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10月最後のポム・ブログは社会派でいってみる-------------------------------------------------------高校長自殺:自宅近くの山林で首つり 履修不足の説明会後 30日午後4時ごろ、茨城県大子町左貫の山林で、近くに住む県立佐竹高(常陸太田市)校長、高久裕一郎さん(58)が首をつって死亡しているのを県警大子署員が発見した。自殺とみられる。同校では、3年生の生徒80人が世界史と理科の必修科目を履修していないことが発覚し、同日夕の保護者説明会は根本滋教頭が補習授業などの対応を説明した。 調べによると、高久さんは29日から行方が分からなくなり、30日正午ごろに妻(56)が捜索願を出していた。遺体近くの地面に「先にいきます」と書かれた遺書らしき手紙が封筒に入れられて置いてあった。---------------------以上、MSN毎日インタラクティヴより一部抜粋。いや~なんつーか…自殺が増えたなあ…っていうよりは…簡単に人が死ぬ世の中になったなあ……というカンジ…でもさあ…死者にムチ打つようで悪いんだけど…コレって何百とある事例のウチのひとつだし、別にこの人がラスボスっつーワケでもないんでしょ?つまり「オメーが死んだって何の解決にもならねーだろ」…ってヤツじゃん?校長本人は自分なりに責任を感じてたんだろうけど、責任を取るんだったら、この場合は「死んで詫びる」よりも、まず生きて何かすべき事があっただろうに。あなたが首を吊ったって、子供達が救われるわけじゃないし、皆がかえって鬱になるだけですよ校長先生これで履修問題がナアナアになった所で、そんなのは解決でもなんでもない。つーか、「自殺はいけないよ君達ィ」と言うべき立場の人間がさっさと死んでどーするんだよ。これを見た子供達が「そっかあー、辛い事があったら死んじゃえばいいんだぁ!あっはっはっはっは~」↑なんて事を思ったらどうするんだよ!子供の自殺が問題になってるこのご時世でこの有様…これがゆとり教育とゆうヤツか……つーコトでこれを読んでる高校生諸君。世界史なんかどーでもいいから、この曲でも聴きなさい。↓…以下本題「Live Forever」は、オアシスの'94年の1stアルバム「Definitely Maybe」(写真)からのシングルで、オアシスの中でもベストの部類に入る一曲。なんの変哲もないギター・ロックだが、初めて聴いた時はとても新鮮な感じがしたものだ。冒頭の「Maybe I don't really want to know~♪」という歌い出しからして既に「名曲だな」と思わせる風格があり、この時期のノエルが才能弾けまくり状態だった事を感じさせてくれる。リアムのボーカルはふてぶてしくはあるものの、声はまだそれほど荒れてはおらず、特に「You and I are gonna live forever~♪」という部分でのファルセットは、ツボにくる美しさだ。デビュー直後だった頃の彼らを見た時は、「なかなかイキのよさそうな新人だなあ」くらいにしか思わなかったが、その直後にこの曲を聴いて「こいつら、ひょっとしたらひょっとするかも…」と感じた事を覚えている。その後、程なくして出されたシングル「Whatever」を聴いて、予感が確信に変わった事は言うまでもない。つーコトでここをクリック!先生達もいい音楽聴けよ~。 この人みたいに。
2006.10.31
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いつもお世話になっとるakikki姉さんトコの先日の話題で、「80年代ベスト・ソング」なるものがあった。そのリストはこちらで見れる(上のリストの方)のだが、何とゆうか…(以下省略)…な気がするのは、まあともかく、いちばん下の方にAC/DCの「You Shook Me All Night Long」があるのはちょっとムフフだったりする。この曲が収録されている「Back In Black」(写真)は、HR/HMの名盤中の名盤であり、現在での世界的なセールスは、実はマイケル・ジャクソンの「Thriller」に次いで第2位らしい。アルコールが原因で急死したボン・スコットに代わって、ブライアン・ジョンソンをボーカリストに迎えての第一弾アルバムでもあるが、音楽的なヴォルテージはそれまでに比べて、まるで落ちていないどころか、感電しそうな程のエネルギーを感じさせる。ブライアン・ジョンソンは、ボン・スコットに負けず劣らずの金切り声を聴かせるし、レッド・ツェッペリンのヘヴィ・メタルな部分をデフォルメしたようなギターサウンドは、単純明快な分、余計に興奮する。この徹頭徹尾のロックン・ロール・アルバムの中でも、「You Shook Me All Night Long」はことさらキャッチーな一曲で、そのノリの良さ、ストーンズも真っ青なギターリフ、そして思わず一緒に歌ってしまうメロディは理屈抜きのカッコ良さ。もー何度聴いても首をタテに振っちゃうよボクキース・リチャーズ、スティーヴン・タイラー、ピート・タウンゼント、カート・コバーン、リッチー・サンボラ…といった方々はもちろん、山下達郎までも虜にするAC/DCの音楽は、HR/HMの枠を超えたグレイト・ロックン・ロールと言える。つーコトで、ここをクリックして「You Shook Me All Night Long」を聴こうぜ!刺激的なPVもShook Meしてくれるぅ~!
2006.10.30
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「ポール暗黒時代」と言われる事の多い、80年代半ばに発売されたシングルである('85年発表)。チェビー・チェイス、ダン・エイクロイド主演の同名映画のテーマ曲でもあるこの曲は、監督のジョン・ランディス自らが、カリフォルニアからポールに電話をかけて製作を依頼したものらしい。プロデュースには、ジェネシスやポリスで知られるヒュー・パジャムが迎えられた。重いリズムに乗せたブルージーな歌い出しからして、意表をつくようなインパクトがある。ポップなメロディよりもソリッドな感触が強調された作りは、ポールとしては異色なものだった。アルバム『ヤァ!・ブロード・ストリート』('84年)と『Press To Play』('86年)の狭間に発表されたこのシングルは、当時洋楽を聴き始めたばかりの僕にとって、初めてリアルで聴いたポールの曲でもあるが、聴いた時は「へー、これがポール・マッカートニーなの」と微妙な気持ちになった事を覚えている。重い演奏と地味なメロディがズルズルと流れていく前半部は、はっきりいって退屈。対して、後半で唐突に飛び出すロックン・ロール・パートは、勢いとキャッチーさを持つカッコいいもので、それまでの悶々とした気分を吹き飛ばしてくれる。こうした全体の構造を頭に入れた上で聴くと、ルーズな前半パートもそれなりに気持ちよく聴こえるから不思議だ。発表当時は、「ポールにしてはつまらない曲」とあちこちで言われていたような気がするのだが、それはこの曲が「皆の求めるマッカートニー」とは違うものだったという事以上に、この時期はまだ世間がポールに対して多くのものを期待していた、という事の裏返しだったんじゃないかと思う。この時代はまだまだポールの神通力が有効だったこともあって、全米7位、全英13位と、そこそこのヒットを記録している。それでも当時、「ポールにしては地味」という空気があったことは否めない。決して悪い出来ではないし、ポールの歌声と80年代的サウンドとのズレが今聴くと結構面白かったりもする。が、その後にリリースされたソロ(ウィングス含む)としてのベスト盤『Wingsspan』にも未収録な所を見ると、ポールにとっても思い入れは薄いのだろう。現在ではアルバム『Press To Play』のボーナス・トラックとして聴けるのみである。なんとなくシマリのないジャケット(写真)も含めて、個人的には妙に思い入れのある曲なのだが、コレがポールのアメリカにおける最後のトップ10ヒット(現時点)であるというのは、やはりちょっとサミシい…「Spies Like Us」の楽しいPVはここをクリック!
