったベン・フォールズが発表した1stソロ・アルバムが「Rockin' The Suburbs」(写真)で、この「Still Fighting It」はその中でも白眉と言える一曲。「Good Morning Son…」という歌いだしで始まるこの曲は、幼い息子に語りかける父親の心情を歌ったもので、ポール・マッカートニーを思わせる美しいメロディが胸を打つ珠玉のバラードだ。ここで聴けるベンの歌と演奏は、落ち着きの中にも豊かな表現力を感じさせ、曲全体を包む穏やかさは、家庭を持ち、人間としてひと回り成長したベンの姿を伺わせる。弾き語りによる静かな導入部から、ゆるやかに盛り上がる展開も見事。BF5時代のような華やかさはないものの、ピュアな感性はそのままに、成熟した味わいと美しさを感じさせてくれる素晴らしい曲だ。「Rockin' The Suburbs」はこの曲の他にも、「Annie Waits」「Zak And Sara」「Fred Jones Part 2」などの佳曲が満載。ベンのメロディ・メイカーとしての才能とピアノマンとしての腕前が遺憾なく発揮された傑作だ。ベン・フォールは今年(2006年)で40歳。今年に入ってからの活動としては、映画「森のリトルギャング」のサントラに曲を提供。同年7月には、ウドー主催のロック・フェスティバル参加の為に来日もしている。ベン・フォールズの名曲「Still Fighting It」聴くにはここをクリック!PVも泣けるなあ…※ポム・スフレのホームページでは、Ben Foldsのアルバムについて取り上げています!
2006.09.27
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パンク~ニューウェイヴの真っ只中である'77~80年のイギリスにおいて、ポップなメロディを武器にヒット曲を連発した名バンドがThe Motorsだ。モーターズは、パブ・ロックの名バンド、Duck Deluxe(ダックス・デラックス)のメンバーだった Nick Garvey(ニック・ガーヴェイ:g)と Andy McMaster(アンディ・マックマスター:keyb)の二人が中心となって結成されたバンド。パンクにも通じる力強い演奏とポップな楽曲を特徴とした彼らの音楽性は、当時「パワーポップ」と呼ばれ、あのキース・リチャーズもお気に入りだったとも言われている。モーターズの2ndアルバム「Approved By The Motors」(写真)に収録の「Forget About You」は、「Dancing The Night Away」「Airport」と並ぶ、彼らの代表曲というべき極上のナンバー。胸躍るイントロと弾けるようなホーン・サウンド。ビートルズを思わせるコーラス・ワーク。ベテランのならではの余裕を感じさせながらも熱さに満ちた演奏。そして、聴く者の心を高揚させるキャッチーなメロディは「これぞパワーポップ!」というべき傑作。ニック・ガーヴェイのガッツ溢れるボーカルも最高!その活動期間は短く、残したアルバムも三枚だけだが、彼らの残した音楽は今も輝きを失っていない。ウキウキするようなメロディとビート。そんな音楽に出会う事がめっきり少なくなってしまった今日この頃だが、モーターズの音楽は今も聴く度に新鮮な感動を与えてくれる。つーコトで、モーターズの名曲「Forget About You」を聴くならここをクリック!※ポム・スフレのホームページではThe Motorsの名盤「Approved By The Motors」について取り上げています!
2006.09.26
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「デ~ン、デデデデデーデデ~ン…♪」というギターのフレーズがトレード・マークのこの曲は、ジョン作のロック・ナンバーで、1965年に12月に「We Can Work It Out」との両A面シングルとして発売された。「Rubber Soul」セッションでレコーディングされた曲だが、シングルのみの発売で、アルバムには未収録。事実上のB面扱いながら全米5位・全英1位を記録しており、現在では「Past Masters Vol.2」ほか、「The Beatles 1」にも収録されている。作者のジョンによるとドラッグについての歌らしく、一般的に「彼女は日帰り旅行者だった…」と訳されているサビのフレーズは、「真昼間からトリップしてるヤツ」というダブル・ミーニングらしい。低音を生かしたシンプルなリフを中心とした構成は、「メロディよりもリフで勝負」といった曲の典型であり、グイグイ押していくような演奏のドライヴ感がカッコいい。R&Bのフィーリングを感じさせるブルージーな歌メロといい、ローリング・ストーンズがやってもおかしくない曲だが、こういうのをやってもビシッと決まる所がこのグループの奥の深さである。ジョンの作品ではあるものの、終始ユニゾンで歌われるジョンとポールのツイン・ボーカルはとてもインパクトが強く、二人の共作であるかのような印象を受ける。間奏でのタイトなコーラス・ワークとペランペランなギターソロにも萌え当時の無茶なスケジュールと闘いながらシングル曲を作らなくてはいけない状況の中で、「無理矢理にこじつけて作った曲」だそうだが、"こじつけ"でこんな曲が出来てしまうんだから結構なハナシだ(笑1966年の日本公演でも演奏されたこの曲は、ビートルズを代表するロック・ナンバーのひとつだが、1966年8月のツアーを最後に、以後のソロ活動でもライヴ演奏される事がなかったのが残念無念!ジミ・ヘンドリックス、オーティス・レディング、チープ・トリック、ホワイトスネイクからYMO…etcまで、様々なジャンルのアーティスト達にカバーされているのも面白い。個人的には、ジミ・ヘンドリックスのスタジオ・ライヴ・アルバム「Radio One」収録のバージョンが萌える。ちなみに、中坊時代の僕は「We Can Work It Out」と「Day Tripper」を、アルバム「Rubber Soul」の全曲と一緒に一本のカセットに落として聴いていたため、Day Tripperは「ラバーソウルの中の曲」というのが僕の中のイメージだ。上の写真に「Rubber Soul」が使われているのはそのためである(笑※ポム・スフレのホームページでは、自作曲の公開の他に、独自の名盤レビューやビートルズ・レビューを行っています!
