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倦怠期の夫婦がバカンスに行ったけど楽しくないので妻が不倫する話。●あらすじ第一章結婚七年目のフランス人のジャックとサラは4歳の息子と女中を連れて夏に海辺の小さな村にバカンスに行くと、友人のルディと妻のジーナがやってくる。その村では3日前に山で地雷掃除夫の若い男が死ぬ事故が起きていた。サラがディアナと待ち合わせすると、ボートを持っているアラサーの男にボートに乗せてやると口説かれる。ルディとジーナは夫婦喧嘩をしていた。変わりものの乾物屋のおっさんと地雷掃除夫の両親の老夫婦が話していて、地雷掃除夫の母親は役所を憎んで死亡届を出そうとしなくて税関吏を困らせていた。サラは女中がため口で素直な意見を言うのを気に入っていたものの、ジャックやジーナは女中の態度が気に入らないのでクビにしたがる。第二章地雷事故で自粛していたダンスホールが再開する。ジャックはボートの男がなんとなく気に入らない。サラはボートの男に口説かれる。第三章サラはボートの男に口説かれて不倫する気になる。ジャックは気分転換に子供をルディとジーナに預けて一週間くらいローマとナポリとパエストゥムを旅行して途中でタルキニアの子馬を見たりしないかとサラを誘うものの、サラは今は嫌で2、3日経ったら行ってもいいという。第四章サラは明日ジャックと旅行に行く気になったとボートの男に言うと、男が最後にもう一度寝たがる。ジーナが地雷掃除夫の母親に肩入れするのにルディは腹を立てて、老婆が死亡届にサインするかどうかでもめる。晩飯の後、サラは男に会いに行くのをやめて家に帰って、老婆は死亡届にサインしたのだと女中に話す。●感想サラが中心の三人称で、外面描写や心理描写や説明がなくて、動作と会話中心の文体で、ロシア・フォルマリズムでいうところの動的なモチーフの描写をして静的なモチーフの描写をしない書き方。登場人物の外見や年齢や職業が不明だし、子供や女中やボートを持っている男の名前に一度も言及しないのが不自然だし、途中で出てきたディアナは知人らしいけれどどういう間柄なのか説明がないし、重要な情報があちこちで欠けていて場面を想像しにくくて読みにくい。物語の内容もつまらなくて、地雷や山火事といった事件は伏線になるわけでもないし、誰だかよくわからない人たちがバカンスで暇を持て余している話を書かれても読者としては興味を持てないし、不倫しても濡れ場を書かずに省いているので見どころがなくて退屈してしまう。ヌーヴォー・ロマンとして意図的に実験的な書き方をしたのだろうけれど、読みにくいだけで面白さにつながっていなくて、脱線が多くて焦点がはっきりしない脚本みたいな小説の面白さを殺した書き方になっている。作者の世界観を押し付ける伝統的な小説に反発してプロットや描写がないヌーヴォー・ロマンが出てきたけれど、ヌーヴォー・ロマンが目新しさで一過性のブームになっても結局廃れたように、個性にはなっても小説の面白さの本筋からはずれている。読者が見たいのはある時代を生きた作者がどう世界をとらえて小説にしたのかという具体的な世界観であって、そこを放棄して抽象的にしてしまったらその時代を知らない後世の人が小説を読む意義がなくなってしまう。このテーマなら普通に心理描写をしたほうが物語としては面白かっただろうに、描写がないせいで必然的につまらなくなっている。翻訳が古いのも読みにくさにつながっている。死亡届を出すのになんで税関が担当しているのかよくわからない。61ページでジーナを「ルディ奥様」と呼んでいるのに107ページや256ページでは「マダム・ルディ」になっていて表記のぶれもある。300ページほどある長編小説だけれど、話の内容がわかりにくいうえにつまらなくて、共感できる人物もいなくて面白いと思う箇所が一つもなくて最後まで興味を持てないまま読み流した。倦怠のテーマを表現したという点では作者は狙い通りのことができたのだろうけれど、倦怠を体験したくてしょうがないという読者はたぶんいないだろう。小説を売りたいならヌーヴォー・ロマンみたいな書き方はしてはいけないという反面教師にはなるかもしれない。★★☆☆☆
2020.01.30