2006.10.29
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(ようやくバート・バカラック・ナンバーの登場だ…汗)「The Lonely Bull」「Taste Of Honey」「Tijuana Taxi」などのヒット曲を持つトランペッターであり、A&Mレコードの創始者でもあるハーブ・アルパートの「歌手」としての大ヒット曲である。わが国では、「オールナイト・ニッポン」のテーマ曲である「Bitter Sweet Samba」の人として有名だが、僕がこの人を初めて知ったのは、ジャネット・ジャクソンをボーカルに迎えたダンサブルなヒット曲「Diamonds」(1987年、全米5位)だった。その曲は、音楽的にはほとんど「ジャネット・ジャクソンの曲」とゆう印象だったが、そのPV(これね)ではジャネットはほとんど写らず、間奏のトランペット・ソロくらいしか目立つ所のないハーブ・アルパートばかりが写ってるのを見て、「なんじゃこのオッサンは」と思った記憶がある(笑1962年の「The Lonely Bull」のトップ10ヒット以来、ハーブ・アルパート&ティファナブラスとして大成功を収めてきた彼は、'68年にCBSテレビで自身のTVスペシャル・ショウをする事になった。そのTVショウに自分の妻を出演させようと思った彼は、番組の中で彼女に向けた歌を歌うという企画を思いつく。そのために作られた曲が作詞=ハル・デヴィッド、作曲=バート・バカラックのコンビによる「This Guy's In Love With You」だった。番組の中で流れた途端、この曲は大反響を呼び、シングルとしてリリースされた。クラシックとジャズをルーツとするバカラックの手腕が遺憾なく発揮された一曲で、気品にあふれ、スタンダードな香りを持ったメロディは素晴らしいの一言。ハーブ・アルパートのジェントルな歌声もピタリとハマっている。ムーディな気分にさせてくれるトランペットもステキ1968年6月に全米No.1を記録したこの曲は、ハーブ・アルパート、バート・バカラックの両者にとって初のNo.1ヒットとなった。彼がボーカルを披露したのはこれが初めて(ただし、無名時代に別名義で歌った事はある)だが、ボーカル曲とインストゥメンタル曲(「Rise」'79年全米1位)の両方でNo.1を獲得したのは、現在のところ彼だけである。また、ハーブ・アルパートのこの曲がナンバー1になってから1週間もたたないうちに、今度はディオンヌ・ワーウィクがこの曲のカバー(?)・バージョンをリリース。彼女のバージョンも最高7位を記録している。「This Guy's In Love With You」を聴くにはここをクリック!この声、このサウンド。う~ん、ホロリとくるぜ
2006.10.28
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Free、Bad Companyといった名バンドのボーカリストであるポール・ロジャースは、「ブリティッシュ・ロック史上最高のボーカリストのひとり」と言われている人だが、若い人には「パチモン再結成クイーンのボーカルとして、去年来日した人」と言った方が早いかも知れない…(泣70年代ロックのクラシックである「All Right Now」は、フリーの傑作3rdアルバム「Fire And Water」(写真)のラストを飾るナンバーで、'70年に全英2位、全米4位を記録した名曲。そのシンプル&キャッチーなリフは「必殺の一撃」とでも言えるインパクトを持つもので、ストーンズの「Jumpin' Jack Flash」や、ディープ・パーポーの「Smoke On The Water」と並ぶ、ロック史に残る名フレーズである。ポール・コゾフの、タメの効いたギター・プレイ。レスポールによるその音色は太い。アンディ・フレイザーのツボを押さえたベース・ライン。サイモン・カークのタイトかつ何気にファンキーなドラム。これらが一体となったサウンドは、シンプルなようで計算されており、すき間を生かしたアンサンブルが最高にカッコいい。そしてポール・ロジャースのブルージー&エモーショナルなボーカル。つーか、この声で20歳って… う~ん、シブすぎる…デビューから2年足らずにして達したこの境地。ここにおけるバンド・サウンドは既に「成熟」を感じさせもするが、クールにコントロールされているようでいて燃え上がるようなエネルギーが素晴らしい。この1年後、メンバー間の不仲によりフリーは一旦解散するが、'72年にはオリジナル・メンバーによるアルバム「Free At Last」を、'73年には日本人ベーシスト、山内テツを加えて「Heartbreaker」を発表。特に「Heartbreaker」は、「Fire And Water」に負けず劣らずの傑作なので要注意。'73年にフリーが完全消滅した後、ロジャースはサイモン・カークと共にBad Companyに参加。「Can't Get Enough」などのヒットを出したバッド・カンパニーだが、6枚のアルバムを残した後、ロジャースは'82年に脱退。その後のロジャースは、ジミー・ペイジと組んだThe Firm、ケニー・ジョーンズと組んだThe Law、やたらと豪華なギタリストを集めて作ったアルバム「Muddy Water Blues」、そして去年のクイーンごっこなど、「企画モノ大好き!」とでも言わんばかりの活動を展開している。初来日した時に「サムライはどこだ」と聞いたというロジャースが大好きさつーコトで、「All Right Now」を聴くにはここをクリック!1970年、イギリスはワイト島での演奏だ。ポール・コゾフのツラ構えがシビレるぜ!
