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【2017年5月31日(水)】 今日はゴルフラウンドの帰りに、古本処分でブックオフ久世橋店に立ち寄りました。これで5回目です。 ほとんどお金にならないのは1回目で分かったので、そのまま捨ててしまいたいところですが、私が読んだ本あるいは家族が読んだ本ををそのまま捨てるのは、何となく申し訳ないような気がします。誰かにあげるのが一番ですが、必ずしも喜んでもらえる訳ではないので、この本が読みたいという人の手に渡るのが一番かなと思い、こうしてゴルフの帰りにお店に寄っています。 今日は、本だけではなく、息子が聴いていたCDを始めて持って行きました。CDがケースから抜かれてCDファイルの中に入れられていたので、CDケースと合わせるのに時間を費やし、今回は一部しか持っていけませんでした。 CDは本以上に、売却できる可能性が低いようで、ほとんど値段がつきませんでした。人気の盛衰が本以上に大きいのと、傷が致命傷になるからでしょうか。 値段が付かなかった本やCDは、できたら誰かにあげたいところですが、その先も心当たりがないので、お店に廃棄をお願いしています(ひょっとすると、その後他の古本業者の手に渡るのかもしれませんが)。本もCDも、ここまでしてあげて廃棄処分になるのであれば、許してくれるでしょう。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/31
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【2017年5月31日(水)】 今日は「がん」治療復帰後、第24回目のゴルフラウンド。日本に帰ってきてからは通算127回目、今年(2017年)第7回目のラウンド。 ガイド会同期4人での2回目のゴルフ。場所は会員が2人いらっしゃって、この会のホームグラウンドとなるであろう「宇治カントリー」。前回と同じコースです。 京都の最高気温が、31.1°と平年より5度近く高かったですが、曇っていたので、暑さには苦しめられずに助かりました。 スコア:57+51=108 ストローク:39+31=71 パット:18+19=37 良くもなく、悪くもないスコアでした。 パットがここ7回、37以下と安定してきました。過去の良い状態のパット数です。イップスは脱出したといえるでしょう。 普通の打ち方、普通のグリップで、ゆっくり引いて、ゆっくり打ち出し、フェース中心で打つというのを心がけてから、安定するようになりました。 しかし、まだまだ確実に入れないといけない距離を、1ラウンドで2つくらい外すので、これが克服できればさらによくなるはずです。 病気の前の数字に戻らないのが、ストロークです。どこが悪いのか今のところよく分かりません。 グリーン周りのバンカーについては、今日は、短く持つことを止めて、普通のグリップ位置にしてみました。そうしたら、脱出しやすくなりました。短く持つのは、狙ったところにヘッドを入れやすくするためですが、力が入って、かえってコツンとしたり、ザックリしたりしやすくなるようです。普通に持って、ヘッドの重みを利用して、自然に打つのがむしろ良いようです。小技はききにくいかもしれませんが、私はまだそんな領域ではないので、まずは脱出第一で、普通の長さで持つことをこれからしばらく続けてみます。 【スコア】 今回も、グロスは大さんトップ、Mウさん2位です。そして松シさんと私が、3位を争う。これが4人での定位置にありそうです。【費用】7,400円(昼食含む)高速代:840円(大原野-宇治西)帰宅途中、ブックオフに寄って、手持ちのCD、本の「断捨離」しました(こちら)。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2017/05/31
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【2017年5月30日(火)】 一昨日の朝、ガイド会から「緊急で5月30日の京都御所の公募ガイドをやってもらえないか?」とのメールが入りました。御所は過去公募ガイドでも修学旅行でも案内したことがありません。私もほとんど休みなしの毎日で、ようやく29日、30日に在宅できると思っていたのですが、物理的には29日に下見して、30日に本番であれば対応は可能なので引き受けました。幸い26日に、セミナーと伏見稲荷でのボランティアガイド養成現地研修の見学のついでに、修学旅行ガイドの下見で京都御所を下見し、3600円もする解説本も買ったところだったので(こちら)、急ですがタイミングとしてはよかったです。 しかし昨日の下見は月曜日で御所が閉まっていたので、御所の塀の外からと御苑しかできませんでした(こちら)。そして帰宅後、「紙芝居」を準備しました。 今日の公募ガイドで、通算4回目、今年2回目になります。関西からの50名強の団体さんでした。14時20分から15時50分までの1時間半の京都御所内のガイド。私も含め3人で担当です。早めに集まって、3人いっしょに御所内を下見して打ち合わせしました。 予定時間に御所駐車場でバスを待ちガイド開始。日照りが強く影がほとんどないので、ちょっときつかったです。それでも、皆さん一生懸命歩いてくださり、お話も熱心に聞いてくださり、時間通りに案内を終えることができました。過去修学旅行も含め経験がなく、準備期間も短くて、特に最後の方は流暢なガイドというわけにはいきませんでしたが、お客様にはそこそこ満足していただいたのではないかと思います。お帰りのバスを手を振ってお見送りしました。 準備した「紙芝居」です。最後数枚がタイトルだけになっており、これを見ても準備の時間が足らなかったことが分かります。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/30
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【2017年5月29日(月)】 昨日の朝、ガイド会からメールが入りました。緊急で5月30日の京都御所の同行ガイドをやってもらえないかとのこと。 私もほとんど休みなしの毎日で、ようやく29日、30日に在宅できると思っていたのですが、物理的には29日に下見して、30日に本番であれば対応は可能です。こういうときガイドの人選をする立場の方は大変なのは百も承知なので、引き受けることにしました。幸い26日に、セミナーと伏見稲荷でのボランティアガイド養成現地研修の見学のついでに、京都御所も見学し(今後の修学旅行で京都御所の見学が入っているので、その下見)、3600円もする解説本も買ったところだったので、急ですがタイミングとしてはよかったです。 修学旅行はせいぜい30分の見学時間ですが、今回の移動ガイドは1.5時間ですから、結構詳しく説明する必要があるので、やはりもう一度下見をすることに。それから今後の修学旅行で昼食を京都大学や同志社大学のカフェテリアでとることになりそうなので、それらの下見も兼ねていきました。今日は、時間優先で、五条通を通るバスで市内へ出た後は、市バスの一日乗車券を奮発しました。●京都大学のカフェテリア まずは、京都大学の体育館横の学生食堂へ。百万遍交差点から南東方向を望む昔同様、カフェテリアは百万遍を南に下がって西側の体育館の南隣りの建物の2階にあります。体育館入り口 昔と比べるとずいぶんきれいになっていました。これなら修学旅行生も喜んでくれるでしょう、あとで同志社大学のカフェテリアでも食べるので、軽く259円の冷やしうどんをいただきました。安いのがなによりです。冷やしうどん 259円 西部講堂は建物は残っていましたが、使われていないようでした。西部講堂●同志社大学のカフェテリア その後、御所の下見でしたが、先に同志社大学の寒梅館の「アマークド・パラディー」についてです。フランス語で「パラダイスのハンモック」という意味のようです。烏丸今出川を上って西側です。 やはり安いのが魅力。そして京大に比べるとオシャレ。 日替わりランチが売り切れだったので、600円のパスタランチを注文。 奥には、寒梅館建設時に行われた発掘調査で発見された室町時代の石敷きの遺構が保存されています。 順序が逆になりますが、次に京都御所の下見です。ところが、月曜日は休館で中を見ることはできませんでした。26日に下見をしてあったのでラッキーでした。御所は門を外から見ただけでした。しかし、26日の下見のとき、解説本を買ってあったので、それを見ながら門を見学できたのはよかったです。それから、当日は1.5時間の見学時間があるので、御所に近い御苑のスポットも案内することになるかもしれませんので、それらも見学しました。当日はガイド開始の1時間前に担当3人のガイドが集まって、直前に見学することになっています。28日下見時に買った解説書(3600円) 早速役に立っています。(後日投稿) ここでは解説なしで写真のみです。●御所の門(清所門から反時計方向に回ります)清所門宜秋門建礼門建礼門の東の穴門建春門猿ヶ辻網の中の猿(見にくいです)朔平門皇后門(写真なし)●御所周辺の御苑スポット北休憩所の模型(ここで御苑と御所の概要を説明してもいいかもしれません)北休憩所の食事処メニュー(高くはない。修学旅行時使えるかも。味は不明)南休憩所にはスナックセンダンの木、花と切除されたコブ蛤御門と蛤御門の変のときの弾痕清水谷の椋マツに生えたサクラ学習院発祥の地中山邸跡 明治天皇誕生の地 「祐の井」(さちのい)自然にできる自転車の轍(わだち)近衛邸跡(不足写真後日投稿) さて、明日に向け、フリップなど今から準備します。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/29
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【2017年5月28日(日)】 この書き込み、実に9日ぶりです。修学旅行のガイドがピークなのと、飛び込みで移動ガイドが入ってきたり、これにプライベートの用事やら、講演会の聴講やらで、5月8日から今日まで外出続きで、ブログを書く時間的余裕、心理的余裕がありませんでした。この状態が、あと1ヵ月は続きそうなので、このままではブログ日記が全く書けなくなってしまいます。それで短文に留め、できるだけ毎日アップしようと思います。 今日は、私の実家のある三重に月イチの墓参り。家内といっしょに行ってきました。ワンちゃんが高齢で、長時間オシッコを耐えられなくなってきているので、ワンちゃんも同行です。いつもより遅く午前11時すぎに出て、午後6時過ぎに帰宅しました。日差しは強かったですが、風もあり爽やかで良いお天気でした。 お墓参りの後は、私は恒例になった駐車場の側溝の土取り。小さなビニール袋10袋に取りました。beforeafter これで4ブロック目の3分の2くらいまで完了できました。まだまだ先は長いです。すでに土を取ったところにも、スギナが生えています。今回も、最後に全体に除草剤を撒きました。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/28
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【2017年5月27日(土)】 今日は「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第11日目でした。 晴天で爽やかなお天気でした。団体のお客様の中に下鴨別邸の隣の京都家裁に昔お勤されていた方がいらっしゃいました。以前にも書きましたが、戦後はこの下鴨別邸は京都家裁の所長さんの官舎として使用されていましたので、その方は所長さんに呼ばれてここでよく宴会をされたとのことでした。きっと懐かしい見学になったでしょう。 旧三井家下鴨別邸のご案内続きです。 今回から主屋(しょおく)です。下鴨別邸の中心部分になります。鴨川沿いの三条木屋町上ルに明治13年に建てた木屋町別邸を、大正14年に移築してきたものです。 木造3階建てで、3階部分は「望楼」と呼ぶ三畳半ほどの部屋で、四方ガラス張りで、景色を楽しむための部屋です。鴨川沿いにあったときは、周りに高い建て物が何もなかったでしょうから、東山連峰はじめ、まさしく360度のパノラマが楽しめたものと思います。 こちらに移築後も、東山の山並みや、五山の送り火の「大」の字を眺めることができますが、非常に限られた特別公開のときにしか上がっていただくことはできません。去年は秋に公開したのですが、一度に上がっていただける人数も限られているので、長い時間待っていただかなければなりませんでした。今年度はいつ公開するかは、まだ決まっていません。 鴨川に面した東辺がこちらでは南側、すなわち池の方向になります。池の向こう側から見るのが鴨川から見た景色に相当します。池に望楼が写ってきれいです。池に写った姿は、目で見るよりも写真に撮ったほうがより鮮やかに見えるから不思議です。池の向こうから見ていただくと3階建てですが、南西の方角から斜めに見ていただくと、中三階と呼ぶ部屋があるため4階建てのようにも見えます。見る角度におって見え方が全く違います。 屋根は少し膨らんだ曲線をもった「むくり屋根」になっています。寺院に見られる「反り屋根」は中国や大陸から伝来された、いわば輸入された建築様式ですが、「むくり屋根」は日本独自に発展してきた屋根の建築様式といえます。反り屋根独自の曲線が、格式や荘厳を表現しているのに対して、むくり屋根は、低姿勢、丁寧さを表現しています。日本人独自の精神性が浸透して、むくり屋根は日本の身分制度にも影響を与え、商人の家屋に積極的に取り入れられたと言われています。 三井の商標はよく知られた「丸に井桁三」(下図左)ですが、これは家祖三井高利が三井越後屋本店の店章として定めたもの。しかし家紋は、もともと三井家は、近江源氏佐々木一族の六角氏幕下に属する武家の出のため、三井家の家紋も佐々木氏と同じ「四ツ目結(むすび・ゆい)」(下図右)でした。ですので、瓦の紋にはこの「四ツ目結」が使われています。 暖簾分けするときは、「丸に井桁三」に準じた様々な暖簾印を与えました。また、一族の一人一人に、様々な紋章があり、それぞれの持ち物もこれで区別できました。玄関棟南廊下 向こうが主屋。主屋への上り口の上框、敷居、柱は檜、板は欅。主屋の上り口の黒部杉による網代編みの戸。 この南廊下に連続テレビ小説「あさが来た」とヒロインのモデルになった広岡浅の書いた手紙(複製)が展示してあります。 明治の実業家・広岡浅は、三井家の出です。出水三井家(近代以降は小石川三井家という)の六代・高益の隠し子で、母親や生まれた場所は分かりません。出水家は京都の油小路出水に屋敷があったのでそう呼ばれました。 浅は幕末の慶応元年(1865)16歳で大坂の豪商加島屋(かじまや)の一族である広岡信五郎に嫁ぎます。徳川幕府が倒れ、加島屋は大打撃を受けます。加島屋立て直しのため、浅は当時の先端ビジネス炭鉱経営に乗り出し成功し、銀行を設立、明治35年53歳のとき、大同生命保険会社を創業しました。そして女子のための高等教育の場を創設に奔走し、三井家からの援助もあり、日本女子大学を創立しました。 夫信五郎が亡くなった後は、実業界から身を引き、晩年はクリスチャンになり、富士山麓御殿場の別荘で次世代の人材育成のための講習会も開きました。生徒には、日本女子大学4代目校長になった井上秀、女性参政権運動に尽くした市川房江、「赤毛のアン」の作者村岡はなの姿もありました。(続きます)【過去のご案内】4月11日 ロケーション、開館時間、入館料など4月15日 公開に至る歴史、敷地・建物面積、建築年代、公開対象4月24日 【番外】木屋町別邸所在地探索 4月30日 建築目的と顕名霊社5月3日 三時代に渡る建築の歴史5月11日 玄関棟外観5月20日 玄関棟内観(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/27
