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約1週間、徳島県の鳴門に宣教旅行に出かけて来ました。今回も、たくさんの伝道の機会が与えられましたし、たくさんの思い出を作ることができました。基本的に秋晴れの日が続きましたが、朝晩と日中の寒暖の差が大きかったことと、空気がからっと乾いていたことが印象的でした。途中、雨の日があったり、台風の接近もありましたが、これはこれで、神さまの素晴らしい御業を見ることが出来ました。週末は、皇太子御夫妻が徳島を訪問されていました。他県からの警察車両も多数来ておりましたし、上空にはヘリコプターが飛んでいました。最後の日、鳴門の渦潮(うずしお)を見に行きましたが、残念ながら渦は巻いていませんでした。しかし、とても素晴らしい眺めでした。徳島県鳴門の名産は、何といっても鳴門金時です。と言っても普通のサツマイモと同じですが、食べてみたらこれがまたおいしいのです。値段が倍以上するのが納得できました。なぜ、鳴門金時がおいしいかといいますと、気候もあると思いますが、現地の人が口をそろえるのは、「こちらは砂地じゃけんのう」と言います。この話を聞いた時に、イエスさまの種まきの譬え話を思い出しました。良い地にまかれた種は、30倍、60倍、100倍の収穫を得ることができる、と。これは、種を福音、聖書の言葉、そして、良い地とは、聞く人の心の状態が良く耕され、砕かれ、開かれた状態を指しますが、これは、自然の法則の譬え話です。ですから、どんな土地に種がまかれるかが大切なのです。どんないい話を聞いても、その心の状態が曲がっていたり、捻くれていたり、傲慢だったり、卑屈だったり、否定的・消極的ですと、何のプラスにもなりません。しかし、みなさんのように、心がへりくだり、開かれ、砕かれ、柔和で、積極的、前向き、肯定的ですと、私のこの日記からもたくさんの恵みを受け、30倍、60倍、100倍のよい収穫を得ることができるのです。聖書には、「聖い人には全てが聖いのです。」「感謝して受ければ、捨てるものはない。」等々の言葉が書かれていますが、種がまかれる土地、すなわち、私たちの心構え、心の状態こそ大切なのです。鳴門金時は、お土産に買いましたが、かさばるので宅急便で自宅に送りましたので、明日くらいには到着すると思います。今から楽しみです。鳴門金時を食べたことがある人は知っていると思いますが、栗のように甘く、おいしいのです。本当に掛け値なしにおいしいです。徳島県鳴門の砂地の畑が、そのようなおいしいサツマイモを作りました。私たちの心が、聖書の言葉と聖霊に満たされ、聖められ、新しくされ、愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制の実を結んだら、きっと最高の祝福、成功、繁栄が与えられるはずです。それは、どんな状況の中にあっても与えられますし、むしろ、逆境や試練の中でこそ、一発大逆転の大収穫があると信じます。ですから、世界で一番長寿の木は、樹齢5000年以上で、その木は、穏やかな気候の森の中にあるのではなく、険しい岩地の山の斜面に強く根を張っているのです。そんなところは、木にとって一番大変な環境です。みなさん、試練の中にある人への朗報、福音です。今の環境の中でしっかりと強く、深く、確実に根を張る時です。それは、キリストに根を下ろす時です。みなさんの未来はハッピーエンドですし、30倍、60倍、100倍の収穫を聖書の約束に従ってみなさんに約束したいと思います。心が変われば全てが変わります。次回は、この続きの話を致します。祝福がありますように。
2007年10月29日
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10月22日(月)~10月31日(水)頃まで、四国方面に宣教旅行に出かけます。四国、近畿、中国方面の方で、オフ会や集会等をご希望の方は是非連絡を下さい。sgr_ch@ybb.ne.jphttp://www.geocities.jp/sgr_ch/しばらくブログはお休みさせて頂きたいと思います。今後ともどうぞ、よろしくお願いします。
2007年10月21日