2006.09.24
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ホイットニー・ヒューストンとボビー・ブラウンがやっととうとう離婚しましたね…って、今の若い人はボビー・ブラウンなんて知らないだろうなあ…つーか、ホイットニー・ヒューストンは知ってるよね?(ドキドキ…こんな機会でもなけりゃあ、ボビー・ブラウンについて書く事なんて永遠にないだろうから、今日は予定を変更してボビ男について語ってみる。80年代に人気を博したポップ・ソウル・グループ、ニュー・エディションのメンバーだったボビー・ブラウンは、'87年にソロ・デビュー。そして翌年、ボビーがまだ19歳の時に発表した2ndソロ「Don't Be Cruel」(写真)で大ブレイクを果たす。アルバムは発売当時、出足は地味だったものの、ジワジワと売り上げを伸ばし、ついには全米1位を記録。最終的には、全米だけで800万枚というセールスを記録し、本作からは5つのトップ5ヒット(うち4つはトップ3)が生まれた。当時は「マイケル・ジャクソン、プリンスに次ぐニュー・スター」とか「ブラック界の明日を担う男」とか言われていたんだよなあ。中学生だった僕も、レンタルしたアルバムをカセットテープに落として、聴きまくっていたものさボビーかっこよかったんだぜ…この頃は…(遠い目当時はボビーのファションをマネする人も出てきて、「ボビ男」なんて言葉もあったくらいだ。今でいうなら、アッシャーくらいの人気はあったんだぜ…たぶん…'92年にはホイットニー・ヒューストンと電撃結婚を果たし、まさしく輝かしい未来が待ってるように思えたボビーだが、なぜか結婚した途端一気にツキに見放され、人気は急降下。スキャンダルのせいもあって、以後の彼のキャリアは転落していく一方だった。そして今じゃブック・オフの叩き売りコーナーの常連…ハァ…(ため息それでも僕は、今でもボビ男やこのアルバムが好きなのさ当時の売れっ子だったLA&ベビーフェイス、ジーン・グリフィンといった一流どころをプロデューサーに迎えた本作は、ニュー・ジャック・スウィングと呼ばれた当時最先端のファンク・ビートに、ボビーの弾けるような若さがピタリとハマッた内容で、クール&キャッチーなファンクから哀愁あるバラードまで全9曲、一気に聴かせてくれる傑作。この「Every Little Step」は全米2位を記録した、ダンサブルな一曲。"ソウル"を感じさせないアクの消えたボーカル、線の細いラップ、そして親しみやすいメロディ。ちょい薄っぺらな部分も含めて、カッコいいダンス・ミュージックだぜい。若い人にも聴いてほすぃなあつーコトでここをクリック!この髪型、この雰囲気、このダンス…ボビ男だなあ…
2006.09.23
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考えてみれば「Nevermind」(写真)が発表されてからもう15年も経つんだなあ…僕の中ではついこの間のコトのように思えるニルヴァーナも、今やすっかり歴史の一部有名になりすぎた弊害ゆえか、「未だにニルヴァーナが好き、とか言ってるヤツは単なるミーハーか洋楽初心者」とかいう評価も出る始末。え~、どうせワタシはミーハーですよ。洋楽初心者ですよ\(´ー`)/ほっといてよ、プンプン!ま、そーゆーコトで。このアルバムの冒頭を飾る「Smells Like Teen Spirit」は、シングルとしてもトップ10ヒットを記録した、ニルヴァーナの代名詞的なナンバーで、ローリング・ストーン誌の企画「ロック史上の偉大な曲500」でもトップ10に入っている曲である。ボストンの「More Than Feeling」からヒントを得たギターリフ(ピクシーズの曲からの引用という説もある)。病的な吸引力を持つカート・コバーンのボーカル。4つのコードからなるシンプルな楽曲と緊張感溢れるギター・サウンド。何気にキャッチーなベース・ライン。デイヴ・クロールが叩くはちきれんばかりのドラム。そして、ストゥージズやメルヴィンズ、バットホール・サーファーズなどのガレージなロックに憧憬を表す一方で、ビートルズ、アバやボストンなどのポップスも大好きだったというカート・コバーンのセンスが凝縮された曲作り。万人の耳を惹きつけるポップさを持ちながらも、決して甘くなりすぎない、そのメロディのバランス感覚は絶妙だ。インディからメジャーへの移籍に伴って起こるマジック。「大衆性」に針が向いたカートのソング・ライティング。デイヴ・クロールの加入による、バンド・サウンドの飛躍的な向上。「ジェネレーションX」と呼ばれる世代が抱える鬱屈感とのシンクロ。USインディ・シーンへの関心の高まり。…などなど、いくつもの要素はあったが、このアルバムが大ブレイクした最大の理由は、やはりカートの歌声が放つオーラと楽曲そのものの良さだと思う。「音楽的に特別新しい事をやっていたわけではない」「メジャーに行った事で音がキレイにまとめられてしまった」という指摘は当時からあり、それも当たっているが、それでもこのアルバムが当時のシーンに与えた衝撃は大きかったし、90年代以降のロックに与えた影響が絶大だった事も疑いのない事実なのだ。成功によるプレッシャーから、ドラッグに溺れ精神的にも追い詰められたカート・コバーンは、'94年に猟銃自殺(他殺説も強く囁かれている)をしてしまう。そのあまりにも悲劇的な(出来すぎた?)結末によって、バンドも音楽自体も過大評価されてしまった感は否めないが、やはり本作が名盤である事は今も変わらない事実だと思う。もしカートがあのまま生きていたら…なんてムダなコトを考える気はさらさらないが、この作品をリアルタイムで体験できた僕は、ロック・ファンとしてはちょっとばかし幸せだったかもしれない。皮肉に満ちたこのジャケット…オレの青春だなあ…つーコトでここをクリックして、オレと一緒に「Smells Like Teen Spirit」を聴こうぜ!Hello, hello, hello, how low?
2006.09.21
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ブリティッシュ・ロックの大御所、フリートウッド・マックは、'75年のリンジー・バッキンガムとスティーヴィー・ニックスの加入を機にポップ・バンドとして一気に開花し、70年代を代表するメガヒット・アルバム『Rumour』を発表する……というのは洋楽にちょっと詳しい人なら誰もが知っていることだろう。だが、そこに至るまでの過渡期と言われる時期の作品にも実はシブい名盤が多い。ボブ・ウェルチは、その時期にあたる'71~'74年に在籍したアメリカ人シンガーであり、ポップ・バンドとしてのフリートウッド・マックの土台を作った男である。'74年にマックを脱退したウェルチは、新バンドParisを結成するも鳴かず飛ばず。だが1977年、マックのメンバーの全面協力を得て作り上げたソロ作が予想を越えた大ヒットを記録する。それが1stアルバム『French Kiss』(写真)と、そこからのシングル「Sentimental Lady」である。イントロのチェンバロの響きからしてグッとくるこの曲は、'72年のマックのアルバム『Bare Trees』に入っていたウェルチ作の曲をリメイクしたもので、アレンジはリンジー・バッキンガムが担当。レコーディングにもリンジー・バッキンガム、クリスティー・マクヴィー、ミック・フリートウッドらが参加した。タイトル通りのセンチメンタルなメロディとウェルチの線の細いボーカルが印象的な、美しいポップ・ナンバーに仕上がっている。繊細なサウンド、リンジー・バッキンガムやクリスティン・マクヴィーのコーラスも甘く切ない。この曲は最終的に全米8位まで上昇。ウェルチのポップ・センスに、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったマックのメンバーの神通力が加わる事によって生まれたヒットだった。『Bare Trees』収録のオリジナル・バージョンも素晴らしいので、ふたつを聴き比べてみるのも面白いかも。アルバム「French Kiss」は、この曲以外にも、もうひとつのヒット曲「Ebony Eyes」をはじめ、全篇キャッチーな名曲揃い。このルックスでバカ売れしたという事実が、その音楽の質の高さを物語っている(笑つーコトで「Sentimental Lady」を聴くにはここをクリック!※ポム・スフレのホーム・ページでは、ボブ・ウェルチのアルバムについて取り上げています!
