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今年もゴールデンウィークがはじまりました。あなたはどんな休日を過ごされますか?私はいつもと変わらない毎日を過ごします。このような時に家族旅行をするのが一般的ですが、以前家族旅行をして懲りた経緯がありますので、通常と同じようなスケジュールを過ごします。ただ、子供たちと一緒に過ごす時間を持ちたいと思いますね。どうぞ、このような大型連休には、家族でゆっくり時間を過ごしたり、実家に戻ったり、普段出来ないくつろぎの時間が持てたら素晴らしいと思います。私は、家族旅行は一年に一度はしたいと思っていますが、それは、出来るだけ空いてる時にします。とは言っても、家族みんなが休みなのはこのような時だけですから仕方ありませんが、混んでいる場所に出かけて行きますと、かえって疲れて帰って来ることになることがあり、いい休日を過ごしたことにならないと感じます。どうぞ、かけがえのないことのためにゆっくりとした週をお過ごしください。祝福をお祈り致します。
2007年04月30日
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昨日は、知り合いの方のお見舞いに行きました。人生の中で一番充実感を感じる瞬間は、誰かのために何かが出来ることです。もちろん、自分のために何かをするのも大きな充実感を感じるものです。しかし、その喜びは一時的です。誰かのために何かをすることが出来て、そこで感じることが出来る充実感は無限大です。そして、他の誰かのために生きている人は、自分の問題も気が付けば解決されます。私は、自分の問題や悩みでがんじがらめになってしまったことがありますが、それは泥沼に足を取られたような状態であり、そこは底なし沼のように解決はありません。しかし不思議なことに、他の誰かの問題や悩みを自分のこととし、関わって行く時に、気が付けば自分の問題が解決したということが何度もあります。それは、人の問題や悩みに関わる中で、自分の問題解決の糸口やノウハウを得ることが出来ますし、心を人に集中していたら、悩みが悩みでなくなってしまいます。そしてもう一つ、神様が問題の解決を行って下さいます。これは特に何度も経験してきました。相手のことに関わって、その問題が解決した時に自分を見ると、解決しているということがあるのです。もちろん、必ず解決するというのではありませんが、少なくても、自分の悩みで押しつぶされたり、自分をかわいそうな人と自己憐憫することもありません。悩まなくなるのです。そうしたら、悩みは悩みではなくなり、もう解決ははじまっています。昨日はとても忙しい一日でしたから、すごく疲れましたが、ものすごい充実感と喜びに溢れました。一緒にそんな生き方をして行きたいですね。今日も読みに来て下さってありがとうございます。
2007年04月29日
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私は、多くの人生の成功者と言われる人に接したり、間接的に研究して来ましたが、その特徴を一言で言えば、自分の可能性を信じていると言えると思います。最近、「心のブレーキを外せ」と言う本が売れていると聞いたことがあります。読んだことはありませんが、とても題名が素晴らしいと思います。世の中の出版業界は、本の題名のいかんで売れるか売れないかが決まってしまうとまで言われますが、題名だけで読んでみたくなる本と、全く興味が湧かない本もあります。自分の可能性を信じないということは、心にブレーキをかけている状態です。そして、多くの人が今、そのような状態にあります。各人、そのブレーキの踏み方の強弱はありますが、ある人は、サイドブレーキまでしっかりとかけられています。私は、心のブレーキを外すだけが全てであるとは思いません。いつでもアクセル全開では、人との無駄なぶつかりや、多くの痛みを経験しなくてはいけません。しかし、自分の可能性に対してブレーキはかけないことです。なぜブレーキをかけるのでしょうか? それは、自分の中に罪責感や罪があるからです。つまり、自分の可能性を間違ったことに使おうとしています。人は、自分の欲望のために自分の可能性を開花させようとする時に、必ず自動ブレーキ装置が働きます。それは良心です。ですから、自分の可能性を欲ではなく、愛のために使うようにしたらいいのです。私は、17年間神学を学んで来ました。そして、6月には博士号を頂きますが、これが自分の栄誉や肩書きのためにやっているとしたら空しいものです。そして、心の自動ブレーキ装置が働くと思います。しかし、人によりわかりやすく神様を語り、伝え、導くための勉強です。また、外国での宣教の道が開かれやすいですし、知識階級の人にも入って行けます。また私が、教会を建て上げ、出て行って伝道をするのが自分を満足させるためであったとしたら、1年ももたないでしょう。何度も試練やつらい日々を送りながらも続けていられるのは、やはり人を愛し、神様を愛しているので、その御心を行いたいからです。私は、キリストのためにはどんなことでもしたいと願っています。その過程においては、人から理解されなかったり、迫害を受けたり、反対に、人々から認められ、賞賛され、受け入れらるかも知れません。しかし、どうであっても自分の欲でやっていないならば関係ありません。私たちが、人や状況に振り回されるのは、欲を動機としてことを行うからです。私も、気が付けば、欲に摩り替えられそうになることもあります。しかし、その時すぐに悔い改めるのです。これが大切です。今日あなたはどうですか? 自分の可能性を信じて生きていますか? 成功者が成功するのは、自分の欲望がないとは言いませんが、そこには、自分だけではなく、他者の祝福も求めているからです。自分だけというちっぽけな考えを脱ぎ捨てて、他者の祝福を求められる人こそ、自分の可能性を信じると言う心のブレーキが外される人です。そして、その可能性を最大限に活用し、最大限に開花し、神から与えられた使命を全うすることが出来ると信じます。あなたの人生に祝福がありますように。
2007年04月28日
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2007年度、日本についにリバイバルがやって来ました。まずは、パワーフォーリビングが空爆のように投下されました。それから、日本各地で様々な聖会が行なわれています。7月には、ラブソナタ東京大会が開かれます。何と、20000人~25000人の集会になります。主催は、韓国のオンヌリ教会ですが、韓国からチャーター機で4000人が参加するようです。その中には、人気の芸能人もいるようです。そして、私の周りでは、次々にすごいことが興っています。具体的には、少しづつお分かち致しますが、もう毎日が心踊り、興奮してたまらないです。それは、リバイバルの波に乗っているからだと確信致します。あなたもリバイバルの波乗りをされていますか? リバイバルの波乗りの鍵は愛だと思います。どんな一流のテクニックがあっても、どんな山を移すほどの信仰があっても、また、よい行いがあっても、どんな賜物が与えられていても、愛がなければすべては無に等しいのです。それは、どんなに人に愛があるように見せかけることが出来ても、それは、神様との関係ですし、見せかけは非常に空しいものです。愛とは関係の中でのものです。