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そろそろと今年も終わりですね。本音のとこ今年の三分の二くらいは酔っ払ってるだけの調子でした。(泣)でもまぁ心境面で大きな変化があったのでそんなにも悪くなくもねぇよなぁと思ってたりもするんですよね。やっとこさ本当の意味で人の事が好きになれた事が嬉しいんだよなぁなぁんて。一人、一人と接する中でそのつど腹の底から込み上げてくるそいつを好きだと思えるそうした気持ちが本当にあり、それが心地良く何時しかこの僕も僕が願った焦がれた世界に辿り着けるのかもしれないとそう思えば、(望む所に行き着くには本当に人を好きに思える気持ちがない事には何も始まらないもんな。そして人の事を愛おしく思えるその気持ちになれた事でやっとそうした焦がれた世界へと一歩踏み出せたんじゃないのかななんて。)一人、一人との出会いに関わり、そして触れ合いというその瞬間をやり過ごす事なく人に煙たく思われる程までに心、心、気持ち、こいつは本当の気持ちなんだと騒ぎ立てごり押しと何が何でもとした調子で人に接して良かったと心から感じてます。そりゃぁ恥ずかしいもんですよ。好きだぁ、遊んでくれ、友達になってくれ、デートしてくれ、俺たちは友達なんだ、俺は駄目な奴だから人が離れるんだ、俺の気持ちは本気なんだ、本物の友達が居る君らが羨ましい、何故俺にはそうしたもんが居ない、人を裏切らないけれどもそれと同等に人の期待に応えられない生き方、などなどを心晒し強引にそうした想いをぶつけてたり、自分という人間を飾らずにばればれな調子で、プライドもくそもあったもんじゃなく恥ずかしいもんですよね。(これで傷つく事も多しな)けれども面白いもんなんですよね。僕のそうした事への本当の意図は、そうした想いをぶつけた相手側の覚醒、気がつきにあったんでよね。正直に暴露してしまえば。(ある一時までは。)人にはそれでも包み隠し、ひた隠す本当の心に想いに、本当はと望んでるそうした確かなものがあり、自分自身、この僕が何よりもそうした人間であったからこそかそうした人の気持ちが(つまらなさ、寂しさ、孤独感、虚しさ)痛い程に突き刺さり、(本当の願いを見ないようにし無視して生きるのは傷つかずにはすむけれどもそれと引き換えにつまらさというもんを得てしまう。)その果てに人の想いに心は皆所詮同じ方向を(形は違えど)大概と見てるのだと自分なりに気がつきだからこそと、(ある時期まではその根底の所は解りかねてたけれども頭ではなく感覚として何かは感じてた。その意味はなかなか見つけれなかったけれども。)(高校生も藤堂君もヒデもハマもサム兄も辰兄も歌を聞かせてくれた子もタコのおっちゃんも原田もとみおもホームレスのおっちゃんもスケーター軍団、猫好きの子もよっちゃんもアンテナ屋さんもタトゥーのお姉さんもとしあきさんもなおやもその他大勢との関わりが教えてくれた。)←見てる事が同じと言う事な。無視出来ないほどに時に心痛くとも、まっとうな正攻法とはいかずともそうした皆の心の奥底にある本当の願いに想いを呼び起こし一人、一人の意識中に確かにそれを感じれるようにと、突飛な行動、言動、理解不能な行為を繰り返したのですが、(そうムカつかせたり、怒らせたり、びっくりさせたり、心揺さぶったり、気持ち惑わせたりとしたもん。)そうなんですよね。そこにはまるまる全部意図した事ではなくとも、そこには僕にはそれをそうするとした意思が働いてた事は確かな事なんですがずっとそうして人とぶつかってるうちに、何時しか常に、対、人との関わりにおいて、本当の心と心との交流、互が真剣に根の気持ちを伝え合う事に知らず知らずと執着し、それを互の中に望むようになり、(心の奥底に眠る願いに望みに期待は互の本当さがないと呼び起こせない事だから今にすれば当然の成り行きだよな。気持ちない奴のそうした言葉なんて届かないもんな。)