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この世の中には、不器用な人もいますが、とても器用な人もいます。器用な人は、何でもそつなくこなし、さらには、二つ以上のことを同時に行うこともできます。車を運転しながらナビゲーションを操作したり、携帯電話をかけたり、(これは道路交通法の違反になりますが)電話しながらテレビを見たり、料理を作ったり、アイロンをかけたり等、器用な人は二つ以上のものもうまくこなしてしまいます。しかし、どんなに器用な人でも、絶対に二つのことを同時にすることはできないはずです。例えば、東京タワーと富士山を同時に思い描くことが出来るでしょうか? おそらく無理だろうと思います。東京タワーを思い描いている瞬間は、富士山を思い描けないはずですし、その逆も同じはずです。また、複数のことを同時にやろうとすると、注意力が散漫になり、両方ともうまく出来ないということもあります。そして、携帯電話をかけながらの運転は非常に危ないものです。事故が起きてから後悔しても遅いものです。今の日本の社会は、ゆっくりとかマイペースが許されないということもあるかも知れません。しかし、出来るならば、一時に一つだけを行い、その一つに全力を注ぎこんで下さい。これが長い目で見たら一番効率がいいことになりますし、成功させるものだと思います。キリで堅い壁の穴を開けるのに、一点集中で力を入れることが一番の近道です。また、虫眼鏡で一箇所に光を集めますと、やがて焦げ目ができ、着火します。一点集中の力強さを見ることが出来ると思います。人の集中力は長くは続きません。しかし、その短時間であっても集中することは一番の益をもたらします。学校の数学の授業中に、漢字の勉強をしている生徒がいたとします。きっと、どちらにも集中できないのではないかと思います。一時に一つ。これは、非常に素晴らしい人生成功の法則だと思います。あなたも是非試してみて下さいね。ありがとうございます。
2007年10月21日
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私は、これまで多くの人に、明確な目標設定の必要性や素晴らしさを語って来ました。これは、人生の方向なので、絶対にお薦めいたします。しかし、大きい夢を持って、それだけを目指して、死ぬ寸前や、ある場合には、死んだ後に目標を達成されるということもあります。それでも素晴らしいとは思いますが、私は、年に一度大きな目標の達成がなされるよりも、毎日一回の小さな目標の達成がしたいです。その小さな目標の達成が集まって、大きな目標の達成になるのではないかと思います。先日は、ガンの検査をし、胃の内視鏡(胃カメラ)の検査をしたお話をしましたが、また最近、生活習慣病の検査も致しました。最近話題になっている、メタボリックシンドローム。私は、メタボだと言われるかな?と思いましたが、基準値に達していなかったようです。しかし、安心はしていられません。「このままの生活習慣を続けていたら、糖尿病、高血圧、心筋梗塞、脳梗塞、動脈硬化等に移行する可能性がありますので注意して下さい」とアドバイスされました。これを機会に、小さな毎日の目標設定をしてみました。食事の量を減らして、今までもプレイヤーウォーキングをしていましたが、健康のためにもっと早歩きのウォーキングをしたいと思います。また、一日 ,何キロでもやせるという目標を達成させて行きたいと思います。そう思ったら楽しくて仕方がないですね。ずっと以前、タバコやお酒を習慣として時期がありました。禁酒禁煙を、他の人から勧められても、それは不可能のように思いましたが、祈っていたら、ある日突然、全く必要がなくなってしまって、自然にやめることができました。何事も、自発的なものでないと長く続かないですね。また、楽しみながらやらないと長続きしないですよね。多くの人が行う無理なダイエットは、空しく、リバウンドに終わります。それは、ダイエット自体を楽しんでいないからだと思います。しかし、今私のやっている、一日何度も体重計に乗るダイエットは楽しくて仕方ないですね。その他にも、一日聖書を9章読むことや、いくつもの毎日の小さな目標設定を行っていますが、これが私の毎日の生活に喜びと充実感をもたらせてくれていると思います。みなさんも是非、毎日の小さな目標設定を行ってみたらいかがでしょうか? それは、ある程度確実に達成可能なものがいいと思います。そして、それが達成できたら、人に話して、人が認めたり、ほめてくれなくても、自分で自分をほめてあげたらいいと思います。また、自分にごほうびというのもいいと思います。しかし、1Kgのダイエットに成功したからといって、チョコレートパフェを食べるというごほうびはやめたほうがいいです。その場合は、食べ物ではない方がいいと思います。小さな目標設定は、あなたの人生にも、素晴らしい充実感と楽しみ、やりがいと張りを与えることは間違いないと思います。祝福をお祈り致します。
2007年10月19日