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【2017年5月26日(金)】 6月13日の修学旅行で御所を案内しなければなりません。今まで、修学旅行にしても、公募ガイドにしても、御所は行ったことがありません。Privateでも、春だったか、秋だったかの一般公開で1回か2回行ったきりです。 それで下見が必要と思い、今日、アスニーセミナー、某講座の伏見稲荷現地研修に参加後、京都御所を訪問しました。 以前は、京都御所は事前申し込みして観るか、春と秋の一般公開のときしか観るかことができませんでした。去年7月26日から予約不要の通年一般公開がされるようになりました(無料)。ですので、修学旅行や公募ガイドでの京都御所案内は我がガイド会でも増えています。 入場は清所門からです。以前の一般公開のときは宜秋門からでしたが、現在はここからです。入場の際に、簡単な手荷物検査があり、見学者を示す札をもらって首から下げての見学でした。 一通り廻って、ルート、必要な時間、見学・説明の要点など把握できました。説明を少なくして急いで廻れば40分くらいでしょうか。修学旅行では説明あまり要りませんが、今後公募ガイドを担当することもあると思い、帰りに売店で、3600円(税込)もしましたが、仙洞御所や大宮御所も載った詳しいガイドブック(京都新聞出版センター編)を買いました。 下記は、見学できる場所について、そのガイドブックなどを参考にまとめものです。京都御所 平安京では、大内裏に、紫宸殿を正殿とする内裏があった。960年(天徳4年)に大内裏は最初の火災に遭い、以降、焼亡と再建を繰り返した。しかし、1227年(安貞元年)の火災以降は再建されなかった。 再建による造営が成るまでの一時的な皇居として里内裏が置かれた。現在の京都御所は里内裏の一つであった土御門東洞院殿が起源。光厳天皇が元弘元年(1331)に土御門東洞院殿で即位された。さらに、1392年(明徳3年)後亀山天皇が三種神器を後小松天皇に渡して以降、南北両朝が統一されることになり、以来この里内裏は皇居として定着した。 しかし、ここもその後幾度となく火災に遭い、都度再建が行われた。当初は現在の敷地の半分以下だったが、豊臣秀吉や徳川家康による造営により敷地は次第に拡張された。建築様式や全体構成は時代とともに変化していった。光格天皇の御代の天明8(1788)年の焼失時には、第11代将軍徳川家斉(いえなり)の命により、江戸幕府の老中松平定信を総奉行として再建された。有職(ゆうそく)故実家の裏松固禅(光世)らの考証により、紫宸殿や清涼殿などを平安の古制に戻し、飛香舎(ひこうしゃ)などの失われていた御殿を復活して、寛政2年(1790)に完成した。 しかし、この内裏も孝明天皇の御代嘉永7年(1854)に焼失し、天皇の命で徳川家定将軍が、翌安政2年(1855)に前回の内裏をほぼそのままの形で再建させた。今の京都御所の姿はこの時の再建によるもの。現在の御所は、孝明天皇及び明治天皇の日々のご生活や数々の宮中の年中行事に加え、幕末期の王政復古の大号令、小御所(こごしょ)会議、五箇条の御誓文の発布、明治・大正・昭和の天皇の即位式が行われた歴史的舞台である。 平安京後半五百数十年は現在の京都御所の地が皇居であったことになる。現在の規模は、東西250m、南北450m、面積約11万平米。御車寄(おくるまよせ) 公卿をはじめとする高位の貴族などが、儀式や天皇との対面のために使用した玄関。 宜秋門を入る公家たちは、門で履物を浅沓(あさぐつ)に履き替え、ここから参殿した。毎日午前10時に出勤し、午後3時に退出したという。「牛車(ぎっしゃ)の宣旨(せんじ)」を賜った貴顕に限り、宜秋門を乗り物で通過して御車寄まで乗りつけることができた。諸大夫の間(しょだいぶのま) 正式な御用で参内した公家や将軍家の使者の控えの間。身分に応じて部屋が決まっていて、右に行くほど身分が高く、西から東へ「諸大夫の間」(桜の間)、「殿上人(てんじょうびと)の間」(鶴の間)、「公卿の間」(虎の間)と襖の絵にちなんで呼ばれている。畳縁の色の違いや部屋への入り方にも身分の違いが反映されている。虎の間・鶴の間を使用する者は正式な玄関である御車寄から参入するが、桜の間を使用する者については、建物の左にある沓脱石(くつぬぎいし)から参入した。新御車寄(しんみくるまよせ) さきほどの「御車寄」は「おくるるまよせ」と読ませるが、こちらは天皇陛下の玄関なので「みくるまよせ」。 天皇は紫宸殿の南階(みなみのきざはし・十八階段)で鳳輦などに乗り、承明門、建礼門を出入りされた。明治になって馬車や自動車でお召しになるようになるが、大正4年の即位礼に際して、自動車が利用できるように新築されたのがこの新御車寄。御所で唯一ガラスのある御殿。紫宸殿 京都御所において最も格式の高い正殿であり、即位礼や節会などの重要な儀式がここで行われた。桧皮葺き屋根の木造高床式純和風建築ー宸殿造り。内部は拭板敷き(ぬぐいいたじき・漆塗りの板)。外周は柱間ごとに一枚あての蔀を嵌め、四囲に低い高欄をもつ簀子縁(すのこえん)をめぐらす。 即位礼は本来大極殿で行うのであるが、安元3年(1177)に炎上の後は再建されることがなく、その後は長く太政官で行われてきた。その太政官も寛政6年(1465)に後土御門天皇の即位の礼を最後に、再建されることなく、応仁の乱となる。 次の造営は安政2年(1855)だが、伝統的な儀式が行われるように平安時代の建築様式で建てられた。この再建では、天正17年(1589)と慶長11年(1606)年の豊臣秀吉による内裏改修で、旧紫宸殿の遺構が移築された泉涌寺海会堂(かいえでどう)、仁和寺金堂などが参考にされたという。入母屋造り、檜皮葺き。 慶応4年(1868)には「五箇条のご誓文」の舞台ともなった。明治、大正、昭和の三代の天皇の即位礼はこの建物内で行われた。 回廊に囲まれた白砂の庭を「南庭(だんてい)」といい、即位礼の時にこの庭に旗などが並び、殿上に皇族・諸大臣・外国使臣などが参列した。正面の門が承明門(じょうめいもん)、向かって右に日華門、左に月華門が建つ。回廊とともにいずれも唐風に丹塗りで、白木のままの紫宸殿と対照的。 本来は日華門、月華門は閉じていて、御即位、立后、立太子その他の厳儀に開き、左近衛府・右近衛府(さこんえふ、うこんえふ)が入って南庭に陣を整えた。 前の階段を「南階(みなみのきざはし)」という、ゆったりとした内裏正面にふさわしい階段。階段は数えて18級。「九」の倍数。中国では「九」は陽数であり、吉数。一から数えて九は数字の終わりで、数字の極限であり、神秘数として重んじられた。内裏は「九重」とも呼ばれた。 紫宸殿から見て左側に「左近の桜」、右側に「右近の橘」が配されている。それぞれ左近衛府、右近衛府が整えた陣の先頭の位置なので、この名がある。左近の桜は山桜。もとは梅だった。梅は唐から移入された木であり、奈良以来の唐文化への憧れがが平安京内裏の造営にも受け継がれた。桜に植え替えられたのは、平安京五代目の仁明天皇のとき。右近の橘は、平安京造営時から植え継がれているが、なぜ橘なのかの理由は定かではない。一説に次のような話がある。 垂仁(すいにん)天皇のとき、田島守(たじまもり)は勅命を受けて「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」を求めて全国を遍歴するが、目指す木の実を手に入れた帰ったとき、すでに遅く、天皇は亡くなっていた。田島守は実を御陵に捧げ、涙のうちに命を終えた。この「非時香菓」が橘で、田島守の美談を伝えて植えられたという。檜皮葺きのカットモデル清涼殿の東庭から紫宸殿北面を見る高御座(たかみくら)・御帳台(ごちょうだい) 紫宸殿には、中央に天皇の御座(ぎょざ)「高御座」と、その脇に皇后の御座「御帳台」が置かれる。これらは即位の礼などで用いられる調度品。現在の高御座は大正2年に製作されたもので、大正、昭和、平成の礼で使われた。今上陛下の即位の礼では、東京の皇居宮殿に運ばれて使われた。 高御座は高さ6.4メートル。金色の金具と黒漆塗りの格挟間(こうざま)に、金地に極彩色の麒麟が描かれる。中壇は八角形の屋形がすえられ、周りには朱色の勾欄をめぐらせる。天蓋には高さ1.7メートルの鳳凰が羽ばたき、八つの各棟には小さな鳳凰がとまる。 御帳台の造りは高御座とほぼ同じだが、大きさは1割程度小さくなっている。春興殿 内侍所ともいう。平安京では武具の格納所。鎌倉末期から神器が奉安されるようになった。 現在のものは大正天皇の即位礼に建てられたもの。檜造り、銅葺き屋根、反りのない向拝を付ける。清涼殿 紫宸殿が公事、儀式の御殿であり、南面して建つのに対して、清涼殿は天皇の日常の御殿であり東面する。檜皮葺き、入母屋造り。紫宸殿同様宸殿造りであるが、日常の御殿であるため内部は襖などでの間仕切りが多くなっている。 もともと平安京内裏での天皇の日常御殿は、紫宸殿の北、清涼殿の東隣にあった仁寿殿(にじゅでん)であり、宇多天皇のころの平安初期から中期の過渡期に清涼殿に移ったといわれる。平安京内裏の古制を紫宸殿よりよく伝えている。 日常の御殿ではあったが、政事・神事などの重要な儀式もここで行われた。天正18年(1590)に御常御殿にお住まいが移ってからは、主に儀式に使用された。 中央の畳を敷いた部分が「昼御座(ひのおまし)」といい、天皇の日常の御座である。繧繝縁(うんげんべり)の厚い畳2畳を敷き、上に御茵(おしとね)が置かれる。後ろに白絹の帳(とばり)を下した御帳台が置かれる。 南廂の板敷きの間が「殿上(てんじょう)の間」。大臣・公卿の詰所や会議室として使用された。ここに昇ることができる者を「殿上人(てんじょうびと)」と呼んだ。 前の庭は「東庭」。向かって左に漢竹(かわたけ)、右に呉竹。「徒然草」に登場する。左右の配置が対象ではなく、前後にもずれている。ともに中国伝来の竹で、呉竹は真竹の異称で、漢竹は皮竹の転訛説がある。 前面に御溝水(みかわみず)が流れ、北の端に流れの落ち口がある。「滝口」と呼ぶ。清涼殿を警護する武士が滝口の前に詰めた。昼御座 後ろに御帳台蔀戸漢竹呉竹荒海障子 清涼殿に置かれた襖障子。左半分の画面には、やたら足の長い男が、やたら手の長い男を肩車している。右半分の画面には、手の長い男が、長いその手を伸ばして水中をまさぐっている。この不思議な画題は、中国古代の「山海経(さんがいきょう)」に見える。障子の場面は、中国の西のはての、長臂国(ちょうひこく)、長股国(ちょうここく)の住民が魚をとって生活する故事による。 裏面はうってかわって大和絵風な宇治川の網代。 襖障子には地獄組という方法で組まれており、その説明書きもある。 「殿上の間」の東には「年中行事障子」がある。一年間の宮中儀式を一つ一つ克明に墨書したもの。孝孝天皇の仁和元年(885)に太政大臣藤原基経が創始したものと伝えられる。 東廂には「荒海障子」に対照する位置に「昆明池(こんめいち)障子」が立つ。唐の長安城の西郊にあった昆明池を極彩色で描いている、裏面は、鷹狩りをする近衛司の人物を描いている。人物は藤原季綱(すえつな)の少将といわれ、舞台は嵯峨野の推測されている。荒海障子の説明襖障子の構造の説明小御所(こごしょ) 小御所と御学問所はともに平安京内裏にはない御殿。 主に皇太子の元服式や立太子礼に用いられたが、幕府の使者や大名の拝謁などにも使われた。、慶応3年(1867)12月9日の王政復古の大号令が御学問所で発せられ、天皇のもとに総裁、議定、参与の三職を置く中央政府が設立されたが、小御所会議はその夜開かれた三職による初めての会議。明治天皇、岩倉具視、山内容堂、松平慶永(よしなが)、大久保利通、後藤象二郎、西郷隆盛らが着座した。明治維新史上画期的な出来事であった。 半蔀(はじとみ)の内側に明障子(あかりしょうじ)を立て、宸殿造りから書院造りへ移行する時期の建築様式とされる。半蔀とは、上半分を外側へ吊 (つ) り上げるようにし、下半分をはめ込みとした蔀戸 。 昭和29年に鴨川で打ち上げられた花火の洛下で小御所だけ焼失し、昭和33年に復元された。(花火が原因ではないという説もある)蹴鞠の庭 小御所と御学問所の間の白砂の空間。蹴鞠の最盛期は鎌倉時代から南北朝時代。宮中だけでなく武家にも及んだ。飛鳥井流、難波流の門流も生まれた。小御所と蹴鞠の庭御学問所(おがくもんしょ) 慶長18年(1613)に徳川家康による内裏造営で、清涼殿に角にあったっものを独立させて造営した御殿。家康は「禁中諸法度」を定め、「天皇が修めるべきものの第一は学問である。」とした。この天皇の行動を規制する意図に沿ったもの。御読書始(おどくしょはじめ)や和歌の会などが行われ、実際には純粋の書斎、学問修養の場ではなかった。前述のようにここで明治天皇が親王・諸臣を引見され、「王政復古の大号令」を発せられた。 格子戸の蔀に替えて遣戸(舞良戸)と障子で四面を閉ざし、床や違い棚を備え、内部は畳敷きなど、書院造りの様式を色濃く伝えた御殿。違い棚は「千鳥棚」と呼ばれ、桂離宮の「桂棚」、修学院離宮の「霞棚」とともに、御所の三棚と呼ばれる。(「天下の三名棚」は、この「千鳥棚」に代わり、醍醐寺三宝院奥宸殿の「醍醐棚」が入る。)御池庭 回遊式庭園。前面に洲浜を控え、その中に飛石を配して船着に導いている。右手にゆったりと弧を描いた欅橋がかかり対岸の樹間を縫う苑路を廻って様々な景色を楽しむことができる。 御池庭は室町時代の内裏には見えない。江戸時代初期の徳川家康の造営で作庭された。前田玄似が作り、江戸初期に小堀遠州が手を入れた。御常御殿 清涼殿に設けられるようになっていた常御所(つねごしょ)が、天正18年(1590)に建物として独立したもの。天皇のお住まいであるとともに、南面に上・中・下段を備えて儀式や対面の場としても使われた。檜皮葺き、入母屋造り。平安時代の趣を伝えた宸殿造りの様式をとどめる。内部はすべて畳敷きで書院造り。 この殿舎で天皇に奉仕したのは、稚児と年老いた何人かの男性を除いてほとんどは女官、女嬬(にょじゅ)といった女性で、男子禁制の殿舎であった。御内庭(ごないてい) 曲折した遣り水を流し、所々に土橋、石橋を架け、燈籠や庭石を配し、植栽に工夫を凝らしたお庭。池泉回遊式の庭で、「流れの庭」とも呼ばれる。 奥に数寄屋造りの茶室「錦台(きんたい)」を構える。四畳半の茶室。庭園を見下ろす物見台でもあった。 北に見える赤土壁の杮葺きの瀟洒な建物は「地震殿(じしんでん)」とも「泉殿(いすみどの)」ともいい、地震の際に一時避難するためのもの。平屋で天井もなく、畳敷き2間と便所だけで、壁は薄く、軽い屋根など地震に強い構造になっている。また納涼の場でもあり、暑さを避けて招宴が開かれたり、歌舷の催しや茶会が行われた。 北にたどれば、「御常御殿」に結ばれた清雅な「迎春(こうしゅん)」、「御涼所(おすずみしょ)」、奥には茶室「聴雪(ちょうせつ)」といった建物がある。「迎春」は孝明天皇の御書見の間として建てられた。東南には「龍泉門」と呼ばれる牡丹の花を透かし彫りした門がある。御三間(おみま) 御常御殿の西。御常御殿の中にあって、日常の御座所であった時期もあったが、寛永の造営で別棟になったという。三つの間は同時に用いられ、涅槃会、茅輪(ちのわ・夏越払へ)、七夕、目出度事御盃(めでたごとおさかずき・盂蘭盆)などがここで行われた。右が御学問所、左が御三間と御常御殿(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/26
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【2017年5月26日(金)】 午前中、京都アスニーでの大政奉還についてのセミナーを聴講した後、午後から伏見稲荷大社に向かいました。 我が会が講師を担当する某講座が始まりました。私は9月1日に二条城での現地研修のガイドを担当することになっており、状況確認のため、5月12日第1回の下鴨神社での現地研修を見学させていただきました。 今日はその2回目が伏見稲荷大社でありました。近日就任予定の京都産業大学の特別客員研究員で伏見稲荷大社の研究をさせていただくことになるので、その勉強のためと、9月1日の二条城でのガイドの参考に、今回も見学させていただきました。 私の同行した某さんのお話、とても分かりやすく、よく準備されたなぁという印象でした。時間的に「お山巡り」は無理ですが、その雰囲気を少し味わえる熊鷹社まで行けたのは(足に自信のある希望者のみ)は良かったと思います。 前回同様、知らないことも多くあり、初めて訪れたところもありました。 初めて訪れたところの一つが「根上がりの松」 奥宮から「お山巡り」の参道を登っていくと、伏見神宝神社への参道への別れ道がありますが、その左にあります。 後で調べましたが、神社でいただく境内図にも載っていませんし、境内の看板地図にも載っていませんでした。「お山巡り」に何度か来たことがありますが、気が付きませんでした。参道にも案内標識がなかったように思います。知る人ぞ知る穴場のようです。 根が左右に浮き出て、股のようになっていることから「根上り松」とよばれます。「値上がり」に通じるとされ、投資家の信仰があるそうです。また、「膝松さん」ともよばれ、根をくぐると膝腰の痛みや神経痛の平癒にご利益があるとされます。 もう一つが「神田」です。こちらは「田植祭」などで存在は知っていました。場所は知りませんでした。神社でいただく地図には載っていませんが、境内の看板地図には載っていましたが、今まであまり気に止めていませんでした。熊鷹社の見学が終わって降りてきて、公衆トイレの前の別れ道を右(北側の道)に行くと、神田がありました。 ほぼ2時間いっぱい使っての案内でした。 終了後、6月13日の修学旅行での京都御所のガイドの下見に向かいました。あれもこれもと忙しい一日でした。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/26
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【2017年5月26日(金)】 今日は色々忙しく京都の中を歩き回りました。 午前中 1)京都アスニー ゴールデン・エイジアカデミー『坂本龍馬と酢屋』聴講 午後 2)京都ウエルカムサポータ 伏見稲荷現地研修見学 3)修学旅行御所下見 2)は、こちら、3)はこちらに投稿しましたので、よろしければご覧ください。 この投稿では、1)について書きます。 京都アスニー ゴールデン・エイジ・アカデミーは無料で事前申し込みもいらないセミナーです。今月は大政奉還150年を記念して、それに関連した講演が3回あります。 今日はその3回目(最終回)で『坂本龍馬と酢屋』と題して、京都 酢屋 十代目 中川敦子氏による講演でした。http://hananomichi.at.webry.info/201111/article_6.html 木屋町の変遷、酢屋の歴史、先祖から聞いた坂本龍馬などのこと、家を守ることの大変さなどお話いただきました。 いくつかメモから・・・・享保6年 南山城から移ってきて材木商を営む。290年あまり続く。 ・木屋町は今は飲食店ばかりだが、昔は生活の町だった。 水路(高瀬川)と街道(東海道)が交わるところだった。 三条通の南に「五之舟入」があり、これが一番大きかった。 「九之舟入」まであった。・五代目が幕末のちょっと前。6代目酢屋嘉兵衛が幕末から明治。 6代目は頭よく、材木商の重要な世話役した。・今の酢屋は、ギャラリーになっているが、場所は変わらず、 2階は今より低かった。構えは変わっていない。 材木商なので、虫籠窓ではなく、昔から格子窓。 階段は奥にもあるが、表の階段は2階に入りやすいように。・慶応3年6月9日、龍馬は長崎から船で京都を目指し、その中で「船中八策」を考えた。 6月15日、京都に入り酢屋に入った。経済、情報、通信の中心は高瀬川沿いだった。 この2階で龍馬は船中八策の成文化と大政奉還に向けた活動をした。 6月22日、薩摩と土佐の間で大政奉還を成功させようと丸太町吉田屋で「薩土盟約」が 結ばれる。 大政奉還が近づいたと喜んだ龍馬は、酢屋で、6月24日、乙女姉さんに5メートルに も及ぶ手紙を書いた。乙女姉さんは身長は173センチ。・6代目はこの家は決して売るなと言って亡くなった。また、坂本龍馬や 海援隊志士をかくまったことは口外するなと言った。・8代目が学校で坂本龍馬がいたことを言って、そのことが7代目の耳に入り、 8代目が7代目にひどく怒られたということがあった。・1928年(昭和3年)京都市教育委員会による石碑が建った。 戦後も8代目は、過去のことについて何も語ることはなかった。・父は教師になりたかった。しかし材木屋を30歳で8代から継いだ。家を守るのは 大変なこと。・ビルにしてマンションにするなどしなおいとやっていけないというような風潮 だったが、ギャラリーにして、一軒残った木材屋としてやっている。・大政奉還は武力によらない政権交代。皆が命をかけた。そして慶喜の英断によるもの。 酢屋を預かる当主ならではの、熱のこもった講演でした。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/26
