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更に一歩踏み込んで自分の正体、程度の低さを露骨に文にしたんじゃねぇのかなぁと感じてる。わざわざとこんな事言って百害あって一利なしと、ただ単に俺の印象が更に悪くなるだけ。けれども、そうした事をも本当に言葉にするからこそ、俺が真に願う本当の願いもそれが本物と伝わるんじゃねぇのかなぁと。表面上の良い事ばかり、綺麗事を幾ら口にしてもそこに真実味は生まれず、薄っぺらい嘘事にしか感じ得ないもんで、人は案外人の事を信じない事を俺は自分を含めた上でそうなんだと知ってるからこそのそうした上での明らかにする俺の醜さなんだよな。人の醜さ、やらしさ、そんなもんは人は素直に信じる。何故ならば人は常にそうしたもんを包み隠してるもんで、それをあの手この手で労力費やしてでも誰もが暴きたいもんで、なら、手を上げて、俺はたいした事ないです。俺は程度の低い人間です。俺は醜さ満開ですとぶっちゃければ話しは早く、至極簡単な事で容易く人はそれをとっとと信じてくれる。そして、勿論言い訳せず、俺はそうなんだと認める。誤魔化しもしないし、まだまだ文に出来ないほどのいただけない自分は更に存在してる。で、そして、俺はわざわざそれらを皆の目につく場であからさまにするのかと言えば、と、ある事への俺からの励ましに応援の気持ちだったりする。それに感謝の気持ちに、俺に関わってくれた事へのありがとうの思いであり、そうした気持ちが本当で本物でしかない事を知って貰いたいからであり、そして、人一人でもこうもめんど臭くややこしいのだから、なるべく心通わすものがあるならば、誰もが協力し合い手を取り合うしかねぇじゃねぇかよとしたそんな気持ちを伝えたかったんだよな。そして、勿論、俺のそうした想いに気持ちがささやかながらにも、こりゃぁ意外と結構本当なんだなぁと思ってもらえば、ちょい嬉しいそんなとこであり、決して、自分で自分を哀れむ為でもなく、俺はこうも踏ん張ってる的なもんでもないし、うっぷん晴らしでもなく、誰かを困らしたいわけでもなく、こんな俺を解ってくれよぉぉでもなく、俺の醜さを信じるなら、人の愚かさを信じれるのなら、他者の如何わしさを信じられるのならば、そこに砂丘の中の砂粒と隠された人の目につく事もない、案外隠された暖かみってぇのも誰の胸の中にもあったりする事を多少なりに信じる事にも気持ち向けて欲しく、(人の悪いとこ探しに粗捜しとやっきになる心持ちはそうした世界しか呼び込まないから。)そうすりゃぁ誰もが誰もとささやかながらにも人に優しく出来るんじゃねぇかなぁとそんな感じなんだよな。辰兄にもあった。怒ってばかりのホームレスのおっちゃんにもあった。タバコ屋の息子にもあった。歌を聞かせてくれた子にもあった。パトレシア、リンダにもあった。としあきさんにもあった。直也にもあった。アンテナ屋さんにもあった。親分にもあった。木下さんにもあった。うる星やつらの話しをしてくれた子にもあった。猫好きの子にもあった。よっちゃんにもあった。吉田さんにもあった。ヒデにもあった。サム兄にもあった。ここに書き切れない程の人の胸にそうしたもんがあった。そうしたもんを俺は人に信じて貰いたく、そうしてそうした人の一面を探り当てるそうした心ってぇのを皆が持ち合わせれば、触れた優しさが優しさとして返り、触れた思いやりが思いやりとして返り、誰もが拭い払う事の出来ぬその孤独を解消出来合うんじゃなぁのかなぁとそう思ってるんだよな。別に本音のとこ、誰が楽しく人と争いたかってなもんで、心に穏やかさ暖かみ幸福感を抱き、機嫌良く笑って生きていければ最高な限りで、誰もがそうなはずなんだから、利己的な想いをかなぐり捨て、人の隠された思いやりやら優しさに気持ち馳せるそんな想いを自分の命に叩き込んで、それを生きて行く事への活力とすれば人生は満ち足りると本気で俺はそう思ってる。
2012.08.31
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自宅で軽く酒を呑んでて、それから三軒の店で酒を呑み既に十杯以上呑んでた。これくらい呑んでまともに平穏な状況で家に帰った試しはあまりない。そうした事が解ってるからこそ、ぎりぎり繋ぎ止めてる意識の中で俺は嫌いで堪らない店に入ってた。昔の友達も居れば更に万々歳だったのだけれども流石に深夜ともなれば居るわけも無く、客一人にバーテンダーが一人居るくらいだった。で、酒を頼んでるくらいの程度でバーテンダーはあからさまに態度の悪さ全快。本来ならスイッチ入り、きっと俺は意地悪な事をするのだけれども、普通に切れる事無く気にせず酒を煽った。顔に見覚えもない奴なんだけれども、俺の事を知らないはずなのに妙に言葉に出すその一言、一言が否定的でこれっぽちも感じの良い奴ではなかった。お前の話しめんどくせぇ。同じ話しばかりするな。とっとと家へ帰れ的な事を盛んに口にしてた。それにそれだけではなく、少し席の離れた男の客もまったく記憶にない奴なのに、やたらと俺の方に向かって、お前の事しばいたるぞとか、なんやったら外で喧嘩するかとしょっちゅう俺をあおってくる状態で無意味な敵意満載と全然意味が解らないもんで、まぁだからこそ、俺はその店に足を運んでたと言えるんだけどな。自分なりに大人しく、彼等に言わせるだけ言わしておいた。それなりに溺酔してるのに、全然本当にさほど腹は立たず、たんにこいつら意味がわからねぇと感じてる程度で、そして、俺はどうしてこうした状況を今までは作り出して、その中で人をとっちめる事で喜ぶ事が出来たんだろう、互いが互いで尊重し合う事のない否定的な関係を築き上げその果てに誰の身にもトラブル事ばかりが否応にも無く降りかかるだけであり二件前までは皆と居酒屋で酒を呑んでて、皆の知らない一面が知れる会話が多くあり、そこには心打たれる言葉も数多くあり、とても居心地良く、人の事が好きに思えてたのにな。で、いっつも俺は最終的に破綻の方側を選ぶんだけれども、そいつこそまさに意味が解らないもんで、(理由は義父の事がありけりなんだけどな)そいつをかなり酒を煽った程度がかなり悪いはずの自分でも真剣大真面目にそう感じれて、そして誰にも突っかかる事無く、あほくせぇ(皆にではなく、こうした優しくない状況にな)と大人しく店を後にしてた。この時に俺は長年ずっと引きずってた自分の闇を乗り越えた事をようやく実感してた。頭ではずっと解ってはいたのだけれども、(否定し合う関係に孤独はつきまとい安堵無し)心底、魂の底から物事をそう感じれるそうした命が必要で、だからこそ敢えてそうした場に何度と何度と頭が悪いほどに繰り出し、実はそれはそれで心の逞しさが必要なもんで、俺の事が嫌いでしょうがないそうした心許せるもん無しのそんな空間ばかりに(そしてそうした状況を敢えて作る)足を踏み入れるのは心の傷とまでは言わないけれども、気持ちのくたびれは出てくるもんで、けどしかし、こうして辿りつけたのは大きく、内心、やっと終わったとしたそんな思いがある。素面の時も酒を煽ったその時でも過去のしがらみに囚われ、そこからの破綻を呼び込むそうした命に終わりが告げられた。と言って、それでも自分がおこなってきたあまり優しくないそうしたもんは限りなく多く、そうしたもんが負の財産として、これからも自身にこれでもかと幾らとてやってくるだろうけれども、決して我を見失う事無く、こうありたいとそう願う望む世界に乗っ取りしっかり対処しようとただただ思う。出すだけ出して発散、気を済ませても、後始末は確実にどんな物事にもあるのだから、優しい世界を生きていくと決め込んでても、自分のしてきた行為の跳ね返りは覚悟しないといけない。そしてその中で決して同じことは繰り返さぬようにと。けど、やっと人に優しく出来そうなんだよな。それでもやっぱそう思える事は随分と勝手な事なのかな。どうなんだろうな。
2012.08.31
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ある酒場で呑んでた。理由は俺が何処よりも一番大嫌いな場所だから。昔の友達がその場所で店の皆を困らせようと俺を何度と誘った店。それから大分、年月が過ぎ去って、彼のその店への依存度は更に上がり、そして前より上手くやってるようで、もうあまりそうした如何わしいお誘いを俺には口にしなかった。そうした中でまた俺を誘ったから店に顔を出した。絵売りで居ついてた風変わりな子が居たからしかたがないからその子も連れていってやった。人にたいして舐めた態度を取る俺だけれども、あまり人生要領良く出来ない人やら、嫌われ者に、変わり者、虐げられてる人、弱い立場の人には無条件に好意的な態度を俺は取る。自分より下に感じるから好意的な訳ではなく、自分なりに理由があり、対等としてそうした人等と接したいそうした心持ちがあるから。そして、連れて行けば、昔の友達は拒絶反応を起こし、要所、要所とその態度の悪さを示した。根の所では俺ですら誘いたくはなかったのは内心気がついてた。店では大分、居心地いい様子で、そしてその店での振舞いは俺が知る限りでの本来の彼ではなかったから、その自分の位置を変えたくはなかったのだろう。嘘が沢山滲み出てた。一度、その店を俺と言う存在で混沌としようとしたくせにと不快で腹が立ってた。その理由に昔、彼があまりよくない事を企て、断るに断れずそれに加担した事があり、自分自身で出来ないそうした悪巧みがある度にそうした事を俺にさせてきた事への不快感があったのも事実で、そうした事をまたまた無しにして、俺を利用するだけしてそこでの使い道が消えてればそうも俺の行動を否定するのかと俺の何かに日がついた。そう否定し、否定し合う間柄は俺が望むその世界で、慣れ親しみ、水を得た魚のように泳ぎ切るもんで、こうして長い付き合いの俺にそうした事を望むんだなと。それから、何度と、何度とその店に足を運んでは程度の悪い客として踏んがえり、彼が前に望んだその通りの素行を取り続けてた。バーテンダーをおちょくったり、そこいらの男の客に舐めた態度取ったり、見知らぬ女の子にちょっかいかけたり、それに絵売りで知り合った少々喧嘩っぱやい人等を連れてきて、わざと席離れる彼をその離れた場からあからさまに聞こえるように侮辱する言葉を吐き出したり、とことんと彼を困惑させ続けた。その店の帰りにも誰かと暴力的な喧嘩事を起こした事もある。店の客に喧嘩を吹っかけられたりもした。皆が随分煙たがり、俺への否定的な態度はうなぎ上りと俺はへらへらと大喜びしたそんな態度とただそうしたもんはこの俺を更に満足させるだけだった。多勢に無勢であろうと、何が起き、どうなろうと、店一体で俺をとことんとどれ程否定しようとも俺の魂を傷つけるものは誰一人とていやしないんだと、それをとことんと見せつけ、そうした俺を腹の底から彼に認めさせたかった。そうある事をきっかけに彼とは仲たがいしてて、こうした前よりも溝は出来てて、彼は手の平返したようにこの俺に否定的であったもので、この時に俺はとことんと行き着くとこまで行く心構えだったんだよな。彼だけは俺がどう言う奴なのか知ってたはずなのに、自分の手のひらで踊る孫悟空とそうした思いで手綱を握ってた気で居たのが随分と理解できてきていたから、店の客、バーテンダー誰かしらとヘラヘラと好感あるそうした態度を取ってるのも目に余るほどに腹が立ってた。嘘つきやろうめと。そうした事から月日を流し、そして、何がどう転ぼうと俺に否定としたその状況しか生まれない店に俺はわざわざ足を運んだ。その前には良い感じと酒を呑み、皆と仲良く楽しくやってて、こうして、皆が皆認め合い尊重し合える間柄はいいもんで、なんか心、楽で安心したそう安堵感を得て酒が呑める事を心底感じてて、これからはそうしてやって行こうと本気で思えたからこそ、これを最後と俺は俺の何かを確かめる為にいわくつきのその店に繰り出してたんだよな。
2012.08.30