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人はなぜ悩むのでしょうか? 悩みで大切なことは、解決できる悩みと解決できない悩みを切り分けることです。悩みの根底には、「自分はどこから来て、どのように生き、どこに向かって行ったらいいのだろうか?」という悩みがあります。この悩みはおろそかにしてはいけません。解決するまで悩んでください。しかし、この文章を読んで下さったあなたは、きっと解決して下さるだろうと思います。人は、神によって造られ、神に生かされ、神のもとに帰って行くのです。その神と人間の橋渡しをしたのが、人なった神イエス・キリストです。イエス・キリストを通して神と一つになって生きることで、重要な悩みのほとんど全てが解決します。罪が赦され、神の子とされ。悪魔が追い出され、聖霊に満たされ。心と体の病気がいやされ、健康が与えられ。貧しさとのろいがなくなり、豊かさと祝福が与えられ。死と地獄が撤廃され、永遠の命と天国が与えられました。これらは、ただ恵みによって頂けるのです。しかし、だからと言って、人は悩まなくなるかと言えばそうではありません。罪があるので、罪は赦されていたとしても、死ぬ日まで悩みはなくならないでしょう。とは言っては、悩みを好機としてとらえ、祝福に変えてしまう生き方がありますのでご紹介いたします。人は、働いても働かなくても同じ給料をもらえるとしたら、おそらく多くの人が働かなくなるだろうと思います。人は根本的に怠惰な存在です。しかし、ここからが悩みの始まりなのです。「貧乏ひまなし」で働いている人は、忙しく、真剣に生きていて、悩むひますらないのです。朝起きて朝食を食べたら職場に直行します。そして、仕事を終えて夕食を食べてお風呂に入ったら、疲れ切っているのですぐに寝てしまいます。悩む時間すらないのです。ところが、働かない人は、楽をしていますし、省エネをして力が有り余っていて、楽しいことだけをすればいいのですが、そうはどっこい問屋がおろさないようです。忙しくなくなると、どうでもいいことを考えるようになり、そして、悩むようになるのです。悩むようになりますと、程なくして精神的に行き詰まったり、精神的な病を患うこともあります。そこで、治療を受けたり、薬を飲んでも、そう簡単には問題は解決しません。悩む人は、回りの人は理解できませんが、本人はとても苦しいのです。その苦しみは、自分に向け続けると、自殺衝動が起こります。また、それを外界に向けますと、犯罪や人を攻撃したり、責任転換をして人に怒りをぶつけます。そうすると、自分の良心が咎めるようになります。そうなると疲れるので、休もうとします。そうすると、ますます悩むひまを作ってしまうことになるのです。現代の大きな問題の一つが、このような悩みから脱出できない人が多いということです。一体、どうやったらその悩みが脱出できるのでしょうか?まず第一に、イエス・キリストの名前で神に祈ることです。祈りは奇跡を起こします。第二に、言葉と考え方を変えることです。どちらが先でもいいです。消極的・否定的・批判的・マイナスの言葉と考えを一切断って下さい。そして、積極的・肯定的・ほめたり、プラスの言葉と考えだけを使うようにして下さい。厳しいまでにそれを行ってください。敵は、自分自身の中にいるのです。自分に負けないで下さい。第三に、価値ある目標と計画を立てて下さい。今までは、その場限りや猪突猛進で生きて来たかも知れません。しかし、これからは、明確で価値ある目標を立て、それを行う計画を立てて下さい。これのためには、最大限の時間を使って下さい。何冊ものノートを使ってもいいのです。とにかく、人生をかけて成し遂げたい目標が定まるまでは、最優先にこれを行って下さい。そして第四に、悩む時間がなくなる程までに行動し、働き、前向き肯定的に生きて下さい。悩むひまをなくすことです。世界の億万長者たちの多くは、若くしてリタイヤ生活に入る人もいます。それは、働かなくてもお金が回って行くからです。しかし、ここが分かれ道になります。働かなくてもいいけれどあえて働く人は幸せに生きています。ある場合は、慈善事業やボランティアをしたり、ひまを持て余すことはありません。これに似ている状態の人に、精神的な病や何らかの障害で働くことができないと認定された人は、生活保護を受けることができます。それを受けられる人は感謝であると同時に、自分に厳しくなる必要があると思います。私の親しい友人の伝道者は、週に2度人工透析を受けています。当然、国はその費用を負担し、生活保護をしてくれています。しかし彼は、その恵みに感謝しながら、教会の働き、伝道の働きに従事しています。しかし、私の友人にある体の障害のゆえに生活保護を頂いている人がいます。彼は毎日、ゲームをしたり、食べて寝て、食べて寝て、遊んで、飲んで等々だけをしています。自分の心の赴くままに生きていますが、その口からは愚痴や不満、人の中傷や悪口しか出てきません。そして、生活保護が安過ぎるといって、役所や国の政府を批判します。第五に、他者のために生きて下さい。どんな人でも、人のお役に立つことができるのです。車椅子に乗った一人の女性を知っています。彼女は、何もかも失ったと周囲の人は考えましたが、本人は至って楽天的です。そして、「私にはまだ、人に与えるものが残っている」と満面の笑顔で語ります。