なるべく本当の心と言うものを正直に言葉に行動にうつすようになり、そうしてるうちにそうした中、ささやかながらにも、人から幸せだと感じえる言葉を貰えたり、行為に好意を貰えたり、そうしてたら何だか人の事がちゃんと本当に好きになってたんですよね。そうなんですよね。可笑しなもんで、おこがましくもこの僕は上から目線と人に何かを気づかせるとした目的を携えてて、(覚醒)そうしてる内に幾人者の人達と本気でぶつかっていき、そして何時しか、本当の意味合いで何かを気がつかせて貰えたのは(覚醒)何よりもこの自分自身であり、だからこそ人の気持ちやら心に想いってぇもんは凄いよなぁと(色々と心ぶつけ合って多くの事を教わったし僕が必要としたものをくれたから。)ほんと人の命が素敵に思えちゃってきてるんですよね。そして僕は人に気がつかせるだとか、覚醒だとかもうそんなのではなく、ただ目の前に居るその人、その人にただ仲良く一緒に居たいとしたそうした素直な気持ちを携えてるだけで、そんな中、なるべく互の関係事にそこに本当の事があるようにとそこに心向けてる。で、今年はお終いな調子で、来年は出来る限り絵事に全力でいこうとそう思います。そこには僕の本当の想いに願いに気持ちに心がつまってもいるので、あぁ絵ばかり描いてて良かった一年だよなぁと来年はそう思えるよう残り少ない今年を絵を描く行為で締めくくりたいそんな気持ちです。
2012.12.31
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そこまで多くはお酒を呑まずにちょいちょい絵を描きながら過ごしてる調子で二、三度ほどぶらっと呑み、絵売り中に缶ビールを煽ったそんな感じですが流石にお酒を呑みに行くのも飽きてきたようにも思えるんですよね。熱い話しをしても、本気の事を口にしても、本当の心を唱えてもどうにもお酒の場でと言う所では皆を怒らせムカつかせるだけなのも薄々と解りかけ、根の所でどうでもいいと感じてるそうした心情の集まりで(皆が悪いわけではなく、そうした場ではそうした事を望んでない。)生きる事についてそれを行動、言動で伝えてもしょうがねぇのかなぁとはついついと思い、ただ普通にしておこうかなぁとは思う事も増えてはきてはいるんですが、(そうした方が結構、女の人を含め皆に好かれるのは知ってはいるんだけれども。)それでもやはり、状況、人に合わせて要領良く選んだ自分で居ればそこには上手くやろうとする自分と言うもんがその命に染み付き、そいつは絵に置いても人との関係で伝えようとするその想いも心にもそうした都合よく、要領良くとしたもんが自然と混じり、幾らそれを本当で本物なんだと言い切っても拭いきれない嘘(計算、算盤勘定)と言うもんがまとわりついてしまい、自分がそれを本当としてる事が誰にも今ひとつ本物であるのだとしたもんが伝わらなくなるんですよね。で、そうした一つの例えとして、路上での絵売りで僕の絵を他の場所で褒めてくれ、そして僕を前向きでかっこいいと言ってくれたある子のその心が嬉しく、十年以上の月日が流れてはいるのですが、今だ僕は絵売りに置いても、お酒を呑みに行ってる場でも、昔の友達のと○ど○君にも彼女の事を一切悪く言った事がなく、彼女の存在に救われてる関連の事をただ言葉にしてるだけで、そして、深い関係になった女の人にもいちいち言わなくてもいいのに、(怒らせるだけだから)それをわざわざ言うんですよね。自分がそう感じ、そう想えてる事の本当さをこの自分自身に証明するのは他の誰でもないこの自分でしかなく、この自分がそれを本当と思い、そう生きていなければ一体全体誰がそれを本当だと思えるんだとしたもんですよね。と、そうした感じながらと一昨日程ぶらっとお酒を呑みに行ったのですが、知って二年くらいのバーテンダーの女の子に言われたんですよね。進一さんは前向きでネガティブな事を全然言わないと。とても嬉しく思った。遠い昔のあの子が僕を前向きでかっこいいと言ってくれた事は重要、大切な事で、その意味合いを僕が僕自身の人間性、生き方で証明しなければならなく、で、そうして十数年の月日が流れ、皆がこの僕をそうだと自然と口にするようになってきた。