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コメディの作り方の動画をアップロードしました。『サウスパーク』は子供向けでない内容なので、この動画では年齢制限をしています。18歳以上でYouTubeにログインしている状態だと動画を見れます。なぜ日本の作品でなくアメリカのアニメの『サウスパーク』を題材にしたかというと、無料で公開されているので引用しやすいというのもありますが、風刺に毒があるという点で日本の作品よりもコメディとしての特徴が良く出ているのが理由です。最近は『クレヨンしんちゃん』が低視聴率になっていますが、もともとは子供に見せたくない下品な内容として批判されていたのに、国民的アニメ扱いされて毒気を抜かれて芸能人を起用して子供に安心して見せられる子供向けアニメになってしまっては、コメディとしての魅力はなくなってしまいます。『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』は知名度を利用したキャラクタービジネスのようなものです。『サウスパーク』の公式サイトから英語版のエピソードを無料で見ることができます。アメリカ人向けのアニメなので日本人が見ても風刺としてわかりにくい部分がありますが、その点を差し引いてもそれなりに面白いです。
2020.01.26
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年増が好きな青年が人妻に恋したので夫に近づいたら金を貸して損したり、愛人をめぐる騒動に巻き込まれたりする話。●あらすじ第一部1840年に大学入学試験に合格したフレデリック・モローは郷里に帰るときに船で会った画商のアルヌーの妻に恋して、アルヌーが経営する「工芸美術」を何度か訪ねるもののうまく知り合いになれない。フレデリックは法科で勉強して、パリで暴動が起きたときに官憲の横暴に反抗して警官を殴って逮捕されたデュサルディエを助けてやろうとして、一緒に助けた青年ユソネが新聞社で働いてアルヌーの店の広告を作っていると知って仲良くしてアルヌーと知り合う。アルヌーはあくどいやり方で儲けて画家のペルランを怒らせたものの晩餐会に招待して仲直りして、フレデリックも晩餐会でアルヌー夫人と知り合った。もっと親しくなるために画家を目指すことにしてペルランに教えを乞う。親友のデローリエがパリに来たので一緒に暮らし始めて、共通の友人を紹介しあって、セネカル、ユソネ、デュサルディエ、シジーたちと政府への反感で気が合って仲良くなる。フレデリックは試験に落第して親に金の無心をして母親の機嫌を損ねて、アルヌーの家を頻繁に訪ねるうちにアルヌーはたいして才気がないと気づいてしまう。フレデリックが恋のせいで情緒不安定になったのでデローリエが気晴らしに踊り場に連れて行くと、アルヌーがヴァトナ嬢と会っていて、ヴァトナ嬢はデュサルディエの知り合いだった。フレデリックは試験がうまくいって帰郷すると母はロック老人への借金を返して家に財産が残っていなくて、母に代訴人のプルアランの書記で働くように説得されて働き始めて、デローリエやアルヌーと疎遠になる。数か月して伯父が死んで遺産をもらえることになり、出世して大臣になると母を説得してまたパリに行くことにする。フレデリックはロックの娘のルイズに惚れられていたものの田舎娘に興味はなかった。第二部パリに行くとアルヌーは店を辞めていたのでルジャンバールを探して住所を聞き出して訪ねると、陶器店をやっていて前ほど人付き合いをしていなくて、アルヌー夫人も前と違う人のようだったので恋心が薄れる。アルヌーとブロン嬢のサロンに行くとアルヌーとウードリ爺さんは確執があった。フレデリックは社交界デビューするために銀行家のダンブルーズ夫妻の家を訪ねる。友人たちからアルヌーは経営がうまくいっていないと聞いて、アルヌー夫人を気にかけて親しくなるものの、アルヌーの愛人でウードリの世話になっているロザネット(マレシャール)と遊ぶのも面白くて口説こうとしたらアルヌー夫人を悪く言われて嫌いになる。フレデリックは友人にたかられて、セネカルをアルヌーの工場に就職させて、デローリエとユソネの新聞事業に投資する約束をする。ロザネットはウードリ老人を捨てて俳優のデルマールと付き合い、ヴァトナ嬢は売れない頃から世話をしてやったデルマールをロザネットにとられて悔しがる。