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俺はなかなかと難儀な男で、それは素面の時に置いては改善はされてはいたけれども、酒を四、五杯くらいを越えてくればそれは怪しいもので、やはりそうなればあまり品は良くないのは当然で、それなりに居心地良く感じてるその店でも、感じが良くない事は多く、注意を受ける事は多く、内心煙たがられてるのは重々承知はしていた。しかし、お客さんにプレゼントを貰い大泣きしてた女の子はそうしたニュアンスをあまり感じさせない対応で俺に友好的に接してくれてた。人との関係上では否定し合う関係を作り出し、その上でどっちがタフなのか負の感情を叩き付け合いその先でとっちめる事で自分の価値を見出す自分ではあったけれども、本当の所ではそうした自分から抜け出させない事で、苛立ちにもどかしさを感じてるからこそ根っこのとこではただ単に人と仲良くしてたいだけだから、彼女が普通にずっとその姿勢変えず俺に接してくれる事が気持ち救われてた。その彼女がやめるその時まで、俺に嫌な顔一つせず一年以上最後まで相手してくれた話を人にするとその女の子は凄ぇよなぁと言ってた程、俺はあまり上品な人間ではないんだよな。で、彼女が店をやめる時が来て、彼女を慕う常連のお客さんが一杯来て、皆彼女にシャンパン一本を奢ってた。五、六人近く、皆それをプレゼントしてて、彼女はまたまた顔をぐしゃぐしゃにして泣いて一人、一人にそのお客さんに感じた気持ちを伝えお礼の言葉を口にしてた。ほんと、心純粋で良い子なんだなぁと微笑ましい気持ちだった。その流れで、この俺もシャンパン一本を奢るのが妥当なのだけれども、やはり俺は偏屈な性格なので、皆と同じような事をしても、俺が彼女に本当に感謝してる気持ちは伝わりにくく、この同じ流れで行けばそうした想いが薄れてしまう気がしたから敢えて、そうした行為はしなかった。で、一言、今度自分で描いた絵をプレゼントすると言葉にした。彼女の為にそうしたもんを準備してたけれども、なんかその時は渡したい気持ちがしなかった。まぁ皆の親切な行為を俺がまた違った事をして、そうしたもんを濁したくなかったのかな。人の気持ちが彼女に届けられてるのだから、そうした空間を大切にしたく感じてて、意外とこれでそうした控えめの気持ちを持ってたりもする。それから、ちょこちょこと彼女に店で顔を合わせる事はあったけれどもタイミング合わずなかなかと絵をプレゼントするチャンスを逃してた。意外と彼女は楽しみにしてるようで、俺が持ってきていない事を知ると何だか寂しげだった。そして、彼女が居ないその時にプレゼントする絵を店に預け、のちにそれを彼女が受け取り、喜んでたその話しを人伝に聞いた。直接渡すのも何だか気恥ずかしいから、まぁこんな感じで良かったかもなと感じてた。しかし、彼女の人柄に惹かれて絵をプレゼントしたけれども、こうして気持ち動き俺がそうした行為をするのは本当に久々で、人の心が俺に触れて、俺の心が人に触れたように感じられて、心地良い気分が満ち溢れ俺は何かを思い出してた。一時、とある子にそうしてる事で暖かい気持ちになってた事を。けど、何だか、自分が人らしく人としてまともな行為を、酒を呑んでる場での駄目な俺な状況中であろうとも、彼女の人柄もあって、そうした心の交流が叶い、妙に心満たされ、何かがほっとして気が晴れてた。こうして一人ぶらぶらと何年も、何年も飲み歩くのもそろそろと終わらせなきゃなと、そうした上で、ある事を俺は確かめなければなと内に秘める思いを抱いてた。暖かみある心ある世界を俺は本当に生きていきたいのかと。
2012.08.29
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ある時絵を売ってたら、一人の女の子が近くに寄ってきて、色々と話しかけてきて、小一時間程話し込んでた。なかなかと感じの良い子で好感が持てた。この近くのショットバーでバイトしてるから、一度足を運んで欲しいと言われた。店の雰囲気はアットホームな感じで皆仲が良いので楽しいですよとの事で、正直な話し店には興味はあまり無く、その女の子に興味があったから顔を出してた。その女の子は居なかったけれども、店のオーナーさんは若くして自分の店を持ち経営してるそれに好感が持て、初めて行った時はそのオーナーさんに興味を持ってた。まぁ絵売りをしてる場所からも近く、その帰り道なのでちょくちょくと足を運んでた。意外と店のお客さん達は気取ってる人はあまり居なく、感じの良い人が多く、確かにあの時の女の子が言ってた通りだなぁと居心地良く思った。俺は、難儀な人間で意図して人に嫌われる事を好んでるので、そんな自分ではあるのに、皆、多少その煙たさはあるだろうけれども、他に足を運ぶその店とは全然違って、俺を好意的に迎え入れてた。だからこの店では自分なりに質の悪い自分は出来る限り抑えた。しかしそれでも目に余るそうした行為もあるにはあるもんで、そのつど、やんわりと丁寧に注意してくれて、そうした一つ、一つの事がとても嬉しく、内心、皆には感謝してた。人と衝突ばかり繰り返す俺だから、こうして特定の店に受け入れられる事は自分の記憶上ないもんで、そうした場を作り上げてるその店を見習いたく、自分なりに人との関係に置いて色々と学ぼうと二年以上継続的に足を運んでた。まぁ、それでも風変わりな男だから少々浮いた存在なんだろうけれども色々と我がまま言ったり、駄々をこねたり、甘えさせて貰った。内緒の話し、その店の人達にはただただ感謝してる。皆、ずっと変わらずその店に永遠居てくれたら嬉しいのになぁなんて思ってたりもしてて、そうした自分の心境に喜びに近いそんな感情もあったりもする。そうした心持ちと足を運んで一年近く経った頃くらいに、ある女の子がバイトとして来た。なかなかと可愛らしく、そんなに気取った感じも無く直ぐに好感持ててた。けど、興味があったから、わざと店に無い酒ばかりを頼んで意地悪して困らせた。どうも俺はSっ気があるから、興味感じる女の子には意地悪をしてしまう。嫌われたかなぁと内心感じたけれども、何時もニコニコと対応してくれてた。で、その子に興味があるから、わざと他のバイトの女の子、もしくはお客さんの女の子とばかり話し込んでる事を続けてた。話しかけるのが恥ずかしかったのかな。けれども、何時でも事あるごとにしんいちさんと声をかけてくれて、そう、ただつけを払いに行く。気ままと一杯呑み来た。そんな些細な中でも、何時も、何時もしんいちさんと一言声をかけてにこやかとしてくれるもんで、そうした事が俺の楽しみになってた。で、一度、店のお客さんにプレゼントを貰い、その感動からか大勢の人が居る中でも子供みたいに大泣きしてた。ほんとに本気で泣いてるもんで、俺は感情的に大泣きする事なんてないから、羨ましくも思い、それに嬉しかったら嬉しいと全快正直とそうなれる彼女の人柄に興味満載だった。感情、気持ちに正直な子なんだなぁと俺は素直にそう感じてた。
2012.08.28
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俺には幾らでも友達と呼べる存在も、仲間と言うべき間柄も、彼女と認識する関係もあった。けれども、上辺だけそうした態度を取りつつも心の奥底では誰にもそうなのだと認めやせず、そうした気持ち内面と言うもんが、隠してるつもりでもそれはやはり何らかと人には伝わるもので、特に女の人には怒られた。やはり女の人は気持ちと言うもんを男の人よりかはかなり重要視、大切にしてるもんで、俺のそうした内面、気持ちは裏切り行為に等しく、それにそう呼べる行為も確実にあった。義父を憎みながらも、俺の生き方、その行為はまるで義父になろうとしてるとしか言いようは無く、認められなかったその憤りから、自分がその立場になる事で、魂の痛みから逃げたかったんだろうな。彼のように酒に溺れ、彼のように人を怒鳴り、彼のように人を傷つけ、彼のように認めるべく存在をそうなのだと認めず、そして、俺と言う存在をも誰からも認めさせない事で、子供の時の自分と義父との関わりを他人を通して継続させ続け、その果てに本当は誰か一人でもいいから俺を認めて欲しかったし、誰か一人だけでも俺は認めたかったんだろう。義父に認められなかった代償を他で作り出し、その先で俺は認めて欲しかったんじゃねぇのかなぁとやっと解ってきたんだよなぁ。一人、ぶらぶらと呑みに行き続ける事でそうした自身の内情と言うもんが薄々と気がつき始めてた。それなりに見ず知らずの他者と上手く仲良くなれてきても、やはりそうした誰かを俺は腹では舐めた態度を持ち合わせてて、内心馬鹿にしてるもんで、本当の意味では誰の事も決してこれは仲が良いのではないと認めやせず、そうした果てに相手が嫌がる事やら不快に感じる言動に行為を繰り返し、どうにも通じ合う事はなく、そして、更に敢えて、俺に前面的に否定的な場所に足を赴き、敢えてそうした場で酒を煽りながら、人に貶されたり、喧嘩吹っかけられたり、敵意を抱かれたりされる事を良しとし、そこで決して傷つく事のない、自分の心の逞しさ、タフガイさに喜びを見出し、その全員を俺の方がタフガイで傷つく事のない魂を持ち合わせてるのだと、とっちめる事で、自分の存在価値を確かなもんとして感じたかったんだよな。そう、そいつがこの俺が今後と暖かみ覚える世界で生きていくには乗り換えなければならない大きな壁で、それを解消しな限りは確実にそうした世界は見えてこないもんで、俺は何度と、何度とそうした状況を作り出し、今度こそは、今度こそはと魂の痛みを感じながらもそいつを嫌と言う程、腹の底から理解出きるまで繰り返した。
2012.08.28
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義父は呑んだ暮れで、喧嘩して顔面血だらけで帰る事もあった。出掛ければ、よく些細な事で他人にぶち切れてた。物心着かぬ歳だったから、本当の親父と義父の記憶はごちゃごちゃで、何時しか彼を俺は本当の親父だと思ってた。冷たい仕打ちに、酷い事も多く、家に居たら生きてる心地がしなかった。四歳の頃から十一歳頃まで共に生活してた。何故そこまで俺を嫌うのかが解らなかった。実の親父ではない頃を知った十三歳の頃にその義父は死んだ。恐怖の対象が消えたのだから喜びがこみ上げるのかと思えば、決してそうではなく、最後までこの俺を息子なのだと認めやしなかったその事実を知り、絶望感、疎外感、虚無感が俺を襲ってた。父親と言うその存在が一生この俺を認める事が決してないんだと言うその事実が堪らなく気が変になりそうだった。そして、多くの事を流して、俺は酒を煽り、人に絡んだり喧嘩をふっかける男になった。誰の事をも認める事無く、一定の距離以上近づけず、友達を友達と認めず、仲間を仲間と認めず、彼女を彼女と認めず、心の壁で隔たりを高らかに築き、意地悪な態度を取ったり、傷つく行為をしてみせたり、酷い言葉を投げ掛けたり、義父に教わった事がそれだけであり、そんな義父を憎みながらも、俺は彼と同じ事をしてきた。自分の存在以外何も認めないその生き方で。何時も孤独だったけれども、それ以上に怒りに憎しみの方が勝り、寂しさは平気だった。悪意に敵意に冷淡さが俺を味方してくれればそれで充分だった。そして、そんな十代に、何かを変える為に付き合う人達を変え、島巡りを繰り返し、絵売りに行き着き、多彩な人達と多くのコミュニケーションを交わし、俺の言葉で涙した子に出会い、嫌われ、サム兄と心の奥底まで晒し切り怒鳴り散らし合い、怒りに憎しみは発散され、家族の絆をやり直し、何時も味方してくれる家族との関係がこの俺に安らぎを齎し、猫好きの子との関係を見つめ直し、互いが互いに好意を寄せ合う事のその暖かみの意味を知り、気持ちがある事の凄さを幼子から学び、呑んだ暮れのその根底を知る為に一人ぶらぶらと飲み歩き、(義父の事、昔の友達の事、俺の所に訪れる呑んだ暮れへの自身の心のかくとうに彼等への侮辱の意味があったんだろうな。そうした場に一人侘しく訪れる事への見下すその行為に復讐心を宿し。もしくは潜在意識で最後にこの俺が乗り越えるべき何かだったと薄々解ってたのかもな。)そう、俺は自分が自分を否定する場所。人が俺を認めず否定するその関係をずっと無意識に繰り返してた。ふっきり、なんて事無いつもりだった、しかし、俺はそれに(義父)翻弄されてた。人に絶対に認められないそんな生き方をやり通してた。俺を嫌い、憎み、怒り、恨み、敵視するそんな場所に好んで足を運び続ける悪癖。楽しい事、面白い事、善い事があれば、その先に敢えてそうした場所に赴き、俺を全否定し、俺も全否定する誰もが誰の事も認め合わないそんな場所を望んで。一人、ぶらぶらとバーへと繰り出せば、繰り出す程にそれを痛いほどに理解してた。誰もこの俺を認めやしないし、そして俺も誰の事も認めやしないその関わりにおいて、、、しかし、ある子、一人だけ違った子が居た。その子だけは何時も俺が来たら、しんいちさんと、嬉しそうに声をかけてくれてた。それが、この俺を一人ぶらぶらと何処かしこと飲み歩くその行為への終焉を呼び込んでた。
2012.08.28