2006.10.26
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時は1995年、「ブリット・ポップ」なる言葉が幅を利かせていたこの時代。こわいもの知らずの若造だった僕が、今はなきWAVE・渋谷クワトロ店で出会ったのがレディオヘッドの2ndアルバム「The Bends」(写真)だった。ジャケットに写る異星人みたいなトム・ヨークの顔が印象的なこのアルバムは、「レコメンド(おすすめ)・アルバム」のコーナーに飾られており、大仰な宣伝文句と共に大プッシュされていた。その宣伝文句を見て「何だかよく分からないけどスゴそうだ」と思った僕は、CDを手に取って試聴開始。3、4曲くらいサラッと聴いただけで、迷わず購入を決めた事を覚えている。シングル「Creep」のヒットによって注目を集めた彼らが、前作より格段の進歩を見せた、スケールの大きなギター・ロック・アルバムだった。やたらと過大評価された騒がれた、後の「OK Computer」や「Kid A」の成功で、何だかよく分からないけど「すごいバンド」になってしまった…ような感もある(少なくとも僕の中では)この人達だが、僕の場合、レディオヘッドといったら今でもこの2ndがいちばん好きだ。 アルバムは「High and dry」,「Fake plastic trees」「Black Star」など、どれをとっても名曲揃いだが、僕が一番好きなのはオープニングを飾る「Planet Telex」だ。沈み込むようでいながら独特の浮遊感を湛えたミディアム・テンポのナンバーで、しなやかさと憂いを持ったトム・ヨークの歌声、メランコリックなメロディが強い印象を残す。サウンド的には「グランジ」の残り火が感じられるものの、レディオヘッドが凡庸なギター・バンドとは一線を画すアーティストである事を示す一曲だった。「Planet Telex」を聴くにはここをクリック!(リンク先のタイトルと映像は関係なし)今となっては「こんな時代もありました」という感じのギター・ロック・サウンドだが、「英国を代表するバンド」的な風格は、既にこの時点で充分に漂っている。そして、ここにある美しさと力強さは、後の彼らにはないものだ。こんなレディオヘッドがまた聴きたいなあ※ポム・スフレのホームページでは、レディオヘッドの名盤「The Bends」について取り上げています!
2006.10.25
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「財津君のメロディーセンスは、それまでの日本にはないものだった。それで、これは今までにない音楽になるぞと判断して、その場でやろうと決めたんです。とにかく日本人離れしていた財津君の洋楽的センス、これにはびっくりしたものです。」------これは、当時の東芝レコードのディレクターだった新田和長が、まだアマチュアだったチューリップのデモテープを初めて聴いた時の印象を語ったものである。71年に財津和夫、吉田彰、末広信幸、宗田真二の4人で結成されたチューリップが、地元のインディーズからリリースした初めてのシングルが「私の小さな人生」だった。作詞・作曲は財津和夫。姫野達也もまだいなかったチューリップの幻のデビュー曲である。日本人的な湿り気を残しつつも洋楽を基盤にした美しいメロディー、ビートルズの影響丸出しなコーラス・ワークは、瑞々しい魅力に溢れており、当時の日本の音楽シーンでは異質なものだったに違いない。また、チューリップの歌詞といったら「ベタなラヴソング」というイメージが強いが、この曲の中に流れる普遍的な哲学性や詩的完成度は、今も全く色褪せていない素晴らしいものだ。財津和夫が二十三歳の時に発表されたこの曲は、多少荒削りながらも、彼のソングライターとしての才能をはっきりと示している。「過信だけだったんでしょう。自分の音楽性こそがこれからの日本の音楽シーンをリードするんだ、と。 そのころの日本は「大国」と言われながら、音楽はかなり遅れてる、と思ってました。どうして日本で、なぜ洋楽のような素晴らしい音楽ができないのか? 演歌に負けてしまうのか? 不思議でね…それなら僕が作ってやろうと思ったんです」-----財津和夫ビートルズが大好きな青年が、己の理想と情熱だけを頼りに歩き出した最初の記録であるこの曲は、チューリップの1stアルバム「魔法の黄色い靴」(写真)に収録された。私が今日まで生きてきて何がこの手に残ったろう生まれて死ぬまで 私は何をするお金をもらって 何に使おう歩いても歩いても いつも一人だった人はおかしな男と言うけれど私の小さな人生はこれからどんなに変わるのか花のひらく音も人の歌う声も私には寂しく聴こえてくるできる事なら 死んでゆくその日まで歌を歌って生きてゆきたい
2006.10.24
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先日のチープ・トリックの項でのPeTeRさんとのやりとりで、「スティーヴ・ハケット(元ジェネシス)なんて、次はいつ来日するか分からないからね~」みたいな事を口走ったのだが、なんとその時点でスティーヴ・ハケットの来日はとっくに決定しており、チケットも既に思いっきり販売されていたコトが判明。あちゃ~なんたる不覚…つーか、なんというタイミングの悪い来日…オレに恥かかすんじゃねーよ、ハケットのアホ。…↓つーコトで本題。'77年に「ジェネシスに二人のギタリストはいらない」というセリフを残してバンドを脱退したスティーヴ・ハケットが、「Please Don't Touch」など数枚のソロアルバムを経て、'86年に元イエス~エイジアのスティーヴ・ハウと結成したのがGTRである。プロデューサーは、これまた元バグルズ~イエス~エイジアとして活躍したジェフリー・ダウンズ。同年GTRは同名アルバム(写真)を発表。アルバムからの1stシングルであり、バンドのデビュー曲でもある「When The Hheart Rules The Mind」は、話題性も手伝って全米TOP20に入るヒットを記録した。僕がこの曲を「ベストヒットUSA」で聴いたのは、フィル・コリンズや、マイク・ラザフォードのグループであるMike+THe Mechanicsがそれぞれヒットを飛ばしていた頃とほぼ同時期だったと記憶している(さらにこの直後ジェネシスやピーター・ガブリエルもヒットを飛ばす)。だが、当時「プログレ」なんて言葉もまだ知らなかった僕は、この人達が同じグループだった事も、GTRのギタリスト二人が「プログレのえらい人」だなんて事も知らず、ただ単純に「いい曲だなー」と思って聴いていた。マックス・ベーコンのクセのないハイトーン・ヴォイス、エイジアをもっとポップにしたようなサウンドは、まさに産業ロック(死語)であり、ああ'80sと思わせてくれる。哀愁に満ちたメロディはほとんど歌謡曲といってもいいもので、そういう意味では日本人向けハード・ポップ・ソングでもある。