それは何も人から前向きな人間だと思われたいわけでもなく、感じ良く思われたいわけでもなく、そんな自分に居心地良く思える為でもなく、遠い昔のあの子がそれを言葉にした事が大きく、そうした事を言葉としたあの子の気持ち、僕の中の何かにある一つの彼女の望み、希望を拾いあげたその彼女の心に届けようとするその僕の一つの意思であり、ずっとそれを止めやしなかったその僕の心であり、そして、彼女が僕にそう口にしてくれた事が決して嘘ではない事への証明でもあるんですよね。本物になった瞬間。(それが真実である事への意味合いかな。僕が前向き、後ろ向きとかそうした事をとっぱらった上での。それを言葉にした彼女への返答、生き方。)で、勿論、そうした事柄はどんな事においても重要で、その徹底した一つ、一つの月日の過ごし方が生き様とし、自身の命に血を宿し、そしてその一つ、一つの出来事に大きな意味を齎すんですよね。それを本当にそうだと思ってるならば、そうした行動に言動が選ばずとも自然と出るもんで、そしてそうなれた時にそこに本物さが滲み出て、やっとこさ人にそれが本当だったんだと少しばかし気持ち程度へぇ案外そうだっんだと理解される。そして、そうしたささやかな反応の一つ、一つを目の当たりし感じる僕の心に何があるのかと言えば、けれどもそうした気持ちで人を見れる貴方達方々のその心がまた僕の気持ちを救い、そして人にそうだと自然と口に出来るその状況、心が大切で、それがまた自然と前向きな事柄への相乗効果と誰かにとっての明るい世界が見えてくる。と、まぁややこしくなってきたからこんな感じでと、、、
2012.12.24
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生活のリズムを変えてはや一ヶ月半。絵を描いてるか、お酒を一人ぶらっと呑みに行くか、人に声を掛けられ足を運んでるかとそうした日々を過ごしてます。二、三人に切れられたり(僕の言動、態度の悪さにおいて)それに数人を怒鳴り、少々暴力事。寺久保ととは気が合い弟含めて三人でぶらぶらと遊びに行ってたり、高校生とも距離が縮まり三人で何かをする事にもなった。でナルトに嵌まりぶっ通しで見てたりもしてナルトの夢を本気で見てしまいたまげたり、そしたら十代の頃の友達の夢も何故だか見始めてたり、猫好きの子に歌を聞かせてくれた子と仲直りする夢も見てたりと何か心情的にあるのかもしれませんね。居たのか居なかったのかも分かりもしねぇ友達かぁなんて何げに左手の傷を見てたり、何げに道行く猫を流し目で見てたり、何げに帽子に手をかけ深くかぶり視線隠し今もまだ人を見つめるのは苦手なんだよなぁと思ってたり何とも言えない心持ちだったりもします。で何故だかスケーターのハマの事を思い出してたりする事も少々増えたようにも思えます。彼の内情、それは僕の十代の頃から二十代頭らへんの頃合に似てて、特にその頃が一番呑んだくれてたもので、そして路上で絵を売り始める事で心に大きな変化が起き情熱沸き起こりぶっちぎりとやれたもんですが、彼もまたスケボーで僕がそうであれたようにそのようなもんに出くわせれればいいのになぁと思ってたりもして、僕に女の子事を期待してたのかもしれないけれども、もう少しそうした事を伝えてやれば良かったよなぁなんて。けれども実際皆多くの人と触れ合ってきたもんで、そしてそいつもまた持続してもいるのだけれども、流石の僕でも解ってきたもんがあるのですが、遠い昔ガキの頃にその記憶を辿ってみても、青臭き青春時代に辿ってみても、そのつど、そのつど、人と仲良くなってたり、人と仲違いしてたりとするんですが、内心皆が皆で僕が僕で抱いてる心持ち、気持ちは同じ変わりはしないんですよね。望んでる事。