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『病は気から』という言葉がありますが、身体と精神は密接に関係しています。もし、「身体の調子が悪くなる」という心配をしたら、そのデータが身体の方に送られて、身体が悪くなるようになるようにと働き、ついには病気になってしまうこともあります。だから、健康を信じてください。そうしたら、身体に、「健康になるように」と指令が送られて、たとい今病気になっていたとしても、自然治癒力が働いて、病気を治してしまうことさえあります。また、恐れには健全な恐れと、不要な恐れがあります。子どもに、「車が来たら危険だ」と教え、「高いところは危険だ」と教え、「知らない人にはついていってはいけない」と教えて、ある意味恐れを感じさせることは大切です。また、大人には、「お酒やタバコ、食べすぎ、運動不足、睡眠不足やストレス等が病気を誘発する可能性がある」ことを知らせることは大切だと思います。しかし、それは、それをやめる方向に向けたらいいのですが、『それがやめられないから自分は病気になってしまう。』という恐れを抱いたとしたら、この恐れとは、その恐れた内容を現実に引き寄せてしまう力があります。つまり、病気を引き寄せてしまいます。ですから、自然食品にこだわり、誰よりも健康を気使っていた人が、病気で早死にしてしまうこともあります。その人は、病気を恐れ、かえって病気になってしまいました。また、「お金を失う」ことを恐れると、そのような方向に力が働き、その現実を引き寄せますし、「愛を失う」ことを恐れますと、なぜか相手に嫌われるようなことをしてしまいやすいです。だから、恐れないことです。「自分は健康だ」と信じることです。その方が、繰り返しますが、たとい病気があっても、身体を健康に向かわせますし、楽しく過ごせます。人生は一回だけです。あなたがイエス様の救いを信じているならば、必ず天国には入れます。どうぞ、あなたのご家族や友人にもそのことを伝えて差し上げて下さい。必要ならば、伺ってイエス様の救いをお伝えしたり、洗礼をさせて頂くことも出来ます。ですから、死後のことは一切心配は必要はありません。神さまが最高に素晴らしい天国を用意して下さっているからです。大切なことは今の人生です。この人生を大切に、楽しく、幸せに生きることです。家族が互いに労わり合い、愛し合い、思いやり合って支え合い生きたら、人生は充実し、『私の人生はこれでよかった。これでいい』と言えるようになります。そして、聖書には、神さまが病気をいやすと書かれています。もしあなたの健康に心配がありましたら、一度人間ドックや健康診断を受けられたらいいのではないかと思います。私は、無料や安価の生活習慣病検査や癌検査を毎年受けています。それで「異常なし」と言われたら、もう何も心配しません。それでもし、「病気だ」といわれたら、その時からお祈りを致しましょう。そう確定するまでは、断固として『健康だ』と信じていて下さい。橋は、たもとに来てから渡るものであるというようなことわざがありますが、橋を前もって渡れないように、前もって病気を心配しないで、安らかで、楽しい心でいてください。何でもおいしく食べ、何でも楽しく行い、よく笑い、人の幸福を願い、自分を好きになり、自分に与えられた環境を楽しみ、その上で、未来に希望を持ち、夢を持って前進して言ってください。この日記を読んで下さったあなたの健康と幸福をお祈り致します。新宿福興教会牧師 パスター菅野
2007年07月30日
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人生を最高に生きる。そのために大切なことは、とにかく今を生きることです。砂時計が、一度にたくさんの砂を落とすことができないように、今できることは一つだけです。悩む時には、悩むだけに時間を使い、仕事をする時には仕事にだけ時間を使い、遊ぶ時には遊ぶことだけに時間を使って下さい。悩む時には、神さまにお祈りをしてみてください。神さまは、『どんなことにも心配するな。恐れるな。』と語ります。それは、何の根拠もなしに言っているのではなく、『私が共にいるから』、という意味であり、『私に任せなさい』ということです。子どもが親を頼り、親に信頼して委ねるように、あなたを造り、あなたを愛している神さまに全幅的な信頼をしてみてください。仕事の時には、バッターボックスに立っているバッターを想像してみて下さい。精神を集中し、統一し、そのボールを打つことだけに専心します。そして、ホームランを狙わなくても、確実にヒットを打って行くことです。先のことや後のことは考えないで、今のこの瞬間に思いを集中させて下さい。そんな心で仕事をしたらいいのです。そして、その仕事が終わった後には、思い切って遊ぶのです。子どもが、帰る時間を忘れて夢中になって遊ぶように、どうぞ、趣味や娯楽、あなたにとって楽しい遊びを見つけてください。そして、悩む時にはたくさん悩み、たくさん考え、そして、神さまに心を注ぎ出して祈るのです。祝福を祈ります。
2007年07月28日