ブレイク部分でのコーラス・ワークはアルフィーみたいでちょっと笑ってしまうが、間奏のやや大仰な盛り上がりなどは、「ああ、この人達はプログレあがりなんだよなぁ」と妙に納得してしまう。その後に少しだけ聴けるフラメンコ・ギターの音色も美しい。予備知識や思い入れなしに聴けば、80年代産業ロック以上でも以下でもない曲だが、いい曲には違いないし、個人的には微妙な位置づけで今も記憶の片隅に残っている一曲だ。GTRはこの後同アルバムからの2ndシングル「The Hunter」を出すもヒットはせず、アルバムもその一枚を残しただけでバンドはあっさり解散。ハケットはその後、何枚かのソロを発表した後、ジョン・ウェットン、ビル・ブラッフォード、トニー・レヴィンなどの協力を得て、ジェネシスの曲をセルフカバーしたアルバム「Genesis Revisited」を制作している。ジェネシスの傑作アルバム「Foxtrot」収録の、ハケットによる美しいギターソロ「Horizons」を聴くと、当時GTRを「なんだ、ただの一発屋か」などと鼻で笑っていたクソガキの自分が懐かしく思い出される(グループとしては実際その通りだったワケだが)。つーコトで「When The Heart Rules The Mind」のPVはここをクリック!…といってもスティーヴ・ハウの方が目立ってるな。。。
2006.10.21
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漫画家の松本零士氏(68)が代表作「銀河鉄道999」のフレーズを盗作されたとして、歌手の槇原敬之(37)に抗議していると、19日発売の「女性セブン」が報じており、松本氏はスポニチの取材に「私の言葉を奪われた。どうしてごめんと言えないのか」と怒りが収まらない様子。槇原側も「盗作呼ばわりされて嫌な気分。法廷で争ってもいい」と不快感をあらわにし、全面対決の様相だ。問題となっているのは槇原の作詞作曲で人気デュオ「CHEMISTRY」が今月4日に発売した新曲「約束の場所」。スープのCMソングとしてお茶の間にも流れ、オリコンチャート4位に入るなどヒット中だ。松本氏が「盗作」と断じているのは、「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」――というサビの部分。これが「銀河鉄道999」(小学館刊)の第21巻に登場する「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズに「そっくりだ」と主張している。これは主人公の星野鉄郎のセリフとして使われるだけでなく、作品全体のテーマにもなっている言葉。松本氏は「私のスローガンのような言葉。これを題目に講演会などで若者にエールを送っており、ファンにはなじみ深い。彼が知らないわけがなく、勝手に使うのは盗作」として抗議した。----------以上、スポニチ芸能欄より一部抜粋。また槙原か……と言いたいトコだけど、今回はちょっと事情が違うかも。…んーとさあ、確かにそっくりと言えばそっくりだけど、ソレって「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」の一行だけでしょ?それに、よ~っぽど個性的なフレーズならともかく、「夢」とか「時間」なんてありふれた言葉を使ったフレーズ…ヘタすりゃそこら辺の中学生でも思いつきそうな気がするんだけど…つーか、これで盗作とか言われるんだったら安倍なっちなんかは、即絞首刑だわな。上の引用文の中で松本先生は「これを題目に講演会などで若者にエールを送っており、ファンにはなじみ深い。」の後に「彼が知らないはずはなく」と言ってるけど、どっからそういうハナシにつながるのかよう分からん。マッキーって講演会に行く程松本先生のファンだったの?確かに999って、この世代にはそれなりになじみ深いかもしれないけど、それってアニメ版の話でしょ?原作ってそんなになじみ深いかあ?だいたい原作が連載されてたのって、当時の少年誌では一番マイナーで、もう23年も前に廃刊になった少年キングだし。ちなみに自分の場合も、当時アニメ版は一応見てたし、映画版も「さあ行くんだ~♪」とばかりに観に行った。で、原作の単行本も知り合いのお兄ちゃんから借りてそれなりに読んでいたから999に関しては、一応水準以上の知識と記憶はあるつもり。だけど「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」なんて見た事も聞いた事もねーぞ、そんなセリフ…って、調べてみたら、その問題のセリフが入ってる単行本の21巻が発売されたのって去年の春じゃねーかよ!よ~っぽどの999オタならともかく、三十代後半の男がいまさら999の原作なんか読むワケねーだろ。それとも松本先生は、この世代の男が全員、重度の999オタだとでも思ってるのだろうか?すっげえ妄想…例えばこれがさあ「クララが…クララが立ってる!」とか「奴はとんでもないものを盗んでいきました。…あなたの心です」とか「おまえはもう死んでいる」とか「月に代わっておしおきよ!」とかだったら「知らないはずがない」と言われてもしょうがないかもしれないけど、「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」 とか言われても誰も知らねーよそんなの。まあ別に「絶対に訴えてやる!」とかいうのではなく、「一言ゴメンって言えよ」というのが向こうの主旨らしいが。それにしたって、この程度のコトで騒ぐか普通?これはイタいぞ松本0時。もうこうなったら面白いからマッキーもこんな歌でも出しちゃえよ。盗作なんてしないなんて~言わないよ絶対~♪…っつーコトで、僕は別にマッキーのファンでもなんでもない(キライでもないけど)し、松本先生に恨みがあるワケでもないけど、あんまり笑っちゃったので、つい取り上げちゃいマシタでもそれだけじゃあまりに寂しいので、最後に曲を紹介。「青い地球」はテレビ版「銀河鉄道999」のエンディング・テーマで、OPテーマに勝るとも劣らない名曲(ここをクリック!)。作曲は平尾昌晃で、ささきいさおの太い歌声と、物悲しくも優しいメロディ、青木望のアレンジのマッチングが胸に迫る。鉄郎の心境を代弁したかのような歌詞も泣かせる。…だけど「メーテル~ またひとつ~ 星が消えるよ~♪」↑これは大抵の場合お前のせいだろ鉄郎
2006.10.20