それは、キリストが十字架で愛して下さったように、その愛で他者を愛そうと祈り、行動をして行こうとすることです。それは、搾り出した愛ではなく、与えられた愛で愛するのです。ですから、その愛を目指して生きている人は、決して完璧にはなりませんが、気が付いたら、リバイバルの波に乗っていることになります。リバイバルとは何でしょうか? それは、日本語に翻訳いたしますと「復興」です。それはまず第一にに、眠ったようなクリスチャンが、再び目を覚ますこと。そして第二には、未信者が次々に救われることです。大きく分けてリバイバルには前述の二つの意味がありますが、今世界では、ほとんど第二の方の意味で用いられています。2007年度、日本は救われます。どのくらいの勢いで、どのくらいの規模になるかわかりませんが、今の日本には答えのない課題が多過ぎます。しかし、そこに答えられるのはキリストの福音だけだと信じます。今こそ、人々がキリストの救いに気付き、知り、求めて走ってくる時になりました。どうぞ、共に祈り、共に備え、共に伝道して参りましょう。素晴らしいリバイバルの波乗りを共にして行きましょう。祝福がありますように。
2007年04月27日
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3L,sというのを今日結成しました。場所は秘密ですが、最初からジョナサンじゃ大した話にならないだろうと思っていたら、国際弁護士の佐々木先生推薦の場所で会合をしました。そこは、都庁を見下ろすことが出来る場所で、最高に盛り上がりました。これから何をするかは、行く行く考えて行きますが、最初の出会いの時から特別な思いを感じた3人です。3L,sというのは、体のサイズが3Lということもありますし、夢とビジョンのスケールが3Lということもありますし、三位一体の3でもあります。これを、三兄弟とか、トリオとすることもいいですが、3L,sは最高にピッタリな名前です。人生は長いようで短いです。たった一度の人生、人を批判したり、細々と生きるのもいいですが、人を愛し、ダイナミックに生きて行きたいですよね。あなたの人生のサイズはいくつですか? Sもあれば、Mもありますし、Lもあります。LLもあれば、3Lもあります。どうぞ、素敵な人生を共に歩んで行きましょう。聖書には、イエス様を信じる人は、イエス様よりも大きなことをするようになると書かれています。あなたは、この聖書の言葉を信じますか? 信じたら、信じた通りになります。祝福がありますように。
2007年04月26日
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昨日は、用事で生まれ故郷の方に出かけました。その帰り道には実家にも立ち寄りました。「お風呂に入って行ったらどう?」と言われたのですが、車の駐車場がないのですぐに帰途に付きましたが、やはりお風呂に入りたい気持ちでいますと、近くのお風呂屋さんに聞いて見ますと、駐車場があるというじゃないですか。早速、430円を支払って入浴しました。そのお風呂の水の色は、まるでコーラのように真っ黒でした。説明書きがあり、「大昔から、この町の地下を流れ、大地の恵みをたっぷり含んだ水です。」と貼られていました。このお風呂の水は、何百年、何千年も日の目を見ないで地下にありましたが、今、その水は入浴者の体を温め、数々の効能も与えています。私たちの人生にも、一生懸命にがんばっていても、日の目を見ないこともありますが、その時こそ、たくさんの恵みを受け、強められ、成長させられている時なのではないでしょうか? そしてある時、素晴らしい働きをする人として大活躍する日が来るのです。旧約聖書に出て来るヨセフは、思春期に兄弟に捨てられ、また、濡れ衣を着せられ牢屋に入りました。一番輝かしい時期を、日の目を見ない長い時間を過ごしたのです。しかしヨセフは、ある日突然日の目を見ることになり、エジプトの総理大臣になりました。これは私とは関係のない話と思われるでしょうか? そう思ったらそうなってしまうでしょう。しかし、日の目を見ないこの時期こそ大切な準備期間なのです。ヨセフには、明確な夢と目標がありました。そして、その実現を信じていました。そのように、夢を持ち、その実現を信じている人に取っては、日の目を見ない時期こそ、その夢の実現の近道を進んでいるのです。どうか、あなたの夢や目標をはっきりとし、その実現を信じて歩んで行きましょう。そうしたら、日の目を見ない日が長く続いても大丈夫です。必ず夢に近づいて行きます。どうぞ、一緒に夢を実現させて行きましょう。今日一日もその夢の実現を信じて参りましょう。祝福がありますように。
2007年04月25日
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チャンスとは突然やって来るものです。しかも、それは一見してチャンスと見えないような形でやって来ます。だから、多くの人はチャンスを見す見す逃してしまうのです。そして、「自分にはチャンスがなかった。」とか、自分の不運を嘆きます。チャンスとは、それを準備し、備えている人にはすぐにわかります。しかし、準備をせず、備えていない人には、「またそのうち」と言って逃してしまうのです。私が親しくさせてもらっている、国際弁護士の佐々木先生は、チャンスには後ろ髪がないのです。チャンスの後ろ頭は禿げています。だから、後でチャンスと気付いてつかまえようとしてももう遅いのです。私はよくこのことをコラムに書きますが、あなたの明確なビジョンは何ですか? 一回の人生をかけて成し遂げたいことは何ですか? まずそれを紙に書いて、それを一文に整理することです。そして、それに向かって努力し、全力投球することです。チャンスとは、そのように生きている人のもとにはっきりとわかる形でやって来ます。それは、ピンチや絶望と思えるような時にやって来ることもあります。どうぞ、チャンスをつかまえ、チャンスの波に乗り、チャンスを生かして行きましょう。祝福がありますように。
2007年04月24日
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時間とは、全ての人に平等に与えられている宝物です。宝物というのは、一度の人生がこの時間の積み重ねだからです。先週は、日本各地で統一地方選挙の選挙運動で町は賑わっただろうと思います。議員候補者に取っては熾烈な戦いを繰り広げた一週間だっただろうと思います。もちろん、その戦いとは、自分との戦いだと思いますが。時間は全ての人に平等に与えられているのに、その使い方によってどうにでも変わって来ます。ある人は、自分の仕事に追いまわされていた人もいます。私は、出張やその移動、そして、PTA活動で多忙でした。ある人は、病気になって入院していた人もいると思います。ある人は、暇を持て余していたかも知れません。ここで大切なのは、その時間を、「ああ~いい時間だな~」と思いながら過ごすことです。「早く終わらないかな~」「苦痛だ!」「退屈だ!」あるいは、無気力や怠惰に過ごしてしまったとしたら、その時間は浪費してしまったことになります。時間を有効に使うためには、まず、自分の使命や人生のゴールを知ることが必要です。命を架けてもいいと思える程の自分の使命を知った人は生き生きとして来ます。そして、そのためには、今何をしたらいいのかを知ることが出来、その一瞬一瞬を充実して過ごすことが出来ます。あるいは、行き当たりばったりや出たとこ勝負、漂流する船のように生きるのも気楽で楽しいかも知れません。しかし、そうであったとしても、明確な人生の目的を持っていることは大切です。それは、人に迷惑をかけない生き方以上であった方がいいでしょう。自分を愛するように出会う全ての人を愛し、許し、受け入れること。他者に与え、さらに+αして仕える事。そして、あなたがクリスチャンであるならば、キリストをあなたの存在を通して伝える事等です。もう一度繰り返しますが、時間とは、全ての人に平等に与えられている宝物です。これをどう使うかは、神があなたに任されています。「チャンスがなかった」とか、「運が悪かった」という言葉は私たちにはありません。それは、時間をどう使うかで変わってくるのです。そして、今からでも遅くありません。よい時間の使い方をして下さい。そう、「ああ~いい時間だな~」と感じながら過ごすことです。それを幸せと言います。幸せな一週間でありますように。