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十五の頃から酒を呑み、随分とトラブルは多かったもんで、文無しで飲み屋に入り、知らぬ隣の誰かに唐突に酒を奢ってくれと舐めた態度を取り、そいつは勿論、何で俺がお前に酒を奢らなきゃならないと怒るもんで、そこから俺は説教やら生き方哲学に理解しがたい持論をやいのやいのと説き、だからお前は俺に酒を奢らなきゃならないと説き伏せて酒を奢って貰ったり、何だか態度がでかそうな奴が居たらそいつんとこに行って、おちゃくったり、からかったり、尊厳を扱き下ろしたりとしてたり、そんな程度の低い男だったのだけれども、酒が入った状態でも人とうまくやれるようにとなるべく意識してたけれども、人間ずっとやってきた事を当然変えられるわけもないもので、自分なりに徐々に改善していった。まぁだからと言って、態度に素行の悪さはその人間性から滲み出るもんで、誰もが俺を毛嫌った。一人、ぶらぶらと酒を呑みに行ってもさほど面白くも感じなく、この何が皆は面白く、得に昔の友達にそうした気持ちを抱きそうも依存してたんだろうと疑問だった。俺も酔っ払い、見知らぬ誰かも酔っ払い、誰もが酔っ払いどうでもいい事を皆が皆で俺も含めそれを言い合ってる。もしもその中で俺が面白と感じる事があるならば、些細な揉め事、トラブルを起こした時くらいで、けれども、そうした事だけが楽しく生きた心地がするその内面、人間性がきっとそいつがいけないんだろうなぁと自分自身に苛立ってた。どうして、俺はこうした場でうまくやれないのか。しかし、飽くなくめげる事無くしつこく、(本音の所、やはり誰にも毛嫌いされ、味方してくれる奴も居なく、常に敵視され、毎回と受け入れられる事がないのだから、そこには自分なりの意思、信念みたいなもんがないと無理だよな。)色々と呑み歩いているうちに何気に気がつき始めてた。そう、俺はうまくやりたいと思いつつ、根ではそうしたもんを(当てなく酒だけを呑みに行きそうした場所だけに依存し、日々の張り合いになってる事に)見下し、馬鹿にしたそんな感情を持ち合わせてて、やはりそうしたもんは態度やら言動に出るもんで、皆が俺を敵視するのではなく、俺のそうした舐めた態度がただ人を不快にさせてるだけで、だから、俺は皆と同じように純粋にそうした場を楽しむように心掛けてた。失礼な態度も、舐めた言動も抑え、逆に態度の悪い奴やら、感じの悪い奴が居たら、そいつを言いくるめ大人しくさせたりと、何時しか俺には自分で言うのもなんだけれども、謙虚さと言うもんが生まれてた。折角、酒を呑みにきて、気分良く過ごしたいんだし、皆もそうなんだからいざこざばかり起こしててもしょうがねぇし、遠い昔の友達に知人の誰彼等の日々への疑問から、そいつをスライドさせ、(その昔の友達への復讐を他で果たしてたんだろうな。)見ず知らずの誰彼等に八つ当たりと見下し、馬鹿にしたりと、ほんと何やってんだかなと、自尊心だけいっちょ前にでかく、酒場で酒を煽りそこだけを逃げ場所にしてる誰彼等を見下し馬鹿にしながらも、自分がもう既にその哀れんだ男である事が(悪い心持ちだよな、ほんと。けど今はもうそうじゃねぇよ。)認めるのがただ恐ろしく酒に酔っ払い気を散らしその苛立ちを誰でもいいからぶつける事で誤魔化してただけで、俺はただ、純粋に酒を呑みに来てるだけで、そうした中で見ず知らずの誰かに気分良く話し相手になって貰ってる、もうそう言う事でいいじゃねぇかと、そう謙虚な心がけが自然にと、、、ただ楽しく気分良く酒を飲める、そんな気持ちが一番で、そうした心が俺には欠けてたんだよな、、、そしてそいつは、酒を呑むとかは別の日々の日常でも、家族との付き合いに甥っ子との関わりで理解してきてるもんで、嫌な事やら、悪い事ばかりに目を向けてては、本来は素敵に感じるもんを見逃し、暖かみあるそうした世界をただただ遠ざけるだけで、そいつがまた本来の望んだ気持ちとは裏腹に空回り起こし、物事を別のものへとしちまい新たな悪い心がまた生まれる。憎めば憎しみが返り。嫌えば嫌い返され。怒れば怒りが跳ね返り。悪い心持ちは悪い心持ちだけが蔓延り、そうした世界にどっぷりはまり込み続けるだけ。十五から煽り続けてる酒。これが最後の俺の壁なのかもな。だから、強い意志を持って、そうした場で皆と仲良く出来る俺の心を養わなきゃな、、、
2012.08.25
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昔の友達は同じバーに十年間近く通いつめ人間関係を築き、その伝手でバー近辺のアパート暮らしと、俺にはそのバー在りけりの人生に映ってた。俺は十年以上路上で絵を売りそこから連なる人間関係を築き、絵の仕事にイベント事、委託販売、仲間、女の人を得ながらそれが俺の人生になってた。自分なりに理由があり、多くのものを無くした。俺に残ったもんはそんなには多くはなかった。彼と同じで、絵事(仕事)とバーだけを自分の居場所にすれば、多少なりとそうした中での人の気持ちが解るのだろうかと感じてた。俺の絵売りにはそのような人達がやはり多く訪れてもいて、今だから正直、素直に言うのだけれども、やはり善い人間、優しい心持ちの奴ではなかったから、俺はやりがいやら、打ち込めるもんがあり、そこに情熱を費やす事に自分なりの誇りに信念みたいなもんがあり、日々、胸熱く何時でも自身を太陽で焦がしてるそんな気持ちだったもんで、だから毎日、毎日と飲み歩き、そこだけで酔っ払い同士で、中身ない日々を暮らす事に哀れみに近い感情を抱いていた。(自分は別のまた違った形の酔っ払いなのにな。)彼にその店にも何度か誘われてたけれども、だからこそほとんど断ってた。そして、俺は俺が哀れに感じたそうした一部になった。それはそれしかやりようがないからではなく、自分なりに何かを知りたかったからなのだけれども、それでもそうしてるのだから、俺は俺が哀れんだそうした一部だと言い切れるのだろう。常に見知らぬ誰かと知り合い、そこから多くの物事を築いてきたから、そこまで違和感は感じやしなかったけれども、呑みに足を運ぶ度にほんと、知らない奴ばっかだよなぁと毎度と実感してた。どうせ皆知らない奴ばかっかなんだから、横も前も、隣の隣の、そのまた隣もまたまた知らない奴なんだから、誰と接してもやはりそいつも俺を知らないし、その人を俺も知らないのだから、毎回きがねなしに、既に知ってるかの仲のように赴くままに話しかけ、話し込んでた。で、ずっとそうした日々を繰り返してると何気にとある事に気がつき始めてた。俺は、俺が柱となり、多くのものを得て培い、自分が中心として多くの者を率いて、だからこそか、多少なりにそうした人等を連れてどこぞと呑んでてもそこに敬意、畏敬、俺にあやかりたい、そうした諸々の人の感情と言うもんを常に感じ、そこに居心地の良さと言うもんを感じてたもんで、説教したり、怒鳴ったり、罵ったり、おちょくったり、からかったり、何しても内心腹では怒ってはいるのだろうけれども皆、流石しんいちさんってなもんで、そこになんとも言えないつまらなさはあるにはあったのだけれども、だがしかし、俺はそれ以上にいい気になれてる事に気分の良さを持ち合わせてた。(どうしようもねぇ奴だよな。)しかし、、俺はなんも無しの俺として、こうしてバーやらなんやらと呑み歩いてたら明らかに人の態度に接し方が普段の俺の慣れ親しんだもんとは違ってた。誰も、俺が語る生き方話し、人が人で在り得る所以、どれにも耳を傾ける事無く、やっぱ、しんいちさんは凄いですねぇぇとしたその反応は無く、誰もが俺に敬意を払うそうしたもんを抱きはしなかった。十数年、そうした事は多く、そこにある種の疑いの心はあったのだけれども、それでもそこに俺は人に勝ってるとした誇りと自信があったのにな。どういう事だろうと内心、興味を抱いてた。こうした状況で人の心を捉えるのは何ののか。(有益な事を何もちらつかせないあり方で)人柄か。言葉に出る何かか。雰囲気なのか。滲み出る情熱か。熱い想いなのか。今までとは違ったその立場でまた別の時間、日々を過ごすのもそこに意味はあるのかもしれない。居心地の悪さが逆に関心引いた。まぁ俺の習性、本能みたいなもんかもしれないけれども、こいつは今後と俺と人との在り方を築く上で悪い経験でもねぇやと更に足を運んでた。
2012.08.24
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何時しか一人ぶらぶらと夜な夜な酒を呑みに六軒程のバーでその日の気分に任せて代わる代わる飲み歩いてた。少し前までは絵売りで知り合う誰かに知人、友人、仲良くなった女性と呑みに行く事が多く、一人で呑みに行く事などは数年に一度あるくらいなのに、多い時などは週に四度程行ってる状態で、夜の十時から朝方の五時、六時まで呑んでる事もざらではなかった。その理由の一つに長年付き合いがあった友達が自宅近所のバーに足を運び、仕事にバーとそうした日々を過ごし、それ以外に他の印象がつかない彼の生活が根の所で気になってたのが本音の一部にある。仲たがいしてから、尚更そうした日々での心境と言うもんがどういうものかが気になってた。そこが居場所とその依存度は高く、よくその店の誰々の事を話してたり、不満、愚痴、悪口も多く、一度、俺の人としての程度の低さを理解してだか、不快な奴が居るからその店を掻き乱して欲しいと足を運んでくれと言われ、俺は、自分の居場所と言うのは必要で、そこに居心地良さの感じてるのだから、気兼ねなく足を運べるそうしたもんは大切にしなきゃならないと断ったのを覚えてる。色々と人間関係が発生し、そこでのいざこざやらなんやらとあり、その何かに置いての気に入らなさから、自分の位置は定位置のままひょうひょうとそれを守ったまま、俺を利用してうっぷん晴らししようとしたんだなと直ぐに理解してたのもあってやんわり拒否したんだよな。正直な所、俺は十数年路上での絵売りを続け、そうしたもんが俺の居場所となり、そこから連なる人間関係だけを代わる代わると衝動的、刹那的に続け、そうしたもんに依存してた。絵在りけりにアートな男として、関わる大概の人は好意的な限りで彼とは違う形ながらの、彼の生活に照らし合わせた場合、絵を仕事、路上をバーとした、人からしたらそれしかイメージが着かない毎日を過ごしてたもんで、彼がそうした日々を送ってた事もさながら、自身事と、どうしてだか、絵売り、絵事以外で繰り出すその人間関係と言うものが気になり、それを体感したいように思った。違った人柄になるのなら、また違ったタイプの人達と関わる事が俺の望む世界の足がかりになるんじゃねぇのかなぁと薄々そう思ってたんだろう。絵売りから始まる人間関係はまず自分への肯定から始まり、俺への印象は悪くない所からでの関わりであり、そうした環境から幾人もの人と深く関わったもので、そのパターン、法則、関わり方、状況はさほど変わるもんではなく、ただ人が毎度と毎度と気分によって入れ替わるだけな感じで、そうした事がある何かを抜け出せない、暖かみある世界へと行き着かないその理由な気がして、だから、俺は一人ぶらぶら飲み歩くようになってた。何かを見つけれるのか。何かを感じる事は出来るのか。それに意味はあるのか。毎度、毎度の事と、まずはそうしてみなきゃ何もわかんねぇもんなぁと、そうした日々へと俺は繰り出してた。酒とそうした想いの組み合わせは果たしていいもんなのか拭いきれない疑いを秘めつつも俺はそうした。
2012.08.23