フレデリックはアルヌーがロザネットにカシミヤの肩掛けを送って浮気がばれてアルヌー夫人と口論しているところに巻き込まれて食客として毎日つきあうことになり、アルヌーが他の会社の監査の仕事で不正の責任をとらされたのを機にアルヌー夫人を陥落する方法を考えていると、アルヌーが夫人にロザネットはフレデリックの恋人なのだと言い訳して話を合わせるように頼まれて、夫人には違うというものの前にロザネットに言い寄ったことがあったので苦しい立場になる。フレデリックはデローリエの新聞に出資する金を工面したもののデローリエが愛人のクレマンスに冷たくするのをみて友情が冷めていたところにアルヌーが急に金が必要になって困り果てていたので、デローリエに渡す予定だった金をアルヌーに貸したら回収不能になってしまう。フレデリックがアルヌー夫人の頼みでダンブルーズに借金の支払いを待つようにとりなしに行くと、ダンブルーズの秘書課長として割のいい仕事に誘われる。アルヌーのために尽力したのにお礼がないので不審に思って陶器工場にいるアルヌー夫人を訪ねて口説こうとして失敗した。ロザネットに誘われたのでアルヌー夫人を嫉妬させようとして競馬場に行くとロザネットはもうデルマールと切れていてフレデリックと付き合いたがり、いちゃついているところをアルヌー夫人に見られて、ロザネットはフレデリックに金を払わせたあげくに馬車を持っているシジー子爵と帰ったのでフレデリックは怒って二度とロザネットと会わないことにする。ペルランがロザネットに拒否された肖像画をフレデリックに売りつけに来たので追い返して、セネカルがアルヌーの工場をくびになったのはフレデリックのせいだから仕事を紹介しろと文句をいうので追い返して、ユソネが新聞事業に金をくれというのを断る。フレデリックはシジーに招待された晩餐会に行くと、シジーがロザネットに手を出したのは賭けだったのだと判明して、シジーはアルヌーが詐欺師だと悪口を言ったのでフレデリックはアルヌーを擁護して物を投げつけて喧嘩して、双方が謝罪を断って剣で決闘することになるものの、アルヌーが止めに入って丸く収まる。フレデリックは決闘の介添え人になったデュサルディエと親しくなり、政治犯として捕まったセネカルを助けようと考えていると、ユソネは金を断られたあてつけに女をめぐる決闘として新聞記事にして、ペルランはフレデリックに無理やり絵の支払いをさせるためにロザネットの肖像画を陳列して馬鹿にしていた。フレデリックは株で儲けて自信をつけて好き勝手にやることにして、ダンブルーズ夫人の夜会に行くと決闘事件やペルランの事件がうわさになっていて、フレデリックは腐敗した老人たちに議論をふっかけて皆に嫌われたと思い込んでダンブルーズたちとはもう付き合わないことにして、デローリエと仲直りしてアルヌーから金を取り返す方法を相談する。株で損したときに母からルイズとの結婚を勧められたので様子を見に行くことにすると、召使の子として産まれたロックは娘を伯爵夫人にするために家柄がいいフレデリックを婿にしたがっていたのだった。デローリエは金持ちのフレデリックを妬んで、アルヌーに金を貸したのはアルヌー夫人の愛人だからだと信じて、フレデリックの代わりにアルヌー夫人の愛人になろうとして好きだと言い寄ってフレデリックが結婚するつもりだと伝えると、アルヌー夫人は自分がフレデリックが好きだったことに気付く。フレデリックはルイズに好かれて結婚もまんざらでもなかったものの、いったんパリに戻るとヴァトナ嬢と会って、ロザネットが金持ちのツェルヌコフ公爵と付き合っていると聞き、ロザネットが金が要るというので金を渡しに訪ねるとロザネットはフレデリックが自分の為に決闘したと思い込んでいて金はフレデリックを呼ぶ口実に過ぎなくてまだフレデリックに気があった。デュサルディエがセネカルの釈放祝いをするというのでフレデリックは友人の顔をたててユソネと同席なのを我慢すると、ダンブルーズの夜会でのフレデリックの弁舌が皆に好意的に受け入れられる。フレデリックはルイズに頼まれた買い物の為にアルヌーの店に行ってアルヌー夫人と会うと、結婚を否定して夫人への愛を打ち明けて、アルヌーの留守中に足しげく通って話をするようになったので、逢引用の部屋まで借りてデートの準備をしていると、母から結婚の催促の手紙が来るものの無視する。