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小説の着想や創作の方法など、小説家としての大江健三郎について書いた自伝的エッセイ。●各章の内容一章 しずくのなかに/別の世界がある少年期の初めての詩作、樹木への関心、祖母から聞いた「オコフク」の一揆の物語についての話。二章 ぢやあ、よろしい、僕は地獄に行かう戦後の英語教育や、高校時代に読んだ『ニルスの不思議な旅』や『ハックルベリー・フィンの冒険』についての話。三章 ナラティヴ、つまりいかに語るかの問題作家としてデビューした頃の私小説的な一人称の語りにフィクションを混ぜるやり方についての話。四章 詩人たちに導かれてエリオット、オーデン、ブレイクやイェーツなどの詩人についての話。五章 この方法を永らく探しもとめてきた小説の方法論を探してロシア・フォルマリズムを見つけて、異化を用いて書き直しをすることについての話。六章 引用には力があるブレイクや様々な作品のフレーズを自分の小説にどう引用したかについての話。七章 森のなかの祭りの笑いから少年時代に森の中で見た首を吊った男の祝祭性をバフチンのグロテスク・リアリズムと絡める話。八章 虚構の仕掛けとなる私書かれた小説はすべてフィクションに他ならないという確信と、自作や息子についての話。九章 甦るローマン主義者イェーツが自称した「最後のローマン主義者」に対比してR・S・トーマスを「甦るローマン主義者」と呼び、トーマスやロマンティシズムや核兵器や自作についての話。十章 小説家として生き死にすること地続きに展開していた小説が自分でも思いがけない別次元に至る力が小説家としての才能のしるしだということについての話。●感想大江の小説の異化しまくりの文章とは違って、この本は普通の文章で書いてあって比較的読みやすいけれども、理解するには相応の文学の基礎知識は必要で、ブレイクやらバフチンやらを知らないような人が理解するのは厳しいかもしれない。創作の方法論が書いてあるので小説家を目指す人には書き直しの方法とかが参考になるだろうし、小説家を目指さないにしても大江の小説が好きな読者は小説がどのように書かれたのかという内幕を知っておいても損はないだろうし、大江の小説と合わせて読むと小説がより面白くなるかもしれない。個人的に面白かったのは五章で、大江が学生の頃にようやくロシア・フォルマリズムが翻訳され始めたらしく、日本の文壇は方法論がないと愚痴っている。私が進学した当時は文学理論をちゃんと教えている大学がなくてロシア・フォルマリズムだの構造主義だの記号論だのわけのわからない文学理論を独学で勉強するはめになったので、文学の方法論を探していた大江の苦労には共感する。日本の文学研究だと老いぼれ教授が源氏物語だのシェイクスピアだのの権威ある古い作品を解読するのが主流で文学理論に基づく批評は盛んでないけれども、最近は大学の文学部でちゃんと文学理論を教えているようでうらやましい。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】私という小説家の作り方 [ 大江健三郎 ]価格:432円(税込、送料込)
2015.10.26
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明の軍師の劉基が『史記』『孫子』『論語』などの中国の兵法をまとめた本。実際は北宋時代の作者不明の『百戦奇法』という本を清の人が劉基の人気にあやかって劉基著として発行したらしい。奇略という題がついているけれども、奇抜というわけでなくむしろ兵法の基本を書いている。内容は計戦、謀戦、間戦、選戦、などの100種類の状況での兵法の原則が列挙されて、戦例と解説が載っている形式。この解説がけっこう充実していて、中国の戦争に限らず日本や海外の中世や近代戦争での似た事例を紹介するので、戦争に関する薀蓄として面白い。既に『史記』や『孫子』などの古典を読んだ中国歴史マニアには知っているようなことばかり書かれてあって物足りないけれども、逆に初心者にとっては兵法の基本が包括的に広く浅くまとめられていて読みやすい。さて現代人が兵法を知って何か役に立つことがあるかというと、兵法を知っていると日常生活で役立つ軍師になれるのである。たとえば市役所の職員が動物を捕まえようとするぐだぐだな捕り物がたまにテレビで放送されるけれど、兵法を知っていれば敵を囲んで死地に追い込むと反撃がひどくなるということを知っているので、敵の逃げ道を作ってやってそっちに誘導するという戦術がとれるのである。もしも野球部の女子マネージャーが『百戦奇略』を読んだら、軍師のおかげで弱小チームが勝てるようになるかもしれないのである。軍師になりたい人にはお勧めでゴザルよ。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】百戦奇略 [ 劉基 ]価格:756円(税込、送料込)