2007年04月23日
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その日は夕方まで、東京福音リバイバル聖会の実行委員会がありました。いつもより長く続きました。場所は新宿シャローム教会なので、近いので自転車で行きました。そして、自転車で帰宅しますと、そこには子どもが待ち構えていました。子どもとは、一日一回は食事等で顔を合わせますが、なかなかゆっくり遊んで上げることが出来ていませんでした。ですから、「遊びに連れて行って!」とねだられます。しかし、もう一つ困ったことは、一人は「自転車で行きたい」と言いますし、もう一人は「車で行きたい」と言います。そして、「じゃんけんで決めよう」といってもなかなか決まりません。仕方なく、一人に妥協してもらって車で出かけました。少し離れた99円ショップに買い物に行き、お菓子を買って上げました。しかし、妥協したもう一人の子が、「ゲオに行きたい!」と言い続けますので、親は負けてしまいました。私は、100円の古本を10冊買いました。どれもためになる本です。「いい買い物が出来そう」だと喜んでいますと、子どもたちは、子どもの月刊誌がほしいと言う事です。ついに負けて、小学○年生、幼稚園、そして、幼児の雑誌を買うことになりました。子どもたちの笑顔はご想像の通りです。親というのは、子どもがおねだりする時、それが甘やかさないためにという理由でもない限り、可能な限り答えて上げたいものです。これを思う時に、神様が私たち神の子どもたちを見る時にも似ているだろうなーと思います。イエス様は、「求めなさい。そうすれば与えられます。」と教えられました。父なる神様は、私たちの求めに対して、答えて上げたいと思って答えて下さると思います。もちろん、与えないことが与えるよりもよいことだと判断された場合は与えられないこともあるでしょう。それは、子どもがいくら欲しがっても包丁を与える親はいないのと似ています。しかし、よっぽどのことがない限り与えて下さるのが神様です。神様はよいお方です。どうぞ、神様に願って下さい。人にではありません。多くの場合は、人を通して与えられますが、それは、神様が人を通して与えて下さったのです。今日は日曜日です。教会に集まり礼拝をささげましょう。また、礼拝に行けない方もいるかも知れませんが、全員が心で願うものを求めて行きましょう。求めなさい。そうすれば与えられます。祝福がありますように。シャローム。
2007年04月15日
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統一地方選挙は後半戦を迎えています。この地域に5年住みますと、何人もの区議会議員の知り合いが出来てきました。郵送で「票を入れて下さい」という主旨の手紙が届けられますが、これは本当に悩みます。どの人もよく見えますし、また、反対に、本当の意味では誰に入れていいかわかりません。政治家が、自分の選挙区内の人に物品や金銭を渡してはいけないというのがわかるような気がします。渡しされたら、人の心は動かないようで動くのかも知れません。先日、木俣参議院議員との懇談の時がありましたが、彼のサイン入りの書籍等を頂きました。しかし、木俣議員は東京第一区ではないのでセーフなんですよね。私が愛知県の人だったらまずいですけどね。毎度のことですが、多くは現職の議員さんの立候補が多いと思いますが、新人さんもたくさんいるようです。その中には、一風変わった人も出て来るのでびっくりすることもあります。ですから、選挙管理委員会には、供託金を預け、一定の票数が入らないとそれは没収されてしまうそうです。ポスター代、選挙カーをはじめ、国のお金が使われる訳ですからね。本当にいい人が選ばれてほしいです。そして、この国のため、この町のために熱意を持って働いて下さる政治家は麗しいです。どうぞ、自分の一票は、入れても入れなくてもまず影響はないでしょう。しかし、そうは思わないで、政治に関心を持ち、政治のために祈り、そして、有権者として選挙を行い、共に政治に参加していきたいものです。これはとても大切なことです。祝福がありますように。
2007年04月14日
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ビルウィルソン先生の全部で四回の聖会に参加しましたが、(他講師の聖会を入れると六回ですが)最後のメッセージは特にすごかったです。それは、羊飼いの心を持つことです。なぜか、ビル先生の働きには迫害や嫌がらせがいつも伴います。また、命を狙われるようなことも何度もありました。そして、多くのクリスチャンがビル先生のメッセージを理解出来ないそうです。ある集会では、パワーポイントを使って、日曜学校の子どもたちの写真を見せながら説明します。エイズの最終段階で、間もなく死ぬ子ども。奇形で生まれて親に捨てられた子ども。栄養失調で写真に写された後に亡くなった子ども。重病で望みがないと言われた子ども等の写真を見せます。そうすると、怒ってしまう人もいるそうです。集会後、二人のご婦人に囲まれて批判をされていました。その時、一人の男性が、「あなたがたは羊飼いの心がわからないんだ! 黙って帰れ!」とどやしたそうです。結局、ご婦人たちも、どやした男性も立ち去り、一人残されました。帰宅してから聖書を調べたそうです。その中で、ライオンと子羊、そして、羊飼いが出て来る聖書の箇所に目が留まりました。ライオンは子羊を餌食にするでしょう。その時、羊飼いには二つの選択があります。一つは、逃げること。そしてもう一つは、そこに留まることです。羊飼いがそこに留まったら、羊飼いは危険にさらされます。しかも、子羊を助け出そうとしたら命が危険にさらされます。ある時、ビル先生のミニストリーの副牧師が殺されました。それは、ビル先生を殺しに来たけど居なかったので、代わりに副牧師を殺したそうです。また、ビル先生は、ピストルを口に突っ込まれて、一発撃ち抜かれました。左頬は砕け、右耳は聞こえなくなりました。ある時は、レンガで顔を殴られ、目の焦点は合わないようです。その時は、目から血がたくさん流れて、目が見えなくなったそうです。しかし、続きがあります。それから、あんまり牧会が辛くて逃げ出そうと思って航空チケットを買いました。しばらく夜も眠れなかったそうです。しかし、それから数時間眠ることが出来て、起きたら、目が見えるようになっていたそうです。