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PTA行事の一環として、格安で親子でナイターを見に行くという行事があり、早速昨晩観戦に行って来ました。場所は神宮球場で、試合内容は、ヤクルトVS広島でした。この行事には、ヤクルトの帽子までセットで付いていましたが、持って行くのを忘れてしまいました。ついでに、座ってから気づいたのは、広島の応援席でした。はじまってすぐ、栗原がホームランをかっ飛ばしました。もうこれは神さまから広島の応援席に導かれたと思い、その席で最後まで観戦しました。一人の子は、そこそこ楽しんでいましたが、下の子は、途中からぐずりはじめ、『帰ろうよー』とか、『長い針が12になったら帰れる?』と何度も聞きました。しかし、途中、みんなで風船を膨らませて、一斉に空目掛けて飛ばしました。それから、眼が輝きだし、ついでに、広島の応援までしはじめました。結局、6-4で広島が勝ちました。子どもたちは大喜びで神宮球場を後にしました。もし負けたとしたら、だいぶがっかりしただろうと思いますが、『パパ、また来ようね。』という話をしながら帰って来ました。しかし、それにしても、痛快でしたね。最高に楽しい気持ちになって帰宅致しました。教会も、このような痛快感がほしいですね。私が大学院を学んだ純福音の教会は、礼拝を終えて帰宅する時の気持ちが、この野球観戦後と似ているように感じます。それは、毎回熾烈な戦いが礼拝の中で行われています。信者一人ひとりは、たくさんの問題を抱えています。また、その問題を解決させまい、福音を聞かせまいとサタンが猛烈に働きます。牧師先生の説教は、その悪魔との対決のように感じます。そして、福音が一人ひとりの心にまで届き、悪魔は追い出され、聖霊様が望み、病のいやし等の奇跡が起こります。昨晩の親子のナイター観戦を通して、もう一度原点に戻って、教会にこそ、このような痛快な勝利が毎週起こるように戦って行きたいと思いました。多くの人は、敵は人間であると考えます。しかし、聖書は、その敵のようになる人の背後で働く悪魔こそ真の敵であると教えます。人は絶対に敵ではありません。互いに愛し合うべき存在です。もし、私たちお互いが互いに愛し合うことを忘れていたとしたら、それは悪魔に間違いなく惑わされています。騙されています。今こそ、敵なるサタン軍VS教会軍&全被造物軍の戦いを致しましょう。同士討ちは愚かです。どうぞ、互いに愛し合い、尊敬し合い、赦し合い、認め合い、助け合い、支え合って、圧倒的な勝利を取って参りましょう。私たちの先頭には、十字架で完全な勝利を取られたイエス・キリストがおられます。ですから、100%勝利が確定しています。しかし、なぜ私たちが敗北することがあるのでしょうか?それは、サタン軍&あなたVS気に入らない人&むかつく人&赦せない人の戦いをするからです。これを行ったら、100%敗北であり、同士討ちであり、悪魔の思う壺です。絶対にダメです。今こそ目を覚まして、立ち上がりましょう。敵は悪魔です。そして、共に祈りましょう。『イエス・キリストの御名の権威を持って、サタンよ、お前に立ち向かう!出て行け!』痛快な勝利を共に味わいましょう。ハレルヤ!
2007年07月26日
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韓国のオンヌリ教会が主催しての日本縦断伝道集会が行われています。すでに、沖縄、福岡、大坂、そして、昨晩は東京大会が行われ、四ヶ所で終わりました。残すところは、仙台と札幌です。主講師の河ヨンジョ牧師は、30歳くらいの時から、糖尿病、高血圧を患い、肝臓がんにもかって6回の手術をしました。また現在では、週3回人工透析を受けています。人工透析を受けている時間は、何も仕事はできません。そして、一生これを続けなくてはいけません。これは大変なハンディーであると思います。しかし、使徒パウロが、『私が弱い時にこそ、私は強いのである。』と語りましたが、まさに、河先生は肉体的には弱いのに、今まで誰も出来なかった大きな働きを日本でされています。また、こにラブソナタの集会のために、40日間の早天祈祷会が行われ、その祈祷会を通して心動かされた5000人の信者が、飛行機を10数台チャーターしてこの昨晩の集会に参加されました。この光景を見るだけでも感動して涙が出てしまいます。神さまの愛を受けた人は、福音のために大きな犠牲を払うことができるのだと痛感しました。現在、アフガニスタンで拘束されている23人の韓国人のボランティアチームは、全員クリスチャンであり、宣教チームとして、福音宣教のために危険だといわれる国に入国しました。主の愛を受けた人の犠牲を伴う愛に感動します。昨晩の大会で、河先生は、『日本人がして来たことを話したり、否定的な感情を持ったことを悔い改め、日本人と和解をしたい。』そして、『互いに競い合い、非難しあっても何も生まれないし、お互いに共倒れをしてしまいます。どうぞ、赦し合い、愛し合い、協力して行きましょう。』というメッセージを語られました。私は今まで、韓国人の説教者から、『裁く心を持ったことを悔い改めます。赦して下さい。』という言葉ははじめて聞いたような気がします。私たちは、人の善悪をとやかく言ったり、裁いたり、赦さないことが罪だとどこに書いてあるでしょうか? 聖書にあります。人を憎むことは罪です。私たちは、誰かから傷つけられたとしたら、当然の権利のようにして、自分の正しさを主張し、その相手を裁いてしまいます。また、人から中傷されたり、裁かれたり、憎まれたり、意地悪をされると、苦い感情を持ったり、仕返しをしたり、報復をしようとします。しかし、まず自分自身が神から赦されなければいけない人であり、十字架によって赦されていることを感謝し、人を否定的に思ったり、裁いたり、憎んだりしたことまでも悔い改めて行きたいものです。その河先生のメッセージを通して、多くの日本人の堅い心がとかされ、崩され、開かれたのではないかと信じます。どうぞ、私たちは、犠牲の伴う愛を持って、愛されることを求めるのではなく、ただ愛して参りましょう。『互いに愛し愛さない。』とキリストが教えられたのは、愛を求めなさいという意味は含まれません。ただそれぞれに向かって、『愛しなさい。』とだけ語られたのです。オンヌリ教会は、今回のラブソナタの諸経費の全てを負担しました。