そして、Ph.D(哲学博士号)を取得し、車椅子のまま講演活動を続けています。失ったものを数えることはやめましょう。不得意なことに不満を持つことはやめましょう。ないものねだりはやめて、与えられているもの、恵まれているものを数えて、それを感謝し、それの伸ばし、活用して、誰かのために生きて行けたら幸いです。よーく眺めてみたら、自分よりも不幸な人はいくらでもいるものです。その人に手を差し伸べてみて下さい。私が信じているのは、私たちが誰かに手を差し伸べるならば、神さまが私たちに手を差し伸べてくださり、気が付いたら問題は解決します。私は、この奇跡を数え切れない程経験して来ました。自分自身が疲れきり、全てを投げ出したくなるように感じても、そんな時に限って、救いを求めて来る人がいます。葛藤はありますが、迷わず手を差し伸べますと、気がついたら自分の悩みを忘れています。そして、さらに気が付いたら、自分の問題は解決しています。ハレルヤ!どうぞ、自分の問題を嘆くのをやめましょう。自分をかわいそうに思って自己憐憫をすることをやめましょう。自分より不幸に見えなくても、自分の助けを必要としている人がいたら、迷わず手を差し伸べるのです。お金がなくても、時間がなくても、今できる助けがあるはずです。私は、この文章を悩みの渦中にあり、その中で苦悶し、助けを求めている人のために書いています。そして、手を差し伸べていると、自分の問題解決の方法や知恵が与えられるものです。自分の悩みは大きく見えるものですが、人の悩みは冷静に見れます。そして、自分のことはなかなか見えなくても、人のことはわかるものです。そこで、問題の解決法を見つけたら、それを自分自身にも適用したらいいのです。主イエスは、受けることの幸いも教えられました。有名な「求めよ。さらば与えられん」という言葉を繰り返し教えられました。しかし、この「受けることよりも、与えることはもっと幸いである」とも教えられました。受けることの幸いを知らない人はいないでしょう。しかし、与えることの幸いは、それを遥かに凌ぐものです。そして、「与える人は、押入れ、揺すり入れ、溢れるまで与えられる」とも教えられました。悩み。そこには、必要な悩みもあります。しかし、主イエス・キリストを信じることでその根底的な悩みは全て解決ができます。後の悩みは、この文章を繰り返して読んでみて下さい。あなたは必ず悩みを超越し、その悩みや喜び、歓喜、祝福、笑いに変わるはずです。祝福をお祈り致します。
2007年10月16日
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アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーは、「役に立たないのは、言われたことしかやらない人と、言われたこともやらない人だ」と言いました。今の時代、この二つのタイプの人がとても多いような気がします。言われたことをしない社員は論外としても、言われたことを忠実にする人はまずまずだと思いますが、その背後には、「責任を取りたくない」という発想や、省エネをして「できるだけ苦労したくない」という発想なのだのでしょう。出る釘は打たれる社会、和を持って尊しとする文化の中にあって、特出してプラスアルファの生き方をするのは、煙たがられたり、妬まれたり、嫌われる可能性もあるかも知れません。しかし、だからこそ、もしあなたがプラスアルファの生き方をするならばキラリと輝くようになるのです。イエス・キリストは、「あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい」と教えられました。これはまさに、プラスアルファの生き方です。もちろん、やり過ぎてしまって弊害が起こることも考えられますが、その場合でも、あなたのように前向き肯定的な人ならば的確な判断と責任感を持って対処できるだろうと思います。そして、そんな生き方をするあなたを放って置くほど世の中の人の目は節穴ではありません。そんな生き方をした結果としていち早く昇進した人を数多く知っています。また、他の取引先の会社から、好条件でヘッドハンティングされた人も知っています。また、理想の相手から結婚の申し込みがあって、最高の家庭を築いている人も知っています。今多くの人が心を病んでいます。究極に言えば、すべての人がそうかも知れません。しかし、その原因の一つは、自分の中にエネルギーが余ってしまって持て余していたり、行動をしないので頭でっかちになってエネルギーが有り余ってしまって、そのエネルギーを消極的・破壊的なことに使ってしまっているのです。私は、心病む人も、本当に自分の力を発揮し、認められ、やりがいのある場所を見つけることができたら、病は大逆転して、プラスアルファの生き方をするようになり、幸せな大成功者になると思います。どうぞ、あなたの人生をかけて成し遂げたい夢を見つけて下さい。目標を紙に書き出して下さい。そして、そこに向かってプラスアルファの努力をしながら前進して参りましょう。あなたは、今のままで人生を終わらせてしまうために生まれてきたのではありません。あなたには無限の可能性があります。どうぞ、その可能性を少しでも開花させ、神と共に、いつどの人生を最高に歩ませて頂きましょう。祝福がありますように。