2006.09.20
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ブログを始めて一年以上にもなるのに、まだ一度も取り上げてないグレイトなアーティストがたくさんおるそ~いえば、ビリー・ジョエルもその一人だった。い~機会だからjunktionさんに釣られて、ワシもここいらで一曲。フツーならここで「Piano Man」とか「Just The Way You Are」とか「Honesty」とか「My Life」なんかが出てくるトコだが、ムフフな性格のワシはこんな曲を取り上げてみる。この「We Didn't Start The Fire(ハートにファイア)」は、アルバム「Storm Front」(写真)に収録のナンバーで、1989年に全米1位、年間チャートでも10位を記録した、実はビリーの代表曲のひとつである。このアルバムを制作するにあたって、「Stranger」('77年)以来の付き合いであったフィル・ラモーンと分かれたビリーが共同プロデューサーに迎えたのは、なんとフォリナーのミック・ジョーンズ。ミック・ジョーンズは同じ時期に初のソロ・アルバムを発表しており、ビリーはそのアルバムにも参加しているが、両者の接点がどこから出てきたのかは、よく分からない。ミック・ジョーンズの影響ゆえか「We Didn't Start The Fire」は、ビリーとしてはかなりハードな感触を持つロックン・ロールに仕上がっており、そのパーカッシヴなイントロからしてグイグイ引き込まれる。そのドライヴ感溢れる演奏と、サビで一気に爆発するキャッチーなメロディーがエラくかっこいい、タイトル通りのハートにファイヤーな一曲。ビリーの生まれた年である1949年からこの曲が発表される1989年までに起こった様々な事件や著名人の名前を、次々と羅列した歌詞もユニークなもので、キチンと読んでいくと結構歴史のお勉強になったりもする。この曲の文字通り燃えているPVはここをクリック!「甘いポップ・シンガー」「バラードが得意なピアノマン」というイメージを、この曲でひと蹴りしたビリーの姿は、ポール・マッカートニーとカブったりもするが、この曲のアグレッシヴな演奏もポール(ウィングス)の名曲「Live And Let Die」を連想させない事もない。ビリーは、この2年前にあたる1987年のライヴ・アルバムでは、ビートルズの「Back In The U.S.S.R.」もカバーしている。この4年後の'93年に「River Of Dreams」というなーんかパッとしないアルバム(私見です)を発表した後、ビリーは現役アーティストとしての引退をほのめかす発言をする。以後、エルトン・ジョンとのジョイント・ツアーを行ったり、ライヴ・アルバムの発表はあったものの、ポップ・アーティストとしてのオリジナル作品は現在に至るまで発表されていない。21世紀に入ってからのビリーはクラシックの分野にも進出。さらにビリーの楽曲を基にしたミュージカル「Movin' Out」が制作され、2006年には日本でも上演された。今年の5月には博士号まで貰ったビリーだが、11月には8年振りとなる10度目の来日公演が予定されている。※ポム・スフレのホーム・ページでは、ビリー・ジョエルの名盤「Turnstiles」について取り上げています!
2006.09.19
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※前回からの続き映画「Let It Be」の中での最大の見所といったら、後半30分を占める「ルーフ・トップ・セッション」である。「Get Back」セッションも大詰めにかかる1969年1月30日、アップル社の屋上でのライヴである。ビートルズにとって、人前での演奏は'66年にライヴ活動を停止して以来のもので、同時にグループとしてのライヴ演奏はこれが最後となった。ただし、同じ曲を2テイク以上演奏しているものもあり、これはあくまでレコーディング・セッションのひとつとして捉えられていたようだ。その中のひとつが、後期ビートルズの隠れた名曲である「I've Got A Feeling」(ここをクリック!)だ。ゆったりとしたギターのアルペジオがなんとも印象的なこの曲は、二人が別々に作った曲をつなぎ合わせたものだが、曲の終盤では、ジョンの作ったパートとポールの作ったパートの、それぞれ違うメロディが同時進行で歌われるという変わった形式(対位法?)をとっており、違和感があるようなないような、独特の感触を持った仕上がりだ。ルーズに流れるような曲調で、曲全体を包むまったり感が気持ちよく、力の入ったシャウトを聴かせるポールと、程よく力の抜けたジョンのボーカルの対比も面白い。所々に挿入される、「いい若者達だったがなあ、解散するんだって?」 「あれ、新曲?いいねぇ」 「仕事疲れも吹っ飛ぶわ」「うるさくてかなわない。非常識よ、こんな場所で!」…などなどの一般人のコメントが興味深い。ここでの演奏は、そのままアルバム「Let It Be」に収録された。そして、このセッションでのもうひとつの見所が「Get Back」の演奏である。ここではその1とその2の二つの映像を見てもらう。この日の演奏の際には、警官隊が出動し、アップル社のビルにまで踏み込んでいる。その模様は、上の映像その1で見れるが、オフィス街の中にあるビルの屋上で、しかも昼休み時に、いきなりビートルズが演奏を始めれば、騒ぎになるのは当然。これは警察の反応を見越しての、確信犯だったと思われる。映像その2は完奏バージョンだが、警官隊の突入にビビッたマル・エヴァンス(エンジニア)がギターのアンプのスイッチを切ってしまい、それに気づかず、音が出ない状況に戸惑ってるジョンとジョージ。それに対して、演奏を止めようとしないポールのカッコ良さ。飄々とオルガンを弾くビリー・プレストンもエエのう。警官の突入すらも映画の中の「画」として見せてしまう演出はサスガと言おうか…さらにジョンなどは、寒さで手がかじかんでマトモにギターが弾けていないのが痛々しい。この日の気温の低さは相当なものだったらしく、誰もが外に出るのを嫌がったとか。セッションの冒頭で、リンゴが「本当にここでやるの?」と苦笑いをしている所が、この時の環境が、いかに悪条件だったかを物語っている。演奏もどうにか終了し、映画は「これでオーディションに合格したかな?」という、ジョンのシニカルな冗談で終わる。当時のビートルズの、ネガティヴな姿と煮え切らない演奏を収めた、この映画は20年以上にも渡って封印されたままだ。色々権利関係が複雑なのだろうが、一説によると、ポールが再発を許可しない為、とも言われている。「記録」としては興味深いかもしれないが、「作品」としては決して出来のいいものとは言えないし、アーティスト側としては「今さらコレを多くの人に見てほしいとは思わない」と思う気持ちも分からないでもない。「ビートルズの黒歴史」として、このまま封印されるのも良し(ブートやネットじゃ見放題だけどw)。再発されるならリマスターは当然として、未発表シーンの大幅な追加や再編集もお願いしたいなあ。