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【2017年5月25日(木)】 今日は、修学旅行ガイドの通算8回目、今年7回目です。 今日の学校は、東海地方の公立中学校。 昼食は「とんちんかん」というお好み焼き屋さん指定でした。今回で2回目の指定です。人気があります。前回はたまたまお店のメンテ日で休みで、代替で京都駅近くの、別のお好み焼き屋さんに行きました。そのとき、入ってから出るまで1時間くらいかかり、お好み焼き屋は時間がかかると認識。先輩方も同じように言っておられました。しかし、私は、生徒たちの思い次第ですが、見学の社寺を一つ削ってでも、希望の昼食場所で食べさせてあげたいと思っています。 当日までに、電話でお店が開いていることを確認して、予約しておきました。そして、時間を有効活用して、昼食時間を極力セーブするために、ネットからメニューを印刷し、移動のバスの中で、注文を決めさせる準備までしました。前回、注文を決めるのに結構時間がかかった反省からの作戦です。 ところが朝のミーティングで、「<とんちんかん>は行かない。代わりに祇園の<ひさご>に行きたい。」とのこと。行動予定を提出してから、色々調べるうちに、気が変わったのだと思います。せっかく予約もしたし、メニューまで準備したのに止むを得ません。「とんちんかん」には、キャンセルの電話を入れました。 「ひさご」は中に入ったことはありませんが、外観の下見はしたことがあるので、場所は分かります。予約は受け付けていないし、行列ができると聞いたこともあります。 銀閣寺の後、位置的な関係で、先に八坂神社へ。その後、「ひさご」へ。13時前でした。店の前には列ができておらず、ラッキーと思ったところ、店の横に待ち合い場所があって、多くのお客さんが待っておられました。 結構待たねばならないようなので、生徒たちと相談。ガイドさんのお薦めの場所でいいということで、定番の「しげもり」に電話。店は開いていたので、最終的にそこで昼食。カレーうどんが美味しいので、生徒たちに奨めましたが、やはりこの季節、生徒たちは、冷やしうどんだったか、ざる蕎麦を食べていました。美味しかったと言ってはくれましたが、ちょっと可哀そうなことをしました。とんちんかんhttp://kyo-mi.com/tonchinkan/ひさごしげもり 見学寺社は全部訪問でき、時間までに生徒たちを集合場所に送り届けることができました。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/25
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【2017年5月24日(水)】 大原での公募ガイド本番でした。公募ガイドは、通算で3回目、今年1回目。 初めての場所ですので、下見は5月22日に実施済みです(こちら)。 私はガイドはビジュアルにも訴えるべきという「紙芝居」派なので、今回も紙芝居を準備。ただし、時間を十分にはとれなかったので、出来栄えについては今イチです。公募ガイドは、話をいただいてから本番まであまり時間がないので、なかなか十分なものはできません。もちろん、これからは2回目、3回目のところも出てくるでしょうから、次第に充実していかるとは思いますが。 お客様は、東海地方からの女性ばかりの60人強の団体さんでした。日帰りのツアーで、早朝観光バスで出て、大原を散策した後、三千院近くの「魚山園」で昼食。その後、土井のしば漬本舗に寄って帰途につくというツアーです。我々が担当するのは、9:30から13:00の昼食開始までの大原散策の部分です。 大原散策は、「大原里の駅」からバスに同乗し、「乙が森」駐車場から歩き始め、寂光院、三千院、実光院と拝観し、勝林院、宝泉院を外から案内するというコースです。 私含め4人のガイドで担当しました。面識のある方ばかりでしたので助かりました。 私は第3班を担当。他の班と時間を少しずつ空けて歩きました。実光院ではお抹茶があったので、お寺の訪問の順序を入れ替えるなどして対応しました。時間コントロールもうまくいき、ガイドも上手くできて、お客様には楽しんでいただき、満足いただけたと思います。 しかし、失敗を一つしてしまいました。寂光院から三千院に移動するとき、乙が森駐車場からの道を戻るのではなく、途中で左に折れて、「朧の清水」の前を通って、大原バスターミナル方向に向かう予定だったのですが、班の方々の歩行状況に気を取られて、左折せず真っすぐ「乙が森」の方向に向かってしまいました。途中で、左手遠方に別の班が見えて、道を間違えたことに気が付きました。戻ることも考えましたが、かなり行き過ぎていて、戻ると時間がかかるし、「朧の清水」はさほど重要なスポットではなく、本来の道の方がより大原らしい景色を楽しめる程度ですので、そのまま進みました。お客様も気が付かれなかったようで、失敗後の判断はこれでよかったのだと思います。 怪我の功名で、「幻のバス」のバス停の前を通ることになり、その説明でお客様に喜んでいただけたのは、不幸中の幸いでした。下見がこういうところで役に立とうとは予想だにしませんでした。とはいうものの、ルート間違いは下手すると大きなトラブルになりかねません。反省点として肝に銘じなければなりません。 ガイド終了後、三千院参道のお蕎麦屋さんで、仲間の方と昼食をとってから京都市中に戻りました。 準備した「紙芝居」です。使わなかったものもあります。●自己紹介●大原散策コース●大原のロケーション●大原女●寂光院●三千院●実光院●宝泉院 額縁の庭園 五葉松(このあたりから完成度不足です)●勝林院(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/24
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2017年4月24日、読売新聞の記事。よくお世話になった「マキロン」。外装だけでなく、容量も時代とともに、変遷してきたようです。その理由が、「なるほどね。」という感じです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/24
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【2017年5月23日(火)】 今日は「がん」治療復帰後、第23回目のゴルフラウンド。日本に帰ってきてからは通算126回目、今年(2017年)第6回目のラウンド。 M社C会の例会で、Mさんが会員になっている滋賀カントリーでの開催でした。泰さん(M社出身ではないですが)が、四国から参加くださいました。7人の参加で、ダブルぺリアでのコンペ形式でした。 スコア:55+58=113 ストローク:39+41=80 パット:16+17=33 110を超えるよくないスコアでしたが、パットが33と良かったのが救いです。復帰後では一番少ないパット数でした。ちなみに全体で(日本帰国後)一番少ないパット数は32です。それに1つ及ばなかっただけです。 それからコンペでは、ブービー賞をいただき助かりました。【スコア】【費用】7,514円(昼食含む)+1,000円(参加費)(1,000円バック)高速代:1,150円x2(大原野-笠取)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2017/05/23
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【2017年5月22日(月)】 この24日に公募ガイドを担当することになりました。場所は大原です。東海地方からの女性団体です。 時間は9時40分から開始で、13時に昼食場所に送り届けて終了という半日のコース、歩行距離は約7km。見学先は、寂光院→三千院→実光院で、勝林院と宝泉院は外から説明のみです。 私は公募ガイドは、去年秋に2件しただけで、今年は初めてです。大原はガイドは全く初めてなので、今日、下見に行ってきました。本番と同じような時間帯に下見をするため、朝7時前のバスで出発。現地には8時半過ぎに到着しました。当日、団体さんのバスは早くて9時10分着ですので、当日もこのバスで行けばOKでしょう。 当日のバス到着場所を確認し、寂光院→三千院→実光院を見学。拝観券を買うとき「団体さんのガイドの下見です。」と窓口で説明したら、3箇所とも無料で入れていただけました。街中の大きなお寺は下見の場合は有料のことが多いのですが、周辺部は寛容です。 勝林院、宝泉院は、当日は外から案内するのみですが、普通に拝観料を払って見学をしました。外から説明するだけでも、拝観をしてあるかどうかで、説明の説得力も変わってくるからです。●寂光院道バス停 本番スタートの乙が森駐車場近くのバス停。新聞記事にもなった、春分の日のみに走るバスが停まるバス停です。時刻表にそのことが記されています。本番はここは通りません。●「乙が森」とその伝説途中の風景●寂光院山門境内本堂桃山時代頃の建築の特色を残している本堂で、2000年5月0日未明、放火により焼失した。2005年再建。汀の池汀の池の畔の石碑千年の姫小松 ひめ小松 一千年の おん姿歴史の重さ 今に残さん 寂光院 第三十二世 智明 姫小松保存会鐘楼「諸行無常の鐘」四方正面の池雪見灯篭 豊臣秀吉寄進の南蛮鉄で作られた。建礼門院御庵室の跡大原菊一旦寂光院から出ます。阿波内侍らの墓門前の漬物店「翠月」建礼門院大原西陵三千院に向かいます。朧(おぼろ)の清水 建礼門院が、おぼろ月夜の時、水面を通して映るやつれた姿を見て、身の上を嘆いたといわれます。道標大原の風景しば漬けの「しば久」さん●三千院・門前の句碑 小塙(こはなわ)徳女の句碑「魚山の名ここに千年冬木立」。 魚山とは三千院の山号。 小塙徳女は明治から昭和にかけての女流俳人。 三千院門前の料亭「四季の茶屋」の女将だった。・穴太積みの石垣・御殿門・聚碧園・清浄水・宸殿から有清園・往生極楽院を眺める・有清園から宸殿を眺める・有清園・細波(さざなみ)の滝・往生極楽院・国宝阿弥陀三尊像・わらべ地蔵・小観音像・二十五菩薩慈眼の庭・売炭翁石仏三千院をあとにします。・鉈捨藪跡(なたすてやぶのあと)律川を渡ります。 ・萱穂(かやほの)橋(無明(むみょう)橋ばし 三千院の方から渡れば無明橋、勝林院の方から渡れば萱穂橋。 罪悪人はこの橋を渡ることができないといわれている。・後鳥羽天皇・順徳天皇大原陵●実光院・契心園など・声明用の石造の調音器・金属製の調音器・茶室「理覚庵」・梵音寂石碑 魚山声明の大一人者、実光院の住職だった天納伝中さんが建立したもの。・庭の花 庭には多くの花が咲いています。 門前には見頃の花が紹介されています。カキツバタコウボネキンシバイタツナミソウコアジサイオダマキ・法然上人腰掛石 実光院を出て、勝林院に向かう途中にあります。●勝林院(本番は外からの案内)・本堂・証拠の阿弥陀 康尚(平安時代中期の仏師。定朝の父で「仏師職の祖」と称されている)の作・鐘楼 梵鐘は国の重要文化財・宝篋印塔(鎌倉末期・重要文化財)・歌人平井乙麿の歌碑 「苔の上をまろぶがごとく流れゆく呂律(ろりつ)の里の弥陀の声明」・丸山海道・桂子夫妻 句碑 海道 夕ほたる 末を一つ乃 律呂川 大阿弥陀 いだく魚山に 初音澄む 佳子 丸山海道・桂子夫妻は京都の俳人・最胤親王之墓 勝林院の本堂裏から北に延びる林道脇にあります。●宝泉院(本番は外からの案内)・額縁の庭園・五葉の松 樹齢700年。京都市指定天然記念物。手入れ中でした。・水琴窟・血天井・宝楽園●法華堂・しそ畑・大原の風景 バス亭近くの、「さわだ」というお店で「ゆば丼」をいただきました。疲れた身体にふんわりと美味しかったです。ゆば丼 一通り道順、見どころ把握できました。明日はゴルフです。今日帰ってからと、明日の夜で「紙芝居」完成させねばなりません。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/22
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【2017年5月21日(日)】 今日は、修学旅行ガイドの通算7回目、今年6回目です。 今日の学校は、関東の公立中学校。 今回、初めて当日副責任者を仰せ付かりました。修学旅行ガイド日には、それぞれ責任者と副責任者が任命されます。責任者はエージェントや学校と事前相談・調整をし、当日の運営をリードします。副責任者はその補助です。 副責任者は、通常、事前に何かする必要はありませんが、当日、早めに行って、責任者の補助をします。もちろん責任者も副責任者も通常のガイドをします。 私の班は嵐山方面が入っていました。 嵐山付近で昼食時間でした。12時を過ぎると混んでくるので、早めの11時半ごろに下見をした銭湯を改造したカフェ(こちら)を一押しにして、昼食処を物色したのですが、このお薦めの場所は好みではなかったようで、差し週的に、JR嵯峨嵐山駅前の和食(麺類・丼中心)の「さがのや」というクラシカルなお店に入りました。そこそこ喜んでくたようです。 あまり人目を引くお店ではなく、下見時も注意して観察しませんでしたので、ここを生徒たちが選んだときは少々驚きでしたが、かえってこいう昔ながらの素朴なお店のほうが、都会に近い所に住む生徒たちには新鮮なのかもしれません。食事処も引き出しを多く持っておかないといけないと痛感しました。さがのや 食べログから 嵐山では特にどこを見たいということもなさそうだったので、渡月橋の袂で時間をのんびりと使ってもらって、京都バスで車折神社に向かいました。市バス一日券では、京都バスも使えますが、この日初めて京都バスを使いました。 当日責任者、副責任者は早めに宿に到着して、各ガイドの報告書(交通費請求含む)を受け取る必要があります。早め早めの行動で、残り箇所を予定通り訪問することができ、早めにホテルに生徒たちを送り届けることができました。そして、責任者の方といっしょに、次々と帰ってくる各ガイドの報告書を受け取り、エージェントとの精算もして、無事終了となりました。今回で当日責任者、副責任者の仕事の内容がだいたい理解できました。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/21
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【2017年5月20日(土)】 今日は「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第10日目でした。ペアの方は、Iさん(N8男性)。ごいっしょは2回目です。 今日は2階で朗読の会がありました。 旧三井家下鴨別邸のご案内続きです。 前回は、玄関棟の外観を紹介させていただきました。今日は、その内観です。車寄(くるまよせ) お客様にはここからお入りいただきます。 お履物をビニール袋に入れていただいてお入りいただきます。 車寄の奥の玄関が受付になっています。筬欄間(おさらんま) (車寄上部)釘隠し (車寄せ上部) 修復あるいは新しいものに取り換えられたようです。広間 玄関に入って右の部屋。この部屋で我々は案内をさせていただきます。 長椅子が置いてあり、最大20名の方に座っていただけます。 三井家の歴史についての説明パネルが置かれています。 この部屋は、顕名霊社で行事があったとき、会社の重役の方々が休憩された場所です。格天井、襖など内装は書院造りを基調とした和風ですが、天井が高く、当時は絨毯が敷かれ、椅子とテーブルが置かれ、洋室として使われていました。修理前はグレーの絨毯が敷かれていましたが、修理中に古い緑色の絨毯が発見されたので、当初の緑色に復元しています。 ガラス窓は、うねりのある「大正ガラス」が、全面当時のまま残っています。明治後期から大正時代にかけて作られた板ガラスは、町工場的なところでは「手吹円筒法」という手法が主流でした。溶かしたガラスを筒から吹いて円筒を作り、それを展開して板ガラスをつくったので、今のガラスのように均一な厚みを保てませんでした。このようなガラスを「大正ガラス」と呼ぶようになりました。その歪みが今となってはレトロな感じを醸し出しています。写真ではよく分かりませんが。 格天井は、「猿頬(さるぼう)天井」となっています。猿の頬(ほお)のように面取りがされています。天井は米檜の柾目。柱、長押も米檜。上部は「蟻壁」(写真の柱のない部分)になっていて、高くなった天井によって、間延びした感じになるのを押さえてくれています。襖、壁紙 唐紙の模様はもとあった模様を再現。材質は「鳥の子紙」。元紙色が「鶏卵の殻」に似ていることから、この名がつけられたと言われています。「加飾技法」は「雲母押し(きらおし)」と呼ばれるもので、雲母を混ぜた絵の具に糊料を入れ、粗めの木綿張りの篩(フルイ)に刷毛で移し、その雲母を篩から模様を彫った版木に乗せ、その上に和紙を置いて手のひらで写し取ります。部屋に射し込む光による微妙なからかみ特有の味わいがあります。 壁の仕上げは「四分一(しぶいち)」。写真の右半分、壁の周囲の細長い木です。一寸角の四分の一の意といいます。玄関廊下 左が玄関、広間、奥が洗面所になっています。手前右に主屋に繋がる玄関棟南廊下があります。玄関廊下の格子 内外の意匠が異なっており影が美しい。格子はやはり猿頬に加工されています。洗面所 広いので、行事の際の会社重役の着替えの場所も兼ねていたかもしれません。 床は松、鏡枠は桜、鏡受台は欅、収納袋は松。左の壁の板は継ぎ目がありません。トネリコの木を桂むきにしたベニヤ板。昔は高価だったと思います。トネリコは曲げに強い木材のようです。 天井は格天井ですが、折上のようになっていて、その部分は竿縁となって凝った造りです。玄関棟廊下から主屋に繋がる廊下(玄関棟南廊下)へのドア(続きます)【過去のご案内】4月11日 ロケーション、開館時間、入館料など4月15日 公開に至る歴史、敷地・建物面積、建築年代、公開対象4月24日 【番外】木屋町別邸所在地探索 4月30日 建築目的と顕名霊社5月3日 三時代に渡る建築の歴史5月11日 玄関棟外観(続きます)(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/20