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カンタベリーを代表するグループであるはずのソフト・マシーンだが、ロバート・ワイアットも抜けてしまったこの五作目では、初期のアヴァンギャルド・ポップ志向は見る影もなくなってしもうたもーここまで来るとジャズ・ロックを通り越して、完全なジャズだよねえジャズ。しかもフリー・ジャズ寄りの。ケヴィン・エアーズには「ジャズのなりそこない」とか言われたらしいけど、ここで聴けるインタープレイは、それなりに緊張感もあれば美しさもあるし、やっぱカッチョいいでしょコレ。ヒュー・ホッパーのベースやエルトン・ディーン(今年亡くなりましたね…)のサックスはモチロンの事、これ一枚(というか半枚)でクビになるフィル・ハワードのドタバタしたドラムも個人的には全然オッケーミステリアスなイントロがソソる1曲目「All White」は、深い残響と静かに激しい演奏が緊張感あってイイなあ。水の滴る音から始まる2曲目「Drop」なんかは、妖しい美しさを持つ一曲で、個人的にはアルバムのベスト・トラック。ルパン三世(注:山田康雄時代)のBGMとかに使われてても違和感ないかも。マイク・ラトリッジ作の4曲目「As If」も不穏なヴァイオリンの響きとクールなサックス、ジョン・マーシャルのドラム・ソロがタマらん。6曲目の「Pigling Bland」は、若干メロウな感じのする曲で、次作のフュージョン路線の布石が見てとれる。そして和管楽器のような音色の響きが、不安な気持ちを掻き立ててくれる「Bone」でアルバムは終わる。つーコトでこのアルバム、ジャズ・ロックがどうとか、同時期のウェザー・リポートやマハヴィシュヌ・オーケストラとの関連性がどうとか言わなくても、単純に楽しめる一枚なんじゃないかと。今じゃ4枚目のアルバム「Forth」(←これもフリージャズ路線)との2in1CDで手軽に購入できるし、いい時代やねえ
2006.10.19
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1977年のデビュー以来、ニューウェイヴにも通じるハードなポップ・ロックで数々の名曲を残したチープ・トリック。現在では「パワーポップ」の重鎮としても熱い支持を受ける、偉大なるアメリカン・バンドだ。ロビン・ザンダーとトム・ピーターソンの甘いマスクという、アイドル的要素も持っていた彼らは、クイーンと同様に本国よりも日本で先に人気に火がついたバンドだった。'78年に3rdアルバム「Heaven Tonight」(写真)を発表したチープ・トリックは、同じ年に初の日本公演を武道館で行なう。その模様はすぐにライヴ盤として、日本でのみ発売された。そのライヴ・アルバム「At Budokan」に収録されていた「I Want You To Want Me」のライヴ・バージョンが突然アメリカのチャートを上昇し始め、最終的に全米7位を記録する。これによってアルバム「At Budokan」も日本からの逆輸入盤が飛ぶように売れ、慌ててアメリカ本国でも正規盤がリリースされた。最終的に「At Budokan」は全米4位を記録するヒットとなる。これによって、チープ・トリックは一気にスターダムにのし上がり、「ブドーカン」の名も世界中に広まる事となったのだった。「Surrender」は、アルバム「Heaven Tonight」のオープニングを飾る、チープ・トリックの定番曲。作曲は、バンド・リーダーでもあるギタリストのリック・ニールセンだ。いきなり飛び込んでくる、たたみかけるようなビートのカッコよさ。キーボードによる、シンプルかつキャッチーなリフにも胸がワクワクさせられる。そしてビートルズを思わせるメロディとコーラス、コードとカッティングを中心とした力強いギターはまさにパワーポップ。ロビン・ザンダーも適度に甘くて適度にワイルドないい歌声を聴かせる。どこをとっても完璧なナンバーであり、ビート・ポップスの醍醐味を味合わせてくれる名曲である。サウンド、楽曲共に今聴いても全く古くないのも素晴らしい。'89年に全米1位を記録した「The Flame」も名曲だが、チープ・トリックの真髄はこの曲や「Dream Police」のようなナンバーにあると言いたい。チープ・トリックの名曲「Surrender」を聴くにはここをクリック!i-Podに入れたい一曲だぜ! Mama's Alrght Daddy's Alright♪※ポム・スフレのホームページでは、チープ・トリックの名盤「Next Position Please」について取り上げています!
2006.10.18
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ボン・ジョヴィ、モトリー・クルー、ガンズ&ローゼズと共に、80年代ハード・ロック・ブームを語る上で忘れられないバンドであり、現在も現役であり続けるデフ・レパード。彼らの四作目であり、HR/HM史に残る特大ヒットを記録した名作「Hysteria」が、2枚組デラックス・エディションで再発された(今の所UK盤のみ)。うう懐かしい…オレも中坊の頃はこのアルバムをサルのように聴きまくったものだぜつーコトで、今回は「Hysteria」と並ぶ'83年の名作「Pyromainia」(写真)のお話さ'80年にデビューしたデフ・レパードは、NWOBHM(New Wave Of British Heavy Metal)ムーヴメントの中から出てきたバンドとしては、当初からメロディを重視したバンドだったが、最初の2枚のアルバムは、やや荒削りでこじんまりとしており、「小型AC/DC」などと呼ばれていたという。だが、ギタリストとしてフィル・コリンが加入し、プロデューサーにロバート・マット・ラングを迎えたこのアルバムからバンドは大化けした。ハードなサウンドはそのままに、わかりやすいメロディと美しいコーラスを強調した作風は、「みんなで歌えるハード・ロック」の典型であり、後のHR/HMブームにも大きな影響を与えた。このアルバムからのヒット曲「Photograph」は、そんなデフ・レパードの魅力を集約したミディアムテンポの名曲。抑えた出だしから徐々に盛り上がっていき、サビの部分でポップなメロディが一気に炸裂するという曲構成は、いい意味でポップスの定石を踏まえたもの。分厚いコーラスとギターのアルペジオの響きも実に気持ちいい、彼らの代表作だ。「Pyromania」は当時のHR/HMアルバムとしては異例の大ヒットを記録。その時のアルバム・チャートでは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が居座っていたため全米1位は獲得できなかったが、それに次ぐ全米2位を記録。現在では全世界で1000万枚以上を売り上げるヒットとなった。この後バンドはリック・アレンの交通事故(片腕を失った)や、オリジナル・メンバーにしてメイン・ソングライターでもあったスティーヴ・クラークの死亡というアクシデントに見舞われるが、バンドはそんな逆境をバネにするかのように「Hysteria」や「Adrenalize」という大ヒットアルバムを連発。今年の5月にはカバー・アルバム『Yeah!~イエーイ(YEAH!)』をリリースしている。デフ・レパードの名曲「Photograph」のPVはここをクリック!↑うう…リック・アレンの腕が2本ある…(泣スティーヴ・クラークもちゃんとおる…「フィル・コリンズに名前が似ているなあ…」と思っていたフィル・コリンは、この後アタマの方もフィル・コリンズに似てしまったなあ…※ポム・スフレのホームページではデフ・レパードの名作「Pyromania」について取り上げています!