2006.09.17
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ジャパニーズ・ポップスの頂点といえる名盤『A Long Vacation』(1981)に収録のドリーミーなポップ・ソングで、スタンダード・ナンバー「君は天然色」と並ぶ、このアルバムを代表する名曲である。優れたミュージシャンであるとともに、評論家顔負けの音楽知識を持つ大滝詠一の、ポップスに対する愛情と造詣を総動員した入魂の仕上がりとなっている。美しいメロディと磨きぬかれたアレンジ、そして大滝の湿り気のあるボーカルなど、どれをとっても完璧な出来だ。振られたオトコの未練を歌った曲だが、松本隆による、失恋の痛みを甘酸っぱいオブラートで包んだ歌詞は、かえって切ない気持ちにさせられるものであり、大滝の悲しげな歌声と相俟って余計に泣ける。メロディは、アーサー・アレキサンダーの「Where Have Been All My Life[恋は何処]」からの引用で、似てるというかそのまんまだが、それでも見事な大滝流ポップスとして昇華されている所に意味がある。「シャラララ♪シャラララ♪」という女性コーラスも、60年代(特に前半)アメリカンポップスを彷彿させる。フィル・スペクター直系の、オーバーエコーに包まれたカスタネットの響きと華麗なピアノ、ぶ厚い一人多重コーラスも圧巻で、サビの部分での盛り上がりは何度聴いても鳥肌が立つ素晴らしさだ。たくさんの音数を重ねていても、ひとつひとつのパートの細部にまでこだわった音作りと丁寧なミックスがなされなければ、こういうサウンドには絶対仕上がらないと思われる。大滝本人の自信作であった前作「Niagara Caleender '78」の商業的惨敗、それに伴う自身のレーベルの活動の暗礁により、精神的に挫折した大滝は「A Long Vacation」の制作する際に「これを最後に引退(自身のアーティストとしての活動を)しよう」と決めていたらしい。自分がやりたいものを、とことん納得いくまで、という大滝の熱意が伝わったのか、当時のディレクターの好意により、事実上のスタジオの貸切状態が許され、かつてないほどの膨大な時間と手間をかけてアルバムは制作された。大滝は自分の持てるもの全てをこの作品に注ぎ込んだ。スタジオにこもりきりの状態を一年近く続けたため、「大滝はスタジオで暮らしている」という冗談が生まれた程だった。こうして生まれた『A Long Vacation』は、アルバム・チャートで最高2位を記録。以後チャートに一年半以上もとどまる特大ベストセラーとなり、さらには市販CDの国内盤第一号にもなった。この「恋するカレン」は稲垣潤一やCHEMISTRYもカバーしているが、やはり大滝本人によるバージョンがベストだ。25年も前の曲なのに、今も全く輝きを失わないそのサウンドは、大滝の才能と執念の結晶であると共に、ジャパニーズ・ポップスの奇跡と言えるだろう。「恋するカレン」を聴くにはここをクリック!このフレーズ…何度聴いても胸が締め付けられるなあ…形のない優しさそれよりも見せかけの魅力を選んだOh! Karen 誰より君を愛していた心を知りながら捨てるOh! Karen 振られた僕より哀しいそうさ哀しい女だね 君は
2006.09.16
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今日はなぜだかムショーに、エマーソン、レイク&パーマー(EL&P)の「展覧会の絵」(写真)を聴きたくなった。この「展覧会の絵」は1971年に発表された、彼らのライヴ・アルバムで、ムソルグスキー作曲の有名なクラシック曲「展覧会の絵」をロック風にアレンジした演奏が大きな話題を呼んだ。全米10位、全英2位と商業的にも大成功した本作は、一般的にEL&Pの代表作とされる一枚。プログレというと、ミョーな理屈っぽさとか崇高さ、もったいぶったような哲学性なんかがイメージとしてあるが、このトリオ・バンドにはそういうものがあまり感じられず、体育会系プログレとでも言うような、単純明快さと豪快さが売りのグループである。イジワルなプログレ・ファンからは「バカ系プログレ」とか「頭の悪い人が好みそうなプログレ」などと言われたりもするが、頭の悪い僕なんかはむしろそんなトコロが好きだ。いわゆるプログレ・バンドとしては最もロック色が強く、親しみやすいのも彼らの特徴といえる。キング・キリムゾン出身のグレック・レイクによる柔らかい歌声も魅力的だ。EL&Pというと、キース・エマーソンのオルガンをガンガン揺さぶったり、オルガンにナイフを突き刺したり、といういかにも見世物的なパフォーマンスが有名で、かつてフィル・コリンズもEL&Pを指して「こけおどしだけのバンド」と発言していたが、そんなハッタリ臭さがこのバンドの魅力でもある。このアルバムでも、特に演奏自体がどうというわけでもないのに観客がワーッと沸く箇所があるが、視覚的に派手なパフォーマンスを披露していたのだろう。音楽的にも、キース・エマーソンの縦横無尽に駆けめぐるキーボードやカール・パーマーの乱雑なドラムはやはり興奮するなあ。このアルバムの最後に入ってるアンコール・ナンバー「Nutrocker」は、これまた有名なクラシック曲、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をアレンジしたもので、シングルヒットも記録した、彼らの中では最もポピュラーな演奏のひとつ。つーコトでここをクリック!おなじみのメロディと豪快かつ親しみやすい演奏に萌えろ!また、このバンドの最高傑作として名高い「恐怖の頭脳改革」などは、プログレ・ファンならずとも聴くべき名盤だが、個人的には名曲「Hoedowm」が入った「Trilogy」なんかも大好きだ。EL&Pは1980年に一度解散。1986年にはドラムにコージー・パウエルを加えて、EL&P(パウエル)を結成。当時ベストヒットUSAで「Touch And Go」を聴いた僕にとって、初めて知ったEL&Pは実はこのパウエルの方だった。さらに同時期、「Calling America」を聴いた事でELOを初めて知った僕は、しばらくの間ELOとELPが頭の中でゴッチャになっていたキース・エマーソンは、80年代以降は映画音楽でも活躍。わが国の映画でも「幻魔大戦」(1983)や「ゴジラ/Final Wars」(2004)の音楽を担当。「幻魔大戦」の音楽は好きだったけど、その後90年代になって安室奈美恵のバックとして来日(小室哲哉はEL&Pのファンで有名)した時は落ちぶれたみたいでなんかイヤだったなあ…