ビル先生は、自分のニューヨークのスラム街という牧会地から離れられないのです。羊飼いとして、そこに居る子どもたちから離れることが出来ません。それが羊飼いの心です。今、羊飼いの心を失った人が多く居ます。自分の子どもを虐待したり、置き去りにしたり、殺したりする親もいます。また、助けを必要としている人に無関心な人で満ちています。ビル先生は、13歳の時に、お母さんから、「ここで待っていなさい。」と言われて、3日間その場に座って待っていました。その前を、多くの人が通り過ぎ、多くの車が通りました。その時、自分に声をかけてくれた人は、たった一人であったそうです。その人は、お金を払ってくれて、クリスチャンのキャンプに誘ってくれたそうです。そこで、ビル少年はキリストを救い主と受け入れ、その生涯をキリストにささげました。今でも、年老いているそうですが、その人との交流を持っているそうです。羊飼いの心は、ライオンに食べられかけている子羊を見て、逃げない姿であり、たとえ体は食べられても、両足だけでも、耳たぶだけでも取り戻したいという心。自己犠牲をしてでもライオンと戦う心です。その羊飼いの心が私たちの中に今日あったら。ビル先生のメッセージは、他の人のことではなく、私自身がその心を頂いているのですから、そこに留まり続ける。そして、そこで、ライオンと戦う人でありたいです。それは、今この新宿の牧会地から離れず、目の前にいるサタンに掴まれ、食われている魂を取り戻すために戦って行きたいと、そう決断致しました。集会で受けた恵みやチャレンジは、あまりにも大きくて、あまりにも強いので、消化しきれていませんので、十分に伝えきれませんが、羊飼いの心を持った普通の人として、これからも主に仕えて行きたいと願っています。共に、そんな心を持って歩んで行きたいですね。祝福がありますように。
2007年04月13日
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今週の火曜日と水曜日は、アメリカで2万人以上の日曜学校を行なっているビル・ウィルソン師の聖会に参加しました。一日目の夜は、この左利きの精鋭のメッセージが語られました。ビル師は、士師記20章16節で、なぜ?大事な戦いに左利きの精鋭700人が選ばれたかずっと疑問に思っていたそうです。ビル師は、今もべんきょうをしているそうです。間もなく博士学位を受けると語っていましたが、私も間もなく博士学位を受けます。何かとても身近に感じました。しかし、身近に感じる理由は、ビル師の今までの経験の中にあります。13歳で親に捨てられ、お姉さんは売春婦、日曜学校の先生は殺人を犯し、自分に靴を買ってくれた先生は自殺をし、その働きの中で、何度も命を狙われ、ある時は、口の中に拳銃を押し込まれ、左頬を撃ち抜かれ、九死に一生を得ました。これらは極一部だそうです。ビル師は、ある古本屋さんで、あるコメンタリー(注解書)と出会ったそうです。それまでは、博士課程の勉強の中でも、左利きの精鋭が選ばれた理由の答えは与えてもらえなかったそうです。多くは、右利きの人でなかったから、というようなピンと来ない解説だけだったそうです。しかし、そのコメンタリーには、「彼らは右手を使えなかったからである。」と書いてあったそうですが、そこからインスピレーションを得たそうです。おそらく、この700人は、過去の戦いの中で、右手を負傷し、指を失ったり、腕を失ったのだろうということです。しかし、この700人は、そこで戦いの場を離れることも出来たのに、自分の意思で戦場に留まり、戦い続けただろうということです。通常、かつて右利きだった人でも、左手しかなくなっても、左手で石を投げて、髪の毛1本を狙って失敗することがないということは考えられません。これは、神様が、右手を失った左利きの精鋭を用いられると言うメッセージとして語られました。私は、この伝道牧会の働きの中で、たくさんの傷、絶望、暗やみを経験して来ました。思うように働きが進まないこと。経済的にどん底を通ったこともありました。しかし、神様の支えによって、一歩も退くことなく、その場所に留まり続けました。神様は、右手を失い、左利きになったような私を選び、用いて下さることに感謝をしました。神様は、戦いの中で尻込みし、逃げたりする人を用いることはないということです。私も、もしパートナーとして働く人を選ぶとしたら、いくら健康でも、いざとなったら寝返ってしまうような人とは共に働けません。右手を失うような障害や傷、汚点や失敗があったとしても、最後まで戦う人を選びたいです。何かあると逃げてしまう人がどうやって戦うことが出来るでしょうか? 傷を持っていても、たくさんの戦いを経験した人こそが戦いに強いのです。ビル師の説教のタイトルは、「神は、傷を持った勇士だけを用いる」でしたが、私にはあまりにも大きな恵みとチャレンジのメッセージでした。これから、どんな困難や危機、問題があっても、一歩も退かないで戦い続ける伝道者でありたいと願います。あなたはどうでしょうか? あなたの右手は健康ですか? それとも、負傷して左利きですか?またビル師は、「右手が健全な人は喜んで下さい。これから、右手を負傷するような試練や問題等に合うからです」と言うメッセージと、「すでに右手を負傷している人は、神様が用いて下さる。」そして、「命をかけて戦い続ける人になって下さい。」と締め括りました。神様はあなたを用いたいのです。過去において、イエス様を売り渡したユダやイエス様を裏切ったペテロのように、都合が悪くなったら戦いを放棄し、逃げてしまったあなたも、今、新たに決断をして、神様に献身をするなら、そんなあなたも神様は用いて下さい。この日本のリバイバルのために、共に、左利きの700人の精鋭となって戦って参りましょう。祝福がありますように。
2007年04月12日
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私たちの人生を支配しているのは心構えだと言っても言い過ぎではありません。人は、自分の心構えに従って一瞬一瞬決断をしながら生きているからです。しかし、その一瞬一瞬の決断の積み重ねが人生となるのです。否定的な心構えは、怠惰で消極的な決断や行動を取るようになります。しかし、この状態で満足しながら生きている人はいないだろうと思います。ですから、人や状況のせいにしながら、批判や不平不満を言いながら生きることになります。とても悲しい生き方です。しかし、積極的な心構えは、自分の可能性を最大限に発揮し、積極果敢に大きな目標に向かって絶えず前進し続けます。この人は、いつも完全燃焼していますから、自分の人生に満足しています。そして、失敗しても言い訳をしませんし、成功しても自慢もしません。イエス様が、「悔い改めなさい。」と教えられたのは、考え方を変えなさい、つまり、心構えを変えることを命じられました。私たち罪人は、神から離れて生きて来ました。神から離れた人間は、木から切り落とされた枝のようなものです。その枝に可能性はありません。やがて枯れて死にます。私たち人間の運命も、死と絶対的絶望しかありませんでした。しかし、なぜ、イエス様が、心構えを変えなさいと教えられたのでしょうか? それは、イエス様が十字架で救いの道を開いて下さり、信じるだけで救って下さるからです。木が接木されることでもう一度生きることが出来るように、私たちは神との関係を回復できるのです。それは、父と子の親子関係です。みなさん、神がお父さんです。パパです。よい父ちゃんです。すごい身分です。ですから、積極的な心構えを持つのがふさわしいのです。マインドコントロールという言葉は、悪い意味で使われてきましたが、いい意味でも使えるはずです。あなたの心構えはあなた自身が選ぶことが出来ます。どちらがいいですか? 消極的破壊的な心構えがいいですか? しかし、積極的前向き肯定的な心構えがいいですよね? そして、あなたの心構え通りにあなたは一瞬一瞬の決断を下し、その積み重ねが一回切りの人生となるのです。あなたは祝福されるため、素晴らしい人生を生きるためにこの世に誕生し、今神によって生かされているのです。そして神様は、今あなたを喜んでおられます。祝福がありますように。シャローム。