2006.10.17
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ミュージシャンの作品というのは、音楽的な完成度とはまた別に、アーティストのその時の状態をそのまま反映する事が多い。ヨーコとの不仲説、政治活動の停滞、アメリカ移住のためのヴィザに関するトラブル…そんな状況の中で制作されたアルバム「Mind Games」('73年)は、言ってみればモラトリアムな作品であり、ジョンのソロ作の中では、評価の低いものだろう。確かにこのアルバムが、旺盛な創作意欲に掻き立てられて生まれたものとは思えない。全体的に地味で、これといった覇気もない(マスタリングCDで聴くと若干印象は変わるが)。色々とクタびれてはいるけれど、レコード会社との契約もあるし、他にやる事があるワケでもなし、歌にしたい事もないわけでもないし…そんな結果生まれたのがこのアルバム…のような気がする。そして、そんなこのアルバムが僕は大好きだったりする。ジョンの代表作とされる「ジョンの魂」や「イマジン」よりも好きだったりする。他の作品のような緊張感やテンションはないが、その分マッタリと接する事ができるこの作品は、僕のようなヌボ~ッとした人間にはピッタリなのかもしれない。楽曲自体の出来も実はなかなか良かったりする。何よりも僕にとっては、人間ジョン・レノンの「やさしさ」を一番感じられるのが、この作品なのである。僕がこのアルバムの曲で特に好きなのは、4曲目にあたる「One Day(At A Time)」である。何気に美しいメロディと力の抜けた演奏。ヘナッとした、フヌケのようなジョンの歌声。それを優しく包む女性コーラスは、まるで幼子を抱く母親のようでもある。なんともやるせなく愛おしい曲であり、この時期のジョンだからこそ生まれた裏名曲だと思う。ちなみにこの曲は、エルトン・ジョンが'75年の全米No.1シングル「Lucy In The Sky With Diamonds」(←これもビートルズのカバー)のB面曲としてカバーしている。そしてこの曲は、「う~ん、あんま気がノらないけど、なんか書こうか」という今日の僕の気持ちにピッタリなのである「One Day At A Time」を聴くにはここをクリック!
2006.10.15
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誰にだって表現する権利がある。そんな当たり前の事を改めて教えてくれるのが、ガールズ・バンドの源流的存在でもある、このShaggsである。普段から良質な音楽ばかりを聴いていると、音楽で表現をしていいのは「たぐいまれなる才能と高度な技術を持ったごく一部の選ばれた者だけ」という錯覚を時々持ってしまう。だが、たとえ音楽的知識がゼロだとしても、たとえ楽器がほとんど弾けなかったとしても、たとえ顔がブチャイクだったとしても、音楽をやったっていいんだ。表現したっていいんだ。60年代後半のアメリカのニュー・ハンプシャー州において、ドロシー、ベッティ、ヘレンという、ウィッギン三姉妹によって結成されたShaggsは、それを身を持って示してくれた素晴らしいバンドである。この「My Pal Foot Foot」をはじめとして、この世に2枚残されたShaggsのアルバムの収録曲は、ほとんどが彼女達のオリジナルである(カーペンターズの素晴らしいカバーもある)。音楽理論などないのはもちろんの事、「はじめて楽器を触ってみた」ような人間が、あるがままに奏でた音。そこにはまるで、おもちゃで遊ぶ子供のような無邪気さがある。意識よりも無意識が、理性よりも衝動が勝った結果生み出された音楽。それは「自分達もやってみた」というより「やっちまった」という言葉が似合うかもしれない。音楽のあらゆる制約から解放されたその演奏とサウンドは、フリーキーというより何も考えていない、というべきもので、結果的に美しいカオスを形成している。ここにある混沌は、音楽的才能や技術を持った者がいくら挑発的な音楽をやった所で、絶対に出せないものだ。エド・ウッドの映画にも通じる、この脱力感と負のエネルギー。それは「ガレージ・パンク」とか「ロウファイ」とか「モンド」とかいう、ありきたりな形容を越えた「音宇宙」であり、つまらないコトに縛られて生きている僕らに平手打ちを食らわせてくれる「何か」がここにはある。フランク・ザッパをはじめとして、彼女達の音楽を敬愛するミュージシャンや評論家が、この世に数多く存在する(した)という事実。聴きやすく、音楽的な完成度はとても高いのに、全く心に残らない、存在すらすぐに忘れられてしまうような音楽が掃いて捨てるほどある中で、彼女達が残した「音」が、なぜ30年以上たった今も愛され続けているのか?その答えがここにある。この音楽のどこに人の心を惹きつけるものがあるのか?それは分からない人には、説明しても分からないだろう。音楽とはそういうものだ。ひとつはっきりしているのは、彼女達の残した「音」が、The BeatlesやLed Zeppelinの音楽と並んで、僕にとっては墓場まで持っていきたいモノのひとつだという事だ。あと、オマケというか全然関係ないんだけど。この映像は、Europeの名曲「Final Countdown」を、とあるバンドがカバーした素晴らしい演奏である。ぴろり~ろ~・ぴろりろろ~そう、誰にだって表現する権利があるのだ。
2006.10.12
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「うわあーあ~いぇいえ~~ええええ~♪」お祭り騒ぎのようなイントロと、一度聴いたら忘れられないインパクトを持つコーラスで始まるこの曲は、T・レックスの代表曲「Metal Guru」である。'72年の名作アルバム「The Slider」(写真)からの先行シングルとして発売され、同年5月に全英1位を記録。「メタルの導師」というタイトルを持つこの曲は、当時のイギリスの少年少女を、自らのエレクトリック・ブギで酔わせていた、マーク・ボランの歌そのものでもあった。マーク・ボランのポップ・センスとトニー・ヴィスコンティのプロデュースが頂点に達した一曲で、当時人気の絶頂にあったT・レックスの勢いがそのまま音になったかのような、輝きとテンションで貫かれている。2分半にも満たないというコンパクトさも、密度の高いポップ・ワールドを形成している。シンプル&ナンセンスな歌詞。フロ&エディ(元タートルズ)によるヘンタイと紙一重のキッチュさを持ったコーラス。チープでありながらゴージャスという、二つの相反する要素が同居した、オモチャのようなサウンド。そして、曲全体を包むシュールでキラキラした感覚は、まさにT・レックスならではの世界。ボランの歌声はとても楽しそうだが、同時にどこか寂しげにも聴こえるのは、彼のその後の悲しい運命を知ってしまっているからであろうか。どこまでも楽しく華やかで、それでいてどこか哀しいこの曲は、マーク・ボラン美学の結晶であり、「グラム・ロック」という名の夢と魔法がいっぱいに詰まった永遠の名曲だ。この時のマーク・ボランは"星の王子さま"のように輝いていたというが、その全盛期が決して長いものではなかった、という事はよく知られている通り。「30歳まで生きられないだろう」と自ら語り、'77年9月16日にあっけなくこの世を去ったボランだが、彼の残した音楽は、30年経った今も変わらぬ輝きを放っている。なお、上のジャケットの撮影をしたのはリンゴ・スターである…というのが長い間の定説だったが、近年の研究によると、実際に撮影したのはトニー・ヴィスコンティだそうである。T・レックスの名曲「Metal Guru」を聴くにはここをクリック!こちらはT・レックスのスタジオ・ライヴ映像です。