ただ違う人間だからそれが伝わりにくかったり、その表現が下手だったり、誤解が生まれたり、気持ちが強すぎたり、微妙なズレが生じたりしてたりもするんですが、そしてその望む者が彼等彼女等でない場合もあったり、そしてその彼等彼女等に取って望む者が僕でない場合もあったりもして、けれどもそうした者を望むその心は互いに同じであり、それがただ彼等彼女等でなかっただけで、それがただ彼等彼女等からしたら僕ではなかっただけで、だがしかし見つけ出そうとしてる事、得ようとしてる事、望んでる事、求めてる事、欲しいと願ってる事のその正体は何ら変わる事なくまんま同じなんですよね。見てる事は同じでも見つめるものがただ単に違うだけであり、そうした事からだからこそ自分がどうあればいいのか解ってきたようにも思えるんですよね。(解り易く言えばハマはスケボー事での多くの仲間にグンバツねぇちゃんにその成功にそしてスケボーを見つめてる。僕は絵事で多くの仲間に人と解り合う事にエロチックお姉さんにそして絵を見つめてる。※解り易くする為シンプルに表現してるだけで、もっと内面深い事はどちらにも本当はもっとあるよ。でこれまた伝わりやすくする為の表現で、取り組んでる何かの違いがあると言うわけではなく、見つめてる事のそれが大きいと言う事かな。友人事でも異性事でも当てはまる。そして寺久保、僕、弟三人と何故今もつるめるかと言えば、三人ぶらっと出かけて互が三人見てるものが違うけれども、寺久保はイニシャルdを見てて、弟はゲーセンそのものを見てて僕はお酒を呑まずにそうした場に居れる事を見ててけれども三人が見つめてるものは三人で仲良く遊びたいとした事。)そうしたら随分と人が僕に怒ってきてる事も、内心むっとしてる事も増えてはきてはいるのですが、(内心、必要悪だからとそれでも心痛めてる。)一人己の世界とせっせことてめぇの想いに浸り野菜作りでもとそれもいいのだけれども本当は自分が見つめてるものの正体を知ってるからその本当を得る為にも言うべき事は口にし、起こすべき行動は行動に起こすべきであり、そしてその果ての先を楽しみと今はまだ夢の中といったところです。と、話しは長らかとなりましたが、ここ当分は、新たなdm制作数枚にウェルカムボードに、日曜にはまぁ教会にまた足を運ぶかぁとした感じです。賛美歌聞かせてくれるんだってよ。朝早いのは苦手だけれどもしょうがねぇよな。
2012.12.15
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最近、人からは純粋だと言われる。そのつど僕は思う。この自分をつかまえて純粋それはねぇんじゃねぇのかなと。ここ数カ月、僕の絵売りに足を運び続ける宣教師が居て、是非教会に来てくれと口にするようになったもんだからまぁしょうがねぇとその彼の人柄も重なり(善い奴だから)生まれて初めて教会に言った。そして彼は自分の罪悪について彼なりに真剣に語り、その上で人を幸せにしたい、皆を笑顔にしたいとそう言い、そして、買ってくれた僕の絵を徐に胸のポケットから取り出し見せてきた。なんて、純粋で無垢な存在なんだろうと彼を好きに思うと同時に自分自身の多くの心を恥じた。彼みたいな人が本当の純粋と言うんだろうなと思いつつ。僕は卑怯でずるい人間。そしてだからと言って世の全てをそんな自分と引き換え善い者とも思ってない人間。しかし時折こうした本物の純粋な心の持ち主に出くわす事に善い心(温かい気持ち)も生まれるけれども寂しさと言うもんも感じる。で、その自身の寂しさの意味も知ってる事が悲しくも思える。そして、だからこそ、、、だからこそと、多くの事を掻き消し、それでも皆の笑顔をと、俺がこの自身の手で俺の器とこの血と肉と魂を持ってと、人の気持ちを掻き乱し惑わす事も覚悟の上で真意を仮面で隠すろくでなし。で、そうした全ての事を踏まえて、敢えて人との関わりの中で出来る限り本当の事、嘘は控えて(しょうもない嘘はつくよ。肝心な事柄においてつかない。好きだ、嫌いだ、貴方のそう言う所は理解出来ない、尊敬出来る等などとしたもん。)正直で居ようとはしてるけれども、そうした分、人を怒らせる。