また、5000人の韓国からの参加者は、自費で来て、自費で泊まって、集会に参加しました。これらは、見返りを求めているのではありません。また、愛されることを目当てに行ったのではありません。ただ、日本を愛するために行った行為であると信じます。どうぞ、私たちは、この韓国人の愛に応えて、日本のリバイバルを祈り、献身し、仕えて参りましょう。そして、私たちの国の教会から、宣教師が次々に送り出されるようにとも祈って行きたいものです。また、ラブソナタに出演した20数名の芸能人は、おそらくギャラ(出演料)もほとんどもらっていないと思います。また、このような宗教行事に参加したということから人気が下がってしまう可能性があります。これは、芸能人に取っては致命的です。今回、チェ・ジウさんの参加ができなかったのは、日本のスポンサー会社の大反対があったからのようです。つまり、芸能人は、そのスポンサー会社に取っては商品です。その商品の商品価値が下がってしまったら困るので、猛烈に、必死に反対しました。そんな中で出演された芸能人は多大な犠牲と代価を払って、イエス様を日本の私たちに伝えたかったのだと思います。そのスピリットは、12家族から開拓伝道をはじめたオンヌリ教会は、20数年で数万人の教会に成長し、その成功の全てを注ぎ出して日本の宣教を今年行ってくれていることからはじまっていると思います。一昨日の晩に行われた「日韓リーダーシップフォーラム」では、『一人のリーダーが世界を変える』というメッセージを発していましたが、一人の人が大切だと思います。出エジプトは、一人の指導者モーセによって行われ、入カナンは、一人の指導者ヨシュアによって行われ、全人類の罪のあがないは、一人の救い主イエス・キリストによって行われました。次はあなたの番です。この国とアジア諸国、全世界を変えるために立ち上がり、共に力を合わせて戦って参りましょう。ラブソナタ。大成功のうちに終わりました。お祈りを感謝致します。祝福を祈ります。
2007年07月24日
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昨晩は、日韓リーダーズフォーラムが、ザ・プリンス パークタワー東京で行われました。日韓のCEO(代表取締役)や国会議員、芸能人、各界のリーダーが800人以上集まりました。そのレベルの高さには驚きと、終始体がしびれるくらいの感動が続きました。今回、私にとってうれしかったことは、以前から書籍で読んでいたイー・オリョンという有名なインテリーの教授が、昨日洗礼を受けられ、その日の晩の講演では、聖書を引用し、イエス様の最後の晩餐等を題材に素晴らしいお話をされました。着席してのコース料理も素晴らしいものでした。一テーブルに10人くらいずつ座りましたが、日韓半々くらいの人数で、お互いに自己紹介もし合いました。心を通わすことができて、とても有意義でした。フォーラム集会終了後には、あまりの感動で動きたくないくらいでした。今晩のラブソナタ東京大会はとても期待できます。関東エリアにお住みの方は、今からでも遅くありません。明日の夕方6時頃までに、埼玉スーパーアリーナにお越しください。入場券が必要ですが、無料ですし、必ず手に入れることができるはずです。また、会場でお会いできたら、気楽に声をかけて下さい。暑い一日になりそうですが、よい一日でありますように。
2007年07月24日
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子どもの頃、家族で山に登った時、山びこをはじめて経験しました。「ヤッホー!」と叫ぶと、向こうからも「ヤッポー!」とこだまして返って来ました。「おーい!」といえば、向こうから「おーい!」と返って来ました。違う言葉が返って来ることはありません。それと同じ法則が、私たちの話す言葉にもあります。人を愛し、人を赦し、人に親切をしますと、相手からも愛と赦し、親切が返って来ます。しかし、人を憎み、妬み、裁き、いじわるをしますと、相手からも否定的な対応が返って来ます。聖書は、「あなたが裁く通りに裁き返されます。」と語ります。これは、神さまからもそうですし、相手からもそうです。そして、人をぞんざいに扱う人は、自分に対してもそのように扱いますから、自分自身の心も悪い状態になっていきます。そのようにして心の病ははじまって行きます。まずは、言葉を変えることからはじめてもいいのではないかと思います。どうでしょうか? 今日からは、心が伴わなくても、愛の言葉、肯定的な言葉、親切な言葉を語ってみましょう。言葉が変ると自然に心も変ります。そして、それが自然にいえるようになり、それが染み付いた時にあなたの人格となります。そして、必ずエコーの法則に従って、語った通りのことが返って来ます。素晴らしいみなさんの未来を祝福します。
2007年07月20日
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今の世の中は、目に見えることに大きな価値が置かれています。もちろん、それが大切ではないといいたいのではありません。しかし、それが全てとなってしまったとしたら、とても悲しいと思います。なぜならば、人はうわべを見ますが、神は心を見るからです。心こそ、もっと大切なことなのです。心が純粋か? 神は、外面ではなく、それを見ておられ、関心を持っておられます。神さまは、今も私たちの心を見て、知って下さっています。この方を意識し、この方が喜んで下さる心を持って行きたいものです。私たちの心はいつも揺れ動きます。そして、罪の奴隷のようになって、気がつけば罪の方向に流されてしまいます。罪の動機は貪欲です。これは、度が過ぎる欲望のことです。睡眠欲、食欲、生きている私たちには、あらゆる欲があります。