革命を求めて学生やフレデリックの友人たちが暴動を起こしている中でフレデリックは逢引のためにアルヌー夫人を待つものの、アルヌー夫人は病気で死にかけた子供を看病していて待ち合わせ場所に来ず、事情を知らないフレデリックは怒ってもうアルヌー夫人のことを考えないことにしてロザネットの家に行く。第三部町では二月革命が起きて暴徒が銃で戦い始めて王が逃げて民衆が勝利してチュイルリ宮殿を荒らしまわった。王を支持していたダンブルーズは財産を失うことを恐れてフレデリックが影響力を持っていると思って保護を求めて接近してきて、フレデリックに仮政府の政治家に立候補するように勧めるものの、金持ちを批判するフレデリックの思想が気に入らなかったので保守派の復活を睨んで自分で立候補することにした。フレデリックは「知性クラブ」で演説するものの批判されて追い出される。ロザネットはヴァトナ嬢にデルマールを取られたのを恨んでヴァトナ嬢の政治思想を批判する。政治家になったダンブルーズは暴徒につぶされそうになったところをアルヌーに救われて懇意になる。フレデリックはロザネットにアルヌーと手を切るように言って二人でパリを離れてフォンテーヌブローでデートすると、六月暴動が起きて新聞でデュサルディエが負傷したことを知って介抱するためにパリに戻った。ロック老人は国民軍に参加していてルイズもパリに来ていて、フレデリックはダンブルーズ家の晩餐でロック親子やアルヌー夫妻やシジーと会うと、ロザネットの肖像画の話になってルイズはフレデリックに愛人がいて振られたと悟り、フレデリックに今は時期が悪いと結婚の話をはぐらかされてしまう。フレデリックがアルヌー夫人を訪ねていちゃいちゃしているところにロザネットが来て妊娠したといい、フレデリックにはロザネットの欠点が目につき始める。フレデリックはロザネットに資金援助はするものの放っておいて、ダンブルーズ夫人が気に入って愛を打ち明けて篭絡して自信をつけて、落ちぶれたデローリエにダンブルーズの石炭会社の仕事を紹介してやる。ダンブルーズが病死すると遺産を私生児のセシルに全部譲っていてダンブルーズ夫人には大した財産が残らなかったものの、フレデリックは体面上ダンブルーズ夫人と結婚するしかなくなる。ロザネットは男児を産んで、フレデリックはダンブルーズ夫人とロザネットの双方に嘘をついて二重生活を始めるものの、ダンブルーズ夫人にばれかけて監視がきつくなる。ロザネットが金欠になったのでアルヌーから金を取り返そうとすると、アルヌーは引っ越して宗教道具屋を始めていて、落ちぶれたアルヌー夫人に同情してフレデリックが取り立てを躊躇していると、ロザネットがアルヌーに訴訟を起こして敗訴するものの、デローリエが助言して控訴して訴訟には勝つものの、子供が病気で死んでしまう。アルヌーが詐欺罪で告訴されて金欠になって家族を連れて逃げるという噂を聞いて、フレデリックは二度とアルヌー夫人に会えなくなると思ってダンブルーズ夫人に嘘をついて金を工面するものの、すでに逃げた後だった。ダンブルーズ夫人はフレデリックの嘘を知ったものの黙っていて、アルヌー夫人が署名した手形を見つけて復讐のためにデローリエを使って取り立てることにする。フレデリックはアルヌー夫人の家具が競売に出ているのをロザネットの仕業だと思って喧嘩別れしてダンブルーズ夫人と結婚すると、ダンブルーズ夫人はフレデリックへのあてつけにアルヌー夫人が恋文を入れていた手箱を競り落とした。デローリエはルイズと結婚して、デュサルディエは警官になったセネカルに殺された。1868年にフレデリックはアルヌー夫人と会って過去の思い出を振り返っていると、夫人は髪を一束切って渡してもう会わないと言って去っていく。フレデリックはデローリエと仲直りして近況を話し合う。フレデリックはダンブルーズ夫人と仲たがいして夫人はイギリス人と再婚して、ルイズは歌手と駆け落ちして、ロザネットはウードリの後家になった。デローリエは失敗した人生を振り返って、フレデリックは感情が多すぎたのだという。●感想三人称でフレデリックの視点を中心に展開していて、人物が大勢出てくる割りに説明不足で人間関係がわかりづらい。