2015.10.20
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テムジン(チンギスカン)の出生から死までを書いた伝記小説。●あらすじ西暦1162年、モンゴルの遊牧民の娘ホエルンはメルキト部族の若者に掠奪された後にボルジギン氏族の汗のエスガイに掠奪されてエスガイの妻になって父親がわからない子供を産み、産んだ子供の名前として戦捷記念にエスガイが殺した敵の首領の名をとってテムジン(鉄木真)と名付ける。テムジンは異母兄弟と共に育って、モンゴル人の祖先が蒼き狼と惨白い牝鹿だという話に惹かれる。やがてエスガイがタタル族に殺され、実権はボルジギン氏族からタイリュウト氏族に移ってホエルン一家はのけ者にされ、テムジンが一家の長となって過酷な環境を生き延びるものの、言うことを聞かない異母兄弟を一人殺す際にエスガイの子ではないといわれて動揺するものの、自分はモンゴルの血をひくと信じることにする。16歳のときにタイリュウト氏族が襲撃してきて、テムジンは捕まるものの逃げ出して家族と合流して暮らし始め、幕舎の人員を増やして強力にするために17歳でボルテと結婚して、友人ボオルチュたちを呼んで戦の訓練をしてすごしていると、24歳のときにメルキト部族が襲撃してきてボルテが掠奪されてしまう。ボルテを奪還する際に、父の盟友トオリル・カンが2万、弟分のジャダラン族のジャムカが2万の軍勢を出してボルテを奪還するものの、ボルテは妊娠していて、テムジンは父親不明のその子供にジュチ(客人)と名付ける。テムジンが同じボルジギン氏族のジャムカと安達の盟約を交わしたことで、かつてのボルジギン氏族の部衆たちがタイチュウトから離れて集まってくるようになると、利益を一律に分配するジャムカよりも労力に応じて分配するテムジンを慕うものが増えて、テムジンはジャムカに季節外れの猟に誘われたのを不穏に思って断り、妊娠したボルテの意見で移動する。テムジンがモンゴルの汗の地位につくと、蒙古高原の部族はトオリル・カン、ジャムカ、テムジン、タタル部の4つの陣営に吸収された。突如ジャムカが3万の兵で襲撃してきて守戦が苦手なテムジンは敗走するものの、ジャムカの残忍さを嫌った人たちがテムジン側に加わる。テムジンは帳幕の統一に務めて、35歳のときに金がタタル部を攻撃したのをきっかけに、トオリル・カンを誘ってタタル部を攻撃して滅ぼし、39歳のときにテムジンとトオリル・カンの同盟軍がジャムカと戦って勝つ。1202年、40歳のときにタタル部の残党を倒し、ジャムカに味方したナイマン部族のグチュグト氏族を倒した後、かつての恩返しにトオリル・カンの息子を助けてやると、トオリル・カンの娘をジュチと婚約させるという罠をしかけてきたので、トオリル・カンと戦って倒す。ナイマン遠征から戻ってメルキトの残党も倒すと、クランという娘に惚れて側室にして、またナイマンに行ってジャムカを殺す。1206年にテムジンはナイマンから戻って蒙古高原の部族を平定したモンゴルの汗としてチンギスカン(成吉思汗)と呼ばれ、部下に褒美と権限を与え、母の死後は金を攻めることにして、クランと息子のガウランも従軍させる。金を倒した後は今までのやり方と違って特殊な技能を持った男は残すことにして、契丹人で金の文官だった耶律楚材を側近にする。金の農耕技術やホラズムの商隊でモンゴルの民の生活も豊かになる。ナイマン王グルチクが自国の滅亡後にカラ・キタイの王になっていたので、1218年にジェペ軍がカラ・キタイに侵攻して、宗教の自由を宣言して迫害されていた回教徒を開放するものの、ホラズムに派遣した商隊が殺されたことでチンギスハンはホラズムに出兵し、ホラズムの回教徒を虐殺しながら進軍する。1224年にはチンギスハンはインドに侵攻する計画をたてると行軍中にクランが死に、チンギスハンは角端という乱世に現れる動物が夢に出たことで全部隊を蒙古高原に戻すことにするものの、ジュチが命令に反して戻らないで狩猟しているという報告に怒り、ジュチ征討軍をキプチャクに送るとジュチが病死していた事実を知る。