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【2017年5月19日(金)】 今日は色々忙しく京都の中を歩き回りました。 午前中 1)京都アスニー ゴールデン・エイジアカデミー『徳川慶喜からみた大政奉還』聴講 午後 2)ガイド会年次総会 3)ガイド会全体懇親会 2)は、こちら、3)はこちらに投稿しましたので、よろしければご覧ください。 この投稿では、1)について書きます。 京都アスニー ゴールデン・エイジ・アカデミーは無料で事前申し込みもいらないセミナーです。今月は大政奉還150年を記念して、それに関連した講演が3回あります。 今日はその2回目で『徳川慶喜からみた大政奉還』と題して、霊山歴史館 副館長 木村幸比古(さちひこ)氏による講演でした。 講師の木村氏はマスコミによく登場する方ですが、生でお話を聞くのは初めてでした。さすがお話がお上手です。 以下、レジメと講義メモから。●徳川慶喜の生い立ち 徳川慶喜(1837~1 9 1 3)父は水戸藩主徳川斉昭、母は有栖川宮織仁の王女吉子(富美宮)の七男、元服のとき、将軍徳川家庭から一字拝領で慶喜と改めた。天皇の血筋を引きプライドが人一倍強くかった。●禁裏守衛練督となり御所を護る 禁門の変で慶喜は、長州と会津の私闘と考え出陣を控えていたが、御所に長州軍がせまると急きよ出陣した。この戦いで京都市中の3分の2を焼失、天皇の庭を焼いてしまった。●幕臣にも大政奉還諭者がいた 龍馬は「天下の人物というは、徳川家には大久保一翁、勝海舟」と称し、この2人の大政奉還論者に加え、政事総裁職松平春嶽も大政奉還をして一大名となるべきと進言した。だが孝明天皇の信任を得て将軍職につき、軍制改革に着手した。、●江戸城に一度も入らず 15代将軍に就任すると、二条城と大坂城で100日余り執務し、一度も江戸城に入らなかった。江戸幕府というより京都では和宮降嫁で徳川幕府の考えがつよかった。●大政奉還をいつ頃に決意 慶書は晩年「我が手により幕府を葬り(大政奉還)、一朝、一タにあらず、すでに宗家の相続の際(慶応2年8月)にも、はた将軍職御請けの際(同年10月)にも、これを断行せんと」と語った。2回返上を考えた。政権返上する時期をうかがっていたという。●大政奉還の舞台裏 慶応3年(1867)10月11日、幕府の通達「国家の大事見込み御尋ねの儀これあり侯間、詰合いの重役、明後13日四ッ時(午前10時)二条城へ罷り出づ可く侯」と各藩の留守居役(50名)に通達した。人集めに苦慮した幕府は代理でも可能とした。黒書院で幕臣板倉勝静から一枚の書面(従来の旧習を改め、政権を朝廷に帰し、広く天下の公議を尽くし)が配られたが。そこに慶喜の姿はなく、別の間で慶喜に、小松帯刀、後藤象二郎ら4名が敬意を表した。14日、二条城では、大政奉還の絵画で描かれている劇的な式は一切なく、朝廷へ奏上文を提出した。●龍馬の大政奉還論(新政府網領八策) 土佐藩は公議政体の倒幕論もって臨んだが、岩倉具視と薩摩藩、長州藩は、武力討幕で領地返納(財源の確保)を目論んでいた。龍馬は同志と近江屋にいて、後藤象二郎から大政奉還を2日後に知らされ知った。新政府の人事を慶喜も加えた案を作成した、後藤と中岡慎太郎が岩倉に伝えた。王政復古の大号令の岩倉の刷新人事では、慶喜の名前はなかった。・大政奉還は世界でもまれな武力によらない政権交代・二条城を追われた慶喜は、裏門(西門)から出て歩いて出た。・明治改元にあたっては、宮中賢所において、その選ばれた元号の候補の中から、明治天皇御自らくじを引いて選出した。江戸城には洋服姿で現れた。 面白い講演会でした。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/19
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【2017年5月19日(金)】今日は、ガイド会の年次会があり(こちら)、その後、同じホテル内でガイド会全体の懇親会がありました。 各エリアごとに、新入りメンバーが中心になって、何か余興をすることになっていました。ネットで調べると「京都府の歌」というのがあり、案外憶えやすいメロディーです。作曲は有名な団伊玖磨さん。ほとんどの会メンバーは京都府民。でも、皆さんあまり知らないと思うので、これを会場全員で合唱したら面白いのではないかと提案したら、皆さん賛成してくださいました。そして、ある方から、歌詞の中の「京都府」の部分を我がガイド会の名前に替えて歌ったらどうかという提案が出てきました。 それはいいとの皆さんの意見。それではと、他の部分も京都の観光ガイドに合った替え唄にしたらどうかと思い、歌詞を考えて提案、「よし、これで行こう。」となりました。同期の某さんの奥さんがピアノを弾かれるので、伴奏を録音していただきました。 ところが、我々には知らされていませんでしたが、我がガイド会には、すでに会の歌が存在していました。それを別のエリアグループが歌うとのこと。それが分かったのが、昨日のこと。ちゃんとした歌があるのに、替え唄はまずいかなと思いましたが、まぁ余興だし、別のことに変更する時間もないので、そのまま突き進むことに。 今日、年次会の1時間前に、京都御苑の蛤御門のところに集まって練習。女性陣からの提案で、簡単な振りも付けました。 会が始まって、我がエリアグループの番になって、楽譜を全員に配り、「京都府の歌」1番を我々だけで、次に1番を全員で合唱、最後に替え唄部分を合唱しました。そこそこ盛り上がったと思います。 他のエリアグループも新入りメンバー主体でした。上記に書いた、正式の会の歌を歌ったところ、仮装をして「ひょっこりひょうたん島」を歌ったところ、社交ダンスの得意な女性がいてマンボダンスを踊ったところなど皆さん苦労して準備されたようです。「琵琶湖周航の歌」を歌ったところもありました。盛り上がったり、盛り下がったり様々でした。 明日もガ勤務なので、2次会(あったのかどうかは不明)は行かず、真っすぐ帰宅しました。歌った歌。1番が京都府の歌の1番。2番が京都府の歌の3番の替え唄「京都府の歌」 京都府のHPからそして「京都市の歌」というのもあって、これがまたいいのです。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/19
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【2017年5月19日(金)】 今日は、午前中、京都アスニーでのゴールデンエージ・アカデミーに出席(こちら)の後、午後にガイド協会の年次会が御所近くのホテルでありました。 来賓の方々の祝辞があり、その後議事が行われました。当然、初めての出席ですが、普段ほとんどお見かけしないスーツにネクタイ姿の方も多く、想像以上にフォーマルな会でした。 終了後、同じホテル内で懇親会がありました。→こちら(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/19
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【2017年5月18日(木)】 今日は「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第9日目でした。 テレビ番組の取材がありました。読売テレビの「クチコミ新発見!旅ぷら」という、日曜日午前中、地上波デジタルで放送されている30分番組です。毎回違ったタレントさん二人が、日本各地のクチコミ的スポットを案内するというものです。 今回は、野々村真さんと はいだしょうこさん が取材に来られるとのこと。私は ”はいだしょうこ”さん は詳しく知らず、最初ウィンクのメンバーだった相田翔子さんと勘違いしていて、賑やかな人と静かな人の凸凹組み合わせだなぁと思っていました。取材に来られて分かりました。はいだしょうこさん がテレビ(ほとんど視ません)で時々見かける、賑やかなタレントさんであることが。この組み合わせなら納得です。 テンション高いお二人ですので、高島礼子さん、船越英一郎さん、中村芝翫さんなどの取材に比べ、賑やかな取材になるとは思っていたのですが想像以上でした。まず、入り口に来られて「よろしくお願いしま~す。」の挨拶があってからの取材開始かと思っていたら、玄関に入られるところから、カメラは背後で回っていて、すでにテンションハイでした。 京都の紹介番組は、その道の専門家を呼んできて解説をさせることが多いですが、この取材ではそういうこともなく、インタビューの相手も、この下鴨別邸を我々といっしょに担当している市の観光協会の方でした。 そして、普通我々ガイドは「ちょっと、どいておいてください。」となるのですが、そういう指示もなく、私はいつものように、お客様案内のために、玄関棟から主屋への廊下に立っていました。すると、お二人が移動されてきました。その背後ではカメラが回っていましたので、ひょっとするとオンエアーのとき、私の姿が映るかもしれません。 その後も、テンションの高い取材が続き、最後は主屋の2階に上がって、窓を開けて、庭の「夫婦ムクノキ」に向かって叫ぶというものでした。 放映は1ヵ月後の6月18日とのこと。楽しみです。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/18
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【2017年5月17日(水)】 今日は、修学旅行ガイドの通算6回目、今年5回目です。今日の学校は、東海地方の公立中学校。 朝、大失敗。五条通を通るバスで行こうと、バスに乗ったのですが、携帯電話を忘れたことに気が付きました。普通の外出なら携帯を忘れても大勢に影響ないのですが、修学旅行ガイドでは、途中で先生に状況連絡を入れないといけない場合もあるし、緊急事態の連絡手段としても必須アイテムです。バス停を自宅最寄りから4つ目で降りて、取りに帰ることに。逆方向のちょうどいいバスはないかと時刻表を見ましたが、早朝で全然ありません。止むなく早足で歩いたり、少し駆け足して自宅に戻り携帯をピックアップ。忘れないように、財布などの横に置いてあったのに、それを忘れたようです。時々こんな失態をしでかします。 少し離れたバス停からなら、すぐに便があるので、そこまで歩いて京阪バス+阪急+市バスで集合場所に辿りつきました。最初かなり余裕をもって出たので、30分くらい前には着くことができました。交通費は余分にかかりましたが、事なきを得ました。 今日の学校は、「体験学習」が組入れられていました。私の担当した班は、京都ハンデクラフトセンターでの「七宝焼き」が入っていました。なかには大原まで行って「染色」の体験をするという班もありました。 昼食場所は、「美味しければ何でもいい」とのことだったので、昨日食事場所の下見をした(こちら)なかから「おかる」を選択しました。11時半に行ったのですが、すでに修学旅行生で混みあっていて、ギリギリ座れました。生徒たちは冷たいうどんを食べたようですが、幸い「美味しかった」と言ってくれました。 スイーツは二年坂、三年坂でと思ったのですが、私も詳しくなく、うまく見つけられなくて、時間も余ったので、予定になかった京都駅に行き、地下街のポルタの「ナナズグリーンティー」に入りました。スイーツの後、京都駅ビルの171段の階段横を上って京都の上からの景色も楽しんでもらえたので、結果的にはよかったかなと思います。ただ後で調べたら、「ナナズグリーンティー」は全国チェーンで、この学校のある県内にも何店舗かあります。「これなら地元でも食べることできるじゃん。」と言っていたかもしれません。このへんまだまだ勉強不足です。 最後の挨拶では、回った寺社の創建の順番を話し、平和の大切さも伝えることができました。生徒さんたちも最後は大きな声で「ありがとうございました。」と言ってくれました。お土産もいっぱい買っていたし、スイーツも食べてもらえたし、見かけ以上に楽しんでくれていたのかもしれません。 よく言われる言葉に「ガイド自身が楽しくないと、お客様も楽しくない」というのがあります。こういうときにも自分自身が楽しめるようなガイドができるようになって、初めて一人前なのでしょう。 それから、途中「秋にはモミジがキレイ。」「春には桜がキレイ。」というのを多用していたように思います。でも、これはよくありませんね。テンション下げてしまいますね。「秋のモミジ、春の桜もキレイだけど、人があまり多くない、新緑の季節に京都に来るのが一番。君たちはラッキー。」と行かねばダメですね。 今回新たに作成した「紙芝居」は2箇所、「花街・祇園」と「高台寺」です。短時間で作り上げたので、まだまだ不十分ですが。花街・祇園 高台寺 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/17
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【2017年5月16日(火)】 今日は、津軽三味線始めて1年と4ヶ月目のレッスン(15回目)。 明日の修学旅行ガイドは、生徒たちから祇園付近で昼食をしたいとの指定があります。そこで、家を早めに出て、三味線をレッスン会場に預けて、リストに掲載された祇園近辺の食事処を外からですが、下見をしてからレッスンに向かいました。 下に投稿したのは4つめの課題曲「津軽よされ節(イントロ部分)」の練習の録音です(ただし、この投稿は後付けでアップしているので、演奏は6月26日のもの)。 瞬間的に大きく押弦を移動させないといけない箇所が多くあり、後半には色んなパターンの「タラチリチリ」が連続して、正確に弾くのがむつかしい曲です。哀愁を帯びたメロディーですが、もう半年近く練習しているものの、なかなかそれを表現できるところまでいきません。弾くだけでいっぱいいっぱいです。 ワンちゃんがこの頃下痢傾向。今朝、家内が動物病院に血液検査の結果を聞きにいったところ、胆嚢の数値が異常値を示しており、本当は手術が望ましいとのこと。しかし、高齢を考えると、それもリスクが大きいので、薬で様子を見ましょうということになりました。最悪、胆嚢破裂ということもあり、そうなったら最期だとのことです。 家内は母の日で、高槻の実家にも出向いたので、家内も忙しい一日でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村-------------------------------------------------------------------津軽三味線練習カテゴリー投稿一覧http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=33
2017/05/16
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【2017年5月16日(火)】 今日、粒子線治療後の「マイカルテ」8回目の兵庫県粒子線医療センターからの返送がありました。(送付時の日記はこちら) そこにも書かれているように、従来は郵送してから返送まで2ヵ月かかっていたのが、今回は約1ヵ月で返送されてきました。以前、「担当医師を1人増やします。」とのコメントがあったのでその効果だと思います。 今回のコメントにも特にネガティブな内容はありません。順調という判断です。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/05/16
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【2017年5月16日(火)】 今日は月イチの津軽三味線のレッスン日。明日の修学旅行のガイドは、昼食が祇園近辺となっています。今までの修学旅行ガイドでは、祇園近辺で昼食をとった経験がないので、三味線レッスンの前に、外からですが、いくつかの食事処を観察しました。あわただしかったですが45分くらいで、急ぎ足で回りました。 情報リソースは、手持ちの修学旅行食事場所リストの「祇園」エリア部分。そこに書いてあるところを巡ってみました。「おかる」 大和大路四条一筋上がって東入ル。 麺類・丼。カレーうどんが人気。値段が良心的。「天富良天周」 大和大路四条を東へ。北側。 夜のメニューしか表には書いてなかったが、リストによると穴子天丼が1100円とやや高め。「黒豆茶庵北尾祇園店」 八坂神社石段下を四条通西へ、北側。 甘味中心。黒豆御膳が1230円(多分税抜き)が名物。安くはない。「味々香(みみこう)」 八坂神社石段下を南へ、東側。 丼、麺。親子丼が994円(税込)とギリギリ1000円未満。「ひさご」 石塀小路西口(2つある出口のうち南側)近く。 親子丼が税込1010円、にしんそばが1010円とチョイ1000円超え。「ぎおん石 京そば処」 八坂神社石段下四条通西へ、南側、石ビル3階。 麺類、丼1000円以下もあり。 その他、円山公園内の「大正ロマン亭」、「銀茶寮」、「開花亭」がリストにありましたが、時間的に行けす、津軽三味線のレッスンに急ぎ足で向かいました。 明日の、修学旅行では、「おかる」を提案してみようかと思います。 追記:後日、リストのさらなる最新版があって、プラス9店紹介されていることが分かりました。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/16
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【2017年5月16日(火)】 京都検定1級合格者の特典として、京都産業大学日本文化研究所の特別客員研究員への就任資格が得られるというのがあります。以前から、1級に合格した暁には是非務めたいと思っていました。 4月22日に募集説明会があり、5月7日に応募書類を送りました。 今日その選考結果の通知があり、研究計画が採択され、京都産業大学日本文化研究所の特別客員研究員の受入候補者となりました。 「客員研究員願」など必要書類を6月1日までに提出し、6月17日に入所式があり、7月1日から特別客員研究員として正式受入となる予定です。 今回提出した研究計画書「伏見稲荷大社とその周辺の不思議研究」を紹介させていただきます。 ガイド業で手いっぱいで、研究員がちゃんと務まるのか不安な面もありますが、昔から思い描いていたことが実現の方向に向かっていますので、何とか乗り切りたいと思います。 今日は、月イチの津軽三味線レッスンでしたが、明日ガイドする修学旅行の昼食場所が祇園周辺になるので、短時間ですが、レッスンの前に、いくつかの食事処を外からですが確認してきました。 -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/16