物語の展開は~しようとしたけれど予定通りにうまくいかなくて~したらようやく~して、という婉曲でじれったいワンパターンの展開が続くので現代の小説に比べたら展開がまだるっこしく感じるけれど、人に会うにしても相手が留守だったりいきつけの店にいないか探したり場所を間違えたりしてまごまごするのが電話さえない150年前のフランスの自然な時間の流れ方だろうからその点は仕方ないのかもしれない。第一部の見どころはフレデリックが恋にのぼせたり冷めたりする程度で他の登場人物をあまり掘り下げていなくてたいしたエピソードもないし、絵画を始めたのにほったらかしたりしてフレデリックの性格や思想の掘り下げがないままだらだらと場面を展開するのも物足りなくてあまり面白くない。第一部を読んでこれはハズレかなと思っていたら、第二部からロザネットが出てきてトリックスターとして人間関係をひっかきまわしたり、友人たちと金銭問題で亀裂ができて緊張感がでてきてようやく物語が面白くなっていった。第二部では登場人物同士のいざこざが中心だったのが、第三部では二月革命で物語の舞台自体を動かして変化をつけていて、終盤に大事件が起きて人間関係を刺激するやり方は長編小説らしい展開でうまくいっている。欠点としては、主人公の思い人である貞淑なアルヌー夫人よりも恋多き脇役のロザネットのほうが生き生きと描かれていて、そもそもなぜアルヌー夫人がアルヌーのような詐欺師みたいな俗物に尽くしているのかよくわからないし、なぜフレデリックがアルヌー夫人との恋を何度もあきらめようとしながらも執着するのかよくわからないし、しつこく執着した割にあっさりダンブルーズ夫人に乗り換えていて第三部にはアルヌー夫人の出番がほとんどないし、『ボヴァリー夫人』に比べたら女性の描き方が物足りない。解説によるとこの小説は1843-45年にフローベールが20代のときに人妻のエリザ・シュレンザに恋した事を自伝的な初稿として書いて、それから20年後の1860年代に書き直して完成させたようである。アルヌー夫人の政治思想や欠点が書かれていなくて人間味が足りないのはフローベールが自分の恋を美化しているせいかもしれない。夢想家の青年たちや尻軽なロザネットとかの他の登場人物については欲望も欠点も辛らつに書いているがゆえに、よけいにアルヌー夫人の書き方が物足りない感じになる。1840年代のフランスの革命の時事問題については客観的資料に基づいて正確に書かれているそうだけれど、脚注を読まないと理解できないような書かれ方をしていて情勢がいまいちよくわからない。脇役の人物像を掘り下げてドストエフスキーみたいにポリフォニーとして思想や立場の違いを強調していたらもっと面白くなったかもしれないけれど、政治的な話題があまり面白さにつながっていない。子持ちの人妻を奪おうとする主人公だけでなく金に汚い友人たちも人間のくずで性格がよくないけれど、これは解説によるとフランスの愚かな民衆はころころと意見を変えて二月革命で普通選挙にしたあげくに共和制に無関心になってナポレオンの血縁というだけのルイ・ナポレオンを選挙で大統領に選んで帝政に戻るということをやっていて、フローベールはあえて人間の愚かさを書こうとして登場人物が人間のくずだらけになったようである。登場人物の動機にいちいち金銭を絡めて、都合よく遺産が転がり込んだり株で儲かったり損したりするのもご都合主義でよくない。欠点があるとはいえさすがはフローベールで描写はしっかりしていてその辺のエンタメ作家が書いた恋愛小説よりは読みごたえがある。暴動が起きているときに逢引しようとして周囲の熱狂と恋を重ねるのはフローベールが得意にしている演出方法で、『ボヴァリー夫人』でも作物の品評会をしている傍らで逢引をしていたような気がする。単に二人でこそこそ逢引する様子を書くのではなく、周りの人たちと違う行動をしていることを対比して強調することで非日常的な背徳感を出すわけである。フローベールをパスティーシュする場合は山場でこの手法を使うとフローベールっぽい感じになる。今は香港の自由を守るためのデモがフランスの二月革命と似たような感じなので、香港の小説家は表現の自由があるうちに中国を舞台にした傑作小説を書いてほしいものである。★★★★☆感情教育(上)改訳 (岩波文庫) [ ギュスターヴ・フローベール ]感情教育(下)改訳 (岩波文庫) [ ギュスターヴ・フローベール ]
2020.01.16