欲は私たちの必要を知らせる信号のようなものです。だから無視してはいけません。また、押さえつけるものではありません。しかし、私たちが何かをする動機は、欲を満たすためではなく、欲を超越して、愛という動機で行いたいものです。人に認められ、人から良く思われたいがために、人にへつらい、ぺこぺこしたりするのではなく、真心から良いことをしたいもいのです。そうでないと、利害関係が動機となります。そうなりますと、利害のある人にはペコペコしますが、利害がない相手には、非情、無情になってしまいます。私たちが人と接するのは、愛のゆえです。偉いと思える人には、偉くないかのように、偉くないかと思える人には、偉い人のように接することができたら、ある意味驚かれるだろうと思います。なぜならば、多くの人が逆だからです。目上の人にゴマをすり、目下の人にぞんざいに扱います。愛はすべての人間関係、すべての動機として行きたいものです。愛こそ、心を純粋にするものです。祝福を祈ります。
2007年07月18日
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最近は、自分の部屋にしても、町のディスプレイにしても、シンプルがいいという話をよく聞くようになりました。シンプルには無駄がなく、かつ、贅沢でもあると思います。欲張りな人は、物を捨てられないといわれます。私もその傾向があります。しかし、私のように小さな家に住んでいますとそれが通りません。「そのうち使うだろう」というものを置いておく場所がないのです。ですから、使わないものやそのうちに使うものは、人にあげたり、バザーに出したり、ある場合には、思い切って処分します。そうすることで、部屋は広く使えるようになりますし、ごちゃごちゃしていないので、必要な時に、必要な物を見つけやすいのです。そして、部屋を広く、伸び伸びと使うことができます。それは、人と比べてではなく、かつての、捨てられない症候群の自分と比べてですが。シンプルな美しさ。それは、ディスプレイにも感じます。ある安売り量販店に行きますと、所狭しと物が並べられて売られています。そこにいるだけでストレスを感じるくらいです。そして、イライラして、ゆっくり物を見るのではなく、早く買って帰りたいという気持ちになり、ついでに、買おうと思ってもいなかったものをつい買ってしまうことがあります。そんなお店があるかと思えば、ブランドのお店とか、何かの専門店は、実にシンプルで、いつまでもそこに居たいとさえ感じるくらいホッとさせてくれます。それは、ある意味とても贅沢です。同じスペースで、もっと有効活用ができるのにそれをしないからです。話は変りますが、広々とした駐車スペースは、車を運転している人にとっては魅力的です。新宿駅の地下にある駐車場は、1時間1000円近くかかる上に、隣の車と反対の隣の車との間がほとんどないので、車の乗り降りも大変なくらいです。それは、1台の駐車スペースを少しでも減らして、より多くの台数の駐車スペースを取る狙いでしょう。そんな中で、あるデパートは、女性の車に乗っての買い物客のことを考えて、駐車スペースを約1.5倍広げたそうです。そうしたら、駐車できる車の台数は減りましたが、(男性にはわからない女性の心理は、狭い駐車スペースに停めることは非常に嫌なそうです。)何と、女性客や家族連れの客がグンと増えて、売り上げが1.5倍以上に増えたそうです。ここまでが今日のお話の前置きです。そのシンプルさ、贅沢さ、それを私たちの心にも適用したらどうかという提案です。何にシンプルにするかというと、感謝、平安、愛、情熱等の積極的な感情に徹することです。憎しみ、許さない、裁き、愚痴、不平、不満、皮肉、中傷、怒り、ねたみ、悲観的、疑い等の感情は、ゴミ箱に捨てたいものです。ゴミ箱は、イエス・キリストのカルバリーの十字架の元です。イエス・キリストは、私たちの罪と苦しみのために十字架で死んで下さいました。私たちのために行ってくださいました。そしてかつ、それを恩着せがましくしているのではなく、「その重荷を私の元に持って来なさい。」と語っておられるのです。どうぞ、否定的な感情、罪、苦しみ、悲しみを捨て去って下さい。そして心を、感謝、讃美、喜び、平安、信仰、希望、愛にシンプルにしてみたいものです。金太郎飴が、どこを切っても金太郎の顔が出るように、いつも、どんな時にも、肯定的な感情が出てくる、シンプルで贅沢な生き方をしてみませんか?それが、神の霊、聖霊に満たされた生き方です。否定的な感情は、自分を惨めにし、汚し、落ちぶれさせます。そして、他人をも巻き込んで行きます。そして何より、神さまを悲しませることにもなります。それらは、イエス・キリストの十字架で終わったのです。そこに捨て去って、そこでリセットされて、新たにシンプルな生き方、贅沢な歩みをさせて頂きましょう。そのような心は、良い地ですから。神の御言葉の種がまかれたら、30倍、60倍、100倍の実を結ぶようになるのです。祝福をお祈り致します。
2007年07月17日