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【2017年5月15日(月)】 「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第8日目でした。 今日は、葵祭の日で特別イベントがありました。午前10時から12時にかけては、一般のお客様を入れずに、事前に特別料金で申し込んでいただいた少人数のお客様に貸し切りです。 まず、2階のお部屋に集まっていただき、葵祭と下鴨別邸の概要を説明し(この部分はもう一人の方に担当いただきました)、お抹茶を召しあがっていただき、邸内を案内後、門の前の車寄せのスペースに降りていただきました。そして椅子に座っていただき、葵祭の行列を間近から見ていただきました。その後、再び2階に戻っていただいて、お弁当を召しあがっていただきました。 私もいっしょに「かぶりつき」で葵祭の行列で拝見させていただきました。まさに役得です。 今後、葵祭のガイドをすることもあるでしょうから、京都市観光協会のサイトを参考に、行列の登場人物を登場順に列挙して、そこに撮った写真をあてはめてみます。【本列】●乗尻(のりじり)●検非違使志(けびいしのさかん)●山城使(やましろのつかい)山城使 「取物舎人(とりものとねり)」と風流傘●御幣櫃(ごへいびつ)●内蔵寮史生(くらりょうのししょう)●馬寮使(めりょうつかい)●牛車(ぎっしゃ)●御馬(おうま)●和琴(わごん)●舞人(まいびど)●陪従(べいじゅう)●内蔵使(くらづかい)●勅使(ちょくし)●牽馬(ひきうま)●風流傘(ふりゅうがさ)【斎王代列】●命婦(みょうぶ)●女嬬(にょじゅ)●斎王代●女嬬(にょじゅ)?●騎女(むなのりおんな)●蔵人所陪従(くろうどどころべいじゅう)●牛車(ぎっしゃ)●命婦(みょうぶ) 間近で観る点では最高でしたが、道路から凹んだところにあるので、行列の長さが実感できないのが難点でした。贅沢ですが。 さて葵祭が終わってからが大変でした。もちろんいつも以上のお客様が来られることは予測していましたが、想像以上のお客様にお越しいただきました。終わってみれば、いつもの数倍のお客様数でした。それがほとんど行列が通り過ぎてからの時間に集中した訳ですから、混雑度合いが想像していただけるかと思います。ガイドをする部屋に入り切れずに、まず見学を先にしていただいたり、説明を短めにしたりして何とか対応しましたが、来年は3人体制で、外のテントを使って並行して案内するなど対策を考えないといけないと思います。 全体責任者のNさんも今日はボランティアで来ていただき、ずいぶん助かりました。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/15
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【2017年5月14日(日)】 夕刻、東向日(ひがしむこう)駅の近くにある「セカンドルームズ」という小さなライブカフェに行ってきました。 ガイド会の同じエリアグループのTさん(男性)が、カントリーミュージックをやっておられて、時々この会場で演奏されています。私が津軽三味線を弾くのをご存知で、「一度ここで演奏しないか。見学においでよ。」と誘われて行ってきた次第です。 プロからアマまで、色んな方々が少しずつ演奏されました。お一人、あるいはグループで2曲から数曲演奏され、歌、ピアノ、ギター、なかには今まで生では聞いたことのなかったチターの演奏もありました。お酒や酒の肴をいただきながらの、ワイワイガヤガヤの楽しいリラックスしたコンサートでした。 Tんは「歩こう会」のようなこともしておられるので、この会の方々や我がガイド会の方々も多く観に来ておられました。 演奏の皆さんは相当の腕前で、今の私のレベルならとても参加できないなぁと思いました。Tさんから「秋にまたやるので、練習して出演して。」とおっしゃっていただき、このごろガイドの関係で忙しくてほとんど練習ができていないので、ここの出演をモチベーションにすることで何とか時間を創って練習をして、このライブに出演できるようなレベルにしたいものだと思いました。Tさんの演奏チターの演奏 午前中は床屋に行き、家内は母の日で高槻の実家に行く予定でしたが、風気味でキャンセル。私の痛かった歯は、両方の歯で噛めるところまで好くなりました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/14
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【2017年5月13日(土)】 今日は一日家内といっしょでした。午前中は、上賀茂神社境外摂社の大田神社へ国天然記念物のカキツバタ群落を観に行きました(こちら)。 上賀茂神社前の「みそご茶屋」で昼食をいただいて上京区総合庁舎へ。 平成29年度「京・上京探訪」語り部と歩く1200年連続講座第2回「聚楽第。伝承の地を歩き学びそして楽しむというお題で、西陣・千両ヶ辻歴史研究会リーダー仲治實氏の講演を聴講しました。 仲氏は、元生糸問屋専務。西陣・千両ヶ辻郷土史研究家。上京おもてなし大使。生まれ育った家は、聚楽第の北門があった地域に位置しており、出身の生糸問屋(明治30年創業)は現在も営まれています。上京区役所による『上京まち歩きツアーコンテスト』で最優秀賞を受賞しました。号は大文字屋治實。「まいまい京都」のガイドもやっておられます。 聚楽第があった場所、周辺を一条戻橋から佐々木酒造までを歩きながら案内をするという設定での講義でした。(注)この地図では、ゴールは佐々木酒造ではなく、松林寺になっています。 再認識したこと、新しく知ったことを、その後調べたことも含め列挙します。・聚楽第は内裏があったところに造られた。朝廷工作だと思われる。・豊臣秀吉により千利休が一条戻橋(地図1)で梟首された。・「公儀のことは私に、内々のことは宗易に」という豊臣秀長の言葉がある。 秀吉の弟秀長と黒田官兵衛、利休は良識派の三者。・聚楽第の千利休屋敷は晴明神社付近にあった、・一条戻橋東には、宮本武蔵との決闘で名高い吉岡一門の道場があったところで、 その裏庭に松があり下り松といわれ、そこで決闘がなされたと伝える。 一乗寺下り松は,この一条下り松が誤り伝えられたものという説がある。・主計町は読む、主計頭(かずえのかみ)加藤清正公の屋敷があったところ。・甲斐守町は甲斐守黒田長政(黒田孝高(官兵衛・如水)の嫡男)からの命名。・堀川第一橋(地図2)は堀川の中立売通に架かり、中立売橋の別称で知られる。 聚楽第造営当時はこちらが戻橋と呼ばれていたようで、旧戻橋とも呼ぶ。 江戸時代は二条城と御所を結ぶ重要な木橋だったが、永久に壊れることが ないように明治6年、石橋に架け替えられた。 京都市指定有形文化財に指定されている。 後陽成天皇(正親町上皇も同行)の聚楽第行幸の行列は中立売橋を渡ったと 考えられている。 東福門院(徳川和子)入内のとき、その列はこの中立売橋を渡って御所に向かった。 ・如水町、小寺町の名は、黒田官兵衛(如水)、旧姓小寺に因む・飛騨殿町の名は、飛騨守・蒲生氏郷に因む・弾正町(だんじょうちょう)は、弾正少弼 (しょうひつ)・浅井長政に因む・京都府教委文化財保護課と京大防災研が行なった、地震波の性質を利用した 地下の遺構調査(昨2015年10月から実施)で、本丸と内堀の東外側には 外堀を備えていたらしいということが判明した。 その折れ曲がった外堀のうち最も東側に突き出した部分が、大宮通の一条 から下長者町にかけての一帯に当たる。これで、大宮通のうち一条通から 下長者町通までの間が、聚楽第東側の外堀に取り込まれてしまったことで、 この間の部分が途切れてしまったので、その東側にある黒門通との中間に それに替わる道路を新しく開通させた。その道が現在では、「旧大宮通」 と通称されている道。聚楽第が破却されたあと元々の大宮通が復活したことで、 両方を区別する必要からこの道を旧大宮通、復活した道を元通りに大宮通と 称したと考えられる。・「梅雨の井」(地図5)は、かつて聚楽第で豊臣秀吉が茶の湯に使う水を 汲ませたところと伝わる。 近代、1877年、束辰巳町の町民は、梅雨の井周辺の土地を、再興された豊国神社の 御旅所用地として寄進した。 1893年、梅雨にの井付近に八坂神社の分霊を勧請し、八雲神社が祀られた。 秀吉が愛でたというモチノキを神木とした。 1934年、八雲神社のご神木のモチノキは、室戸台風により枯死した。その後、2代 目が植えられる。 現代、1950年、梅雨ノ井内部の石組、積石、井筒が崩壊し、埋もれた。水も出なく なった。1990年、一帯の地上げにより、八雲神社、モチノキも取り去られる。 現在は、井戸跡だけが無残に残されている。・日暮通下長者には聚楽第唐門があった。門があまりにも美しいので、 見とれていると日が暮れるので日暮門とも呼ばれた。日暮通の名はそれに因む。 大徳寺唐門として移築。 国宝三唐門の一つ。あと二つは豊国神社と西本願寺のそれ。・中立売通に面する正親小学校の名は、中立売通の別名、正親町通に因む。 番組小学校としてできたとき、聚楽小学校と名付けたかったようだが、 堀川通近くの小学校の方に聚楽小学校の名がとられたので、正親小学校とした。・西陣では「五番町夕霧楼」の五番町が知られるが、秀吉が聚楽第の中に 家来の長屋を建てる折に一番から七番まで振り分けたのが由来。 何度訪れても、位置関係が頭に入りにくいところですが、今回の講演で少しはましになったかなと思います。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/13
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【2017年5月13日(土)】 午後からの「上京探訪」第2回の講演会の前に、家内と上賀茂神社の境外摂社の大田神社境内にある、「大田ノ沢のカキツバタ」を観に行きました。 大田神社近くでコインパークを探しましたが、見つからず、上賀茂神社の駐車場に駐車し、社家が並ぶ街並みを歩いて大田神社に向かいました。社家の街並 上賀茂伝統的建造物群保存地区に指定されています。 大田神社に到着。 参道の脇の「大田ノ沢」では、約2000平方メートルの敷地にカキツバタ約25,000株が自生して、「大田ノ沢のカキツバタ群落」と呼ばれます。この大田ノ沢は平安時代からの名所とされ、平安時代に詠まれた和歌に次のものがあります。 神山(こうやま)や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ 藤原俊成 尾形光琳の『燕子花(かきつばた)図』のモチーフになったとの言い伝えもあります。 毎年5月上旬から中旬にかけて開花します。 大田ノ沢は古代に深泥池と同様に沼地であったといわれ、かつて京都盆地が湖であった頃の面影を残すものであるとして、カキツバタ群落とともに、昭和14年(1939年)に国の天然記念物に指定されました。 一昨年から鹿の食害が深刻になったようですが、ネットを設置するなど懸命の努力がされて、今年は多くの花が咲いたようです。義務ではありませんが、杜若の協力募金(300円)が入り口に置かれていて、毎年多く咲き続けることを願って協力させていただきました。 カキツバタ(杜若)はアヤメ科アヤメ属。湿地に群生し、5月から6月にかけて紫色の花を付けます。外花被片(前面に垂れ下がった花びら)の中央部に白ないし淡黄色の目型の斑紋があることが特徴で、これによりアヤメやハナショウブと見分けることができます。 「カキツバタ」の名は、かきつばたの色(青紫)を染み出させ布などに書き付けた、つまり衣の染料に使われたことから「書付花」と呼ばれていたのがなまったものです。 漢字表記の一つ「杜若」は、本来はヤブミョウガという別種の漢名(「とじゃく」と読む)でしたが、カキツバタと混同され使われたもの。 続いて、大田神社に参拝しました。 祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)。創始年代は不明。五穀豊穣を願ってこの地の地主神を祀ったのが始めといいます。のちに上賀茂神社の境外摂社となり、上賀茂八摂社の一つに数えられます。寛永5年(1628)には本殿と割拝殿が造替されました。白鬚社 - 祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと) 摂末社の一つ。他の摂末社も含め、上賀茂神社の境内末社にも指定されています。 近くに「北大路魯山人誕生地碑」が立ってました。その横の説明板の全文です。 北大路魯山人は明治16(1883)年3月23日、ここ上賀茂の地で生れた。15歳で当時流行の「一宇書き」で次々と受賞を重ね、一字書きの名手として名をあげるなど、年少時代から非凡な才能を発揮した。明治37年(21歳)に、日本美術展覧会に隷書「千字文」を出品し一等賞を受賞。その後、書や篆刻、刻字看板を制作し、併せて古美術と料理にも興味を持つようになった。 大正14年(42歳)に東京で「星岡茶寮」を開設し、仕入れ、調理などに卓越した技量を発揮して、美食家としてもその名を世間に知らしめた。昭和2年(44歳)に星岡茶寮で用いるため、北鎌倉に「星岡窯」を築き本格的に作陶を始め、多数の優れた作品を残した。 魯山人は、書、篆刻、陶芸、料理など幅広い分野で人並み外れた優れた業績を残し、昭和30年(72歳)に重要無形文化財(人間国宝)の認定を打診されたが、固辞した。美の追求に一生涯を掛けた偉大な巨人であったが、世間の名声にはまったく無頓着であった。昭和34(1959)年12月21日、76歳で横浜の地で逝去し、京都西賀茂の小谷墓地に葬られている。 「上京探訪」のセミナーに向かいました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/13
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【2017年5月12日(金)】 今日は午前中、京都アスニーで「大政奉還」についてのセミナーを聴いた後、下鴨神社に向かいました。 某講座がこの5月から9月にかけて開催されます。我がガイド協会がその講師を務め、午前中に座学、午後から現地研修があります。午後の現地研修の部は、去年入会した新人が担当します。今日が、その第1日で、現地研修が下鴨神社でありました。 私は、この現地研修の最後の二条城を担当することになっています。基本的な進め方は下鴨神社のそれと同じです。そして、この7月~9月は、「京の夏の旅」で下鴨神社の特別拝観エリアでのガイドをすることになっています。それで、今回下鴨神社での研修を見学させていただいた次第です。 やはり1箇所で1時間半以上の案内となると、結構詳しい話も必要です。さらに受講者の中には、京都検定1級保持者も何人かおられ、生半可な知識では対応できません。今日の講師の方もかなりの時間前もって勉強されて、本番に臨まれたというのがひしひしと伝わってきました。今まで、聞いたことのない話がたくさん出てきて勉強になりました。また、案内の仕方も色々と勉強になりました。案内の様子 いくつか今回の見学で新しく知ったことを列挙します。(帰宅後、調べて補強した情報も含め)・三井神社(本殿横)は、三井財閥の三井家と直接は関係ないが、名前が同じなので三井家の方が神社の前に植樹をされたりしている。・谷崎潤一郎、川端康成は一時期、糺の森のすぐ東に住んだ。 石村亭(せきそんてい)は谷崎潤一郎が62歳から7年間を過ごした場所。当時は潺湲亭(せんかんてい)と云われていたが、現所有者の日新電機に渡る際に石村亭となった。通常非公開。 その北側に「下鴨泉川亭」がある。下鴨神社の神官の居所だったが、明治期に一般邸宅として譲渡された。川端康成が「古都」を執筆した場所として知られる。谷崎潤一郎の「夢の浮橋」の舞台となった。レオパレスが邸宅を買収、大規模改修を実施して迎賓館として利用していた。リーマン・ショック以降に、香港系ファンドの会長に売却した。・河合神社の諏訪社の裏では葵祭に欠かせない双葉葵が栽培されていた。花も見ることができた。双葉葵双葉葵の花・河合神社から北に向かう馬場の西側には神宮寺があった。平安時代初期、嵯峨天皇が勅願寺として創建したと伝わる。慶応4年(1868年)の神仏分離令により廃絶。平成3年の発掘調査で堂塔の一部が発見された。現在は、池跡と伝わる窪地が残るのみ。神宮寺池跡・日本でのラグビーは、今から118年前の1900年(明治33)にイギリス人の慶応大学での指導が始まりとされている。1910年(明治43)に下鴨神社境内にある糺の森で、第三高等学校(現在の京都大学)と慶応大学の学生の間で初めてのラグビーの練習が行われた。これが契機となり日本ラグビー界の歴史が始まり、その歴史を後世に伝えるため「第一蹴の地」の聖地として1969年(昭和44)に記念碑が建立された。 下鴨神社の末社・雑太社(さわたしゃ)がある。この小さな祠(ほこら)には神魂命(かんたまのみこと)が祀られている。この神さんは蹴鞠(けまり)やサッカーの神さんの先祖にあたり、「魂」は「球」に通じるものとして信仰が篤い。この関連で「第一蹴の地」の石碑が雑太社の傍に建てられた。 2019年に日本で開催されるラグビーワールドカップ(W杯)の組み合わせ抽選会が5月10日日に京都迎賓館(京都市上京区)で行われたが、当日、参加各国の関係者が下鴨神社に招かれ、この記念の地を訪問して大会の成功が祈願された。社殿はこの機会にキレイにされたようだ。第一蹴の地碑 私の二条城での案内は2ヵ月以上先ですが、しっかりと準備しなければなりません。 続いて、我がガイド会が案内を担当する下鴨神社の資料館「秀穂舎(しゅうすいしゃ)」を見学しました。いつかは担当することになると思うので、この機会に下見させていただきました。 糺の森を南に抜け、さらに話題になったマンションを両側に見ながら通り過ぎたところにあります。この秀穂舎は一昨年の第34回式年遷宮奉祝事業の一環で、旧鴨社学問所絵師浅田家邸を資料館として整備したものです。秀穂舎は、江戸後期に、本宮の正祝(しょうのはふり)を務めた鴨秀豊(ひでとよ)が開いた私塾の名前です。公家や神職の子弟だけでなく、京の町衆の子供達にも門戸を開いた学び舎でした。もとは祝家の鴨足(いちょう)家の邸で華表門(かひょうもん)や透塀(すきべい)は江戸時代後期ごろとみられ、数少ない社家邸の面影を残す建物となっています。秀穂舎流れる川は泉川 神職として禊(みそぎ)をする場が設けられています。 ここの見学を終わって帰ろうと思ったら、催されている御蔭祭の列が帰ってきたところだったので見学しました(こちら)。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/12