2007年04月11日
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昨日は、近隣の中学校の入学式に来賓として出席して来ました。このような場所に行きますと、おなじみの顔がたくさんあるものですね。非常に有意義な式の参列の時となりました。私は、自分の子供がまだ幼稚園や小学生なので、中学生の入学式を見て本当に頼もしいですし、新入生歓迎の言葉や上級生の合唱、また、新入生代表の言葉のレベルの高さにびっくりさせられました。最近、子どもが少ないことを本当に感じます。私が参加した中学校の新入生は50数人でしたが、隣りの中学の新入生は15名で、来賓の方が多かったと聞きました。団塊の世代の方々が一斉に退職する時期に来ておりますが、この時期は本当にたくさんの子どもが誕生したんですね。私の頃も多かったですね。しかし、ここ最近、少しずつですが生まれる子供の人数が増えていると聞きます。高齢化社会も素晴らしいですが、多産でたくさんの子どもたちに囲まれた日本になってほしいなーと感じます。子どもの誕生は、また、イエス様を信じ、洗礼を受けることにも譬えられると思います。その昔、私の住んでいる新宿、大久保、柏木、淀橋の地域では、ものすごいたくさんの人が救われた聞きます。しかし、私が親しくしている日本基督教団の手束先生は、「最近の教会は老人ホームになっている。このままでは大変なことになってしまう。」と警笛をならしていますが、確かに、今は良くても、次世代の教会のことを考えたら大きな危機に立たされているように感じます。昨日、私が関係している集会で4名の洗礼者が与えられました。非常に多くの喜びに包まれました。この洗礼式は、クリスチャンの入学式に例えることが出来ると思います。学校の入学者が少ないように、最近、多くの教会で洗礼者が少ないと聞きます。これは大きな危機です。しかし、今年になって、パワーフォーリビングという突然の空爆のように日本に福音宣教のツールが舞い降りて来ました。この資金を提供してくれているアーサー・デモス財団は、配れる限りこの本の発行をしたいと言っておられるそうです。このパワーフォーリビングのキャンペーンは、今まで17ヶ国で行なわれたそうですが、それらの国々の教会はこのことに立ち上がらなかったそうです。しかし、今、日本の教会が立ち上がり、200万部がすでに出荷されています。ですから、財団はとても喜んでいるそうです。私たちは、財団が配れる限り無限の投資をしてくれることにただ甘んじるのではなく、祈り、心を込めて配布し、さらには、献金を持って支えて行きたいものです。このパワーフォーリビングが用いられて、日本の教会の入学者、いや、洗礼者が増やされるようにと祈ります。共に力を合わせ、共に祈り、共に伝道をして参りましょう。伝道は難しくありません。パワーフォーリビングを、あなたの所属の教会から受け取り、それを誰かに手渡したり、ポスティングしてください。そしてもう一つ、これからは、ネガティブキャンペーンを辞めて、ポジティブキャンペーンをして行きたいものです。つまり、人生の暗い部分や悪い部分を批判するよりも、人生の希望や可能性、明るい部分や良い部分を口にして行きましょう。あなたの人生の中で起こったよいことを他の人に伝えて下さい。これは即伝道になるのです。よい一日でありますように。
2007年04月10日
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あるセミナーに参加した時に、まず自己紹介をということのなりました。約50人の参加者は、1.名前、2、職業、3、好きな言葉の3つのポイントで自分を紹介しました。その中で興味があったのが、3の好きな言葉です。それを聞いているだけで、あー、この人を支えている言葉だなー、と実感しますし、すごく大きな励ましを頂きます。そして、その中で最も多かったのが、「継続は力なり」です。私も好きな言葉の一つです。私は、自分の全ての母校を誇りに思っていますが、高等学校はNHK学園という通信教育で学びました。高校時代私は、フルタイムで仕事をしておりましたし、必然的にこの学校で学んでいたと思います。学校のスローガンは、「継続は力なり」でした。実際、卒業率を考えますと全日制や定時制の高等学校よりもはるかに少ないだろうと思います。それだけ通信教育は自分との戦いが多くあります。辛いこともたくさんありましたが、その都度私を支えた言葉が、この「継続は力なり」でした。また、先ほどのセミナーでの自己紹介で、一番多くの人がこの「継続は力なり」を上げていましたが、これは非常に重要な言葉だと思います。「初心忘れべからず」という諺がありますが、誰でも、初志貫徹を行なうならば成功者となることが出来ると信じます。しかし残念ながら、途中であきらめてしまって、初志を貫かないで他の道に行く人があまりにも多いのです。私たちは、人生に明確な目的と目標が必要です。一回だけの自分の人生をかけて何を成し遂げたいのか?をはっきりと明確にすることが第一です。そうしたら、その目的と目標に向かって継続することです。あなたはどうですか? あなたの初志を貫いていますか? あるいは、道を反らせていませんか? 今日、もう一度、あなたの原点に戻ってみませんか? そして、その初志を継続して行きたいものです。あきらめない人、その人こそ人生の成功者です。何を成し遂げたか?ではなく、継続して目的と目標に向かっているか? これが大切です。一昨日、パワーフォーリビングの窓口となった尾山先生とお交わりを致しましたが、最初の方のページに成功者の体験談が載せられていますが、オフレコ的なすごい戦いの話があったことを聞かせてもらいました。尾山先生はそれを乗り越え、そして、200万部が配布され、今でも継続的にこの働きをサポートされています。どうぞ、あなたはくらいついたら離さない人になって下さい。そうしたら、必ず素晴らしい人生を生きることが出来ます。祝福をお祈りします。シャローム。
2007年04月09日