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外連味の出し方を解説した動画をアップロードしました。バトル系の少年漫画は主人公がなんやかやのあげくに敵を倒すというだけでストーリーはたいしたことがないのですが、変身してパワーアップしたりして外連味がある演出をしているとたいてい人気になっています。『テニスの王子様』はテニヌと呼ばれるほど実際のテニスとは違う格闘技みたいな派手な演出をしていますが、リアリティがなくても人気があるのは外連味がある演出の面白さのおかげです。その一方でリアリティがあるプロテニス界を描いた『ベイビーステップ』は主人公が地味なうえに中途半端な終わり方をしていて、フィクションとしては『テニスの王子様』のほうが成功したといえます。上杉神社の売店で『花の慶次』のグッズを売っているように、外連味があって見栄えする主人公だと作品が終わった後でも人気が長続きします。小説だと見た目の派手さは表現しにくいですが、漫画化やアニメ化のメディアミックスを狙うなら、小説でも映像的な見栄えを意識しながら書いたほうがお得かもしれません。なろう小説によくあるような中肉中背で黒髪で個性がない無気力系主人公だと、せっかくアニメ化されても地味で見栄えしなくてもったいないです。
2020.01.12
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内気なハリネズミが他の動物を家に招待しようと思いつくものの、あれこれ悪いことを想像して悩んで、やっぱり誰も来てほしくないと思ったらリスが遊びに来て嬉しかった話。2017年本屋大賞翻訳小説部門受賞作。●感想三人称。170ページ程で、1つの動物につき3ページ程度で59章ある。著者は本業が医者のようで、本業が作家でない人の作品に突っ込むのも野暮な気がするけれど、気になったので一応突っ込むことにする。小説としての見どころは擬人化を使っている点で、動物を擬人化するだけでなく、「言葉」や「孤独」や「訪問」といった概念も擬人化している。しかし使う技法が過剰なほどの擬人化だらけで、異化もパターン化すると見慣れて飽きてしまうのでよくない。マジックリアリズムでここぞというときに奇妙な出来事が起きるからこそマジックとして面白いように、異化するならスポットで使うほうが効果的である。擬人化して強調した割には孤独とはなんぞや、訪問とはなんぞや、とテーマを掘り下げるわけでもないので、ただ擬人化していじってみただけで終わっている。マギー審司でいうと耳がでっかくなったレベルである。それにハリネズミの年齢も性別も不明で、誰かを家に招待する動機も不明で、抽象化されすぎていて具体性がないのが物足りない。他人を家に招待してお茶をしたりホームパーティーをしたりするのが一般的な西洋の文化圏の人ならハリネズミが誰かを家に招待したがる心理が理解できるのかもしれないけれど、核家族化して狭い家で暮らして公私を区別して他人を家に招くことがほとんどない現代の日本人には、誕生日とかの特別な日でもないのに他人を家に招待したがる心理がいまいちわからないのではないかと思う。単に他の動物と交流したいだけなら自分の家に招待しなくても手土産持って誰かの家を訪ねればいいやんけ、と思ってしまうと先の話を楽しめなくなる。そもそも他の動物を家に招待する前に、他のハリネズミを家に招待しようという発想にならないのが変である。訳者のあとがきによると、「どうぶつたちはみなおなじ大きさ/おなじ種類のどうぶつは複数、登場しない/人間はでてこない/物語の中ではだれも死なない」という著者の独自ルールがあるようだけれど、生態系が不自然なご都合主義的世界の押し付けである。マギー審司でいうとラッキーくんの友達がモーラーしかいないようなものである。ネガティブな想像力を面白さにつなげているという点では見どころがあるし、小中学生の女子にとっては面白いかもしれないけれど、大人が読んでもあまり面白くない。訳者のあとがきによるとこの本は大人向けらしいけれど、大人向けの割にはずいぶん幼稚である。マギー審司のマジックはほっこりするけれど、大笑いできるほどでもないような感じである。