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争い、揉め事ばかり引き起こす自分を捨て去り、温和な自分へと(皆がそう言ってくれる)なった事でトラブルが起きなくなり、そうした上で家族との絆も深まり良い方向へと向かってはいたけれども、負の感情を抱えた自分とした時には善いも悪いも関係なく、良い方向へと向かおうとも悪い方向へと向かおうがお構い無しに突っ切るからこそか、言葉も行動も選ぶ事はなく、そこに多くの感情が含まれ爆発的なエネルギーが生まれ、誰彼関係なく心と心のぶつかり合いを感じ、それが生きる事へのガソリンみたいなもんになってたのだけれども、しかし、そうしたならば、そこから引き起こされる上でのある一定の生きていく世界が築かれ、決まってその最終はあまり優しくはないものへとなるからこそ、自分の生きていく世界を暖かみあるものへと変えたく、今までとは違った自分としてその日々を過ごし、何時しかそうした想いがこの自分を温和なものへと変えたのだけれどもそこにはやはり今までと違った自分だからか、エネルギー、心が生まれない。(見つからない)きっと、そうした目指す世界がまだ未経験だから、何がどうしたらいいのか解らず、ただ自分に心ある事が何なのかだけが物語り事を観ては泣けてくる事で理解出来てきて、そこにはやはり俺の本当の感情が想いがひた隠されてるからこそ泣けてくるのであり、そうした気持ちある本当の本物の心が今後と自分の生きていく世界を変えていくエネルギーへと成り得るんだとそう感じてた。そうした想いを決定的にしたのが幼い甥っ子との関わりにあった。赤ちゃんの頃から接し、彼も物心着くお年頃で、色々な事に関心、興味を引くもんで、人の言葉も自分なりに理解しそれを吸収してて、その上で、多くの事、どれにも本当の気持ちで溢れてた。彼の心ある事、気持ちが含まれてるもんはそうした振りをするそうしたもんでは無く、ただただ本物でしかなかった。人は子供から教わる事が多くあると言うけれども、ほんとまさにそうでしかない。彼が少し駄々をこねたから、それを自分なりに叱った。大人しく座り、俺の言葉を素直に聞き入れ、(そこにはてめぇには言われたくないだとか、あぁ聞きたくないとした意固地なもんが何もない。)ちゃんと聞いてて随分と反省してる様子で、ただ黙って静かに涙だけを溢してた。騒いだり、いい訳したりせずに、素直に何が駄目だったのかを彼なりに理解し、本当にただ静かに泣いてた。我がままが通らず泣いてるのではなく、本当に反省して泣いてるのが、この俺には確かに伝わり、思わず抱き締めてやりたくなった。叱ってはいるのだけれども、そうした行為とは逆に優しい心だけが生まれた。ある時に家族と口論となった。甥っ子の前で。そうした口論が外の世界で起きれば、やっぱり人に理解したいと思われる自分ではないので、大概と俺がその争い事を引き起こした根源として映り、人は遠ざかり孤立する。だから、あぁこうした様子を見て、甥っ子は俺を嫌うんだろうなぁと思ってた。そしたら次の日に俺がもう居なくなるんじゃないだろうかとそうした事だけが気にかかり、便所に行ってるだけでも、俺の名前を呼んで確認してたり、無意味に俺の部屋に居着いたり、事あるごとに俺がちゃんと居るのかを心配で確認してた。そう、彼にはどっちが正しく、どっちが悪いとか関係なく、その争いの理由もどうでもよくて、ただ単純にこの俺が居なくなるんじゃないかと言う事だけが心配なだけで、そうした気持ちが確かなもんで、それが本当に伝わり心底、心打たれた。そう、そうした心ある、気持ちある事が子供には多く、どれもが大きな物事ではなく、ささいな小さな出来事で幾らでも溢れ満載で、それに驚きを覚える事の連続だった。金に、女(性)地位利権見栄大人になればなる程に、人の気持ちある事の物事は利己的なものへと成り代わるもんで、それに比べ、子供の世界はとてもささやかな出来事、心暖まるそうした世界に多くの気持ちが含まれ、その命がきらきらと輝いてた。そして、それに純粋でただ本当の事で本物の感情、心でしかなかった。どれにも気持ちがある。気持ちある事は自分の心もわくわくさせるし、人の気持ちも感化されわくわくして、生きてる事への暖かみに張り合いを覚える。これからと生きていく事へのわくわく感。気持ち溢れる日々。人を意識しないどうしても心の奥底に疼く自分が気持ちある事。(利己的な事以外)その集まりが素直な本当の本物の事を導き出すのだろうと行き着いてた。気持ちある事はやっぱ、気持ちわくわくするのだから、勝手とそいつが生きていく事へのエネルギーになるに決まってる、とてもシンプル簡単な事だった。それが大人になり、そいつをただ自分の堅くなさが難しくさせていくだけで何もそう難しい事でもないんだと俺は知った。
2012.08.22
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それが本当だからこそ本物だと言い切れ、そいつが真実であるから人の心に届き魂が震え命の奥底の何かが疼く。俺の本当で本物で在り得るもの、、、何が真実で、何が心揺さぶるものなのか。あの時彼女に俺はそうなんだと言い切り、それは確かだった、そうだったはずなのに、感情的に怒鳴り散らす俺が居た。そう彼女の実直さは本当で、心ある事に曇りなく真実でそれが俺には眩くだがしかし実の所、俺はそれを恐れてた。彼女を毎回と目の当たりにする度に、心ある事にひたむきと正直な限りで、俺から見る限りそこにまじりっけなんか見当たらず、その心の眩さが俺の暗い影、闇を晒し尽くし、俺の中に潜む人らしかぬものが浮き彫りと突きつけられるようで、ただただ自己嫌悪と、そうした事への恐れを抱いていた。一体、俺の何が本当なんだと、、、、、、、彼女にそうした言葉を言い放ち、月日が経てば経つほどにその言葉が重く圧し掛かり、俺のこれは本当か、、俺のこの行為に言動に想いに感情は本物へと成り得るのかと、ことあるごとに自身の気持ちへと何時も問いかけてた。、、、、、案外、意外と俺は何にも心無かった。何にも心が疼かない。虚しかった。絵を描く事には心あるから、描くその行為で気を静めてた。路上で絵を売る事には最早心尽きてて、だからその終わりとともにぶらぶらと酒場に足を運びきつい酒を煽っては気を紛らわした。本当、本物とそれだけに目を向けているうちに、次第に案外とそれは俺だけではなく、多くの人がそうなんだと気がつき始めてた。そうした上で、実の所、俺がそうあるように、(人にさほど興味が沸かない)人も俺そのものには興味なく、さほど関心なく、大して心なんてないんだと薄々と解りかけ、そうした分、猫好きの子、俺の言葉に涙した子の心の本物さがどれほどに俺の心を満たしてたのかが痛い程に突き刺さった。そうした人と自分へのもどかしさ、心が騒がない事への虚しさを抱える日々を送りながら、家族と過ごす事は随分と俺を癒した。そう、家族には気持ちが、心があった。酒にべろべろに酔い、意識も朦朧とし、歩く事さえ出来ない程に酔い潰れた中で、そんな俺をも受け入れ、心地良く安心して寝れる、その心の楽さは安心感は何にも変えがたく、あぁ、こうした事がこの俺を今更と変えた要因が確かとあるんだよなと何気に優しい気持ちになってた。気持ちがある、、、そう気持ちがある事が、それが心と呼べるもの、、、これでもかとある程の心だからこそそれに置いての本当さが誰からの目にも無視出来ない程に確かと映り、その本物さから気持ちが震え揺さぶられそいつが確かと伝わりきる。(人は本当の事はいい訳出来ない程に好きだから。)そして、もうそれはそれでしかない真実がそこに生まれる。本当の事が。家庭を持たない俺だけれども、こうした日々を過ごす中、赤ちゃんと過ごす日々を俺は得てた。まだ心も何も無い、真っ白な心の赤ちゃん。お前って、俺がなんなのかもわからねぇんだろうなぁと不思議な気持ちだった。そんな甥っ子も、なんやかんやと四歳になり物心がつき始め、そんな彼がこうした日々を過ごす俺に多くの事を教えてくれてた。彼はこれからと多くの事を学び得て、これから更にと沢山の心に感情を培い手にする未来ある命。彼は始まったばかり。気持ちも想いもまだまだこれからで、そこに卑屈な影など微塵も無く、ただ純粋無垢なその真っ白さ。俺は、なるべく良い物を見せてやりてぇよなぁと彼の心は裏切りたくはなかった。そうした事が随分と俺の生きてる事への価値を大きく揺さぶってた。
2012.08.21
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素面の時には極自然と温和な人間になれてきているようにも思えてきた。絵売りで知り合い、多く会話した女の子に落ち着いてて優しい人柄だと言って貰えたり、他から人におっとりしている、怒鳴ったりするようには思えない(自分がそう言う人間だと常々正直に話してた。)切れたりするようには思えない、そうした前向きな言葉を多く貰え、それは勿論、人に良い印象だけをもたれたい表面上だけの演じたただ嫌われたくはない良い人と言うものでは決してなく、今後と自分が生きていきたいそうした世界へと辿りつきたいその意思から、自分なりに自然とそうしてる行動に言動から人からそう捉えて貰えるようになってた。色々と足を運んだ酒場でも、少しづつながらにでも、善い方向へと向かってきているようにも感じられてきてた。人の事をよく褒めますね。話しやすい人柄ですね。好感持てる。あなたみたいな人柄は嫌いじゃないですよ。遊びに行きましょう。女の人からもそれなりのお誘いを受け、酒が入ってる自分としてはそれなりと良くなってきてる気がしてた。まぁそれでも、時に態度悪かったり、信念にそぐはない事柄あったら少々乱暴な物言いはするけれどももうぶち切れたりはしなくなってたのがいい兆しでまだまだ改善の余地は多くはあるけれども、これほど酒を煽っても、それくらいの自分で居れてる事が上等に思えてた。けれども、心ある事をエネルギーにと感じ日々やっていこうとするにはしてたけれども、全然心と言うものを感じる事がなく、そうした出来事もさほどなく、どうにももどかしく感じてた。で、そうのこうのしている内に、俺は酒を呑んでる場でよく、俺の言葉で涙した子の話しをちょちょいするようになってきて、(そこには多くの心の交じり合いがあったと感じれたから)最後の晩に自分が彼女に言い放った言葉を前以上に考えるようになってた。俺は本当で本物なんだと。それは今だから言えるのだけれども、そいつは彼女を想う自分の絶対の気持ち。それが自分の人間性では伝わらない苛立ちから出来てきた言葉とも言え、(他にも色々とあるけれどもそれは省く)何年も想い続けた俺の情熱であり、そこに俺は自分の本当の本物の心と言うものを何があっても譲れない程にそう感じてた。そう、人を想う気持ちにその情熱からくる心ある行動から、俺はそうした物語を観たら一人こっそりと泣けていたもんで、そこには人の心の本当さに本物さが煌びやかと素敵だからこそで、もしかして、こうも今の段階、状況で心が何も感じないと言う事は俺は本物じゃねぇんだなぁと無意味と心ある出来事に心ある人と言うもんはそこいらにごろごろと転がってるわけはなく、俺自身の心の本物さから、そうした事は起こりうるんじゃねぇのかと、、、俺が本当の本物さであるからこそ、本当の本物さを含んだ人の心の情熱に触れ合う事が出来るんではなかろうかと、、俺が誰にも心を感じないように、誰もがこの俺に心を感じてないからこそ、そこに何も本当さが生まれやしないんだと、そう、俺はないものねだりをしてたんだ、、、そんなものを誰にも分け与えてないんだから、そんなものを無償と俺だけが貰えるわけがない、、、本当の心に、本物の気持ちに人の魂は震え、互いに引き寄せ合い惹かれる、、、俺は本物にならなきゃいけない、、、もっと正直に、もっと素直に、自分を包み隠さず、誤魔化さず、俺の本当を知って貰い、一体全体、何が俺の本物なのかと、、、
2012.08.21
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猫好きの子が見てくれた自分では気がつかなかった一面。その中で一時でも心地良い場所へと踏み込めた実感にそれをそう感じれた気持ち。散々と繰り返した争いの人生からの脱却に、必要不可欠のまだ見ぬこれからの自分の人間性。そして、その先にある暖かみ感じて生きていける世界。出来る限り負のものを捨て去り、すっからぴんの文無しのまっさらの自身。怒りも憎しみもないから、沸き起こるエネルギー、ガソリン無しでの歩み。頼りにしてた己の武器を捨て、これから何を頼りにすればいいのかも解らず過去の良い思い出にしがみつきそれを勇気に歩むそのエネルギーへとしようとしたけれども、それではただ己を哀れんでるだけであり、何をしたらいいのか本当に解らず、一人ぶらぶらと呑み歩き他人に八つ当たりと、(もしくは暇つぶしか。)実はそれ自体が俺をそうした争いへの世界へと何時までも踏み留ませる結果の繰り返してきた根源でもあり、それでも弱い人間でしかなく、大きく変わりたくはあるけれどもどうしても逃げ場所が必要で、俺はそれに気がつかない振りをしてた。怒ってるわけでもないし、憎んでるわけでもないし、悲しんでるわけでもないし、嘆いてるわけでもなく、行き場のない、この感情はなんなのか皆目検討がつかないそんな状態だった。そうした日々ながらも、家族とは随分と仲良くなっていき、母とも随分と親しくなり、何時しか俺も母がはまってる韓国時代劇ドラマを観てた。本来、俺はTVドラマとか性分ではないから観ないのだけれども、家族との共有の趣味も悪くねぇなぁと観ているうちに、次第に自身みずから多くの作品を観てた。義理に人情、思いやりに、人を愛する気持ちに、家族を思う気持ちに、何があっても仲間に友達を守り通す絆に、例え敵であろうとも、自身と相反するものでも見放さない、見捨てやしないそうした世界がどの作品にもあった。何故だか、そうしたもんを観てたら、所詮作られたドラマの世界だけで成り立つだけのもんでしかないと解りつつも心の奥底から込み上げてくる感情があり、俺は涙が毀れてた。