そして普段はあまり怒らない人等、数人が感情的に切れた。で、僕は感じるんですよね。やっと心を見せやがったなとその彼らの怒りに僕を否定し貶す言葉に多くの価値を見出してたりするんですよね。(そうした自分はやめてたけれどもやはり必要悪として、そんな自分が自分の中に必要な事に行き着いた。)ナルトで言うオビトの一言。そうこなくっちゃぁ面白くないとした感じで。これの一体全体それらがどうして純粋なんだろうと僕は思う。宣教師、彼のように直向きな純粋ではありたいけれども、僕は好かれるも嫌われるも意図する。だから卑怯者。そして、そんな自分を知ってるからこそか、あるバーテンダーの子に言った。人里、(人との争い事)離れて、一人かやの外とせっせこ野菜でも愛おしく大事に育てたいと。(俺を怒ってくれと言った子に。そしてその野菜は例えみたいなもんで絵とも言える。)しかし、そうするにはあまりにも人の心を貰ったから、そしてそれに心打たれたからそれらを反故にし逃げ出す事は叶いやしない。で、酒に逃げたり、一人部屋に篭ったり、誰とも口を聞かなかったりとして時に一時でもと逃げる。そしてまた目覚めたように馬鹿みたい絵を描いてたりと、最終的に行き着くとこまで行き着いたらいいのになぁとそんな事を夢見てる。けどまぁ以前言葉にしたのだけれども、心ある事、気持ちある事は大きく、それがやり方はどうあれ伝わればと、それもまた僕自身の飾らぬその真意その心であり、その気持ちの大きさ想いのでかさであり、何がどうあれ、そいつを信じてやれる事をやるまでなんだよなとそんな調子としてます。
2012.12.12
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最近は何だか画像のup方がメンドくさいのでなかなかと絵の紹介はしないのですが久々とupです。実は僕は女の人の絵をあまり描かない方で得意とは言えずだから、ここ何年間はただ女の人の絵ばかりを描いてたんですよね。数年前にある子に絵を贈って、文面的には納得が出来たのですが絵的にどうにも納得出来ず、(その子の絵を描いた。)その理由に僕は女の人の絵をあまり描かない事にあり、だからあれから数年女の人の絵ばかり描いてました。で、次第に女の人の絵も人から喜ばれるようになり、少し気が晴れたそんな思いです。
2012.12.09
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変わらずお酒は呑まずに絵ばかり描いてる毎日です。けれどもやっぱお酒を呑まなければ体調は回復してくるもんで、で、また調子良くなってきたら呑んでしまうんだろうけれども、まぁ15の頃からお酒を友に生きてた部分もあるので、それを考えれば、今の段階ではまだお酒は控えてるんだから、なかなかなもんじゃねぇのかなぁなんて思ってたりもします。どんどんとキツイ酒は呑まずなるべくビールばかりにもしてるし、そう悪くもないよな。と、そうした状況とただ絵を描いてる日々に戻したのですが、ただ一日中絵を描いてる日々は充実してて面白いです。まぁそれは一人篭った世界とは言えるのですが、そこに存在するのは(現実世界)自分の心、”想い”だけになり、そう心あった者達への想いへと浸るのですが、誰にも合う事叶わぬその現実ではあるのですが、不思議なもんで、誰一人(心あった者な)この僕の身近には居ないのですが、それでも共にある身近な存在として、感じれるんですよね。それは実際目の前で触れ合ったその瞬間よりもより一層強くそれを感じ、傍に居ないからこそかそこに本当の繋がりと言うもんを感じられるんですよね。不思議なもんですね。そうなんだよな。心揺さぶられたその一人、一人が僕の心に生きてるんだよな。一つ、一つの出来事、交わした言葉、触れ合った事、その時の感情、気持ち、それが確かに自分の血肉となり、それは僕の一部となり、ずっと永遠僕は彼等、彼女等を感じてられる。だから、今も絵を描いてられるんでしょうね。