その後西夏に進軍中にチンギスカンは病死する。●感想三人称で、テムジンの出生から時系列順に展開する形式。チンギスカンがモンゴルを統一する話なので、丁寧に史料を調べて普通に物語るだけでも話としては十分面白くなるはずである。しかし戦争部分の描写があっけなく、数万の兵が戦う戦争が主人公の活躍の場面もないままわずか1-5ページ程度であっさり終わってしまう。血わき肉踊る戦闘場面は歴史小説の一番の見せ場なので普通に考えたら端折ったらいけないのだけれど、井上靖は他の歴史小説でも戦争部分とかの山場を端折る傾向があって、何をしたいのかよくわからない。作者はあとがきでチンギスカンの征服欲の根源がわからないから小説を書いてみたといっていて、小説内ではその征服欲の根源はテムジンは父親が不明でモンゴルの蒼き狼の血筋を証明するために祖先の仇敵を征服したものとして解釈されている。しかしテムジンが自身のモンゴルの血筋を証明するべくジュチに「俺は狼になるだろう。お前も狼になれ」と言ったにも関わらず、テムジンが狼となるべく命がけで活躍する場面を直接描写しないで数行の戦況の説明で済ませてしまうのは作家としては怠慢だろう。あとがきでは乏しい資料から人物像を推定したり地名がわからなかったりすることへの苦労が書いてあるけれども、資料が乏しいからといって戦争場面を書かないならそもそもチンギスカンを主人公にするべきではないだろう。完璧な歴史の資料などないのだし、史実にこだわって小説としての面白さを損なうのなら小説という形にする必然性もないかもしれない。ちなみに最近の研究だと、1200年ごろに世界の北部の気温が急激に下がったせいで遊牧民の生活環境が厳しくなって集落を維持するために南部の土地を侵略せざるを得なかったという説があり、チンギスカン個人の征服欲の元を探ろうと考えた井上靖の出発点自体が間違っているかもしれない。チンギスカンの生涯を知りたいという人には概観を知る手がかりとしてある程度役に立つかもしれないものの、どういう戦局をどういう策で攻略したかを知りたい軍事戦略マニアには「それら諸城市を攻略し、住民を屠り、城を壊し、城を焼いた」というような漠然とした記述ではまったく見所がないだろうし、迫真の戦闘シーンを書いた歴史系の娯楽を探している読者はマンガの『キングダム』や『龍狼伝』を読んだほうが面白いだろう。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】蒼き狼改版 [ 井上靖 ]価格:723円(税込、送料込)ところで私はジン、ジン、ジンギスカーンの歌が好きなのである。ウッ、ハッという掛け声とか、微妙に優雅なおっさんのダンスとかがかっこいいのである。韃靼人の踊りにもひけをとらないかっこよさである。
2015.10.20
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俺俺詐欺をしたら俺が他人になって他人が俺になって、俺が増殖して俺同士で殺しあう話。●あらすじ家電量販店で働く永野均はマクドナルドで檜山大樹の携帯電話を盗んで俺俺詐欺をしたところ、檜山の母にあっさりと息子として認められてしまい、不安になって実家に戻ると別の永野均の俺が母と暮らしていた。母に拒絶されて大樹として生活することになった俺は永野均の俺と本山直久(ナオ)の俺と3人で俺山を作って仲良くするものの、ヤソキチのように自立できない社員がヤソるという隠語で呼ばれて大樹の俺も職場でヤソっていると目をつけられ、俺がどんどん増殖していって上司の田島も俺だったりして、嫌な俺とも出会うようになって自分の嫌な面を見ることですさんでいき、均の俺はついに切れてナオの俺を殺し、大樹の俺は金を持って逃げる。他の俺も俺たちを削除しだして、大樹の姉のかすみ一家が無理心中して、いつのまにかあつしと呼ばれた俺は均の俺に殺されかけ、ナカノと呼ばれて事情聴取されて、削除を恐れるようになり、他の俺に追われて逃げ込んだアパートではヒロシと呼ばれて父親の俺と母親の俺の茶番に付き合うものの、そんな生き方をするくらいなら自分を削除したいと思う。目を覚ますと別の俺がヒロシとして逃げ込んできていて、俺はヒロミになり、ヒロシと口論して刺し殺し、俺のいないところにいこうと高尾山に行くと、他の俺も同じ事を考えていて、俺だらけの車内に俺でない二人組みが乗ってきたので、俺を削除することで傷を負った俺たちは俺でない二人組みを殺す。