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人は立場によって、判断の仕方が変ってくることがあります。学校の先生と生徒、教会の牧師先生と聖徒(信者)、レストランの店員とお客さん、タクシーの運転手とお客さん、親と子ども等々、立場が違うことによって全く違う態度を取ることがあります。また、挫折を経験した人と、エリートやキャリアの人たちは違います。例えば、うつ病にかかった部下がずっと会社を休んでいます。その時、エリートやキャリアの人たちは全くその人の弱さや辛さが理解できないかも知れません。しかし、挫折を経験した人なら、「うん、わかるよ。つらいよね。」ということができます。人は、明日は我が身であることを忘れて、簡単に人を決め付けて批判したりすることがあります。しかし、神さまはすべての人を平等にされるお方です。人生には、うまく行く時もあれば、何をやってもうまく行かない時もあります。いつも相手の立場に立って物事を考え、理解することが大切です。この「理解」という言葉の英語は、「Understand」つまり、下に立つということです。批判する心は、相手の上に立って裁判官の席に座っています。しかし、相手の下に立つ、相手の側に立つ、相手の共に立つならば、決め付けをしなくなります。あなたがクリスチャンであるならば、いや、そうでなかったとしても、神さまはあなたの側に立ち、あなたと共に立ち、あなたの下に立って十字架にかかって死なれ、復活して下さいました。あなたが神の愛を知り、受け入れ、体験したら、あなたは人を理解し、決め付けをしなくなります。人と同じように感じ、共に立ち、共に生きたら、人生はもっと面白く、もっと充実してくるはずです。そして、より良い人間関係を持てるようになるはずです。祝福をお祈り致します。
2007年07月13日
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人は見たり、思い描くものに似て行くものです。自分の親が嫌いであったり、姑が嫌いであったり、赦せない人がいたとします。そして、「私はそのような人になるまい」と反面教師にしたとしても、気がついたら、その人のようにしている自分に気づきます。私は、バイクが好きで、特に、16歳でバイクの免許を取った頃には、毎日バイクで走り回ったものです。バイクは、見た方向に向かって走って行きます。ですから、カーブでは、自分がこれから行く予定の場所を見ます。間違っても、対向車の方を見ているとそちらに向かって行ってしまうので気をつけたものです。私たちは、否定的なものを見たり、考えたりしやすいものです。しかし、見たり考えたりするものに似たり、接近したり、その状況が引き寄せられるようになります。どうしたらいいでしょうか? それは、心で願うことを思い描いたらいいのです。私はいつも、愛するイエス・キリストを心に思い描き、自分が成功し、やっていることがうまく行く姿を思い描くようにします。そうすると、少なくても、否定的な考え方をしているより何倍もうまく行きます。日曜日に説教をする時に、例えば、眠っていたり、説教を快く思っていない人の顔ばかり見ていると、どうも説教がうまく行かなくなります。しかし、喜んでうなずいて聞いてくれている人の顔を見たり、仮にそういう人がいなくても、愛するイエス・キリストの顔を思い描きながら説教をしたら、力強く語ることができます。セールスをする人は、その仕事がはじまる前にほとんどの勝負はついています。もちろん、それが100%ではありませんが、仕事がうまく行っている、うまく行くと心で思い描けていることが仕事をうまく行かせる力になります。反対に、「あー、今度も失敗するかも知れない。」と思ってやったら、かなりの確立で失敗し、「あー、やっぱり失敗した。」ということになり、悪循環になります。あなたが見ているもの、あなたが考えているもの、それがあなたの未来に反映され、未来となって行きます。よきものをみ、良きことを考えて参りましょう。祝福がありますように。
2007年07月12日
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私たち日本人は、いつも何かせかされ、突っ走っているか、あるいは、その流れに乗り切れなくて疲れている人が多いように思います。今を生きるというよりも、今を十分に生き切れていないような感じがします。確かに、今を生きてはいますが、未来のための今であったり、過去を引きずっての今だったりします。今を今として、最高に生きることはできないでしょうか?聖書には、「見よ。今は恵みの時、今は救いの日である。」と書かれています。それは、有限の時間の中に生かされている私たちと、無限の永遠の中に存在する神様とが直結されることです。そして、今と永遠が直結されないで切れている状態を罪といいます。この状態だと、今と永遠、私たちと神がしっかり結ばれていないので、地に足が着いていないような状態です。しかし、「忙しいから神に祈る時間がない」という声も聞きますが、私はむしろ、忙しいからこそ、神に祈る時間をもつ必要があると思います。今と永遠という接点、それは、限りある私たち人間と限りない永遠の神が直結されることです。その時に、しっかりと地に足が着くことであり、神と一緒に歩くことになります。あなたの今は、永遠の一コマになっていますか? それを永遠の今といいます。そうしたら、無意味に思えるこの瞬間も、大きな意味と価値が与えられ、神と共に過ごす時なのです。その時とは、「一日は千年のようであり、千年は一日のよう」なのです。時間という概念を超越し、まさに、永遠の中を生きることになります。ちょっと難しい哲学的な話をしましたが、それが今を生きることなのではないかと思います。どうぞ、今を今として、充実して生きて参りましょう。それは、未来のための今、過去の延長線上の今ではなく、今のための今なのです。祝福をお祈り致します。
2007年07月11日