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痛みとは、人生の中で出来るだけ経験しない方がいいと思うのが普通です。あなたはどうですか? 好んで痛みを経験したいでしょうか?しかし、私は人生の中で多くの痛みを経験しその痛みが宝になっていることを感じています。伊賀とか甲賀の忍者が昔実際にいたのかどうかはわかりませんが、忍者は、宝物を隠す時にある特殊な方法を使ったそうです。。もし地図を作ったり、目印を付けるならば、他の人に見つかってしまいます。それは、宝を隠した場所で、自分の体を傷つけたそうです。そうすると、その場所を絶対に忘れないそうです。私は痛みを経験する中で、その痛みの中に共にいて下さる主と何度も出会いました。そこで何度も祈り、何度も十字架の愛に泣き崩れました。もちろん、私の落ち度や罪のゆえに経験した痛みもありますし、理不尽と思える痛みもあります。しかし、その痛みのゆえに、忍者じゃありませんが、私はその心に深く主が焼き付けられています。だから、痛みは宝に変わったのです。ある人が聞いたら、「うそー」と言うかも知れません。しかし、私は、痛みの中で主と深く出会い、主の愛を経験してきました。私は愛されていると感じます。今日、痛みの中にいる人がいるかも知れません。どうぞ、その痛みの中にいる主を見て下さい。主は、あなたの苦しみの中で共に苦しみ、共に泣いていて下さるのです。その時、あなたの痛みは宝となるはずです。私が毎日ブログを書き続けることが出来るのは、痛みという宝をたくさん持っているからです。平々凡々の人生もまたいいでしょう。しかし、波乱万丈の人生もまたいです。大切なのは、今の人生で良かったと思えることです。「あー、こうすればよかった。」と嘆いているとしたら、それこそ悲劇です。どんな痛み、どんなマイナスの人生も、主と出会うと宝に変わります。これは断言できます。そして、私の人生これで良かった!と言い切れる幸せな人になります。共に幸せな人生を歩ませて頂きましょう。祝福がありますように。シャローム。
2007年04月08日
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昨日は、子どもの小学校の入学式がありました。今年はPTA副会長に選出されましたので来賓として参加しましたが、何か照れくさいものがありました。PTA会長は女性で、花のような存在の方ですが、式の中で来賓代表の挨拶をされました。その挨拶や呼びかけに子供たちが素直に応じていることにびっくりしました。それは、新1年生の子どもたちと同じ目線で話をしているからだと思いました。これは、相手が子どもに限らず、とても大切なことだと感じます。ある人は私に対して、高いところ話をしているように感じる人がいます。またある人は、低くなって媚びているように感じる人もいます。しかし、両者とも同じ目線ではないのであまりいい気分はしませんし、心が自然に閉じてしまいます。しかし、同じ目線で話をしてくれる人には、自然と心が開かれ、信頼感が湧いてきます。これはコミュニケーションを行なう上でとても大切なことです。これは実際にすることでも効果はあります。例えば、子どもと話をする時に、身をかがめて、子どもの視線に合わせて話をする人を見たことがありますが、とてもコミュニケーションがスムーズになるだろうと思います。また、飛行機のスティワーデスが、乗客と話をする時に腰を少しかがめて話をしてくれますが、とても好感を覚えるものです。私たちに取って、最も目線を合わせて下さった方は、人となった神イエス・キリストです。この方は、神ご自身ですが、人の姿を取り、乙女マリヤを通して薄汚い馬小屋に生まれて下さいました。馬小屋は罪人の私たちと同じ視線に下りてくださったという意味です。キリストは私たちと同じ視線で救ってくださるのです。ですから、「おーい、こっちに来い!」ではなく、「わたしのもとに来なさい。」と優しく招かれます。そして、救って下さるだけではなく、親しく交わって下さり、最愛の友となって下さるのです。今日、このことを体験した人は、他の人にも同じように出来るようになります。そして、同じ目線でイエス様と1回交われば終わりではなく、日々。そして、絶えず交わって行きたいものです。人は触れ続けるものに似てきます。夫婦が似たもの夫婦と言われるようにです。そして、同じ目線で他者と交わっていきたいものです。同じ目線で話してこそ福音は伝わっていきます。これこそ愛だからです。そんな歩みをさせて頂きたいですね。祝福がありますように。シャローム。
2007年04月07日
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今の時代、多くの人が寂しさを感じながら生きています。ある人はそれを表面に現しますが、ある人は違う形で表現します。またある人は強がって、寂しくなんかないような顔をします。そしてある人は我慢します。しかし、みんな寂しいことには変りありません。でも寂しいのに、ハリネズミのジレンマと言うのがありますが、それは何かと言いますと、ハリネズミが冬に寒いのでお互いに体を寄せ合って温め合おうとしますが、お互いのハリが相手の体を刺してしまって、痛いのでジレンマに陥るということです。私たち人間も似たようなものだろうと思います。心が寒いのでお互いに心を温め合おうとしますが、お互いのハリのようなものがあって、傷つけ合ってしまうので、近づきたいのに近づけないというジレンマがあります。今多くの家庭が壊れています。最初は、お互いに愛し合い、必要とし合って結婚に踏み切りますが、お互いに近づくにつれて傷つけ合い、仕方なしに離婚をします。何と寂しいことでしょうか?それでは、このお互いを傷つけ合ってしまうハリとは何でしょうか? それは、利己主義であり、エゴです。「自分だけ良ければいい」という自己中心な思いです。しかし、「自分はどうでもいいから相手だけ!」と考えられれば、おそらく全くハリがない訳ですが、大切なのは、自分だけを喜ばせることをしないということです。つまり、相手のことも考え、相手の喜びや利益を考え、そのことのために仕えるという心が大切です。人は、「自分を喜ばせよう」と考えて生き易いものですが、そう考えて幸せになる人をまず見たことはありません。なぜならば、自分が願う通りには人は動いてくれないからです。ですから、人に要求することが多ければ多い程不幸になるようです。しかし、その思いを相手に向けたらどうでしょうか? 聖書の黄金律は、「自分がしてもらってうれしいことを人にしなさい。」ですが、自分がしてもらいたいことを人にしてみることです。そうしたら、「そうしよう!」と心に決めた瞬間から心は幸せに満ち溢れます。そして、それを行動に移しますと、さらに何倍にも喜びが増幅します。それが何でわかるんですか? それは行なったことがあるからです。そして、そのように生きる人が寂しい人生を生きるはずがありません。そのような人が放っておかれるはずがありません。何倍にして返して来てくれる人もいることでしょう。寂しい、不幸だ、誰も愛してくれない、不運だ、不公平だ、理不尽だ、と考える人は、ちょっと立ち止って考えて見て下さい。そして、自分がしてもらってうれしいことを誰かにしようと考え、是非実行して見て下さい。ちょっとした親切、ほほ笑み、「ありがとう」「ご苦労様」「お疲れ様」等の一言を惜しみなくかけてみることでも素晴らしいことです。それを身近な人にやって見れたら素敵ですね。祝福がありますように。
2007年04月06日