日本中から集まった俺たちは高尾山中で削除しあい、俺も他の俺に殺されて食われてしまうものの意識はあり、食われることで人の役に立つことの充実感を得ると、食われた俺の意識が食った俺の意識になり、俺は最後の一人だと気づいて山を降りて、俺たち14人が暮らす集落で共同生活をすることになり、ジジイになった俺は悪夢の俺俺時代の体験をお前たちに話す。●感想一人称で、主人公の俺がその場で起きていることを逐一語る形式。俺が他の俺に俺俺時代を語るということでナラトロジーの整合性をつけようとしている点はよいものの、回想形式にして過去を語るのではなく実況中継形式にしているあたりは不徹底という感じ。最後に「お前たち」という言葉を出すことで読者も俺の一員として引き込もうとする狙いがあるのかもしれないけれども、読者の私は物語に引き込まれたわけでもなく、俺に共感したわけでもないのでこの仕掛けは空振り。語り手の無限増殖のスラップスティックは筒井康隆が『脱走と追跡のサンバ』でのタイムスリップネタとしてやっているけれど、筒井が実在のおれの時間軸をずらして増殖させたのに対して、『俺俺』は阿部公房の『壁』のような認識としての自己の存在を増殖させている点が異なる。日本国内で俺がどの程度増えてどの程度減ったのか、全体像が見えてこないのはよくない。日本人の老若男女は俺になるものの、外国人は俺になりうるのかについては言及されておらず、俺と俺以外の人間の境界も不明で、その点は設定が中途半端。一人称の語りにして、なおかつ語り手の頭が悪いことで、俺以外に関する世界についての記述を読者に対してごまかしているように見える。冒頭では俺俺詐欺という社会問題になった話題を使い、家電量販店の社員としての接客の様子を描写して、マクドナルドという固有名詞まで多用して現実社会を舞台にしたのに、中盤から主人公が愚痴をこぼして社会から逃げ回るようになってしまって物語のリアリティがなくなっていくのはよくない。他の俺が他の俺を殺して新聞に載って警察に追われているにもかかわらず、語り手の大樹の俺はヒロシの俺を殺しても高尾山で他の俺を殺して食っても何の社会的責任も問われておらず、この主人公補正のせいで決定的にリアリティをなくして終盤をつまらなくしてしまった。それに頭も性格も悪くて魅力のない主人公につき合わされると読者もうんざりしてしまう。『俺俺』の出来が目だって悪いというわけではないけれど、スラップスティックの面白さとしては筒井に及ばず、こういう方面の小説を読みたかったら個人的には筒井のほうがよい。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】俺俺 [ 星野智幸 ]価格:594円(税込、送料込)
2015.10.20
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「雨の木」をテーマにして書いた5作の連作小説集。「頭のいい「雨の木」」は、僕がハワイ大学の人文学セミナーに出席して樹木について発言すると、夜に雨が降ると葉に水をためて昼過ぎまで雨を降らせるように滴を垂れるという「雨の木」をアメリカ人のアガーテに見せてもらい、パーティーで建築家とホモ詩人が議論して、無人の建物を見学していると、実はそのパーティーは看護師を縛って精神病棟から抜け出した精神病患者たちが開催したものだったと判明してセミナー参加者たちが逃げ出す話。よくわからない人物がよくわからない議論をする国際的セミナーの場面からよくわからない物語が始まり、興味を持てないまま読み流していたらミステリ的なオチが待っていて、その割にエンタメというほど面白くもなくて、何がしたかったのかよくわからない。「「雨の木」を聴く女たち」は、僕が雨の木をテーマにして書いた短編を友人の音楽家Tのために英訳してやり、「雨の木」の悲嘆の気分から、東大の同級生でgriefを多用して小説家を目指して失敗した高安カッチャンに斎木正彰の葬式について文句を言われた出来事を思い出して、泥酔した高安は深夜にハワイの僕の宿舎に勝手にコールガールのペニーを連れて来てセックスして、僕にもやれと強要するが断って300ドル払う。再び高安に税関で会い、免税の時計の運び役を引き受けたところ、僕は時計を密輸したとして税関職員に捕まり、ペニーから高安との合作を頼む手紙が送られてくるものの返事をしないでいたら、またペニーから手紙が来て、高安は「頭のいい「雨の木」」の精神障害者施設のアイデアは自分のものだと言って事故死したという話。