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【2017年5月12日(金)】 今日は色々忙しく京都の中を歩き回りました。 午前中 1)京都アスニー ゴールデン・エイジアカデミー『大政奉還の描いた未来』聴講 午後 2)京都ウェルカムサポーター下鴨神社現地研修見学 3)下鴨神社資料館 秀穂舎見学 4)御蔭祭見学 2)、3)は、こちらに投稿しましたので、よろしければご覧ください。 この投稿では、1)、4)について書きます。 京都アスニー ゴールデン・エイジ・アカデミーは無料で事前申し込みもいらないセミナーです。今月は大政奉還150年を記念して、それに関連した講演が3回あります。 今日はその1回目で『大政奉還の描いた未来』と題して、京都国立博物館学芸部上席研究員の宮川禎一(ていいち)氏による講演でした。 慶応3年(1867)9月、京都の幕閣に土佐藩が提出したのが「大政奉還建白書」です。この中身をまず解説していただきました。 前半は松平(山内)容堂の本書です。 後半が土佐藩重役連の建白です。後藤象次郎の名があります。 今日の宮川氏の説明と食い違う部分があるいかも知れませんが、Wikipediaの情報をもとに大政奉還の経緯をまとめました。 雄藩の政治参加を伴う公武合体を構想していた薩摩藩は、切り札と考えた四侯会議(1867年)でも15代将軍に就任した慶喜の政治力により無力化されたため、慶喜を前提とした諸侯会議路線を断念し、長州藩とともに武力倒幕路線に傾斜していきました。(注)四候会議の構成員は島津久光(薩摩藩主の父)、松平慶永(前越前藩主)、山内豊信(前土佐藩主)、伊達宗城(前宇和島藩主) このような状況の中、土佐藩の後藤象二郎は、慶応3年(1867年)坂本龍馬から大政奉還論を聞いて感銘を受け、坂本の船中八策にも影響され、在京土佐藩幹部に大政奉還論の採用を主張しました。これに薩摩藩の小松清廉(帯刀)らも同意し、6月22日薩土盟約が締結されます。 大政奉還論はいわば平和裏に政体変革をなす構想でしたが、薩摩藩がこれに同意したのは、慶喜が大政奉還を拒否すると予想し、これを討幕の口実にすることにあったともいわれます。そのため、盟約には土佐藩の上京出兵および将軍職・廃止を建白書に明記することが約束されました。 後藤は帰国して土佐藩兵を引率してくる予定でしたが、山内容堂(前土佐藩主)は大政奉還を藩論とすることには同意したものの、上京出兵には反対し、建白書の条文から将軍職廃止の条項を削除しました。薩摩側は長州・芸州との間で武力倒幕路線も進めており、結局9月7日に薩土盟約は解消されます。 10月3日、土佐藩は大政奉還・建白書を藩主・山内豊範を通じ単独で将軍・徳川慶喜に提出しました。 次に坂本龍馬による「新政府綱領八策」、いわゆる「船中八策」です。慶応3年(1867年)6月、坂本龍馬はいろは丸沈没事件を解決させたのち、京都に上洛していた前土佐藩主の山内豊信(容堂)に対して大政奉還論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の後藤象二郎に対して口頭で提示したものを海援隊士の長岡謙吉が書きとめ成文化したとされています。(このくだりもWikipediaからの情報なので、今日の宮川氏の説明と一部矛盾するところがあるかもしれません。) 「○○自ラ盟主ト為リ」の○○部分は諸説あるようですが、龍馬は松平春嶽を考えていたのではないかというのが、宮川氏の考えでした。 慶応3年10月から11月の坂本龍馬の活動の主軸は「新国家」の建設でした。龍馬は自分で越前福井を訪ね、三岡八郎(由利公正)に会って、新政府の財政問題を聞いています。三岡は、藩主・松平慶永(春嶽)から財政手腕を評されて抜擢されましたが、長州征伐で、藩論を巡って対立した征伐不支持と薩摩藩や長州藩など雄藩支持の両派の提携を画策したものの、支持が得られず福井にて蟄居・謹慎処分となっていました。 11月5日に京都に戻った龍馬は三岡を朝廷に推薦し、早期の京都出仕を計りました。さらに、11月8日に松平春嶽とともに上京してきた中根雪江(福井藩重役)に手紙(新発見)を出し、三岡の出仕を要請しています。さらに幕臣永井尚志や中根雪江らと会合を重ね、徳川側も薩長側も納得する「新国家」のかたちを龍馬は構想していたようですが、11月15日に河原町の近江屋で暗殺されました。新発見の龍馬書簡 あまり知らない部分のお話でしたので、面白く聴講しました。 下鴨神社に向かい、午後、ウェルカムサポータの現地研修で同期ガイドの案内を聞き、我がガイド会が案内・受付を担当している下鴨神社資料館の秀穂舎を見学しました。帰宅しようと思って外に出たら、御蔭祭の列が下鴨神社に帰ってきたところでしたので、見学しました。 御蔭祭は、葵祭の前祭です。比叡山、山麓にある御蔭神社(下鴨神社摂社)より荒御霊(あらみたま)を迎える神事です。行列は、国内で最古の神幸列と言われています。 行列が御蔭神社から糺の森に戻ってきたところでした。儀装馬車に乗るのは、下鴨神社宮司・新木直人氏。 白い神馬に乗った荒御霊 切芝神事 東游(あずまあそび)が舞われます。 神馬は神馬幄へ入り、幕が引かれ、頭だけ出しています。 行列は本殿方向へ 予期せず、御蔭祭に遭遇し、ラッキーでした。------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/12
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【2017年5月11日(木)】 今日は「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第7日目でした。ウィークデーの中日で、ゆったりとガイドをさせていただきました。 説明をする玄関棟の広間にある三井家の説明パネルの配置が変更されました。もともとは顕名霊社+下鴨別邸の地図や三井高棟のパネルが側面にあり、説明のときに移動したり、「あちらにご覧いただける・・・」とか説明していたのですが、正面に変更され、随分説明しやすくなりました。。 また、奥の座敷には、修復前や修復中の写真も展示され、修復前がいかに荒れていたかということなどが、よく理解していただけるようになりました。 さて、下鴨別邸の案内の続きです。 前回は、本別邸は異なった時代に建てられた3つの建物が一続きになった建物であることを説明しました。 今日は、その中で一番新しい部分、大正14年に増築された玄関棟の外観です。 南側(庭園側)から玄関棟全体を見る(図の(1)の方向) 左が広間。右に玄関棟南廊下。 西側から玄関棟全体を見る(図の(2)の方向) 一般のお客様はこちらから入場。中央が車寄。その奥が玄関。 左が応接室(現在スタッフの控室)。右が広間(案内説明の部屋) 北側から玄関棟全体を見る(図の(3)の方向) こちらに出っ張っている部分が応接室。右に車寄せ。 左に、玄関棟便所、内玄関が続く。 上記の部分拡大。内玄関(左)、玄関棟便所(右)(図の(4)の方向) (続きます)(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/11
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【2017年5月10日(水)】 今日は、京都アスニーでの古文書のセミナーに出席した後、修学旅行ガイドの下見で嵐山に向かいました。京都アスニーから歩いて円町へ。そこからJR嵯峨野線で嵯峨嵐山駅へ。 次々回の修学旅行の希望行き先に嵐山、車折神社が入っています。両方とも何度も行ったことはあるのですが、修学旅行で連れていくのは初めてになるし、昼食が嵐山になるので、この日セミナーのついでに下見をしに行った次第です。 まずは、昼食場所。嵐山は人気の観光地で、昼食の値段も高いし、混雑も心配です。ネットでググって、1000円以内で食べられるところをいくつか見つけてありましたので、そのうちのどこかに今日入ってみて、あとは外から観察としました。 JR嵯峨嵐山駅から南に向かったところにある、お風呂屋さんを改造したCafe、その名もずばり「SAGANOYU」に入ってみました。中は、お風呂屋さんの内装がそのまま残っていて、レトロな感じでお洒落です。この手の店にある、ドロドロ感はまったくなく、働いている方も若い女性ばかりで爽やかな感じです。 メニューは1000円以下はわずか。パスタ何種類かと季節のチーズ山カレーが980円程度。平日のランチセットメニューになると、1300円~1500円くらいで、やはり決して安くはありません。しかし、1000円以下のメニューがあるだけでも、ありがたいです。 980円のパスタを頼んでみました。美味しかったですが、ボリュームがあまりないので、生徒たちのお腹を満たせるかどうかです。スイーツもOKだったら、食後のスイーツも含めて、お腹を満たすというのでもいいかもしれません。 私のオーダーしたパスタの写真。「店内撮影禁止」と書いてありましたが、料理の写真はOKとのことだったので、背景に銭湯の名残の内装を入れてみました。 写真をいくつか貼り付けておきます。我々世代には銭湯はなつかしいですが、果たして生徒たちに、このレトロ感が伝わるかどうか。 https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260403/26005250/ お店の方に聞いたら、「よく修学旅行の生徒さんは来られます。」とのこと。「土日は無理ですが、平日は前もって電話をいただき、席が空いていれば確保をすることはできます。」とのことでした。今度の学校は日曜日なので、この場所にするのなら、前もって電話して空き状況を確認してから来るということにします。 次に車折神社へ。生徒の計画では、嵐山からバスとなっているのですが、便があまりないので、レスポンスレターでは「徒歩」としました。嵐電は余分にお金がかかりますが、使ってもいいのなら楽になります。当日確認せざるを得ません。また嵐電がダメな場合、市バス一日券が使える京都バスの本数がけっこうあることがその後分かりましたので、それを使う案も手持ちで持って置かねばなりません。 車折神社 車折神社内の芸能神社 玉垣には芸能人の名前がいっぱい。これも生徒たちが楽しみにしている一つだと思います。 HPによると1枚1万円。2年間の掲示とのこと。玉垣は字体を統一する必要がある為、担当の神主が1人で手書きしているとのこと。テレビや週刊誌等で紹介される事が多くなり、掲示までは2ヶ月前後が待たなければならないようです。 祈念神石の説明。 神社で授与していただき、願い事を念じ、神石は持ち帰って、持ち歩いたり、自宅や会社に安置して毎日お祈りします。願い事が叶ったら、自分の周りにある石にお礼の言葉を書いて本殿前に納めます。郵送も受け付けているようです。この神社で石をいただいて、願い事を書いて奉納するのかと思っていましたが、そうではありませんでした。生徒たちに間違った作法を教えるところでした。下見の効能です。 お礼が書かれ納められた石。 車折神社への徒歩での時間と、車折神社のトイレの場所は確認できました。さらに、丸太町通の市バスのバス停に行く道と時間も確認できました。「嵯峨野中学校前」の方を使えば、「油掛地蔵」にも立ち寄れることも分かりました。 油掛地蔵 歩いている途中で見つけた「安堵の塔(ルルゲさん)」 やはり途中で見つけたうどん屋さん「さぬき」。観光ルートから外れているので安い。ここも候補。実際に歩くとこういう掘り出し物も見つかります。 もう一度嵐山に戻って、昼食場所をいくつか外から観察。 「おづる」うどん類なら930円、990円と、一応1000円未満でいけます。 「三忠」 屋台のような店で、とにかく安い。外の椅子に腰かけて食べが、席が確保できるかどうか。 「良弥(よしや)本通り店」ここもうどん類なら1000円以下でいけます。 「のむら」というお店が定休日で確認できませんでした。 これだけ引き出しに持っておいて、あとは当日生徒たちと相談し、ルート、時間の状況を考慮して決めればいいでしょう。 「渡月橋」新緑が素晴らしいです。 渡月橋を渡り、阪急嵐山駅から最寄り阪急駅に出て、バスで帰宅しました。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/10
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【2017年5月10日(水)】 今日は表題のセミナーに午前10時から12時まで出席しました。 第1回参加のとき、古文書は読めるという前提で講義がされているようでしたので、その後、少しでも読めるようにしたいと思ったのですが、結局、ガイドの関係やら私用やらで忙しく何もできず仕舞いで2回目を迎えました。 この状態はこれからも変わらないと思うので、読めなくても、雰囲気を楽しむこと、そして講義では古文書周辺のことも色々話してくださるので、そういったことを知るのを喜びとすること、そんな感じで肩肘張らずにやっていきたいと思います。 前半は、龍谷大学客員教授の藤本孝一先生です。別のサイトから拝借です。真ん中が藤本先生。http://bluediary2.jugem.jp/?eid=1393 読み進めるのは土佐日記ですが、それに拘らないお話しを前半部分でしてくださいます。 今日は人形のお話でした。・人形 にんぎょう=ひとがた・「なでもの」「形代(かたしろ)」が起源ではないか。禊(みそぎ)や祈祷の折などに、身代わりに用いる人形 (ひとがた) や衣服。それでからだをなでて、災いなどを移したあと水に流した。形代の例http://www7b.biglobe.ne.jp/~mochiojinjya/mochioharai1.html・「日本書紀」には、垂仁天皇に仕えた野見宿禰(のみのすくね)が、垂仁天皇の皇后の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、埴輪を墓の周りに置いたとの記述がある。・源氏物語には「流し雛」が登場する。・呪詛にも人形が使われた。古くは、藤原道長のライバル藤原伊周(これちか)が呪詛をしたとの風説によって左遷されたと云われている。・今のように人形を愛でる(めでる)ようになるのは近代になってから。 そして、冷泉家での人形飾り付けの写真を紹介してくださいました。以前は、お雛様と端午の節句、両方をやっていたのですが、大変なので、今は1年交替でお雛様と端午の節句のお人形を飾っているとのこと。で、今年はお雛様だけ飾る年で、その写真を見せていただきました。 中国で古くから信仰された女仙、女神である、西王母(せいおうぼ、さいおうぼ)の人形も飾られます。西王母の所有する桃は三千年に一度実を結び、その実を食べると不老長寿が約束される、という伝説があります。桃の節句だし、西王母の誕生日は3月3日でもあることから、西王母がお雛様と同時に飾られるようです。着せ替えができるものもあって、服を脱がすと何故か「おちんちん」の付いているものがあったとのこと。 「土佐日記」の今日読んだ部分の特記事項です。・535行 奈支んのは=なきんのは=なきものは 「ん」=无 であり、「む」とも「ん」ともよむ。・573行 「おんはん」=「おもはむ」→おもわん 上記は原本に忠実なため・568行、584行 写し間違い訂正が見られる 後半は、龍谷大学非常勤講師 万波(まんなみ)寿子先生による「御文章之定」の2回目。その前に、「焼株(やけかぶ)目録」についてのお話がありました。 「焼株目録」とは、京都の火災によって焼失した板木(はんぎ)の目録で、今回紹介された内閣文庫本は江戸の本屋須原屋伊八の書留からの転写。もともとは、寛政元年(1789)に京都の本屋から得た情報を江戸に下したもの。 焼失を把握できた板木を、丸株(板木全部)か部分株かの記事とともに列挙し、続いて天明8年(1788)の大火の焼失部分を追加。被害甚大な菊屋七廬兵衛や菱屋治兵衛ら5軒の焼失板木について、判明する限りを挙げている。さらに「本屋土蔵焼失」として、それぞれも本屋について店舗と土蔵の焼失状況が記載されている。 さらに京都の老舗の本屋さんの紹介がありました。 東本願寺御用書林として、東本願寺門前の「法蔵館」。丁字屋九郎右衛門の流れを汲む。http://www.keyrose.net/2012/01/goshoutou-4/ もう一つが、西本願寺御用書林の「文昌堂」。永田長兵衛に由来する。http://blog.goo.ne.jp/ska-me-crazy2006/e/0fa7ada6c54a93471667687245518b73 そして最後に「御文章之定」の続き。」 終了後、円町まで歩き、JR嵯峨野線で嵐山に向かいました。修学旅行の下見です。別途投稿します。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/10
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【2017年5月9日(火)】 修学旅行ガイド(こちら)が終わってから、その足で予約してあったK歯科に向かいました。修学旅行ガイドで市バスの一日乗車券が買ってあったので、それで行けるところまで行って後はK歯科まで歩き。貧乏性です。 K歯科には3ヵ月に一度のペースで定期メンテに行っていますが、GWの始め頃から、右下奥歯が痛み出しました。以前もそういうことがあったので様子を見たのですが、5月の初めになると、じっとしていても我慢できないときもあり、2日間くらいは鎮痛剤で抑えました。しかし、その後、耐えられない痛みはなくなり、小康状態に。GW明けを待って予約を入れた次第です。 先生に症状と先日のM病院での血液検査ではCRP値(炎症があると高くなる)が正常値だったことを伝えました。レントゲンを撮ってもらって、1年前の撮影分と比較してもらったのですが、特に変化はないとのこと。歯茎が腫れているということもないとのこと。歯の根の張りかたから、慢性的に何かの要因で痛みが出やすい状態にあるのではないかとのこと。最近、ガイド関係で忙しくて、ストレス、疲れもあり、睡眠不足気味なので、そういったことが引き金になったのかもしれません。 痛みが収束方向なので、特に治療はせず、歯と歯茎の間に抗菌剤を入れるだけにして、1週間から10日後に、もう一度来てくださいとのことで、痛みが我慢できないときのために、鎮痛剤ロキソニンを4錠だけいただいて帰ってきました。 帰って来てから、近所のO医院に。O医院には1ヵ月に一度、高血圧の薬をもらいに通っているのですが、ルーティーンなので、そのことは最近はブログには特に書いていません。しかし、ここしばらく様相が少し違っていますので、書いておきます。 下記は、今日、O医院に持参した、血圧の自己測定結果です。いつもこのグラフをO医院に持っていって1ヵ月の経過を説明しています。この4ヵ月間を1年前に比べると、夕方(食事前)は大きく違わないのですが、朝が、最高血圧が5~10、最低血圧が5くらい高くなっています。特にこの1ヵ月間は最高が10くらい高くなっています。これは、恐らく、この1月くらいから、ガイドの仕事が忙しくなり、睡眠不足傾向になっているのと、朝出勤前のときに緊張感が高まっているためと思います。 しかし、直近では朝でも上は平均140、下は平均90程度であり、気温の上昇とともに下がっていくだろうからということで、お薬は変化なしでした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/09