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恐れとは、誰の心にも潜んでいる感情の一つです。しかし、もちろん必要な恐れもありますが、恐れとは、百害あって一利なしのつわものです。まず、必要な恐れとは、小さな赤ちゃんを見ていたらわかりますが、赤ちゃんは恐いもの知らずです。ですから、車がビュンビュン通り過ぎるような道に来ても、危険な崖っ淵に立っても恐がることがありません。しかし、そのような場所に危険があることを知らないと命はいくらあっても足りません。そんな恐れは必要でしょう。しかし、私たち大人が持つ恐れの多くは不要な恐れである場合がほとんどです。多くの宗教のモチィベーションとなる感情は恐れです。「~をしないと祟りに合う」とか、「~しないと裁かれる」というようなアプローチをします。ですから、恐れを動機として信じたり、帰依したり、お布施をしたりします。しかし、イエス・キリストは恐れを動機として私たちを導くようなことはされません。むしろ、繰り返し「恐れるな」と語られました。ある聖書学者の研究によりますと、聖書の中には366回「恐れるな」という言葉が言われます。それは、閏年を入れて一年間毎日、神様は私たちに「恐れるな」と語って下さっています。聖書の第一ヨハネ4章18節には、「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。」と書かれています。主の愛は、私たちから全ての恐れを締め出して下さいます。主の愛はイエス様の十字架で完全に現わされました。ここに主の愛が示されました。ですから、罪が完全に、永遠に赦されました。悪魔は追い出され、聖霊の満たしが与えられます。心と体の病がいやされ、健康が与えられます。あらゆる問題が解決され、のろいは消え去り、アブラハムの祝福が与えられました。死と地獄は撤廃され、永遠の命と天国が与えられました。この事実を知り、信じることが出来るならば、全ての恐れは完全に消え去るでしょう。そして、「恐れには刑罰が伴う」と聖書には書かれています。恐れに伴う刑罰とは何でしょうか?それは、恐れたことが自分の身に及ぶという刑罰です。貧しくなる恐れを抱くと貧しくなり、病気になる恐れを抱くと病気になり、愛を失う恐れを抱くと愛を失うことになるでしょう。結婚できないという恐れは結婚を遠ざけています。死の恐れは死期を早めます。人を赦さないと主の赦しを締め出し、心と体に病をもたらします。私たちは、恐れに伴う刑罰を受ける人ではなく、全き愛によって、完全に恐れを締め出して参りましょう。そして、主の愛を一身に受け止め、全ての主の祝福を受け入れ、主と一つになって主の御心のままを幸福に歩んで行きたいものです。今日私たちは、胸に手を置いて、「恐れよ、出て行け!」と祈ってみましょう。みなさん、恐れは私たちの持つ感情ではありません。それは、サタンの感情です。サタンの感情が伝染し、私たちはその恐れの影響を受けています。サタンは絶えず恐れているのです。どうぞ、恐れの霊を追い出し、断ち切り、聖霊様を受け入れて参りましょう。今日も素晴らしい一日でありますようにお祈り致します。シャローム。
2007年04月05日
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大阪宣教旅行の日記の続きを書きたいと思います。今回大阪では、ネットフレンドのマックさんところに3度泊まりに行かせてもらいました。1度は家庭集会で、2度は仕事!?でです。仕事とは、私の博士論文をプリントアウトして頂きました。また、翻訳はニューライフ・チャーチのジャン・ドウゲン先生にして頂きました。こちらも仕事でやって頂いたことになりますが、マックさんもドウゲン先生も、本当に破格でやって下さいました。主に合って本当に感謝しています。今回のタイトルである三度目の正直とは、1度目にマックさんのお宅に行かせて頂いた時、夕食時間にお邪魔することのなりましたので、迷惑をかけてはいけないと思って、たらふく食べて行きました。そうしたら、何と、ものすごい料理を準備して下さっていました。おまけに、とても美味しいたこ焼きも買って待っていて下さいました。本当にうれしかったですが、少したこ焼きを頂いた止まりでした。二度目には、「菅野先生、今度来られる時にはお腹を空かせて来て下さいネ。」と言って下さっていたので、本当にお腹を空かせて行きますと、前回のことがあったので今度は準備されていませんでした。そして三度目の正直です。率直に食事の話を電話でしました。そうしますと、「何か準備しましょうか?」と言われますので、「お弁当を買って行きます。」と言いました。しかし、「何か準備しますから。」と押し切られましたので、「ちょっと買って行きます。」とちょっとだけ買って行きました。そう、これが三度目の正直でした。今回は、マックさんとたくさんお交わりが出来て感謝でした。そして、三度目の正直で話が合ったので感謝でした。今回のことで、食事のことはお互いに遠慮したりしやすい話題ですが、せっかく用意して下さったのに勝手に気を回して頂けないのではかえって残念です。ですから、率直に話をした方がいいのではないかなーと感じます。楽しい大阪宣教旅行でした。また時々日記に書かせて頂きます。よい一日でありますように。シャローム。
2007年04月04日
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私たち人間は夢を見る存在です。どんな子どもでも、大なり小なり夢を見るものです。しかし、大人になる過程の中で、現実の厳しさを自ら学習したり、夢ばかり見ないで現実を生きることを養育者等から教えられて、夢を信じなくなったり、夢を見なくなっていきます。これは非常に残念です。昨日は、ある集まりで大きな夢を持つ3人の人と同席していました。伝道者である万代栄嗣師、万座温泉ホテルのオーナー泉堅さん、国際弁護士の佐々木満男先生です。私を入れたら4人になりますが、そう言いはじめたら、「私も、私も」と言う人が出て来るといけないのでこの辺りにします。万代師は、定期的にインド等で5万人規模のクルセード集会を行なっているそうです。直接口からは聞きませんでしたが、相当大きなビジョンを持っておられる先生だろうと思います。泉堅さんは歌手でもありますが、毎晩のように万座温泉ホテルに宿泊する200~300人を相手に歌やメッセージを通して福音を語っているそうですが、その口から飛び出て来たのは、24兆円を稼いで、24個の教会を建てて、1兆円ずつ教会にささげたいということでした。佐々木先生は、世界規模、宇宙規模でのものすごい訴訟を一手に手がけておられる弁護士ですが、その口から出るビジョンの大きさ、小事に忠実であること、その行動力には驚かされます。また、その口からは、何百兆円を稼いで主の働きに全て用いたいというようなことを聞いた覚えがあります。私は大きな夢を見る人が大好きです。話しているだけで胸は踊り、心は豊かになります。私が大きな夢を見る人間だからこそ波長が合うということも感じます。類は友を呼ぶということは、本当だなーと感じます。カラスとトンビと鷲が一緒に空を飛ぶことがないように、夢の大きな人と夢のない人が一緒に行動することはありません。聖書の箴言の中には、「幻のない民は滅びる。」とありますが、絶対に発展はないと思います。そして、確かに人生は空しく、ほしいままに振る舞うようになると思います。私たちを創造した神様は夢のお方です。この世界はたまたま神様が造られたのではなく、神様はその心に思い描かれて前もって計画されただろうと思います。そして、「光よ。あれ。」等のように言葉で命じてこの天と地とを生じさせて下さいました。使徒の働きの中で「終わりの日には、すべての肉なる者の上に私の霊を注ぐ。」と言われ、そして、「青年は幻を見、老人は夢を見る。」と聖書は語ります。神様が夢を見られる方だからこそ、神の霊に満たされた人も夢を見るのです。イエス様は、信仰を通していやしを多く行なわれました。そして、「あなたの信じた通りあなたになれ。」と宣言されました。なぜならば、私たちが信じ、夢見、心に思い描いていることが現実となって行くからです。だからこそ、大きくて素晴らしい夢を見たいものです。夢を見ることに遠慮はいりません。どうぞ、大きな夢を持って下さい。あなたの夢があなたの未来となります。素敵な一日でありますように。