2007年10月13日
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前回も充実した人生についてを書きましたが、今回はその続きです。1、明確な目標を設定する2、目標の達成を信じることを選択する3、祈りながら夢を描く4、確信が来るまで祈る5、実行ということが大まかな内容でした。しかし、実行してもなかなかうまく行かない場合があります。そのために、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。1、目標を設定し、ある程度の確信を持っていても、自分の中で信じ切れていなかったり、本当にはそのことを望んでいなかったりして、心でブレーキをかけてしまっていることがあります。そんな時には、心のブレーキを解除したり、もう一度目標を立て直す必要があるかも知れません。一度目標を立てて、心を定めたら、どんなことがあっても心を翻すことなく、断固として進んで下さい。全力投球をするのです。2、神と調和することです。神さまは、無限の英知であり、全宇宙を動かしている力であり、全被造物の創造者です。この方と調和しないでやっても、それはたかが知れています。神さまは、義なる方であり、愛なる方です。義とは、神を中心とする歩みです。神を主とし、自らを従として仕えるのです。愛とは、御子イエス・キリストによって十字架で現された愛です。その愛を受け入れ、その愛で、他者を無条件に愛し、受け入れ、親切をして下さい。その生き方で神さまとあなたは調和し、必ず、最短距離で充実した人生を歩むことになります。神さまはあなたを愛しています。あなたは愛されています。祝福を祈ります。
2007年10月11日
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私たちは誰でも、充実した人生を生きたいと願っているだろうと思います。しかし、ある人は、自分の力を持て余しています。消極的・否定的・破壊的に生きているのは、どのように生きたらいいか迷っているのかも知れません。どうぞ、あなたの人生をかけて成し遂げたい目標の設定を行ってください。紙と鉛筆を取り出し、聖書を読み、祈りながら、時間をかけて明確な目標を紙に書き出して下さい。そうしたら、その目標の達成を信じて下さい。信じる、信仰、信念というのは選択です。信じない、不信仰、疑念も選択です。どうぞ、信じる方を選択して下さい。次に、その目標が達成されている姿を祈りながら思い描いて下さい。つまり、夢を見るのです。その祈りが長くなればなるほど、夢か現実かがわからなくなることもあります。そうしたら、その夢が「なった!」「できる!」「与えられた!」と確信が来るまでさらに祈って下さい。そうして、確信が来たら実行して下さい。人生を充実し、成功し、豊かに歩んでいる人は、このように生きているのです。そんな充実した人生を共に歩んで参りましょう。祝福がありますように。
2007年10月09日
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つい先日、生まれて初めて胃カメラを飲みました。胃カメラを飲んだことのある人ならわかると思いますが、異物が口から入るのですから、「オエッ!」となってしまいます。自転車で検査に行きましたので、鎮静剤の注射は打てないと言われました。喉のスプレー麻酔だけだったので、その異物感は苦痛そのものでした。しかし、この内視鏡検査によって健康であるということがわかりましたので、とても爽快です。神さまの聖書の言葉を、ある人は他人に当てはめます。しかしこれはルール違反です。自分に対してのみ当てはめられるものです。聖書を使って人を斬ろうと思ったら、ずたずたぼろぼろに切り裂くことができます。しかし、大切なのは、聖書の言葉は、自分の内側を見せる内視鏡のようなものです。あなたの罪、隠された罪性、無意識な罪、自己中心、汚れ等が見事に見えます。その時に神さまは、「だからダメ!」とは言いません。「そのあなたを愛している」と語って下さるのです。ですから、その時は痛みがありますが、聖書の言葉に自らを照らして頂きましょう。その照らされたありのままのあなたが神に愛されているのです。その時あなたは、神の愛を深く、大きく、広く、長く知ることができるのです。そしてあなたは、自分が愛されたように他者をい愛し、他者に対して寛容に接し、他者を赦し、受け入れることができます。その愛に生きるように、神は私たちを愛し、私たちを導いておられます。神は、あくまでも導かれるお方です。ですから、決して強制はされません。しかし、悪魔はいつも脅かし、批判し、無理やりやらせようとします。それが、神の働きと悪魔の働きを見分ける一つの基準です。神に導かれ、神の内視鏡を受け、神の愛を受け、神の愛で互いに愛し合って参りましょう。祝福がありますように。