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これは、ある牧師先生が言った言葉ですが、駄洒落にもなっていますが、それ以上に深い内容を現していると思います。晴れの日とは、文字通り天気が晴れているということにも大きな意味がありますが、順境の時、物事が願った通り、祈った通りに進んでいるような状況です。その時には、誰もが「ハレルヤ」(これは、ヘブル語で「主をほめたたえよ」という意味です。)あるいは、「やったー!」と叫びたくなると思います。しかし、雨の日、それは、文字通りの雨も含まれますが、雨は必要なものですが、同時に、降ってほしくないと思う人が多いように、思う通りに行かない状況、忍耐が強いられ、つらい状況にも「アーメン」が言えたら素晴らしいですね。「アーメン」とは、「その通りです」「真実です」というような意味合いがあります。つまり、神さまが成さるすべてのことに肯定し、賛成し、委ねるということです。私たちは、このことがしっかりしていたら、どんなことが起きてもくよくよしませんし、どんな状況の中にあっても感謝と讃美ができます。こんな生き方ができたら素晴らしいのですが、それは難しいことです。聖書には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことに感謝しなさい。」と書かれています。これは、表面には、「喜び」と「感謝」が現れていますが、その間にサンドイッチのように「祈り」が挟まれています。一見して隠れて見えないですが、この具のような「祈り」こそが喜びと感謝の鍵なのです。祈りこそ、全ての状況を喜びと感謝に変える力です。1、ありのままの今の気持ちから祈り始める。2、コップの水を注ぎだすように、心の全てを神に注ぎだす。3、空っぽな心に神の声を待ち望み、4、その神の声に応答し、このプロセスを繰り返して行くのです。やがて心は、神の言葉と聖霊に満たされ、どんなことも喜びと感謝に変り、全てのことが相働きて益となります。つまり、マイナスの環境もプラスに変り、ピンチがチャンスに変り、問題が解決します。祝福を祈ります。
2007年07月10日
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私は、温かい食卓で食事をすること程いやしを感じることは他になかなかないだろうと思います。もちろん、礼拝をささげ、神様と交わった時に勝るいやしはありません。しかし、それと同時に、互いに愛し合い、受け入れ合いながらの食事は格別です。私は、できるだけ家族で一緒に食事をするようにつとめています。子どもたちに合わせると、朝7時の朝食になりますが、かけがえのない時間です。また、日曜日の礼拝後には、教会に集まった方々と共に食事をします。これもかけがえのない時間です。そして、人生の先輩当たりますが、その人とは週何回か会いますが、会うたびに食事を一緒にします。それから、他に親しい友だと数人とは、定期的に会って、ゆっくりお話をしながら食事をします。イエス様は、福音の真理や真髄を、多くは食卓で語っています。そこには、宗教的な装飾のない場所です。私は、そこに深い意味を感じます。聖書のヨハネの黙示録には、「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」と書かれてあります。聖書が書かれた背景には、イスラエルの文化と密接に関わっています。イスラエルでは、食事をともにするということは、「罪を赦す」、「和解する」という意味が込められています。敵対する兵士同士がともに食事をすることはあり得ません。また、敵対関係にある人と食事をする気にもなりません。食べたとしても、最高の料理も、砂をかむようでしょう。神さまは、私たちが罪人となり、敵であった時からすでに、私を愛し、一人子イエス・キリストを十字架にかけて、罪の赦しと救いの道を開いて下さいました。神さまが私たちに、「一緒に食事をしよう」という言葉は、「あなたの過去をすべて忘れ、赦し、ありのままでうけいれるよ」、という意味なのです。ですから、互いに愛し合い、一緒に食事をする時にいやしが来るのは当たり前のことですね。疲れた時、誰を誘って食事をしてみたらどうでしょうか? また、疲れている人を見たら、食事に誘ってみるのも素晴らしいことです。きっと、あなたの心にいやしが来ると思います。そして、いやされたら、元気に仕事に、家庭に戻って行きましょう。祝福を祈ります。
2007年07月09日
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リーダーシップによって、その組織が変わって行くことを見ることが出来ます。リーダーに必要なことはいくつも考えられますが、扇谷正造さんの『トップの条件』の中で、リーダーに求められる資質として1、花であること、2、器であること、3、恕の精神を持っていることと言いました。まずリーダーには花があることが必要です。その人が入って来るだけで雰囲気が明るくなる、花のような明るいオーラが放たれていたら、その組織の雰囲気は間違いなく明るくなります。次に、恕の精神です。相手の立場に立った考え方、行動ができることです。リーダともなれば、いかに自分の決めた通りに部下に動いてもらいたいと思うものです。しかし、そうしてもらうためには、相手の立場に立ち、相手がまずしてもらいたいことを先にすることが必要です。そして、器であることです。それは、アビリティー(能力)よりもキャパシティーがはるかに重要です。それは、器の大きさです。大地が、どんなものも受け入れて同化させてしまうように、許容能力こそリーダーに求められることです。その3つを備えたリーダーはどこにいるでしょうか? それは、イエス・キリストです。イエス・キリストは最高に素晴らしい花です。しかし、その姿は慕うべき見栄えもないと書かれてあります。それは、私たちと全人類の罪を背負ったからです。恕の精神は、私たちを罪に従って裁いたり、自業自得を宣言するのではなく、その罪の身代わりに自らが十字架で死んで下さいました。そして、イエス・キリストは器です。どんな人も、どんな罪人も、どんな過去があっても、ありのままで受け入れる愛を持っているのがキリストです。私たちは、まずそんな真のリーダーを持っていますから、そのリーダーに従うならば、その姿に似ることができます。そして、私たちもそのようなリーダーにならせて頂きたいです。年を取ればそれだけ何らかのベテランになり、先輩になり、上司となり、リーダーとなります。リーダーとして指導力を発揮する時が来るのです。祝福をお祈りいたします。