「雨の木」と高安の話題を技巧的に絡めて、私小説らしいリアリティがあってよい。話の元になっている「頭のいい「雨の木」」自体がそんなに面白いわけでもないのでこの小説もそんなに面白いわけでもないものの、東大なのに小説家になり損てプライドをこじらせてどうしようもなくなった高安の落ちぶれ具合はよく書けていて、表題作というだけあって、5作中でいちばん人物像をよく書けている。しかし不満なのが「僕」の年齢が不明で小説の前提となっている背景事情を他のソースに頼らないと物語を理解できない点。1982年に書かれたので当時大江は40代後半だろうけれど、私は老人としての大江健三郎しか見たことがないし、亡くなった同級生の昔話ということで大江も高安も老人なのだろうと想像しながら読んで、読み終わった後で発行年を知って誤読していたことに気づいた。そのせいで高安の濡れ場の場面がひどくグロテスクな想像になってしまった。「「雨の木」の首吊り男」は、僕が友人カルロス・ネルヴォが癌だと聞き、僕が首吊りしないように梁が見えない家を建てたというゴシップについてカルロスと話をしたこと思い出して、僕がメキシコ・シティーで講義する際にカルロスと会い、カルロスの元妻とごたごたして、僕は怪しい日本人の山住に絡まれたり、息子の目が見えなくなったと知ったりして、カルロスは自分が癌になったら「雨の木」で首を吊るという話。カルロスの元妻とファンの女性たちの反目を学生運動の内ゲバにたとえて仰々しく事件を仄めかした割には何も起きず、プロットを回収しないまま息子ネタに逃げたようなぐだぐだな結末。「さかさまに立つ「雨の木」」は僕の小説を読んだペニーから批判の手紙が来たものの無視して、ハワイの宮沢さんに呼ばれて反核兵器シンポジウムで講演すると、講演会に来たペニーと会い、マルカム・ラウリーが引用したセフィロトの木(道を求める人が清純なら木はまっすぐだが、掟を乱すとさかさまになる)について話をすると、東京に帰った後にペニーから手紙が来て「雨の木」があったハワイの精神障害者施設が火事になって「雨の木」も燃えたという話。「雨の木」だの「セフィロトの木」だのの象徴性だけが目だって、プロットがないので物語はまったく面白くない。私はマルカム・ラウリーを知らないけれど、読者を置いてけぼりにして知らない人についての話を延々とされても興味を持てない。5作中で一番つまらない。「泳ぐ男──水の中の「雨の木」」は僕がプールの底に「雨の木」が映るという構想の長編小説を書くためにプールに通っていると、サウナで外資系旅行会社の三十路OLの猪之口が性器を露出して玉利を誘惑している場面に遭遇して、猪之口は僕にメキシコやスペインでレイプされた話をして、後に猪之口がベンチに縛られて中年男にレイプされて殺害される事件が起き、僕が5週間ぶりに玉利に会うと玉利は猪之口に挑発されてベンチに縛ったと僕に告白して、その後犯人の妻が聞き込みに来るものの僕は玉利をかばい、玉利は亡くなった人へのdecencyを守って水泳に励むという話。「僕」が犯人に共感して犯行を夢に見て、玉利の行為を推測するという変則的推理小説風の展開で、手法はユニークだけれど推理小説というより邪推小説で、謎解きの面白さはない。玉利とたいして親しくもない僕が事件に関わる重要な告白を直接聞くあたりはご都合主義的で、そのへんも面白さを損ねている。「僕」が一人称の語り手兼登場人物として語る制約上の都合で「僕」は直接見聞きしたことか推測したことしか語れないわけで、同級生の高安カッチャンや同僚のカルロスとは違って付き合いが浅い猪之口や玉利については浅く語ることしかできずに人物像の掘り下げが足りず、事件の推理にしてもミステリー小説で論理の積み重ねで真実を明らかにするようなとどめの一撃がない。純文学とミステリーの中間小説になりそこねた中途半端小説という感じ。●全体の感想「僕」の一人称で、作者の体験から徐々に他の登場人物の物語のフィクションに移行していくという手法。私はこの語りの手法自体は私小説のリアリティとフィクションの面白さのいいとこ取りができて好きなのだけれど、この本はプロットが乏しいせいかまったく面白くない。あるトピックから別のトピックへと器用に話題転換して柔軟に語りつつ、整合性がある物語として全体をまとめる技術は卓越していて、30年前の古い小説ながらも現在のぼんくら作家の小説よりも読み応えはある。