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【2017年5月9日(火)】 今日は、修学旅行ガイドの通算5回目でした。今年としては4回目です。 今日の学校は、北陸地方の公立中学校。こちらの#2で準備した学校です。 集合場所は京都駅の京都劇場北。今朝サンダーバードで地元を出て、到着後京都見学、夕刻東京に新幹線で移動、2日目、3日目は東京とのこと。京都+東京というのは初めて出会うパターンです。交通費がもったいないと思うのですが、東京がいいという生徒、いや京都は外せないという生徒、両方譲らず、こんな形になっているのでしょうか。 朝のミーティングで昼食場所として指定のあった「とんちんかん」というお好み焼きさんが、メンテ日で休みだと伝えると少々残念そう。京都らしいお好み焼きが食べたかっただけで、四条河原町という場所には拘っていないとのことで、それなら集合場所に近く遅刻リスクのない京都駅近くのお好み焼きさんにしようと提案。それでOKとなりました。これで、移動が一つなくなるので、時間的にも楽になります。しかし一方で、お土産はリュックに入る範囲ならOKとのことで、お土産を買う時間もとってあげないといけないことになりました。また、スイーツを食べたいとのことで、これらは時間不足になる方向。結局タイトなスケジュールです。 伏見稲荷の後、清水寺・地主神社へ。清水寺フリップの修正・追加部分地主神社(今回新規作成) 女子が「わらび餅が食べたい」と頻りに言っていたので、清水寺拝観出口の「六花亭」で休憩。それぞれ「わらび餅」や「みたらしだんご」を楽しみました。食べ終わって、どうせ「六花亭」まで降りてきているので、西大谷さんの壮観なお墓群を上から見学。 そこにお店の方が大きな声で呼ぶ声が。「学生さ~ん。学生さ~ん。」お店に戻ると、「財布忘れてましたよ。」 男子生徒が置き忘れたようです。危ないところでした。前回のこともあるので、場面場面で「忘れ物ないように」と注意していたのですが、このときはスイーツを食べたので、時間が気になって先に進むことに気を奪われ、「忘れ物注意」の声かけを怠っていました。反省です。 参道で少し買い物。清水道から京都駅までバスで行き、前もって調べてあった京都駅前のお好み焼き屋さん「花たぬき」で昼食とすることに。 京都駅着が午後1時30分。集合時間は午後2時20分から、40分の間なので、1時間以上あります。余裕で京都駅で買い物できるかと思ったのですが、出てくるまでに時間がかかって、食べ終わったら2時20分。50分もかかってしまいました。普通、うどんとか丼なら空いていたら30分程度、長くても40分程度です。お好み焼きは時間に余裕のないときは避けたほうがよいようです。それでも皆、「美味しい。美味しい。」と言って完食でした。京都劇場が近いので、公演中の劇団四季「美女と野獣」の役者さんのサインの入ったポスターも貼ってありました。「花たぬき」京都駅間店 https://tabelog.com/kyoto/A2601/A260101/26015039/ 京都駅まで小走りに行って買い物。でもゆっくり見る時間がなく、結局女の子一人が「京ばあむ」を買っただけでした。お好み焼きの時間が誤算でした。 最後のお別れのミーティングでも、余韻にひたる時間もなく、形だけのミーティングで、「今日は、おじさんも楽しかったです。明日、明後日も楽しく旅を続けてね。また、ゆっくり京都に来てね。」くらいしか話せませんでした。いつもなら、尋ねたところを書き入れた年表(下記)を説明し、京都が空襲にほとんど遭わなかったこと、原爆の候補地になったが幸い投下を免れ、その後も、平和が続いて大切な文化財が残ったこと、これからは皆さんの手で平和を守っていって欲しいことなどを話すのですが・・・・。集合場所に生徒さんたちを送り届けたのは午後2時35分。ギリギリでした。 元気で楽しく旅を続けて欲しいものです。今日の年表(時間がなく使わず) 心地よい疲れを感じながら、予約してある歯医者に向かいました。 (内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/09
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【2017年5月8日(月)】 今日は、午前中、大阪府下M病院へ「がん」経過観察に行き(こちら)、続いて京都に移動し、アスニー京都で「平家物語」を読むセミナーの出席し(こちら)、夕刻18:00からガイド会の定例会に出席しました。 私に関係する新たな内容としては、7月の修学旅行の日程が決まったことが一つです。7月は夏休みもあるので、5、6月に比べると件数が落ち、2件です。 そして、次回7~9月の固定点ガイドも決まりました。・通常固定点~随求堂(清水寺)・「京の夏の旅」~下鴨神社随求堂http://www.kiyomizudera.or.jp/info/info05.html下鴨神社http://kyoto.gp1st.com/550/ent27.html 「祇園祭」、「五山送り火」のボランティア募集がありましたが、少人数ですし、次女の結婚式、長女の出産の時期でもあるので遠慮しました。他の方々が手を挙げられ、すんなり決まりました。 終了後、有志軽懇親会もあったようですが、明日、修学旅行なので、真っすぐ帰宅しました。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/08
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【2017年5月8日(月)】 大阪府下M病院での診察(こちら)の後、京都に赴き、表題のセミナーに午後2時から4時まで出席しました。 京都アスニーは千本丸太町を西に行ったところにあります。M病院からは京阪電車で京都に向かいましたが、最寄り駅は神宮丸太町ということになります。最寄りといっても京都アスニーまでの距離は約3km、普通に歩けば45分かかります。 神宮丸太町を降りた時点で、すでに1時20分。早足で歩けば何とか間に合うだろうと思い、早足で歩き5分前に到着。事前申し込みをしてなかったので、いっぱいで入れない可能性もありましたが、何とか潜り込めました。先日「まなびすと」会員になって、無料受講券を4枚もらいましたので、今日、早速1枚使いました。 この連続講座は全4回ですが、第1回には出席しておらず、今回が初めての参加です。各回ともプリントされた資料が配布されますが、平家物語の文章は「平家物語」(角川ソフィア文庫)を参照するとのことで、その本も受付で買い求めました。 講義が始まって、プリントを見ると、第128回となっています。今回4回シリーズですが、こういったシリーズが何回も続いているということのようです。1ヵ月に1回としても、もう10年くらい続いているということになります。すごいものです。出席されている方のなかには、最初から出席されている猛者の方もいらっしゃるのでしょう。 なかなか全部を理解できないため、学んだことの断片です。・平家物語の諸本は2系統 盲目の僧として知られる琵琶法師が口承で伝承してきた「語り本」の系統に属するもの。「覚一本」はその一つで平家物語のスタンダード。南北朝時代の平家琵琶演奏家である明石 覚一(あかし かくいち)がまとめたもの。 もう一つが読み物として増補された読み本系統のもの。延慶本はその一つ。従来は、琵琶法師によって広められた語り本系を読み物として見せるために加筆されていったと解釈されてきたが、近年は読み本系(ことに延慶本)の方が語り本系よりも古態を存するという見解の方が有力となってきている。・朝覲(ちょうきん)~天皇が父母もしくはそれに準じる太上天皇・女院に拝礼すること。・春秋六歳=年齢6歳・逆修(ぎゃくしゅ)~生きているうちに自分のための仏事をして冥福を祈ること。・赤気=オーロラ・陰陽寮の役人は位が低い。待遇が悪い。・客星(guest star)~それまで観測されなかった場所で突如として見えるようになり、一定期間後に再び見えなくなる恒星のことである。・「明月記」の作者は藤原定家。・道法法親王~後白河法皇の皇子・安徳天皇~高倉天皇と建礼門院徳子の子で、平清盛の孫にあたる。・漏刻~水時計などなど終了後、午後6時からのガイド会エリアグループ会議に出席しました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/08
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【2017年5月8日(月)】 今日は午前中、粒子線治療後24回目の定期経過観察(1ヵ月に一度)で、大阪府下のM病院に行ってきました。今回は、血液検査、CVポートフラッシュのみですが、前回決めたCVポート抜去手術の日程決定をすることになっていました。 午前11時から診察だったので、10時に血液検査ができるようにM病院に入ったのですが、GW明けなので、患者さんが集中して血液検査が混んでいて、血液検査が終わったのが、確か10時20分頃だったと思います。診察もその分遅れました。 血液検査結果は、クレアチニンが1.52と前回1.65に対して少し下がりました。4ヵ月前に1.76となったこともありますが、これくらいはバラツキの範囲で、この1年半は1.4~1.8の範囲で安定しているといえるでしょう。 尿素窒素は前回20で上限値ギリギリでした。尿素窒素はクレアチニン以上にバラツキが大きいですが、この1年半は10~30の間で安定しているといえるでしょう。 腎機能が低下はしましたが、透析が必要なレベルからはほど遠い状態で安定してくれており、腫瘍の大きさも小さくなったまま大人しくしてくれています。また、ここ1年半は生活に支障があるような副作用もありません。経過は順調といえるでしょう。 対高尿酸の薬を飲み始めてから、尿酸値は5.5付近で安定しており、こちらのほうも順調です。血液検査結果 このような状況下、CVポートは不要なので、その抜去手術の日程を決めました。1泊2日の簡単な手術ですが、退院翌日に過激な運動や勤務は避けたほうがよいとのことで、3日連続のフリー日が必要です。5、6月は修学旅行のガイドもたくさん入っていて無理です。7月ならば、まだ一切ガイドが入っていませんので、3日連続でリザーブできます。次女の結婚式やら、長女の出産を考えると7月でも早めがいいので、7月4日、5日に設定してもらいました。 手術まで約2ヵ月あるので、もう一度ポートフラッシュが必要になります。6月12日に血液検査、ポートフラッシュをしてもらい、そのときにレントゲンなどその他手術前に必要な検査も同時にしていただくことになりました。ポート抜去手術が終われば、CTと血液検査のために3ヵ月に一度の通院になるので、1ヵ月に一度の通院に比べ格段に楽になりますし、お財布にもやさしくなります。 午後2時からの京都アスニーでのセミナーと、ガイド会のエリアグループ会議出席のため、その足で京都に向かいました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村_________________________________過去の治療履歴は下記を参考にしてください。がん治療日記:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=10がん治療振り返り:http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=11
2017/05/08
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【2017年5月7日(日)】 本日、ブログのアクセス数が、1,200,000回に到達しました。 直近の100,000回到達の日数は60日でした。前々回57日、前回52日ですのでペースダウンです。 ガイド業が本格化して、時間がなくなり、投稿記事数は今年になって、1日1記事ペースまで極端に減らしました。ですので、ダウンしたのは止むを得ません。 皆さんにはお立ち寄りいただき感謝いたします。これからも、しばらく1日1記事ペースでいきたいと思いますので、どうかお立ち寄りください。 今日は、「京都産業大学日本文化研究所特別客員研究員」の応募書類を提出しました。明日(5月8日)が締め切りで、明日は病院+ガイド会の会議で、ほとんど時間がとれませんので、今日中に送付しないといけませんでした。 昨日、履歴書を書き終え、今日丸一日かかって研究計画書を書きました。 テーマは最初は、「岡崎界隈の歴史」として、平安時代は六勝寺、明治維新後、別荘地や博覧会会場になった岡崎界隈の歴史を研究しようと思ったのですが、最終的に「京都市内全寺社巡り」でインパクトが大きかったことから、「伏見稲荷大社とその周辺の不思議研究」としました。 採用されるかどうかは、その研究計画書の審査によります。5月下旬に通知があります。採用されれば、その内容をまた投稿させていただきます。 とりあえず、期限までに提出できてホッと一息です。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/07
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【2017年5月6日(土)】 今日は、午後1時から今年2回目のIS飲み会でした。M社時代IS関係での事業所の枠を超えた仕事仲間の会です。(今年1回目はこちら) 場所は、伏見の「鳥せい本店」。この店は、昨年花見でのN社同時期入社仲間との飲み会で使ったことがあります。 今日は8名の参加でした。荻さん、関さん、サさん、大さん、落さん、鹿さん(現役)、竹さん、私。皆さんの近況報告が酒の肴です。 変化点としては、大さんが再就職先をお辞めになって、別のところに再就職されたとのこと。京都で観光産業の正規雇用拡大を支援するお仕事のようで、老舗の旅館の女将さんと面会したり、楽しくお仕事されているようです。 竹さんは、この前のゴルフのときも話しがありましたが、冠動脈瘤リスクを低減するため、ステントを入れる手術をされました。すごい手術かと思いがちですが、腕の血管からステントを入れる1泊2日の簡単な手術で、お仕事も、ゴルフもすぐに復帰されています。 サさんが自主早期退職後、引き続き再就職活動中ですが、のんびりしようかという気持ちになりつつあるとのこと。経済的にやっていけるのであれば、それも一つだと思います。私は、早期退職後、ボランティアでもいいから観光ガイドをやりたいと思っていたのに、周りが皆働いているので後ろめたくなって、中途半端な気持ちで再就職してしまいました。そのようなことだけは、避けるべきだと思います。 娘さんがハワイで結婚式を挙げるとか、挙げたとかのお話もあり、私の次女もそうなりそうなので、盛り上がったのですが、落さんところだったか、大さんところだったか、荻さんところだったか、はたまた複数の方のお話だったのか、酔いもあって不詳です。 「鳥せい」は「神聖」ブランドの蔵元「山本家本家」が営むお店です。生ビールのあとは、私はお酒を3種いただきました。いつものように楽しいひとときでした。 店を追い出されたので、喫茶店でしばらく駄弁って、三々五々分かれましたが、最後、大さん、竹さん、関さんとで御香宮神社にお参りして、帰りました。次回は8月5日です。いつも幹事やっていただく、荻さんに深謝。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/07
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【2017年5月5日(木)】 修学旅行は、4月もありますが、5月に多くなり、6月がピークです。秋もありますが、一学期ほどではありません。 私の担当は、4月が2校、5月が5校、6月が9校です。5月は旧三井家下鴨別邸の出勤が6日ですので、5月の勤務は11日ということになります。八木邸と、「京の冬の旅」の妙心寺・養徳院を掛け持ちしていた2月の勤務日も11日なので同じです。 しかし、忙しさ感が全然違います。5月のほうが格段に忙しいのです。というのは、固定点ガイドは、始まる前に勉強したり、「紙芝居」を作ったりと忙しいのですが、始まってしまうと、ガイド時間以外に時間をとられることはありません。ところが修学旅行は、それぞれの学校が班別計画を送ってくるので、その妥当性を検討し、行程表を作り、多くの学校は、レスポンスレターを返信しなければなりません。学校・班によって時間、行き先など違うので、都度作業が必要です。私のポリシーとして「紙芝居」を使ってできるだけ視覚に訴えてというのがあるので、新たな訪問先がでてくれば「紙芝居」を作ることになります。ですので、5月のほうが2月よりも格段に忙しいのです。 5月でこれですから、6月になったらどうなるのかと、ちょっと恐ろしいです。でも、次第に行き先が網羅されてくるので、「紙芝居」の新作は少なくなるでしょうし、レスポンスレター、行程表とも、作成に慣れてくるのと、データベースが揃ってくるのとで、ある程度時間も短縮できるかもしれません。 5月の担当は、下記のようになっています。 レス・レター#1 1日 東海地方公立小学校 必要 (実施済み)#2 9日 北陸地方公立中学校 不要#3 17日 東海地方公立中学校 不要#4 21日 関東地方立中学校 必要#5 25日 東海地方公立中学校 情報未入手 今日は、#2の行程表を作成し、#4の行程表、レス・レターを作成しました。このレス・レターは9日締め切りですが、今日、会の事務所にFAXしておきました。 #2の希望コースは、伏見稲荷→清水寺・地主神社→昼食・河原町六角西入ル・とんちんかん 14時半集合なので、寺社は2つだけになっています。伏見稲荷で50分、清水寺・地主神社で90分と、余裕をとった設定にしていますが、乗換えや徒歩の時間想定が短すぎるため、時間が足らなくなる可能性大です。レス・レターなしですので、当日朝、それぞれの滞在時間短縮を働きかけます。#2の訪問先地図 #2の行程表検討 昼食場所「とんちんかん」の指定があります。昼食場所指定は私は初めての経験です。ネットで調べたら、「不定休」となっています。予約の可否や当日の混み具合予想を聞こうとお店に電話をしたら、当日はメンテ日で休みとのこと。電話してよかったです。 「とんちかん」はお好み焼きのお店です。生徒たちは関西でのお好み焼きを食べたいのでしょうか。四条河原町や四条烏丸付近の「お好み焼き」のお店を検索し、メモに控えました。また場所に拘らないのであれば、集合場所近くで昼食をとることによって、遅刻のリスクが低減できます。京都駅周辺の「お好み焼き」店も調べました・ #4の希望コースは、清水寺・地主神社→嵐山→車折神社→金閣寺→北野天満宮 神社中心の「ご利益コース」です。「車折神社」はユニークです。やはり時間が不足するので、途中、見学時間を短くするなど努力が必要なことをレス・レターに書きました。#4のレス・レター きょうも良いお天気でしたが、夏を思わせるような気温でした。 次女は、お昼過ぎに友達と会い、その足で東京に帰りました。交通費は往復とも出してあげてます。 特別研究員の応募書類に全く手がつけられずです。明日は昼間から飲み会ですので、日曜日一日にかけるしかありません。開き直りです。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/05