2007年07月08日
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七夕は、私の誕生日の翌日なので、何となく親しみを感じる日です。子どもが幼稚園で七夕の飾りを飾って、そこにお願い事のたんざくをかけます。星に願いを込めて祈るということでしょうね。しかし、私は創造者である神さまを知ってからは、星をも造られた神さまにお祈りをすることの素晴らしさを思い起こす日となりました。七夕の日には、一年に一度、おりひめ星とひこ星が天の川を挟んで接近するということです。しかし、その距離は、光の速さで14.8光年です。光の速さの電話があったとしても、「もしもし、」と相手に声が届くまでに、約15年の歳月がかかります。それを考えますと、宇宙の広大さ、宇宙の広さを感じさせてもらえます。私たちを創造し、全宇宙を創造された神の偉大さは量り知ることができないですね。七夕の日には、天体望遠鏡があってもなくても、空を見上げて、神さまの創造の御業に感動したいなーと思います。東京に住んでいると、忙しいことが美化され、暇なことに罪悪感を感じます。しかし、きれいな泉のように、そんな静まったり、ゆとりを持つ時間が大切なのではないかと感じます。共にそんなゆとりある時間を、週末と合わせて過ごして行きたいですね。祝福がありますように。
2007年07月07日
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今日は、私の36回目の誕生日と結婚10周年記念日です。他の人にとってはほとんど意味のない日だと思いますが、当人にとっては、非常に意義深い日でもあります。36歳といえば、人生の折り返し地点です。神さまによって、ここまで生かされ、ここまで守られ、ここまで導かれて来た事を思い、感謝で一杯です。しかし、一言で36歳と言っても語りつくせないくらいのドラマがあります。その中で思い起こすのは、何度も死にかけた時のことを思い出します。ある人は、それを偶然と呼びます。しかし私がクリスチャンになる前はそういうことを信じていましたが、そうとは思えないくらい何度も命が守られてきました。私は、神さまの守り、神さまの導きを信じます。ですから、人生の全てのことは必然であったと信じます。そして、神さまの守りは、私に何かそれにふさわしい資質があったからではありません。一方的な神さまの憐れみと恵みのゆえです。だから今日も私は、人生のパートナーである神に祈り、このお方と共に歩みます。また、結婚10周年は、短いようで長く、長いようで短いです。結婚生活の中での離婚の危機は、1年目、3年目、5年目、7年目にあり、それからは毎年が危機だというのを聞いたことがありますが、本当にそうだろうと思います。嫌いな人、気の合わない人とは、1週間であっても一諸にいることは苦痛だと思います。それを、同じ屋根の下に10年いることはすごいことだと思います。もちろん、これからも一生続いて行く訳ですが、結婚の秘訣は愛にあると思います。好きとか、恋愛感情は愛の中に含まれますが、愛とは違う側面を持っています。愛は、現実を直視し、相手を知り尽くした上で相手をあるがままで受け入れ、許し、愛します。しかし、恋愛は、「あばたもえくぼ」の世界です。しかし、結婚をした途端に、「えくぼはえくぼ」だったとわかります。そして次第には、「えくぼまでがあばた」に見えるようになり、離婚を決意する人が多くいます。しかし、その愛の土台はどこにあるのでしょうか? それは、神さまの一人子イエス・キリストの十字架にあります。ふさわしくないにも関わらず、最後まで私たちを愛し通して下さったのです。その愛がわかり、その愛を味わった人が愛に生きるようになります。誕生日や記念日は、その当人にとって大きな節目です。私の誕生日や記念日を覚えて下さった方に感謝を致します。あなたの誕生日や記念日の祝福もお祈り致します。ありがとうございます。
2007年07月06日
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時間は金よりもはるかに尊いものです。お金が大切でないと思う人は誰もいません。そう考えたら、時間の大切さを感じて頂けると思います。なぜならば、時間の積み重ねが人生だからです。例えば、いくらお金がたくさんあっても、健康を失い、死んでしまったとしたら何の意味があるでしょうか? 天国には、一銭たりとも持って行くことはできないのです。その貴重な時間を有効に使うために、まず、優先順位のトップに神さまとの交わり、祈り、聖書の時間を持って来ることです。神さまと交わると、重要なこと、そして、重要だと思っていたけれど、さほど重要じゃないこと、また、軽視していたけれど、最初にやらなければいけないこと等が見えるようになって来ます。そして、一日の優先順位をつけてから一日をはじめます。それは、車で目的地に行くのに、何となく走って行くのと、ナビゲーションシステムに従って走って行くのと同じくらいの違いが合います。ナビゲーションシステムは、上から最もよいルートに誘導してくれます。同じように、神さまも、全知全能の視点で、最も良い道を教え、導いて下さいます。ナビゲーションつきの車に乗っていても、従わないといけない義務はありません。従うか?従わないか?は自由意志に任されています。神さまも同じです。こうあらねばならない!とか、恐れで縛ってくるのは、悪魔の働きか肉の働きです。神さまは、優しく導かれるのです。ナビゲーションもそうでしょう。道を間違ったから叱られませんし、また新しいルートを探して教えてくれます。時間を有効に使うためには、まず神さまに聴くことです。そして、その優先順位に従って行って行くのです。そうしたら、最も尊い時間が有効に使われ、あなたの人生は尊くなって行きます。祝福がありますように。