俺は泣いてるのか、、、とそんな自分に戸惑った。それが決して一、二度だけではなく、何度も、何度も、何度もとそうした事が起き、俺には泣けてしょうがないほどの、そうした世界が、そんなもんがただの一度も自分の生きてきた世界に皆無と存在してなかったんじゃねぇのかなぁと、そう思えば、それが寂しく泣いてたんだと俺は次第に気がつき始めてた。確かにそれに近いような事は、そりゃぁ人の出会いも関わりも多いのだから、あるにはあったのだろうけれども、こうも胸打たれるほどに、心の繋がりを感じ合いながらの、仲間同士思い合う気持ち。友と友が信頼し合う心。決して人を見放し、見捨てやしない心の奥底から沸き起こる思いやり。人が本当に人を想い通す心。そんなもんが、、、泣けて、泣けてしょうがなくこんなの本当にあるのか、、、ここまでの思いが人に俺にそうした心が誰にでも存在し得るのか、、、そんなのが本当にあるならば、それが欲しいと願う暖かみあるその世界、それじゃねぇかと、、、そう、人が人を想う心俺が人を思える心物事、出来事に尽くせ気持ち宿す事出来る心それは遠い昔に、幾つとて瞬間とてそのでかさがどれほどのものだったのか、今では(その時)もう解らなくはなっちまったけれども俺にもあったのにな、、それを確かな程までに築き上げ継続する程の力量に人間性が足りず、そうしたもんを掴むチャンスは何度とあったのに幾つも反故にして、だから、寂しく俺は泣くのか、、、、人を想う事で湧き上がる力絆を感じる気持ちから溢れ出す命突き動かされる心、、、、それを俺の生きて行くエネルギーにすればいい、、、そうした暖かみある世界に見合うだけの己へと突き進む為へのそのエネルギー、モチベーションへと、、、そして、韓国時代劇を観るだけ観通して、どうしてだか、今度は海外ドラマを観てた、、、猫好きの子と、海外ドラマの映画版を観に行った時に、彼女はそのドラマからの感動からか涙を溢してた、、、それが気になってだか、なんでだか、何だか馬鹿みたいに海外ドラマばかりを俺は観るようになってた、、、そして、色んな酒場で酒を呑んでは、多くの女の人が海外ドラマが結構好きなもんで皆色々と観てるんだと知り、進められてるもんを観てたりもしてた、、、俺は心あるもんを観たら泣けてしょうがなく、猫好きの子は海外ドラマの映画版で涙して、じゃぁ、酒場で知り合う海外ドラマを観てた人等は何らかのそうした作品で自分の心の何かが動かされ泣いてたりするのだろうかとそう考えつつ、あの子は俺の贈った言葉で泣いてたんだよな、、、と、あるバーで呑んでる時に俺はそれを考えてた、、、俺の心が彼女の心に触れ、だから泣いたのかなぁと、、、そしたら、何だかやり切れなくて馬鹿みたいに酒を煽ってた、、、(気持ちを裏切った不甲斐ない自分に)
2012.08.20
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路上の絵売りは控え目に、絵の仕事は知り合いだけに限りこなし、頼まれるウェルカムボードを描き、自分の作風の絵は一切描かずに、ひらすらデッサンだけをし、空いた夕方から四時間程度の肉体労働のバイトをしながら、何をどうしたものか、慌てても仕方がないので、じっくりと自身の人間性の改善に勤めてた。素面の時に限り、ほぼぶち切れる事もなく随分と感情を抑えれるようにもなり、無難にそつなく人との関係をやり過ごせれるようになってた。(そつなくしてるだけだからまだ見つけ出したこれからと未来ある今後本物と成り得ていく自分ではない。)何気に昔、親密だった女性に会ってみたり、絵売りで知り合った誰かに会いに行ってみたり、何かを感じる事があるのか、そうした事が知りたく、幾人かに確認作業的な事をした。そう、怒りも憎しみもないもんだから、こう無意味に溢れ出す爆発的なエネルギーが沸き起こらず、心が空っぽと言うもんが一番近いそんな状態で、しかし、無作為手当たり次第に心、心とがつがつとそれら探しと、人に物事に費やしても、まだ自身の人間性に疑いを感じられるもので、日の当たるそうした世界に辿り着く手段が皆目検討着かず、それに向けて費やす労力の行方がなく、出きる事は自身の内面、人間性の改善なだけであり、(そうした自分にならない限り、そうした世界は皆無と知ってるから。)何時しか、一人ぶらぶらとあてなく酒を呑みに行くようになってた。そして俺は知る。酒を呑む事は理性のたがが外れ、本来の自分が浮き彫りなる。それなりと、幾分か自身の人間性も善き方向へと向かってると、少しは感じられるようになってた。それはもちろん素面の時に限り。しかし、酒場とした場所に一歩と足を踏み込めば、それは違ってた。人に喧嘩をふっかけたり、女の人にちょっかいかけたり、誰かを扱き下ろしたり、侮辱したり、からかったり、人から憎まれる、反感買う自分でしかなかった。呑み過ぎて、警察に補導されたりもしょっちゅうで、しまいには警察をも散々扱き下ろしたち悪すぎて護送車で家に送られる始末で、酒場から締め出される事もあったり、そうか、もう誰も止める奴が居ないから、一人好き自由と酒を煽る事になれば所詮俺もこんな程度の俺なのかと内心感じてたけれども、それでも、その張り合いの無さ、虚しさから、(心には絵を描く事と、自身の人間性の改善に、日の当たる場所に行く事に家族にしかなく)外の世界へと向かう心が何もないから、そいつに置いて目を向けないようにしてた。(酒を呑みたち悪くなる自分。まだ改善されない己の一部)
2012.08.20
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家族で食事をしに行ったり、旅行しに行ったり、甥っ子と遊んでたり、母とも気軽に言葉交わすようになってた。俺は弟以外との家族とはあまり仲が良くなく、祖父、親戚とも疎遠状態で過ごしてきたもんで、孤立感と言うものを抱いてた。更に言えば、ガキの頃も実の父との記憶はろくなもんではなく、義父からも冷たい仕打ちをも随分と受けていたもんで、家族と言うものから、さほど愛情と言うものを感じた事もないし、そしてこの俺自身も何かに愛情を抱くそうした気持ちが稀薄で、好きになる好かれるがとても苦手だった。ただ自分は何にも受け入れられる存在ではないと言う事は理解してた。(こうした頃から沸き起こる怒りに憎しみはサム兄との罵り合いで解放されてた。)そう、解消はしたけれども、俺の有り余る怒りの始まりはそこから始まったもので、(やはり人が誰もが学ぶのは家族との関係からであり、自分の基礎、土台はそこから作られるもんな。)なら、愛情と言うものを(俺の言葉に涙した子に猫好きの子に置いて愛情は生まれたけど)俺の人間性に置いて得るその始まりも家族から生まれれば、それが今後共々多くの場で善い形でその姿を現すはずで、(それほど血の繋がりは大きい)家族との拠り良い関係が少しづつながらも何時も渦巻く孤立感を次第に取り払っていってた。そして、それに平行して、何故だか、今度は逆に人に怒鳴られたり、おちゃくられたり、小馬鹿にされたり、舐められたり、悪口言われたり、粗暴な態度を随分とされるようになり、こいつはもしかしたら、今まで随分とそうした事を堪能した自分への人の心の復讐か、もしくはもう変わりたいこの俺が試されてるその現実かと、何があっても絶対、そうした本来は得意な世界、土俵には上がらぬようぐっと奥歯をかみ締めてた。始めの頃はただ我慢し耐えるそうした気持ちでいた。呪文のように言い聞かせてた。俺は変わるんだろう、、、生まれ変わりたいんだろう、、、そんなのは充分人生飽きる程やり尽くしてきただろう、、と、、そして、ある時期から何かが変わってきた、、、(家族との拠り良い関係も効いてきたんだろうな。)本当に世の中案外誰もが人の悪口やら悪態に、不満に愚痴に自己評価の低さに社会に怒ってた。自分と言う人間が徹底してそうした気持ちを排除、締め出し、始めの頃はただ我慢してただけだけれども、そいつを数年も続けてるとただ本当に自然としたそうした卑屈な心持ちは沸き起こらず、なんか、解ってしまったんだよな、、、こいつは、当の本人が大変じゃねぇかと、、、そうした心しか生まれない、、、物事をネガティブに捉え、そこから醸し出される人柄に言動に行動は、自然とその人間性に浸透し、回りに人にばればれで、誰もがそれを確かに感じ取ってるもので、それが当の本人だけが気がつかず、人との関係に空回りを起こしてるのを、、、想いはあった、、、気持ちはあった、、、心はあった、、、けれども、俺も確かな程までにこうした状況から人の理解を(滲み出る卑屈な人間性)得れやしなかったんだと、、、人が俺を理解しないのではなく、理解したいと思われるそうした人柄ではない、自身の罪と罰だったんだと、、、
2012.08.18
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怒りを生きてる事へのエネルギーに、何時しか俺の言葉で涙した子の傍に居れるような男になれるようにとそれを目的に生きてやってきたから、そうした俺の媒体が無くなってしまい、どうした事を命に携えやればいいのかただ本当に皆目検討がつかなかった。住んでる世界を変えるには、自身の人間性をこれでもかと変え行く事が肝心で、それはただ頭で理解し、そうした振りをするだけでは意味はなく、本当にそう感じれる(暖かみある事柄に無性に関心持てる)その心が真のそうした自身の人柄を作り出すのだから、だからと言ってそうした事があまりに俺の人生には希薄だったもんで、なにをどうすりゃぁいいかなんててんで解らなかった。ただ、出きる事は徹底して、人を悪く言わない。人を怒鳴らない。人とは争わない。人に手を出さない。人を貶さない。人をおちょくらない。それだった。そう、ただぐっと我慢するとしたもんではなく、本当にそうした気持ちが(負の感情)沸き起こらない、そうした俺の魂の形成。素行の悪さ、態度の酷さ、乱暴な物言い、本当の所はそいつに居心地の良さを感じ生きてた。それが一つの一つの自身の行動をかもし出し、人をとっちめる事で自分の価値を見出してた。(それがやはり何らかの形で出るから駄目だったんだろうな。)ずっと自分が自分としたものを失くす勇気が必要だった。それを武器に人と対等、それ以上に張り合えてるとした心持ちがあり、きっとその心も今後目指す世界に必要はないものだから。俺はまだ更に多くの事を捨て去り、(友、仲間、知人、絵の仕事、絵売り、女、心ある人と捨て去り、今度は自分が自分だと感じてたものでさえも。)この上なく、すっからぴんのなんもなしの男にならなきゃぁいけねぇのかとなんとも言えない言葉には決して言い表せやしないそんな心境だった。そして、俺には家族だけが残った。家族だけは残り続けた。そう、それが今後とこの俺を変え行く大きな意味合いがそこにあった。家族を家族として感じて生きてこれやしなかったそこに実は俺の怒りに憎しみが生まれたその答えがあり、ただそれを自分勝手とてめぇのやり方で解消したけれども、だからと言ってそいつが家族との絆とは言い難く、そうしたもんがこの俺にはなかった事が暖かみある世界を自身の手で拒絶するその終焉へと向かわせるもんで、やはり、行き着くべきもんは俺の言葉で涙した子然り、(最悪な自分の時に限り会える)行き着くべく必然と、それはそう出来てるのかもしれないと俺は感じてた。忌み嫌い合いながらも(今は一緒に旅行行ったり、飯を喰いに行ったりとめちゃめちゃ仲が良い)残り続ける血の繋がり。そこに、俺が180度人が変わった要因があった。生きてる事は誰もが家族から始まる。そこが自分の形成の船出みたいなもん。俺たちは本気で家族をやり直してた。
2012.08.17