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【2017年5月4日(木)】 前回の物捨て「断捨離」投稿は、12月17日でした(こちら)。物捨て「断捨離」はその後も、チマチマとしてきましたが、投稿はしていません。まとめて投稿します。・昨年12月24日 大学時代のファイルなど廃棄・2月24日 愛用のGolden Bear セーター廃棄。柄が気にいってました。くたびれ切ったためサヨウナラ。長い間ありがとう。・3月19日 米国赴任時、アウトレットで買ったお気に入りのTommy Hilfigerのセーター廃棄。米人仕様で、身体がぴったりでも、袖が長く、袖を折って着ていました。やはりくたびれきったのでサヨウナラ。長い間ありがとう。・3月22日 ゴルフの帰りにブックオフで古書売却。今回2回目。今回はコミック。この前の文庫本や単行本よりも高く売れるかと思いましたが、そうでもありませんでした。やはり新しい人気のものでないと良い値は付かないようです。多くは10円、最高で30円。・3月29日 ゴルフ帰りに古書売却。第3回。やはりコミックを中心に。多くは5円、最高で30円。・4月4日 ゴルフ帰りに古書売却。第4回。文庫本、単行本。多くは5円~40円。 上中下に分かれているものは、下巻が一番高くなるようです。例えば、「細雪」の文庫本は、上30円、中40円、下70円。「京都の寺社505を歩く」では、上40円、下150円。上だけ買って、売る人が多いので、上の流通が多くなるためでしょうか。150円というのは結構いい値段です。確かマーカーで書き入れていたと思います。本来なら値段が付かないはずです。 文庫本の「古都」「金閣寺」がそれぞれ、50円、70円を付けています。京都では京都関係の本は高値になるのでしょうか。 「ファシリテーション入門」が、何故か100円といういい値段が付いているのも驚きです。 古書売却は、値段は二の次。身軽になるのが何よりです。・4月19日 会社関連図書など廃棄・4月22日 給与明細や米国赴任時代の銀行Statementなど廃棄。いつか過去の収入・支出を振り返ってまとめたいと思っていましたが、そんな時間もないし、創造的な行為ではないので、思い切って捨てることに。・4月22日 会社時代の名刺。在職中のことを振り返ることもあろうかと思い、PDF化することを考えていましたが、時間もないし、必要性もほとんどないので、思い切って捨てることに。 観光ガイド関係の書類や本が増えているので、そのスペース宛てることができます。しかし、さらなる「断捨離」が必要です。 さて、今日は、久しぶりの公私含めての完全OFF日。昨日まで12日間のON日でした。少なくとも「がん」復帰後では、最も長いON期間だと思います。4月22日(土) 京産大特別客員研究員説明会 23日(日) M社同期遊び仲間飲み会 24日(月) 旧三井家下鴨別邸ガイド 25日(火) 修学旅行ガイド 26日(水) 国際アルツハイマ―病協会国際会議ボランティア説明会 27日(木) 国際アルツハイマ―病協会国際会議ボランティア 28日(金) 三重へお墓参り 29日(日) 国際アルツハイマ―病協会国際会議ボランティア 30日(月) 旧三井家下鴨別邸ガイド5月1日(火) 修学旅行ガイド 2日(水) ゴルフラウンド 3日(木) 旧三井家下鴨別邸ガイド 仕事関係が8日間、私用関係が4日間、合計12日間の連続ON日でした。 今日は、溜まった過日のブログを投稿し、久しぶりに津軽三味線の練習もしました。明日もOFFですので、特別客員研究員の願書を書き始めます。5月8日が締め切り日ですので、明日と7日のOFFで完成してしまわないといけません。 次女の旦那が今日、明日とこちらに来る予定でしたが、タイトな日程なので、無理して来なくてもいいよと次女経由で伝えたところ、取りやめになりました。来たら今日、次女夫妻、私と家内の4人で高槻の義父のところにいっしょに行く予定でしたが、取りやめになったので、家内と次女だけで行ってもらいました。次女の旦那が行かないので、私は溜まったTo doを消化するために家に残りました。義父から、まだもらっていなかった結婚祝いをもらって帰ってきました。次女夫妻はハワイで結婚式をするようで、動き始めたようです。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/04
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【2017年5月3日(水)】 今日は「旧三井家下鴨別邸」ガイドの第6日目でした。 6月末に3ヵ月単位のクールが終わるのですが、最終日の6月30日に慰労会をするとのこと。場所は今日のペア某さんの予約された祇園の切通しの「平安」という中華料理店。祇園ですが、お安いようです。私はスケジュールOKなので早速参加表明しましたが、色々話をするうちに、以前、船越英一郎の「京都の極み」で紹介されたところだということが分かりました。知る人ぞ知るという穴場です。この某さん、こういった宴会用の場所もよくご存知のようです。この会には色んな経歴の方がいらっしゃるので、私の活動範囲も広がります。 さて今日は、GW中の祭日であると同時に、下鴨神社で葵祭の前儀である「流鏑馬(やぶさめ)神事」が行われる日です。その流れで、いつも以上のお客様が来られると推察されましたが、下鴨別邸を公開し出したのは、去年の10月1日なので、どれくらいの人出になるかが、が予想できませんでした。 午前の早い時間はそうでもなかったですが、やはり流鏑馬神事が始まる前と、終わった後はとても混雑しました。玄関棟で説明する洋室が一杯になって、あとから来られたお客様に先に見学をしていただくことも多くありました。できるだけ多くのお客様に聞いていただけるよう、短めの説明を心掛けました。 そして今日から主屋の勝手口土間に繋がる部屋にDVDプレーヤーとモニターが置かれ、三井家の人・歴史・文化を紹介するDVDが流されました。我々の説明では、話し切れない内容も多く含んでおり、熱心に見られる方も多くいらしゃいました。 終日良いお天気で気持ちよくガイドができました。 さて、下鴨別邸の案内の続きです。 前回は、下鴨別邸は、顕名霊社で三井家のご先祖をしのぶ行事に参列された方々の休憩所として、大正時代に三井総領家第10代の三井高棟(たかみね)が建てたといくことを書きました。併せて、顕名霊社に数奇な歴史にも触れました。 下鴨別邸は、大正時代に建てられた建物と書きました。そしてそれは大きな一つの建物のように見えますが、実際には3つの異なった時代に建てられた建物で構成されています。下に1階の平面図を示します。 お客様には玄関棟に入っていただきますが、その反対側に茶室があります。平面図の赤の点線部分になります。この茶室の建築年代ははっきり分かりませんが、修復時に慶応4年(1868)の祈祷札が発見さらたことから、三井家が同地6000坪を明治31年に購入した時点で既に存在していた可能性が高く、江戸後期の建物ではないかと言われています。 2つめは、平面図の黒の点線部分、主屋(しゅおく)です。もとは明治13年(1880)に三条木屋町上ルに鴨川に面するかたちで建てられた木屋町別邸です。それを大正10年に、三井北家10代の三井高棟がこちらに移築したものです。 この木屋町別邸を建てたのは、北家8代の三井高福(たかよし)です。8代高福は、明治維新の激動期に、新政府につき本拠地を東京に移すという決断をされ難局を乗り切った方です。高福の住まいも東京に移されましたが、家督を息子の9代高朗(たかあき)に譲った後、隠居所として木屋町別邸を建てました。高朗が亡くなる明治27年(1894)まで隠居所として使われました。この跡地には近年まで料理旅館「津四楼」がありました。現在、佐久間象山寓居跡碑がある辺りではないかと思われます。鴨川に面した駐車場入り口の佐久間象山寓居跡碑。この駐車場が「津四楼」跡、すなわち「木屋町別邸」跡か。昔の写真に写る木屋町別邸知られざる世界「京都1200年の旅」から 3つめは平面図の緑の点線部分、玄関棟です。大正10年に移築された主屋の玄関部分として大正14年に増築された部分です。棟札が残っており、棟梁・磯井儀三郎、工事監督・佐々木芳次郎によって施行されたことが分かります。 左から玄関棟、主屋、茶室。(この写真では、茶室は木の陰で見にくいです)主屋(左)と茶室(右)(玄関棟は木の陰)(続きます)(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。)-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/03
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【2017年5月2日(火)】 今日は「がん」治療復帰後、第22回目のゴルフラウンド。日本に帰ってきてからは通算125回目、今年(2017年)第5回目のラウンド。 場所は「京阪カントリー倶楽部」。いつもは宇治⇒曽束コースが多いのですが、今日は、大石⇒宇治コース。同伴者は、M社IS時代の仕事仲間、オギさんんとタケさん。「がん」復帰後お手合わせを始めさせていただいきましたが、常連のプレー仲間になりつつあります。現役社員のシカさんも参加予定だったのですが、仕事の関係からかだいぶ前に不参加の連絡があり、3人でのラウンドとなりました。 私以外は、京阪カントリーは初めてです。お手合わせの中で、私が京阪でよくプレーし、トリッキーなコースだと言っており、じゃあ一度京阪でということになり、シカさんが休みとなる平日の今日の設定となった次第です。 私は前回の4月4日以降、1ヵ月ぶりのゴルフですし、その間練習は1回も行っていません。練習を行かなかった理由は色々あります。ガイド関係、Privateの用事、日々のルーティーンで手いっぱいで時間的な余裕がないこと、そのような状況で練習に行きたいという気持ちも起こらないこと、練習してもどうせうまくならないという思いがあることなどです。それでいて、スコアは良くしたい、常に110は切りたい、平均は105以下にして、時々90代も出したいという欲がありますので、練習なしで、ラウンドの中で実現を目指すことに方針を変えました。お財布にも優しいことです。また気持ちが変わることもあるかもしれませんが。 今日は平日ですが、GW中日ということでとても混んでいました。前半、後半とも約3時間かかりました。待ち時間が多かったです。しかし、お天気もよく、気持よくラウンドすることができました。 スコア:57+53=110 ストローク:42+33=75 パット:15+20=35 要罰打ショット7 現状では可もなく不可もなくというところです。 前半1ホール目、後半1ホール目とも9を叩いたのが痛かったです。前半1ホール目はグリーン周りのバンカーから出すのに苦労し、出したら対面のバンカーに入ってと、やはりバンカーは課題です。後半1ホール目はゼブラ杭(前進1打罰)が2回。 ドライバーは時々右に押し出すトラブルがありましたが、それ以外は距離も出て安定していました。フェアウェイウッドも、チョロが少しありましたが、比較的安定していたし、距離も出ました。 アイアンで左に引っ掛ける癖が、多く出ましたが、これはいつもの通り。しかし、短いアイアンがダフりやトップがなく安定していました。 私はアドレスしたら素振りはしないほうがいいようです。素振りでダフッったり、地面にフェースが触れない(トップ気味)のことも多く、それが心理負担になるからでしょう。それから、ゆっくりバックスイングをするということと、肩をしっかり入れるということを忘れないようにしないといけません。 転がしの寄せがやはりダフッたり、トップしたりで不安定です。昔は得意だったのですが・・・・。 パターは、ここしばらく、クワガタグリップでしたが、今日は普通のグリップにしました。左手右手のアンバランスが出る訳ですが、このほうがしっかり握れてフェース面が安定するので、トータルでは良いのかもしれません。真っすぐ出すことよりも、真ん中で打球することを意識するほうがよいようです。いずれにしても40を超えるような大崩れはなくなりました。 スコアは可もなく不可もなくでしたが、収穫が色々あって次に繋がる良いラウンドになったような気がします。 【スコア】【費用】9,550円(昼食含む・GW中なので普通の平日より高め)高速代:1,150円、570円(久御山淀下車) 帰途に古本と息子の所持していたCDの一部を売るためにブックオフに立ち寄ったのですが、CDがケースのみで中身がないことにお店に到着後気付いてとりやめました。そういえば、別のCD収納バッグにたくさん入っているのがありました。そこに中身は移していたようです。次回出直しです。 家内は留守番でした。 夕刻、東京に住む次女が帰ってきるため、最寄りJR駅に迎えに行きました。お正月も含め、今年4回目の帰省です。5日まで滞在予定ですが、4日、5日には旦那も来る予定です。最初は旦那まで来るつもりはなかったようですが、私が「それは寂しい」と家内経由で伝えたところ、やりくりして来てくれることになったようです。しばらく賑やかになります。 私は私で、特別客員研究員の願書を書かなければならず、忙しくはあるのですが、賑やかになるのは喜ばしいこと。私のほうが何とかやりくりしなければなりません。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村___________________________________「日本でのゴルフ」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=7「ゴルフ他@米国」カテゴリーhttp://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?ctgy=3
2017/05/02
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【2017年5月1日(月)】 今日は、修学旅行ガイドの通算4回目でした。今年としては3回目です。今日の学校は、東海地方の公立小学校。小学校は通算2回目。開始が13:00の半日ガイドでした。午後からでしたので、4月22日からの9連続ON日(Private含め)でしたが、今日の午前中も含め、不足している「紙芝居」が何とか準備できました。 朝のミーティングで、小学生は中学生に比べると、打ち解けるのが早いと感じました。学校のHPで校歌も知っていたので、途中で「おじさん、皆の学校の校歌知ってるよ」と歌ったら、前を歩いていた女の子たちがいっしょに歌ってくれました。今回、新たに作成した紙芝居六波羅蜜寺建仁寺(1シート目は改訂)八坂神社 早く出発できたことも含め、建仁寺拝観が終わった時点で、午後4時25分と想定より45分アヘッド。最終集合場所は、「維新の道」を上りきったところにあるホテル。祇園四条通でお土産を買って、そこから徒歩で20分くらいでホテル。ホテルに5時15分に着として、移動も含め30分くらいはお土産時間がとれそうです。 お土産時間になって、再び元気復活。やはりお土産時間はテンションが上がるようです。花見小路の風景にも感動しながら、祇園四条通へ。まずは八ッ橋とのことで、場所を知っていた「西尾八ッ橋」へ。地元の土地がらでしょうか、色んな先にお土産を買うようで、結構たくさんの数を買っていました。 続いてキーホルダーなんかも買いたいと言います。しかし、そんなお店は知識がありません。少し鴨川方向に歩いたところのそれらしきお店に入り、そこでも少し買い物。しかし、観光地名が入ったような、いわゆるベタなキーホルダーが欲しかったようで、買いそびれがある様子。ただ、残り時間があまりありません。ホテルまでの道すがらそんな店があれば急いで買うということにしてホテルに向かいました。 ところがここでトラブル発生。男子生徒の一人が財布がないと言いだします。リュックの中、服のポケットを隈なく探しましたが見つかりません。落としものだけでも大変な状況ですが、集合時間も迫っているので大ピンチ。前のお店では買い物したというので、それまではあったわけです。皆で前のお店に戻って、中に入ったところで、女の子の一人が店の商品棚にこの男子生徒の財布を発見。大事に至らずに済みました。私も時間ばかりが気になって、忘れ物への注意喚起ができていませんでした。反省。 八坂神社の方向に戻るところで、ベタなキーホルダー類の置いてある店を発見。子供たちが買いたいというので、5分以内を条件に買い物。終わったら5時。急いで歩けば、何とか間に合います。子供たちのテンションは高いままです。 八坂神社は時間がないので、歩きながら遠巻きに案内。祇園の三差路のローソンの地味な外装を紹介した後、折角ですから石塀小路、一年坂、二年坂を通って、最後は正法寺に繋がる急な階段を上がりました。子供たちも疲れていたでしょうが、それら景色に興奮しながら、最後まで楽しく頑張ってくれました。 5時15分にはホテルに到着。最後いつものように年表を使っておさらい。学校近くの観音様のお寺は、結構有名なお寺で、今日回ったお寺群よりも古い創建らしいので、「皆さんの地元のお寺も古いお寺なので、また勉強しておいてね。」と締めようと思っていたのですが、財布が見つかったこと、何とか集合時間に間に合ったことにホッとして失念していました。いつもの年表でおさらい 最後、ホテル帰着は私が最後でした。半日でしたが、子供たちに良い思い出を作るお手伝いはできたと思います。私も楽しんだ充実した半日でした。 反省を列挙します。・忘れもの注意の喚起が不十分(バスを降りるとき、買い物を終わったときなど)・主な買い物街のどこにどんな店があるかの把握が必要。(なかなかそのための時間はとれないので、修学旅終了時を利用するなど。)・祇園近くのホテルに宿泊の場合、最後のお土産は祇園周辺より、二年坂のほうが、雰囲気もあってよいかも。少なくとも、今回の場合は、歩く距離的にもそちらのほうがよかった。・歩く時、女の子と男の子の間に間隔。安全上好ましくないので、要注意喚起。・やはり名前が憶えられなかった。途中名前で呼びかけて話をすることも必要。(内容再考版。原文は非公開日記に移動済み。) -------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/05/01
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