53歳の独身のエンジニアの針根純夫が取引先の女性を口説いて築60年の家に連れて来ようとする話とか、41歳の独身のピアニストの張音澄子が自宅の新築記念にコンサート仲間や音大の同級生を家に呼ぼうとする話とかの具体的な話のほうが大人の読者にとっては面白いんじゃないかと思う。オチは自分が行動しなくてもリスが訪ねてくるという他人頼みの展開なうえに、友情はすばらしいと既存の価値観を肯定するだけで終わっていて、その先がない。友人や家族が死んでから孤独にどう生きてどう死ぬかのほうが大人にとっては重要だろうに、かわいい動物のメルヘンな雰囲気でごまかして、物語の中では誰も死なないという独自ルールで孤独のテーマから逃げているのはよくない。さらに同じ種類の動物は複数登場しないという独自ルールで、恋愛と生殖と老化と自己の消滅という存在と愛のテーマからも逃げている。こういうのは現実から目を背けるための擬人化で、子供だましである。そこらじゅうで自殺や孤独死が起きている地獄のような世界で生きている日本人は誰も死なないやさしい世界を夢見ることなどとっくにやめているだろうし、ぬるい希望に浸っても温まるどころか凍えてしまう。★★★☆☆ハリネズミの願い【電子書籍】[ トーン・テレヘン ]
2020.01.07
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最近は宝くじが売れていなくて販売額が2005年のピーク時の30%減だそうで、芸能人を使って宣伝しているようである。どうやったら宝くじが売れるのか、実現可能性は無視して頭の体操として考えてみた。●宝くじが売れない原因・当たらない宝くじを何年も買い続けても全然当たらないと、今まで費やした金額であれが買えたとか考えてふと熱が醒める時が来てしまう。特に不景気の時だと宝くじは節約の対象になってしまう。釣りで魚影も見えずアタリもなくて餌代を損するだけだったら、釣り人はあきらめてさっさと引き上げるようなものである。パチンコは小さい当たりが何度もあって確変したりして、次は大きく当たるかもという期待があるから損してもパチンコを続けるファンがいるけれど、宝くじは確変もなにもなくて外れたらそれっきりなので、次回も買おうという動機付けにつながらない。・疑惑がある当選番号選びに人が介在すると八百長を疑われるので機械で選ぶのだろうけれど、BIGでありえないような確率の同じ番号が出たように、機械の八百長の可能性が疑われている。外国の宝くじと違って当選者を公表しないし、匿名の掲示板やSNSでも高額当選の報告がないので、本当に当たっている人がいるのかが疑問視されている。・面白くないtotoや競馬なら当たらなくても娯楽として楽しめるし、パチンコには盛り上げるようなリーチの演出があるけれど、宝くじはいまだに矢で当選番号を決めているようで、演出として全然面白くない。よく当たる売り場や運勢がいい方角とかでゲン担ぎをして、宝くじを買ってわくわくしながら発表を待って、一枚一枚番号を調べて一喜一憂するというのは昭和のアナログ時代の楽しみ方である。演出としてならソーシャルゲームのガチャを回してすぐ結果がわかるほうがまだ面白い。・現物や思い出が残らない宝くじは外れたらそれで終わりで、何も残らないのが物足りない。運試しでわくわくする感じを楽しみたいなら福袋を買ったほうがハズレの鬱袋だとしても現物があるぶんましである。競馬ならあのときの有馬記念は本命のアーモンドアイが負けて云々という思い出が残って楽しめある。・くじの差別化ができていない宝くじの公式サイトで現在取り扱い中の宝くじを見たら、全国自治宝くじや東京都宝くじとかいろいろあるようだけれど、1枚の単価と当選金が違うだけで、どれも似たり寄ったりで、特に興味を惹かれるようなものがない。この回のくじだけは絶対に買いたいというようなものがないのである。●どうやったら宝くじが売れるのか宝くじを売るためには宝くじが売れない原因の逆のことをやって、当たりやすくして現物や思い出が残るようにして差別化をすれば売れるのではないかと思う。・宝くじに握手券をつける宝くじを買うとアイドルと握手できるとかの特典を付ければ、宝くじが当たったら金に物をいわせて推しメンを推し放題になるので、アイドルファンはたくさん買うかもしれない。当選番号の発表もアイドルのコンサートで発表すれば、宝くじを買ったことがない若い人でも興味を持つかもしれない。