2007年07月05日
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クリスチャンがイスラエルに旅行すると必ず行く場所の一つが、嘆きの壁です。この壁は、かつての神殿の丘の壁のうち、唯一残った壁です。ユダヤ人に取っては、とても神聖な場所であり、クリスチャンに取っても同じです。私は、今年1月にイスラエルを旅行して嘆きの壁にも行きました。そこで、約1時間祈りました。当初は、神さまの栄光が現される神殿がないこと、ユダヤ人がメシヤであるイエス様を知らないこと、日本の99%が救われていないこと、中東に平和がないこと等、あらゆる問題を憂え、嘆いて祈っていました。そうすると、気がついたら感謝の祈りに変っていました。神さまが、「私に任せない」といっておられるようにも聴こえましたし、何よりも、神さまの前に心を注ぎ出せたことは感謝でした。祈りは呼吸にたとえることも出来ますが、呼吸は、吐く息は二酸化炭素でも、吸う息は酸素です。同じように、吐く祈りは、問題、悩み、罪、汚れ、苦しみ、失望、絶望であっても、吸う祈りは、解決、喜び、聖霊、聖さ、安らぎ、希望、歓喜に溢れています。祈りとは、多くの場合、ピクニック気分でするものではなく労働です。なぜクリスチャン生活に勝利ができないかというと、祈りができないからかも知れません。それだけ、祈ることは難しく、気がつけば、祈りは自問自答に変り、自己憐憫、そして、罪に変ります。祈ることが難しいのは、サタンが祈ることを妨害するからです。祈りには3つの戦いがあります。1、祈りを邪魔する悪魔との戦い2、祈ることを嫌う怠惰な自分との戦い3、イサクの子ヤコブのように、神さまの祝福を頂くまで離さない神との格闘の祈りこの3つの祈りの戦いに勝利できたら、あならは必ず勝利出来ます。祈ることができないのは、それだけ妨害が大きいということがあります。これで祈りがなかなかできないことに納得できるだろうと思います。しかし、そのままでは、呼吸をしないことに等しいです。呼吸しないと死んでしまいます。同じように、呼吸をしないと霊的な命が死んでしまいます。もちろん、霊的な営みは、御言葉の食事をし、伝道や愛の行為の運動をし、祈りの呼吸をします。また、喜び、感謝、讃美は霊的な命を活性化します。嘆きに壁に行ったことがない人も多いと思います。また、中東の情勢が変りやすいですし、これからは行きたくても行けなくなってしまうかも知れませんし、一生行かないかも知れません。しかし関係ありません。今あなたがいるところに嘆きの壁はあるのです。そこで神さまを求めて嘆き、あなたの心を水のように神様の前に注ぎだして参りましょう。神さまは、あなたに命を与え、豊かにして下さり、祈りは必ず答えられるでしょう。今日も共に嘆きましょう。
2007年07月03日
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今の時代、最も危機的な状態にあるのは家族です。あなたの家庭はいかがですか? これは、夫婦ばかりではなく、親子も同じように危機的な状態にあります。そのために、定期的に家族でお祈りをしたり、家庭礼拝をささげたり、家族会議を持つことをお薦めします。ストレスを感じた時、男性と女性は違う反応を示します。男性は無口になり、女性はたくさんしゃべります。私は、この例にもれず、ストレスや試練を感じる時には、全くといっていい程しゃべりたくないですし、無口になります。しかし、そのままでいても解決はなかなか起こりません。もちろん、しゃべったからといって解決する訳ではありませんが、しゃべることは大切です。それを感じたのは、牧師になってから、何度も何度も押しつぶされそうな試練の連続だからです。毎日といっていい程試練はやって来ます。そんな時、家族にその痛みや苦しみ、ストレスを分かち合えたら、祈ってもらうことが出来ます。これは大きな救いです。家族の支えは非常に大きいです。男性が、妻に先立たれたら、2~3年中に老いて亡くなるケースが多いと聞きますが、妻の支えは非常に大きいと思います。しかし、この日記を読んで下さる方の中には、独身の方もいらっしゃいますし、離婚したり、死別した方もいらっしゃると思います。そんな方はどうしたらいいでしょうか? 友を持つことがいいと思います。ダビデ王は、サウル王の妬みを買って、命を狙われました。その時には、妻と別れ別れになりました。これは辛かっただろうと思います。しかも、その相手は義理のお父さんです。そんな時、ダビデはほら穴に逃げ込みました。そこには、ろくでもないような仲間が集まって来ました。しかし、その仲間が一緒に住むためには、お互いにありのままで受け入れ、また、話し合いがたくさんもたれただろうと思います。ダビデは友だちに支えられました。友だちの支えも大きいものです。それも含めましての家族会議はあなたを支え、あなたを成功させ、素晴らしい人生にしてくれるものです。家族会議をお薦めします。同じ心で歩むパートナー、家族はあなたの宝です。祝福をお祈り致します。
2007年07月02日
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