2006.09.14
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全米1位を記録し、グラミーも受賞した、グリーン・デイの2004年のアルバム「American Idiot」(写真)は、楽曲から演奏、アレンジ、構成まで全てが完璧な大名盤だが、その中でも個人的なベスト・トラックと言えるのが「Wake Me Up When September Ends」だ。ビリー(Vo,G)が幼い頃に亡くなった父親に捧げたという、この曲。実に美しいメロディと雄大なスケール感を持った名曲で、アコースティック・ギターのアルペジオで静かに始まる導入部から、徐々に盛り上がっていく後半への展開は素晴らしいの一言。その見事な構成力、表現力に磨きのかかったビリーのボーカルや力強い演奏は、「シンプルなポップ・パンク」からスタートした彼らが、様々な試練を乗り越えて到達したひとつの高みを感じさせてくれる。4分40秒と、思いのほかコンパクトにまとめてあるが、聴き終わった後にずっしりとしたものが胸に残る感動的な一曲だ。'94年のメジャーデビュー作「Dookie」が、いきなりのメガ・ヒットを記録したものの、それ以降セールス的に苦戦し、音楽的にも試行錯誤を重ねる彼らの姿を見てきた僕は、この曲をはじめて聴いた時、「ついにここまで来たか…」と他人事ながら感無量な気持ちになったものだ。「9月が終わったら終わったら俺を起こしてくれ」と歌うこの曲だが、ここでの「9月の終わり」とは「夏の終わり」を示すもののように思える。さらに言うなら、この曲の物悲しいイントロを聴くたびに僕は、「夏休みの終わり」を思い出す。楽しい思い出、永遠に続くと思われた時間、そんな素晴らしい日々の終わり。この曲を包む寂しさと美しさに触れるたびに、僕はその事を思い出す。夏は来て そして過ぎ去るイノセントが永遠ではないように9月が終わったら 俺を起こして俺のオヤジに去る日が来たようにあれから7年あっという間に過ぎた9月が終わったら 俺を起こしてほらまた雨が降ってきた星からこぼれ落ちてきた俺の痛みはびしょぬれでそしてようやく自分になれる思い出が眠る間でもそこで何を失ったのか 忘れることは絶対にないからなお、この曲のPVはドラマ仕立てになっており、7分を超える大作に仕上がっているのだが、音楽として楽しむには結構タルい(途中で演奏が途切れるのがイタイ)部分もあるので、ここではアニメ「鋼の錬金術師」の映像を使ったAMVの方を紹介したい。つーコトで、ここをクリック!ホンモノのPVが見たいという方はこちらをどうぞ。※ポム・スフレのホームページでは、グリーン・デイの「American Idiot」について取り上げています!
2006.09.13
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1964年のデビュー以来、40年以上にも渡って活動し、現在も多くの信望者を持つ偉大なるファンク・バンド、クール&ザ・ギャングの代表曲である。ニュージャージー出身の彼らは、元々ジャズ寄りのセンスを特色としており、デビュー当時はバンドにリード・ボーカルが存在しない、インスト風味が売りのファンク・バンドだった。コアなファンやクラブ世代からは、70年代前半のインスト・ファンク・バンド時代の彼らを最高とする声が多く、「Wild and Peaceful」や「Live At The Sex Machine」などは必携の名作だが、ボーカリストにジェームス・JT・テイラーを迎え、ポップ&メロウな楽曲でヒットを連発した'80年代のクール&ザ・ギャングも捨てがたい魅力がある。ジェームス・JT・テイラーを迎えての第二作目のアルバム「Celebrate!」からの1stシングルが「Celebratoin」だった。当時流行のディスコ・サウンドを取り入れたこの曲は、1980年10月27日にビルボード・チャート87位で初登場。15週後の'81年2月7日に全米1位を記録。彼らにとって、初の(そして現在のところ唯一の)No.1シングルとなった。クール&ザ・ギャングの持つポップ・センスとグルーヴ感を親しみやすく、コンパクトにまとめた一曲で、イントロのリズミカルなギターに続いて飛び出すキャッチーなリフとハッピーな掛け声が極上の気分にさせてくれる傑作だ。JT・テイラーのアクのないボーカルや滑らかなメロディ・ラインで分かりやすくコーティングされているものの、インスト・バンド時代から鍛えてきた彼らのファンクネスはここでも失われていない。普段ソウルやファンクになじみのない人でも、思わず腰が動いてしまうごきげんなパーティー・チューンで、まさに「Celebration(祝福)」と呼ぶにふさわしい曲だ。1979年、イスラムの学生たちが在テヘランのアメリカ大使館を乗っ取り、大使館員を人質に取り、以後444日間立てこもるという事件が起こったが、1981年1月26日、444日ぶりに解放された52人のアメリカ人が母国に戻った時、彼らを出迎えた曲がこの「Celebration」だった。'81年のスーパー・ボールのテーマ曲にも使われた他、以後様々な形で使われてきたこの曲は、不滅のダンス・クラシックとして今も生き続けている。また、クール&ザ・ギャングの曲は、ヒップ・ホップ世代の様々なアーティスト達にサンプリングされ、2004年にはジャミロクワイやアシャンティなどの一流アーティスト達が参加したトリビュート・アルバムも作られた。つーコトで、クール&ザ・ギャングの名曲「Celebration」はここをクリック!何でもいいからセレブレイトしようぜ! Ah---Ho----!!