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だからと言って何をどうしたらいいのか解らなかった。(自分の内面を生きていく世界を変える。もしかは持ち合わせた違うその一面を見直す事な。)深夜遅く、猫好きとよく一緒に居た公園なんかに居着き、一人缶ビールを朝まで煽り、色々と考えてた。猫好きの子との過ごした日々に答えがあるように感じられて、彼女が口にした事、彼女が楽しそうにしてた事、彼女が嬉しそうにしてた事を色々と思い起こしてた。なるべく心暖まる善い事ばかりを。深夜遅く、一人缶ビールを朝まで煽り、俺の言葉で涙した子がよく居た場所に居つき、俺の言葉で涙した子の事において深く感じれば答えがあるようにも思えて、初めて彼女と会った事、彼女が俺に言葉にした事、彼女が喜んでた事、彼女が笑顔溢した事、そして最後の晩に俺が彼女に口にした事に彼女が俺に口にした事をずっと考えてた。ただ、俺の世界はそれだけになってた。誰も居ない事は寂しくはなかった。それは、自分が自分の手で齎し、築いた世界で、その答えがこの今なのだから、こいつをとことんと気が済むまで俺は受け入れ味わいたかった。別の結果など、何度繰り返そうと同じで、幾らとやり直そうと、行き着くとこは同じに決まってるもんで、俺がこうした俺である限り何もその物事の変えようはないはずであり、それを、その歯車をどうにか善い方向(暖かみある世界)へと導かなければならないのは確かで、そうするには、一先ずは、俺は俺が自身の手でこの人間性で齎したこの現実のその事実を受け入れるしかないんだと、誰も居やしないそんな何もない世界を気が済むまで堪能してた。自分も無く、(新たな自分をとしてるからこの段階で自分なんてないからな。)人も無く、世界も無く、無なる場所に意識だけが存在してるそんな気分だった。怒りは見つからなかった。憎しみは見つからなかった。悪意は見つからなかった。俺は何を見つけ出そうとしてるのか、、、ただ、案外世が明けるのは、はえぇもんだなぁと、さほど美味くも感じないビールを朝を向かえてもずっと煽ってた。そして、猫好きの子の連絡先と俺の言葉で涙した子の連絡先を消した。さてと、なんか汗水垂らして体動かすそんなバイトでもして久々と絵以外の事で働いてみるかと何気にそんな事を考えた。(何も考えずにひたすら体動かしその先に答えを見つければいいやと思った。)
2012.08.16
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全ては終わったそんな思いだった。とことんと悪い自分へと舞い戻っていき、人は更に遠ざかっていった。数年来付き合いのある人等も、俺とはやってられないと離れていった。もうそれすらいっこうに構いやしなかった。これは十代の頃に似てる。何にも期待、希望は持たず、もうなんだってどうだっていい心持ちとひたすらと酒を煽る。こいつが本来の俺か。そして、とことん最悪な自分の時によりによって俺の言葉で涙した子と再会を果たした。嬉しくはあったけれども、この時の俺では決して会いたくはなかった。あまり優しい事柄が生まれるはずがまずない。しかし、ほんと、世と上手く付き合い、人と仲良く出来てて、生きてる気がしてるそんな時に彼女と出会えた事はほぼなく、最悪な自分の時に限り俺は彼女に会える。もしかしたらそれはそう言う事なのかなぁと感じた。こうした自分が彼女に知られる事が怖く、何時だって彼女に会えても俺は逃げてた。世界の全てが俺を拒絶しても耐え切れるけれども、彼女だけには絶対嫌だった。しかし、それでもこうした自分からどうしても逃げ出す事は幾ら月日を流そうとも出来ないもんで、もうこれが俺でしかないのか。こいつが本来の俺の姿、形なのか。これが俺の本当なのか。なら俺は俺でいよう。本当は再会を果たした時に、俺はどんな世界を夢抱き期待してたのかももうなんだか忘れちまった。あまりに遠周りしすぎちまったのかもな。そして、俺は俺の張り合いだった子からも拒絶された。全てに思えてた頃も確かにあったはずなのに。それからは、ずっとサム兄と罵り合い、罵倒し会い、貶し合い、とことんといった。通常の人ならば発狂するんじゃねぇのかなぁと思える程、誰もが本来他者には入り込ませない内面深いそんな所まで土足で上がり込む領域くらいまでととことんと最下層奥深くまでに。(実は生まれた時からずっとそうした世界に生きていた。俺の人生に普通に有りふれた当然の狂った世界)一度こうした状況が他の人とあったけれども、その人は互いのその異常さに引き怒りすら見失い、お前は何時しか誰かに刺されて野垂れ死ぬと言い放ち、俺の前から消えて二度と関わらないでくれと俺を軽蔑するその目を落としそう言った。人を罵ったり、マグマのような怒りを抱えどんな下らない事ですら人に負けなど認めやしない人なのに本当に心参った表情で自分には頼むから近づかないでくれと、その人ですらついてはこれない領域だった。補足としてその人が傍に連れてる人はこの状況の狂気、異常さに怯え、過呼吸起こし倒れてた。ただ、ただ、そうした領域とサム兄と気が済むまで二人罵りあった。しかし、それでもサム兄は次の日には機嫌よくにこにこと俺の前に姿を現し互いに仲良くしてた。そしてある時何時ものように怒鳴り散らし合い、俺はサム兄の前で酒が呑みすぎたせいもあり、汚物を吐いて、吐いて、吐きまくった。安心出来るのか、気を許してるのか、心楽なのか平気だった。(恥を感じない。)俺は絶対人前で、そんな姿見せないのに。(げろっぱしてるとこな)サム兄はそんな俺を見守り続け、しかしそれでも俺がどうか俺をほっといてくれと言い切るから、ただ優しい言葉をかけ、冷たいジュースを俺の傍に置き、静かに穏やかに去った。(俺は常々人に優しいと言われてきたけれども、本当はサム兄みたいな人が本物の優しさを持ち合わせてるんだと思う。)それから、幾日かして、俺はその日の晩を最後ともう人を怒鳴るをやめる事にした。人を貶すのをやめる事にした。人に手をあげるのをやめる事にした。人を罵倒するのをやめる事にした。人を傷つけるのをやめる事にした。人と争う事をやめる事にした。人と悪く言うのをやめる事にした。怒りは尽き、まるで憑き物が取れたかのようなそんな思いだった。そう俺はどうしようもない程の恥に怒りに恨みつらみに情けなく弱い自分をも含めてとことんとぶつけ合う事で、その先に人と解り合ってた。まさかサム兄と解り合うとは思わなかった。そんなサム兄を俺は凄いよなぁと感じてる。俺の最後の希望、夢にも近いそんな存在からも拒絶され、(そう自分で導いたとこもあんだけどな。)その絶望の淵の先に己の負を吐き出して、吐き出して、吐き出して、それを丸々受け切れる人と何の因果か巡りあい、その果てに互いに解り合えた事が、この俺の何かを大きく変えてた。生まれて始めて人に理解された。そして思い出してた。俺は一時でも日の当たる心地良い暖かみあるそんな世界を生きてると思えた事が確かにあった事を。猫好きの子が傍に居た時に、彼女が俺の中に見たその一面にそうした世界が諦め切らなければあるのかもしれないとただ本当にそう思え、その自分の気持ちを信じる事にした。生まれ変わった気持ちと、心を零から始め、魂に命を清め、優しい世界に俺は生きていたい。そう生きていきたいんだと、、、今度こそ俺は本当にそう感じてるんだと自分を信じてみる事にした。
2012.08.16
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あまり心持ちが良くない状況の時期に(気持ちにゆとりがない。)猫好きの子と親密になった。出会いは6、7年程前にあり、その当初は綺麗で知的な感じの大人の女性と感じられ自分の住んでる世界とは程遠いから縁のない事とさほど言葉を交わした覚えがない。のちに京橋の古道具屋を借りて展示会をした時に再会した。随分と色っぽくなり綺麗さは更に洗礼されより魅力的な女性になってた。そののちからこの俺も随分と多くの事に足を踏み込み、自分が住んでる、生きてるその世界を変えてはみたけれども、やはりそれでも生きてる世界がかけ離れてるようにも思いながらも、(学が無いと入れそうもないよさげな会社にも勤めてた。)多くの事を取っ払い、ただ性根のところ惹かれた。(それ以外でも誇れぬ幾つかよからぬ悪い心があった。)綺麗でおっぱい大きく(頭悪くて簡便。けどこれが男の性根)知的な感じの大人の女性と本来の俺ならば深入りするそんな機会はそんなにはないのだけれども(内緒の話しなのだけれども大概親密になった女の人は皆おっぱいは大きい。<俺の性癖かな??>)何故だか親密になる事に積極的に勤めた。親密になればなる程に不思議な人だった。自分が思い描いた彼女ではなかった。それは悪い意味ではなく、ほんと予想外の事ばかりで、だがしかしどれもが好感もて、俺にはもったいな過ぎる程に素敵な女性だった。穏やかな物言いに、気取る事もなく、多くの事に興味を持ち関心、好奇心満載と、そう、俺はここ何年間か子供と真面目に付き合い接してるから今にして解るのだけれども、子供と同じく(善い意味で)毎日を楽しく過ごす事に興味を本当に持ってて、それに俺と過ごす事にわくわくしてた。(それは今、よく遊んでる甥っ子に似てる)実は正直な所恥ずかしい限りだけれども、人が俺に接して、相手側にそうした心があると感じれたのは、この女性と甥っ子以外俺の人生にはない。俺のしてる事をしたがり、俺の呑んでるビールをはしゃいで真似したり、俺が何時も食べるアイスを真似して買って嬉しそうに持ってきてはしんいち君と同じアイスと笑顔溢し、そうなんだよな、ほんと、今にして解るけど、ここ何年間か仲良く過ごしてる甥っ子がそんな感じなんだよな。女の人に男と多くの人に触れてきたけれども、こんな人柄の人と過ごす事はなかったので俺はどんどんと彼女に惹かれてた。どれほど人が居ようと何時も一人のような気分が晴れ、不思議な心持ちがこの俺に生まれてた。そして、そんな彼女がこの俺にたいするその見方は、本来、俺が自分がそうだと感じてるそんなもんとは程遠く、そんな一面がこの俺にあるのかと本気で驚き、それに置いては今だ人にそれを俺は語る。今に連なるその生き方、心持ちのあり方を形成したのは、その始まりを提示してくれたのは他でもない彼女。けれども、俺の性根に生まれは彼女の生きてきた世界とはかけ離れ、それは誤魔化しようもなく程度の低さとその姿を現し、深い闇と本来素敵なはずのものを覆い尽くしだからそんな彼女(日の当たる側に住む人達)をただただ傷つけ汚しいくようで、それに決して目を背ける事のないその事実が俺と彼女の関係にあり、それが心苦しく、電話越ながらにも、多くの心が溢れ出し、生まれて初めて女の人を前にして本気で泣いてしまってた。程度低い自分が恥ずかしかった。彼女の心を汲み取れない自分が憎らしかった。そして、俺はクリスマスの晩に彼女に酷い言葉を贈り、俺の本来の育ち生まれ生きてきた世界を語り、大嫌いだと何度と罵倒した。絵売りへの心は失われ。心通った女性は失われ。多くの知人、友人は過ぎ去り、、、、俺はまた十代の頃並に酒に溺れ、人を怒鳴ったり、喧嘩ふっかけたり、罵ったり、随分と慣れ親しんだ自分に思う存分と舞い戻った。そしてそんな自分を哀れんだ。そんな毎日を自暴自棄と過ごしてる内にホームレスもどきのおっちゃんに食べもん分け与えて貰ってたり、酔っ払いのおばぁちゃんに哀れみから施しと絵を買って貰ってたりしながら過ごすうちに気かつけば、サムと何時でも怒鳴り合ってたり、罵り合ったり、ちょい喧嘩事になってたり、互いが互いで収まりきらぬ怒りをぶつけ合ってた。この時の俺にただ一人全力で自分をぶつけてくる人だった。仕事もなく。金もなく。喰いもんもなく。友なく。女もなく。仲間もなく。心許せるもんもなく、、、ただ酒を呑むしか出来やしないそんななんもなしの俺に何があるのか、サム兄は何時も俺の所に訪れ、仲良くしたり喧嘩したり怒鳴ったりそんな事を二人で繰り返してた。それは、なんだかヒデの時と似てるそんな状況と此処に一つの答えが、俺の生きてる事への意味合いがあるように思えた。生きてる事。それは俺は何時でも何かを足掻らいたく、何かから逃れたく、それにこの俺を罵った世に自分なりの復讐(人生を楽しむやら成功するとした形で)を果たす事で成立ち、全ての事に見返したく、誰かを振り向かしたく、拭えぬ怒りに憎しみがぐつぐつと煮えたぐり、そいつをぶつけるそんな場所に、そんな出来事に、そんな事柄を望んで、それに労力費やし、それが俺の生きてる事なんだと理解した。
2012.08.15