2006.10.11
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オーストラリア出身であるこのバンドを、僕がはじめて知ったのは、'85年に全米TOP10ヒットとなった「What You Need」を聴いた時だったと思う。当時洋楽を聴き始めたばかりの僕には、「どこの馬の骨だ」くらいにしか思えなかったこの人達だが、その後'87年に発表した「Kick」(写真)はじわじわとベストセラーを記録。アルバムからもシングル・ヒットを連発して、気がついた時にはオーストラリアを代表するロック・バンドになっていた。後から聞いたハナシだが、デュラン・デュランのジョン・テイラーもInxsの大ファンだったらしい。ボーカルのマイケル・ハッチェンスは、当時セックス・シンボル的な人気があり、カイリー・ミノーグなんかともイチャイチャしていた記憶がある。Guns'N'Rosesのアクセルからは「カッコつけ野郎」なんて言われていたような気もするが、この時のハッチェンスは確かにカッコ良かったような気がするなあこの「Need You Tonight」は、アルバム「Kick」からの1stシングルで、全米1位を記録した、Inxs最大のヒット曲。クール&ファンキーなナンバーで、強烈に跳ねるリズム隊と、歯切れのいいカッティング・ギターがエラくカッコいい。マイケル・ハッチェンスのつぶやくようなボーカルや、つかみ所のないメロディも何だかイカす。とりたててキャッチーってワケでもないんだけど、ミョーに耳に残るんだよなあコレ。シンプルというかスカスカな音作りも当時としては新鮮で、それがかえって曲に生命力を持たせているような気もする。プロデュースを担当したクリス・トーマスも実に的確な仕事をしたと思う。だが、90年代に入ってからはバンドの人気も下降。マイケル・ハッチェンスは'97年11月、シドニーのホテルで自殺してしまった。特別ファンてワケでもなかった僕だが、ハッチェンスの訃報を聞いた時には、妙に寂しい気持ちになったのを思い出す。残されたバンドは、ベスト盤を発表したり、臨時ボーカリストを加えてライヴを行っていたが、2005年には新ボーカリストを迎えて新作を発表したという。残された側もタイヘンだなあ…MTV大賞も取った「Need You Tonight」のPVはここをクリック!あ・にーじゅとぅなぁい♪マイケル・ハッチェンスが一番輝いていた時の記録だなあ…I'm Lonely! Ha!
2006.10.10
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アルバム「With The Beatles」の最後を飾るこの曲は、ベリー・ゴーディー・ジュニア(後のモータウン社長)作のモータウン・ナンバーのカバーである。リード・ボーカルはジョン。オリジナルは1959年、バレット・ストロングのバージョンでヒットしている。ビートルズはデビュー前の早い時期からこの曲をレパートリーに取り入れており、不合格となったデッカのオーディションでも、この曲が演奏されている。当時のムチャなレコーディング・スケジュールの中で、「すぐにでも演奏できる曲」という理由で採用されたのだろうが、ほとんど一発録り(ピアノはオーバーダビング)と思しき演奏は、彼らのライヴ・バンドとしての魅力がたっぷり詰まったものであり、実際、初期のコンサートやスタジオ・ライヴでは最も多く演奏された曲のひとつである。ドスの効いたジョンのボーカルとラフな演奏は、いかにも「気合い一発!」という感じで、ガレージ・バンドにも通じる荒々しさだ。ここではオリジナルよりもややテンポを落として演奏されており、リンゴの重たいドラムが強烈に響く。ジョージ・マーティンの弾く不協和音風のピアノもカッコいい。修行時代にあたるドイツのハンブルクでは、酔っ払い相手にパンキッシュな演奏を繰り広げていたというビートルズだが、そんな彼らのワイルドな側面が色濃く出た一曲とも言える。「カネが欲しい。カネが全て」と歌われるこの曲には、ギラギラしたハングリーさも感じられ、まだデビューして間もない頃のバンドならではの初々しさがある。なお、この曲はローリング・ストーンズもカバーしているが、その他にも60年代ガレージ・バンドのソニックスや、80年代オルタネイティヴ・ユニットであるフライング・リザーズなどにも取り上げられている。以外なトコロでは、トッド・ラングレンが名盤の誉れも高い「Something/Anything?」の中で、この曲を取り上げている。また、ジョンの1969年トロントでのライヴでも、「Yer Blues」「Dizzy Miss Lizzy」などと共にこの曲が演奏された。「Money」を聴くにはここをクリック!カネが欲しい カネが全て↑う~ん、悲しいけど真実だ…※ポム・スフレのホームページでは、ビートルズ・レビューの他に、自作曲の公開や独自の名盤レビューを行っています!
2006.10.08
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60年代末のイギリスにたった一曲のヒットと、たった一枚のアルバムだけを残して消えた、幻の名グループがサンダークラップ・ニューマンだ。The Whoのピート・タウンゼントに見出されたスピーディー・キーン(Vo,Dr)を中心とした三人組で、The Whoの所属レーベルだったTrackからデビューしている。スピーディー・キーンは、元々はThe Whoのローディーを務めていた人物で、The Whoの1967年のアルバム「The Who Sell Out」に収録のナンバー「Armenia City In The Sky」はキーンの作品である。また、このバンドにギタリストとして在籍していたのは、後にポール・マッカートニー&ウィングスの一員となるジミー・マックロウである。'69年に全英No.1を記録した「Something In The Air」は、スピーディー・キーンの作曲能力が遺憾なく発揮された、このグループの代表曲だ。プロデュースを担当しているのはピート・タウンゼントで、ここではベースも弾いている(レコードにはノー・クレジット)。当初は「Revolution」というタイトルが予定されていたが、ビートルズの同名曲が先にヒットしてしまった為、このタイトルに変更された。ポップなメロディと考え抜かれたアレンジは、現在の耳で聴いても完成度が高く、頼りないボーカルとノスタルジックなホンキートンク・ピアノも奇妙な味わいがある。特にブレイク部分での盛り上がりは素晴らしく、ゆったりとした演奏の中にも、大きなスケールを感じさせてくれる名曲である。後にこの曲は、映画「いちご白書」や「マジック・クリスチャン」(リンゴ・スター主演)の挿入歌としても使われ、サイケ・ポップの名曲として現在でも残っている。また、この曲が収録された、サンダークラップ・ニューマン唯一のアルバム「Hollywood Dream」(写真)は、ポップな佳曲がいっぱいに詰まった名盤だ。「Something In The Air」を聴くにはここをクリック!※ポム・スフレのホームページでは。サンダークラップ・ニューマンの名盤「Hollywood Dream」について取り上げています!