・ふるさと宝くじを売るふるさと納税で好きな市町村に納税できるように、好きな市町村の財源になるように宝くじを売って、宝くじを買った金額に応じて特産品とかの返礼品をもらえるようにすればよい。何か現物が手元に残れば、くじが外れても返礼品がもらえたからまあいいかと納得感が出る。宝くじの売上金額のうちの38.2%の3071億円は全国都道府県の公共事業に使われているそうで、主な収益金充当事業が公開されている。しかし全国のためというあいまいなものでなくて、自分が買った分はちゃんと自分の故郷のために使われているという実感があれば、くじが外れて損をしたという感じが起きないのではなかろうか。・神社で宝くじを売る神社で宝くじを売れば、初詣のおみくじで大吉をひいた人が気をよくして宝くじを衝動買いするかもしれない。・人気作品とコラボして限定アイテムがもらえる宝くじにする今はスクラッチがワンピースとコラボしているけれど、単に図柄がワンピースになったというだけで何の特典もないのでつまらない。ポケモンセンターで宝くじを買ったら先着1万人が限定ポケモンがもらえるとかのキャンペーンをしたら、外国からわざわざ宝くじを買いに来る人がいるかもしれない。日本人に宝くじが売れないなら外国人に売ればよい。・ポイントで宝くじを買えるようにするいろいろなショッピングサイトでポイントがつくけれど、期間限定の100ポイントとかを持っていても買い物するには少額すぎて、欲しいものがないときには使い道がなかったりする。Tポイントや楽天ポイントを宝くじポイントに交換できるようにして、宝くじが宝くじポイントで買えるようになれば、ポイントが失効になるくらいなら宝くじでも買おうという人がいるかもしれない。・宝くじにスクラッチをつける宝くじとスクラッチの二重のくじにすることで、宝くじの高額当選は外れてもスクラッチのほうで少額でも当たる楽しみが出て買う人が増えるかもしれない。・当選パターンを増やす競馬は3連単やWIN5といった難易度が高くて高額の配当がもらえる馬券を増やして、何度か高額配当が出て話題になっている。その一方で複勝で手堅く人気の馬を狙う買い方もできるので、いろいろな買い方ができる楽しみがある。宝くじは高額当選だけが売りで、投資分を手堅く回収するという買い方ができないので、末等が当たりやすくなれば買う人が増えるかもしれない。あるいは1000枚に1枚くらい図柄が違うレア宝くじを混ぜて、金のレア宝くじは番号に関わらず無条件で1万円当たるとか、銀のレア宝くじは3枚集めると3000円当たるとかでも当たりが増やせる。・現金以外の宝が当たるようにするプロ野球の始球式で投げる権利とか、美ら海水族館の大水槽でジンベイザメと一緒に泳ぐ権利とか、ディズニーランドのショーに参加できる権利とか、桜を見る会に参加する権利とか、普通の人が金では買えないようなものが当たるなら珍しさにつられて宝くじを買う人がいるかもしれない。・欲望を刺激する宝くじの公式サイトを見ても、数字で〇億円と書いてあるだけで全然欲望が刺激されないので、衝動買いしようという気が起きない。そこで1等の当選金で何ができるのかという特設サイトを作って、一流シェフをケータリングしてうまいものを食って、好きなアーティストを呼んで美男美女に囲まれてビーチパーティーをやってシャンパンをがぶ飲みして、というように欲を刺激すれば、自制心が乏しい人は衝動的に宝くじを買うかもしれない。ちなみに私は去年宝くじが当たる夢を見たのだけれど、通帳の残高が5万円から27億円になって、実家のリフォームをして、兄に生前贈与をして、と使い道を考えているうちに、自分のために一円も使わないまま目が覚めてしまった。念のために口座を確認したら7万円あったのでちょっと得をした気分になった。もし私が大金をもらえたら、仕事をやめて車中泊できるワゴン車を買って10年くらいかけて日本の全市町村を移住しながら各地の歴史や文化を取材して、少子高齢化や移民の増加で失われる前の現代の日本の様子を記録したいものである。私のこの先の何十年かの人生は一瞬の夢ほど幸せになることはないのだろうなと思うと、宝くじが当たる夢は人生で一番の悪夢ともいえる。
2020.01.04
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