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親密な女の人が居た。その人。とうど○君。絵を描く。絵売り。絵売りから連なる多くの知人、友人、仲間で生きてる事でのバランスを取ってた。それでどうにか自我が保れてた。絵売りをいったん離れた事でそのバランスが崩れてた。もう何にも胸が張れる心境は無く自信喪失。そんな時に、彼女に再会した。どうしてだか俺は彼女に執着してた。ずっと彼女が気になってた。縋るように救いを求めてるような様子を見せながらも何時でも怒りに満ちたあの時の少女。今だから解るのだけれども、俺は彼女の中に俺を見て、俺の中に彼女を見たんだと思う。幾ら人がこの俺に手の平返して肯定し褒め称えてくれても、それを素直に受け入れる事は出来ず、仲間が居ようが女の人が居ようが拭えぬ孤独がつきまとい世界に自分しか居ないそんな気分だった。俺は彼女に再会し、君を励ますと言葉に文を贈った。それはそれで本当の心なのだけれども、決してそれだけではなく、根の所に自身の魂の救済に彼女の存在それに希望を抱いたんだろう。生きてる事だけで苦痛を感じ、それに足掻らう為にこれでもかと多くの事に足を踏みこみ生きてる事に喜びを得ようとどうにかこうにか歩んではきたけれども、それでも取り払う事の出来ぬ俺の闇。それがストッパーとなり、何にも何者にも何事にも分かち合う事が出来やしない。彼女が俺の言葉で涙した。俺はまるで神を崇めるかのような程までに彼女の存在に心酔した。人の心に触れた事。人の心が自分に触れた事。痛みつきまとう魂が和らぐようで何時でも彼女の事を考え想った。それだけで生きていけるように思えた。それから数年が経ち、絵売り絶好調第二時期のど真ん中に俺は居た。俺はまるで十代の頃の自分を彷彿すかのような程までに(それでもあの当初の半分くらいだろうな)荒れ狂ってみせた。もう誰もこの俺を善い人とは言わなかった。まるであの頃のように人は俺を嫌悪し憎み、いかれて可笑しな人と口を揃え言葉にした。しかし、それでも、”それが”自分なんだとぶっちぎりとした。ホスト四、五人と胸ぐらを掴み合い怒鳴りあい、人を蹴り飛ばし、警察に連行され、誰かを殴り散らし、いきがった数人の若者に喧嘩をふっかけ罵り散らし、人を罵倒し、罵り、高笑いに小馬鹿にし、行き場のない想いを撒き散らした。けれどもどうしてだか可笑しなもんで、そんな自分に多くの人が慕い寄ってきた。もしかしたら、それは第一時期以上な程までに。善い人ではない。悪い人の俺に。しかし、俺は俺を慕う男は全員心持は子分としてた。しかし、俺は俺を慕う女の人はそのうちセックス出来ればいいとしてた。ただ自分の闇に従った。俺が善い奴のわけがない。そしてふと俺はタバコ屋のせがれの皆に可笑しな奴だと馬鹿にされたおっちゃんを思い出してた。誰か、この意味を知ってくれと内面救いを求めるような思いだった。(とうど○君は解ってくれると内心思ってた)人が居ても、何があっても、どうあっても、この魂がきりきりときりきりときしんできしんで痛くてたまりぁしねぇ。そして、絵売り絶頂期第二時期を通り越し、俺の傍に猫好きの子が居た。生きてる事の意味合いをのちに変えるその彼女が。
2012.08.15
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更に上に行きたいのか、現状が気に入らず納得出来ないのか、それとも何事かの不安からくるのか、ある期間を通過すると俺は大概その状況を変える。例え、それがどれほどに好調な状態であっても。大体その周期は2、3年。絵売り中期にもなると、路上で絵を売る事も板についてきたもので、そんな調子とやはり特定の場所に特定の時間に決まっているもので、多くの知人、友人、仲間を俺は得てた。大分、皆にも顔も知れてて、思わぬ場所でもしょっちゅう誰彼と出くわし、絵を売ってる人ですよねと声をかけられてた。もちろんそれは好意的な視線からの態度で、十代の頃のクズのような生き方をしてたその時の皆に出くわした時の反応とは随分と違うもので、ほんの偶然にしろここまでと到達する為に多くの苦難はあったのかもしれないとそう素直に思いながらもしかし、変わり者。おかしな奴。素行、態度の悪い奴。アル中。いかれてる。狂人。世に生まれてきたのが間違い。それが、善い人。アーティスト。面白い人。楽しい人。かっこいい。憎んだ世の中が容易く手の平を返し、この俺に友好的で、嬉しさ半分、しゃくに障るそうした一面を俺は引きずってた。だからこそか、そうした反面、がさつで素行の悪さも幾らかひけらかした。今にすれば、表面上の俺だけを見て、その中身、俺の中に渦巻くどす黒い邪悪さに目を向ける事無く、もしくは敢えて逸らしてるのか、そうした事が俺自身の事柄を省いて他の物事、一面に置いても世はそうなのか、人の心はそうなのかと、ただへらへらと、俺は善い奴だぁww俺ってかっちょいいwwもう俺っちてばアーティストだもんなぁwwと素直に喜べなかった。第一時期その絶頂期のピーク時。俺は絵売りをやめて、生まれて初めて真面目に働いてみた。皆人生に退屈してた。いかにして怠けるかに労力費やしてた。ただ立ってるその姿からでも何かを感じ取るのか、態度がでかいと説教された。随分威張られ、馬鹿にされて、こけにされた。(俺の感じ取り方がそうだった。)一、二度ぶち切れ怒鳴り散らした。けれども、何があっても半年は続ける(半年契約だったから)と決めてたから、一日十二時間三十分その半年、一度もさぼる事なく働き通した。そして人間不思議なもので、今度は逆に俺は善い奴なんだぞ!!俺はアーティスト的な男なんだぞ!!俺は皆に敬意を払って貰える男なんだぞ!!と、そうした反感めいた心を抱いてた。で、その仕事が終わり、また俺は絵売りに帰った。そして、ある時、その職場で随分とこの俺に舐めた態度をしくさった(悪い心持ちの人間性だったもんで敢えてこうした表現でな。)男が路上の絵売りに姿を現しこの俺になぁなぁと話しかけてきて、、俺はおちょくり、小馬鹿にし、大笑いし、己の醜さを叩き付け復讐した。で、思った、、、、人がどれほどこの俺に好意的で友好的であっても、人がどれほどこの俺に否定的で反目的であっても、それは、この俺が作り出すその世界なのだと、自分と言う人間に嫌気がさした。絵売りはもう胸を張れるものでもなく、(どれほど好調でも)俺の築いた毎日、日々は決して本物に成り得る訳もなく、生きてる事に拭えぬ寂しさを感じた。そして、ある時からの習慣と、彼女がいやしないかと二年間毎週足を運んで場所にのちに俺の言葉で泣いた女の子がそこに居た。
2012.08.14
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絵売りについては散々言ってきたから、もうさほど言える事はないのだけれども、今日、歌を聞かせてくれた子の夢を見て、やっぱり、まだ言えずじまいの事は多少あるかもしれないとそんな気になり少々、文にしてみる。(夢はひょんな事から歌を聞かせてくれた子と再会し、しかし彼女は手の離せない用事からあるから、この時間帯にこの場所に来て欲しいとそうした言葉を貰い、実の所、俺は根の所でまだ彼女に伝え切れてない言葉と想いに、そして贈るべく絵があるはずだからと今一度、せめてほんの瞬間にしろ人生の何処かで会わなければとした心があり、だからこそ、そいつを嬉しくも思いながらも、上手く自分が伝えきれるだろうかとした怖さ、そうこれでしっかりと伝え切れなければ、もう本当に彼女と言う存在が俺の人生から消えてしまうのは確かで、それ相応の心構えでその場所に向かうのだけれども、その道なか、何かを象徴するある何かを悪気はないのだけれども壊してしまう。まぁ、きっと、夢だからなんらかの内面としたもんなのだろうけれども、肝心な時に別の何かが起きてしまい、それに対処しなければならないそんな事が多い人生だからそうした状況の夢を見てたんだろう。で、多くの時間と、多くの労力と、随分な遠回りをするはめになり、それでも彼女はその場所に居てくれるのだろうかと向かいながらも、それとも、もうこのまま俺は引き返し、ただ諦め、彼女の気持ちを裏切っただけの己をその事実、本当として受け入れそんな自分を哀れもうかとしたそんな夢を見た。)絵売りには多くの事を学ばせて貰った。皆ほど、本来、人が居るべき場所、その年齢に居てもいいんだと許されるべき場所。そんなもんがこの自分には人生での経験として一つもなく、だからこそ、人と深く関われ、それに、自分がしてる事において、初めて人に褒められる事がただ嬉しく、その気持ちを、その喜びの想いを返すその行為として、そう俺は未熟な人間関係しか築けなかったから、ちゃんとした気持ち、ストレートに思いやら、それをちゃんとした形で伝えるのが苦手なので、絵売りで、誰よりも結果をあげるそんな奴、一目おかれる男とに成り上がる事に固執し、執着した。俺をまともに人として扱ってくれた人に感謝してたから、そのありがとうの思いのあらわし方が、そうした表現方法がその時の自分の人間性、器にはそれしかなかったから。一方通行の気持ち。直接それが相手に伝わる事はない。けれども、自分を通り越し、誰かが為としたその気持ちは随分と自分の心を燃え上がらせ、痛みも苦痛も和らぎ、つらいも、しんどいも、もう駄目だとしたものも沸き起こらず、ぶっ通しで、時に12時間以上、雪振る真冬にも、人の寄りつまぬその状況中でも路上で絵を売り続け、しかし、その心は、誰かが俺を見てくれてる。俺の喜びとしてあらわになるこの感謝の心を、何処か遠くと離れてようとも、その気持ちが誰かの心に響いてるんだとただそいつを信じきる事ができ、何をどうしてようと、何が起きようとも、俺は生きてる気がした。生きてる充実感。対、人が自分の命に加わり、一人として手の上にあるその人生、命ではなく、人が自分の人生にあり、自分が人の人生にある上で、その行動から、築き上げられる毎日、日々、俺の心が、人の存在が作り上げるその瞬間の毎日が堪らなく愛おしく思えた。(そう、何も俺だって、怒り、憎しみ、破壊衝動、恨みつらみ、生き方、寂しさ、悲しさ、ただそれだけで、絵を売ってたわけでもない、隠してた俺の本当の一部)
2012.08.13
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気持ちすれてた十代半ばから後半はその心持ちの問題から、何をしても何処にいても生意気な奴だと、争い事絡みの事が大半。自分の周りは誰も居なくなった。それを全て何かのせいに、自分に問題があるとは思わなかった。二十代に入り、健全な人間関係、一般普通の若者として生きようと決めてそうした。皆、面白い人ですねと、自分が思うよりは好感もたれた。そりゃぁ、皆が高校、大学、もしくは仕事、バイトとなんなりある一つの決まり、規則にそれる事なく生きてる時を、俺は俺の世界を勝手と生きてたのだから、皆とは全然違う生き物。当然、当たり前の事が全然解らない。変り種は当たり前。十代の頃。缶ビールを呑むのが嫌いで、何時でも瓶ビールを呑むのが自分のあり方でだからポケットに栓抜きを入れてた。で、瓶ビールを自販機で買い、ポケットの栓抜き取り出し栓を抜き、それをそのままラッパ呑みしながら歩き、飲み干せばおもっくそアスファルトにほおり投げ粉々に割ってた。それが俺の普通で、それをそのまま二十代、今までと派違うタイプの人柄が周りに人が居るようになってからしてみたら、皆びっくりしてた。酔っ払えば、人を憚る事無く道のど真ん中で立ちしょんしてた。女の子が居てもお構いなし。で、しょんべんで自分の名前を書いてた。それも、人は驚いてた。特に問題があるとは思わなかった。道の蛍光灯を割ったり、意味なく畑のど真ん中歩いたり、木に実る柿、みかんを当たり前に食べたり、道行く他人の不快な奴が居れば気分に任せ罵倒し悪態ついてた。(まだまだ言えやしないでたらめの事は多い)今にすれば随分と人と違いおかしな奴だったと思う。本気で本当の事は押さえながらも毀れる自分の本物の人間性、それを人は自由でいいですねとそう言ってくれた。人がそう言うならば、まぁ、俺は面白い奴なんだろう。なら、それはそれでいいやとしてた。そうした日々を三、四年過ごした。十代の頃の自分を少々引きずりながらも、それなりに皆とは上手くやったけれども、それでも拭えぬズレ、解り合う何かがないのが心苦しく、俺はよく弟と知り合いと歩き野宿しながら島を一周してた。島巡りはしょうに合いとても気に入ってた。目的、目標は歩く事。飯を食べる所を見つける。面白い場所を見つける。寝る場所を見つける。その最終に一周まわり終える事。とても簡単で、一つ、一つこなす手に届く目的、目標が気持ちよく人生でこんなにも喜び、楽しさを感じた事はなかった。観光地に居ついたり、野良犬と遊んでたり、ビールを煽り、海に浮かんでたり、ホームレスに仕事紹介してやるぞと言われたり、カモメ、漁船、夕日見てたり、便所、公園、ベンチ、駐車場、学校、キャンプ、浜辺、お土産屋、とそこいらで寝てたり、日々、生きる事がどれも自分の手の上にあった。簡単(シンプル)な毎日を過ごすうちに自分自身の手で日々の毎日は決めれて、それを面白くも面白くなくも自分の力量でできるのだと俺は学んだ。と、一先ず今はここいらで、、、
2012.08.10