そしたら、心の中で大事に思えた皆に会えるのだから、(空想、妄想はしないよ。ただ一人、一人を心に感じるその感覚)それはもしかしたら素敵な事なんじゃねぇのかなぁなんて考えてたりもします。で、特に強く感じるのはやっぱあの子なんだよなぁ。それだけ彼女が僕の中で生きてて、それはその一つ、一つの出来事、交わした言葉のその全てに互と心あったその証明であり、そこに本当と言うもんを感じられるからこそ、ずっと僕は彼女を身近な者としてその繋がりの大きさを味あう事が出来る。そう、僕はそうしたもんを人に皆に伝えたく、絵を描いては訴えてたり、お酒を呑んでは皆に騒いだり、時に真面目に伝えてたりと、僕は僕の想いに突き動かされて、その一人、一人との関わり繋がりの集合体、その心として人にこれでもかとぶつけるんですよね。差し当たりなくやるのも無理で、無難にやるのも無理で、そつなくやるのも無理で、そうなんですよね、実は見苦しいくらいじゃないとそれは誰の心にも届かない事を僕は知ってるんだよな。で、時に直感、感情、鋭いそんな人が居て言われる事があるんですよね。本当は頭がいいのにどうしてそんな馬鹿で居るのと。(もしくは解らない振り)そしてそこで僕は口ごもり、茶化して誤魔化すんですが、(僕自身は自分が頭がいいとは思ってないけど、ようするに隠されてる真意に気がついてくれてんだろうな。)要領よく上手い事伝えてもそれは誰の心にも響かないし、そして自分自身の心も熱く燃え上がらないとそんな所として、今の段階では誰にもそうとしか言えないその心境です。
2012.12.07
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お酒の方は全然呑まずにしゃきっと過ごしてます。よく足を運ぶバーのオーナーさんやらバーテンダーの子に会いたいのですが、お酒の方はまだ当分控えたいので我慢です。ここ何日間はそのお店用のdmを描いてます。まぁかなり迷惑をかけてるのでお詫びの気持ちです。本当の事は行動に出るってなもんですね。他にも色々とやらないといけない事はあるのですが最優先で取り組んでます。けれども僕がたちが悪くなった時、流石に僕も怒りましたよとそう言ってたもんな。それでも後日呑みに行ったら、全然また普通の何時も通りの対応で話し相手になってくれて嬉しかったし、気持ち楽だったので感謝の限りで、僕も人にそうした寛容さと許す心を持ち合わせたいもんです。僕が酒のたちが本気で悪くなれば、お巡りさんに補導されパトカーで家に送り帰されたり、時に護送車とかもありえるので、やっぱお店で呑むのはビール程度にしておかないとな。それと思うんですよね。薄々と僕の人柄も分かってるはずなのに、それでも二号店が開店した時、道端に居る僕にわざわざと声をかけてまた呑みに来てくださいねと、僕は結構、酒場に置いてはかなり人に嫌煙される人間なので、あれっ、オーナーさんは俺を嫌ってないのかなぁと嬉しく思い、ちょい心許してたりするんだよな。遠い昔の友達に置いても似たような事があり、僕は人の些細な行動に心打たれ、気持ち許す所があったりするんですよね。歌を聞かせてくれた子も勿論そうだったよな。僕が居ない場所で僕の事を褒めてた。たかだか道端で酒に酔っ払い落書きみたいな絵を売ってるだけの男をそんな感じと褒めてくれていて、そうしたその当初のその少女の純粋さに健気さがこの僕を虜にし、あれから十三年近くが過ぎ去ろうとしてるのに、彼女への気持ちは損なわれてない。アンテナ屋さんもそうだったよな。皆にヤク○だからと嫌われ疎まれてたけれども、そんな皆の為に皆が絵を京橋の路上で売れるよう守ってた。皆、ただ媚びたり、諂ったり、心なく、損得でしか考えてなく、どうしてこうもアンテナ屋さんの心、心意気を理解出来ないんだと随分と腹が立ち、何時でも僕は騒ぎ立ててたもんです。イギリス人のホームレスは逆タイプの人間で素敵だった。