2006.09.12
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ビートルズの音楽や研究に関しては、もう骨までしゃぶり尽くされてるような感もある今の世の中だが、そんな中で、ビートルズの正規映像作品でありながら、いまだに全世界で絶版状態になっている幻のソフトが、映画「Let It Be」だ。マイケル・リッジー・ホッグ監督、1970年公開のこの映画は、当時バンドとして飽和状態にあったビートルズの姿、演奏シーンを記録したものであり、20世紀最高の音楽集団が崩壊していく様を克明にとらえたドキュメンタリーとして、長きに渡って再発を渇望されている一本だ。70年代などは、ビートルズ・イベントなどで頻繁に公開され、80年代前半にはLDも発売されていた。日本で最後にテレビ放送されたのは1983年、TBSでの深夜放送(しかもノーカット)だったらしい。現在流通している字幕つき海賊版(西新宿あたりにゴロゴロあるw)は、これがモトになっている事も多いとか。---などと勿体ぶった書き出しをしてみたが、結論から先に言ってしまうと、この作品、無理して見るようなシロモノではない。映画の概要だけ聞くと、緊迫感溢れるドラマティックなものを想像してしまいがちだが、実際にフタを開けてみると、ヒゲや長髪のムサいオッサン達がダラダラとセッションをしている姿を淡々と映しているだけ。16ミリフィルムによる暗い雰囲気の映像は、まるで昔の自主制作映画みたいなノリで、ファンが見ても結構退屈してしまう作品に仕上がっていると思う。前置きが長くなってしまったが、今回は、そんな映画「Let It Be」と絡めて、「Two Of Us」のオハナシをしたい(もうあまり字数ないけどw)。映画は88分。トゥイッケナム・スタジオでのリハーサル、アビイ・ロード・スタジオでのセッション、そして俗に"ルーフ・トップ・セッション"と呼ばれる、アップル社屋上でのライヴという構成。最初に出てくるトゥイッケナム・スタジオは、薄暗く寒々とした感じのスタジオで、そこでの非生産的なリハーサルと覇気のないバンドの有様には、見てるこちらの方が鬱になりそうだ。ここでの見所はポール作の「Two Of Us」のリハーサル・シーン。牧歌的なアコースティック・ナンバーのこの曲だが、当初はエレクトリックな演奏が試みられていた(その模様はここをクリック!ジョンとポールが一本のマイクを分け合う姿が微笑ましい)。だがうまくいかず、演奏についてあれこれ指示を出すポール。それについてポールとジョージは意見が衝突し、ジョージは反抗的な態度を示す。「わかったわかった、お前(ポール)の言う通りにやるよ。お前が弾くなというなら弾かないから」(このシーンはアンソロジーの映像版でも見れる)。ひとり奮闘するポールとやる気のない他の3人。バンドを立て直そうと必死なポールに対して、リンゴまでもがドン引きしている(ジョンに至っては「もーどーでもいい」って感じ)のが分かる。結局ポールがアコースティック・ギターを弾き、ジョージのギターが低音部でベースの役割を補うという事に落ち着き、曲はナチュラルな響きを持つアコースティック・ポップに仕上がった。「家に戻ろう」「僕たちには思い出がある」という歌詞はジョンに向けられたものだが、それがもう叶わぬ思いだという事は、誰もが分かっていたのだろうか。ポールのなめらかなボーカルに対して、ジョンの力のないコーラスが空しく響く。一方ジョージは、先述のポールとの口論の後、今度はジョンとモメ事を起こし、「ビートルズを辞める」と言ってスタジオを飛び出している。この時ジョンは「ジョージが戻らなければエリック・クラプトンをバンドに入れればいい」と言い、その日のリハーサルで演奏した曲はThe Whoの「A Quick One While His Away(ヤツのいないうちにやっちまえ)」だったとか…しかし、後のジョージやオノ・ヨーコの発言によると、この時のメンバーの仲はそれほど険悪ではなかったそうで、さらにジョージは「映画の意図的な編集のせいで、当時の僕らが仲が悪かっただけのように思われてしまったのは残念だ」と語っている。つーコトでここをクリック!こちらはアビイ・ロード・スタジオでの「Two Of Us」の完成バージョン。やる気のなさそーなリンゴの顔がなんとも言えない。※次回は映画「Let It Be」の後編です!
2006.09.10
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いつもお世話になってるakikkiさんから「あだなバトン」つーのが回ってきましたしかし色んなバトンがあるもんですねぇ…つーかワタシの場合、昔からそのまま名前で呼ばれてきたので、そもそもあだ名なんてものはないワケで…そう考えると不毛なバトン…つーコトでサクッとQ1 あなたはいつもどう呼ばれていますか(いましたか)? 【小学校時代】 「○○ちゃん」 ワタシの本名の名字は「○○○○」なのだが、その上の二文字をとってこう呼ばれてた。 【中学時代】 「○○ちゃん」 ワタシの本名の名字は「○○○○」なのだが、その上の二文字をとってこう呼ばれてた。【高校時代】 「○○ちゃん」 ワタシの本名の名字は「○○○○」なのだが(以下同文) 【大学時代】 「○○ちゃん」 ワタシの本名の(以下同文) 【親しい友人】 「○○ちゃん」 ワタ(以下同文) あるいは下の名前(4文字)の最初の二文字をとって 「○○」(呼び捨て)と呼ばれている。 【彼氏&彼女】 「○○ちゃん」 ↑下の名前(4文字)の最初の二文字をとって、こう呼ばれている。 …つーかテメー、コムスメのくせに目上の男性に向かって「○○ちゃん」とか言ってんじゃねーよ!! …とか、一度言ってみたい【ペットからの呼ばれ方】 今年の二月に猫が死んで以来動物は飼っていません。 昔のニャンコやワン公達からは「ウニャ」とか「ワン」とか「グフッ」とか言われていました。 【いままでで一番傷ついた呼ばれ方】 「プーさん」 ガキの頃はコロコロしてたので、一部のマニアからは「プーさん」と呼ばれていました。由来はくまのプーさんからだそうで、「かわいいから」というのも理由だったそう。ハッキリ言って余計なお世話!。 【あなたのHN】 「ポム・スフレ」 フランスの家庭料理の名前が由来。「わかりやすい」「おぼえやすい」「インパクトがある」の3拍子揃ったものを、と考えた結果これに決まったのさ。当初は「ガムガムパンチ」という名前にしたかったのだが、同名の人が既に多く存在した為に断念したという経緯もあるwQ2 このバトンを回す2人をニックネームでトモダチのいないオレにはこういうのが一番困るwんじゃーjunktionさんとElim Garakさんもしよろしかったらおヒマな時にでもドゾー
2006.09.10