2006.10.07
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この間は、ひさ~しぶりに「The Rotters' Club」(写真)を聴いた。キャラバン、ゴング、マッチング・モウル、エッグといったカンタベリー・ロックを代表するバンドのメンバー達が集まって'72年に結成されたハットフィールド&ザ・ノースの二作目にしてラスト・アルバムである本作は、歴史的名盤として特にプログレ・ファンに人気の高い一枚。ジャズ・ロック的なセンスを基盤としながらも、デイヴ・スチュワートのロック色強いオルガンや、カンタベリー的なユーモアを感じさせる所は、フュージョンとプログレのおいしいところをブレンドしたような演奏とも言える。ポップで滑らかなドライヴ感を持つ「Share It」や、メロウな曲調でフルートの音色も美しい「Fitter Stoke Has A Bath」~「Didn't Matter Anyway」も魅力的だが、20分にも及ぶ組曲「Mumps」の美しさは格別だ。デイヴ・スチュワートの歪んだオルガンと透明感のあるエレピ、フィル・ミラーのジャジーなギター、リチャード・シンクレアの柔らかさと憂いを持ったボーカル、ソフトかつミステリアスなフルート、無機質ながら透明感のある女性コーラス。これらの要素が複雑に絡み合い、スリリングかつ美しい空間を作り出している。全体的な質感としてはチック・コリアの「Return To Forever」に近いものがあるが、クールでありながらユーモアと温もりを感じさせる演奏は、このバンドならではのものであり、カンタベリーのみならずロック史に残る名演だ。プログレ云々に関係なく、ロック・ファンなら一度は聴いておきたい。なお、このバンドのドラマーであり、後にNational Healthのメンバーとしても活躍したピプ・パイルが2006年8月に亡くなった。今回このアルバムを聴き直したら、ピプ・パイルのドラム・プレイの素晴らしさを改めて実感させられた。カンタベリー・ロックを代表する名ドラマーの冥福を祈りたい。
2006.10.04
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ローケンロケンローレディオ…レッツゴローケンロケンローレディオ…レッツゴ!おなじみのドラムのフレーズと掛け声で始まるこの曲は、ラモーンズとフィル・スペクターのコラボレーションによって生まれた'80年の名曲である。フィル・スペクターは、自ら作り出した「ウォール・オブ・サウンド」を武器に、60年代ポップスの歴史に大きな足跡を残した天才プロデューサーで、70年代にはビートルズの「Let It Be」のほか、ジョン・レノンやジョージ・ハリソンとの仕事でも知られている。ラモーンズの5枚目のアルバム「End Of The Century」(写真)は、フィル・スペクターのプロデュースだが、当時ロサンゼルスでライヴをやっていたラモーンズに関心を示し、「グレイトなアルバムを作りたいか?」といってアプローチしてきたのはフィルの方だった。パンク・ロックの代表格であるラモーンズとフィル・スペクターという組み合わせは、一見水と油のようにも思えるが、そもそもラモーンズの音楽の基本的な構造は、50~60年代をルーツとした3分間ポップスであり、その象徴的存在であるフィル・スペクターと組む事は、むしろ当然の帰結だったといえる。フィル・スペクターは、どんなタイプのアーティストにも自分のサウンド・スタイルを無理矢理ねじ込ませようとする(ジョン・レノンのソロの中には例外もある)人で、ここでもパンク・ロックとウォール・オブ・サウンドを結びつけるという、強引なプロデュースを試みてるが、正直それがうまくいっていない部分もある。実際レコーディングの際、フィルのやり方に耐えられなかったラモーンズのメンバーは、何度もスタジオを出ていったらしい。こうして出来上がったサウンドは、一種の不協和音とも言えるカオスが渦巻くものとなったが、それもまた魅力のひとつになっている。賛否があるのも頷ける仕上がりだが、バブルガム・ポップス的なメロディとハチャメチャ感を演出した狂騒的なアレンジは、やはり楽しいもので、ラモーンズの代表曲のひとつには違いない。ラモーンズのフロントを張った三人(ジョーイ、ジョニー、ディーディー)も既にこの世にはなく、フィル・スペクターも殺人犯になってしまい、そしてラモーンズをはじめとする数々の名バンドを送り出してきた伝説のライヴハウス"CBGB"も今月を持って33年の歴史に幕を下ろす。"最後のウォール・オブ・サウンド"とも言えるこの曲を聴いて、この世の諸行無常を感じる今日この頃である。ラモーンズの名曲「Do You Remember Rock'n'roll Radio」を聴くにはここをクリック!
2006.10.03
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ビートルズ製作・主演の映画「Magical Mystery Tour」のために作られた曲で、'67年の同名アルバム「Magical Mystery Tour」(写真)に収録。ポール・マッカートニー作曲の、どこかノスタルジックな香りもする美しいナンバーである。レコーディングは正味四回行われているが、最初の二回はアビイ・ロード・スタジオが予約で埋まっていた為、ロンドンのチャペル・スタジオで行われている。映画の中では、みんなでダンスをするラストシーンに使われており、そのせいか物悲しい曲調ながら、ポールの弾くピアノも弾むような感触を持っている。美しいメロディが売りのポールであるが、この曲はビートルズの中でもとりわけ哀愁度の強いナンバーで、いかにもイギリス的なマイナー調の旋律は、彼の中に流れるケルト系民族の「血」を思わせる。ポールと肩を並べる、美メロがトレードマークの天才といったらブライアン・ウィルソンが思いつくが、アメリカ人のブライアンが書く美しいメロディにはない「英国の憂い」が詰まった曲であり、ベタな泣きメロを好む日本人向けとも言える。ジョン&ジョージによる美しいコーラスや、ジョンの弾くオルガンも、この曲の物悲しさを一層引き立たせている。ポールによると「お母さんは君が思っているより、ずっとたくさんのことを知ってるかもしれないよ。もっと認めてあげて」という歌だそうだが、ポール自身が子供の頃に母親を亡くしているという事を思うと、何やら考えさせられもする曲だ。ちなみに現在聴けるアルバム「Magical Mystery Tour」の曲順は、'67年当時アメリカのレコード会社が独自に編集したのをそのまま使ったものだが、この「Your Mother Should Know」の後に続くのがジョンの「I Am The Walrus」、という構成は何気に強烈だなあ。。。つーコトで、ここをクリックして「Your Mother Shuold Know」をドゾ~!※ポム・スフレのホームページでは、ビートルズ・レビューのほか、自作曲の公開や独自の名盤レビューを行っています!
2006.10.01
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