あとは物語の内容さえ面白ければよかったのだが、肝心の物語自体がつまらないのではどうしようもない。他の短編に言及しつつ「雨の木」に関連した別の短編を書いたり自作に言及したりするアイデア自体はよいものの、元となる「頭のいい「雨の木」」自体がつまらないのでそこから派生した物語もつまらない。それに語り手の「僕」の存在自体がつまらないことが物語全体をつまらなくしている。「僕」は酔った高安の襲撃だの、カルロスの恋人と元妻の争いだののやっかいな出来事に巻き込まれるだけで、自分で問題を解決するための行動を起こそうとしないし、他の登場人物の人生に関わろうとしない。行動しないがゆえに「僕」に関するプロットが乏しく、他人の生死を傍観する中途半端な立ち場にとどまったままで存在感が薄くなり、「僕」を経由して説明することで事件の臨場感がそがれて物語は停滞してしまい、三人称の小説に比べて展開が遅くなる。この語り手が大江健三郎の「僕」でなくて、筒井康隆の「おれ」なら積極的に行動してもっと面白くなるだろうなと語り手に物足りなさを感じる。★★★☆☆【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】「雨の木」を聴く女たち(新潮文庫...価格:626円
2015.10.09
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ダーウィンの進化論や進化学者の研究内容の紹介、突然変異による遺伝子の変化、自然淘汰による進化などについて書いた本。カラーの図がふんだんに使用されていて、各章のおわりにまとめがあって、内容がわかりやすく書かれていてよい。日本語版独自のコラムもあり、進化に関する雑学としても面白い。表紙には古代生物の写真を使っていて目を引くものの、別に古代生物だけを専門に書いているわけでもないので表紙がやや詐欺的。内容には文句はないけれど、400ページで5600円(税抜き)と値段が比較的高いのが不満。図書館に置いておくような大型本で、FF3の学者の武器になりそうなくらい表紙が頑丈で紙質が良いからその分高いのかもしれないけれど、その辺は豪華にしなくてよいから安くしてほしい。D・サダヴァ『アメリカ版大学生物学の教科書 第4巻進化生物学』は300ページで1500円なので、同じテーマでもこっちのほうが安い。『アメリカ版4巻』は主に動植物の分化や進化に焦点を当てている一方で、『進化 生命のたどる道』はウイルスの進化医学やヒト固有の進化についても書いていて、より包括的に進化について書いているので、購入を検討している人は予算と興味の範囲に合ったものを買うとよいと思う。なぜ貧乏な私が大金を払ってこんな高い本を買ってまで進化について調べているかというと、進化論学者を目指しているわけではなく、生物の進化のシステムを知ることは他の分野のシステムを考察する上でも有益だろうと浅はかにも考えたのである。たとえば飲食店は淘汰が激しくてたいていの店は10年ももたない。他の店の模倣による競合とか、競合を避けたり優位性を得るための工夫とか、ビジネスの生存競争と進化を考えるのに生物学の進化モデルが役に立つかもしれない。文学や言語学でも、たとえば単語は人の脳に寄生しながら伝染するウイルスのようなものだと考えると面白いかもしれない。あるいは小説を多細胞生物として考えて構造主義的にジャンルの分化とかを分析していくと、小説の進化論のようなものを書いて小説の行く末を予想できるかもしれない。遺伝子の突然変異はたいていは有害か中立で、有益なものはわずかしかないものの確実に広がっていくという。そのようなわずかな有益な変化に進化の萌芽があるわけで、進化について知ることで日常生活のちょっとした有益な出来事も技術や社会の進化に向かう面白いものとして感じられるようになって、クリエイターやビジネスマンの参考になるようなアイデアも出てくるのではなかろうか。好奇心の誘惑に負けて貧乏なくせに高い本を衝動買いしてしまったけれど、なにか金儲けのアイデアが出ればきっと本代も回収できるだろう。そうに違いない。そうでなければ困る。★★★★☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】進化 [ カール・ジンマー ]価格:6,048円(税込、送料込)
2015.10.03
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