2007年04月03日
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私が好きなノアの讃美の中には、「あきらめない」というキーワードが含まれていると思います。昨日は、教会に新しい電子ピアノが与えられましたが、讃美の時間に次の歌を歌いました。♪あなたの愛で 心いやされ 私は知った 十字架と意味を あなたの愛で 心いやされ 私は知った 祈りの意味を イエス様 私は あきらめません どんなに涙がこぼれてきても 必ず 夜明けが 訪れるから 心はいつでも 安らか♪私たちの人生の中には、あきらめた方がいいことと あきらめてはいけないことがあります。仏教の教える悟りの一つは「あきらめ」ですが、それは、「明らかに見る」という言葉から来ているそうです。それは、現実を直視し、それを認め、受け入れるということだろうと思います。これは実に大切なことです。ソクラテスが教えた「汝自身を知れ」という言葉は、今の私たちにも必要な言葉です。私たちは、自分を知らな過ぎるために感謝することが少ないですし、簡単に人の善悪を言ってしまいます。パウロは、「罪の増し加わるところのに恵みも増し加わった。」と語りましたが、それは、私たちが罪の中に生きることを薦めたり、罪を犯すことに開き直ったり、それを誇りにすることでは断じてありません。それは、罪の自覚が増し加わる時に、恵みの自覚も増し加わるという内容なのです。私たちは、神なしには、十字架なしには、絶対絶望的な存在なのです。しかし、神様の恵みにより、十字架によって、私たちは絶対希望的な存在に変えられたのです。私たちがあきらめなければいけないことは、この事実を受け入れなくてはならないと言うことです。しかし、あきらめてはいけないことがあります。それは、自分の人生です。ノアの讃美の歌詞にあるように、「・・・どんなに涙がこぼれても、必ず夜明けが訪れるから・・・」あなたの人生を放棄してはいけないのです。今あなたがつらい人生を送っているならば、それは、夜明け前が一番暗く、一番寒いと言われますが、夜明け間近かも知れませんよ。よく言われる言葉に、「多くの失敗は、成功間近にあきらめてしまったからだ。」と言う言葉がありますが、私たちは人生をあきらめない人でありたいものです。そのために、自分自身を知り、自分の使命を知り、人生の明確な目的と目標を持つことです。目的と目標がなければ、人生を浪費することになります。それは、目的なく飛んでいる飛行機のようです。飛行機は、出発地と到着地がはっきりしています。あなたの人生にもそれが必要なのです。それがないと、人生をあきらめる以前に、人生を持て余し、その持て余したエネルギーを発散するのに人生を費やしてしまうことになります。今多くの人がその状態にあります。今日、聖書を開き、新しいノートとペンを手に取り、今のあなたのありのままを知り、あなたの明確な使命、人生の目的と目標を知る時間を持てたらいいですね。すでに、明確な使命や人生の目的や目標が与えられている人は、それを堅固にし、祈る時間を持ちませんか?それがあきらめないあなた自身をつくることになります。素敵な一週間と成りますように。
2007年04月02日
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私は一期一会という言葉が大好きです。一面から見たら、「年を取ったなー」と思われるかも知れませんが、私は一期一会というものを大切に思います。昨日は、木俣参議院議員の懇談会に参加しました。私は、多忙のため開始時間に遅れて行きますと、国際弁護士の佐々木さんのスピーチがなされていました。佐々木さんとの一期一会の出会いを感謝します。会う度に新鮮な感動を与えてくれます。遅れて行ったために、木俣議員のすぐ横の席に座らせて頂きました。すぐ横で木俣議員の本音でのトークを聞くことが出来ましたし、私も話をする機会が与えられました。この一期一会も、時間を割いて行って良かったなーと感じます。またそこには、タクシー会社の日本交通の社長さんが来られていました。また、自称仏教徒の目の見えない伊藤さんが来られていました。普段では出会えない一期一会の出会いに感謝しています。社交辞令かも知れませんが、「今度教会に行きます。」と言って下さったことがうれしかったですね。また、他にもたくさんの一期一会の出会いがありましたし、電車での一期一会の出会い、道端での一期一会の出会いがありました。一人の人は、韓国人で日本に一人旅をしている女性でした。英語での会話になりましたが、とても有意義な出会いでした。話が盛り上がったのに、伝道チラシが切れていたことが心残りですが、余計にその一期一会が心に焼き付けられています。今私は名刺を切らせていますので、最近は、伝道チラシを配っています。しかし、そのことによって、たった一回かも知れませんが教会に足を運んでくれる人もいます。一期一会は、出会う場所やシチュエーションによっても変わってきますが、そこには偶然やたまたまはありません。神様のご計画があったと信じます。だから貴重であり、大切にしたいと思います。一期一会の最たるものは、愛する妻との出会いです。1996年のある夏の日、私は海水浴に出かけ、真っ黒に日焼けして帰って来ました。疲れて仕方がなかったので、その日はいつも行っていた新宿路傍伝道は休もうと考えましたが、その日は、特別な神の導きを感じて出かけて行きました。その日は、韓国から120名の短期宣教旅行のチームが路傍伝道に合流していました。ですから、すぐに「来て良かった。」と感じましたが、それだけでは終わりませんでした。路傍伝道終了後には、その120名のチームのリーダーが、「日本の路傍伝道チームのみなさんを食事に招待したい。」と言って来ました。そこで大きな宴会場みたいな場所での食事に行きますと、今度は、「空いた席に座って下さい。」と言われました。その時、たまたま空いていて座った席の斜め前に座っていたのが私の今の妻となりました。また、その隣りに座っていた人が宣教師として来られました。また、その近所に座っていた人がインターネット宣教の協力をして下さっています。私は、この日の路傍伝道に私が行かなければ私の今の妻と出会えませんでした。その日は海水浴で疲労しきっていましたので、今までの私ならば帰宅して休みますが、神様は、行かなければならないような気持ちを私に与え、この一期一会を与えて下さいました。もし妻と出会っていなかったとしたら? そう考えるととてもつらく、とても考えられませんが、ここに神の確かな導きがあったと信じ、本当に感謝しています。インターネットの世界にも一期一会があると思います。ちょっとしたことから、たまたまネットサーフィンをしていて、このブログにいらして下さった方もいらっしゃると思います。この素敵な出会いに感謝しています。どうぞ、これからもよろしくお願いします。一期一会のあなたに、神様の祝福が豊かにありますようにお祈り致します。
2007年04月01日
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