2007年10月06日
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幸せになるために必要なのは、人を愛することです。しかし、多くの人が、愛するのではなく、愛されることを求めています。愛されたら幸せになれると錯覚しています。もちろん、愛されることは、安息を得ることにはなりますし、一時の満足感はあります。しかし、人は愛することなしに幸せになれないようにできています。イエスさまは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と教えられました。この言葉を聞いた時に、愛されることを求める人は、「『愛し合いなさい』と書いてあるんだから、愛してよ」と、愛されることを求めてしまいます。しかし、イエスさまの「互いに愛し合いなさい」という言葉は、それぞれに「ただ愛しなさい」とだけ言われたのです。ただ愛しなさい。それだけです。愛されなさい。人からの愛を求めなさい。こういう言葉は一言も語られていません。これをもし間違えてしまいますと、「愛されて当然!」と思いますから、不満が生じ、文句を言ったり、「人に躓いた」と言うようになり、さらに、人を避難するようになります。その姿は、非常に醜いですし、その本人は不幸極まりありません。そして、「自分が不幸なのは、~(誰々)が悪い!」と、信じて疑いません。しかし、あなたはそういうからくりから抜け出して下さい。そして、幸せになるためにも、愛に向かって下さい。つまり、愛されることを求めるのではなく、愛することを求めてください。聖書で教える愛は、大きく分けて二種類です。1、自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。2、わたし(キリスト)があなたがたを愛したように、(同じ愛で)愛しなさい。2の愛は、十字架の愛です。無条件で、一方的な赦し、愛、受容です。これは、あまりにも大き過ぎる愛ですから、まずは、1の、自分に対して寛容であるように、人に対して寛容になることからスタートするのがいいでしょう。自分に対して寛容じゃない人は、この世にまずいません。自己憐憫をし、自分に対して破壊的な人も、継続してそうではありません。そういう人に限って、自分に対してすごく甘いものです。そういう人は、すぐに人を非難し、攻撃をし、またあるいは、人に迷惑をかけるような言動や態度を行います。すなわち、自分にとても甘く、他人にすごく厳しいのです。もちろん、このような人は、まず自分を愛することから学ばなければいけません。キリストが自分に対してどれだけ愛してくださっているかを知識と体験で受け入れることです。そして、愛することだけに向かって行けたら、人生はコペルニクス転回のように一発大逆転し、幸せになります。つまり、人から愛されなくても、愛しているだけなのに、そこには痛みも伴いますが、幸せになれます。人を妬まなくなり、心が軽くなり、自由になります。もちろん、オートマチックでそれができれば簡単ですがそうは行きません。また、神がロボットのように、私たちをボタンで操縦してくれたらいいのですが、それだけは不可能です。神は、私たちに自由意志を与えた以上、それだけは無理です。あなたが選び取るのです。誰かがあなたにそれを強制はできません。それを選べるのはあなただけです。あなたの人生の決定権を持っているのは、結局のところあなただけなのです。あなたの意思で、愛に向かい、あなたの意思で、神をあなたの主人として迎え入れ、あなたの意思で神に従い愛するのです。どうぞ、愛してみてください。幸せになるためにはマジックはありません。一時的な幸せは、誰かから愛されたり、アルコール、たばこ、覚せい剤のようなものを服用すれば、感じられるかも知れません。しかし、それはあくまでも一時的であり、そこから覚めた時には非常に空しいです。ただ愛すること。そして、以前にも書きましたが、それでも愛すること。理屈をこねないで愛するのです。そのままを受け入れてください。必ず、あなたの知らなかった、素晴らしい世界が見えてきます。そこに幸せがあり、そこが、この世にある天国です。幸せになってください。そして、共に幸せを満喫致しましょう。祝福を祈ります。
2007年10月01日
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