彼とは何時でも言い合いやら少々の喧嘩事ばかりだったのだけれども、僕は悪戯するのが単に好きな男なので、京橋にテレビの撮影が来て、酔っ払いに缶ビールを一気飲みさせて、路上にひいたブルーシートの上を走らせると言うのをやっててで、そのブルーシートが飛ばないよう多くの缶ビールを重しにしててそれをくすねてテレビ撮影されてる中でそれを飲み干してたらイギリス人のホームレスも人だかり多いその撮影を何事かと好奇心満載に見てたんですよね。そうしたら、何時も喧嘩ばかりしてる間柄の男なんだけれども、なんか人らしさと言うもんを妙に感じ、そりゃぁお前も知らねぇ国で金も無く家もなければ大変なもんでそうも何時もふてぶてしいのもしょうがねぇよなぁと、時に意味の分からぬ人の気持ちってぇのを触れてみてもいいんじゃねぇのかと、僕彼の肩に触れ、彼の前でまたまたビールをくすねて彼にあげたんですよね。そしたら数日後彼がマクドを奢ってくれた。僕の些細な行動が彼の気持ちに何らかと届いたんだろうな。普段は言い合いやら喧嘩事ばかりの間柄なのにな。しかし、心てっもんはいいですよね。それで傷つく時もあるし、けれども喜ばしい事もあるもんで、そうした積み重ねの日々が、ただ気持ちある事を、心ある事を素直と率直に言葉する僕へとさせた部分があるもんで、届こうが、届くまいが、好きなもんは好きと、人に飾らず言うような感じとなったのですが、そんな中、随分と多くの人に言ってるもんで、ようするに僕は人が好きなんですね。目に映る全てのものが敵だと思ってた頃合もあるのに、憎しみは浄化されて、ほんと、それは気持ちが解放されていいもんで、だからこそそうしたもんを人に伝えたい所があるんですよね。である時、よく足を運ぶ店のオーナーさんに俺のやろうとしてる事は人を覚醒させる事と言ったのですがその真意は”心ある生き方”と言うもんを自分なりにどうにか届けようとしてるそんなもんなんですよね。馬鹿に見えたり、愚かに見えたり、滑稽に見えたりも人には映るんだろうけれども、俺は俺の心打たれた事を信じてるのだし、そしてそれがどれほどに日々の張り合いとなり、生きてる事への充実感に、生きてる気がするのかを知ってるのだし、そしてそうしたもんを皆にも味あって欲しくも本気で思ってたりもするんで、で、そうするにはやはりこの僕が心ある生き方を過ごさなければならないもんで、自分に心があり、相手に心ある事は素敵な事で、所詮、取りつくろい上辺で接しても、それは相手も理解してるし、自分もそんな自分も知ってて、ようするに互同士が共に心ない事を互同士とばればれと差し当たりなく伝え合ってるだけで、それを理解しあった中でながらかと接し合いそのつまらなさと意味のなさと言えば最高潮と、ならば、そんなもんはとっぱらい、(意味ないしめんどくさい)えっ、この人変なのかもしれない。そう思われても、なるべく僕は取りつくろった事を言葉にせず、なるべく飾らずに出来る限り心あるように接していきたいんですよね。心ある事は、恥ずかしい事やら、人にかっこよく思われない事やら、二枚目にも映らない事も幾らでもあり、つまずく事もなんぼでもあったりけれども、時に腹から笑えたり、胸の奥から熱いもんがこみ上げて泣いたり出来るもんで、そうしたもんを麻痺させて、どうにか現実に折り合いをつけようと心凍らせてはなんともつまらないものでほんと多くの事がくだらなく見えて、人を見下したり、相手を批判する事で自分の位置をどうにか保とうとする拗ねた人間になっちゃうんですよね。(実際僕がそうした時期があった。)だからこそ自分の為にも人の為にも心ある事は大切で心ある生き方が僕の忍道だってばよですよナルトさん。(この前甥っ子に俺が諦めない事を諦めろってぇのがナルトの忍道なんだけど、忍道って何かな??と訪ねたら、分かんないと言ってた。冗談で尋ねてたのに、子供は真面目に聞いてくれて、それに受け答えしてくれるから可愛い。)
2012.12.05
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