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本気。本当。気持ちあり心ある事。その始まりのきっかけは歌を聞かせてくれた子に自分が吐き捨てた事がきっかけだったのですが、それがなんなのかの意味を理解したのは、甥っ子との付き合いにあるんですよね。その付き合いは彼が二歳の頃から、今ではもう六歳になります。そう、彼には親父が居なく、そいつはこの僕と同じで、回りに大人の男と言うものが居なく、だからこそ、父親とはいかなくても、なるべくそれに近い接し方を心がけてたりもしてます。日曜日には毎週最低一時間、多くて丸一日付き合いそれがもう二年が経過してます。どれほど我がままを言っても、僕は彼に怒鳴った事も、手をあげた事も、意地悪を言った事も、そして気分に任せて意地悪を言った事も、八つ当たりをした事も何一つありません。ある時に彼が口にしたんですよね。友達のお父さんの話を。そして、しんちゃん(俺)、りょうちゃん(弟)がかいくん(甥っ子)のお父さんやんなと。実はそれまでは、かなり歳の離れたお兄ちゃん的な位置づけのつもりの付き合いをしてたのですが、それがきっかけで、見習うべく大人の男、父親と言うもんを知らずに、恐れ憎むべきその存在しか居なかったのですが、本来のそうしたもんの形はと自分なりに接して、自分が理不尽と苦しみを感じたものは何一つなしといこうとしたそうした上で成り立つ大人としての接し方をしてるんですよね。だからこそか、なるべく彼の望む肝心、重要な事柄は(彼が子供の時に形成され、それが大人になった時、それがよりよい形としてそれが現れるよう)確実に付き合うように心がけてます。で、そうこうのしてる内に僕は驚くべく事に気がついたんですよね。子供気持ち、心はやはり、今これからと始まる多くを学び吸収するその成長の過程であり、(零からの始まり)だからこそか、毎回、毎回と、それが真実で本当の事で、本物の心なんですよね。建前、駆け引き、損得、裏表無しで、真っ直ぐ。それは付き合えば付き合う程に深く感じられ、で、彼が本当に僕を慕う心の本物さ、そして彼に愛を持ち合わせてる自分の本当の心(不器用ながらも)に直面して、僕は本当に気持ちがある事、相手に心を持ち合わせる事、物事に、出来事に、したい事、やりたい事への本気の気持ちと言うものを子供から率直、素直に伝わり、驚きの連続でした。そう、僕は人生のただの一度も無償と本当の心で望まれた事はなく、それがどう言う事なのか、彼に教わったんですよね。本当に嬉しそうにするし、本当に楽しそうにするし、本当に悲しそうにするし、本当に寂しそうにするし、何かを教え、伝える役柄を引き受けたつもりだったのですが、本当はその付き合いにこの僕が素直と多くの事を学んでるんですよね。本当にある気持ち。心がある会話。気持ちある好きな事の本気さ。こいつは本当に、全て本当で、それは凄く、そしてそれに触れる機会がこの自分にあった事をこの僕は感謝しなければいけません。何時かそうしたもんが確かと形成され、形として人との付き合いであらわとなるのは、何よりも実はこの僕の方であり、それを教わってるのは何かを伝えてるつもりの僕の方だったんですよね。そして思ったんですよね。共に学び合い、互いに成長し、心を育み合えるそんな関係が、人との付き合いに希望と可能性をもたらし、そして、そこに無償の心が生まれるんだろうと。
2012.08.07
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何だか先週はずっとのんびりしてたので大分機嫌の方は良くなってきました。どうも常にだるかったら気分前向きといかないので、人間休むべき時は休むの一番なのかもしれませんね。お酒の方もこの一ヶ月で呑みに行ったのは五、六回くらいに、煽った缶ビールは八本くらいだと思うので、少しづつ減ってきてる感じで上場といったとこです。だからこそ時間もあまり、僕がはまった事と言えばゲーセンで頭文字Dをする事に、海外ドラマのトゥルーブラット鑑賞、それとネットでキン肉マンを読む事って感じですね。しかし、キン肉マンは遠い昔、子供の頃に読んだあの当初の感覚と楽しめるくらいに、めちゃめちゃ面白いです。どうも、子供時に好きだったあのキン肉マンが戻ってきた感じとキン肉マンの事を考えてたら妙に機嫌良くなっちゃいます。(幼稚かな??)直ぐ泣いたり、唐突に悪態ついたり、我がまま言ったり、直ぐ何かから逃げたり、けれども、誰の事も許せる寛容さを持ち合わせてて、恨みつらみはなく、常に仲間を助けてて、誰共分かり合え今にすれば、感情一杯で自分に正直なキン肉マンのその人柄に憧れ(もしくは羨ましい)てたのかもしれねぇよなぁとそう感じます。やっぱ物心つかぬ子供の頃に目にしたものの影響力というのははんぱないので、根っこの方で大きく感化されてるんだろうな。で、先週の内容で、キン肉マンが戦い倒した敵がそのリーダーに制裁を加えられて止めを刺されそうになった所をキン肉マンが身を投げ出して傷つきながら助けなかなかとかっちょ良い台詞を言ったのですが、その展開というもんは、人から言わせれば何気ないありきたりの展開なのかしれないと感じられるのかもしれませんが、やっぱりキン肉マンはそうでなければならないんですよね。こういつはこうだから、やっぱり心打たれる。分かっちゃぁいるけれども気持ち動く。そう言う彼だからこそ、やはりそう言う行動を移すから尚更嬉しく思い感動する。それはやはり漫画やらお話し事ではない現実事での僕が関わった多くの人達の一面にも多くあり、なるべくそうした人の一面に触れたく感じてる部分があったりもするんですよね。駄目な奴に思えるんだけれども、肝心な時にはやっぱ、こういつはこうなんだよなぁ、、、と言う喜び。人の心を動かせれる沸き起こる愛ある行動。けど、今回のキン肉マンは、ボスもいい味出てるし、色んなキャラが色んな展開起こすし、キン肉マンがキン肉マンらしいし、(必殺技の風林火山が出た時はめちゃめちゃテンション上がった。)と、まぁ最近は一人へらへらとキン肉マンにはまってます。くさいけど、仲間やら友を思う友情は素敵だよな、、、僕はもう流石にいい年齢の大人になったのですが、それでも今もまだ本物の友情と言うものを見つけれてないので、死ぬまでに一度でいいから、そんなものをこの手にしたいです。そう言えばある展開でウォーズマンが正体を晒され、誰も俺の事を笑っちゃぁいないかとそう言葉にし、ロビンが誰にもお前の事を笑わせやしないとそう言葉を吐いたあのお話しも子供ながらにめちゃめちゃ好きだったよなぁ、、、やっぱ、そう言う世界に(人が人を思いやる気持ちを誰もが持ち合わせてる)僕は恋焦がれる。
2012.08.06
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昨日は久々と缶ビールを4本程煽りながら枚方の路上で絵売りをしてました。少々夏バテでお疲れでしたが、やっぱ絵売りは気分転換になって良かったです。また高槻の方でもちょいちょいとしないと駄目ですね。で、その帰りにぶらっと何時もの店に呑みに行ったのですが、なんだかやっぱまだそんなにお店でお酒を呑む事にそんなには乗り気な気分にはならないですね。やっぱりうる星やつらの話しをしてくれた子が居ないとあまり面白くないのかもしれません。気持ちがあるないはやっぱ大きいですね。けれども、ちょいと今回は駄々をこねて、お店の店長の子になかなかと迷惑をかけてしまいました。お金があるのだけれどもつけにしてくれと我がままを言いつづけてしまいました。別に払わない気はなかったのですが、唐突に僕は訳が分からない事を言い始めたり、駄々をこねちゃうんですよね。まぁ、本当の所は自分なりの理由があったのですが、それにしても迷惑をかけちゃいました。しかし、店長の子はそれでも好感持てる態度で接してくれて、ほんと良い奴だよなぁと好きになりましたね。純粋な子なのかなぁとそう感じ案外世の中は自分が思うよりかは良い奴ってぇのが身近と存在してるんだろうなぁと素直に思えました。彼の善い心、人柄に感謝です。僕も見習わねぇとなぁ。
2012.08.05
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今週はほとんど何にもせずにのんびりだらだらと、ポテトチップスをボリボリ食べながらごろっとひらすらDVDを観てる調子でした。お酒の方は一口も呑んでません。何かあまり呑む気が今だしないそんな感じなんですよね。トゥルーブラットと言う海外ドラマを観てたのですが、どうも世界観が親近感湧く、身近に感じるそんなとこが随分とあるので、あっと言う間にシーズン1を見終わり、昨日の晩にもシーズン2を半分程借りてしまいました。保守的で閉鎖的な片田舎町。働き場所も限られて皆同じような場所。宗教にエロに暴力に酒に動物の死骸。何だか、自分が子供の頃に住んでたそんな環境に近くも感じ、もしもその場所で成長し大人になってたら、そうした世界感の中で(希望に未来が持てず、酒に女に暴力に薬に欲望と言う欲望の追求だけ。そして皆何故だか怒りと憎しみに満ちてる。)生きていく事になってたのかもなぁと不思議な変な感情が奥底の方でじんわりじめじめした感じと蠢くんですよね。で、なんか、口に言葉に上手く出来ないそうした世界感、子供ごころ中に感じ取ったその何とも言えない、不気味にそして嫌悪感抱きながらも、それでも背ける事出来ないその感覚と言うものが、妙にそのドラマのオープニングに表われてる気がして僕は大概ドラマのオープニングを飛ばすのですが、毎話やたらと見入ってる調子です。けれども人間は不思議ですよね。確かに忌み嫌い、嫌悪したモノを遠ざけようとしつつ、それでも何ゆえかそれに反するように人は根のとこで形はどうあれそれに執着する。あまりに間近で見てしまったものは(触れてしまったモノ)血肉、魂にこびりついてしまい、そう易々と切り離す事出きるものでもなく、そうしたもんも自分の一部、闇の部分として確かに存在し続けるのかもしれませんね。だからこそ、そうしたもんとの付き合い方ってぇのが重要で上手く飼いならしていかないと駄目なように思います。で、そうした世界感とバンパイアの組み合わせはとても相性がいいように思えて、ついつい続けて観てしまってる感じです。希望持てず渇いた世界。命が渇き血をあさるバンパイア。向けるべき行き場のない怒りに憎しみをバンパイアに垂れ流す望みのない人々。血を捨て、偽者の血で自分を繋ぎ止め本物の愛を貪欲にあさるビル。(主人公のバンパイア)誰もが持て余す命の使い方を誤り消耗しつつも何かを探す試行錯誤。と、まぁここ2、3日はただトゥルーブラッドを観てるそんな調子です。
2012.08.04
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どうも夏バテでなので、今週はまるまるのんびりと過ごそうと決め込んでます。六月をめい一杯、時間のほとんどを絵事に費やし、そして七月もその調子でいこうと思ったら、なかなかと体力が追いつかず不調と、後半から失速していき、もう何をしても体がしんどいので、だから今週はお気楽のんびりとしとこうと思います。で昨日もゲーセンで頭文字Dをして、そして家でだらっと海外ドラマを観てました。以前、なんかバンパイアのドラマを観てたのですが、また別のバンパイアの海外ドラマがあったのでそれを観てます。前のを観た時、別に自分はバンパイアの話にはさほど興味なく、バンパイアの兄貴デイモン(兄弟バンパイアの話し)がお気に入りで(共感できる事が多く)そいつがただ面白いと感じてるんだと思ったら、案外今回のも機嫌良く観てる事に気がつき、結構バンパイアの恋愛もんは好みなんだと知りました。何だか、バンパイアは(ドラマに出てくる)影があり物悲しそうで、そしてふつふつとした拭えぬ怒りを抱えてて、そうした中で純なヒロインの女の子に何らかの希望を求めて関わるそんなとこが興味深いのかもしれません。血を吸わずには居られず、それでも吸わぬようにその衝動を抑えるその感覚は何だか理解出来るそんな気もします。僕は実は女の人と関われば、その人を愛おしくは思うのですが、その本質(自分の)からか苛めたくなる(Sなのかな?)その衝動があり、何らかの傷つける行為をしてしまうもので(暴力ではない)そうした自分の衝動を押さえつけてるそんな一面があるんですよね。まぁ、そうしたもんも随分と落ち着いて、もうそうした調子ではないとは思うのですが、本来は根っこの奥底にそんな自分が潜んでる事はちょっとした事実なんでしょうね。そして、好きな女の子とかにも、冷たくしたり、素っ気なくしたり、軽くあしらったりするのも性格的に好んでる部分があり、(大分変わってきているとは思う)そんな自分に苛立ちも随分と覚えたもんですね。と、話しはそれましたが、今日もだらっと過ごそうと思うので、バンパイアの海外ドラマでも借りて観て、週末くらいに缶ビールでも煽りながらお気楽に絵でも売り、そして、その帰りに久々と酒でも呑みにいこうとそう思います。
2012.08.01
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