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「Always~三丁目の夕日」のお母さん役で、役者としての幅を広げた薬師丸ひろ子だが、そのデビューは14歳の時。映画「野生の証明」で高倉健と共演、という輝かしいデビューを飾って以後、角川映画の看板娘として、昭和アイドル全盛期を担った、80年代を代表するスターの一人だった。この「探偵物語」は、薬師丸ひろ子と松田優作を主演に据えた1983年の同名映画の主題歌である。当時の薬師丸の楽曲は、松任谷由実(=呉田軽穂)、来生たかお、竹内まりや、井上陽水、宇崎竜童、筒美京平…etcといった、超一流のメンツによるものが多かったが、この「探偵物語」も作詞に松本隆、作曲には大瀧詠一という黄金コンビである。この曲が発表された'83年と言えば、大瀧詠一が生んだ不滅の名盤「Long Vacation」('81年)と「Each Time」('84年)との狭間に当たる時期であり、作曲家として脂がノッていた大瀧は、松田聖子、小泉今日子、森進一、小林旭などのスター達に次々とヒット曲を提供していた。この「探偵物語」も「Long Vacation」サウンドの延長線上にある(アレンジは井上鑑)もので、薬師丸の透明感のある細い歌声が、大瀧の美しいメロディと、もの悲しいストリングスの響きに見事に溶け込んだ、胸に迫る名曲に仕上がってる。松本隆による、シンプルにして奥行きを感じさせる歌詞も素晴らしい。映画の主題歌は、当初はカップリング曲である「すこしだけやさしく」になる予定だったが、薬師丸本人の希望で、こちらの方になったという(タイトルもそれに伴って「探偵物語」に変更された)。映画は、学業の為に芸能活動をストップしていた薬師丸の復帰第一作であると共に、松田優作とのキスシーンが、清純派アイドルだった薬師丸にとって初挑戦という事で、当時大きな話題となった。松田優作主演のTVドラマ「探偵物語」が大好きだった当時小学生の僕は、この映画をてっきりソレの映画版だと思い込み、ソレだけを目当てに、親に頼み込んで観に行ったものだ。僕の行った映画館は大盛況。立ち見の客がウヨウヨ出る中で、どうにか席をゲット。僕はワクワクしながら鑑賞に臨んだ。…が出てくる探偵の名前は「工藤ちゃん」じゃねえ~いかにも赤川次郎なストーリー進行(原作に比べるとまだ暗い方らしいが)。おかっぱ頭で、足が太く「おまえは金太郎か!」と言いたくなるような薬師丸の小学生みたいな演技とアンドロイドみたいな歩き方。心の広いワタシでも思わず「カネ返せ!(親のカネだけど)」って思いましたね。印象に残ったのはやたらと長いキスシーンだけ。全然眼中になかった筈の同時上映「時をかける少女」の方がよっぽど面白かったぞ(当時はこういうパターンがよくあった)。…なんていう、古き良き昭和の思い出…この頃のオレといったら、まだ洋楽も聴いておらず、知ってるのはビートルズとマイケル・ジャクソンくらいだったっけなあ…この美しい曲を聴くたびに僕はその事を思い出す。夢で叫んだように 唇は動くけれど言葉は風になる好きよ でもね たぶん きっと…
2006.09.09
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音楽の世界に「一発屋」と呼ばれる人達はたくさんいるが、本当は他にもヒット曲があるにも関わらず、その曲の印象ばかりがあまりに鮮烈なため、世間から一方的に"一発屋認定"されるケースも少なくない。a-haなんてのがその最たる例だ。他にもカジャ・グーグーとかMCハマーとか…(あ~懐かしい)一説によるとイーグルスを「"ホテル・カリフォルニア"だけの人達でしょ?」とか言う人間もこの世には存在するらしい…(コワい)その一方で、たった一曲の大ヒットを飛ばしただけで、その後は二度とチャートに姿を表さない人達もいる。チャートの片隅にさえも全く名前が載る事もなく、そのままプッツリと消息を断ってしまう。まさしく一発屋である。今回紹介するMというアーティストは、その中でも頂点に立つ人である。'79年3月に発売されたMのシングル「Pop Muzik」は同年11月に全米1位(英国では2位)を記録。そして、その後に出したシングルは、TOP40はおろかチャートの100位以内にすらカスる事もなく、そのまま彼の名前がヒットチャートに載る事は二度となかったのである(英国ではこの他に2曲の小ヒットがある)。これぞ一発屋。まさに一発屋。彼こそが真の一発屋である。「一発屋の代名詞」と言われながらも、実は3曲のTOP40ヒットを持つナック(マイ・シャローナ)などは、彼の前では赤子同然である。"M"ことロビン・スコットなる人物は、1969年に「Woman From The Warm Glass」でデビューする。今ではアシッド・フォークの隠れた名盤として、一部で高い人気を誇るこの作品も当時は鳴かず飛ばず。彼はその後もいくつかのR&Bバンドを渡り歩いているが、これといった成功を収める事はできなかった。そして1979年、時代を見据え、テクノの波の到来を予感した彼は、一枚のシングルを制作する。それが「Pop Muzik」だった。レコードを作るお金がなかった彼は、様々なスタジオを渡り歩いては「もし成功したら、その何%かをあなたに差し上げます」と言って、資金をかき集めた。シンプルでインパクトのある名前をと考えていたロビン・スコットは自らを"M"と名乗り、なるべく自分の正体を明かすまいとした。「"M"というのは、バンド名ではなくシンボル名なのです。人々がそれが誰か知りたがれば知りたがるほど、私は正体を明かすまいと思いました。」----ロビン・スコットポップ・ミュージックというものをナナメから見た内容のこの曲は、テクノ・ポップ黎明期を象徴するような一曲で、チープなピコピコ・サウンドがとても印象的。無機質なダンス・ビートにのっかるロビン・スコットの下世話なボーカルとクールな女性コーラス、そしてどこかトボけていながら何気にキャッチーなメロディ。う~ん、こいつぁ耳に残るぜ。今となっては他愛ないダンスポップであり、「時代のあだ花」と言えばそれまでだが、"One Hit Wonder"こと「真の一発屋」という嬉しくない称号が与えられた事もあって、"M"の名はポップス愛好家の記憶に残る事となった。それもまたひとつの人生か。まあ少なくとも一発も当たらない人生よりはマシだよね…って、実はこの曲、最近の某CMでもさりげなく使われてたりするし。後に大ヒットしたレイ・パーカー・Jrの「ゴーストバスターズ」(1984年全米1位)は、この「Pop Muzik」の盗作であるとして、ロビン・スコットは裁判を起こしている。結果はロビン・スコットの勝訴。両者を聴き比べると「ん~確かにちょっとアヤしいかもね」という気はする(ちなみに「ゴーストバスターズ」はヒューイ・ルイスからも盗作として訴えられているw)。またロビン・スコットは80年代には坂本龍一とコラボレーションをしたりもしている。それではここをクリックして史上最高のワン・ヒット・シングル「Pop Muzik」を聴こう!ぽっ・ぽっ・ぽっぷみゅーじっく♪ ぽっ・ぽっ・ぽっぷみゅーじっく♪
2006.09.07
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ロック、ポップスの歴史に一発屋と呼ばれる人は山ほどいるが、ロック界での一発屋といったら、多くの人が真っ先に思い浮かべるのが虎舞竜The Knackだろう。ロサンゼルス出身のバンドであるナックは、クラブで演奏中の所を見出され、契約に当たっては13のレコード会社が争奪戦を繰り広げたと言われている。70年代の音楽産業において、「第二のビートルズ」を探す事は業界人にとってのひとつの課題だったが、ビートルズと同じ編成であり、ストレートなビートポップスを得意とする彼らは、その候補として大いに注目を浴びた。彼ら自身もビートルズの大ファンで、彼らがテレビの前でとるポーズは、「ビートルズがやってくるヤア!ヤア!ヤア!」でのビートルズの姿そのものだったという。彼らがアビイロード第2スタジオに足を踏み入れた時、感激のあまり口がきけなくなったというハナシもあるとか。彼らのデビューシングルである「My Sharona」は、1979年に6週間全米No.1という爆発的ヒットを記録。ビルボード誌では1979年度の年間ナンバー1に輝いた。現在でも様々な形で聴き継がれる不滅のスタンダード・ナンバーである。ドタバタして騒々しいドラムとそれに乗っかるギターとベースの強烈なリフは、有無を言わせぬインパクトを持ち、ここに「マ・マ・マ・マイーシャローナ」というメロディが加わった時、ロック史に残る名フレーズが完成する。ダグ・フィッシャーのコミカルなボーカルも、個性的でありながらとても親しみやすいもので、まさしく万人向けのキャッチーポップスと呼ぶにふさわしい。プロデューサーが70年代ポップスの職人マイク・チャップマン(スウィート、スージー・クアトロ、ブロンディ…etc)というのも妙に納得。ただし、楽曲の作り自体は思いの他単調で、同じフレーズをただ繰り返すだけの構造は、アホと紙一重とも言える単純明快さだが、これこそがポップスという大衆音楽の原点でもある。シンプル(単純)な楽曲とすき間だらけのサウンドは、ビートルズ及び60年代ビートポップスそのものだが、ディスコ、AOR、角の取れた産業ポップスなどが全盛だった70年代末のアメリカの人々に、ロックンロールの持つ初期衝動とポップスの楽しさの原点を思い出させた、という意味ではそれなりに意義のある事だったとは思う。そして、この曲が今聴いてもほとんど古さを感じさせないというのも、ゆるぎない事実…だと思う(笑)。この曲の印象ばかりが鮮烈なため、一般的には「My Sharona」以外の曲はほとんど無視されている、というかそれしか知られていない、というのがこのバンドの永遠の宿命であるが、「My Sharona」も収録されている彼ら1stアルバム「Get The Knack」はビートポップスの名曲がズラリと並んだ傑作であり、これを聴けば「ナック=My Sharonaだけ」という評価が間違いだという事はイヤでも分かる筈。また'98年に発表した「Zoom」もパワー・ポップの隠れた名盤として評価の高い一枚。このバンドのドラマー(だった)ブルース・ゲーリーは、2006年8月22日、癌によりロサンゼルスの病院で死去。54歳だった。なお、クレジット等はされていないが、当時のレコーディングで「My Sharona」のドラムを叩いているのはブルースではなく別のドラマーだったという説もある。まあそれはそれとして、何げにギターソロもカッコいい「My Sharona」」を聴いて、ブルースの冥福を祈りつつ、ロック史上最も偉大な一発屋(と言われている)このバンドを湛えたい。つーコトでここをクリック!♪まいーまいーまいーまいーやーワォ!----追伸ちなみにぃ~ナックはこの曲の他にも「Good Girls Don't」や「Baby Talks Dirty」などそこそこヒットした曲があり、ハンで押したように「一発屋」と呼ばれるのはハッキリ言って誤解です。本当の一発屋っていうのはなあ…こういうのを言うんだ!(---次回につづく…)
2006.09.06
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ヤロウども!待たせたな!ポム・ブログ再開第一弾はロッド・スチュワートだ!80年代のロッドはそれなりにヒットを出し続けてはいたものの、70年代の作品群に比べると、音楽的に精彩を欠いている印象は払えなかった。そんな中で、'88年のアルバム「Out Of Order」は久々の快作となり、「Lost In You」「My Heart Can Tell You No」など4つのシングル・ヒットを生んだ。このアルバムのヒットによって、手ごたえをつかんだロッドは、'89年にシングル「Downtown Train」をリリース。この曲は全米3位を記録し、80年代のロッドとしては最大のヒット曲となった。ロッドの80年代に有終の美を与えたこの曲の作者はトム・ウェイツ。トム・ウェイツの'85年の名盤「Rain Dogs」に収録の名曲である。'87年にはロッドに2年先駆けて、パティ・スマイスがこの曲をカバーしているが、知名度は断然ロッドのバージョンの方が上だろう。「Maggie May」「Sailing」「Tonight's The Night」など、ロッドはソングライターとしての腕も一流だったが、様々なアーティストの埋もれがちな名曲を探し出して、「ロッド・スチュワートの曲」に仕立てあげるという、別な方面での才能も天下一品だった(その反面、「In My Life」「Just Like Woman」「Pizball Wizzard」「All Right Now」などの有名曲を取り上げると、ヘタレな出来になる事が多いw)。この「Downtown Train」もそんなロッドの手腕が遺憾なく発揮された名バージョンで、適度なビートを効かせた演奏と的確なストリングス・アレンジは、この曲の持つメロディの美しさをいっそう引き立てる事となった。特に後半からラストへかけての盛り上がりは感動的で、静かにフェイド・アウトしていくラストは、まるで一本の映画を見終わった時のような余韻を与えてくれる。ロッドの手慣れた歌唱は、フェイセズ時代のようなスリルには欠けるが、ベテランならではの味わいを感じさせてくれる。トム・ウェイツの歌詞も詩情に満ちた素晴らしいものだ。ロッドの鋭い選曲眼と歌唱力、それとトム・ウェイツの美しい曲が幸せな出会いを果たした事によって生まれた忘れられない名演だ。当初はベスト盤のみの収録だったが、その後'91年のアルバム「Vagabond Heart」(写真)に収録された。ロッド・スチュワートの名演「Downtown Train」はここをクリック!
2006.09.05
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